2026/03/29 - 2026/03/30
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nichiさん
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伊東から小田原にやってきました。
ミナカ小田原の駐車場に車を停めて、久々に小田原城へ。
ココの春の桜は有名です。
秀吉の北条攻めで有名な小田原城。
歴史好きにはたまらないお城です。
91歳の母も一緒に城内をグルっと歩いて巡りました。
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翌朝!
どんより曇ってます。
シニア夫婦はランニングへ。ホテルハーヴェスト伊東 宿・ホテル
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30分5㎞のゆっくりとしたランニングでした。
シニア夫婦は、温泉大浴場へ!
部屋に戻ってきたら、母は自分で部屋の温泉のお湯を入れ替えて入浴していました。ホテルハーヴェスト伊東 宿・ホテル
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部屋で昨晩スーパーで購入してきたパンとコーヒーの簡単な朝食を済ませました。
暫く3人は部屋でマッタリ。。。ホテルハーヴェスト伊東 宿・ホテル
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ゆっくりめにチェックアウト。
ホテルハーヴェスト伊東 宿・ホテル
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伊東から車で約1時間15分。
伊東駅にあるミナカ小田原の駐車場に車を停めました。 -
ココは金次郎広場です。
奥に二宮金次郎像があります。
小田原は彼の故郷なんですね。 -
お目当ては、ココにある、
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お寿司屋さん「北条」さんです。
小田原の北条。
なるほど・・・ -
黒板がメニューです。
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3人とも、北条5貫
をオーダーしました。 -
マグロ
アカイカ
酢〆アジ
赤エビ
煮アナゴ -
ご馳走様でした。
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さあ3ん人で小田原城に向かいましょう。
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小田原城は小田原駅のすぐ近くです。
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こんなモニュメントがありました。
以前は無かったよな~
ここは、以前は蓮池という天然の池があった所です。 -
永禄4年(1561年)の長尾景虎の関東攻め、および永禄12年(1569年)の武田信玄の小田原城攻めの際、豊饒の4代目である北条氏政は、この蓮池でそれぞれ迎え撃っています。
蓮池は、戦国時代の小田原城の北側の重要な防衛線だったようです。
江戸時代になると、小田原城のL字型曲輪が造られ、防衛力を高めました。
裏門口として、小田原藩士に利用されていたようです。 -
さあ小田原城に向かいましょう。
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江戸末期の小田原城の図です。
今の町割りと近いようです。 -
二の丸の東北側の堀は水田になっています。
今は埋め立てられています。 -
こちらは二の丸東堀です。
堀の畔の桜は8分咲ぐらいでしょうか? -
堀沿いの道を進んで行きます。
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小田原城は、江戸時代になって稲葉正勝によって近代城郭として整備されました。
この二の丸堀もその時に整備されたと考えられています。 -
堀幅が40mの東堀は、場内で一番大きなものでした。
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私「お母さん、頑張って本丸まで行って駅に戻る?」
母「うん。行く。」
馬出門から住吉橋を渡って銅門をくぐって城内に入るのが正規のルートですが、桜の花を見るために手前の学橋を渡りましょう。 -
小田原城の周辺には歴史上著名な方々のゆかりの地があるのですね。
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この赤い橋は学橋。
この橋は、昭和初期に二の丸に出来た小学校に通う為の橋です。
だから、学橋。
小学校は移転しましたが、この橋は残ったようです。 -
馬出門まで行かず、手前の朱の橋である学門を渡ります。
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学ぶ橋から左を眺めます。
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右に二の丸の隅櫓、そして左奥には馬出門が見えます。
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お堀沿いに桜が咲いています。
5分咲ぐらいかな~? -
二の丸広場の桜が見えます。
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二の丸広場にやってきました。
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この桜は綺麗ですね~
ほぼ満開です。 -
これは綺麗ですね~
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母もスマホで撮影してます。
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二の丸広場の桜に中には満開の桜もあります。
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駅でお弁当買って、小田原城二の丸広場で戴くのもアリですね。
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二の丸の桜は5分~6分咲です。
綺麗ですね~ -
二の丸についての案内がありました。
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今桜が咲いている大きな二の丸広場には、江戸時代にはこのような大きな二の丸御殿がありました。
正式名称は二の丸尾屋形で、藩主の居館や行政を行う政庁があった所です。
三代将軍徳川家光が上洛の際、途中ココに宿泊しています。
将軍を迎える為に、唐門や能舞台が造られています。
明治になると皇室の御用邸になり、昭和になって小学校が造られています。 -
左の方に見える建物は、銅門です。
二の丸の正門ですね。 -
入母屋造の瓦葺きの大きな門です。
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満開前の桜の枝。
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なんか可愛いですね。
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本丸に向かって階段を登って行きます。
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人が増えてきました。
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秀吉による小田原攻めの布陣図が展示されていました。
この図、めっちゃ面白いのです。
360度、海上含め、日本中の戦国大名が秀吉軍として北条を囲んでいます。
総勢15万の軍勢です。 -
北条の小田原城を囲んでいた、障子堀という空堀です。
この城を攻める秀吉側も大変だったのだろうな~ -
桜の奥に本丸の常盤木門が見えます。
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本丸に近づくと人が増えてきました。
常盤木門を渡ります。
桜の奥に本丸の常盤木門が見えます。 -
91歳の母も頑張って登ります。
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常盤木門です。
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常盤木門は、小田原城本丸の正門です。
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常盤木門
碑が立ってます。 -
常盤木門の「常盤木」とは、常緑樹の事なんだそうです。
北条の頃から本丸にあった7本の松に由来しているのだそうです。
常に緑色である松のように、小田原城と小田原の街が永遠でありように願いを込めて命名されたのですね。 -
一度焼失していますが、江戸中期である宝永3年(1706年)に再建されています。
その後明治の廃城令で壊されていますが、昭和46年(1971年)に再建されているのがこの門です。 -
常盤木門をくぐります。
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左右の石垣は江戸時代のものです。
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小田原城本丸まで上がってきました。
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常盤木門を振り返ります。
桜が綺麗ですね~ -
本丸です。
奥に天守が見えますね~ -
江戸時代の本丸は、本来は藩主の居館ですが、小田原城の本丸は徳川将軍家の宿でした。
天守は二度の大地震で二度倒壊してます。
今の天守は昭和35年(1906年)に再建された建物です。 -
立派な石垣の上に、3重4階の天守櫓に付櫓、渡櫓を付した複合式天守閣で、地上38.7m、鉄筋コンクリート造です。
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石落としが見えますね。
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あの松が室町七本松の内、唯一残る待つかな?
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天守の横から下りて行くと、大きな大きな曲輪が見えました。
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ここは御用米曲輪と言って、江戸幕府の米を納める蔵があった曲輪です。
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航空写真の展示がありました。
天守がそびえる本丸の下にある曲輪ですね。
発掘調査衆のようですね。
かつてこ御用米曲輪には、6つもの曲輪があったようで、今まさに発掘調査中のようです。 -
御用米曲輪の土手の桜も綺麗ですね~
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おお~~
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ここからは、徳川家の葵の御紋の瓦がたくさん出土されたようです。
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おお~~
今まさに発掘中のようです。 -
ミナカ小田原まで戻ってきました。
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最後はここ、相模屋さんに寄って、
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いなり寿司を買って帰りましょう。
母を送って母の家に行き、そのまま母の家でいなり寿司をいただきました。
おしまい
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