2026/02/14 - 2026/02/14
-位(同エリア219件中)
おやじさん
前回の引き続きとなる今回、源氏塚公園から東へ250m、徒歩3分ほどの西之森硴場に鎮座する神明社を取り上げます。
- 旅行の満足度
- 2.0
- 観光
- 2.0
- 交通
- 1.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
鎮座地周辺は車の往来も少なく、社地を取り囲むように閑静な住宅地となっています。
周辺道路は幅員の狭い生活道路で、駐車余地は全くないため徒歩がお勧め。
静かで開けた境内は、一部が公園になっており、小さな子を遊ばせるには良い環境が整っている。 -
社頭前から境内の眺め、高い土台の上に立てられた神明鳥居がこの神社の特徴かもしれない。
社頭を南側に構え、ここから50mほど南に行くと「村社 神明社」の社号標が立っています。 -
鳥居手前の常夜灯の寄進年度は大正4年と比較的新しいものです。
-
境内右の手水鉢(1995)から社殿全景の眺め。
建物は拝殿と後方の本殿が鎮座する本殿域が主なもの。 -
愛知県神社名鑑(1992)には、神明社について次のように記されている。
『十五等級 神明社 旧村社
鎮座地 海部郡蟹江町大字西之森字硴場(かきば)三五番地
祭神 天照皇大神
由緒
創建は明らかでない。
慶応四年(1868)西ノ森村方神社書上には「カキハ分一、神明宮老社右境内式拾歩村除キ」とある。
明治五年七月、村社に列格する。
例祭日 十月四日
社殿 本殿 神明造、拝殿』 -
上は今から400年ほど前の当地の絵図、この頃の源氏島(赤丸)はまだ独立した島となっていた。
この辺りの新田開発が盛んに行われるようになったのは江戸時代初期、その頃の源氏島には小規模ながら集落が作られたはずで、拠りどころとなる神様も必要だったはずだ。 -
創建は新田開発、源氏島が陸続きとなる頃まで遡るのかもしれない。
海抜の低い当地は、水との鬩ぎあいの歴史から新田が生まれた。
鳥居の土台の高さは鬩ぎあいの歴史を伝えるものだろうか。
また、尾張志 下巻(1979年復刻版)には、江戸時代の西森村について次のように記されている。
『西森村 金柳の西南 各古屋よりも同じ方四里にあり。
枝村三ケ所 才勝 北脇(北新田といふ) 源氏島といふ。
才勝は皀莢(さいかち)の多くある地故よひそめしとぞ。
源氏島には義朝朝臣の宇都美落の時いてひ給ひし地故かく号く。』
ここに記されている「皀莢(さいかち)」という名は聞き慣れないものであったため、調べてみると、川原などに自生し、幹に鋭い棘を持ち、ソラマメ状の実を付ける木であった。
名は知らなかったが、かつて不用意に幹に触れて痛い思いをした記憶のある木である。
木曽三川の氾濫原で湿潤な環境だった当地には、記録に残されるほど皀莢が自生していたようだ。 -
拝殿は瓦葺の切妻造の妻入りで妻壁の意匠はシンプルなもので、掲げられている神明社の額もシンプル。
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額には銘が記されているようだったが、大正の元号以外どなたの揮毫なのか判別できなかった。
鳥居前の常夜灯の建立が大正4年、その時期に社殿も手が入れられたのかもしれない。 -
拝殿から本殿域の眺め。
ここまで狛犬の姿は見られなかったが、玉垣(1994)に囲まれた本殿域に一対の狛犬がある。 -
拝殿は四方吹き抜けで、地震対策で太い補強材が入れられ近づきにくい印象を受ける。
-
本殿域後方から本殿、拝殿の眺め。
天照皇大神を祀る本殿は、棟に内削ぎの千木と6本の鰹木が付くもので、造りは未だに良く分からないが、神明造とあるものの、象徴的な棟持柱が外に現れないもの。
水と鬩ぎあい田畑が広がっていた当地も、いまでは田畑から住宅地に変貌し、水門や排水施設の整備で先人達の苦労を感じられない土地柄となり、水の怖さは風化していくのかもしれない。
硴場 神明社
祭神 / 天照皇大神
創建 / 不詳
境内社 / ・・・
例祭 / 9月第4土曜日
氏子域 / 西之森(大字)
所在地 / 海部郡蟹江町西之森硴場25 -
硴場 神明社から5~6分ほど平坦な道を東に向かう。
正面に蟹江川の堤防道路が現れます。
川に囲まれたかつての源氏島、東西どちらに向かっても堤防で守られています。
源氏島と蟹江川対岸を結ぶ記念橋。
橋の欄干の竣工銘板には架けられたのが昭和57年とあります。 -
上の地図は鎮座地の西之森才勝。
蟹江川右岸の堤防には現在に至るまで、ここに神社の印が記載されることはない。
記念橋そのものが、航空写真の撮影年で見ると昭和26~36年頃に架けられたようで、それ以前に橋の姿は見られなかった。
橋の竣工銘板の昭和57年と航空写真の年代に相違があるが、昭和中期から後期頃に架けられたようだ。 -
今回の不明社は記念橋の袂の堤防道路脇のわずかなスペースに鎮座しています。
現地に由緒はなく、地図からも創建時期の推測はできない。
記念橋の袂に整然と社地が整えられており、橋の完成に合わせて創建されたものだろうか?
愛知県神社に登録はなく、蟹江町史(1973)に目を通したが当社の記述は見られなかった。
才勝は西之森の枝村で、郡村巡行記が編纂された江戸時代中期でも「才勝に八戸あり」と記録があり、古くから鎮守として祀られてきた可能性もある。 -
社頭には幟立と木造の明神鳥居、その先の本殿域が主なもの。
社地と本殿域それぞれ玉垣で囲われており、玉垣を見る限り、昭和に入って創建されたとは思えない歴史を感じさせる。 -
本殿域には板宮造の本殿が祀られているが、社名札はなく、社名を示す寄進物も見当たらなかった。
-
どなたを祀り、いつ頃祀られたのか定かではないが、日々参拝に訪れる方は見えるようで、境内も手入れされています。
-
源氏島の東端、蟹江川の堤に祀られるこの神社、川を超えて集落に入ってくる除災のためか、水を鎮めるためか、あるいは才勝の鎮守として祀られたものか想像が広がる。
地元の方に伺うか、幟旗がはためく姿に出会わなければ、もやもやしたままで終わりそうだ。
さて次はこの鳥居を出て右に向かい尾張温泉東海センターに向かいます。
記念橋の袂に鎮座する不明社
祭神 / 不明
創建 / 不明
境内社 / ・・・
例祭 / 不明
氏子域 / 不明
所在地 / 海部郡蟹江町西之森才勝156 -
不明社から西に1.4km・徒歩20分ほど、佐屋川を超え尾張温泉東海センターに向かいましょう、こちらにも神社が鎮座しています。
続きは次回記載します。
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