2025/10/11 - 2025/10/11
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この旅行記のスケジュール
2025/10/11
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中山道高宮宿
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滋ぃ家
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十八日目。
時々日が射す曇天の中、午後1時20分に長浜駅を出発。北国街道に入り、安藤家住宅や旅籠白忠を見ながら長浜宿を抜け、高さ1m50cmしかない北陸本線のガードをくぐり、さざなみ街道へ。長浜びわこ大仏に拝礼した後、天野川を越えて朝妻湊跡で小休止。
体操し、給水した後、再びさざなみ街道に戻り、烏帽子岩を眺めて矢倉川を越え、千々の松原を進み、彦根港を左折し松原橋からかつての松原湊を見た後、金亀公園に入り、井伊直弼生誕の地に立ち寄り、黒門橋から彦根城に入城。井戸曲輪を経て天守へ。着見台から琵琶湖と彦根の街を一望して、坂を下り、本丸につながる廊下橋、内堀に架かる大手門橋、外堀に架かる京橋を渡って夢京橋キャッスルロードに入り、彦根銀座商店街、花しょうぶ通りを経て芹川沿いの道を進み、多賀大社に到着。拝礼後、多賀やさんで糸切餅を購入。給水して出発。多賀大社一の鳥居をくぐり左折して中山道に入り、高宮宿を経て無賃橋を渡り、法士一里塚、旅人の像、松並木を経て豊郷くれなゐ園に到着。今日はここで止まることとする。本日の走行距離、七里八町也。
くれなゐ園のベンチで着替えた後、5分ほど歩いて「滋ぃ家」さんを訪問。生ビールとレモンサワーをいただきながら近江牛を堪能した後、締めにそばを追加注文して十八日目を締めくくったのでした。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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長浜駅
ノーベル生理学・医学賞の受賞が決まった長浜市出身の坂口志文先生を祝う横断幕が張られています。長浜駅 駅
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秀吉公と石田三成公 出逢いの像
案内板には「三献の茶」の逸話が紹介されていますが、この案内板では鷹狩の途中に立ち寄ったのは木之本の法華寺となっており、※で「観音寺(米原市)という説もあります」と紹介する形となっています。観音寺が出逢いの場だと思っていたので以外な感じがしますが、そもそもこのお話は後世の創作という説もあるようです。秀吉 三成 出逢いの像 名所・史跡
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北国街道安藤家屋敷
秀吉がこの地を城下町として開いた時、町の中から代表10人を決め、町の自治を委ねました。安藤家はその一人だったのだそうです。本陣ではなさそうです。
長浜駅から近い安藤家あたりの北国街道は観光客と思しき方々で結構賑わっていました。北国街道安藤家 名所・史跡
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北国街道長浜宿旅籠白忠
徳川の御代は、油問屋「白忠」の店舗と住宅が一体となった町屋だったという旅籠白忠。近江でよく見られる間口が狭く奥行きが長い、典型的な「鰻の寝床」となっているのだそうです。旅籠 白忠 宿・ホテル
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長浜びわこ大仏
昭和12年(1937年)、この場所にコンクリート製の「護国阿弥陀如来」が建立されました。しかし、コンクリートの剥離等腐食が甚だしくなったため解体され、平成6年(1994年)青銅製、高さ28メートルの「長浜びわこ大仏」として再建されたのだそうです。長浜びわ湖大仏 名所・史跡
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朝妻湊趾
朝妻湊は奈良時代から湖上交通の要衝地として利用され、木曽義仲や織田信長の軍が都に向って船出したのもこの湊からでした。しかし、徳川の御代に入り、米原に湊が開設されたことに伴い廃止になったのだそうです。廃港から400年経った今も湊の雰囲気が残っています。朝妻湊跡 名所・史跡
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さざなみ街道から見た朝妻湊
砂洲が沖に伸びる天然の良港の雰囲気があります。古代中世の皆さんがここを湊として利用していた理由が分かる気がします。 -
入江橋先から見た琵琶湖
これをある海岸の風景と説明しても疑う人はいないですよね。 -
彦根八景千々(ちぢ)の松原
彦根市が市民に募集し選定されたという「彦根八景」の一つ、千々の松原。水泳場の湖岸の砂浜に続く松原は、松原内湖があった当時は3里も続いていたのだそうです。 -
松原湊跡
今も船が係留され湊の雰囲気が残っています。かつては松原橋の門から彦根城の城内までは4回も直角に曲がらないと入城できないほど堅固な造りだったのだそうです。 -
井伊直弼生誕の地
井伊直弼が生まれる100年以上前の延宝年間(17世紀末)に築造されたという槻(ケヤキ)御殿は第12代藩主井伊直亮が文化年間(19世紀初頭)に楽々之間を増築して以来「楽々園」の名の方が有名になっています。 -
彦根城天守閣
明治の廃城令、昭和の空襲を逃れた彦根城。天守のほか、附櫓(つけやぐら)と多聞櫓(たもんやぐら)が国宝に指定されているほか、他の櫓や門も国の重要文化財に指定されています。天守の奥には琵琶湖の湖面が光っています。彦根城 名所・史跡
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彦根城廊下橋
いざというときには橋を落とし、敵の侵入を防御していたという廊下橋。かつては屋根があったのだそうです。 -
夢京橋キャッスルロード
かつての中心街も一時期廃れてしまっていたようですが、平成に入り江戸期の建物・風情を再現した町並みにすることが計画され、平成11年(1999年)に完成したのだそうです。多くの観光客で賑わっていました。夢京橋キャッスルロード 名所・史跡
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多賀大社
「延命長寿・縁結び・厄除け」の神様が鎮座し、年間約170万人が参拝するという多賀大社。「お多賀さん」の名で親しまれています。多賀大社 寺・神社・教会
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大社前にある左が「大津屋」さんで右が「多賀や」さん
「大津屋」さんの生原酒「お多賀さん」飲みたかったですが、ここは我慢してお隣の「多賀や」さんで糸切り餅を購入。糸切餅総本家 多賀や グルメ・レストラン
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糸切餅
皮であるお餅は甘めで餡子は甘さ控えめ。絶妙なバランスで、もう一度食べてみたいと思える味でした。 -
多賀大社一の鳥居
寛永12年(1635年)に建立されたという鳥居。多賀町四手の山中から切り出された花崗岩で築かれているのだそうです。ここで中山道と合流します。 -
中山道高宮宿本陣跡
高宮宿は多賀大社の門前町だったこともあり中山道第二の大きさを誇る大宿だったのだそうです。本陣は建坪で123坪あったそうですが現在は残っておらず、かろうじて写真の表門のみが残っています。 -
無賃橋
犬上川が増水時の「川止め」で川を渡れなくなるのを解消するため、天保初期(1830年代)に彦根藩がこの地の豪商に命じて橋を架けさせたものの、橋の渡り賃を取らなかったことからいつしか「むちんはし」と呼ばれるようになったのだそうです。写真は昭和7年(1932年)に架けられた鉄筋コンクリート製の無賃橋。現役です。 -
中山道法士一里塚跡
2年前にここを通った時にも石碑は折れていましたので、修復していないのかなと2年前の写真と見比べると石碑の位置と折れ方が違っていました。ということは、再建したのにまた折られたということかもしれません。もしそうだとしたら本当に残念です。 -
旅人の像から見た中山道松並木
手前から近江商人、旅人、麻原料を背負う女性なのだそうです。彦根市の東西の入口にあり、東の像は鳥居本宿の近くにあります。 -
滋ぃ家
豊郷駅から徒歩10分、住宅街の裏路地を入った中にポツンとお店があります。見た目は普通のお宅です。完全予約制のお店だからこういう場所で営業できるんでしょうね。 -
いぬかみセットのメインのお肉
一度カウンターでお肉を見せてくれた後、大将が焼いてくれます。大将は地元の方で京都でお店をやっていたのだそうですが、去年地元である豊郷に帰ってきてお店を始めたのだそうです。肉選びには自信があると言う大将。お肉は柔らかいだけでなく絶妙にサシが入っていて、このサシの脂がほんのり甘く、本当に美味しかったです。 -
近江鉄道豊郷駅
駅舎は夜8時を過ぎているためか閉まっており、駅舎横の出入り口からホームに入ります。乗車は私一人、降車も一人。出発時、車内は私を含めて二人しかいませんでした。豊郷駅 駅
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