守山旅行記(ブログ) 一覧に戻る
《2026.May》藤で初夏を感じる旅滋賀そのⅡ~守山・草津の名所めぐり後編~<br /><br />最近うちの売り場に問題が発生している。売場責任者、つまり主任さんが新卒3年目の若い方に代わったのだ。今まで良い悪いは抜きにして私とそう変わらない年齢の戦錬磨の方ばかりだったので、キャリアは長くても下っ端として気楽に仕事ができていた。しかし娘のような年齢であれば実務経験の歴が違い過ぎるのでどうしても今まで通りという訳には行かない。極めつけは私の三連休の中日に自分の休みを入れたりする。前後にずらすことができるならば問題ないが、どうやっても休みがかち合い、無理やり入れる事が出来たのが5月3日から5日…。今の会社に来てからGWに連休を取った記憶はない。人が出歩く時期に人混み嫌いが出掛けるはずがない。案の定1~2日目は家でゴロゴロしていた。さすがに3日目は出かけにゃ損ということで、先日行けなかった若しくは暗くて見えなかった場所を洗い出して再訪することにした。<br /><br />令和8(2026)年5月5日<br />先日時間の都合で行くことができなかった守山の観音寺に先ずは向かう。源頼朝伝説や明智光秀の家臣藤田伝五縁りの場所として知られている寺院だが、昨年の参拝時に時間切れで参拝できなかった本堂で阿弥陀様を拝むはずが渋滞に巻き込まれて無理だった(泣)。昨年訪れた時にご住職にはお会いして歴史論議はお伺い出来たのだが、どうやら今日はお出かけ中のご様子。という訳で境内にある建物を眺めながらカメラにその様子を収めていった。また藤棚は山門外にあるために時間関係なしに見ることはできるのだが、昨夏の暑さや害虫の影響もあり、花房が育つ前に萎れてしまっていたことが残念だった。これだけは生き物故に致し方ない。来年は昨年のような花房を付けてくれることを期待しながら、次の目的地を目指すべく車へと戻った私であった。<br /><br />草津市へと戻り到着したのは志那神社。志那三郷の藤のひとつに数えられる志那神社の藤だが、いつもの訪れる時間が遅く、暗闇の中の藤棚しか見たことがない。今日は遅いながらもまだ明るい時間帯だったので、ガッツリと見学させて頂く。旧村社格の志那神社は、草津駅から5km程北西に進んだ志那町に鎮座する。鳥居前に少し広場があり、毎回そこに車を停めて参拝しているが、クロマツの参道下は車の通行が認められており、本来の駐車場所はこちらなのかも知れない。鳥居を潜るとクロマツの参道が約70メートル続いており、その突き当りに白壁に囲まれた境内がある。境内の中央に拝殿があり、境内右手には藤棚が、左手には神馬像と新たに植えられた珍しい八重紫と白長藤の幼木が花を咲かせている。志那神社の藤に関する歴史は記されてはいないが、志那三郷を構成する近隣の三大神社縁起に天武天皇の勅により藤原鎌足の葬られた談峯の藤花に因み藤原氏の隆盛を祈念して倉橋山の藤を移植したこと。また惣社神社では天武天皇の除病延命仏法興隆を祈念して藤が供えられたことに始まるとあることから、同じような経緯から藤が植えられたのではと推測されている。そのあたりは深く追究することではないのかも知れない。<br /><br />中央部に拝殿があり、その後方には三棟の社殿があるが左から摂社白山神社・本殿・八幡神社と並んでいる。創祀年代は不詳だが社伝によると、当社が式内社・意布伎神社であって何らかの理由から社号が改称されたという。また宝物として清和天皇の治世である貞観九(867)年に奉納された鏡や鈴が現存し、鏡には〝奉近江国伊富伎神〟、鈴には〝貞観九年四月〟と銘があるという。また神事として豊年万作を祈願し団扇二つでその風景を示す〝さんやれ踊り(風神踊り)〟があり現在に至っている。昔は志那三郷(志那・吉田・志那中)より馬を出して競馬を行い豊作の吉凶を占ったということが記されている。〝式内社調査報告〟には境内に南北朝時代の宝塔があると記されている。しかし決して存在感を放っているわけではないので、見落とすことも多いという。そんな志那神社だが結構大きな藤棚がある。九尺とはいかないが、それなりに成長する品種のようだ。しかしやはり樹勢の弱まりの影響なのか花房の育ちはイマイチだった。藤棚というと〝陽を浴びて〟というイメージがあるのだが、志那神社の藤棚も然り直射日光にあたる場所に設けられている藤棚が影響を受けやすいように思えてならない。事実住宅地の中にある惣社神社の藤の育ちは結構良かったと記憶している。生花であるために複数の要素が複雑に絡み合って花の育成に影響を与えている。ということを踏まえるも当たるも八卦外れるも八卦と考えるとまた面白いのかも知れない。そんな思いを持って志那神社の藤を眺めながら車へと戻って行った。<br /><br />本日最後に向かったのはライトアップ開催中の三大神社である。5月1日に一度訪れた場所ではあるが、その際に感じた花房の生育を確認したいと思ったからだ。神社隣に設けられた臨時の自治会館駐車場に車を停めて向かうことにする。条里集落の遺構地吉田の里の中心である二十六坪小字伊吹の里に鎮座する旧村社格の三大神社は、創祀年代不詳であるものの、条理性に関係深い天智天皇の勅を受け中臣金連が天智天皇4(665)年に風神の二柱を祀ったことに歴史が始まるとされており、延喜式神名帳に記載の式内社伊冨伎神社の論社である。このあたりは先に訪れた志那神社も同様であり、伊冨伎神社自体が現在に於いて分社化したという説もある。その後平安時代後期の応徳元(1084)年に吉田大欲助穴太包元等が大宅公主命を合祀されたと伝わる。その結果ご祭神が三神となったため〝邑人等三体神権現〟と称するようになり、伊冨伎神社の称が消埋した。後に〝三大権現〟と称して支那三郷の総祭が当社で斎行されていたが、明治初(1868)年に三大神社と改称し各郷で例祭を行うようになったとされている。<br /><br />社殿については中世に破損したため吉田大欲助穴太包元等が修繕し、次いで江戸初期の承応2(1652)年年芦浦観音寺瞬貞法人によって再建された。以来三百有余年が過ぎ社殿の老朽化が進んだため、明治9(1876)年に社殿を再建し、その際に村社に列したと記されている。その後昭和55(1980)年屋根を銅板に葺替えて現在に至っている。<br /><br />そして境内の老藤は、由来記によると藤原鎌足の長男定恵が、天武天皇の勅を拝し藤原の隆盛を祈念して奈良県倉橋山の藤の苗を移植し、巨大な藤樹となったものの、織田信長の焼討ちで焼失した。しかし株元から蘇生し現在の藤樹になったと記されている。老藤の樹齢が約500年ということから、新たに芽吹いた藤と辻褄は合うようだ。勿論実際の歴史とは異なるかとは思うが、この藤を目当てに開花の前後の時期に多くの観光地で賑わっていることは事実なので、深掘りをする必要もないだろう。滋賀県だけでなく関西圏でも一二を争う藤の名所であることに相違ない事実がそのことを物語っている。そんな三大神社の〝砂ずりの藤〟は、志那三郷の藤のうち唯一ライトアップされる場所でもある。こちらも5月1日参拝後の再訪であったが、やはり期待していた花房の成長は見られず、先の方が萎れ始めて種が出来つつあるという残念な結果だった。それでもせっかくやって来たので一通り藤の花房を眺めながらその姿をカメラに収めて行く。因みに志那三郷の藤まつりは明日5月6日水曜日までなので、次回来るのは早くても来年となる。まぁ〝自然の産物〟故の結果であるので嘆いても仕方がない。来年はきっと〝砂ずりの藤〟を見せてくれと願いながら車へと戻って行く私であった。<br /><br />車に戻り近くのセブンイレブンを検索する。最近立ち寄った〝郵便局〟データの追加項目として〝風景印〟を加えるようになった。本来ならば立ち寄った際に貰えばいいのだが、郵便と貯金窓口は異なることが多く、限られた時間で頼むのは難しいからである。郵便にて依頼するのであるが、裏面には郵便局局舎の〝写真〟を印刷したものを送るために、定期的にそのはがき印刷をするためにセブンイレブンに立ち寄っている。それが今回の立ち寄りの理由である。用件を済ませ、飲み物を買って一服し、改めて出発する。草津から我が街に帰るには二通りの道があるが、私が良く利用するのは湖岸経由のルートである。今回もそれに従い近江大橋を通過し、スギ薬局御殿浜店に立ち寄って買い物をする。15%引きのクーポンはなかなかのものである。暫し買い物に勤しみ車へと戻るとラストラン。5時間をかけて守山観音寺・志那神社・三大神社と藤の名所を巡った〝GWの休み〟はこれで終了する。やっぱり平日休みが良いなぁ…と考えながら。<br /><br />   《終わり》

《2026.May》藤で初夏を感じる旅滋賀そのⅡ~守山・草津の名所めぐり後編~

15いいね!

2026/05/05 - 2026/05/05

158位(同エリア292件中)

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

この旅行記のスケジュール

2026/05/05

この旅行記スケジュールを元に

《2026.May》藤で初夏を感じる旅滋賀そのⅡ~守山・草津の名所めぐり後編~

最近うちの売り場に問題が発生している。売場責任者、つまり主任さんが新卒3年目の若い方に代わったのだ。今まで良い悪いは抜きにして私とそう変わらない年齢の戦錬磨の方ばかりだったので、キャリアは長くても下っ端として気楽に仕事ができていた。しかし娘のような年齢であれば実務経験の歴が違い過ぎるのでどうしても今まで通りという訳には行かない。極めつけは私の三連休の中日に自分の休みを入れたりする。前後にずらすことができるならば問題ないが、どうやっても休みがかち合い、無理やり入れる事が出来たのが5月3日から5日…。今の会社に来てからGWに連休を取った記憶はない。人が出歩く時期に人混み嫌いが出掛けるはずがない。案の定1~2日目は家でゴロゴロしていた。さすがに3日目は出かけにゃ損ということで、先日行けなかった若しくは暗くて見えなかった場所を洗い出して再訪することにした。

令和8(2026)年5月5日
先日時間の都合で行くことができなかった守山の観音寺に先ずは向かう。源頼朝伝説や明智光秀の家臣藤田伝五縁りの場所として知られている寺院だが、昨年の参拝時に時間切れで参拝できなかった本堂で阿弥陀様を拝むはずが渋滞に巻き込まれて無理だった(泣)。昨年訪れた時にご住職にはお会いして歴史論議はお伺い出来たのだが、どうやら今日はお出かけ中のご様子。という訳で境内にある建物を眺めながらカメラにその様子を収めていった。また藤棚は山門外にあるために時間関係なしに見ることはできるのだが、昨夏の暑さや害虫の影響もあり、花房が育つ前に萎れてしまっていたことが残念だった。これだけは生き物故に致し方ない。来年は昨年のような花房を付けてくれることを期待しながら、次の目的地を目指すべく車へと戻った私であった。

草津市へと戻り到着したのは志那神社。志那三郷の藤のひとつに数えられる志那神社の藤だが、いつもの訪れる時間が遅く、暗闇の中の藤棚しか見たことがない。今日は遅いながらもまだ明るい時間帯だったので、ガッツリと見学させて頂く。旧村社格の志那神社は、草津駅から5km程北西に進んだ志那町に鎮座する。鳥居前に少し広場があり、毎回そこに車を停めて参拝しているが、クロマツの参道下は車の通行が認められており、本来の駐車場所はこちらなのかも知れない。鳥居を潜るとクロマツの参道が約70メートル続いており、その突き当りに白壁に囲まれた境内がある。境内の中央に拝殿があり、境内右手には藤棚が、左手には神馬像と新たに植えられた珍しい八重紫と白長藤の幼木が花を咲かせている。志那神社の藤に関する歴史は記されてはいないが、志那三郷を構成する近隣の三大神社縁起に天武天皇の勅により藤原鎌足の葬られた談峯の藤花に因み藤原氏の隆盛を祈念して倉橋山の藤を移植したこと。また惣社神社では天武天皇の除病延命仏法興隆を祈念して藤が供えられたことに始まるとあることから、同じような経緯から藤が植えられたのではと推測されている。そのあたりは深く追究することではないのかも知れない。

中央部に拝殿があり、その後方には三棟の社殿があるが左から摂社白山神社・本殿・八幡神社と並んでいる。創祀年代は不詳だが社伝によると、当社が式内社・意布伎神社であって何らかの理由から社号が改称されたという。また宝物として清和天皇の治世である貞観九(867)年に奉納された鏡や鈴が現存し、鏡には〝奉近江国伊富伎神〟、鈴には〝貞観九年四月〟と銘があるという。また神事として豊年万作を祈願し団扇二つでその風景を示す〝さんやれ踊り(風神踊り)〟があり現在に至っている。昔は志那三郷(志那・吉田・志那中)より馬を出して競馬を行い豊作の吉凶を占ったということが記されている。〝式内社調査報告〟には境内に南北朝時代の宝塔があると記されている。しかし決して存在感を放っているわけではないので、見落とすことも多いという。そんな志那神社だが結構大きな藤棚がある。九尺とはいかないが、それなりに成長する品種のようだ。しかしやはり樹勢の弱まりの影響なのか花房の育ちはイマイチだった。藤棚というと〝陽を浴びて〟というイメージがあるのだが、志那神社の藤棚も然り直射日光にあたる場所に設けられている藤棚が影響を受けやすいように思えてならない。事実住宅地の中にある惣社神社の藤の育ちは結構良かったと記憶している。生花であるために複数の要素が複雑に絡み合って花の育成に影響を与えている。ということを踏まえるも当たるも八卦外れるも八卦と考えるとまた面白いのかも知れない。そんな思いを持って志那神社の藤を眺めながら車へと戻って行った。

本日最後に向かったのはライトアップ開催中の三大神社である。5月1日に一度訪れた場所ではあるが、その際に感じた花房の生育を確認したいと思ったからだ。神社隣に設けられた臨時の自治会館駐車場に車を停めて向かうことにする。条里集落の遺構地吉田の里の中心である二十六坪小字伊吹の里に鎮座する旧村社格の三大神社は、創祀年代不詳であるものの、条理性に関係深い天智天皇の勅を受け中臣金連が天智天皇4(665)年に風神の二柱を祀ったことに歴史が始まるとされており、延喜式神名帳に記載の式内社伊冨伎神社の論社である。このあたりは先に訪れた志那神社も同様であり、伊冨伎神社自体が現在に於いて分社化したという説もある。その後平安時代後期の応徳元(1084)年に吉田大欲助穴太包元等が大宅公主命を合祀されたと伝わる。その結果ご祭神が三神となったため〝邑人等三体神権現〟と称するようになり、伊冨伎神社の称が消埋した。後に〝三大権現〟と称して支那三郷の総祭が当社で斎行されていたが、明治初(1868)年に三大神社と改称し各郷で例祭を行うようになったとされている。

社殿については中世に破損したため吉田大欲助穴太包元等が修繕し、次いで江戸初期の承応2(1652)年年芦浦観音寺瞬貞法人によって再建された。以来三百有余年が過ぎ社殿の老朽化が進んだため、明治9(1876)年に社殿を再建し、その際に村社に列したと記されている。その後昭和55(1980)年屋根を銅板に葺替えて現在に至っている。

そして境内の老藤は、由来記によると藤原鎌足の長男定恵が、天武天皇の勅を拝し藤原の隆盛を祈念して奈良県倉橋山の藤の苗を移植し、巨大な藤樹となったものの、織田信長の焼討ちで焼失した。しかし株元から蘇生し現在の藤樹になったと記されている。老藤の樹齢が約500年ということから、新たに芽吹いた藤と辻褄は合うようだ。勿論実際の歴史とは異なるかとは思うが、この藤を目当てに開花の前後の時期に多くの観光地で賑わっていることは事実なので、深掘りをする必要もないだろう。滋賀県だけでなく関西圏でも一二を争う藤の名所であることに相違ない事実がそのことを物語っている。そんな三大神社の〝砂ずりの藤〟は、志那三郷の藤のうち唯一ライトアップされる場所でもある。こちらも5月1日参拝後の再訪であったが、やはり期待していた花房の成長は見られず、先の方が萎れ始めて種が出来つつあるという残念な結果だった。それでもせっかくやって来たので一通り藤の花房を眺めながらその姿をカメラに収めて行く。因みに志那三郷の藤まつりは明日5月6日水曜日までなので、次回来るのは早くても来年となる。まぁ〝自然の産物〟故の結果であるので嘆いても仕方がない。来年はきっと〝砂ずりの藤〟を見せてくれと願いながら車へと戻って行く私であった。

車に戻り近くのセブンイレブンを検索する。最近立ち寄った〝郵便局〟データの追加項目として〝風景印〟を加えるようになった。本来ならば立ち寄った際に貰えばいいのだが、郵便と貯金窓口は異なることが多く、限られた時間で頼むのは難しいからである。郵便にて依頼するのであるが、裏面には郵便局局舎の〝写真〟を印刷したものを送るために、定期的にそのはがき印刷をするためにセブンイレブンに立ち寄っている。それが今回の立ち寄りの理由である。用件を済ませ、飲み物を買って一服し、改めて出発する。草津から我が街に帰るには二通りの道があるが、私が良く利用するのは湖岸経由のルートである。今回もそれに従い近江大橋を通過し、スギ薬局御殿浜店に立ち寄って買い物をする。15%引きのクーポンはなかなかのものである。暫し買い物に勤しみ車へと戻るとラストラン。5時間をかけて守山観音寺・志那神社・三大神社と藤の名所を巡った〝GWの休み〟はこれで終了する。やっぱり平日休みが良いなぁ…と考えながら。

   《終わり》

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
15いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP