2025/06/09 - 2025/06/13
106位(同エリア420件中)
youさん
戦後80年の節目の年に知覧にある特攻平和会館に行くことを第一の目的として、九州地方が梅雨入りした6月の時期に鹿児島へ4泊5日でぶらり旅をしてきました。
旅程は下記。
6月9日 羽田→鹿児島
6月10日 鹿児島→桜島→鹿児島市内観光
6月11日 鹿児島→知覧武家屋敷→知覧特攻平和会館→指宿
6月12日 指宿→開聞岳→指宿→鹿児島
6月13日 鹿児島→羽田
表紙の写真は、水田の中を走る指宿枕崎線の車窓から見る開聞岳。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
-
6月9日 羽田発午後のJAL便にて鹿児島に向かいます。
羽田を離陸する際機長からのアナウンスで、「鹿児島市近辺には線状降水帯が発生しており、場合によっては引き返すか、福岡空港へ向かうかも知れません」と。。
鹿児島空港に近づくと、機長から「安全が確認できたので、着陸しま~す」とのアナウンスがあり、豪雨と強風の中で揺れる機体にちょっとドキドキしましたが、無事に到着しました。機内では近頃では珍しくも拍手が起こりました。 -
鹿児島空港からは、豪雨の中シャトルバスで鹿児島市内に向かいます。
道中バスの中のあちこちで、スマホから防災速報アラームが鳴っているのが聞こえます。画面を見ると鹿児島市内を線状降水帯が通過しているので注意を促すものでした。 -
15時過ぎ バスを降りて鹿児島中央駅前にきました。雨はまだ強く降り続いており、駅前は閑散としています。何十年かぶりに来た鹿児島市ですが、高層ビルが建って大都会になっています。
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鹿児島市での宿は、中央駅から徒歩2~3分のところに建つ東横INN。部屋は御覧のようにコンパクトなビジネスホテルで、朝食込みで7300円。ここに到着日と翌日、それに最終日と合計3泊します。昨年、ドイツのフランクフルト駅前の東横INNにも3泊しましたが、朝食込みで価格も格安、部屋は同じような造りで世界統一されているようです。
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イチオシ
6月10日 小雨模様の天気ですが、鹿児島市内の観光をします。
こちらは、鹿児島中央駅前に建つ「若き薩摩の群像」で、幕末に西洋に派遣された薩摩藩の留学生らで、日本の近代化に貢献した若者たちとのことです。
駅前の観光案内所で、キュートと呼ばれている鹿児島市内と桜島フェリー、桜島観光バスが乗れる1日乗車券(1300円)を購入します。 -
9時前 中央駅前からバスで桜島フェリー乗り場まで来ました。
こちらは桜島に向かうフェリーの最上階デッキの風景。雨模様の天気なのか、それとも桜島噴火警戒レベル3が継続しているためなのか、乗船客は数名程度でした。 -
桜島噴火警戒レベル3が継続していると言っても、フェリー乗り場などの観光施設は警戒区域から離れているので、フェリーも島内バスも普通に動いており、通常通り観光できると言うのでやって来ました。
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桜島フェリー乗場前の道路を、5分ほど上ったところにある月読神社に来ました。
和銅年間(708年~715年)に創建された歴史ある神社です。この神社のオリジナルは、現在地から1.5Km離れた集落にありましたが、1915年に起きた大正噴火によって、集落と共に溶岩下に埋まってしまいましたので、1940年に大正溶岩上の現在の場所に再建されました(現地説明版)。 -
神社脇の小山からの眺め。
錦江湾の奥に鹿児島市街地が霞んで見えています。 -
桜島フェリー乗場にあった案内地図。
島の西側を巡る観光バスが出ていますのでそれに乗車します(1日乗車券使用)。雨模様なのか乗客は数名で寂しいです。 -
雨の中、桜島の車窓観光となります。
こちらは、溶岩で造られたと言う長渕剛さんの「叫びの肖像」。 -
桜島国際火山砂防センターの建物。
火山弾に耐えうる強度のコンクリートで造られていて、地域住民らの避難場所にもなるそうです。 -
溶岩が流れる沢に架かった橋を渡ります。
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麓の集落を通過しています。
こちらは墓地ですが、墓石はどれも立派な屋根付きで、降灰からご先祖様を守るためです。手前に自動販売機が設置されていますが、そちらには屋根などありません。 -
湯ノ平展望所まで上って来ました。ここで15分ほどのフリータイム。
しかし周囲は霧が覆っていて真っ白。。。建物の屋上展望台まで行きましたが、景色は全く見えません。。。
折角なので展望室の中に展示されていた説明版を眺めて、活火山である桜島で暮らすことの大変さなどを知りました。 -
天文館通りでバスを降りて周辺を散策します。
散策と言っても、雨が降っているので天候に左右されないアーケードを歩きます。こちらの歴史ある建物に付いているアーケードは、支柱や袖壁の形が古めかしくて、イタリアのボローニャの町にあるポルティコの様な感じです。
幕末に西洋に留学した人達の知恵が反映しているのかも知れません。個人的な感想ですけど。 -
イチオシ
こちらのアーケード街は超近代的で、ドーム屋根には星座が描かれたステンドグラスが貼られています。
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バスに再び乗って市内の車窓観光を続けます。
鶴丸城の御楼門。日本最大の城門として、2020年に復元されたものです。
バスはこの後、城山や西郷さん終焉の地の洞窟などを巡りますが、雨が降っているので車窓から見るだけとします。 -
桜島が望める庭園がある仙厳園(入園料1600円) に来ました。
1658年に島津家19代光久によって築かれた島津家の別邸です。
ここから雄大な桜島が見られるはずですが、雨が続いていて雲に覆われています。こればかりはお天気次第、日頃の行いが悪いので仕方ありません。 -
水力発電用のダム(貯水槽)の跡。
幕末から明治初期の庭園内には、反射炉を初め機械工場や紡績工場など工場群が建てられていて、それらに電力を供給するための発電所設備があったのです。 -
曲水のお庭。
江戸時代の半ばに築かれた庭で、春に歌会などの宴が行われていました。 -
庭園の奥の方に猫神社・・・がありました。
17代義弘は、猫の瞳の変化で時刻を読み戦いに役立てたと言われ、戦場から薩摩に戻った二匹の猫をここに祀ったとのことです。これ以外にも島津家にゆかりのある幾つかの神社が庭園内に点在しています。 -
島津家のお殿様が暮らしていた御殿を見て廻ります。
こちらは謁見の間。 -
御殿のお庭。
背後に、千寿巌の文字が刻まれている岩壁が見えています。 -
尚古集成館に来ました。
島津家の歴史や島津家が実践した事業の中心となった工場群(集成館)の製品などが展示されています。
こちらは大砲で、材料の鉄は庭園内に残されている反射炉で造られていました。
幕末の薩摩藩主、島津斉彬は軍事を含めて産業の育成を進め、日本の近代化への礎を作ったことが分かりました。 -
6月11日 10時30分 鹿児島中央駅前からバスで約80分ほど、知覧にあるこちらの武家屋敷まで来ました(1110円)。
この日は、武家屋敷と知覧特攻記念館を観光した後、バスで今宵の宿がある指宿に向かいます。バスの時刻表によれば、ここから指宿行きのバスは、1日4本しかなく、午後は15時、16時に各1本あることを確認します。 -
通りの角のお店で入園料(530円)を支払い、小冊子を貰って武家屋敷のメインストリートに入って来ました。
おお~これは石垣と生垣によって整然と区画された風情ある通りですねぇ~。
左手の看板には、ここが大河ドラマ「西郷どん」のロケ地であったことが紹介されています。 -
通りの三叉路の石垣に石柱(石敢当)が設置されています。
中国由来の魔よけのひとつで、この集落に数か所散見されます。この角の敷地は、学問や武術や礼儀作法などを学ぶ稽古所がありました。 -
イチオシ
武家屋敷集落の入口に来ました。
メインストリートの上空に電線が横切っていて少し目障りですが、電柱や看板などは無く、生垣は良く手入れされていますので昔の高級住宅地としての感じは出ていると思います。 -
こちらは入口付近にあった武家屋敷集落のマップ。
集落全体では多数の武家屋敷がありますが、そのうち庭園を含めて公開されている屋敷は、こちらに表示されている10棟ほどとなります。これ等の屋敷のいくつかは、現在も住民の方々が生活しているようです。
集落東端の山頂には亀甲城跡があり、その麓あたりを麓川が蛇行して流れています。 -
平山邸の屋敷玄関。
敷地は道路より少し高くなっており、石垣と生垣で囲まれています。玄関の正面には屏風岩や生垣が設置されていて、屋敷内が直接見えないようになっています。 -
サツキの花咲く庭園。
背後の山々が借景になるみたいですが、この日は雨で霞んでいてその借景が見えません。
手前に石柱が並んでいますが、盆栽を置くためのもののようです。 -
大小様々な石を組み合わせて造られた枯山水風の庭園。
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旧高城家の屋敷。
居住用のオモテと台所のあるナカエの2棟を、小棟を介してほぼ直角につなげた「知覧二ツ家」と呼ばれる独特の構造になっています。 -
台所のある棟の中です。天井から下がったランプの傘がお洒落。。
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イチオシ
佐多家の屋敷にお邪魔しています。
屋敷の濡れ縁に腰かけ、雨に濡れた立派な庭園を眺めながらしばし、一国一城の主になった気分に浸りま~す。 -
武家屋敷のある集落の脇を流れている麓川沿いを上流側に歩いてきました。
こちらは、その麓川にかかる石橋(矢櫃橋)です。脇に建っていた説明版によれば、かって鹿児島方面からの街道に繋がる要衝となっていた橋で、旅人はこの橋を渡って武家屋敷や亀甲城に向かっていました。 -
13時過ぎ 知覧武家屋敷のある集落から国道を歩き、更に芝生の斜面を上って丘上にある知覧特攻平和会館に向かっています。
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知覧武家屋敷の集落から雨の中をテクテク歩いて、約30分かけて戦闘機「隼」の置かれている場所に辿り着きました。2つの観光地は想像していた以上に離れていました。
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イチオシ
こちらは特攻勇士の像。
脇に特攻戦士らが乗っていたと思われるコンパクトな零戦らしき飛行機が置かれています。 -
特攻隊員らが出撃するまでの数日間生活していた兵舎。
半地下式のバラック建てで屋根は葉っぱなどで覆われていて偽装されていました。若き隊員らは、様々な思いで出撃の日をここで待っていたのでしょうが、自分に例えると空しい思いで息苦しくなります。 -
知覧特攻平和会館の中に入って来ました(入館料500円)。ここは戦後80年の今年、是非とも訪れたかった場所でした。
こちらは、戦闘機「隼」の機体で中の構造などが見られます。
会館内は、特攻隊員が残した遺書や遺品などが展示されています(写真NG)。これらを見たり・読んだりしているうちに、志ある若者らの思いや命の大切さを強く感じて空しい気持ちになるばかりでした(涙)。。。。 -
知覧特攻平和会館横の芝生広場内に、当時使用されていた着陸訓練施設が残っていました。
現在の飛行機は、着陸時に機首をやや持ち上げて両翼の車輪を最初に接地させてから、次に機首を下げて、機首にある車輪を接地するようになっています。
しかし大東亜戦争当時の飛行機は、両翼と機体後方の3箇所に車輪がついており、着陸時は3つの車輪を同時に接地させる3点着陸でした。同時に3点が接地しないと機体がバウンドしたり傾いたりしてしまいます。そのため、どの程度の高度て3点を接地させたらよいかを訓練するための施設です(現地説明版)。 -
当時特攻隊員が利用していたトメさん経営の富屋食堂がありました。こちらは、その伝統を引き継いだトメさんのお孫さんが経営する知覧茶屋です。ここで遅めのランチをとるつもりでしたがお休みでした。。
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知覧特攻平和会館前からバスで指宿の宿に着きました。
温泉に浸かって、知覧特攻平和会館の中で感じた空しい気持ちを癒しました。平和でなければ旅をすることも、ましてや温泉に浸かって極楽気分になることもできませんから。平和であることに感謝、感謝です。 -
6月12日 10時前 温泉宿で朝風呂に浸かり、豪華朝食をゆっくり採った後、徒歩にて指宿駅に来ました。この日は開聞岳周辺の観光をして、夕方鹿児島市に戻る予定です。途中市内のコンビニでランチ用の弁当などを仕入れます。
指宿駅で開聞岳麓まで行く列車の確認をします。駅員の話ではJR指宿枕崎線は、今の所運転しているが、このところの豪雨で地盤が緩んでいるので土砂崩れなどで不通になる可能性もあるかも・・・と。 -
と言うわけで、指宿駅前にタイミングよくやって来たこちらの枕崎行きバスに乗って開聞岳麓に向かいます。
バスの乗客はyou一人、貸し切り状態でした。1日に数本しかない路線バスなのに、乗客がほとんどいないって、どうよww。これでは採算がとれないでしょうし、ドライバーもモチベーション下がりますよねぇ~。 -
10時30分 指宿駅前から約30分ほどで開聞岳麓にバスは到着します(670円)。
薩摩富士とも呼ばれている開聞岳ですが、雲にほとんど覆われていてその姿が見えていません。しかしここまで来ましたので予定通り正面のアーケードを潜って山側に向かいます。 -
テクテクと舗装された坂道を上って行きます。途中の道路脇に岩屋の供養塔がありました。崖沿いに赤い鳥居もあって天岩戸神社みたいです。
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しばらく坂を上った先にふれあい公園の駐車場があり、そこを横切ってキャンプサイトを抜けると開聞岳への登山道が現れます。途中から陽が差してきて汗をかきながらのハイキングとなりました。ここまで入口アーケードから約1時間かかりました。
12時過ぎ 登山道を少し上った所の日陰で、指宿市内で仕入れたランチ用弁当を山頂から吹く風を浴びながら食べます。 -
13時過ぎ 開聞岳を下山して、枚聞(ひらきき)神社に来ました。
創建は和銅元年(708年)と古くて、元々は開聞岳をご神体とする山岳信仰に根差した神社とのこと。(神社説明版)。なるほど赤い鳥居の上、木々の隙間から開聞岳が薄っすら見えています。 -
境内にある樹齢800年、幹回り7.9~9.5m、樹高9.5mのクスノキです。
手前に「夢と志のある国 日本」と記された古い石碑が建っています。オットト・・そんな日本に生まれたのに、80年前、特攻隊員として散ってしまった若者たちには期待を裏切る日本だったのです。。昨日訪れた知覧特攻平和会館での思いがフラッシュバックしてきたみたい。。。神殿にて世界平和を祈ります。 -
枚聞神社で参拝した後国道に出てくると、雲が流れて開聞岳の雄姿が見えてきました♪。
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道路脇の案内指示に沿って頼宋塚に来ました。
1571年に城主の跡目争いの合戦で討死した開門宮第14代住職の塚で、地元の人達にデスドンと呼ばれています(説明版)。 -
14時過ぎ 電車が動いていることを期待して開門の駅に来ました。予定していた開門発14時23分の列車が期待通りに来ましたので、それに乗車して指宿に向かいます(指宿まで450円車内支払) 。
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イチオシ
指宿に向かう列車から開聞岳全体が見えています。
3700年前の縄文時代の噴火で出来上がった活火山で、高さ924mあり日本100名山にもなっています。今回の旅は、豪雨や曇天続きでしたが、ここに来てようやく晴れて、開聞岳の雄姿が眺められ良かったです。 -
イチオシ
こちらは湾曲した山川湾。
この湾は約5700年前の火山噴火でできたもので、対岸に見えている山並みは火口壁です。火口壁の東側が壊れて海水が流入して現在の山川湾となりました。 -
15時前 指宿駅に到着。向かいのホームに「指宿たまて箱」列車が停車しています。
聞けばまだ空いている席があるとのこと。折角なのでこれに乗車することとして、改札口を出てチケットを購入します(2950円)。
海が眺められる右側席は満席、手にした指定席は最後部左側で眺めは期待できませんでしたが、たまて箱に揺られて約1時間で鹿児島中央駅に着きました。 -
6月13日 この日は午後のフライトで羽田に戻るので、午前中、甲突川沿いの歴史ポイントを散策します。
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市内を流れている甲突川で、高麗橋の上から上流側を眺めています。大きな遊覧車のある付近が鹿児島中央駅で、川の右側一帯は江戸時代に下級武士の居住地となっていて、幕末から明治時代にかけて活躍した西郷隆盛、大久保利通、東郷平八郎らの偉人を輩出した地となります。
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こちらは西郷隆盛誕生の地に建つ石碑。その右側に建つ小さな石碑は、西郷隆盛の弟の西郷従道誕生のもの。西郷従道は明治政府で海運大臣、内務大臣を務めています。
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こちらは「日新公いろは歌」が書かれた石柱たちです。日新公と敬されていた島津忠良が、人の道、生き方、人の上に立つ者の心得などを分かり易く歌の形で広めることを目的として、1545年に作成され全47首あります。
「聞くことも又見ることも 心がら 皆まよいなり みなさとりなり」・・・
う~ん。。旅で見たり聞いたりしても、自分の心の持ちようで迷ったり、悟ったりする。。。要は、ぼ~と旅しないで、心して見聞を広めよ・・と言うことでしょうか。
いろいろと勉強になった鹿児島ぶらり旅でした。
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