2025/12/01 - 2025/12/03
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ハイペリオンさん
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鯨肉を買うために南紀へ出かけた。
どうせ行くなら今まで行く機会が
なかった名所も行くことにした。
初日は熊野古道をちょこっと歩く
ことにした。
それにしても南紀は外国人旅行者、
特に中華系旅行者だらけだった。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- 楽天トラベル
-
始発の和歌山行きに乗り、和歌山
から紀勢本線で紀伊田辺駅までや
ってきた。
ここからバスで本宮大社まで2時
間のバス旅である。ICカード
は使えず、現金のみ。
新宮行きのバスは席がほとんど
埋まっていたが、外国人だらけ
だった。
人口の少ない田舎町だが、なぜ
かここから北公次(フォーリー
ブス)、天童よしみ、坂本冬美
らが出ている。
坂本冬美は生鮮品加工場で働い
ていたらしい。
天童よしみは、1960年代、
関西で素人の子どもが出るの
ど自慢大会の常連だった。
よく大会で一緒になった上沼
恵美子は優勝はいつも天童よ
しみだったと語っている。
「悔しくて首絞めたろかと思
ったけど、よしみちゃんには
首がなかった」というオチを
つけている。 -
新宮行きのバスに乗り、本宮大社で
降りた。
なかなかの山間部で、和歌山にも熊
がいるはずだが、バス停の案内の男
性に尋ねると「出たという話はまれ
に聞くが、テレビのニュースに出る
ようなことはない」ということだった。
あんまり怖がることでもないか。
確かにクマが出ているのは東北地方
がほとんどで、西日本ではまず聞か
ない。
西日本はクマの個体数の把握をずっ
と行い、増えてくれば駆除をしてい
たが、東北地方ではほったらかしだ
ったらしい。
東北地方のクマ被害は、クマの管理
をやってこなかったことによると言
える。 -
古ぼけた鳥居の先が、熊野本宮大社
である。 -
しかし本殿に行くまでにはけっこうき
つい石段を上らねばならない。 -
手水舎には熊野大社のシンボル(?)
八咫烏(やたがらす)の置物。
三本足のカラスである。
神武東征の際、熊野に上陸した神武
天皇を大和の橿原まで案内したとい
う伝説のカラスである。 -
ちなみに日本サッカー協会のエンブレ
ムにはこの八咫烏が描かれており、オ
リンピックやワールドカップの前には
JFAの関係者が必勝祈願にお参りに
来る。 -
熊野大社の今年の一文字。
昨年12月に宮司が書いたもので、
「人が人を思う優しさが世界平和に
つながる」という思いを込めたとい
うことだそうだ。
なお、来年の一文字は「笑」だった。 -
この神門の向こうに本殿がある。
本殿は写真撮影は許可されているが、
SNSには載せないようにとのこと
なので、ここまで。
本殿は若宮、証誠殿、結宮の三つの
大きな木造建築物で構成されていた。 -
本殿の外からぐるっと裏へ回ると、
朱塗りの鳥居があった。 -
ここからが熊野古道の始まりである。
山の中、奥へ奥へと細い道が続いていく。 -
こうして石が敷き詰められている場所も
あるが、ほとんどが木を切り倒して、少
し均した程度の道である。
見ての通り石の大きさがまちまちだし、
石を平らに削ったりしていないので、
とても歩きにくかった。 -
世界遺産に登録されているので、意外と
人は多い。しかし、9割が外国人だった。
その中でも中華系がほぼ9割。聞こえて
来る中国語から、おそらく台湾人か東南
アジアの華人だろう。 -
熊野古道とは熊野三山と呼ばれる熊野本宮
大社、那智大社、速玉大社への巡礼のため
の道のことである。
平安朝あたりから皇族、貴族、一般庶民まで、
幅広い階層の人たちがここを通って熊野詣
に通った。 -
熊野古道は熊野三山へ向かう3つのルー
トをいう。
今朝、本宮大社へ向かうために紀伊田辺
駅からのバスはちょうど中辺路(なかへ
ち)というルートを通って来た。
今ぼくが歩いているのは高野山とつな
がっている小辺路というルートである。
もうひとつは田辺から串本と沿岸部を
ぐるりとめぐる道で、大辺路という。 -
所々にこのような祠の跡がある。
これらにはすべて「××王子」と
言う名前が付けられており、淀川
沿いにある摂津王子から始まり、
合計99もある。
総称して九十九王子という。
なぜ王子という名がつけられたの
かはよくわからないが、熊野権現
の子どもという扱いからつけられ
たようだ。
熊野詣でが盛んだった11世紀から
13世紀の間に造られたが、訪れる
人が少なくなると、このように顧
みられずに放置されていった。 -
熊野枋宮大社の石段にも「熊野大権
現」というのぼりが立っていたが、
権現さまは当然仏教である。
つまり、熊野は神仏一体ということ
である。 -
途中には祠だけでなく、このような
石仏もたくさんあった。
古道を逸れて展望台に向かった。
途中、緑のジャージを着た中学生の
女の子の一団とすれ違った。
みんなぼくに「こんにちは~」とあ
いさつしてくれる。
思わず口元が緩んでしまった。 -
見晴らしの素晴らしいところに出ると、
熊野の山々が見えた。
やっぱり和歌山って山だらけの県だな
と実感させられる。 -
外国人も皆写真を撮っていた。
-
ここから熊野川のそばにある大斎原
(おおゆのはら)の大鳥居が見えた。
ということで熊野古道歩きは早々に
切り上げ、下に降りて大斎原に行く
ことにする。
大して歩いていないが、山道だから
けっこう疲れた。
平安時代の人たちは満足な履物もな
いのに何日も歩いて本宮大社にお参
り行ったのだからすごいものだ。 -
大鳥居は間近で見るとやっぱりでかい。
-
本宮大社はこの鳥居の奥にあったのだが、
明治時代に熊野川が氾濫した時に流され
てしまい、現在の場所に再建された。 -
本宮大社を見て、熊野古道をちょこっとだ
け歩いて、とりあえず目的は達したので、
バスに乗って新宮駅まで行った。 -
駅前に中華建築物があり、「徐福公園」と
書かれていた。
徐福は中国秦の時代の人物で、始皇帝に不
老長寿の神仙薬が海の向こうにありまする
といったところ「じゃあ探して持って来い」
と言われ、3000人の子どもと技術者らとと
もに東方の海へ航海に出た人物である。 -
内部は公園になっていて、徐福の墓もあ
った。
公園を造るにあたって寄付を募ったよう
で、在日華僑の名前もあった。 -
徐福の石像。
徐福は結局中国には戻らず、共に航海を
した者たちも戻らなかったようだが、ど
こにたどり着いたのかはわかっていない。
ただ、徐福伝説は中国や朝鮮半島、日本
各地にあり、航海の途中で散り散りにな
り日本各地に漂着したとしても不思議は
ない。 -
新宮駅から今日の宿がある紀伊勝
浦駅まで向かう。もうすでに17時
になっていた。
電車に乗っていたら宿の主人から
「何時に着くの?」と電話があった。
チェックイン予定を15時にしてい
たから、心配になったようだ。 -
紀伊勝浦の駅に着いたらもう完全に
日は暮れていた。
駅の北側は本当に何もない住宅地だ
った。 -
こちらが今日の宿、民宿はげやま。
なんちゅう名前や。
足腰が弱って歩行器に頼っている
高齢男性が迎えてくれた。
一応食堂もやっているようだが、
予約時に言えば出すだけだそうだ。
歩行器を使ってるような状態だか
ら、料理するのも大変だろう。 -
部屋はほとんどちょんの間。
風呂は駅前のホテルの大浴場が
500円で使えると教えてくれた。 -
風呂を出て、駅前のレストラン兼
居酒屋で夕食。
英語をしゃべる中華系観光客がいた。 -
ビールと揚げ物を食い、〆は熊野牛の
焼き肉丼。
宿は古い建物だから断熱がちゃんとし
ていないのか、部屋が寒く、暖房をつ
けた。
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