2025/09/18 - 2025/09/18
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ゆーちさん
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9月18日金曜日
二日目後半はノサップ岬からの帰り道、根室半島の南(太平洋)側をドライブ。コンブ漁を生業とする漁村の様子に触れたあと、
根室市歴史と自然の博物館 学芸員より解説を受ける
花咲灯台 数奇な自然のなせる技「車石」
日本最東端の道の駅「スワン44ねむろ」に立ち寄る
「根室市歴史と自然の資料館」ではコンパクトに、しかしディープな歴史に触れる。近くの花咲灯台で「車石」という自然の強力な柱状節理の曲がりを目の当たりにした。
根室半島の付け根にある「道の駅スワン44ねむろ」は、北海道最東端の道の駅だった。風連湖を見渡せるレストランもありご当地土産も充実していた。
歴史のハイライトは旧奥行臼駅逓所と旧奥行臼駅。道東には田んぼが無い。お米が育たないのだ。その代わりに牧草地がどこまでも広がる。牛の数が人口をはるかに上回る。酪農家の歴史は新鮮な牛乳の流通網として馬車鉄道というユニークな交通機関を利用したことに始まっていた。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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根室市歴史と自然の資料館。煉瓦作りの建物は戦時中に大湊海軍通信隊根室分遺所として建てられ、戦後は花咲小学校として利用され、平成元年に郷土資料館として大規模に改修された。
根室市歴史と自然の資料館 美術館・博物館
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資料館の向かい側の建物には小学校の雰囲気がのこる。建物自体が市内に現存する煉瓦造りの歴史的建造物として貴重だそうである。
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中に入ると真っ先に目に入ったのが、リンドバーグ夫妻の飛行機が根室に飛来した時の様子を展示したものだった。
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資料館の内部
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ロシアからの使節<ラクスマン>の資料
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1792年ロシア初の遣日使節、アダム・ラクスマンが大黒屋光太夫ら漂流民と共に来航し、根室に8ヶ月ほど滞在した。彼は日本人漂流者の送還と通商を申し入れ、回答を待つ間日本人と交流し、1793年漂流民を引き渡し帰国した。このことは松平定信の時代、幕府に警戒心をいだかせ、それは明治まで続く。
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根室の地層。津波堆積物の剥ぎ取り展示。基盤は後期白亜系根室層群(約7500万年前)の海成層で、イノセラムス等の大型化石が多い。この層の中は日本列島でも珍しいアルカリ粗粒玄武岩の噴出や貫入も知られている。
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根室で捕鯨が盛んだった頃の資料。
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根室のチャシ跡群についての画像案内がわかりやすかった。
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根室のチャシ跡は「クナシリ・メナシの戦い」との関連についても注目され、道内のチャシ跡では末期のものとされている。歴史・考古学上は擦文文化期に続く文化期に位置しているが不明な点が多くチャシ跡はその鍵を握る重要な遺跡とされている。
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半島で生息するアザラシやラッコのはく製がかわいらしく並ぶ。ある写真家によると、アザラシは流氷の上で生まれる。流氷の裏側にはアイスアルジーという植物プランクトンー動物プランクトン(オキアミ)ー小魚ーミンククジラやハシボソミズナギドリ、、、の好循環が生まれるそうだ。
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ラッコの剥製を眺めていると、学芸員の方がその毛皮を触らせてくれた。驚いたことに、ラッコの毛皮はふんわりなめらかでまるでミンクの肌触りだった。
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北海道と北方四島の魚群。ラッコは主に根室半島の太平洋側に生息する。
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海流と流氷が運ぶものとは?ロシアのアムール川から流氷が流れてくる。南からの 親潮という暖流とぶつかり栄養豊富な海水に恵まれ様々な海の生物の楽園となるのだ。
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大日本物産図絵「アリュートのラッコ猟」三代目歌川広重(安藤徳兵衛)画。
海獣の皮で作った舟(バイダルカ)に乗り海に浮かぶラッコに銛(モリ)を構えている様子を描いたもの。1873(明治6)~1884(明治11)年に北海道開拓使は官営事業としてラッコ猟を行っていた。アリュートとはロシアの国策会社である露米会社により19世紀半ばにアリューシャン列島から千島列島に植民された民族。 -
樺太日露国境標石 とはサハリンの国境(北緯50度線)にあった標石。日本の国境標石は、1906(明治39)年、日露戦争後のポーツマス条約に基づき設置された。歴史的にこの樺太にしか設置された事がない。その一部がここに展示されているということだった。
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旧カラフト(サハリン)の日露国境を標す石は天測境界標と呼ばれた。全部で4基あり、第1号と第3号はユジノサハリンスクのサハリン州郷土博物館に保存されている。第4号はサハリン州在住のロシア人男性が所有し、そのレプリカが1926(昭和元)年に樺太庁より明治神宮聖徳記念絵画館に寄贈されている。
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これが日本国内に唯一現存する第2号標石で大日本帝国の国境標石だ。この石は日本から運び現地で日本人石工が図案や文字を彫り設置したという。写真は裏側でロシア語で標示されている(上の文字はロシア、下の文字は国境の意味)のでロシア側に向けられる。
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樺太日露第二天測境界線。第二次世界大戦後、日本はサンフランシスコ条約により、南樺太の領有を放棄し全島がソ連領となった。現在はロシア連邦サハリン州に属している。
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根室市で収集されたアイヌ民具、行器などの漆器。根室市街地で開業した商屋の土蔵にあった。奥に見えているのはアットゥシと呼ばれる樹皮を使った衣。明治20年にホロモシリアイヌの人に労働着として作ってもらったが、あまりに出来が良かったのでほとんど使われずに保存されていたという。2007年に指定文化財となっている。
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この形の貯炭式ストーブは私の幼少の頃あったことを覚えている。右にあるのは引錨(ひかり)といって昆布を採る道具、船から降ろして昆布を引き上げる。
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遺跡から見る根室の歴史と題しての展示。平成13年に穂香竪穴軍発掘調査により出土した動物意匠付土器は縄文時代後期のものと推定され、道東地域では最も古いものと位置づけられている。
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日本遺産になった色々な遺跡
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根室の日本遺産。根室半島の北側にはチャシと呼ばれるアイヌの砦跡が多い。そのほとんどは海抜5~50mの海岸断崖上の台地の平坦部にあり、壕を巡らせている。北海道に500ヵ所ほど確認されている中で根室市内には32ヵ所と分布の密度が濃く、保存状態も良いことで有名。この後花咲灯台にある車石をぜひ見ていって欲しいと言われ、早速向かう。
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花咲灯台遠望
花咲灯台 名所・史跡
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フウロソウ
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ミヤマアキノキリンソウ
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ママハハコかノコギリ草
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ツリガネソウ
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花咲灯台と車石の看板を見て下っていく。
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かなり下まで降りて行き車石の全貌を写真におさめる。
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見たこともない放射状の円形球体に並んだ柱状節理。国の天然記念物に指定されている。海底に堆積した泥の中にドレライトマグマが流入し、広い岩床を作りながら急速冷却を受ける過程で形成される枕状溶岩がさらに冷却され、内部に放射状柱状節理を生じ、それを輪切りにすると車輪上構造となっていることから「車石」と呼ばれている。石はアルカリ粗粒玄武岩というそうだ。
根室車石(ホイールストーン) 自然・景勝地
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根室十景 根室車石の地質学的説明
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そばの岩壁には波がどんどん岩にぶつかっては引いていった。
花咲灯台 名所・史跡
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花咲灯台の高台からの景色。花咲漁港は15年連続で秋刀魚の水揚げ量が全国一なのである。しかし8月から12月、秋刀魚の群れを乗せてくる親潮が日本側に近づくかどうかにより漁獲量が違ってくるという。
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落石海岸遠望
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海までの湿原。千島列島から流れてくる親潮にはプランクトンが多く含まれているという。
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根室市の手作りマップ。根室港に浮かぶ弁天島には6~9世紀のオホーツク文化の集落跡があり、江戸時代以降は外国船や海産物がここから積み出され全国、世界とつながっていた。高田屋嘉平は北前船でサケマス等を本州へ運んだ。
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ようやく根室市街に戻って来た。再び根室駅から北へと車を走らせる
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マルシェdeキッチンというスーパーで各自ランチをとる。
マルシェデキッチン スーパー・コンビニ・量販店
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次は道の駅「スワン44ねむろ」に向かう。途中の風蓮湖
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北海道最東端の道の駅「スワン44ねむろ」に着いた。
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入り口。ちょっと一息ついていこう。
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2階のロビーからの景色は抜群。向こうに見えているのは風連湖。
道の駅 スワン44ねむろ 道の駅
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道の駅「スワン44ねむろ」には根室の水産加工品なども豊富でお土産が充実していた。ここで買ったおしゃぶり昆布は夫の酒の肴に大人気だった。
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風蓮湖。周囲96kmの海水と淡水からなる汽水湖。国内で観察される野鳥の内、半数以上の330種類を見ることができるそう。野鳥の楽園なのだ。
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道の駅を出発し北海道内でも珍しい「旧奥行臼駅逓所」を訪ねる。
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旧奥行臼駅逓所は北海道に現存する数少ない駅逓所。明治43年。内陸へ入植者を招く原動力として、駅逓や鉄道など新たな「道」が拓かれた。
史跡 旧奥行臼駅逓所 美術館・博物館
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ガイドを依頼していた学芸員の方がスライドを用意して迎えてくれた。
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奥行臼地区は時代の異なる3つの交通遺産が集中する観光スポット。道東の開拓と産業を支えたこの駅逓所は根室と別海の海岸部・内陸部を結ぶ交通の要衝として重要な役割を果たした。
史跡 旧奥行臼駅逓所 美術館・博物館
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2階への階段は急で足元がギシギシ音がした。
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駅逓所の2階の客間にあったランプが洒落ていた。建物や調度品類はほぼ昔と変わらない形で残り、当時の様子を現代に伝えている。
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牛乳を馬鉄(馬車がレールを走る馬車鉄道という交通機関)の背に乗せる時に使う「駄倉(ダクラ)」という。
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バルーンフレーム工法。北大の第二農場のモデルバーンや時計台と同じ屋根の構造。
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奥の二枚はランプの煙で長い間燻された襖の柄を職人が再現したもの。わざと手を加えずに一枚だけ煤けたものを手前にそのまま残し比較しやすくしていた。
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別海町奥行臼駅逓所と周辺の地図
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旧別海村営軌道風蓮線奥行臼停留所
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旧別海村営軌道風蓮線奥行臼停留所に残されている車両と転車台
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線路・転車台・旧別海村営軌道風蓮線奥行臼停留所等も一体で保存され、往時の雰囲気が感じられた。最後部はミルクを載せて運ぶ専用の貨車。
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旧別海村営軌道風蓮線停留所から奥行臼駅の方を見たところ。
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奥行臼駅の内部
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当時のまま普通列車の料金表も残っていた。札幌まで3600円だった。
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駅の内部にも駅周辺の模型があり、そのまま保存されている。これらは根釧台地の内陸で持続可能な産業の確立を目指し、海から大地へと展開した先人たちの内陸の「道」の歴史を今に伝えている。
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旧国鉄標津線奥行臼駅 この辺りの牛乳の運搬をメインに活躍した駅は、そのまま残されていた。
奥行臼駅跡 名所・史跡
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駅舎側の線路。別海方面へ伸びている。
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奥行臼から浜中町へ伸びる線路。この線路は馬鉄ではなく機関車用の鉄道。この線路跡はフットパスコースとしても利用されているそうだ。
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最後に訪問した標津市の「別海町郷土資料館」。能登の加賀地方から移住し根釧台地を開拓した人たちの生活の様子を資料、ジオラマ、パネルで紹介している。
別海町郷土資料館 美術館・博物館
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ヒグマや狸、キツネ、島フクロウ、オオワシなどの剥製。
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オットセイとエトピリカ。エトピリカは根室市の鳥とされている。
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加賀家文書館は書籍(古門書)や民具が大切にガラスケース越しに所狭しと並んでいた。「徳川幕府撰正保御国絵図」 徳川幕府に使われた地図だそう。加賀家文書館にはアイヌ語の通訳として幕末に野付半島などで活躍した加賀伝蔵や、その子孫が残した資料が展示されている。
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加賀家文書館の前で学芸員の方と。ここでは別海町の江戸時代の様子を知ることができた。
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植物や鳥類の資料もラミネート加工がしてあって自由に持ち帰ることができた。
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この日は「川畑」という標津駅に近い温泉旅館に泊まる。
露天風呂と牛乳が最高 by ゆーちさん標津川温泉 ぷるけの館 ホテル川畑 宿・ホテル
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川畑旅館のロビー。ここで飲んだ別海牛乳の味はクリーミーかつコクがあり忘れがたい味だった。
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「ぷるけ」というのはアイヌ語で温泉という意味だそう。露天風呂が心地良かった。明日はいよいよ帰る日だが、皆の意見が一致して野付半島のトドワラを歩くことにした。
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