2025/07/03 - 2025/07/03
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放浪ラォレンさん
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かつて、ユーラシア大陸の東西に広がる広大な領土を支配した大帝国がありました。その名は、誰もがよく知っている「モンゴル帝国」です。
モンゴル高原では、12世紀末までは遊牧民が小さな部族連合を形成して抗争していました。しかし、モンゴル部族のテムジンが登場して、1206年にクリルタイ(大集会)でモンゴル高原の全遊牧部族のハン(君主)に推され、チンギス・ハンとなりました。
このチンギス・ハンの時代から、孫のフビライがハンになる半世紀余りの間に、その領土は、現在の中国、ロシア、中東、東ヨーロッパの一部を含む広範囲に及びました。
そのモンゴル帝国の最初の首都がカラコルム(ハラホリン)で、政治・文化の中心地として繁栄を極めました。また、西洋人宣教師であるカルピニやルブラックは派遣されてこの地を訪れました(マルコ・ポーロも通った可能性あり)。
このロマン溢れる古都を岡山からソウル経由で、4泊5日の準弾丸旅行で訪れる計画を立てました。ウランバートルに到着してからは、1泊2日の英語オプショナルツアー(旅行会社「Get Your Guide」に予約)に参加して、360km離れたカラコルムに行きました。どこまでも青々とした草原が続く景色も堪能することができました。
また、4日目はウランバートルの市内観光をしました。翌日に天皇陛下夫妻のモンゴル訪問を控えて、歓迎ムードが感じられました。
旅行の主な日程は次の通りになりました。訪問記は4回に分けて紹介し、今回は②の記事になります。
なお、細かい日程、訪問地は、一緒に載せているスケジュール表でご確認ください。 1トゥグルグ=約0.04円、1ドル=148円の為替レートでした。
① 1日目(岡山~ウランバートル)
・仁川国際空港(乗り継ぎ)
・チンギス・ハン国際空港
② 2日目(ウランバートル~カラコルム)
・カラコルム博物館
・エルデネ・ゾー寺院
③ 3日目(カラコルム~ウランバートル)
・亀石
・Great Imperial Map Monument
・エルセン・タサルカイでのラクダ乗り
④ 4·5日目(ウランバートル市内)
・ガンデン寺
・チンギス・ハン(スフバートル)広場
・チンギス・ハン博物館
・仁川国際空港(乗り継ぎ)
2日目は、9時過ぎにNomado boutique hotelに現地の英語オプショナルツアーの車(6人乗りバン)が迎えにきました。ツアー参加者は私以外に4人いました。
その人達は全員2泊3日のカラコルムツアー参加者で私だけが1泊2日のツアーの為、翌日の昼にカラコルムで別の車を乗り換えることになっていました。ウランバートルを離れると、見渡す限りの草原が続き、初めて見る光景でした。
そして、予定通りにカラコルム博物館とエルデネ・ゾー寺院を見学して、ツーリストキャンプのゲルで一夜を過ごしました。
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ホテルラウンジのブュッフェは、7時からオープンされました。食事内容はごく普通のホテルと変わりありません。
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野菜の種類も結構ありました。モンゴル高原では雨量が少なく野菜栽培に適した土地は少ないですが、モンゴル北部では比較的雨量が多く、野菜が栽培されている所もあるそうです。
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8時過ぎですが、街全体が活動を始めて、路上清掃がされていました。
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バスも頻繁に行き交い始めました。
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9時前に旅行会社の6人乗りのバンが到着しました。これはカラコルムで撮られた写真ですが、このバンが迎えに来ました。
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私以外にカラコルムツアー参加者が4名いました。この写真はカラコルムに着いたときに撮った記念写真です。
男性2名は英国人と米国人でどちらも20代でした。偶然にも両名ともJohnという名前でした。女性2名は友人同士でノルウェー人(内1人はベトナム系)、どちらも30代の教師です。ノルウェー人女性もネイティブ並みに英語を話すので、私は英語を聞き取るのに四苦八苦しました。おまけに欧米人の発話量は半端ではなくて、欧米人同士、お互いに昔からの友人みたいに絶えず話をしていました。それでも、最後には、私もニックネームで呼び合う仲になりました。 -
ウランバートルの大渋滞を抜けると、カラコルムへの道は片道一車線です。対向車がいないと分かると、無理な追い越しをする人が多いので、ひやっとする場面もありました。帰りの車で一緒になったオーストラリア人は危険な追い越しを見る度に「Crazy! Crazy!」と呟いていました。
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出発して1時間程すると、トイレ休憩を兼ねて、マーケットでミネラルウォーター等の買物をしました。中央のレジに立っているピンク色の上着に黒色のズボンをはいている人が、モンゴル人のガイド(50代の男性)さんです。
本人は「私の主業務はドライバーで、ガイドは副業務です。」と言っていましたが、私と違って欧米人の話す英語は殆んど理解していました。もっと凄いのは、彼の専門は英語ではなく、ロシア語だということです。
物腰柔らかい人で、同じ東洋人ということもあり、話しやすい人でした。 -
ゲルの近くに放牧されている馬が見えます。
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カラコルムに行くまで、100人を越えそうな集落を見ることは殆んど(或いは皆無)ありませんでしたが、ここにはゲルと住宅が少し集まっていました。
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所々に、ドライブインのような建物がありました。ここは、かなり規模の大きいモダンな建物です。
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昼食に、鶏肉を使った料理を注文しました。
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道路を羊の集団が横切っています。
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イチオシ
モンゴルでは、道路は家畜優先です。依って、路上で、停止せずに家畜に被害を与えた場合、補償しなければならないということでした。
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それにしても、ゲルと家畜と草原、単純な景色ですが、紀元前とほぼ変わらない風景なのでしょう。
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イチオシ
どこまでも果てしない草原が続きます。この中をモンゴル帝国の遠征軍は、地図どころか何の目印もない中、何千キロも移動したのでしょうか。 日本とは規模が違いすぎて、想像がつきません!
因みに、東ヨーロッパからこのカラコルムまで、駅伝制(ジャムチ)の通信システムで、30日間位で連絡文書が届いたということを何かの本で読んだ記憶があります。 -
16時過ぎにカラコルム博物館に到着しました。カラコルム博物館は2010年に日本の無償援助により設立されました。因って、館内には日本語の解説板も所々にあります。
カラコルム博物館の前には、「勅賜興元閣碑」と「亀石」のレプリカが設置されています。 「勅賜興元閣碑」は、モンゴル帝国時代の仏教寺院「興元閣」を記念した石碑で、モンゴル語と漢語で書かれていました。レプリカは龍谷大学の援助により作製されました。 -
ガイド(白い半袖の服を着た人)が、纏めて入場券を購入してくれました。なお、館内での写真撮影には別途、料金が必要です。
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イチオシ
1235年にモンゴル帝国の第2代当主、オゴタイ・ハーンによって建設が着手された帝国の首都(カラコルム)の再現されたジオラマ(復元模型)です。
手前の左下に見えるのが、その当時に建てられた仏教寺院「興元閣」です。仏教の他に、イスラム教やキリスト教の宗教施設や、漢人商人街・イスラム商人街があり、国際都市として繁栄していました。 -
別の角度から見たジオラマです。遊牧民のゲルも立ち並んでいます。モンケ・ハーン(1251∼1259年)の時代には、1.6km²の広さの首都に1万~1.5万人が居住していたそうです。
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日本語の解説文もあります。
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古代モンゴルで神聖な動物とされていた鹿の絵を中心に画いている「鹿石」です。
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突厥時代の特徴的な遺跡である「石人」です。当時の遊牧民の姿をかたどった石像です。
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カラコルムの工業化を示す出土遺物です。
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歴代の大ハーンの説明文です。
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最初のパネルは、チンギス・ハン遠征軍の進路とチンギス・ハン時代の領土です。小部族を纏めて僅か、十数年でここまで領土を拡大しました。道義的なことは別にして、極めて有能な人物だったのでしょう。
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孫のフビライ・ハーンの時代の最大領土です。領土獲得はできなかったけど、日本やジャワにも船団を送っています。ここまで野心的な領土拡大のエネルギーは一体、何処から来るのでしょう? そして、占領だけに終わるのではなく、長年、統治して平和で安定したパクス・モンゴリカの時代を築いているのですから、チンギス・ハンの子、そして孫へと優秀な人材が続出したのでしょう。
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「匈奴」の文化財が展示されています。土器、中国の「五銖銭(ごしゅせん)」、弓の断片、矢じり等です。五銖銭は前漢の武帝が制定して唐代まで約700年間、流通した貨幣です。
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ゲルを運ぶ為に使われた大型幌馬車の車輪の軸と思われます。
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壁画の写真です。遊牧民と馬を表していると思われます。
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イチオシ
博物館の2階からエルデネ・ゾー寺院が見えます。エルデネ・ゾー寺院は1587年に建立されたチベット仏教のお寺です。寺の建物にはカラコルムの宮殿のものであった建築資材(廃材)が使われていたとのことです。
一帯は420m×420mの白い仏塔(ストゥーパ)と外壁で囲まれています。 -
エルデネ・ゾー寺院の西門まで車で移動しました。
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イチオシ
「ストゥーパ」が一定間隔で配置された外壁は壮観です。
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遠くの左側に、エルデネ・ゾー寺院の「ゴルバン・ゾー(3つの寺院という意味)」、そして、右側にダライ・ラマ寺が見えます。
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「ゴルバン・ゾー」を拡大してみます。左側から西寺、中央寺、東寺と、中華様式の影響を受けた3つの寺院が配置されています。
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先ず、彩色が鮮やかなダライ・ラマ寺に入って行きます。そこを過ぎると入場券売り場があります。
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これが入場券で、「ゴルバン・ゾー」の寺院が印刷されています。
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裏面を見ると、建物内の写真撮影は禁止になっています。写真撮影する場合は別途、料金を払わなければなりません。
入場券を受け取ってからは、寺院の知識に詳しい専門の英語ガイドに変わります。専門用語も出てきて、私には難解な英語です! -
直ぐ近くの展示室には、仏画や仏像が展示されています。
18世紀末には、境内には62の堂宇(堂の建物、殿堂)があったそうですが、1939年に人民政府により、殆んど破壊されたそうです。それにより、残っているのは「ゴルバン・ゾー」とチベット式建築の「ラブラン寺」など僅かしかないそうです。 -
西寺です。中には仏像を始め、沢山の展示品がありますが、写真撮影はできません。
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石段の先にあるのが中央寺です。
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黄金塔(ソボルガン塔)です。堕落した僧侶たちを戒めるために作られたそうです。
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車でカラコルム博物館近くにあるお土産店に立ち寄りました。建物前では、鷹狩りに使われるイヌワシと共に写真撮影ができます。また、モンゴル軍団の戦闘服も着用して写真が撮れます。もちろん、それなりの料金は必要なんでしょうが、全てツアー料金に含まれています。
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ツーリストキャンプのゲルには19時頃に到着しました。キャンプ内には、ゲルの他に、食堂、シャワー室、トイレ等の施設がある一般棟があります。
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ゲルの側面は、分厚いフェルトが張られ、天井には「トーノ」と呼ばれる天窓があり、思った以上に明るいです。
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一般棟では夕食が終わった後に、休憩を挟んで21時から、馬頭琴等の楽器を使った民族音楽の小演奏会がありました。
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演奏の途中に、突如として一人の少女が現れて、中国雑技団の軟体芸のようなものを披露しました。
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この芸は長年の厳しい訓練で培ったものでしょうが、関節の柔らかさにびっくりです。
今日も過密なスケジュールでした。オプショナルツアーには、それなりの費用が必要ですが、準弾丸旅行ではツアーに参加しないと何も見学や体験できずに、単に飛行機の空間に閉じ込められただけの旅で終わってしまいます。その意味で有り難いです。
ツアーの同伴者たちとは、明日の14時位まで行動を伴にします。 それでは、お休みなさいです。
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旅行記グループ 2025/07 モンゴル帝国の古都(カラコルム)を訪問
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