2018/02/09 - 2018/02/14
25位(同エリア24件中)
noriyosiさん
- noriyosiさんTOP
- 旅行記46冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 13,948アクセス
- フォロワー3人
2018年2月フランスへ行こう6日間の旅2+3 フィードバック・シャンボール城リターンズ1
(何を思ったのか、フィードバック・シャンボール城なんです。)
前作の2回と3回をまとめ、新たに楽しめるようにしました。
(皆さん忙しんやで。これはすごいと思わせるものでないと。)
前作と合わせて見ていただいても、本作だけでもすごくないと思わせるような努力をしました。
(悪い予感がするけど。)始まるよ。
2018年2月9日から2月14日は2回目の海外旅行で、フランスを旅行しました。2月10日現在までの日程です。
2018年2月 9日 1日目 地方空港から羽田空港まで
羽田空港からパリ空港
バスでロワシーのホテルまで
2018年2月10日 2日目 バスで移動
午前 シャルトル大聖堂
午後 シャンボールシャトウ
バスでトゥールのホテルまで
午前中シャルトル大聖堂を訪問しました。
午後はChâteau de Chambord(シャンボールシャトウ)に入場観光をした後、アンポワーズ城館の対岸で下車観光になります。ツアー旅行のため、入場しない下車観光が多いですが、ここは入場観光になっておりますので楽しみにしておりました。
(・・・なぜか太ってないか?)
気のせいです。
1。シャンボールは、サントル・ヴァル・ド・ロワール地方(フランス)のロワール・エ・シェール県のブロワから17km離れたところにあります。Chambordの地名はガリア語のcambo-ritoに由来し川の曲がり角にある浅瀬で当時は沼地の湿地帯でした。フランソワ1世は1519年ブロア城に附属する新しい社交も兼ねた狩猟のための短期宿泊施設として建設することにしました。
軟弱地盤のため、工事は難航しました。一部中世の遺構も残したまま、1524年までには新しい基礎が出来ましたが、まだ地上には現れません。1525年神聖ローマ帝国とのパヴィアの戦いに敗れ、捕虜生活を余儀なくされ、身代金と二人の息子(一人は後のアンリ2世)を人質に出すことで幽閉を解かれました。その間工事は中断され、再開されたのは1526年です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
画像は[東翼棟と王の翼塔]
2。
1539年12月18日から20日にかけて、主棟がほぼ完成したとはいえ、まだ建設中のシャンボール城に宿敵神聖ローマ皇帝カール5世を招いたのは当時フランドル(現在のベルギー付近)で起きた反乱を鎮圧するために移動していたカール5世に対し、フランス国内の通過を許可し、厚遇することで関係改善を図るという政治的な意図がありました。これを含めて、フランソワ1世が滞在できたのはほぼ50日(あるいは十数回)です。1547年3月、フランソワ1世は各地の城を巡回しているうち、ランブイエ城に滞在中に病に倒れ、その2日後3月31日にそのまま亡くなりました。死因についていろいろ言われますが、うわさ話の範疇です。 -
画像は[西翼棟]
3。「シャンボール城には、敵からの防御を意図した構造物は何もない。壁や塔、堀の一部は華麗に装飾され、当時としても時代錯誤なほどであった。」
château(シャトウ)を中世の城と機械的に訳すのもいいですが、宮殿 館 (やかた) 大邸宅までと幅広い意味があります。château-fort de Chambordなら要塞化した城になりますが、時代錯誤でも、時代遅れでもありません。フランソワ1世が目論んだ当時としても最先端のルネサンス建築でした。1547年フランソワ1世が亡くなった後も礼拝堂翼棟などの工事が続きましたが、1559年アンリ2世(HenriⅡフランス語ではHを発音しない)突然の死去で翼棟を閉じてひとまず工事を終えました。 -
午前中、シャルトル大聖堂を見て昼食後1時間、雪の道をドライブして、シャンボール駐車場に着きました。ところどころ風力発電のための施設が見えました。
4。
しばらく閉鎖時期もありましたが、城の修復工事、主棟、翼棟までの完工、フランス式庭園、コソン運河(川)の建造など現在の形にしたのはルイ14世の功績です。ルイ14世は1685年訪問したのをを最後にヴェルサイユ宮殿に定住しました。現地ではPalais de Versaillesでなく、Château de Versaillesでも日本語ではいつでも、どこでもヴェルサイユ宮殿です。Château de Chambordはシャンボール城ですか。
(そうですよ。ガイドブックはシャンボール城です。)・・・わかりました。私は考えが柔軟です。Louvreの場合は言葉通り Château du Louvreルーブル城、 palais du Louvreルーブル宮、musée du Louvreルーブル美術館と使い分けるので、それではシャンボールシャトウミュージアムに行きましょう。
(ポカ) -
駐車場にあるおしゃれな案内看板ですが、地図としては北を上にして川とお堀を水色に塗ればもっとわかりやすいです。グーグル地図はえらい。
看板には
「チケット・案内 (Tickets Information): 入場券の購入や情報の確認ができます。トイレ (Toilets): おむつ交換台やボトルウォーマーを備えたトイレがあります。現金引き出し (Cash point): 現金自動預け払い機(ATM)が設置されています。クロークルーム (Cloakroom): 荷物を預けることができます。シャトルサービス (Shuttle service): シャトルバスが運行されています。
アクティビティとレンタル
乗馬ショー (Equestrian show): フランソワ1世の宮廷をテーマにした馬や猛禽類のショーが開催されます。レンタルサービス: ボート、自転車、電動カートのレンタルが可能です。散策: カナル(運河)周辺の散策路や、広大な敷地を巡るウォーキングトレイル(Grand Promenadeなど)が整備されています。
ショップとレストラン
案内板の右下には、周辺のレストランやカフェのリスト(1~13番まで)が記載されています。(主に)La Cave des Rois (5番): 城の近くにあるレストラン。Les Armes du château (8番): 伝統的なフランス料理を提供するレストラン。Le Saint Louis (7番): 同じく近隣の飲食店。ギフトショップ: 城のブティックでは、敷地内で採れた蜂蜜やワイン、木工品などが販売されています。」
と書かれていますが見落としました。 -
駐車場から歩いてきました。
Bureau d'Information Touristique de Chambord:左にシャンボール観光案内所、有料トイレもあります。
La boutique est ouvertre(売店開いてます。)売店あるの?
屋根に雪がまだ残っています。 -
右の建物はワインハウスにつながった一連の建物です。
5。
「シャンボール城には、敵からの防御を意図した構造物は何もない。壁や塔、堀の一部は華麗に装飾され、当時としても時代錯誤なほどであった。煙突や階段塔がたくさんある天守閣と城の上部の装飾は、要塞化された城の様式の特徴を思い出させるが、これらの伝統的な中世建築の形式は時代遅れであると考えられるようになっていた。」
château(シャトウ)を中世の城とみたら、時代錯誤、時代遅れになるのでしょうが、フランソワ1世が目論んだのは城や狩猟小屋というより、お城のような社交を兼ねた狩猟のための宿泊施設です。当時としても最先端のルネサンス建築でした。 -
6。
森の周辺32kmの石塀(平均高さ3.25m)は密猟を防ぐためのもので、ここには当時45%が森林と残りは農場、農民村があるだけで、守るべき街はなく、敵が略奪を望むようなものはないので、戦場になったことはありません。地形を利用した山城や高台崖地のアンポワーズ、平地でも石灰岩地層に建つヴァンセンヌのような要塞化された城が沼地のシャンボールにいるでしょうか。フランソワ1世の主戦場はイタリア各地でした。
(知らん。シャンボール城でいきなさい。)はい。 -
Maison des Vins Chambord :ワインハウスです。
Dégustation insolite 試飲体験(フリーと書いていなければ、カードを購入していろいろな種類のワインを試せるようなシステムです。) -
(いまは雪ですが、このあたりは観光シーズンには賑わいます。)
シャンボール城が見えてきました。
入場者数は姫路城は150万、ここは城下町でも無いのに75~110万も訪れます。
この辺りはカフェテラスになります。
右に見えるのは
La Rôtisserie du Châteauラ・ロティスリー・デュ・シャトー(レストラン)
Biscuiterie de Chambord お菓子屋
Les Armes Du Châteauレ・アルム・デュ・シャトー(フランス料理店)などが繋がっています。
左は
Spa du Relais de Chambord スパ
Restaurant Le Grand Saint-Michel レストラン
があるようですが見過ごしました。 -
庭園の正面から撮れないので、パブリックドメイン ジャック・アンドルーエ・デュ・セルソーの銅版画(1576年)を付けました。実際のファサードとは少し異なりますが、その後の改修によるものでしょう。どこが違うかよくみて楽しんでください。
(楽しいか)ね。
後世になって円塔に名称がついているようです。左から
Tour de la Chapelle(礼拝堂チャペル)
Tour Dieudonné (ルイ14世Louis-Dieudonnéにちなんだ塔で、奇跡の子の意?)
Tour François Ier(フランソワ1世の塔)
Tour Robert de Parme (パルマ公ロベールの塔はシャンボール伯の甥で、シャンボール城の財産を相続された方の名が付いています)
フランソワ1世はTour François Ierには宿泊しなくなり、離れのTour Robert(王の翼塔)に移りました。庭園側に下りられる屋外階段、中庭側に下りる半屋外らせん階段、通路棟と、円塔に屋内階段を作らせました。 -
左に見える西円塔は礼拝堂チャペル(Tour de la Chapelle)です。外から見るとここだけ突塔に十字架を設置しているのでチャペルと分かります。アンリ2世が手掛けました。
アンリ2世は1559年6月30日、スペインとの和解のためアンリ2世の娘エリザベートとスペイン王フェリペ2世の結婚を祝う宴の一環で行われたモンゴムリ伯爵との馬上槍試合がもとで事故死します。
(ノストラダムスの大予言の話は省略のこと)
はい。アンリ2世時代には屋根は完成せず、ルイ14世の時に今の形にしました。 -
西南奥に村役場と教会も見えます。
Mairie村役場と、
Église Saint-Louis de Chambord(Church St. Louis of Chambord):17世紀にルイ14世の命により建てられ、後に19世紀に改修された歴史的建造物、シャンボールのサン・ルイ教会です。
(曲がってる。)
GOPROなら水平維持ができるのですが。アクションカメラは音も拾ってくれるので、つまらない会話も再現できます。写真だけではどこで撮ったものかもわからなくなります。
(自分の小遣いで買いなさいよ。)はい。 -
南翼棟の西円塔とシャンボール城の南からの眺め
パブリックドメイン「VEUE DU CHATEAU DE CHAMBORD du Côté du Midy」銅版画でタイトルは(南東側から見たシャンボール城の眺め)になります。
1749年に王室地理技師であったル・ルージュ(Le Rouge)が現地で描いたものです。現在はルイ14世時代マンサールが手掛けた西南翼棟2階が取り除かれています。
シャンボール城の外壁は主に白い石灰岩(tuffeau、テュフォと呼ばれるロワール地方特産の石材)と屋根はスレート(Slate)が 屋根全体の主要な葺き材として使用されており、この地方特有の青みがかった灰色の外観を作り出しています。
屋根から突き出した煙突塔や小尖塔、装飾窓などの複雑な装飾部分にも、白い石灰岩に屋根のスレートを切り出し、白と黒の幾何学的な模様(ひし形や円形など)をはめ込むことで、イタリア・ルネサンスの影響を受けた独特の装飾が施されています。 -
南翼棟まできました。
森のはずれの お堀に囲まれた
シャンボール・シャトウ
きっと冬には寒すぎて
暖炉をがんがん
焚くでしょう
雪のガウンに包まれて
凍るような
シャンボール・シャトウ
シャン、シャン、ボール、シャトウ
きっと煙突は煙が苦しくて
暖炉の煙をおえっと吐くでしょう
煙突掃除が大変な
お城のような
シャンボール・シャトウ
ぶるぶるブル、シャトウ
(ぶるぶる、ブル、寒いわ。・・・どうしたの。)
階段塔や、煙突塔や、装飾窓が刺さって、屋上が重たそうですね。
(何か沈んでいるようにみえる。) -
南庭園から、森はずっと奥。
左にあるのは
Écurie du Maréchal de Saxeザックス(サックス)元帥の厩舎:乗馬ショー (Equestrian show): フランソワ1世の宮廷をテーマにした馬や猛禽類のショーが開催されます。
Vegetable Garden of the Château:植物園
(見えません。)
3階から見ましょう。 -
南翼棟入口porte royale(王の門)から入ります。2016年6月シャンボール一帯が水につかりました。
(シャンボールが幻想的に見えたようです。)
川と堀がある北と東側は水没しましたが、西と南側は免れました。四周堀にして、跳ね橋で渡るようにしておけば完璧に水没して幻想的に見えたのに残念ですね。
(やかましいですね。)
「シャンボール城は左右対称です。」
ほぼ対称に見えますが、対称性が一部欠落しています。部屋の用途、構成が違うためです。
「シャンボール城は広大な敷地の中にあり、実写版の美女と野獣の城のモデルになりました。」
なんとなく違うような。映画担当者はイメージしたとは言っています。実写版は内部がロココ調で演舞場、階段が全く違います。
(そっくりでしょうが。)
外観はシャンボール城がルネサンス様式の水平強調に対し、ディズニーのアニメ版は山城風、実写版も垂直強調です。オーストラリアの実写版もアシンメトリー(完全非対称)の中世風の垂直強調のお城でした。ディズニーランドの『ビースト・キャッスル』は中世風変節複合様式、つまりかって存在しない新様式です。
(そんなこと言っていいのんか。)
いってはいけないので、現地で自分の目でご確認ください。色々な発見があります。 -
「敷地が広い」
シャンボール森林公園のうち、85%が森林保全区域、禁猟区で運営費確保のための伐採しかできません。地方道、池、川、遺構があって建物が建つ宅地に相当するのは5%です。
シャンボール城が森の中にはなく、森からはずれた庭園の先にあっても、お城でなくても、左右対称でなくても、ルイ14世のときから部屋数が減って、77の階段のうち中二階に上がる階段は使われなくても、煙突が380本なくて暖炉が282基であっても、集合煙突になっているので煙突がそれより少なくなってもシャンボール城の価値が変わるわけでもありません。
(ぽか。ぼか。)痛い。
旅行サイトや評論には写真等が頻繁に載って楽しく芸術的な記載は役に立ちますが、鵜呑みにしないで穿った的確な記載になっていないか、現地で落ち着いて静かに見てくださいといっているのです。時たまテレビのCMでみる夕暮れのシャンボール城は感極まるものがあります。
(行くよ。) -
図面左:パブリックドメインPlan.chateau.Chambord :シャンシャンボール城平面図(棟の名称は方位が傾いているので東西南北の関係をこれでいきたいと思います。)
右はルイ14世のお抱え宮廷史家フェリビアンがブロア城で見つけたドメニコ・コルトーナの木製模型から復元した主棟平面図
(イタリアの建築家は国王のプレゼ用に模型を使いました。ミケランジェロもベルニーニもです。) -
エントランスホールで、添乗員さんのレクチュアが始まりましたが、一気に話されても。私はその都度聞かないと分かりません。
(後は各自で自由に観覧しましょうということですよ。)
北面に木製の搬出入用の扉、東面にショップ出口のガラスドアが見えます。 -
「あちらがショップと出口になります。」
退出時はショップを通り抜けて、このエントランスホールに出ました。
国立シャンボール城ミュージアムになって、翼棟にレストランやらショップやらトイレが出来ました。姫路城の千姫の間をショップにしたような感じですが、外部に建物を建てるのは事実上不可なのに、内部改造はいいのでしょうか。
(いかんかい。)
便利でした。はい。 -
エントランスの2重ガラスドアから入ります。
-
(行くぞ)
行けるの。セキュリティチエックはありませんでした。
(通路にセンサーが付いてあったのか、省略したんでしょう。) -
チケットのチエックはありました。
(当然です。)ね。 -
中庭に出ました。いよいよ入場です。中庭西に見えるのは近世の命名ですが、アンリ5世の塔(Tour HenriⅤ)です。
シャンボール伯アンリ・ダルトワはフランス・ブルボン家最後の王位継承候補で、王政復古が実現すればアンリ5世となられた人物です。
一度は王政復古になったものの、再び1830年、七月革命によりブルボン王家はフランスから追われました。 -
奥に見えるのはベリー公爵夫人カロリーヌの塔(Tour Caroline de Berry)マリー・カロリーヌ・ド・ブルボン・シシルことアンリ5世の母、ベリー公爵夫人です。
正面左にみえるのはフランス語でdonjon(ドンジョン)です。古いガイドブックでは主塔になっていました。
とある日本の城の英文パンフレットで天守閣にdonjonと当てたところ、英語ではめったに使わない言葉で、ここには悲惨な歴史があったのかと言われ、(castle) main towerに変更したそうです。donjonはフランスでは古いけれど普通の言葉ですが、英語圏ではほぼ死語です。英語のdonjonはフランスからの外来語ですが、発音がしにくいようで、dungeon(ダンジョン)と言い換えられました。keepもあわせてて古臭い語感があるようです。そこには地下牢も、処刑場に斧もありました。(怖い) -
そもそもdonjonは天守閣ではありません。天守閣には城主は住みません。日本の城主は普通下元の本丸御殿に住んでいました。ここは館主が変わっても歴代の居住区があったので、本丸か主棟が正確な気がします。ここの主塔は中央階段塔です。
(フランス語の天守閣はgurande tour、物見櫓はtour de guet)
正面ファサードに対称軸はありますが、シンメトリーにはなっていません。アンリ5世の塔が90度回っているので上部に開放廊下が見えています。 -
私は方向音痴なので、平面図が重要です。
中央階段は一つのシャフトに2つの階段が巻き付いたものだと解釈すると気持ちが落ち着きます。南階段、北階段とそれぞれに名前を付けました。
(落ち着かれても困るんじゃが。) -
1階 玄関ホールです。天井は直天で梁と根太は木造表しのままです。
-
左のタベストリは、オリジナルなら17世紀の「アントニウスとクレオパトラの出会い」(La rencontre de Marc Antoine et Cléopatre)という作品です。フランドルの画家ユストゥス・ファン・エフモントによってデザインされたゴブラン織りです。17世紀になってルイ14世によって「王立ゴブラン製作所」が設立されました。
15世紀のゴブラン織りは、その後の歴史的なゴブラン織り(王立製作所)とは異なり、パリのビエーヴル川のほとりに住んでいた染色職人の家族、ゴブラン家(J.Gobelin)の卓越した技法に由来していますが、ベルギー(フランダース地方)出身の染織家であるゴブラン(J.Gobelin)が、15世紀のパリで創製したといわれる「つづれ織り」が始まりとされています。経糸(たていと)が見えないように、緯糸(よこいと)だけで緻密な絵柄を表現する技術に優れており、両面が同じように綺麗な模様になるのが特徴です。15世紀当時のタペストリーは、城館の壁を飾り、寒さを防ぐ実用性と、富と権力の象徴としての芸術性を兼ね備えた最高級品でした。
(小さい部屋だと効果はありそうだけど。) -
参考になる資料はいろいろありますが、左のガイドブックの階段の絵は
16世紀の著名な建築家アンドレア・パッラーディオ(Andrea Palladio)による建築理論書『建築四書』(I Quattro Libri dell'Architettura、1570年刊)の第1巻65ページに掲載されている挿絵からきています。
シャンボール城(Château de Chambord)の計画図としてなのか、伝承による想像図なのか分かりませんが、二重螺旋階段の平面図と断面図として描かれたものです。これなら左右対称ですが、こうはなりませんでした。
実際の階段は入口二か所の時計回り(左廻り)の二重螺旋階段です。(下りときは右回り) -
二重らせん階段は8本の石柱と4方から壁から出た石梁で支えられています。光の筒の様に見えます。
-
中央の2重螺旋階段で一気に3階まで上がります。
「中央階段は上がる人と下がる人がすれ違うことなく行き交うことができる。」というのは芸術的でミステリアスな表記です。 -
早くも2階に到着です。
2つの別々の階段を使うわけですから、北側の階段で上り下りする人は、南側の階段で上り下りする人とは合わずに行き交うことができます。 -
しかしご覧の通り、南側の階段だけで上る人と、下る人はすれ違います。
(身もふたもないじゃろが。)
身もふたもありませんでした。 -
今日は屋上まで上がれないよ。
(残念だね。誰かと、煙は上がりたがるのにね。)
なぬ。
(褒めているいるのよ。煙が排出できれば為になるよ。)
?。ね。 -
もしも南ホールから階段を見ることができたらこうなります。まず壁と階段塔を組んだ後、2階、3階の床を仕上げていったように見えます。あとは出入口の手摺をはずして完成です。
-
東ホールから階段を見られたらこうなります。
-
3階南ホールに到着です。
-
3階平面図付けました。
2er=deuxème étageは(地上階からみて2番目の階)で3階です。 -
3階ホールは格子天井になっており、格子一つ一つにサラマンダーとFの字のレリーフで埋め尽くされています。
-
数種類のサラマンダーとFの字があります。対称軸でシンメトリではありませんが反転しています。
-
こちらの方がわかりやすいですか。サラマンダーの王冠の被り方が違うのと、Fの字の装飾に違いがあります。
中央階段の天井回りの石のヴォールトの納まりが難しそうです。
(ホールでぐるぐる回るのやめたれ)
やめろといわれても、いまでは遅すぎる。
十字ホールは階段ホールを兼ねています。そこに火気使用の暖炉がありますが、階段区画はありません。光の筒のように見えますが、当然 煙も階段を伝わって上っていきます。私は素人でよくわからないので、火災時は別の階段から避難するのだと納得させて通り過ぎました。
(天井は高いし、石は燃えませんしね。)すごい。 -
こちらから西ホールです。奥の扉から武具の間に行けそうです。
-
(あとで)
-
西北コーナの壁は漆喰が剥がれています。
-
北ホールに来ているんですが、ところどころ壁の漆喰が剥がれています。
-
(あちらにいってみよう。)
-
東ホールが見えています。
-
手前の扉が開いているので、入れますよ。
(奥の扉に向かって進むのだ。)
そうですよね。 -
(3階「狩猟の間」へいきましょう。)
3階主棟南の扉を開けて通路に出ます。外開きですね。 -
(みえているのは南円塔東)
-
通路から振り返ると北翼棟・東翼棟が見えます。
趣味の世界ですが「バルコニーとベランダの違い」
バルコニー:英balcony、仏balconともイタリア語balconeが起源で原義は角材・梁です。2階から上にあります。
ベランダ:英仏伊ともverandaはヒンディー語の柱廊からで、1階にあり屋根が付いています。
日本語は自由です。マンション、共同住宅でどちらも2階からあり、屋根がないからバルコニー、屋根があるからベランダ、というのは日本の住宅産業系用語です。グーグル翻訳にかけるとどちらもbalconyとなるはずです。
(何の話?)
何を思ったのか、外気にふれると頭が冷えて開放廊下とバルコニーの関係が頭に浮かびました。
(何を言っているのかわかりません) -
通路を進みますが、上部に窓開口が見えるのです。
-
外部から見ると、開放廊下と塔と部屋の関係がよく分かります。本棟側も円塔側も部屋が2層になっているように見えます。
-
左側は小らせん階段なので、左の扉から入りますか。
(あかんよ。)
開けてはいけない扉は閉まっているので、直進です。 -
円塔側の、狩猟の間の扉です。
-
天井が低いのは上に部屋があるからで、その床組みは木下地です。
-
(あの扉から入ってきたんですね。)
オリジナルなら、このタペストリーは、1610年から1618年頃、パリのゴブラン織製作所(の前身であるフォーブール・サン・マルセルFaubourg Saint-Marcelの工房)で製作されたものです。
フランソワ1世の狩猟のタペストリー(Tenture des Chasses du roi François)」と呼ばれる一連のタペストリー・シリーズ12枚の内の一部で、馬に乗った騎士(フランス王フランソワ1世を象徴)や、犬を連れた狩人たちが鷹狩りの準備をしたり、獲物を追ったりする様子が描かれています。 -
本棟に戻って狩猟の間の前室です。
あの、展示ケースを見ないの? -
(狩猟の間1)
天井が石のヴォールトでなく、木組に塗装しているのが分かりますか? -
(狩猟の間2)
窓に内戸付いているいるの分かりますか?風が強いからでしょうか? -
(狩猟の間3)
ねえ奥さん、タペストリが壁についていますが、燃えたら
(絨毯は燃えません。)
当時防炎加工は、してないから・・・怒ってます?
(うん)
壁に掛けられているタペストリーは、オリジナルなら1610年から1618年頃にゴブラン製作所で制作された「国王フランソワの狩猟(Tenture des Chasses du roi François)」という一連のタペストリーです。画像中央左の作品は「徒歩での王の狩りへの出発(Departure for the Hunt, with the King on Foot)」と題されています。
壁に飾られた鹿の角や剥製は、かつて狩猟用の離宮として使われていたことに因んでいます。 -
正面のタペストリーは
「馬に乗った王との狩りへの出発(Départ pour la chasse avec le roi François Ier à cheval)」ですか。 -
右のタペストリーは
「ハヤブサによるカササギの狩りVol de la pie au faucon」(Flight of the Magpie with the Hawk )のようです。 -
ここに案内板がある。
フランソワ1世の狩猟の歴史に関するタペストリーの展示について
(タペストリーの歴史的背景とコレクションについての仏・英語の説明があります。)
恐ろしいことに気がついたのですが、石のヴォールトになっているのはギリシャ十字で構成されたホールだけで四隅の部屋は木製の梁と根太を組んでいるのではないか。ヴォールトでアーチを組むと、部屋の納まりが悪くなる・・・
(展示の間にいきますよ。) -
3階ヴォールトの間、東ホールの北面の扉は閉まっているようです。
-
東ホールでもぐるぐる回って、東ホールの西面をみています。
-
(南ホールに回りこんで「3階展示の間」へ向かいましょう。)
-
南ホールの南西面
(ついさっきここにいたぞ。) -
手前の扉が開いていますよ。
(奥の扉に向かうのじゃ)
そうでしょうよ。 -
寒風を防ぐための、Fの字とフルードリスのついた木製扉があります。大概外部ドアも内開きにしていますが、この扉も外開きです。扉を押して通路に出ます。
(フルードリスの話は省略しなさい。)はい。 -
(南庭園と遠景)
森は遠く、庭園と、建物も人影もここから見えます。
(北のフランス庭園と比べたら、いうほど庭園か)
雪が無ければ、一応庭園です。 -
通路側の部屋の窓が見えています。
-
通路を進むと、扉で行き止まりです。
-
左の小螺旋階段の扉を開けたいところですが、
(開けてみたら)
通常入れる部屋は扉を開けてありますので、右にいきます。 -
展示の間の前室
やはり天井は低く木下地です。かって、天井裏に部屋があったはずです。 -
展示の間の前室を進みます。
-
展示の間入口です
-
展示の間
ここは天井は高いですが、木造の梁と根太が見えます。展示するものは毎年変えているようです。
(遅れるよ。次の部屋に行こう。) -
3階ヴォールトの間 南ホールに出てきました、南側から北をみると、螺旋階段は半周先行する北階段が上、南階段はそれを追いかける感じで下になります。石のヴォールトはサラマンダーとFの紋章が入った格天井になっています。
(さっきみたぞ。)
ザナドゥではサラマンダーには楽勝でした。シルバードラゴンに苦戦しましたけど。
(?) -
(不審者と思われるから、階段の周りでぐるぐる回るのはやめましょう。)
-
ほぼ当たっていますけど、思ったほど回っていませんね。
中央階段があるせいで、やむなく各ホールで回っていただけです。なければ一度回るだけで済みます。(?) -
3階を見学した後、私たちはどの階段を使って2階で下りたでしょうか?
-
ほとんど分からなくなりました。
(え、怪しい人影。なぜ3階の上にいる?)
この城の妖怪です。
(ポカ)
妖精でしょうか。 -
(2階の北ホールはなく、部屋に取り込んでいるので壁が見えています。)
これで北階段で下りたのが分かりました。すれ違った人が上がっていきます。 -
またも、この階段で上がる人です。
例えば、南階段は上がり専用、北階段は下り専用とかにしたらどうでしょう。
(ほっといて) -
2階の平面図です。今回はここまでです。見ていただいて有難うございました。
(ぜんぜんすごくない。見てくれた人にあやまりな。)
すいませなんだ。ロワールの古城めぐりでひとくくりになって、シャンボール城単体でのブログが少なく感じたので頑張ってみたのです。
2階のブログは手の施しようがないので、そのまま2018年2月フランスへ行こう6日間の旅4をご覧ください。ご期待の1階のブログは2018年2月フランスへ行こう6日間の旅5+ フィードバック・シャンボールとアンポワーズ城リターンズをこりもせず編集中です。
(困ったもんです。出来たらいやでしょうが見てやってください。)一同お願い致します。(わたしも?)
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
noriyosiさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
87