2026/04/25 - 2026/04/25
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しろくまクンクンさん
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富貴寺へ行きました。
蓮華山富貴寺は六郷満山の中で、満山を統括した西比叡山高山寺の末寺の一つです。
寺伝によると養老二年(718)仁聞菩薩の開基と言われています。
富貴寺大堂は、宇治平等院鳳凰堂、平泉中尊寺金色堂と並ぶ日本三阿弥陀堂のひとつに数えられ、現存する九州最古の木造建築物であり、国宝指定されています。
大堂の周囲には僧侶が修行のときに使用したとされる、梵字が刻みつけられた仁聞石や鎌倉時代の笠塔婆、室町時代の国東塔等があり、かつての富貴寺の繁栄ぶりを偲ぶことができます。
天念寺・身濯神社(六所権現)へ行きました。
六郷満山の中山本寺である天念寺は、養老2年(718年)仁聞菩薩によって開基されたといわれ、平安・鎌倉時代には修厳と祈願の寺院として栄えました。
天念寺の伽藍は、本堂・庫裡・講堂・六所権現社(現:身濯神社)などからなっておりましたが、本堂と庫裡は昭和16年10月1日の集中豪雨で流出してしまい、現在は講堂と六所権現が残る形となっております。
神仏習合がそのまま残っています。
神社とお寺が続き屋になっているのは初めて見ました。
目の前を流れる長岩屋川の中にある巨石には見事な不動明王様が刻まれています。
https://youtu.be/RnOchvI45bc
https://youtu.be/JUoP_-ONb9s
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩 バイク
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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国東半島の絵地図です。
結構わかりやすいです。 -
富貴寺へ行きました。
大きな駐車場があります。 -
大きな一枚の石を使った石段は見事です。
国東半島は、大昔に火山活動によってできた土地です。そのため、半島全体から「国東安山岩」と呼ばれる、非常に硬く、かつ粘り気があって加工しやすい上質な岩石が大量に採掘できました。
富貴寺の石段に使われているのは、この巨大な安山岩の原石を大胆に切り出し、ほとんど継ぎ目がない状態でそのまま一段として据え付けたものです。自然の巨岩のスケールをそのまま活かしているからこそ、まるで「地面から生えている一枚の岩」のような、凄まじい迫力と安定感が生まれています。 -
石段横にある庚申塔です。
大分県(特に国東半島周辺)の古い庚申塔には、「青面金剛」の代わりに「不動明王」の姿を刻んだものや、不動明王そのものを庚申尊として信仰し、彫り込んだものが非常に多く存在します。(左のものです。)
石に彫られている像も、憤怒(怒り)の表情を浮かべ、羂索や剣を持ち、炎のような背景を背負っていませんそれは、「庚申の信仰」と「密教の不動明王信仰」が地域の中で深く結びついた、国東半島ならではの独特な庚申塔のスタイル(あるいは不動明王を主尊とした庚申塔)なのです。
中央は十王石殿、正面や側面に「地獄の裁判官」である閻魔大王などの十王が3体ずつ(左右合わせて計10体)刻まれています。
一番右は石殿です。 -
安養閣の額が架かる仁王門です。
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仁王門にいらっしゃるのは石の阿形です。
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右手には吽形です。
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額に「安養閣」という文字が刻まれており、その文字の奥に阿弥陀如来のお姿が彫り込まれています(「安養」とは、極楽浄土の別名です)。
ここに阿弥陀如来がいらっしゃるのは仁王門の先、石段を上りきった場所に佇む国宝「富貴寺大堂」の本尊が阿弥陀如来だからです。
また「宇佐神宮六郷満山霊場 第四番特別札所 蓮華山 富貴寺」とあります。
仁聞菩薩は、宇佐八幡神の化身として宇佐国東の地に今をさかのぼること約1300年前に神仏習合の原点となる山岳宗教、「六郷満山」を開かれました。 -
石段の上に本堂が見えてきました。
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国東半島の古い寺社や参道によく見られる、非常にユニークな「供養碑」、あるいは地域で信仰されてきた「庚申信仰や寿老人・福禄寿などの縁起物の石」のいずれかです。(Gemini)
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仁王門を振り返ります。
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境内の石造物位置図です。
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富貴寺大堂です。
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白山社です。
富貴寺の境内のすぐ裏に、白山社の鳥居が当たり前のように佇んでいること自体が、まさに国東半島の「神仏習合」の生き証拠です。
白山信仰は、修験道と非常に深い繋がりがあります。六郷満山の山々を駆け巡っていた山伏たちにとって、富貴寺の大堂で阿弥陀如来を拝み、そのすぐ裏の白山社で山の神の霊力を得ることは、完全に一つの信仰としてセットになっていました。 -
ちょっと変わった鳥居です。
一番上の横木(笠木)に反りがなく、まるで一本の直線の丸太をそのまま載せたように水平です。
2本の垂直な柱が上に向かって少し内側にすぼまるように傾斜して立っています。
通常、鳥居の中央には社名を書いた額を掲げるための短い縦の柱がありますが、これが省略されているか、非常に簡素な造りになっています。
これは、日本古来の原始的な鳥居の形である「神明鳥居」の系統、あるいはそれをベースに国東の石工たちが独自にアレンジした「国東特有の在郷型石鳥居」のバリエーションです。 -
白山社です。
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白山社から富貴寺大堂です。
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白山社の前は苔の美しい広場になっています。
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本堂横の国東塔です。
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十王像です。
道教や仏教で地獄において亡者の審判を行う十尊です。 -
ちょっとわかりません。
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説明版です。
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苔が良い雰囲気です。
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八臂弁財天です。
腕が2本の弁財天の多くは、薄い衣をまとい、琵琶を持つ優美な天女の姿で親しまれているのに対し、腕が8本の八臂型の弁才天は鎧を着て、手には弓矢や斧・鉾など武器を持つ姿で表されます。 -
文殊菩薩様です。
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国東塔が並びます。
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奥の院 薬師岩屋です。
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自然の岩を削り、壇を刻み、石造りの薬師如来を安置しています。
石仏は2体とも薬師如来です。
霊験あらたかな薬師如来として文化年間(1804~1818)に盗難にあったのかいなくなったそうです。
村人が仏師にお願いして新しく刻んで安置しましたが、1年ほどしていつの間にか岩屋に戻っていたため2体になりました。 -
国東塔が数多くあります。
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本堂は工事中です。
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仮本堂です。
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天念寺へ行きました。
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すぐ隣に身濯神社(六所権現)があります。
身濯神社は、明治の「神仏分離令」によって神社という扱いになりましたが、それ以前は「六所権現」と呼ばれる、天念寺の強力な鎮守社でした。 -
扁額の下におたふくと天狗の面があります。
国東半島の至宝である奇祭「修正鬼会」の前哨戦として、講堂の舞台でユーモラスに舞われる「鈴鬼」などの前座の舞、あるいは神楽の儀式で実際に使われる神聖なお面です。
天狗の面: 国東半島の修験道において、天狗は山の神の使い、あるいは修行者を守る強力な霊力の象徴です。
おたふくの面: 鬼会の中では、荒々しい鬼や天狗といった「陰・陽」のエネルギーのバランスをとるため、あるいは五穀豊穣・子孫繁栄・豊作を願う目めでたい象徴として、対になる女性の面が登場し、場を和ませる舞を舞います。 -
前を流れるのは長岩屋川です。
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天念寺の講堂です。
身濯神社を正面から見ると、社殿のすぐ左側に、茅葺き屋根の大きなお堂(天念寺の講堂)があり、さらに神社とお堂が「渡り廊下」で完全に一つに繋がっているという、他ではまず見られない特殊な構造をしています。 -
天念寺の修正鬼会(毎年旧正月に開催)は、とにかく「火」を凄まじい量で使う荒々しい祭りです。講堂のなかに、長さが数メートルもある巨大な松明が何本も持ち込まれます。
鬼や僧侶が振り回す: 燃え盛る大松明を、鬼や僧侶たちが抱え、講堂の天井や柱にバチバチと叩きつけながら激しく踊ります。堂内は煙と火の粉で真っ白になります。
無病息災の「加持」: 鬼たちはその松明の火をつけたまま、渡り廊下を通って身濯神社の拝殿や境内に繰り出し、参拝者の背中や肩を松明でパシパシと叩きます。こうすることで、1年間の病気や災いを焼き払うと信じられています。 -
薬師如来様です。
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お寺と神社がつながった面白い構造です。
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川中不動です。
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川の中州の巨石に不動明王様が刻まれています。
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天念寺と身濯神社(六所権現)です。
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石橋を渡り近づくことができます。
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国宝堂跡へ向かいます。
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国宝堂跡です。
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明治39年に旧国宝に指定された六体の平安仏が安置されていた岩窟の御堂で国宝堂と呼ばれる建物がありました。
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山の上に無明橋が見えます。
上る予定できましたが足の傷みがだいぶあるので断念しました。 -
修験者が通る天空の石橋です。
この光景はなかなか見ることがができないと思います。
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