2025/12/25 - 2025/12/25
1408位(同エリア1853件中)
まつこさん
この旅行記スケジュールを元に
年末に実家の墓参りに行った帰り、真っすぐ帰るのが勿体なくて、岡山に寄りました。備中の吉備津神社に行くと想像以上に大きな神社であることに驚き、道中見かけた造山古墳の看板も気になって立ち寄りました。
短時間ですが古代吉備王国に思いをはせる印象的な時間となりました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- その他
-
岡山の歴史スポットと言えば岡山城や後楽園が有名ですが、今回は岡山市の北部、鳴釜神事で有名な吉備津神社に行ってみました。
山陽自動車道を倉敷ICで下りて車を走らせるとやがて、のどかな田園風景の中に備中国分寺の五重塔が見えてきました。国分寺と言えば奈良時代に聖武天皇の命で全国に建立されたお寺です。現在の五重塔は江戸時代に再建されたものですが、創建当時は東西160m、南北178mの広さを持つ広大な寺院だったそうです。
この辺りは岡山市と総社市の境界が入り組んでいるので、自分が岡山市内に居るのか総社市に居るのかわからなくなりそうです。 -
電柱が邪魔ですが、五重塔の右側には国分寺の伽藍を囲む塀が見えています。
そう言えば一面のレンゲ畑の向こうに佇む五重塔の写真を見たことがある、あれはこの辺でしたか。今は冬枯れの田んぼですが、春になってピンクの花に囲まれた五重塔を想像すると、季節を変えて訪れたくなります。
付近には国分尼寺や雪舟の生誕地、そして大小の古墳が点在する地域です。1日かけてサイクリングもいいなぁ。 -
吉備津神社に到着しました。
吉備津神社は崇仁期に吉備国(備前•備中•備後•美作)を平定し治めた吉備津彦をお祀りする神社であり、仁徳期創建という歴史ある神社です。
ちなみに同じく岡山市内に備前国一宮である吉備津彦神社というのもあります。。
石段脇に何やら提灯がたくさん下がっています。 -
神社の階段の両脇に、寄進した人々の名前を入れた石柱が並んでいるのはよく見かけますが、ここでは提灯がその役目を受け持っているようです。
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石段を登った場所に「矢置岩」と名付けられた岩がありました。
社伝によると、当地を荒らす「温羅(うら)」という凶悪な鬼と吉備津彦命とが戦った際に互いの矢が空中でぶつかり落下した物を吉備津彦命がこの岩の上に置いたとのいわれがあります。
その後、この岩の上に白羽の矢を置いて交通安全を祈願する神事ご行われるようになったとか。
吉備津彦命と温羅の関わり、さっそく出て来ました。 -
最初の石段を登りきると立派な北随神門が構えています。
回廊の途中にも南随神門があり、実は南随神門の方が建築年代は古いのだとか。残念ながら写真を撮りそびれましたが。 -
さらに提灯に囲まれた石段を上ります。
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本殿•拝殿はこの通り広大で見どころもいっぱいです。
が、右手に長く伸びた回廊の方が気になって、先に回廊に向かいます。 -
緩やかな下り坂になった回廊を下りて行きます。回廊の途中所々には摂社に向かう参道が枝分かれしています。
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その中でも、絶対に行くべきなのが鳴竃神事の行われる「御竃殿」です。
吉備津彦に退治された温羅が吉備津彦命の夢枕に立って、竃をうならせて吉凶を占うからと告げた事から、土中に温羅の首を埋め、その上に建てたと言われています。
現在も御竃でお湯を沸かしてその音で占う鳴竃神事が行われています。 -
鳴竃神事の由来についてはこの通り。
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吉備津神社のある中山付近だけでもこのように神社や古墳がたくさんあります。伝説も多く残り、興味津々です。
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ここでようやく国宝の本殿、拝殿の前にやって来ました。建立当時の物は焼失し、現在は室町時代に再建された「比翼入母屋造」という2つの屋根が並ぶ珍しい本殿となっています。
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本殿の左横の階段を登ると「一童社」という学問•芸能の神様を祀るお社もあって、合格を祈願する絵馬がたくさん掛かっていました。
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一段高いその一童社境内から眺めると本殿の構造が分かりやすいです。
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吉備津神社を出て車を走らせること約10分、次の目的地てある造山古墳を目指していると、その手前に「造山古墳ビジターセンター」があるのを発見し、古墳に行くにはここで車を停めると理解しました。
駐車場から造山古墳を眺める方向に古代の戦士らしき像が立っています。西平孝史氏制作の「吉備の大王」。
氏は岡山県出身の彫刻家です。 -
ビジターセンターは決して大きな建物ではありませんが、展示内容は充実しています。ガラス越しに造山古墳を眺めながら周辺の歴史を学べる構造もよく考えられています。
古代吉備王国をテーマにした映像から秀吉の備中高松城の水攻めの資料まで、とても分かりやすく説明してあり、目の前の造山古墳に登る前に予備知識を入れられて役立ちました。 -
ビジターセンターの前から案内板に従って、民家の間の路地を古墳に向かって進んで行きます。
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古墳の上まで階段で登れるようになっています。そう、ここは人が実際に登れる数少ない古墳なんです。
元の地形を利用して場所によっては山の上に盛り土をしたり削ったりして造った古墳の大きさは全長350m、高さは後円部30m、前方部25.5m(暫定)あり全国第4位の規模です。
頂上に上がるまでに息が切れました。 -
前方後円墳の前方の上には荒神社が建っています。
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木の根元に石棺の蓋が転がっています。相当長い期間置き去りにされているようですが、造山古墳の物かどうかは確定していません。
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後円部につながる部分はコンクリートて固められ、桜の木が植えられていました。
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後円部から前方を見下ろすとこのような感じです。
この後円部には備中高松城水攻めの折に毛利方が築城した土塁の跡も残っているそうです。 -
古墳の上から来た道を見下ろすと周辺は直近まて民家に囲まれ、中央より少し右にビジターセンターと駐車場が見えています。
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古墳の横に畑地があり、わずかに横から眺めることができました。
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近づいても古墳の全体像が把握できないので、案内板の写真を撮りました。
さて、ここまで巨大な古墳に葬られた被葬者は誰なのか、未だ確定はしていません。
ただ、製鉄技術を持ち豊かで強大な古代吉備王国を支配していた王が大和政権から遣わされた吉備津彦命により滅ぼされた温羅であった、という可能性はゼロではありません。
大和政権の地方豪族平定の話が勝者によって史実を書き換えられ、時代か下るにつれて勧善懲悪の桃太郎の鬼退治の話に置き換わったとのだとしたら、御竈殿の下に眠る温羅に哀れを感じてしまいます。
軽い興味で訪れた吉備津神社と造山古墳でしたが、ビジターセンターのおかげで大変印象に残りました。
ここから車で20数分走った吉備高原の南端に「鬼ノ城」という温羅の棲んだと言われる山城があります。
今回は行きませんでしたが、いずれはこの鬼ノ城にも行ってみて、更に桃太郎伝説に思いをはせたいです。
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