2025/07/22 - 2025/07/22
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この旅行記のスケジュール
2025/07/22
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恩賜郷倉跡
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水天宮・庚申塔
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舟運遺跡碑
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北上川舟運時代黒沢尻港跡
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昭和22年(1947)カスリン台風の洪水水位
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穐葉神社
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川留御番所跡
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平和街道起点柱
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菅原神社(天満宮)
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この旅行記スケジュールを元に
単身赴任が長く、我が住む街をじっくりと歩いたことが無かったので、歩いてみました。興味を惹かれる物は少なかったですが、感心したことも多かったです。
特に、北上から船を使って江戸に米を送っていたのは驚きでした。
7月22日(火)
①恩賜郷倉跡~②黒沢尻柵跡 (安部館公園)~③水天宮・庚申塔~④舟運遺跡碑~⑤北上川舟運時代黒沢尻港跡~⑥昭和22年(1947)カスリン台風の洪水水位~⑦穐葉神社~⑧川留御番所跡~⑨平和街道起点柱~10、菅原神社(天満宮)~11,造船所跡~12,住吉神社~13,染黒寺~14,川岸観音堂
を歩く。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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黒沢尻東地区交流センターから国道107号線を越え、南下して川岸保育園に来ました。
①恩賜郷倉跡
天皇の下肢金による飢饉に備えた1935年建設の凶作に備えた貯蔵穀倉蔵があった。 -
昭和4年(1929年)アメリカでおきた金融恐慌の影響が日本に及び昭和5年(1930年)から昭和6年にかけて昭和恐慌がおこります。日本の農村は米と養蚕の繭の2大生産物で成り立っていましたが、物価の暴落で米価は2分の1、繭は3分の1まで下落し、昭和恐慌以来、東北の農村は貧窮していました。
この中で、さらに追い打ちをかけてのが昭和9年(1934年)の東北地方全体の記録的な大凶作でした。 -
農村では学校へ弁当を持参できない欠食児童が増え、娘の身売りとして、奉公や町工場の女工として出て行きました。
この年の大凶作におよび、今後の凶作への恒久的な対策として、皇室からの御下賜金を基とし、政府の補助金をあわせて全額助成で東北全域に郷倉(ごうぐら)が建設されました。 -
郷倉の例
大石田町の郷倉
〒999-4112 山形県北村山郡大石田町緑町1番地 -
②黒沢尻柵跡 (安部館公園)
安倍館児童公園はJR北上駅東口から出て5分と掛からない所に在ります。
現在では一面区画整理された住宅地ですが、区画整理以前には、東西180m、南北120mほどの範囲を堀跡がめぐる黒沢尻館跡が残されていたそうです。黒沢尻柵跡 (安部館公園) 名所・史跡
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ここは康平5年(1062)前九年合戦の戦場となった、黒沢尻五郎正任(安倍正任)の黒沢尻柵跡という伝承があります。
安倍 正任 (あべ の まさとう)は、平安時代中期の武将。安倍頼時の子。貞任は兄、奥州藤原氏初代藤原清衡は甥にあたる。 -
安倍舘公園の堀跡 黒沢尻氏居館の黒沢尻館の堀です
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黒沢尻川岸の見どころ 案内図
歴史と文化遺産 -
康平五年(1062)前九年合戦、源頼義の征討軍によって安倍一族の南端の防衛線だった小松柵(一関市谷起)が落城し、西から秋田の清原武則の軍勢が源頼義に呼応して安倍の領内に攻め込んできます。全軍を指揮した貞任は、厨川柵で雌雄を決する防衛策に出て、黒沢尻五郎正任も僅かな手勢を黒沢尻柵に残して厨川柵に入りました。手薄となった黒沢尻柵には秋田勢が殺到して、たちまち落城してしまいました。
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東北の、かつての奥六郡(岩手県中南部)を支配していた豪族『安倍氏』が、元内閣総理大臣の安倍晋三氏のルーツにあたるそうです。
安倍晋三氏は安倍宗任の末裔42代目だそうです。宗任は正任の兄 -
③水天宮・庚申塔
水天宮(すいてんぐう)は、福岡県久留米市の水天宮(久留米水天宮)を総本宮とし、日本全国にある神社です。。 -
水天宮
古来より水の神として農業・漁業・船舶業者の守り神です。また、子供の守護神、安産、子授の神としても人々の信仰が厚い。1861年建立と言われています。 -
庚申塔(こうしんとう)は、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔です。
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④舟運遺跡碑
1994年(平成6)建立 -
馬廻り道と言って一方通行で交通緩和を図った道の跡です。
文政11年(1828)川岸古絵図 -
⑤北上川舟運時代
黒沢尻港跡
南部藩の米を江戸に送るための集積地で、大変栄えていました。ここで米を積み替えて、大きな舟で、石巻へ送り、そこでさらに大きな船に積み替えて送った。 -
斎藤家の金剛丸が、米、大豆、雑穀を積んで石巻港へ運んでいた記録
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黒沢尻河港説明板
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江戸時代の初め、南部藩では米を江戸に安い費用で、大量輸送できる北上川舟運を開発した。
年貢米を納める御蔵、造船所、御蔵奉行、御ひらた奉行、御番所などの施設期間を置いた。 -
北上川舟運説明板
石巻まで順調に行くと下り3日、上り10日で往復できたようです。
しかし、容易ではなかったようです。 -
北上川が近くを流れています。
写真左側(左岸)、北上川の対岸に極楽寺があります。
この極楽寺は古く、平泉以前からの存在が確認されていて、平泉に移るまではここが文化の中心地だったとも言われています。 -
北上川は過去に大きな氾濫を起こしています。
一部堤防の嵩上げ工事を行っています。 -
広瀬川救急排水機場
⑥昭和22年(1947)カスリン台風の洪水水位
今は、差別問題で台風に女性の名をつけることはなくなりました。
9月14日から16日にかけて岩手県を襲い、山間部を中心に長雨をもたらした。 戦中に山の木々が伐採されていたこともあり、被害は死者130人、行方不明者38人、住宅被害は42,161戸にものぼった。 特に一関周辺での被害は町を飲み込むほどであった。 狐禅寺水位観測所(一関)で観測された最高水位17.58mを超える水位は未だ記録されていない。 -
広瀬川救急排水機場
大雨が降ると北上川の水位が上昇し、川に水を排水できなくなり氾濫が発生し、河川の水位が下がるまで氾濫した水が長時間滞留します。こういった氾濫による被害を軽減するため、大雨の際、ゲートを締め、機場のポンプによる強制排水を行います。 -
⑦穐葉神社(あきばじんじゃ)
1855年建立か?防火の神様です。
寛保元年(1741、江戸)稲に虫の害あり、藩主伊達氏これを憂い使者をもって遠州(静岡県大居町)秋葉神社に祈って霊験あったのでその分霊を奉じて帰り郡内5ヶ所に勧請すと伝える。
秋葉山本宮秋葉神社は東海随一の霊山との呼び声も名高い秋葉山を神体山と仰ぎ、創建は和銅2(西暦709)年と伝えられております。 -
諏訪神社
北上市役所とJR北上駅の狭間にある市内の中心的な神社は別の場所にあります。
北上諏訪神社(きたかみすわじんじゃ)
所在地 岩手県北上市諏訪町1-3-9 -
⑧川留御番所跡 水上交通の関所(説)
現在;秋葉児童公園 -
何も、当時のものは見つけられません。
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⑨平和街道起点柱
この地と秋田県横手市を結ぶ道路
途中に仙人峠と白木峠と言う二つの難所が有り、断崖や岩場をクズやフジのつるにつかまって登っていた、不自由な道を明治20年難工事の末完成した。 -
大正13年(1924)国鉄横黒線が開通するまでは東西交通の大動脈として重要な役割を果たした。
明治時代後半から大正時代にかけての西和賀の鉱山開発ブームにあっては鉱産物の輸送に大きく貢献した。 -
さくらPORT・HOTEL
〒024-0032 岩手県北上市川岸1-1-8
TEL:0197-62-3745
FAX:0197-62-3746
2023年11月グランドオープン 北上で一番新しいホテルさくらPORT・HOTEL 宿・ホテル
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ランチは「レストランくさの」
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メニュー
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鉄板ハンバーグランチ ¥1,600-
スープ、サラダ、ライスorパン付き -
週替わりランチ ボンゴレビアンコ ¥1,300-
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北上駅
1890年(明治23年)11月1日:日本鉄道の黒沢尻駅(くろさわじりえき)として開業
1921年(大正10年)3月25日:横黒線(現在の北上線)が開業
1954年(昭和29年)11月10日:北上駅に改称
1982年(昭和57年)6月23日:東北新幹線が開業 -
10、菅原神社(天満宮)
菅原道真を祭る。18世紀ごろ建立か? -
北上駅 から徒歩4分(332m)
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筆塚(ふでづか)
書道の神を祀るための塚であり、特に嵯峨天皇や菅原道真を祀る由縁があります。江戸時代後期からは、寺子屋の師匠を追悼するために、教え子たちによって建立されたものでもあります。これらの塚は、使い古しの筆を埋めることもあり、書道や教育に対する感謝の意を表しています。 -
11,造船所跡
船の建造や修理をおこなった。1665年頃あったもよう。(説)
黒沢尻から上流の北上川は小さな舟しか通れないので100俵積みの小繰舟(おぐり)で、花巻、盛岡などから積み出し、いったん黒沢尻河岸に集結して、大きな艜船(ひらた舟)350俵積み(およそ23t)に積み替えて石巻に下った。
安永7年(1778)には艜船55艘、小繰舟39艘があったようです。 -
12,住吉神社
岩手県北上市川岸2丁目2番8号
船頭達の守り神、1536年建立か? -
「2025年04月25日」時点において、全国には80,507社(226社は登記閉鎖等)の神社があります。岩手県には866社(2カ寺は登記閉鎖等)の神社があります。岩手県北上市には63社の神社があります。
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13,染黒寺(ぜんこくじ)
岩手県北上市川岸3丁目14-58染黒寺 寺・神社・教会
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852年(仁寿2)平安時代開基(寺院を創立すること。)
前九年の役の際に黒沢尻柵と至近距離のため大破し、源頼義が諸堂を建立。その後、寺は再び大破したが正和二年 (1313) に 再興 -
石板
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門
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本堂
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鐘楼
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船問屋後
江戸時代北上川舟運の問屋。(説)
痕跡は何も見つけられなかったです。 -
北上川県境から75.8km、藩境ではありません。
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珊瑚橋(橋長253.8メートル、幅員5.5メートル)
北上市内から展勝地に向かう旧国道107号線の途中、北上川に架かる橋です。
昭和8年に現在のようなゲルバー橋に架け替えられました。 -
14,川岸観音堂
源義家の守り本尊と伝わっています。川岸観音堂 寺・神社・教会
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康平5年(1062年)9月14日、建立されたもので、源頼義公が安部貞任の弟黒沢尻五郎正任の領地を攻め、寺や黒沢尻柵が焼かれすっかり荒れ果ててしまったので、頼義公は観音堂を建立した。観音堂にある聖観音様が安置された。
川岸観音堂 寺・神社・教会
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それ以来、現在まで火災にもならず、続いて来たといわれている。
松尾芭蕉の句碑『 川上と、このかわしも 月の友 』があります。
暑かったですが、初めて知ったことが多く、歩いて見てよかったです。
興味が有ったらを地図情報を参考にしてみてください。
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この旅行記へのコメント (2)
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- ポテのお散歩さん 2025/09/08 01:27:36
- 数々の史跡
- 164-165さん こんばんは!
お米や野菜を食べて来た日本人は、古くから自然との闘いだったのですね。
川は実りをもたらしますが、ひとたび氾濫すると手が付けられなく、
地元の方々は何度も立ち上がって来られたのが、
北上川の豊かな水量で想像できます。
『安倍氏』は代々 長州、あるいは中国地方の一族だと思っていました。
水天宮は久留米市に総本宮があるのですね。
東京・人形町近くにある水天宮が総本宮だと思っていました(^-^;
平安時代の東北の歴史を知った上で歩けば、史跡も残り
興味深い街歩きになりますね。
奥州藤原氏を描いた大河『炎立つ』は観ていなかったので
再放送をして欲しいです(*^-^*)
ポテ
- 164-165さん からの返信 2025/09/08 10:43:34
- Re: 数々の史跡
- ポテさん いつもコメントいただき有難うございます。
AM1時過ぎのコメントは有難いのですが、睡眠時間は注意してください。165も寝るのがいつもAM1時なので早く寝るように言うのですが、寝れないと言っています。私はPM10時には寝るのですが、165が寝る時間になると一旦目が覚めるのです。朝、早く起きるので、今度は165が目を覚ましリズムが合いません。
歴史は川が流れている所から町が発展してきたのが良く解りました。川をうまく利用してきた先人たちの知恵も理解出来、発展するに伴い治水対策も進化してきています。勉強になりました。
あの安倍元首相のルーツを知り、少し親近感を感じました。
藤原三代の栄華盛衰にはあまり興味が無かったのですが、今は伊達政宗の本を読んでいます。其の内藤原氏の歴史も勉強したいと思っています。
差し当たっては続・日本百名城関東・甲信越地方の旅に行って来ます。
【164-165】
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