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千葉県館山市大神宮に鎮座する安房(あわ)神社。<br /> 古代から近代社格制度を通じ、時代背景や政治的意図により最高位の格式と歴史を誇る神社。<br />官幣大社 安房國一之宮として格式を有していた、戦後の社格制度廃止にともない、社格は有名無実化したが、現在は神社本庁の別表神社に名を連ねる。 

房総半島一之宮巡り 安房國一之宮 安房(あわ)神社

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2025/05/28 - 2025/05/28

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旅行記グループ 房総半島一之宮巡り

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kimi shinさん

千葉県館山市大神宮に鎮座する安房(あわ)神社。
 古代から近代社格制度を通じ、時代背景や政治的意図により最高位の格式と歴史を誇る神社。
官幣大社 安房國一之宮として格式を有していた、戦後の社格制度廃止にともない、社格は有名無実化したが、現在は神社本庁の別表神社に名を連ねる。 

旅行の満足度
3.0
観光
3.0
交通
2.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
自家用車 徒歩
  • 千葉県館山市大神宮に鎮座する安房(あわ)神社。<br /> 古代から近代社格制度を通じ、時代背景や政治的意図により最高位の格式と歴史を誇る神社。<br />官幣大社 安房國一之宮として格式を有していた、戦後の社格制度廃止にともない、社格は有名無実化したが、現在は神社本庁の別表神社に名を連ねる。 <br /><br />安房國の一之宮はここ安房神社のほか、ここから海岸線を10キロほど北上した館山市洲崎に鎮座する洲崎神社の二社があります。<br /> 時代による国の盛衰と有力者と神社の関係性によってこうした事例も生まれ、一之宮巡りをしていると稀に見られます。<br />こうなると御朱印を集めるかみさんが「一国一宮でいいじゃない」といつも呟く。<br /> 運転手にすれば10キロほどしか離れていないのでありがたい。<br /><br />安房國一之宮 安房神社社頭の眺め。<br /> 白い神明鳥居の右に「官幣大社 安房神社」の社号標が建てられています。

    千葉県館山市大神宮に鎮座する安房(あわ)神社。
     古代から近代社格制度を通じ、時代背景や政治的意図により最高位の格式と歴史を誇る神社。
    官幣大社 安房國一之宮として格式を有していた、戦後の社格制度廃止にともない、社格は有名無実化したが、現在は神社本庁の別表神社に名を連ねる。 

    安房國の一之宮はここ安房神社のほか、ここから海岸線を10キロほど北上した館山市洲崎に鎮座する洲崎神社の二社があります。
     時代による国の盛衰と有力者と神社の関係性によってこうした事例も生まれ、一之宮巡りをしていると稀に見られます。
    こうなると御朱印を集めるかみさんが「一国一宮でいいじゃない」といつも呟く。
     運転手にすれば10キロほどしか離れていないのでありがたい。

    安房國一之宮 安房神社社頭の眺め。
     白い神明鳥居の右に「官幣大社 安房神社」の社号標が建てられています。

  • 境内案内マップ。<br /> 境内には「安房神社洞窟遺蹟」があり、参拝後に立ち寄ってみるのもいいだろう。

    境内案内マップ。
     境内には「安房神社洞窟遺蹟」があり、参拝後に立ち寄ってみるのもいいだろう。

  • 参道脇の駐車場から社殿のある境内方向の眺め。<br /> 右手に標高101㍍の急峻な海食崖に囲まれた吾谷山が迫り、社殿はこの山を背にして鎮座します。

    参道脇の駐車場から社殿のある境内方向の眺め。
     右手に標高101㍍の急峻な海食崖に囲まれた吾谷山が迫り、社殿はこの山を背にして鎮座します。

  • 長い参道の先に石段が現れ、その先に二ノ鳥居が見えてきます。<br /> 石段を上った左が社務所で、右手には御手洗池が佇んでいます。

    長い参道の先に石段が現れ、その先に二ノ鳥居が見えてきます。
     石段を上った左が社務所で、右手には御手洗池が佇んでいます。

  • 参道左側の社務所。

    参道左側の社務所。

  • 白いニノ鳥居と左に授与所。

    白いニノ鳥居と左に授与所。

  • 御手洗池を背にして「琴平社」が祀られています、祭神は大物主神を祀る。<br /> 右には「兼務社遥拝所」があるが、どの兼務社なのか分からなかった。 

    御手洗池を背にして「琴平社」が祀られています、祭神は大物主神を祀る。
     右には「兼務社遥拝所」があるが、どの兼務社なのか分からなかった。 

  • 手水舎を過ぎると、吾谷山に向かうように境内は右に広がり、由緒や厳島社があり、その先が「上の宮」の社殿になります。

    手水舎を過ぎると、吾谷山に向かうように境内は右に広がり、由緒や厳島社があり、その先が「上の宮」の社殿になります。

  • 【境内の由緒】<br /><br /> 「房総半島の南端、神戸郷に鎮座する安房神社は、かつて官幣大社に列せられた格式高い神社で(アメノフトダマノミコト)をお祀りし、天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと)を合わせて祀っています。<br />また、摂社である下の宮には、天富命(アメノトミノミコト)をお祀りしています。<br /> 延喜式では「大社」に列せられ、名神祭にも関わる安房国唯一の由緒ある名社として知られています。<br />本社の祭神である天太玉命は、中臣氏の祖神である天児屋根命(アメノコヤネノミコト)と並び、天照大神に仕えて祭祀を司った重要な神様です。<br /> 天照大神が天岩戸にお隠れになった際には、天太玉命は天児屋根命とともに大神の再びのご出現を祈り、ついに天照大神の太陽のようなご神徳を仰ぎ奉ったと伝えられています。<br />下の宮に祀られている天富命は、天太玉命のお孫にあたる神様であり、安房の地を開拓した神として崇敬されています。<br /> 天富命は、四国の阿波国にいた忌部族の一部を率いて関東地方へと大規模な移住を行い、最初に定住したのが房総半島の南端、現在の安房神社のある場所です。<br />ここに本拠を定め、祖神である天太玉命を祀る社を建てた後、徐々に内陸へと進み、この半島に麻や穀物を植えて産業を広めていきました。<br /> 安房神社の御祭神は、日本の産業の総祖神として崇敬されており、現在では家内安全、交通安全、厄除け、開運などの守護神として、関東地方でも特に信仰の厚い神社となっています。」<br /><br /><br /><br />【安房神社HP】に由緒に書かれていない起源や遷座について記述されていたので、その部分を抜粋します。<br /> 「安房神社の創始は、神武天皇が初代の天皇として御即位になられた皇紀元年(西暦紀元前660年)と伝わります。<br />天富命は上陸地である布良浜の男神山・女神山という二つの山に、自身の御先祖にあたる天太玉命と天比理刀咩命をお祭りされており、これが現在の安房神社の起源となります。<br /> 奈良時代の養老元年(717年)に、吾谷山(あづちやま)の麓である現在の場所に安房神社が遷座され、それに伴い、天富命と天忍日命をお祭りする「下の宮」の社殿も併せて造営されました。」<br /><br /><br />忌部氏は、古墳時代より四国・阿波を拠点に活動していたとされ、宮廷祭祀や祭具製作、建築などを担った由緒ある氏族です。<br /> その技術力と宗教的役割は、ヤマト王権の祭祀制度を支える重要な柱となり、後に関東地方にもその影響が広がっていったと伝えられています。<br /><br /><br />こうした忌部氏の祖先が、後世の『古事記』や『日本書紀』などにおいて「天太玉命」として神格化されたのは、氏族の歴史や役割を象徴的に語るための自然な流れだったのかもしれません。<br /> 神話は古代の人々が自らの起源や信仰を物語として形にしたものであり、そこには文化的な意味や精神的な価値が込められています。<br /> また、天富命の東国開拓伝承や、安房神社の創建にまつわる物語も、忌部氏の活動が地域に根づいていった功績を、神話というかたちで語り継がれたものと見ることができます。<br /><br />上陸地で往古の鎮座地である布良浜の男神山・女神山は、ここから2㌔ほど南下した海辺にありましたが、駐車場など整備されおらず素通りしてきました。

    【境内の由緒】

     「房総半島の南端、神戸郷に鎮座する安房神社は、かつて官幣大社に列せられた格式高い神社で(アメノフトダマノミコト)をお祀りし、天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと)を合わせて祀っています。
    また、摂社である下の宮には、天富命(アメノトミノミコト)をお祀りしています。
     延喜式では「大社」に列せられ、名神祭にも関わる安房国唯一の由緒ある名社として知られています。
    本社の祭神である天太玉命は、中臣氏の祖神である天児屋根命(アメノコヤネノミコト)と並び、天照大神に仕えて祭祀を司った重要な神様です。
     天照大神が天岩戸にお隠れになった際には、天太玉命は天児屋根命とともに大神の再びのご出現を祈り、ついに天照大神の太陽のようなご神徳を仰ぎ奉ったと伝えられています。
    下の宮に祀られている天富命は、天太玉命のお孫にあたる神様であり、安房の地を開拓した神として崇敬されています。
     天富命は、四国の阿波国にいた忌部族の一部を率いて関東地方へと大規模な移住を行い、最初に定住したのが房総半島の南端、現在の安房神社のある場所です。
    ここに本拠を定め、祖神である天太玉命を祀る社を建てた後、徐々に内陸へと進み、この半島に麻や穀物を植えて産業を広めていきました。
     安房神社の御祭神は、日本の産業の総祖神として崇敬されており、現在では家内安全、交通安全、厄除け、開運などの守護神として、関東地方でも特に信仰の厚い神社となっています。」



    【安房神社HP】に由緒に書かれていない起源や遷座について記述されていたので、その部分を抜粋します。
     「安房神社の創始は、神武天皇が初代の天皇として御即位になられた皇紀元年(西暦紀元前660年)と伝わります。
    天富命は上陸地である布良浜の男神山・女神山という二つの山に、自身の御先祖にあたる天太玉命と天比理刀咩命をお祭りされており、これが現在の安房神社の起源となります。
     奈良時代の養老元年(717年)に、吾谷山(あづちやま)の麓である現在の場所に安房神社が遷座され、それに伴い、天富命と天忍日命をお祭りする「下の宮」の社殿も併せて造営されました。」


    忌部氏は、古墳時代より四国・阿波を拠点に活動していたとされ、宮廷祭祀や祭具製作、建築などを担った由緒ある氏族です。
     その技術力と宗教的役割は、ヤマト王権の祭祀制度を支える重要な柱となり、後に関東地方にもその影響が広がっていったと伝えられています。


    こうした忌部氏の祖先が、後世の『古事記』や『日本書紀』などにおいて「天太玉命」として神格化されたのは、氏族の歴史や役割を象徴的に語るための自然な流れだったのかもしれません。
     神話は古代の人々が自らの起源や信仰を物語として形にしたものであり、そこには文化的な意味や精神的な価値が込められています。
     また、天富命の東国開拓伝承や、安房神社の創建にまつわる物語も、忌部氏の活動が地域に根づいていった功績を、神話というかたちで語り継がれたものと見ることができます。

    上陸地で往古の鎮座地である布良浜の男神山・女神山は、ここから2㌔ほど南下した海辺にありましたが、駐車場など整備されおらず素通りしてきました。

  • 境内には、紀元前から人が居住した「安房神社洞窟遺蹟」や複数の海食洞窟が見られ、遺跡からは創始時代の遺物も見つかっているようです。(上は社務所手前から左に進んだ掘削蹟、下は本殿左の山肌で見られる海食洞窟)<br /><br /><br /> 神々の名前や物語は、後世の編纂によって整えられたものですが、その背景には、実際にこの地を訪れ、祭祀を伝えた先人の足跡があると、神話と歴史が重なり合う面白さとともに、古代の息吹が今も土地に宿っているような感覚を覚えます。

    境内には、紀元前から人が居住した「安房神社洞窟遺蹟」や複数の海食洞窟が見られ、遺跡からは創始時代の遺物も見つかっているようです。(上は社務所手前から左に進んだ掘削蹟、下は本殿左の山肌で見られる海食洞窟)


     神々の名前や物語は、後世の編纂によって整えられたものですが、その背景には、実際にこの地を訪れ、祭祀を伝えた先人の足跡があると、神話と歴史が重なり合う面白さとともに、古代の息吹が今も土地に宿っているような感覚を覚えます。

  • 「厳島社」<br />海食洞窟の中に祀られており、海上交通を守護する海の女神、市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)を祀ります。

    「厳島社」
    海食洞窟の中に祀られており、海上交通を守護する海の女神、市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)を祀ります。

  • 「上の宮拝殿」<br />スクエアな神明造のコンクリート造りで、現在の拝殿は昭和52年(1977)に造営されたもの。

    「上の宮拝殿」
    スクエアな神明造のコンクリート造りで、現在の拝殿は昭和52年(1977)に造営されたもの。

  • 拝殿から大きな鏡が祀られた幣殿方向の眺め。

    拝殿から大きな鏡が祀られた幣殿方向の眺め。

  • 社殿全景。<br /> 本殿は神明造りの檜皮葺きで、明治14年(1881)に建て替えられたもの。<br />祭神の天太玉命をはじめ、忌部の神々をお祀りします。

    社殿全景。
     本殿は神明造りの檜皮葺きで、明治14年(1881)に建て替えられたもの。
    祭神の天太玉命をはじめ、忌部の神々をお祀りします。

  • 本殿左の吾谷山の山肌の御神水。<br /> 現在も枯れることがなく湧き出ており、受け付けをすれば飲適ではないですが採水も出来るようです。

    本殿左の吾谷山の山肌の御神水。
     現在も枯れることがなく湧き出ており、受け付けをすれば飲適ではないですが採水も出来るようです。

  • 社殿の左の「御仮屋」。<br />洲宮神社、布良崎神社、熊野神社、犬石神社、伊勢神宮の遙拝所、八坂神社、日吉神社、など多くの神社が纏められています。

    社殿の左の「御仮屋」。
    洲宮神社、布良崎神社、熊野神社、犬石神社、伊勢神宮の遙拝所、八坂神社、日吉神社、など多くの神社が纏められています。

  • 本殿と渡り廊下で結ばれた神饌所。

    本殿と渡り廊下で結ばれた神饌所。

  • 「下の宮」<br />神饌所から右に進んだところに祀られており、御手洗池を見下ろすように鎮座します。

    「下の宮」
    神饌所から右に進んだところに祀られており、御手洗池を見下ろすように鎮座します。

  • 養老元年(717)、安房神社が現在の場所に遷座された際に、摂社として創建され、祭神は房総開拓の神 天富命・天忍日命をお祀りしています。

    養老元年(717)、安房神社が現在の場所に遷座された際に、摂社として創建され、祭神は房総開拓の神 天富命・天忍日命をお祀りしています。

  • 下の宮社殿全景。<br /> こちらも神明造の木造建築です。

    下の宮社殿全景。
     こちらも神明造の木造建築です。

  • 本殿の全景。<br /> 規模や補修の手間を思えば、コンクリート造りは自然の流れかもしれませんが、日本の風土が育んできた木造建築の落ち着いた佇まいはいいものです。

    本殿の全景。
     規模や補修の手間を思えば、コンクリート造りは自然の流れかもしれませんが、日本の風土が育んできた木造建築の落ち着いた佇まいはいいものです。

  • 参拝を終え、ニノ鳥居から一ノ鳥居が建つ参道の眺め。

    参拝を終え、ニノ鳥居から一ノ鳥居が建つ参道の眺め。

  • 安房國一之宮 安房神社<br />創建 / 紀元前660年、現在地へは養老元年(717)<br />上の宮祭神 / 天太玉命<br />下の宮祭神 / 天富命、天忍日命<br />境内社 / 琴平社、厳島社<br />所在地 / 千葉県館山市大神宮589<br /><br />参拝日 / 2025/05/28

    安房國一之宮 安房神社
    創建 / 紀元前660年、現在地へは養老元年(717)
    上の宮祭神 / 天太玉命
    下の宮祭神 / 天富命、天忍日命
    境内社 / 琴平社、厳島社
    所在地 / 千葉県館山市大神宮589

    参拝日 / 2025/05/28

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