2025/09/11 - 2025/09/11
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Rolleiguyさん
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今回のオーストリア行は、①5年前に亡くなった友人のお墓参り、②青山みつ(光子)(明治時代にボヘミア貴族クーデンホーフ伯爵と結婚した女性)のお墓に行くこと、③マグマの上に建てられたリーガースブルク城の見学、という3つが主目的です。ウィーンに暮らしていた時には②と③は見ていないので、いろいろ事前勉強をして出かけました。
ウィーン初日は②の墓参りです。
青山みつ・クーデンホーフ・カレルギーのことは大分昔に読んだ本でその生涯を知りました。日本にオーストリア公使として赴任したハインリッヒと結婚し、夫とともにボヘミアのロンスペルク城に住み、異国の地で東洋人だと貴族社会から差別を受けながら、貴族としての尊厳をもって生き、夫に先立たれ、遺産相続で夫の親類と争い、裁判で勝ち、残された7人の子供を育てたが、最期は子どもたちからも疎まれてウィーンで亡くなったとのことで、波乱万丈の生涯を送った日本女性です。幸せな生涯だったのかどうかは傍から決めつけることは出来ないものの、やはり平凡ではなかった人生だと言え、最期は安らぎの地を見出したのだと思いたい。
その後、別の日になりましたが、市内をいろいろ散策したり、土曜日にはナッシュマルクトの市を見学しました。駆け足でしたが、それなりに楽しめました。①と③は別の旅行記を作る予定です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 航空会社
- スイスインターナショナルエアラインズ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ウィーンのシェーンブルン宮殿の割と近くにあるヒーツィング墓地が目指す場所です。お墓の位置は区画(13)と番号を事前に確認しておいたので、簡単に見つかるかと思ったら、意外に手間取りあちこち動き回りました。墓地の入り口に近いこの場所から、それぞれの区画に向かって通路が伸びています。
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この区画です。
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ここがみつの安らぎの場所。クーデンホーフ家の代々の墓地はここではなく、夫のハインリッヒもここには埋葬されておらず、自分の城のあったロンスペルクのお墓です。7人の子どものうち、長女のエリーザベットが一緒に葬られています。
みつは夫の墓に共に葬られることを願いましたが、叶えられずここになったようです。 -
まずじっくりと観察しました。長年来てみたいと思っていたので、それなりの感慨がありました。
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墓石に記された墓誌には、6人の名前が彫られてあり、一番下にみつの名前が
Maria Thekla Mitsu Graefin Coudenhove geb. Aoyamaと記されてありました。
生年1874年、没年1941年です。みつのことはウィキペディアに詳しく載っているので詳細は省きますが、夫と日本を離れるに際して明治天皇の皇后から、日本女性としての誇りを持ち続けるようにとのお言葉を賜ったことを生涯忘れず、そのように生きたそうです。みつは娘たちに女性としての生き方を説きましたが、その考えに反発した子どもたちは母と距離を置くようになりました。子どもたちのなかでは、次男のリヒヤルトが著名で、パン・ヨーロッパ運動の提唱者として、その後のEUにつながる道筋を作りました。三男のゲロルフの娘バルバラは丁度東欧改革のころに東欧特派員として度々テレビに登場しました。大分前にNHKでみつのことを特集したときに、バルバラがレポーターをこのお墓に案内している場面がありました。クーデンホーフの後にカレルギーとつけることもありますが、これはハインリッヒの母方の苗字で、姓の一部というよりも血筋を示すための付録みたいなものかも。 -
みつのお墓を見てから同じ区画を巡っていたら何とオットー・ワーグナーとグスタフ・クリムトのお墓もありました。この墓地だとは知っていたのですが、行くつもりはなかったので探しもしなかったら、先ずこのワーグナー家のお墓を発見。写真を撮っていたら、通りかかった女性からあそこにクリムトのお墓もあるよと教えられました。何てラッキーなどと思ったのですが、そういえば10年前にドイツで偶然にカール・オルフのお墓を発見(アンデックス修道院)したときにもラッキーと思ってしまったことを思い出しました。敬意を払うべきお墓にそのようなはしたない言葉を口にしてはいけないので、もちろん黙っていましたが。もっとずっと前には、スイスの田舎(Raron)でドイツの詩人リルケの墓を発見して驚いたことや、チューリッヒでジェームス・ジョイスのお墓を発見したら、その隣に昔の知人のお墓があり、仰天したこともあります。お墓には偶然が多いですね。
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オットー・ワーグナーの肩書はウィーンならではのもの。
建築士・宮廷顧問官・博士 オットー・ワーグナー
元ウィーン造形美術アカデミー教授
1841年7月13日生 1918年4月11日没
多分もっと肩書があったでしょうが、書ききれないのでここまでにしたのかもしれません。ウィーン人は肩書大好き人間です。オーストリアの肩書は法律で守られているものだけでも1500以上あり、世界のどこにもないほどだそうです。一度まとめてみたいものだと思っています。Hofrat宮廷顧問官という肩書は、ハプスブルク時代のもので、もうオーストリアには宮廷はないものの、いまでも高級役人などに使われています。肩書文化は帝国を構成していたハンガリーやチェコでも継承されているとか。官庁で一定の職位に達した役人に与えられる公職肩書(Amtstitel)と、民間人でも名誉的に与えられる職業肩書(Berufstitel)があります。宮廷顧問官の下の肩書は上級顧問官(Oberrat)で、その下は顧問官(Rat)となります。Bergratとあれば、山に関する学問を修了した人に与えられます。Kommerzielratであれば経済人です。宮廷顧問官になるには、17年以上の奉職経歴が必要なようです。今ではこうした肩書の3分の2は実質的な意義を失っているにも関わらず、何よりも大切にしているのがオーストリア人です。履歴書には、職歴よりも肩書が先に書かれるほどです。夫が持っている肩書は、その夫人も自分の名前に付けて非公式に使う人もいます。法律で定められていない肩書は自由に作れますが、事実に反するようなのはだめなようです。4Tra 旅行記を100冊作ったら「4Tra顧問官」、200作ったら「4Tra上級顧問官」、500作ったら「4Tra宮廷顧問官」などはいいかも。楽しいですね。 -
一方、クリムトのお墓はいたってシンプル。グスタフ・クリムトとだけしか記されていません。それだけで十分ですね。ノーベル平和賞を要求するような人ではないことが分かります。
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日本ならお花が絶えないところでしょうが、こちらではそうしたことはないようです。
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カール教会に来ました。
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近くにはウィーン工科大学も。
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フランツ・ヨーゼフI世皇帝の政府により、工科大学の校舎拡張で建造されたとの
記録が記されていた。 -
教会の屋根に登ってみました。
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凝った柱です。
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立派なパイブオルガンです。以前、『響きの科楽』(ジョン・パウエル)という本を読んでいたら、パイプオルガンのパイプの数は1000本以上になる場合でも、正面から見えるのはその極一部で、しかも装飾用のパイプもあり、そうしたパイプは音が出ないのだとありました。本当かいなと思って、知り合いのオルガニストに確かめたところ、正面は様式上パイプの配置を左右対称にしていることと、パイプは音の高低の順番どおりに並べる必要はないこともあり、実際音の出ない装飾パイプもあるのだとのこと。驚いた、驚いた、知らなかった。
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カール教会を設計したフィッシャー・フォン・エアラッハ父子。父のヨハン・ベルンハルトはシェーンブルン宮殿など有名な建物をいくつも設計した人なので、馴染みのあるお名前ですね。お父さんが基本設計、実施設計を行い、その死後息子さんのヨーゼフ・エマヌエルが引き継いだようです。お父さんは、同時代のルーカス・フォン・ヒルデブラントと異なり、フランス的な設計様式へのこだわりもあって息子以外の弟子に継承されなかったそうです。
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カール教会の歴史が記されていました。
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大きな教会堂の内部の装飾は素人の目にはどこも似た様なものに見えます。
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立派な教会です。
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オットー・ワーグナーの設計したものがありました。お墓に行きましたよとお伝えしておきました。ここには肩書はありませんでした。
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毎週土曜日に開かれる市を見るために、この日は最初から予定しておきました。
蚤の市的なものと主に食品の店が並んでいます。
これはヤギのミルクから作った石鹸だそうです。あまり使いたいとは思いません。 -
雑多な出店が多く、目移りするほどですが、価値のあるものを探すのは目利きでないと無理かも。見るだけでもいいや。お金ないし。
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人の顔を見るのも興味深い。
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手が届きそうな出物もありますが、嵩張るので旅行中の買い物は制約を受けますね。
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どこまでが美術品と言えるのか、結局は自分の好みによるのかも。日本のバブルのころは印象派の絵画が大変な値を付けて、それに似たものも沢山出回りましたが、美術品で儲けようと思った人は大概損したようです。
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女性用の衣服なのでジロジロみるのは差し控えましたが、ウィーンに住んでいた時に、知り合いのウィーン人が蚤の市で下着を買うと言ったことに驚き、何でと思ったら、昔の下着は意匠を凝らしたものがあり、いまでは作られていないのでとても価値があるのだとか。ぅーん。価値があったも他人の下着まではいらないや(男性だし)、と思いました。
ものの価値を知らないということは、人生を薄っぺらにしますね。 -
蚤の市は見るだけでも楽しい。価値までは分からないがひとつひとつに意外性があって楽しめる。
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こっちも。
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あっちも。
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ウィーンには画学生が沢山いて、美術館で模写をしているのをよく見かけます。
このモナリザのオリジナルはルーブル美術館にありますが、パリの画学生が
模写したのかも。昔、ウィーン美術史美術館でブリューゲルの絵を学生が模写していたのを見かけましたが、なかなかの出来栄えでした。模写でもいいから譲ってくれないかと頼もうかと思いましたが、何となく金に飽かせてと思われるかもと声掛けをためらってしまいました。今にして思うともったいなかった。 -
食器には案外いい出物があるようです。
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買うかどうか電話で打ち合わせ中のようですね。
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一通り見まわったのでこの辺で終わりにします。
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国立オペラ劇場のある中心部に戻ってきました。今回はまだオペラシーズンではないので外から見るだけ。1990年頃は、観劇料は高いものでも2万円くらいでした。天井桟敷は5百円くらいでしたが、安くても舞台が見えて学生たちは毎日でも行く人が少なくなかったそうです。先日たまたまお話した女性は8か月間の滞在中に100回以上行ったとか。1990年ころはオペラのセリフを映す装置などなく、進行の筋は追えても、歌詞やセリフの一つ一つは全部理解できないので、何となく不完全燃焼となり、私はオペラよりはコンサートが好きでした。今でも記憶に残るのは、場所は楽友協会大ホールでしたが、亡くなる3か月前にカラヤンの最後のコンサートを聴けたことです。体力が衰えていましたが、指揮台に登るとシャキッとして精力的な指揮でした。その演奏のCDが出たので2枚も買ってしまいました。
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お墓マニアではないのですが、またお墓に行きます。ハプスブルク家のカプチーナ教会墓所です。
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ここには1617年に亡くなった神聖ローマ帝国皇帝マティアス以降の代々の皇帝や一族 145人の棺が納められています。手狭になると拡張されて来ました。現時点はあと2人分の余裕があるそうです。
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ひとつひとつに名前が記されていますが、数が多く、似た名前もあってじっくり感慨に浸ることは出来ません。
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今でも人気のあるフランツ・ヨーゼフと皇后エリーザベット、長男ルドルフの棺。
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2011年に亡くなったオットー・ハプスブルクの棺。彼はハプスブルク最後の皇帝カールの長男で、帝位継承順位1番の人でしたが、その権利を放棄することでオーストリアの国籍を取得し、それまで入ることの出来なかったオーストリアに帰還することが出来るようになりました。ドイツで欧州議会の議員に選ばれ、最も長く議員を務めた人です。人格者としても敬意を払われていました。その葬儀の様子がこちらで見られます。
https://www.youtube.com/watch?v=PXzvMF7Dx6g -
最期の皇帝カールの皇后ツィタの棺。私がウィーンにいた時に亡くなり、皇室の伝統に則って行われた葬儀は大変印象深いものでした。特に葬列がこの墓所の扉を叩き、ツィタの生前の地位や肩書を述べて、扉を開けて欲しいと頼んだのに対し、内側からそんな人は知らないとの答えがあり、問答を何度か繰り返した後、「罪人(つみびと)ツィタです」と言うと、入りなさいとの声があったのが印象的でした。この葬儀の様子もこちらで見られます。
https://www.youtube.com/watch?v=lTD2-0-LyKM
皇帝カールはハンガリー国王を兼ねていたので、先ずハンガリー王国国歌が歌われ、続いて17分過ぎにハプスブルク帝国の国歌が歌われ、間もなくツィタの長男オットーの姿と、その左に彼の長男カールが映し出されています。ハプスブルク帝国国歌がオーストリアで歌われるのは1918年以来だそうです。 -
お墓ばかり周りましたが、特に精進落としなどはせず、市内をぶらぶら。
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人通りの少ないこうした小路がなかなか味があります。
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フライウング広場はハプスブルク以前のウィーンに浸るには良い場所です。
バーベンベルク王朝時代の王、ヤソミーアゴットが葬られているいるベネディクト会ショッテン教会は静かでいつも感銘を受けます。 -
ショッテン教会の870年の歴史と謂れを説明したありました。こうした説明文は、見学中にじっくり読むことが出来ず、帰って来てから読んで、しまった見損なったということが何度もありました。事前勉強不足。
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ヤソミーアゴットのお墓。当時アイルランドはスコットランドの名前を冠していたそうですが、アイルランドから修道士を招いたのでショッテン(スコットランドの)教会と呼ばれたとのこと。
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別の旅行記「ウィーン 諸行無常」にも書きましたが、ヤソミーアゴットという名前に魅かれています。Jasomirgottは、Ja( はい), so( そのように ), mir( 私を), gott( 神が ), helfe( 助けて下さいますように )という言葉から成るという説があり、とても説得力があると思っています。ヤソミーアゴットはここに修道院を作りました。
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広場にあるオーストリアを擬人化した像で、1840年代に帝国に属していた地域で民族意識が高まったころ、この像が建てらました。市民の拠金で出来たのだそうですが、当時のウィーン市民と周辺地域の人々の意識の違いはどのようなものであったのか、興味深いところです。引退したらそうした勉強をしたいと思っていたのですが、実現していません。
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出店の後ろにある薬屋さんはとても古い店で、ハーブティーがいろいろあってしかも手ごろな値段なのでよく買いに行きました。
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ドイツでも見かけた大麻を提供する店。ヨーロッパでは大麻の使用が解禁されると、こうした店が出来ました。ドイツと違いオーストリアでは公共の場での使用は認められていないそうです。見るからに怪しそうな雰囲気ですね。
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市内の中心部なのに閑散としていました。
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グラーベンの通り。開放感のある気持ち良い場所です。
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グラーベンのどん詰まりに人気のスーパー「ユリウス・マインル」があります。
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国立図書館前の広場に来ました。
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訪れるたびに何か特別展示をしていて、今回は20世紀におけるオーストリアの歴史を写真で展示していました。
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いつ、何度見てもこのホールの美しさに魅せられます。
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中身までは読めませんでした。
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一応質の高いと言われている雑誌「プロフィール」。左は1980年代の社会党の党首で首相だったフランツ・フラニツキー、右は1990年に亡くなった元首相のブルーノ・クライスキー。オーストリア「第二共和国」の象徴としての功績を称える追悼号の表紙を飾りました。 ウィーンの政財界人は皆"Profil"を購読していました。ウィーン在勤中にこの雑誌のインタビューを受けたことがあり、バブル末期の日本のことを聞かれました。洗練されたドイツ語を話すと書かれましたが、インタビューで話したことが淡々と書かれているものの、コメントは特にこれといったものはなく、喜んでいいのか恥ずかしがるべきなのか戸惑いました。
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じっくり見ても見飽きません。
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ローマ(右端)に至る道を記した地図。地図として最古に属するものだとか。
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西暦1200年ころの地図、以前の所有者の名前を付けられている。
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道路際の壁に描かれた落書き。見かけだけでメッセージ性に欠けるものが多い。
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何を伝えたいのか分かりません。
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ドナウ川に浮かぶ観光船とメキシコ教会。
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シュヴェーデンプラッツから狭い路地を旧市街に入る。
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再開発などはされずに、こうした一見うらぶれた小路がそのまま残っているのが、
風情を高めるのだなと思いました。 -
慌ただしい一日が終わりました。
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