2026/05/02 - 2026/05/04
800位(同エリア1148件中)
バウトさん
*AIによる推敲によって脚色されています。
ラオスを訪れるなら、南部にあるデット島に行きたいと思っていた。しかし暦通りのゴールデンウィークでは行って帰ってくるには時間が足りない。黄金週間なんて名ばかりではないか。日程に合う別の場所を探すうち、ムアンゴイという秘境の村があることを知った。そこでは今でも手作業で布が織られているらしい。洋服屋としては、それだけで興味をそそられる。だが、調べてみればそこもまた、短期旅行で目指すには日程に無理がある場所だった。それならせめて、そのムアンゴイへの起点であり、最後の桃源郷と呼ばれているノーンキャウまでなら行けるのではないか。そうやって旅行の計画を組み立てていった。
今回は往路、復路ともにハノイでの乗り継ぎだったため、旅行記にはハノイの記事も含まれている。(※旅行の予算や物価の参考として、記録のあるものは10,000ラオスキープ=73円、10,000ベトナムドン=60円で換算して記載しています)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 3.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 2.0
- 交通
- 2.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー 飛行機
- 航空会社
- ベトナム航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
16時35分に羽田空港を出発するベトナム航空385便。
ANAの提携航空会社特典航空券を狙い、座席が解放される355日前のタイミングで探したのだけど、席は見つからなかった。ようやく空席が表示されるようになったのは314日前の6月27日になってからだった。必要マイルは38,000マイル。かかった諸費用は8,910円のみ。近年の航空券高騰を考えると、燃油サーチャージがかからない航空会社を選ばなければ、私にとっては旅行をするのは難しい。 -
機内食のチョイスは、アジアンかウエスタン。私はウエスタンを選んだ。機内エンターテインメントの画面を操作し、ラインナップの中から選んだアニメ映画 ルックバック がとても良かった。続けて韓国のゾンビ映画も再生してみた。出演していた猫が最後までゾンビにならなかったことに、ほっとした。
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ハノイでのトランジット用に、ノイバイ空港から近い 88 Ehome Noibai Airport-Villa を予約していた。朝食付きのドミトリーが180,000ドン(約1,080円)で、しかも時間内であれば無料で空港送迎をしてくれる宿だ。私の到着は夜8時過ぎで無料送迎の時間外だったため「130,000ドン(780円)で車を手配する」と案内をもらっていたが「Grabで行きます」と返信しておいた。しかし、いざ空港に着いてみるとGrabの表示料金がかなり高い。そこで、声をかけてきたタクシーと交渉してみたところ、事前に宿から案内されていた送迎料金よりも少しだけ安くなったので、そのタクシーで宿へ向かった。(※宿の外観写真は翌朝に撮影したものです)
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宿に到着してチェックインの手続きを済ませると、水とバナナを出してくれた。食べたことのない、ねっとりとした食感のバナナでおいしかった。ビールを買いに出かけようとしたところ、突然激しい雨と落雷が始まった。外出を諦めて宿の冷蔵庫にあるビールを1本売ってもらい、サービスで用意してくれたオレンジとピーナッツをつまみに一息つくことにした。
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翌朝、目が覚めると雨は上がっていた。この宿の朝食はセルフサービスだった。台所に立って、パンをトースターにセットする。ゆで卵とバナナを取り、旅行中によく見かける 3 in 1 のインスタントコーヒーにお湯を注ぐ。緑色のペーストをパンに塗って口に運ぶと、濃厚な抹茶の風味が広がった。
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ドミトリーの部屋に、客は私一人だけだった。翌朝、隣のファミリールームの親子連れがチェックアウトしていくと、宿の主人は「広い方を使っていいよ」と私をそちらの部屋へ移してくれた。専用のバスルームは、広々としていて、実に使い勝手がいい。安宿の狭いシャワーに慣れた身には、いささか贅沢すぎる空間だった。 -
朝は無料で空港まで送ってもらった。宿のご主人とお子さんも一緒に車に乗り、イギリス人の旅行者と私を空港へ連れて行ってくれたのだ。ここからは、10時発のベトナム航空921便でビエンチャンへと向かう。
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1時間程でビエンチャン・ワットタイ空港に到着した。バスカウンターに向かうと、市内に行くバスの出発までまだ1時間もあるというので、ラオス独自の配車アプリ LOCA を試してみた。宿までの運賃は15分程の走行で104,714キープ(764円)。バスの2.5倍くらいだけど、スムーズに移動できたから良しとする。
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ビエンチャンの宿は Airbnbで立地の良い場所を選んでおいた。建物の1階にある COCO cafe という店をアプリの目的地に設定。タクシーがそこに到着した際、運転手に「ここ、ココカフェ?」と冗談を言ってみた。だが、まったく響かなかった。
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COCO cafe の軒先には、マンゴースティッキーライスの写真が載ったのれんが下がっていた。それを指さし、ラオス語で「これ、ありますか?」と聞いてみる。だが「おじさんが食うもんじゃねえよ」と言わんばかりに「無い」と一蹴された。おじさんらしくガパオライスとビアラオを注文した。
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チェックインまで時間があったので COCO cafe に荷物を預け、川岸の街道沿いにあるというメコン川を一望できる大衆酒場を目指して歩き出した。しかし、街道が走る堤防の向こうに目を凝らしても、視界に入るのはナイトマーケットの遊園地と広大な河原ばかり。お目当てのメコン川の水面は、どこにも見当たらなかった。もう雨季の入り口のはずだが、今年は雨が少ないのだろうか。期待していた広大な川景色を拝めず、少し残念な気持ちで歩を進めた。
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少し歩くと干乾びた荒野の中を子供が歩いている様子が見えた。これはもしかして川まで行けるんじゃないか、メコンの流れを見ずしては帰れまい、酷暑の中を奮起して汗だくになって川面を目指して歩いてみた。
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水辺にたどり着いた。雄大な川の流れを眺めていると、背後からバイクが近づいてくる音が聞こえてきた。振り返ると、血気盛んな若者たちがやってきて、バイクから降りるやいなや川に入って泳ぎ始めた。「ここは泳げるのか」彼らの持つ自由な匂いが羨ましかった。
人工知能によれば、メコン川には住血吸虫が生息しており、その幼虫が皮膚を貫いて体内に侵入してくるため、免疫のない旅行者は川に入ってはいけないという(ラオスでは定期的に駆虫薬の配布も行われているようだが)。人工知能の語る、大げさな正論を前に、私はただ若者たちのあげる水しぶきを眩しすぎるものとして眺めるしかなかった。 -
とは言え、これ以上ない程の名場面が訪れている。
少年が放つ眩しすぎる若い息吹をカメラに収めるべく、ラオス語で写真を撮ってもいいかと声をかけた。少年はめんどくさそうに「ダーイ」と短く答えた。いいよ、という意味だ。私は、彼らの世界の邪魔をしないよう、少々遠慮がちにシャッターを切った。 -
堤防の片隅に文字が彫り込まれていた。旅行から帰って調べてみると、それはラオス語で「友達を大切にする」という意味らしい。なんとも微笑ましい落書きが気に入った。彼らは普段からあの記号のようなラオ文字の代わりに、こうしたローマ字も使っているのだろうか。
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再び歩き出すと、まるで廃墟のような建物が現れて、妙に心がざわついた。その建物の隅に BAR と書かれた板が打ち付けられた一画があった。強烈に惹かれる佇まいだ。まともな店ではないかもしれない。だが、素通りすることはできなかった。私は意を決して、少しだけ身構えながら、そのステップの下へと足を踏み入れてみた。
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店と呼ぶには些かお粗末な、ただ空き地にテーブル代わりの台を並べただけの代物だった。だが、その徹底的に肩の力の抜けた佇まいは、旅人を無条件に受け入れるような安心感に満ちていて、張り詰めていた心がふっと解き放たれた。
メコン川の雄大な流れは、いま十分に眺めてきた。もう歩き回る必要なんてない。ここで飲もう、と私は思った。
訊けば、主人はイタリア出身だった。仕事でこの地に赴任し、そのままわけあって住み着いたのだという。その「わけ」の深さを私はあえて詮索しようとはしなかった。 -
時計を見ると、ちょうどチェックインの時間だった。私は腰を上げ、一旦宿へ戻ることにした。途中でエミネム先輩と写真を撮りながら宿への道のりを散策した。
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COCO cafe の店内を通り抜け、奥の階段へ向かう。階段を一段登るごとに、この建物が重ねてきた歳月がそのまま空間を支配しているのが分かった。なかなかの凄まじさだ。私は知らず知らずのうちに、息をひそめて部屋を目指していた。
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それでも、エアコンが完備され、お湯が出るシャワーはトイレと別になっていて、1泊1,500円位というのは悪くない。よく見ると、軽井沢にでもあるようなテーブルとチェアーが配置されていて、そのミスマッチな感覚が妙に愛嬌を醸し出していた。私はそれまで抱いていた警戒心をすっかり忘れ、この寝ぐらに親しみさえ覚え始めていた。
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ラオスはかつての宗主国フランスの影響で、パンが美味いと聞いていた。その中でも評判だという Cafe Vanille の前に立ち、掲示されているメニューを眺めていると猫が足元に寄ってきた。「…なんだそのチンドン屋みてえなグラサンはよ!さてはおめえ日本人だっぺ。ちゅーる持ってねえんけ?」とでも言いたげな顔で、私をじっと見上げている。私はその猫に「また後で来るよ」と心の中で告げてその場を離れた。
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評判の菓子屋があるというので足を向けてみたが、店があるはずの建物は無愛想に周囲が封鎖されていた。目的を失った私は、それなら観光してみるかと思い立ち、ラオスの象徴とも言えるタートルアンに向かった。外国人料金を払って入場すると目の前に現れたのは、想像以上に眩しく輝く黄金の塔だった。容赦ない陽光を跳ね返すその圧倒的な姿に私はただ呆然と立ち尽くし、ありがたいという感情が湧き上がってくるのを覚えていた。
市内中心部からタクシーで12分ほどかかり、料金は LOCA だと83,051キープ(606円)でした。 -
ところで、この配車アプリ LOCA ですが、使い方に注意が必要です。
帰国後にクレジットカードの明細を確認したところ、利用金額が想定より3割ほど高くて驚きました。細かく確認すると、タクシーの運賃はラオスキープの現地レートで正しく計算されていたのですが、QRコード決済で買い物をした分がアメリカドルで請求されており、その換算レートが実勢レートを大きく上回っていたのです。どうやらラオスキープの暴落に備えた、政府の防衛策による高いUSDレート設定が原因のようですが、こんなちょんぼがあるのかとがっかりしました。 -
タートルアンの前に、市場が出ていた。ぶらぶらと歩いてまわると、見慣れぬ、しかし妙にそそられる食べ物がいくつも並んでいる。私はその中の一つの前で足を止め、じっとそれを見つめた。得体の知れない不安がなかったわけではない。しかし、私の胃袋はすでに、それを試してみる方向へと傾きかけていた。食べてみよう、と思った。
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クレープだった。一息に全て平らげたせいで、胃がもたれてしまった。
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それでも、せっかくなので焼きバナナも買ってみた。味はまるで干し芋だった。店のお母さんからベトナム人かと聞かれた。私の話すラオス語の妙なイントネーションのせいかもしれない。発音が良すぎたのか、悪すぎたのかは分からない。ただ自分がラオスの風景に少しだけ紛れ込めたような感覚だけが残った。
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街に向かって真っ直ぐ歩くとパトゥーサイが見えてきた。世界一何もない首都などと過小評価されているビエンチャンだけど、もっと深掘りしたい街だった。
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メコン川へ戻り、そこへ沈む夕日を眺めるつもりだった。しかし、どうやら間に合いそうにない。太陽はすでに、焦らすように建物の向こうへ隠れようとしていた。私は川へ向かうのを諦め、パトゥーサイの広場に足を止めた。ふと見上げると、噴水の向こうに、燃えるような夕日が静かに沈んでいくところだった。川の夕日には出会えなかったが、この広場で目にした光景もまた、悪くなかった。
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民族衣装を扱う仕事でサロンスカートを手掛ける事もありながら、それが実際に生活の中で着用されている光景を、私はほとんど見たことがなかった。しかし、ここラオスはまさにその本場だった。街を歩けば、年齢を問わず、多くの女性たちがごく自然にサロンを身にまとっている。驚いたことに学校の制服にまでそれが採用されていた。それぞれの生徒たちが、どこか自分なりの着こなしを楽しんでいる。その些細な差異を眺めているだけで、時間はいくらでも過ぎていった。
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メコン川の岸辺まで戻ってくると、すでにナイトマーケットの明かりが灯り、賑わいが始まっていた。何か胃袋に収めたいという欲求はあったが、ふと見上げた空の向こうで、雷がゴロゴロと不穏な音を立て始めた。熱帯のスコールが来る。旅の勘がそう告げていた。私は無理をせず、誘惑を振り切るようにして宿の近くまで引き返すことにした。
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Cafe Vanille で朝食にするためのクロワッサンショコラをテイクアウト用に包んでもらい、テラス席で一杯のコーヒーを啜っていると、激しいスコールが降り始めた。視界が白く煙るほどの土砂降りだった。その時、翌日ルアンパバーンからノーンキャウへと向かうバンの運行会社から携帯電話に連絡が入った。「あなたが予約した明日昼の便は乗客が足りない。朝 9 時発に変更できないか」という。私は今そこから遥か南のビエンチャンにいるのだ。無理に決まっている。「明日の朝ルアンパバーンに向かうので不可能です」と返事をした。旅の予定はいつも、こちらの都合などお構いなしに狂い始める。私はただ激しい雨の音が止むのを静かに待つしかなかった。
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翌朝、ビエンチャンからルアンパバーンまでラオス中国鉄道に乗る。チケットはラオス中国鉄道のLCRアプリで買っておいた。
列車は朝 8 時に出発するのだが、その1時間前に駅に来るように、と案内されている。ビエンチャン市内から15kmも離れている鉄道駅までは、6時過ぎに市内のバスターミナルを出発する始発バスで行こうとしていた。ところが、人工知能に聞いてみると、列車の乗車手続きに間に合わない場合があるからバスはおすすめしない。タクシーで行くべきだと言う。バスなら200円位で行けるところを263,868キープ(1,926円)かけて鉄道駅に向かったというわけだ。バスよりも随分早く、30分で駅に着いた。 -
駅の入り口に掲げられた、各列車のチェックイン締め切り時間を見て苦笑した。この時間なら、バスで来ても余裕で間に合っていた。さらに言えば、あのバスは遅れることもなく、朝 7 時に正確に駅へ着いていたのだ。結局、私は人工知能の過剰な警戒心に踊らされ、使わなくともいいタクシー代を払ったことになる。機械の予測には、こういう「間違い」が往々にしてある。旅の不確かさを排除しようとするテクノロジーの限界を、私はラオスの駅前で思い知らされた。
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ビエンチャン駅を出た段階では、車内はまだ空いていた。しかし次の停車駅であるバンビエンに列車が滑り込むと、プラットホームを埋めていた人々が一気になだれ込み、座席は瞬く間に満席となった。そして次の停車駅ルアンパバーンに到着すると、あれほど席を埋め尽くしていた乗客のほとんどが、吐き出されるようにして一斉に降りていった。乗客たちの目的は、みな一様に同じだったのだろう。
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列車がホームに停車している間、その先頭車両をカメラに収めることは許されなかった。鋭い目つきをした係員に行く手を遮られ、それ以上先へ進むなと冷たく制止されるのだ。しかし、こちらも素直に諦めるわけにはいかない。私はホームに佇み、じっとその時を待った。列車がゆっくりと動き出し、規制の境界線を越えて目の前を通過するその瞬間をレンズ越しに捉えるために。それが、この駅で先頭車両を写すための唯一の、そしてささやかな抵抗だった。
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結局、前夜のやり取り以来、運行会社からは何の音沙汰もなかった。私は仕方なくルアンパバーンに着くと、集合場所である MKホステル へと足を運んでみることにした。しかし、そこに実際にバンを運転する男の姿はなく、そこにいた仲間らしき人を通じて話を聞くこととなった。相手の話は二転三転し要領を得ない。直接電話することになり「私は一切の日程変更には応じられない。返金してくれるなら、このままキャンセルしてもいい」私はそう切り出した。ルアンパバーンにいながら、ただ足止めを食らっている状況が、とてつもなく無駄に思えてきたのだ。相手が「わかった、返金する」と応じたので、私は少しばかり欲を出してみることにした。いや、旅行者としては当然の主張のはずだ。「ノーンキャウへ行けなくなったということは、帰りのバンも、現地の宿もキャンセルしなければならないよね、でもすでに返金期限は過ぎてしまっているから、その分も補償してくれませんか」と私は受話器の向こうに告げた。しばらくの沈黙の後、男は信じられないような代替案を口にした。「実はこのあとすぐ、今日は午後の公共バスがあるから、そっちに乗ってくれないか」というのだ。
彼はあらかじめ支払われた金額以上の補償なんてする気はないわけだ。そして今になって何故そんな情報を出してくるのさ。メコンの濁流のような理不尽さに、私は静かに目をつむった。 -
こういったトラブルは「ルアンパバーンに留まれ」という何かのお告げかもしれない。しかし彼が「北バスターミナルまでの送迎と、公共バスのチケット代はこちらで持つ」と言い出したので、それならば、、やっぱり行ってみるか、と思い直したのだ。
運転手の車は別のホステルでアメリカ人の青年を1人拾い、バスターミナルへと向かった。
バスターミナルに着いて運転手が手配してきたチケットを受け取った瞬間、私は目を疑った。そこには出発時刻 15:00 と厳然と刻まれているのだ。「おい、待て。13 時発じゃなかったのか?」激昂する私に男は平然と言い放った。「乗客が集まれば 13 時さ」――だから、そういうことは先に言え、それなら初めから来なかったのだ。そんな時間から 5 時間もバスに揺られれば、目的地に着く頃にはとっくに夜だ。一体、私は今日 1日何をしているのだろう。激しい焦燥感と無力感が、じわじわと胸の奥を焦がし始めていた。 -
アメリカ人の青年はこの事態を素直に受け入れているようだが、私はまだやっぱり町に戻ろうかなんて幾度も考えていた。
いつ出発するのかわからないバンを待つ間に我々の間には暗黙の了解が出来上がり、それぞれベンチを離れる時には交替で荷物番をするようになっていた。トイレに行ったり、タバコを吸ったり、飲み物を買いに行ったり。待合室に乗客が集まっているようには見えない、もし我々だけだったとしてもバンは出るのだろうか?私はラオス語を表示させた携帯電話を片手に、客がいなくても出発するのか?と聞きにいった。あいまいな返事が返ってきたが、しばらくして、運転手が我々を呼びに来た。「ノーンキャウ行くのか?出るぞ!」我々は We made it ! と健闘を讃えあい、ぎゅうぎゅう詰めのパンに乗りこんだ。どうやら色々な行き先の客を1台に詰め込んだようだ。結局バンが出発したのは 15時。そして本当に大変なのは、まだこれからだった。 -
ノーンキャウへの道のりは、想像を超える悪路だった。ところどころに穴がある程度だろうと思っていたのだけど、その穴が次第に広がり、今や砂利道のようになっている箇所がほとんどだった。しかも舗装が残っている部分との境目には大きな段差があり、車が激しく上下に揺れる。そのためスピードを出すことができず、予想以上に時間がかかってしまう。私の隣に座っていた子供は、道中に 3回も車酔いで吐いてしまっていた。
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決して広いとは言えない道だけど、大型トラックと頻繁にすれ違った。これほどの重量車が絶え間なく通行していれば、道路の損壊が進むのも無理はない。トラックは中国から建設資材を運んでいるようで、ダムなどの大規模な工事現場へと向かっている気配が漂っていた。ふと沿道に目をやると、家の前に座って通りを眺めている家族や、通学する子供たちの姿も多く見かけた。トラックが激しく巻き上げる砂ぼこりや排気ガスによる彼らの健康被害が心配になった。
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結局、ルアンパバーンを出てから 6時間近くが経っていた。ノーンキャウのバスステーションに滑り込んだときには、あたりはすっかり夜の闇に包まれていた。
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宿のベッドに荷物を放り出すと、すぐに空腹を満たしに通りへ出た。
Nongkhiaw Bakery & cafe のメニューに「ラープ」の文字を見つけた。ラオスの国民食とも言われる、伝統的な肉のハーブ和え料理だ。これが食べたかったのだ。餅米と一緒に注文して、ビアラオのIPAを飲みながら料理が運ばれてくるのを待っていた。
それにしてもタフな道のりだった。それなのに夜が明けたらすぐに、今来た道を折り返さなければならないなんて、一体何の意味があるのだろう。
そう落胆していると、店内のスピーカーから BTS の ダイナマイト が流れてきた。明るい旋律に耳を傾けているうちに、私はハッと息をのんだ。なるほど、こういうことだったのか。コロナ禍という、あの世界を覆った重苦しい季節の中で、人々はこの国境をも越えていく明るい歌に救われたのだ。ビアラオの酔いも手伝って、音楽が持つ確かな熱量を私はその時まぎれもなく肌で感じていた。
後半に続く
※ラープとスティッキーライス、ビアラオIPA2本で160,000キープ(1,168円)でした。
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この旅行記へのコメント (4)
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- nachopapaさん 2026/06/14 19:40:09
- やはり俺には無理な旅だな……って(笑)
- なんて言うか……そのバイタリティが羨ましいくらいガンガンに進んでいく感じがとてもいいです。
文章に関しては……(あくまでも個人的な意見ですが、僕は)AIなしの方が引き込まれ感が強かったように思います。
それにしても……なんだか交渉したりチャレンジしてみたり、豊かな人生のほとばしる感じがワクワクします。
- バウトさん からの返信 2026/06/14 20:18:19
- Re: やはり俺には無理な旅だな……って(笑)
- AIを使ってみた感想は、割とパターン化されてしまいがちだなと思いました。でも、自分で思い付かなかった表現が出てくるところが面白かったです!
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- Pメテオラさん 2026/05/30 08:58:02
- 旅をつづる素晴らしさ
- 作者さまの旅が、きちんと文字を通して綴られていることは、素晴らしいことです。写真をいっぱい並べて、こんな感じと添えるだけでは伝わらない事柄がいっぱいあります。リズミカルな文字を通して旅の楽しさがいつも伝わるようお祈り申し上げます。よい旅を。
- バウトさん からの返信 2026/05/30 20:20:55
- Re: 旅をつづる素晴らしさ
- Pメテオラ様、ありがとうございます。今回は初めてAIを活用しまして、私が綴った文字をブラッシュアップしてもらいました。その結果、自分では気づかなかった心象風景が描き出され、そう、そういう事が言いたかったのだよ、と、ちょっと感動すら覚えました。また後編もご覧いただけたら幸いです。
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