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廣覚寺が鎮座する愛西市から、再び日光川を渡り、来た道を戻り蟹江町の尾張温泉で湯に浸かり、足の疲れを癒して帰途に着く。<br /> 帰りも国道一号線で名古屋に戻ろうと、県道65号線を南に走り出す。<br />走り始めて直ぐ、国道に出る道案内を見落とし国道の上を通過してしまった。<br /> やむなく、新蟹江小東の交差点で左折し、その先から国道に入ろうと細い道に入り込む。<br />佐屋川に架かる夜寒橋を渡った左に鳥居の姿を見かけ立ち寄ってみた。

蟹江町蟹江新田鹿島『鹿嶋神社』

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2026/02/14 - 2026/02/14

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おやじさん

廣覚寺が鎮座する愛西市から、再び日光川を渡り、来た道を戻り蟹江町の尾張温泉で湯に浸かり、足の疲れを癒して帰途に着く。
 帰りも国道一号線で名古屋に戻ろうと、県道65号線を南に走り出す。
走り始めて直ぐ、国道に出る道案内を見落とし国道の上を通過してしまった。
 やむなく、新蟹江小東の交差点で左折し、その先から国道に入ろうと細い道に入り込む。
佐屋川に架かる夜寒橋を渡った左に鳥居の姿を見かけ立ち寄ってみた。

旅行の満足度
2.5
観光
2.5
交通
2.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
自家用車 徒歩
  • 前回の廣覚寺が鎮座する愛西市から、再び日光川を渡り、来た道を戻り蟹江町へ。<br />尾張温泉で湯に浸かり、足の疲れを癒して帰途に着く。<br /> 帰りも国道一号線で名古屋に戻ろうと、県道65号線を南に走り出す。<br />走り始めて直ぐ、国道に出る道案内を見落とし国道の上を通過してしまった。<br /> やむなく、新蟹江小東の交差点で左折し、その先から国道に入ろうと細い道に入り込む。<br />佐屋川に架かる夜寒橋を渡った左に鳥居の姿を見かけ立ち寄ってみた。

    前回の廣覚寺が鎮座する愛西市から、再び日光川を渡り、来た道を戻り蟹江町へ。
    尾張温泉で湯に浸かり、足の疲れを癒して帰途に着く。
     帰りも国道一号線で名古屋に戻ろうと、県道65号線を南に走り出す。
    走り始めて直ぐ、国道に出る道案内を見落とし国道の上を通過してしまった。
     やむなく、新蟹江小東の交差点で左折し、その先から国道に入ろうと細い道に入り込む。
    佐屋川に架かる夜寒橋を渡った左に鳥居の姿を見かけ立ち寄ってみた。

  • 鎮座地は蟹江新田鹿島。<br /> 佐屋川の左岸に南向きに社頭を構える神社は鹿嶋神社。<br />起伏の少ない土地柄で、大きな松を主とする社叢は鳥居以上に目立つ存在です。<br /> 車は鳥居の右に僅かなスペースがあり、そちらに停めさせて頂いた。

    鎮座地は蟹江新田鹿島。
     佐屋川の左岸に南向きに社頭を構える神社は鹿嶋神社。
    起伏の少ない土地柄で、大きな松を主とする社叢は鳥居以上に目立つ存在です。
     車は鳥居の右に僅かなスペースがあり、そちらに停めさせて頂いた。

  • 社頭右の鹿嶋神社解説板。<br /><br />『祭神 武甕槌命<br />由来 <br /> 寛永十三年(1636)、蟹江新田の開発がはじまる以前は、当地は大きな川筋が入り組、潮の干満により干潟が現れる地域で、人々は自然堤防洲の葭山を開き定住し、漁業や農業を営んでいた。<br /> 慶長十五年(1610)、この地に嵐で漂着した船の船神「鹿嶋大明神」祀ったのがはじまり。<br />尾張徇行記には、寛永十八年鹿嶋大神を勧請と記載されている。<br /> 境内社には天照皇大神・秋葉社を祀る。<br />寛政十二年地蔵堂、文政十一年観音堂建立。<br /> 明治四年、村社鹿嶋神社・祭神は武甕槌命となる。<br />昭和四十三年より境内に文学苑を整備、句碑26基が建てられている。<br /><br />地名のいわれ<br /> 蟹江新田は、「蟹江新田由緒」によると、寛永十三年(1636)より開墾、元禄七年(1694)に検地とされたとあるが、それより早く開墾されたともいわれる。<br />一村立ちの新田で、本郷は日光川の東西両岸にあり、枝郷として上芝切・下芝切・中川原・金野・西野新田の六ヶ村があった。<br /> 蟹江新田の各字の地名の由来について、芝切村は小島で群生する芝を切りに行ったことから、大海用(おおみよ)は暴風雨の際に大きな溝(みよ)が切れたことからついたものとされる。<br /><br />江戸時代末の「名区小景」に描かれている「夜寒橋」付近の鹿島という地名は、川島という小島のあとに寛永十八年(1610)鹿嶋神宮を迎え、以降鹿島島と名が付いた。<br /><br /> 蟹江新田村は風水害による堤防破壊・塩害に悩まされ、米・麦を中心に農業と河川や近海での漁業で生業を得ていた。<br />日光川改修後は大型船の着岸が可能となり、大海用地区を中心に商業を営むものもあった。<br /> 江戸時代の蟹江新田村戸数及び人口。<br />寛文十一年(1671)戸数49戸・233名、寛政四年(1792)〃215戸・945名。』<br />と書かれています。

    社頭右の鹿嶋神社解説板。

    『祭神 武甕槌命
    由来 
     寛永十三年(1636)、蟹江新田の開発がはじまる以前は、当地は大きな川筋が入り組、潮の干満により干潟が現れる地域で、人々は自然堤防洲の葭山を開き定住し、漁業や農業を営んでいた。
     慶長十五年(1610)、この地に嵐で漂着した船の船神「鹿嶋大明神」祀ったのがはじまり。
    尾張徇行記には、寛永十八年鹿嶋大神を勧請と記載されている。
     境内社には天照皇大神・秋葉社を祀る。
    寛政十二年地蔵堂、文政十一年観音堂建立。
     明治四年、村社鹿嶋神社・祭神は武甕槌命となる。
    昭和四十三年より境内に文学苑を整備、句碑26基が建てられている。

    地名のいわれ
     蟹江新田は、「蟹江新田由緒」によると、寛永十三年(1636)より開墾、元禄七年(1694)に検地とされたとあるが、それより早く開墾されたともいわれる。
    一村立ちの新田で、本郷は日光川の東西両岸にあり、枝郷として上芝切・下芝切・中川原・金野・西野新田の六ヶ村があった。
     蟹江新田の各字の地名の由来について、芝切村は小島で群生する芝を切りに行ったことから、大海用(おおみよ)は暴風雨の際に大きな溝(みよ)が切れたことからついたものとされる。

    江戸時代末の「名区小景」に描かれている「夜寒橋」付近の鹿島という地名は、川島という小島のあとに寛永十八年(1610)鹿嶋神宮を迎え、以降鹿島島と名が付いた。

     蟹江新田村は風水害による堤防破壊・塩害に悩まされ、米・麦を中心に農業と河川や近海での漁業で生業を得ていた。
    日光川改修後は大型船の着岸が可能となり、大海用地区を中心に商業を営むものもあった。
     江戸時代の蟹江新田村戸数及び人口。
    寛文十一年(1671)戸数49戸・233名、寛政四年(1792)〃215戸・945名。』
    と書かれています。

  • 上は名区小景の夜寒橋。<br /> 佐屋川左岸の朱の鳥居が鹿嶋神社、神社に訪れる際、佐屋川を渡った橋が夜寒橋になります。<br /><br />愛知県神社名鑑(1992)は、当神社について以下のように記していました。<br />『十等級??鹿嶋神社 旧指定村社??<br /> 鎮座地 海部郡蟹江町大字蟹江新田字鹿嶋185番地??<br />祭神 武甕槌神??<br />由緒 <br /> 社伝に慶長十五年庚戌創建という。<br />  明治四年村社に列格する。昭和四年十一月五日、指定社となる。<br /> 字鹿島を氏子区域とする。<br />  昭和三十九年五月十四日社名を鹿嶋社から鹿嶋神社に改称する。??<br /> 例祭日 十月二十日<br />社殿 本殿流造・幣殿・拝殿・社務所・神庫』

    上は名区小景の夜寒橋。
     佐屋川左岸の朱の鳥居が鹿嶋神社、神社に訪れる際、佐屋川を渡った橋が夜寒橋になります。

    愛知県神社名鑑(1992)は、当神社について以下のように記していました。
    『十等級??鹿嶋神社 旧指定村社??
     鎮座地 海部郡蟹江町大字蟹江新田字鹿嶋185番地??
    祭神 武甕槌神??
    由緒 
     社伝に慶長十五年庚戌創建という。
      明治四年村社に列格する。昭和四年十一月五日、指定社となる。
     字鹿島を氏子区域とする。
      昭和三十九年五月十四日社名を鹿嶋社から鹿嶋神社に改称する。??
     例祭日 十月二十日
    社殿 本殿流造・幣殿・拝殿・社務所・神庫』

  • 鳥居から長い参道の眺め。<br /> 佐屋川と蟹江川に挟まれた中洲のくびれに位置する鎮座地は、南北に150m程の社地を持ち、参道中ほどに車道が横切り、東側の鹿島集落のすぐ先は蟹江川が迫っています。

    鳥居から長い参道の眺め。
     佐屋川と蟹江川に挟まれた中洲のくびれに位置する鎮座地は、南北に150m程の社地を持ち、参道中ほどに車道が横切り、東側の鹿島集落のすぐ先は蟹江川が迫っています。

  • 鳥居の先の参道脇には複数の石灯籠と句碑が続きます。

    鳥居の先の参道脇には複数の石灯籠と句碑が続きます。

  • 社地中程の二ノ鳥居。<br /> 鳥居の右に鹿嶋神社の社標と、すぐ脇に観音堂が建てられています。

    社地中程の二ノ鳥居。
     鳥居の右に鹿嶋神社の社標と、すぐ脇に観音堂が建てられています。

  • 二ノ鳥居から社殿の眺め。<br /> 右手に手水舎、正面の社殿は拝殿・幣殿・本殿が主なもので、社殿左側に皇大神宮、秋葉社の境内社が祀られています。

    二ノ鳥居から社殿の眺め。
     右手に手水舎、正面の社殿は拝殿・幣殿・本殿が主なもので、社殿左側に皇大神宮、秋葉社の境内社が祀られています。

  • 切妻銅葺の四方吹き抜けの拝殿で、妻壁の大きな拝殿額が印象的。

    切妻銅葺の四方吹き抜けの拝殿で、妻壁の大きな拝殿額が印象的。

  • 妻壁の額と装飾、意匠は控え目のようだ。

    妻壁の額と装飾、意匠は控え目のようだ。

  • 拝殿の先には一対の狛犬が幣殿を守護する。

    拝殿の先には一対の狛犬が幣殿を守護する。

  • 左側から眺める社殿全景。

    左側から眺める社殿全景。

  • 幣殿の眺め。

    幣殿の眺め。

  • 狛犬は小型ですが、立派な歯が特徴的。

    狛犬は小型ですが、立派な歯が特徴的。

  • 本殿域。<br /> 本殿域にも狛犬の姿が見られます。

    本殿域。
     本殿域にも狛犬の姿が見られます。

  • 本殿域側面の眺め、流造の本殿以外に社は祀られていないようです。

    本殿域側面の眺め、流造の本殿以外に社は祀られていないようです。

  • 本殿左の境内社。

    本殿左の境内社。

  • 秋葉社(左)、天照皇大神。

    秋葉社(左)、天照皇大神。

  • 本殿後方から拝殿方向の眺め。<br /> 風がとおり、陽光がよく届く、明るい印象の境内です。

    本殿後方から拝殿方向の眺め。
     風がとおり、陽光がよく届く、明るい印象の境内です。

  • 拝殿から社頭の眺め。<br /> はるばる茨城からこの地にやって来た鹿島集落の氏神様です。<br /><br />蟹江町蟹江新田鹿島『鹿嶋神社』<br />祭神 / 武甕槌神<br />創建 / 慶長十五年(1610)<br />境内社 / 天照皇大神、秋葉社<br />例祭 / 10月第2日曜日 <br />氏子域 / 蟹江新田<br />所在地 / 海部郡蟹江町蟹江新田鹿島185<br />参拝日 / 2026/02/14  <br />廣覚寺から車アクセス / 尾張温泉東海センターから東へ、県道65号線学戸交差点右折直進、新蟹江小東交差点左折、佐屋川を超えて左折。3.6km・約10分

    拝殿から社頭の眺め。
     はるばる茨城からこの地にやって来た鹿島集落の氏神様です。

    蟹江町蟹江新田鹿島『鹿嶋神社』
    祭神 / 武甕槌神
    創建 / 慶長十五年(1610)
    境内社 / 天照皇大神、秋葉社
    例祭 / 10月第2日曜日 
    氏子域 / 蟹江新田
    所在地 / 海部郡蟹江町蟹江新田鹿島185
    参拝日 / 2026/02/14  
    廣覚寺から車アクセス / 尾張温泉東海センターから東へ、県道65号線学戸交差点右折直進、新蟹江小東交差点左折、佐屋川を超えて左折。3.6km・約10分

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