2025/09/20 - 2025/09/20
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sallyさん
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新潟市は恐らく・・初めて行くような気がする。
土曜の午後、仕事がらみで新潟に用事ができた。
“それなら午前中に新潟に入って観光をしてみたいなぁ“とネットで見ていたら、発見(!)
街歩き2時間ガイドツアー。“これは参加してみなきゃ“
遠路250㎞から新潟市に入ったのは9時半、10時開始のツアーに滑り込みました。
- 旅行の満足度
- 5.0
-
土曜日9:30頃
新潟中央インターチェンジをでて、信濃川を渡ります -
新潟市内
あ、“古町“ 。泊まるホテルはこの近くにしました -
Next21 というビル。
新潟シティガイドが催行する“まち歩きツアー“は、このロビーに10:00集合なのです。 -
吹き抜けロビーで、10:00を待つ。
ガイドさんはどんな人かしらん。
ワンコイン500円で2時間のツアー、お得でびっくりだけどどんなだろう。 -
10:00ツアーは、私たち2人のみ。
ツアーガイドさんは女性で、私たちよりちょっと上かなぁ、な方でした。
定刻出発。 -
西堀通のアーケードを抜けていきます。
-
新潟市のこのへん、川に並行するように東堀通、西堀通、、とある。
読んで字の如く。この通りは、昔、掘りだった。つまり運河ですね、とのこと。 -
この日お天気は不安定で、晴れたり、降ったり。
アーケードは有難い。
かつ、アーケードではビールフェスタやってて、美味しそうなお店がでていた。 -
新堀というあたりに出てくると、そのさき北側は「古町花街」
芸妓(げいこ)さんがいる花街(はなまち)と理解していたが、
それはそうなんだけど、新潟では、芸妓(げいぎ)さんがいる
花街(かがい)だそう。
同じ漢字だけど、読み方違うのね。 -
このあたりは料理屋が多く、お酒は当然美味しいし、となると、芸妓さんも沢山いて「置き屋」というのと「お茶屋」と呼ばれる芸妓と遊ぶ店があったそう。
北海道へ船で行き来する“北前船“で美味しいものが沢山集まる新潟市は、“料理で始まり、芸妓で終わる“みたいに言われていたそう。 -
“新潟市の中心部は、戦災や自然災害による被害が限定的だったため 戦前の建物が多く残って“います、と書いてある。
そう、この後、かなり古い建物を楽しむことになります。 -
“鍋茶屋通り“の路地。
細い通りに、料亭、芸妓の置き屋さん、お茶屋さんがひしめいていた。 -
木造の建物、これが重要文化財になっている「鍋茶屋(なべちゃや)」さん。
政治家が集まるような料亭 -
足元「鍋茶屋通り」
-
鍋茶屋さんの大広間。
古い建物だけれど、天井が高いのね~ -
鍋茶屋さんでは、確か、すっぽんを出す、とか。
それで、裏戸に、亀甲(かめの甲羅)を模したデザインなんだとか。 -
建物の間の細い路地。
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夜はこんな雰囲気ある街並み。
(この日の夜、このへんで飲んだ) -
芸妓さんのポスターがあるのも、他ではあんまり見ない。
踊りも“をどり“と書くんだね。
今は少なくなったけど、“新潟市の芸妓さん文化を途絶えさせてはならん“と、株式会社設立して、県外からリクルートして今でも存続するんだそうです。 -
2階部分がちょっと張り出している。
そして、出っ張り部分を支えるこの立体的な造りは・・・?
大工さんの腕の自慢どころなのか、機能美でこうなのかは不明。 -
「かき正」さんも有名料亭だそうです。
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ここは夜が雰囲気あるのだ、
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(「かき正」さんの夜の写真)
入り口の上に「ふぐ」が、ぶら下がっている。
フグを食べさせる店なのだ。 -
玄関脇に小さな庭を置くのも、ここらへんならではらしい。
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軒が、竹材ですね。
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外壁のデザインだって、風通し窓なのだ。
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古町を抜けて左に曲がると「イタリア軒」
ここは、昔イタリア人のシェフが、ケガか何かして新潟に逗留したときに、当時の新潟の偉い政界人(だったか?)が西洋料理が食べたいとのことで囲って(?)イタリア料理をつくらせたのが、レストランホテルの始まりだったとか。
高級な価格でそう簡単には泊まれないホテル(見た目それほどでもないが、中は高級なんだろうな) -
住宅の向こうに、ツアー開始場所の「ネクスト21」のビルが見える。
そして、天気は曇り。
曇り→雨→晴れ→また雨、、ガイドさんによれば「私は新潟に来て何年ですが
ここのお天気は信用してません(笑)」とのこと。
海沿いだからか、天気がコロコロ変わります。 -
古町→イタリア軒→ と西側に移ってくると、道路が広くなってくる。
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この建物の壁、これは昔の刑務所の壁だそうだ。
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このレンガの門は、その当時の刑務所の門を再現したもの。
そしてこの通りは「地獄極楽通り」。
この南側は、大きなお屋敷が続く。 -
そして、このあたりは実は、砂丘、なんだそうだ。
なんと新潟市の海岸線70キロメートルは全部砂地で、こうした大きな建物、マンション、いろんな建物の土台は全て“砂“という。
「どおりで、このへんのお宅に地植えの花がないなぁ、と思ったのです」 -
砂地とはいえ、緑豊かな「行形亭(ゆきなりてい)」
ここはお庭を楽しみながら食事ができる処です。
でも、ほら、やっぱりお花がないでしょう?
松林です。 -
この通りは大きなお屋敷が続く。
こちらが 新潟5大財閥と言われた齋藤家の元別邸。
公開されています。(翌日行った) -
こんな景色が見られる座敷、茶室、窓から見える景色に変化を与えるよう工夫された庭。(翌日の写真)
「旧齋藤別邸」は観たほうがいい観光名所でした。
なお、このへんで、我々は、長野から来たという愉快な酔っ払い(言葉選ばず)の夫婦と出逢う。 -
坂口安吾は、新潟出身の方だった。そして、ここは彼の実家である(神社)。
坂口安吾という人は、どうしようもない放蕩息子だったようだが、そういう人って魅力的でもあったようで、ディープなファンが今に至るまでいるそうです。
ある時ガイドさんの知り合いが 坂口安吾を語る会に出たら、ファン同士が熱くなって殴り合いに・・そういうタイプの文芸のヒトだった、という話。 -
我々がそんな話で大笑いしていたら、あれ、また、先ほどの長野のご夫婦。
うん?片手に持ったビニール袋に入っているのは、酎ハイの空き缶。
結構な数。
そんなに飲んだら酔っ払うよ。しかも、ここ神社だけどな、まだ飲んでるなぁ、強いなぁ。“陽気“で済む程度の酔っ払い具合に驚いた。
私の知っている「長野」人はおとなしい人達。長野のイメージ変わった、かも。 -
ガイドツアーの最後の頃。
カトリック新潟教会
「どこから撮ってもうまく撮れる」なるほどね。
新潟は早くから異文化が入ってきていたんだね。異人街、異人池なんて地名が残っている。 -
そして、空き地は砂地。
これだ。。。。
すごい。砂丘というのはこういうことなんだ。
楽しいガイドツアーだった。ガイドさんがアタリで、ガイドと客という感じでなく、おしゃべりしながら、知ってることを教えてもらう、聞きたいこと遠慮なく聞く見たいな気楽な時間だった。また新潟に行くことがあったら彼女にガイドを頼みたいというくらいファンになってしまった。
12時にツアー終了。ネクスト21で解散しました。
午後は仕事の用事で移動、夜、友人と再会し飲みに行きました。
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