2025/09/17 - 2025/09/18
415位(同エリア445件中)
ゆーちさん
この旅行記のスケジュール
2025/09/17
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電車での移動
南千歳駅
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別寒別牛湿原をゆく
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落石海岸三里浜;落石~別当賀間にある屈指の絶景スポット
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四島の架け橋
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この旅行記スケジュールを元に
根室半島を中心に自然と歴史を探求しよう!という意志のもとに二泊三日の女子旅をした。道東の自然には北海道らしいイメージが強いが、その歴史にはあまり触れたことが無かった。歴史を知るにつれ、根室は5~9世紀のオホーツク文化発展の拠点だったこと。函館と同時に根室にも明治政府が開拓使を置いたこと。それ以前から民間レベルで和人とアイヌ民族・ロシア人の間に豊かな交流があったことがわかり、そこに惹かれていった。
9月17日(木) 初日は鉄道で移動
南千歳から特急おおぞら5号で釧路まで 4時間
釧路から花咲線で根室まで 2時間20分
長い鉄道の旅だったが、花咲線は特にローカル色満載で楽しめた
夕食は「居酒屋ひょうたん」で待望の花咲蟹
イーストハーバーホテル泊 ホテルから知床連山が見えた
9月18日(金)根室半島 探訪
開拓使の史跡を訪ねる
明治公園 根室の金刀毘羅神社と高田屋嘉平の像
納沙布岬へ 行き;北の根室海峡沿い 帰り;南の太平洋沿岸沿い
②へ続く
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- レンタカー ANAグループ JR特急 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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南千歳で特急おおぞら5号12:17発に乗車。
南千歳駅 駅
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南千歳から釧路まで約4時間の乗車。15:50到着
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釧路駅のプラットホームに「DECMO」と書かれた車両。何のことだろう?と調べるとDiesel Electric Car with Motorsの頭文字でJR東日本と同じ仕様で北海道としては最新式の電気駆動車両とのこと。
釧路駅 駅
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僅か数分で「DECMO」が去ったあと、その向こうのプラットフォームでは介護者を列車に乗せる訓練中だった。JRの訓練風景なんて見たことがない。
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釧路からは憧れのローカル「花咲線」で根室まで。行程はピンクの線で辿る。根室半島と知床半島の真ん中にはロシアが実効支配する国後島がある。地図上で見ると本当に目と鼻の先だ。
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南千歳でゲットした花咲線のパンフレットが旅をいっそう楽しくしてくれた。花咲線にある駅名は私達でも聞き慣れない名前が多い。
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白と水色の車両・特急おおぞらを降りて4番線から花咲線に乗る。わくわくする。
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先に乗った仲間 クリオネの模様がかわいい花咲線の車両。他にも花咲蟹の色やルパン3世などの車両がある。ワンマン車両。
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座席の模様はフクロウ、エトピリカ、ハクチョウなど郷土の鳥シリーズだった。
16時04分 花咲線いよいよ出発。 -
車両内部は昔懐かしい四人掛け、対面式の座席だった。
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厚岸湾・厚岸港遠望。暖流の黒潮と寒流の親潮が交差するためプランクトンが豊富で、厚岸ブランドのカキをはじめ、アサリ、ホタテ、ウニ、ホッキなど海産物の宝庫となっている。
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厚岸駅到着。ここから浜中町まで32km。
厚岸駅 駅
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厚岸の駅を17:03分出発する
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厚岸駅を出てすぐの防波堤には色々な海鳥が集まっていた。エトピリカ、ウトウ、コアホウドリ、チシマカラス、ケイマフリ等。
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厚岸湖・別寒辺牛湿原。厚岸~茶内間にあり、一隻のボートが湖面を遊覧していた。湿原にはヨシ、スゲ、ミズゴケ類が繁茂する。
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別寒辺牛湿原。まさに湿原の中を走っているのだ。一面に湿地帯の植物が続く。水鳥も見えた。よく見ると鶴? なかなか海と湿原がこんなに近いなんて見たことが無い。
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厚岸霧多布(キリタップ)昆布森国定公園(2021年指定)付近。絶景ポイントになっている汽水湖。この辺りは種々の水鳥、タンチョウ、オジロワシなどが生息し、厚岸湖・別寒辺牛湿原と共にラムサール条約登録湿地に指定されている。
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真っ直ぐ伸びた線路。花咲線の別保~尾幌間、厚岸~茶内間、別当賀~西和田間付近でよくエゾシカが現れるそうである。急ブレーキに注意するようアナウンスがあった。
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一両編成の花咲線の運転席(進行方向)。鹿が線路を横切る時間は不定期で、一頭だけではないので全てが渡り切るまで列車は停車して待つのだそうである。そういえば、警報だったのか頻繁に「ぴーーっ」と鳴らしていたことに気づく。
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我々が遭遇したのは、線路上にいた2羽の丹頂鶴に「ぴーーっ」と警報を鳴らし、避難させようとした場面だった。危機一髪でタンチョウは右の方へ逃げてセーフ!心臓がドキドキだった。タンチョウにとってもストレスだろう。
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茶内駅 浜中駅 姉別駅がある浜中町はルパン三世の原作者 モンキー・パンチの出身地なのだ。茶内駅は海抜44m。この駅から「霧多布温泉ゆうゆ」行きのバスが運行しているそうだ。
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駅名標識の横に銭形警部が。もう随分昔のアニメだと思うが、地元の人は愛してやまないのだろう。
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茶内駅17:28分発 ルパン三世の登場人物がこちらを見ていた。
茶内駅 駅
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うろこ雲が真っ青な空に映え清々しく美しかった。写真には無いが、厚床(アットコ)駅は旧標津線との分岐駅だった。「青春18切符」のポスターにもなったベンチが駅の近くにあるそうだ。
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落石海岸三里浜を走る花咲線(写真はパンフレットより)。根釧原野の台地を走る車窓からの光景はしみじみ北海道を感じる。人工物がほとんどない自然そのままの景観を一両の気動車が進む。でも花咲線はJR北海道単独では維持困難とされている赤字8区間に入っているのだ。湿原など北海道最東端の雄大な自然の中を走るとても魅力的な区間なのに。
落石海岸 ビーチ
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根室半島全体は平坦な起伏に富んだ台地状の地形である。海岸台地は30~40mの高さがある。海成段丘が発達しておりユルリ島などの平坦なテーブル状の島が点在する。
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18:48分ようやく根室駅に着いた。南千歳から特急おおぞらで4時間315km+花咲線で2時間40分余り124km。合計6時間以上439kmの鉄道の旅だった。
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日本最東端の駅前には大きな看板。行き止まりでここより先の無い駅のことを頭端駅と言うそうだ。北海道で一番長い根室本線の終点、、、。旅情を掻き立てる。
根室駅 駅
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根室駅でレンタカーを借りてイーストハーバーホテルまでやって来た。今日はここに一泊する。
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ホテルのフロント。
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お祭りの山車がロビーに鎮座していた。
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港駅に近いホテルのロビーには美味しそうなお魚の絵。根室半島は釣り人にとってパラダイスなのだそう。
駅から近くて便利 by ゆーちさんイーストハーバーホテル 宿・ホテル
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ホテルの部屋に落ち着いたのは19時すぎ、陽が沈みかけていた。6階の窓から根室市街の向こうの海にピンク色の夕焼空が映っていた。
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シングルの部屋
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エレベーターのポスター。花咲線は地球探索鉄道と名付けられていた。フィクションを遥かに超えた一瞬がおとずれる。実際、その雰囲気は十分にあった。根室に向かう途中の草原には野生のエゾシカや放牧している馬なども見えた。
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ホテルの夕食は予約制だったので間に合わず、市街地へ繰り出すことにした。これもエレベーターのポスター。年間をとおして採れる旬の魚を場所ごとに紹介していた。
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皆で根室市街の居酒屋「ひょうたん」に行く。ホテルから歩いて20分くらい。
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「居酒屋ひょうたん」まずはビールで乾杯。スタッフは全員女性でテキパキと注文を受ける。
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早速根室の味覚の王様「花咲カニ」を注文。これで時価7、8千円。花咲蟹はヤドカリの仲間なので足は8本なのだそう。茹でると赤くなって花が咲いたように見えるのでその名前が付いた。花咲半島から付いたという説もある。味は毛ガニには負けるが、身がつまっていてジューシーで美味しかった。
居酒屋ひょうたん グルメ・レストラン
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本場根室、秋刀魚のお刺身は油がのっていて絶品だった。これ一皿で1000円。気づいたら撮影禁止の壁紙が、、、。
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ホテルと居酒屋ひょうたんはピンクで印した。
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満腹になって、ほろ酔い加減で根室の夜を歩く。根室のマンホール(小)。よく見ると北方領土と納沙布岬をエトピリカに見立てた図案だ。
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マンホール(大)白鳥とタンチョウかな?
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9月18日金曜日、朝
部屋の窓から見た朝の風景。海の向こうに見える山々はもしかして北方領土か? -
フロントの女性に聞いてみると知床連山だそう。丁寧にこんなパネルで説明してくれた。
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食事前に外に出てみた。ホテルの周りを撮影したが人っ子一人いない。千島町の老人会が作った花壇。
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ホテルのアプローチから見える一階のレストランでは朝食の準備ができていた。
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根室市の手書きの地図。
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朝食後早速、開拓史の足跡を訪ねる。ここは明治2年根室に開拓使出張所が置かれた場所だった。その後1872~1882(明治5~15)年までの開拓使10年計画を経て北海道に3県(札幌県・函館県・根室県)を置いた。根室県は千島列島の占守島まで管轄した。しかし1886(明治19)年に統廃合され北海道庁と函館支庁、根室支庁として1890(明治23)年の市庁制移行まで継続されていったのである。
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近くにちょっと変わった洋風の古い建物。根室市内には窓の形や屋根などが洋風の建物が多い。でも歴史にはあまり関係がないそうだ。
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日本語 ローマ字 ロシア語と三段に書かれた標識が珍しかった。信号も雪除けのついた昔のタイプだなあ!
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根室裁判所跡。標識は始審裁判所・治安裁判所跡 とある。根室市教育委員会では市内の歴史的建造物跡の周知広報の目的で昭和62年から、このような史跡標柱を整備しているという。
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次に訪れた「根室金刀毘羅神社」。根室の総鎮守で、北洋漁業の先駆者、高田屋嘉平が1806(文化3)年に海上安全・漁業産業の振興・民生の安定を祈願して創祀した。
北方領土4島にあった神社の御神体も預かっていて毎年8月に例大祭が行われる。根室最大のお祭りで、北海道三大祭りの一つ、さらに北海道無形民俗文化財になっている。 -
手水場の涼しげな飾りが目を引いた。まちの人々の気持ちが推しはかれる光景
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鳥居から境内を見る。1881(明治14)年に現在の琴平町の高台に移築されている。御祭神は讃岐「金刀比羅宮」の大物主神を主神とし御三神をお祀りしている。
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鳥居の次は山門
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山門をくぐると破風の屋根も堂々として立派な神社本殿だ。
根室金刀比羅神社例大祭 祭り・イベント
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高田屋嘉平の銅像。淡路島出身で江戸後期の豪商。28歳で当時国内最大級の船「辰悦丸」を建造し函館を商売の拠点とした。当時千島列島を南下してくるロシアとの国防対策を急ぐ幕府に協力し、北方領土間の航路発見や新たな漁場をひらくなど北方の開拓者として活躍した人物である。函館の高田屋嘉平像より小さい気がした。
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高田屋嘉平が金刀比羅神社を建立した経緯が石碑となって説明されていた。
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根室 金刀比羅神社は日本遺産として登録されている。
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根室港の歴史1;根室港に浮かぶ弁天島には6~9世紀にかけてオホーツク人が住んでいた。オホーツク文化はサハリン南部からオホーツク海沿いを南下し北千島まで広がった北海道独特の古代文化である。1792年ロシア初の遣日使節アダム・ラクスマンが来港。
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根室港の歴史2;1869(明治2)年開拓使がおかれ行財政の中心となった。
1900(明33)年 港湾埋立、塩鮭、昆布、缶詰などの産業発展。
1910(明43)年 関税法による開港で海外へ直接輸出可能になるも、
1945(昭20)年 米軍の空襲により港湾施設が破壊された。
1957(昭32)年以来復興し現在の姿になった。 -
また、1931(昭6)年 リンドバーグ夫妻が北太平洋航路調査でニューヨークからカナダ、アラスカ、千島列島を経由し根室に飛来し根室市民の歓迎を受けたり、北太平洋横断飛行を試みた報知新聞飛行士の吉原清治やドイツ人グロナウが世界一周旅行の途中で着水するなど、根室港は空の玄関口でもあった。
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神社の境内には漁師の街らしい大漁旗が舞っていてその景観は躍動的だった。
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社務所の入り口に可愛らしい飾りが、、、。お祭りの資料館になっているらしい。
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明治天皇の行幸記念碑もあった。
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ふと後ろを振り返ると、大漁旗を背景にキタキツネが悠々と横切って行った。
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神社の傍には展望台があった。弁天島にある市杵島(いちきしま)神社の紹介と、その向こうに根室湾を隔てて見えるのは、別海方面と雌阿寒岳や雄阿寒岳、標津岳などが見える。根室港灯台の右にうっすらと見えているのは知床半島だ。
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根室金刀比羅宮神社全景(パンフレットより)
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これから市内にある明治公園に向かう
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明治公園の駐車場近くに大きな洋館が見えた。近所の人に聞いたが特に史跡ではないという。
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入り口の看板。根室十景。明治公園は1875(明治8)年に我が国二番目の開拓史根室牧畜場となったのが最初。
明治公園 公園・植物園
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後に所有者となった北海道練乳会社(現在の明治乳業)がこのサイロを建てた。
高さ15m、直径6m,南側に高さ1mの開口部を縦一列に4ヶ所穿つ。
1932年~1936年にかけて渋沢栄一を会長として発足した有終会が経営していた。赤レンガ積みのサイロとしては国内最大規模で、現存するレンガサイロとしては国内二番目の古さである。 -
サイロは三つある。屋根の形は時代を反映して鉄兜形。
1998: 北海道街づくり100選に選定 2001: 国の有形文化財に登録
2006: 日本の歴史公園百選に選定 2007: 近代化産業遺産に認定
2020: フォトジェニックな近代化産業遺産ランキング一位 となっていることで注目されている。毎年5月に園内の千島桜とサイロはライトアップされるそうだ。 -
明治公園を後にノサップ岬へ向かう。行きは根室海峡側(根室半島北側)を車で40分位走る。
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放牧されている牛たちがのんびり草をはむ。
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根室港を出て市街地を数分行くともうこのような景色。根室海峡側の道道35号線を走る。北方原生花園も通るはずだが時期的に花は見当たらない。
根室海峡の成立は8000年前頃、それまでは北海道と国後島は陸続きだったと推定されて来た。水深120mからマンモスの臼歯が発見されたことから約2万年前(最終氷期)は陸であったことが示されたのである。 -
池のような場所を通過した。地図で見ると「トーサムポロ沼」。ト・サム(沼・の端)ポロ(大きい)の意味。根室半島東端の北にある海跡湖で海水に近い塩分濃度で50年以上のアサリ漁の歴史がある。更にこの周辺には4~13世紀にサハリン、道北、道東、千島列島に広がったオホーツク文化のうち6~9世紀を中心とした遺跡が残っているそうである。鯨の歯で作られた牙貴婦人象や青銅製品など、大陸由来の遺物も出ていて海を介したネットワークが示唆されているそうだ。
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台地状の平らな中でも若干起伏のある景色が続く。ミズナラの森林も半島独特の強風や冬の氷や雪など自然の猛威に曝されて育つため曲がって低い木々となる。なるほど高い木々は全く無い。
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やがてノサップ岬に到着。ノッ・サム(岬の傍ら)が語源。本土最東端に位置し日本で一番早く朝日を見ることができる。
納沙布岬 自然・景勝地
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北方館、希望の鐘、四島の架け橋、寛政の蜂起 和人殉難墓碑などがある。
北方館(望郷の家) 美術館・博物館
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納沙布(ノサップ)岬灯台は1872(明治5)年7月にできた道内初の洋式灯台で「北海道灯台発祥の地」であるだけに感慨深い。当時から日米の往来で多くの貨物船が航行していたため明治政府によっていち早く造られた。1998年に無人化されライブカメラで監視されている。霧笛(霧信号)もあったそうだが100年余り経った2010(H22)年に惜しまれつつもその歴史を閉じている。
納沙布岬灯台 名所・史跡
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根室市北方領土資料館で一人一人が頂いた最東端 出発・訪問・到達 証明書。
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カムチャッカまでの領土の様子
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北方領土は日本固有の領土です。北方四島に住んでいて島を追われた人々の悲願が込められたモニュメント「四島の架け橋」。1945年12月1日から毎年札幌や東京でも街頭で「返還要求中央アピール行動」が取り組まれている。元島民の平均年齢は90歳になろうとしているのだ。何とか墓参だけでも再開できればと願うばかりである。
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近いぞ!大きいぞ!私たちの北方領土.択捉島は沖縄本土とほぼ同じ大きさだという。歯舞諸島の貝殻島まではわずか3.7kmだが今はその半分の距離までしか接近できない。理不尽さが募る。
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寛政の蜂起和人殉難墓碑の説明。墓碑は右にあった!映っていない!
1789(寛政元)年に場所請負人がアイヌの人達を酷使し越冬用の食糧の確保もままならず、更に番人らの横暴に耐え兼ね、クナシリ島とメナシ(現標津町、羅臼町付近)地方のアイヌが立ち上がり、和人71人を殺した出来事。 -
ノサップ岬。ここから北方領土が右手に。うっすら見えていた。夏はラッコ、冬は流氷、春から初冬にかけて沖に出るとイルカやクジラなども観察できるそうだ。
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北方領土の方角を見る。標識の右にうっすらと見える山々が切なさを倍増させる。私達も実情に無関心では居られないと思う。
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北方領土と北海道、サハリンの位置関係がわかる。
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納沙布(ノサップ)岬から太平洋側を走ると北側とは全く違う風景で驚いた。無数の昆布漁の船。
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昆布漁の船が朝日を浴びてずっと操業していた。
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途中の民家では昆布を丁寧に干す人々が多く見られた。家族総出で作業する。
歯舞(ハボマイ)昆布の味は保証付きだ。岬のドライブは、根室全体の様子を理解するのにとても良かった。季節が変わるとまた違った顔を見せてくれるに違いない。②へ続く。
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