2016/11/21 - 2016/11/22
1376位(同エリア1815件中)
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ゆーちさん
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Day 10
11月21日月曜日 前半
バンコクから北へ約76km、タイ国民の重要な水路チャオプラヤー川の中州にある水路に囲まれた水の都アユタヤ―遺跡に行った。ホテルに迎えに来たガイドはタイ人のMaoさん、日本語が話せた。
先に現在も国王の住居であり、公式のレセプションなどに使われている「バーンパイン宮殿」からガイドが始まった。大変美しいところである。
アユタヤ―は1351年にウートン王が建都してから417年にわたり5つの王朝、33代の王が君臨し東南アジアで最も栄華を極めた王朝の首都だった。
アユタヤ―は18世紀になってビルマ軍の執拗な攻撃に会いその無残な姿を現代にそのまま残して、1991年ユネスコの世界文化遺産にも登録された遺跡の街である。
アユタヤまではホテル送迎のガイド付き観光を利用した。費用は4200THB/2人。スペースバス(バンコク)ツアーbyベルトラ。
この旅行記はクルーズ前の前半を記録したものである。
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11月21日月曜日(前半)
Radioson de Blu Plaza Bangkok ホテル出発7時50分
シェラトンホテルから日本のかわいい女性二人組が同行した。Maoさんの提案で、アユタヤの南約20kmにあるバーンパイン宮殿(赤矢印)から先に観光することにした。 -
バーンパイン宮殿に8時50分到着。
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Maoさんがぜひとも見せたいと言っていた地区である。
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日本語ガイドのマオさんが最初に案内したのは有料トイレ(3THB)
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早速ガイド案内が始まった。ガジュマルの大木があり、根元に墓石のような石が置かれている。
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さっそく訪れたのはバーンパイン(Bang Pa-in Palace)宮殿。プラーサート・トーン王(1629~1656)が1637年に建立し歴代の王が利用した夏の宮殿。タイ様式のほか、西洋(ポルトガル、ギリシャ、スイスなど)様式や中国様式など多彩で優雅な建築物が多い。
バーン パイン離宮 城・宮殿
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ブーゲンビレアのピンクが映える。白い建物はギリシャ様建築の「テワラート・カンライ門」内部の宮殿へと導くこの門もまた、コリント式ネオクラシックの影響を受けたデザインが特徴。この門から王座のホールへ繋ぐ橋が延びている。
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バーンパイン宮殿。 現在の建物はアユタヤ王朝時代の夏の離宮をラーマ4世と5世が1876年に再建したもの。建物の中にラーマ4世の王象があるそうだ。池の中央にあり上から見ると十字型のタイ風建築。
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現在も国王の住居およびレセプション会場として使われているそう。
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スイス様式
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円形の中央に立像が見えている。
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ウィハット・チャムルン宮殿 中国資材による中国風宮殿。1889年にルアン・チョードペック・ラチャセティー率いる華僑の商社グループの出資で建てられた。
プラ ティナン ウェーハート チャムルーン (バーンパイン離宮内) 史跡・遺跡
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よく見ると精緻な細工が美しい。中国様式の屋根。
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赤い門構え
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チーク材の豪華な中国風建築。色鮮やかな赤と金色の組み合わせが印象的。螺鈿細工の家具が見事で、古の職人の技とその時代の「豊」の大きさを感じる。
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ウィハット・チャムルン宮殿の裏側。
プラ ティナン ウェーハート チャムルーン (バーンパイン離宮内) 史跡・遺跡
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宮殿から高い塔が見えていたので行って見る。塔の入り口。少し離れたところにあった。
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「ウィトゥンタッサナーの塔」に登った。1881年、ラーマ5世が建てたポルトガル様式の見張り塔
ホー ウィトゥン タサナー (バーンパイン離宮内) 史跡・遺跡
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最上階の3階から緑豊かなバーンパイン宮殿の全体を見渡すことができる。写真は「ウィハット・チャムルン宮殿」
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宮殿を繋ぐ橋の遠望。宮殿は「アイサワン・ティッパヤー・パビリオン」。湖の中央でラーマ5世の等身大の像を抱くこのパビリオンはバーンパインの宮殿の中でも傑出したタイ様式の建築。4つのポーチと尖った屋根が、王宮のプラ・ティナン・アポーンピモックとよく似ているという。
プラ ティナン アイサワン ティッパート (バーンパイン離宮内) 史跡・遺跡
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ホー・ウィトンタサナー(塔)の降り口にあった見事な睡蓮の花
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「サパン・バン・クレット」と呼ばれる彫刻のある橋。手すり部分にギリシャ神話の神や女神をモチーフにした彫刻が並び、湖に架かるワロパット・ピマン王座に続く。奥に見えているのが、ギリシャ柱が支える切妻造りのワロパット・ピマン王座ホール(1876年建造)
プラ ティナン ワローパート ピマーン (バーンパイン離宮内) 史跡・遺跡
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鉄道をまたいで日本人町へ
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日本人町の跡。16~17世紀、国際交流が盛んなアユタヤには世界各国から商人が集まった。王は彼らに住居を与え町を作ることを許可した。徳川家康の時代、御朱印貿易で栄え1610~1630年の最盛期は1500人の日本人が住んでいたといわれる。有名な日本人の頭領「山田長政」は22代王ソンタムに重用された。
アユタヤ 日本人町跡 旧市街・古い町並み
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山田長政は傭兵隊長、地方長官まで上り詰めたが、王位継承の争いに巻き込まれ毒殺された。その後、鎖国令により御朱印貿易も終わり、日本人町も消滅した。
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この辺りからアユタヤ―の遺跡群に入る
ヴィハーン プラ モンコン ボピット 寺院・教会
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アユタヤの地図(ネットから) を見ると川に囲まれているのがよくわかる。
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「ウィハーン・プラモンコンボピット」1603年にラーマティボディ2世が造ったタイ最大の高さ17mのブロンズ製仏像を安置した塔堂。アユタヤ2度目の陥落の際にビルマ軍に破壊された。1951年の修理時に仏像の体内から何百体もの小さな仏像が発見されてる。
ヴィハーン プラ モンコン ボピット 寺院・教会
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カラフルな飾りの奥には古式舞踊のポーズをとった女性人形、その奥には立ち姿の仏像が祀られていた。
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「ワット・ローカヤースッター」ウィハーン・プラ・モンコン・ボピットの裏側から500m近く曲がりくねった道を進むと、広々とした草原に並ぶ遺跡群のいちばん奥に全長29mの寝釈迦仏が横たわっている。現在の仏像は、1956年にタイ芸術局によって復元されたものだそう。寄進された衣が掛けられている。
ワット ローカヤースッター 史跡・遺跡
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ビルマ軍との戦いの様子を描いた大きな絵画。ゾウに乗って戦ったのだ。16世紀から18世紀にかけてビルマ軍は数回にわたって執拗にアユタヤ―を攻撃した。
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ブロンズ製の仏像が並ぶ
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その中の一体。優しいお顔。
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小さな子供たちが参拝に来ていた。子供のころからこうやって参拝に来ているのを目の当たりにし、タイの人々の熱い信仰心に感心する。
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ここは立像が多い。
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このあたりはアユタヤの地で最も参拝者が多いそう。
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日本のお賽銭箱の様なところもあった。
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「ワット・ヤイ・チャイ・モンコン」には観光客が登っているので我々も行ってみることにした。ここは1357年にアユタヤ王朝初代のウートン王(ラーマーティボーディー1世)によって建立された。もともとはセイロン(現スリランカ)で修行を終えた僧侶たちの瞑想の場とされていた寺院だそう。
ワット ヤイ チャイ モンコン (チャオプラヤー タイ寺院) 寺院・教会
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ウートン王はアユタヤを物資の交易拠点として繁栄させた。さらに隣接するスコータイを併合して、現在のタイ東北部からカンボジアを支配するクメール王朝を陥落させて領土を拡大した。
長い急な階段を登る。すごい眺めだ。高さ72mの大仏塔に登れるなんて、、、。 -
階段の曲がり角にある仏像が瞑想をしてるかのように佇んでいた。
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ワット・ヤイ・チャイ・モンコンは観光客の一番人気らしい。仏塔に登って素晴らしい眺めを堪能できる。
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急な階段だが、ゆっくり登るので何とか大丈夫。整然と並んだ仏像群も圧巻だ。
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上から見た仏像の無言の眼差しは、はるか遠い過去を見つめる。中央のクメール王朝式の仏塔はカンボジアやラオスも加えた広大な地域をアユタヤ―王朝が支配していたころの遺産だそう。
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眼下に白い大きな仏像が見えた。後であそこにも行ってみよう。
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古の多くの僧侶たちが列を作ってここを登る様子が目に浮かんだ。
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降りた先には比較的新しいのか、数えきれない仏像が傷一つ無く並んでいた。
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対面の建物も破壊されていなかった。この辺りは中心街からやや東にあるため、ビルマ軍の攻撃を免れたそうだ。
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「ワット・ヤイ・チャイ・モンコン」は別名チャオプラヤー・タイ寺院とも呼ばれる。中央の仏塔はビルマ王朝の王子と象上の一騎打ちに勝った記念塔だ。
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「ワット・ヤイ・チャイ・モンコン」は、戦禍をのがれた珍しい寺院ということになる。
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ご一緒した若い女性と記念撮影。ここは仏像の顔も被害にあわず、きれいに残されている。
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「ワット・ヤイ・チャイ・モンコン」が後ろにそびえる。仏塔に登った時見えた白い仏像の所に来た。
ワット ヤイ チャイ モンコン (チャオプラヤー タイ寺院) 寺院・教会
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次に訪れた「ワット・マハタート」はアユタヤ旧市街の中心部に位置している。ここも14世紀、アユタヤ王朝のウートーン王によって建立されたとされ、王室の宗教儀式や高僧の出家、仏教行事などが行われた。
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大きな車輪付きの馬車?移動に使われたのだろうか?
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赤いサンタンカと尖塔が美しかった。
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Wat Maha That(ワット・マハ・タート)
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中央にはかつて高さ40mを超える壮大なプラーン(クメール様式の仏塔)が聳えていたが、地震や戦争、風化によって現在はその基壇のみが残っている。
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「ワット・マハタート」菩提樹の木の根に包まれた仏頭像。境内の一角で自然と融合するように鎮座している。樹木の根が仏頭を抱くように成長している姿はまさに自然と信仰が共存するかのよう。
ワット・マハタート 仏頭 建造物
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真横から見ると鼻すじの通った頭部であることがわかる。ここでは、仏像よりも頭を高くして見下ろすように撮影するのは不敬とされているとMaoさんが教えてくれた。
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幸いにも仏像の本体から落ちた頭部が木の根の中に入り、木の根で囲まれたブッダの頭部。平らな額と分厚い眉と大きな瞼、一文字に結んだ唇の輪郭がアユタヤ時代(1600年代)中期のアートを反映していると英文の解説。
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ビルマとの戦いで多くが破壊され、現在では遺跡となっている。無惨にも首を失った仏像がずらりと並び、かつての栄華とビルマ軍による破壊の痕跡が生々しく残されていた。仏像の多くは18世紀後半のビルマ軍侵攻時に破壊され、貴重な仏教美術の一部は国外に持ち去られたとも言われる。
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アユタヤーの遺跡に浸る時間が長くなるほど、戦さの愚かさと無常さが際立ってくる。と共に脈々と続くタイの人々の信仰の深さがよくわかる。中央に見えているコーン型の寺院は歴史地区にあるクメール式の仏塔。(チャオプラヤー川のクルーズが待つ後半No.7につづく)。
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