2025/07/17 - 2025/07/22
29位(同エリア239件中)
164-165さん
- 164-165さんTOP
- 旅行記443冊
- クチコミ548件
- Q&A回答15件
- 1,282,200アクセス
- フォロワー516人
この旅行記のスケジュール
2025/07/17
-
田助地蔵
-
七ツ石
-
弁財天
-
大カヤ
-
孫屋敷
-
山神社
-
黒沢尻東小学校
-
黒沢尻東地区交流センター
-
北上中学校
-
伝・ボタン園
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
単身赴任が長く、我が住む街をじっくりと歩いたことが無かったので、歩いてみました。目を引くようなものは少なかったのですが、自分で感心した事も多かったです。
7月17日(木)
①田助地蔵~②七ツ石~③弁財天~④大カヤを歩いて回りました。
7月22日(火)
⑤孫屋敷~⑥山神社~⑦黒沢尻東小学校~⑧黒沢尻東地区交流センター~⑨北上中学校~⑩伝・ボタン園
炎天下の中歩いて回りました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
7月17日(木)
①~④の順番に訪問しました。 -
最初に①田助地蔵を捜しました。
小巾公民館 北上市里分2-322-1
建物の裏側の奥に鎮座していました。 -
公民館の後は新堰川(しんぜき)が流れています。
平成14年から19年度に総事業費3億円を掛けて地域用水環境整備を行いましたが、一部遊歩道や木橋が老朽化で傷み、利用できなくなっています。当初からメンテナンスはどうするか不安でした。
この新堰川の上流側となる奥寺堰は、「疏水百選」にも選ばれている疏水で、今から340年前の藩政時代に開削されたもので、奥寺八左衛門定恒が、村崎野一体の原野の開墾のために開削したものです。 -
流石にここでは熊の出没は無いと思います。岩手県北上市では熊による死亡事件が発生しています。怖いです。
-
太子堂 ①田助地蔵
地元の人たちが、草刈りや清掃を行って整備しています。 -
昔々、田植えに備えて代掻き『代掻き(しろかき)とは、田んぼに水を張り、土を細かく耕して表面を平らにする作業です。』をしていたが、それを手伝った男の子がいて、仕事がたいそうはかどったそうです。後でそれが、このお地蔵様だったという言い伝えが有ります。
-
田助地蔵さまは太子堂の中に鎮座しています。
鍵が掛かっていたので、隙間から撮りました。 -
②七ツ石
北上市小鳥崎3地割6付近 -
私有地の中を通って北上川に向かいます。
-
川岸までは藪で行くことが出来ません。
北上川の川底の岩盤が突出した部分で、夏場など水量が少ない時期に見ることが出来ます。
江戸時代には米を積んだ船が下流の黒沢尻川港に向かって、ここを通って下っていきました。
七ツ石は弁天様が橋を架けようと置いた石だという言い伝えがあります。 -
あらすじ
昔、北上川には橋が一本もなかったので、向こう側へ渡るには船に乗るしかなかった。しかし、この川を船で渡ろうとすると、何もない流れの中で急に沈んでしまう事が続くようになり、村人たちはホトホト困っていました。 -
特に川向こうのお寺は、お参りする人が来られなくなりお布施が集まらないため、ひどくさびれてしまった。仁王様(仁王像)の足も腐り、足で押さえつけていたあまのじゃくが勝手に出歩くようになっていた。
見かねたお寺のご本尊は、弁財天を呼び出し北上川に橋をかけてもらう事にした。神々しい光とともに現れた弁天様は、さっそく山からでっかい石を運んできて、北上川に並べ始めた。それを見ていたあまのじゃくは、橋を架けさせまいと石を七つ並べたところで「コケコッコー」と一番どりの鳴きまねをした。弁天様は人に姿を見られると困るので、仕方なく帰って行った。 -
得意になって寺に帰ったあまのじゃくだったが、仁王様がぐらりと倒れてきて下敷きになって死んでしまった。弁天様の橋はこういったわけで完成しなかったが、村の人たちは力を合わせてお寺を立て直し仁王様も修理した。
-
③弁財天
北上市小鳥崎2地割10付近 -
弁財天入口
-
小鳥崎地区散策案内図
-
70段の石段を登っていきます。
-
地域の方が草刈りや整備を行っています。
-
弁財天
1200年頃(鎌倉時代1185年ー1333年)黒沢尻五郎正任(まさとう)(安倍貞任の弟)の子が、ここに住み、氏神として祀ったのが始まりと、伝えられています。 -
弁財天は漁業の神、農業の神とされ、七福神の紅一点です。
-
小鳥崎館跡
和賀氏の重臣・都鳥平馬玄蕃(とどりへいまげんば)の居館とされ,和賀氏の滅亡と共に役目を終えたと思われます。
館跡は大堰川沿いの急峻な崖を利用した天然の要害で、東西2つの曲輪からなり、西曲輪は東西35m、南北50m、東曲輪は東西40m、南北50mとなっています。 -
小鳥崎館跡らしき場所には何も痕跡を見つけることはできなかったです。
平成24年度発掘調査が実施されています。
『中世と思われる陶器片が出土。堤焼かと思われる大甕の埋設遺構を検出。
城館北縁に見られた平場は館跡に伴うものかどうかはっきりしなかった。堆積状況から、近現代においてある程度整地し、道路として使用されていた可能性が高い。』 -
御清水(みだらせ)
ひどい干ばつでも枯れなかった湧水場所が在ります。 -
御清水(みだらせ)
-
水は溜まっていましたが流れは無かったです。今年は降水量が少なく稲作がピンチです。
-
④大カヤ
北上市小鳥崎2地割
大堰川が北上川と合流する右岸側に植わっています。 -
イチイ科カヤ属の常緑針葉樹で、山地に生える。材は最高級の碁盤、種子は食用油などの原料に利用される。熊が好んで食べそうです。川を渡って来るか一抹の不安が有ります。
-
説明版です
岩手県指定天然記念物
小島崎の大カヤ(イチイ科カヤ属)
所在地 北上市小島崎2地割6番
指定年月日 昭和44(1969)年6月6日
樹周(幹周り)約6.35m、樹高約20mで、地上高1.5m付近で幹が二つに分かれています。
樹齢は約600年と推定されます。 -
葉の様子
-
小島崎 榧の木舟場跡の石碑
-
7月22日(火)
暑い中、苦労して回って来ました。
⑤~10の順に回ります。 -
⑤孫屋敷
説1.鬼柳文書(おにやなぎもんじょ)に黒沢尻野馬の記載があり馬の牧 (馬を放し飼いにして飼育する土地・施設(牧場))と考えられ、それを管理する人々の集落だった。
説2.「岩手の地名百科」による孫分家 -
住宅地で面影は感じられません。
-
区画整理事業の空地でしょうか?ペタンクに興じる老人たちがいました。その奥にはゲートボールの集団もいました。熱中症警戒アラート発令中の本日は32℃まで上がった中で元気に活動していました。熱中症にならなければいいのですが?
そういう私も高齢者なので注意が必要です。 -
⑥山神社
〒024-0025岩手県北上市孫屋敷9
住宅街の道路の角にあります。駐車場はありません。なぜ、山の中にあるわけでもないのに山神社というのか疑問です。 -
他にも山神社が建立されています。
岩手県北上市相去町中大谷地
岩手県北上市黒岩17地割
岩手県北上市常盤台4丁目7
岩手県北上市新穀町1丁目8 -
江戸時代に宮城県小牛田(こごた)の山神社の御神体(コノハナサクヤヒメ)を分社したとされ、安産の神様です。
-
⑦黒沢尻東小学校
昭和35年(1960)に新築。北上中学校の跡地に前身黒沢尻小学校から分離開校しました。
建物は改修されています。
北上市立黒沢尻東小学校 〒024-0024 岩手県北上市中野町1-8-1
TEL.0197-63-2194 -
黒沢川の傍に有ります。
-
校門・
校歌
一
黒沢尻の 東からのぼる朝日を うけてたつ
強い正しい わたしたちのびゆきさきに 晴れ晴れと
明かるい希望が 光ります
二
北上川の 川岸に桜吹雪を 肩に受け
ともに手をとる わたしたち歌声つねに さわやかに
ゆたかな大地に ひびきます
三
世界を結び 美しくにおう七色 虹を生み
元気あふれる わたしたち栄える郷土 北上に
みんなで楽しく 学びます -
校舎
-
卒業記念石板
-
⑧黒沢尻東地区交流センター
北上市中野町一丁目5番46号
TEL 0197-64-7932 -
平成元年(1989)黒沢尻東公民館として新築。北上市の方針として、平成18年に黒沢尻東地区交流センターとなりました。
-
旧里分地区の案内説明板
看板を参考にして散策しました。 -
昭和25年頃の地図
黒沢尻東地区交流センター付近は旧北上中学校の他には人家がまばらでした。 -
⑨北上中学校
名称 北上市立北上中学校
住所 北上市黒沢尻1-1-1
電話番号 0197-63-3129
現在、新校舎の新築中です。過疎化の恐れがある岩手県ですが、北上市は工場誘致等が成功して、人口減少に歯止めが掛かっています。 -
昭和33年新築。この付近は方八丁と言われ、その西方は古戦場と言われ前九年合戦(1062年)の時、源義家が黒沢尻正任を討つため陣を敷いたという言い伝えが有ります。
-
牡丹橋 令和3年(2021)3月31日開通
何故,「牡丹橋」と命名されたか?
以下の、説明を知れば納得できます。 -
⑩伝・ぼたん畑
この付近一帯に、平安時代末期、黒沢尻柵を守った安倍貞任の弟の五郎正任が、柵の北方に大庭園を造り、ぼたんを植えたという言い伝えが有ります。 -
前九年の合戦により黒沢尻柵は落城し、ぼたん畑も荒れてしまったと思われます。
牡丹橋はその言い伝えからだとピンときました。 -
黒沢川が北上川との合流点
涼しい風は水面を渡って来て、心地いいです。
黒沢尻の町名は、黒沢川の末端、尻に有るからだと思います。
我が住む町の歴史を少し感じ、学びました。
今回はここまでです。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- ポテのお散歩さん 2025/09/03 02:15:47
- 一番身近な景色
- 164-165さん こんばんは。
自分の住んでいる地域が、一番知っているようで知らない事が多いですね。
御自分の街を歩き始められて、素敵だなと思いました。
私は子供の頃には 同じ府内に何度か引っ越しし、
結婚してからは 夫が勤務している時は、
近畿内と関東に約五年に一度 転勤していたので
『わが街』と言える所は何処なのか考えましたが
『ここ!』と言える場所が無いです(^-^;
年数的には、今 住んでいる所が一番長いのですが。。。
今まで住んだ所が、今 どうなっているのか行ってみたいなと思いました。
古くからの言い伝えは、神格化しているかも知れませんが
実際にあったお話が多そうです。
代掻きを手伝った男の子も、七つの石を置いた弁天様も
あまのじゃくを踏んずけた仁王様も
全て ただの言い伝えではない様に思えます。
『山神社』が幾つも建立されているのも、きっと大切な意味があるのでしょうね。
古くからの言い伝えや歴史が残り、川の流れが近くにあり
ここに住んだ方々の遺した景色が感じられる街歩きでしたね。
熱中症と熊には くれぐれも気をつけて下さいね(*^-^*)
ポテ
- 164-165さん からの返信 2025/09/03 10:33:12
- Re: 一番身近な景色
- ポテさん いつもコメント頂き、大変感謝しています。
今回は、AM2時過ぎにコメントしていただき、コメントを考えるだけでも苦労されたと思います。ただただ感謝です。
ポテさんも転勤族でしたか?私は結婚して4回転居しました。東北地域内だったので移動は楽でした。
今の住まいは最終になると思います。今の住まいに満足はしていないのですが、これ以上の出費は出来ないのが現実です。
今回は、歩いてみて初めて知ったことが多かったので、良かったです。
日本百名城から南部お城めぐりと関連し、さらに和賀一族のお城めぐりからわが街を振り返るきっかけとなって、すべてが繋がっているのが面白いです。
後は、続・日本百名城スタンプ収集旅をしばらく続けようと思っています。大人の休日俱楽部で関東・甲信越をお得に回ってくる予定です。
【164-165】
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
北上(岩手) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ わが街散策
2
52