2025/11/30 - 2025/12/02
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nagominさん
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湖東三山の紅葉を見たくて、晩秋の滋賀へ行ってきました。
旅の最後は安土城址です。何層にもわたる壮大な石垣、信長も登ったであろう長い石段。
観光地として十分に整備されていないからこそ、創造力を掻き立てられ、信長の強大な権力を実感しました。
「怖いものなし」だったんでしょうね。きっと。
今回の晩秋の近江路三日間は、紅葉の色づき具合が場所それぞれで風情があり、季節の移り変わりと、古寺の佇まいに心が癒される旅となりました。。
①11月30日 彦根城
②12月 1日 西明寺、金剛輪寺、百済寺
③12月 2日 永源寺、教林坊、安土城
新幹線 →米原 3日間レンタカーで巡りました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー 新幹線
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
安土城址入り口です。
教林坊の後、新幹線まで時間があったので「ついでに」寄った安土城でしたが、ところがどっこい!進むにつれ、安土城の魅力にすっかりはまってしまいました。
まずは、このまっすぐな長い石段(大手道)をひたすら登っていきます。 -
1周45~90分と案内されていますが、石段を登るのがきつくて、一周するのに90分かかりました。
-
大手道を登り切った先には、また石段。
段差がばらばらで足元も良くないので、よけいに疲れます。 -
写真には写っていませんが、ところどころに「石仏」が刻まれた石が、石段に使われていました。(写真右下に小さく表示あり)
道筋にある石仏を、築城の際、供出させたようです。
少し上に登ると、石段に使われた奈良時代の「仏足跡」の石もありました。
信長、恐るべし! -
石段の途中から下を見下ろすと、かなり急な石段だったことがわかります。
高所恐怖症の身としては、少し怖い…… -
まだまだ続きます。ところどころの紅葉に元気をもらいます。
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この石段が結構長い。登りきると、やっと黒金門跡。
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黒金門跡を過ぎて、くの字に曲がった後、いよいよか?
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と、思いきや、まだまだ続く。
この先が本丸跡だけれども、写真撮り忘れました。 -
本丸跡から、細い石段を登るとやっと天守跡へ。
ここまで来るのに、ほんと疲れました。
この長い石段を登らないと、信長に会えなかったのね。 -
安土城の天守は、完成してからわずか3年後の天正10年(1582年)に焼失。
その後、瓦礫と草木の下に埋もれ、昭和15年(1940年)に初めて調査が入ったそうです。350年以上 土に埋もれていたことになります。 -
天守は地上6階、地下1階(高さ約33m)だったそうです。ここは、地下1階の跡。
近くの「安土城天主 信長の館」や「県立安土城考古博物館」を見学すると、CGやジオラマで再現されているそうです。
(時間がなく、行けませんでしたが…) -
天守跡下では、滋賀県の担当課の方々が発掘調査をしていました。
来年は、築城450周年になるそうで、そのイベントに向けてさらなる調査を進めているようです。 -
帰り道。下り坂なので、余裕をもって周りの紅葉を楽しめます。
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この石段は二の丸へ続く階段。
午後の日差しに輝く紅葉と400年以上前の石垣のコラボレーション。 -
何気なく撮った写真ですが、ハートの形に見えなくもない。
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二の丸の先には、秀吉が信長の遺品を埋葬した「信長公本廟」があります。
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帰り道は、信長が建立した「摠見寺跡」を通るルートを下ります。
本堂跡には見事な銀杏の木。 -
本堂跡。
本堂は安土城焼失の時は焼け残ったそうですが、江戸時代末期1854年に火災で焼けてしまい、今は礎石が残っているだけです。 -
本堂跡からは、遠く「西の湖」と山並みが見えます。
山の名前は、残念ながらわかりません。 -
絶景でした。
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本堂跡の脇には三重塔。重要文化財。
室町時代の建物で、信長が移築したそうです。 -
修理等の手が届いていないようで、傷んでいそうなところが目に入ります。
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三重塔を後に、仁王門に向かって古い石段を下っていきます。
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この石段が急でかなり怖い。手すりもないし。
慎重に下りていきます。 -
後ろを振り返ると、こんな感じ。
石段も昔のままのよう。 -
立派な仁王門。重要文化財。
1571年(戦国時代)建立。中の金剛力士像は1467年(室町時代)。信長が移築したそうです。 -
仁王門の先も、古い石段。
観光客の姿もまばらでしたが、かえって往時がしのばれます。 -
帰り道の最後は、秀吉の館跡に出てきました。
大手道をはさんで、左側に秀吉の館、右側に前田利家の館があっとそうです。
ここは厩(馬を飼うところ)跡。
館は、石垣の上にあったそうです。 -
厩からの石垣の高さはこんな感じ。
秀吉の屋敷でさえこの規模だから、信長の本丸、二の丸等は広大な面積だったのでしょうね。 -
「ついでに」寄った安土城でしたが、城好きな私にとって新鮮な驚きでいっぱいの場所でした。来てよかった!!
まだまだ発掘されていない場所があるので、今後の発見も楽しみです。
(興味がないと、石段の登りはきついし、建物は何も残っていないし、つまらない場所かもしれません。)
ということで、とても満足した、晩秋の近江滋賀の旅でした。
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