2025/06/22 - 2025/06/22
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SamShinobuさん
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最終日は友人と2人でオランジェリー美術館と教会めぐりをした。航空会社は違うが、2人とも今日の夕方の便で帰国する。
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朝食をとろうと思って外に出たが、今日は日曜日なのでお店がどこも閉まっている。
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ようやく開いている店発見。
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ここで朝ごはんにしよう。
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カフェアメリカーノにありつけた。
ここもクロワッサンが美味しかった。なるほど、パリのクロワッサンはどこもクオリティが高いんだとようやく気が付いた。 -
店のおじさんに撮ってもらう。
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8:00に友人とホテルロビーで待ち合わせ。
チェックアウトを済ませ、荷物はフロントに預かって貰って出かけた。 -
今日は歩いてオランジェリー美術館に向かう。
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ルーブル美術館の横を通る。
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チュイルリー公園に入る。
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オランジェリー美術館はチュイルリー公園の西端にある。
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この公園も広いな。
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やっとオランジェリー美術館に到着した。
オランジュリー美術館は当初、オレンジの温室として1852年にナポレオン3世によって建設された。その後、クレマンソー首相がモネの「睡蓮」を展示するための美術館に大改装し、1927年にオープンした。
初めはモネの「睡蓮」のみが常設展示されていたが、後に画商ポール・ギヨームのコレクションが加わって今の形になる。
今回訪れた美術館はどこも写真撮影どころか動画撮影もOKだった。日本の美術館では動画はまずNGだ。 -
日本からtiqetsで予約し、入館料12.82€(手数料込み)は支払済。
セキュリティチェックのあと、インフォメーションで日本語のパンフレットを貰って入場。入場はtiqetsのアプリに表示されるQRコードを、リーダーに読み込ませればいい。
まっすぐ進むと「睡蓮の間」が2部屋あり、それぞれ4作品ずつ(合計8点)展示されている。 -
睡蓮
モネは睡蓮を250点近く描いているが、その多くがオランジェリー美術館の8点(全長約90メートル)の習作だ。もちろん習作とは言えその価値は計り知れないし、それを言ったらいつも有り難く拝見している国立西洋美術館の「睡蓮」も、その習作のひとつ。とは言えモネ自身も習作は外に出したくなかったと聞くと、オランジェリーの睡蓮を見ずして結構と言うなかれなんじゃないかな。 -
そう思って今回楽しみにしていたが、大睡蓮はなんか大味で雑だった。隅っこのほうなんか塗ってないところもあって、これはディテールを鑑賞するのではなく、部屋の真ん中で睡蓮に囲まれて瞑想するものだと思った。
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手前の部屋には「日没」「雲」「朝」「緑の反映」。奥の部屋には「木々の反映」「朝の柳」「二本の柳」「明るい朝、柳」がある。
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もはやどれがどれだか分からないが、そういう感じで観るのもいい。
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世界中に散らばっている習作「睡蓮」のご本尊がこちらだと思って、有り難く拝見させてもらおう。
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モネはこの睡蓮がオランジェリーに展示される約半年前に、86歳で亡くなった。
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最期の力を振り絞って制作したんだろうな。
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瞑想するにしても結構人が多い。
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天井からの自然光が睡蓮の池に優しく射し込む。
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部屋の真ん中にある長椅子に座って観るのが一番いいかも。
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今でこそ大人気のモネだが、オランジェリーに睡蓮が展示されて10年も経つと、すっかり忘れられて閑散としていたそうだ。ところがモネの死から約30年後、1950年代になると抽象画の画家たちがモネを再評価することになる。たまたまモネが白内障の頃描いたモチーフの区別がつかないような作品が、「これってまさに抽象画じゃん、モネって凄くない?」と改めて注目されるようになったのだ。ちょうど印象派の再ブームと相まってモネもバズりまくり。
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そして今や世界中で絶大な人気を誇るモネ。特に日本人は印象派が大好きなので、モネ展はいつも満員御礼になる。
その人気の一例として、2023年には未発表の「睡蓮」が見つかり、オークションにかけられた。なんと6500万ドル(約97億円)以上で落札されたらしい。250点近くある「睡蓮」なので、睡蓮だけでも全部合わせたら幾らになるんだろうと、下世話なことを考えてしまう。 -
睡蓮の間をひとしきり堪能したら、地下2階のポール・ギョームコレクションを観よう。
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現在、オランジェリー美術館が企画監修したルノワールとセザンヌの世界巡回展が開催中だ。オランジェリーのコレクションにオルセー美術館の所蔵品も加えた52点の名品が世界を回っており、実はちょうど今丸の内の三菱一号館美術館に来ている。そのためオランジェリー美術館自慢のルノワールとセザンヌは、残念ながら不在だ。僕は先月、三菱一号館美術館でそれらを鑑賞していたので、ここでは一番観たかったアンリ・ルソーに集中することにした。
ちなみに三菱一号館美術館で観たオランジェリーのルノワールとセザンヌは以下の通り。
ルノワール
「ピアノを弾く少女たち」
「ピエロ姿のクロード・ルノワール」
「ガブリエルとジャン」
「風景の中の裸婦」
「桃」
「長い髪の浴女」
「花瓶の花」
「座って足を拭う浴女」
「手紙を持つ女」
「遊ぶクロード・ルノワール」
「桟敷席の花束」
「いちご」
「りんごと梨」
「花」
「チューリップ」
「庭のガブリエル」
「バラをさしたブロンドの若い女性」
セザンヌ
「セザンヌ夫人の肖像」
「画家の息子の肖像」
「わらひもを巻いた壺、砂糖、りんご」
「赤い岩」
「草上の昼食」
「庭のセザンヌ夫人」
「舟と水浴する人々」
「花と果物」等など。
さすがにこれだけ無いと、オランジェリーはかなり寂しいことになっていた。 -
ビロードのリボンをつけた婦人 1915年頃
アメデオ・モディリアーニ
ユトリロの唯一の親友で飲み仲間だったモディリアーニ。モンマルトルで一緒に絵を描いていたのかもしれない。しかし、モディリアーニは大量の飲酒や薬物依存で35歳にして亡くなる。 -
ポール・ギヨームの肖像 1915年
アメデオ・モディリアーニ
ポール・ギヨームさん、洒落男ですな。 -
白い帽子の女 1921年
パブロ・ピカソ
芸術家は何故かゲス男が多いが、ピカソほど多くの女性を弄び破滅させた画家はいない。書き始めたら止まらないので、いつかまとめて書くことにしよう。 -
大きな浴女 1912年頃
パブロ・ピカソ -
タンバリンを持つ女 1925年
パブロ・ピカソ -
台所のテーブル 1925年
アンドレ・ドラン -
アルルカンとピエロ 1924年頃
アンドレ・ドラン
この存在感は何だろう。ぐっと惹きつけられる絵だ。道化師のアルルカンとピエロ。変なポーズの2人は笑うこともなく、虚ろな表情を見せている。
アンドレ・ドランはフォービズムの中心的な画家だが、その後古典的な画風に変わっていった。ナチスの宣伝に利用されたこともあり、そのため戦後は非難を浴びたそうだ。 -
大きな帽子をかぶるポール・ギヨーム夫人 1928年−1929年
アンドレ・ドラン
ポール・ギヨーム夫人のドメニカは稀代の悪女だった。
ギヨームの同業者と不倫していたドメニカは夫が邪魔になり、そのタイミングでポール・ギヨームは謎の死を遂げている。その後再婚した大富豪もすぐに交通事故で死亡。当時のフランスでは夫の遺産を相続をするためには息子が必要だったが、子どものいなかったドメニカは養子をとる。しかしその息子も遺産相続後に殺されそうになったそうだ。
マスコミにはさんざん叩かれたドメニカだが、ギヨームから相続した144点のコレクションをフランス政府に寄贈することで逮捕を免れたという黒い噂もある。
ドランは彼女の内面を知っていたのか、この絵の夫人は美しさのなかに底知れぬ恐ろしさを感じる。 -
ポール・ギヨーム夫人 1924年
マリー・ローランサン
こちらはマリー・ローランサンが描いたポール・ギヨーム夫人 。優しい表情はとても稀代の悪女には見えない。 -
スペインの踊り子たち 1921年
マリー・ローランサン
まるで水彩画のようだが油絵である。 -
ギヨーム・アポリネールの肖像 1908-1909年
マリー・ローランサン
マリー・ローランサンの画風とは少し違って見える。ていうか、彼氏なんだからもうちょっとカッコ良く描いてあげればいいのに。
ピカソの紹介で詩人のアポリネールと出会ったマリー・ローランサンは、すぐに彼と恋に落ちる。その頃、ピカソがアンリ・ルソーってすげぇと言い出して、ルソーを讃える会を開いた。そこにアポリネールとマリー・ローランサンも出席。ルソーは頼まれてもいないのに肖像画を描く悪いクセが出て、アポリネールとマリー・ローランサンの絵を描く。それが有名な「詩人に霊感を与えるミューズ」だ。マリー・ローランサンは子鹿と呼ばれるくらいスリムだったのに、出来てきた絵はまるでマツコ・デラックスだった。その上、ルソーは勝手に描いたのに買ってくれと言い出して、アポリネールは仕方なくお買い上げ。その後アポリネールとマリー・ローランサンは別れ、未練たらたらのアポリネールは有名な詩「ミラボー橋」を書く。「ミラボー橋の下 セーヌ川が流れる ぼくらの恋を忘れてしまってはいけないのか」
なんか2人が別れたのはルソーのせいかもって勝手に思ってしまうが、このマリーがアポリネールを描いた絵を観ると、彼女もアポリネールに何かしら思うところがあったような気がしてならない。 -
ヴァイオリンを持つ女性 1921年−1923年
アンリ・マティス -
マンドリンを持つ女性
アンリ・マティス -
赤いキュロットのオダリスク
アンリ・マティス -
三姉妹 1917年
アンリ・マティス
マティスの最高傑作の1つだそうだ。へぇ~、そうなんだ。今いちマティスはよく分からないなあ。「金魚と猫」は好きだけど。 -
灰色のキュロットのオダリスク
アンリ・マティス -
ベルリオーズの家 1914年
モーリス・ユトリロ
ユトリロの毒母、ヴァラドンはルノワールやロートレックのモデルをして生活費を稼いでいた。美人だが身持ちの悪いヴァラドンは、18歳で父親不明のユトリロを産む。しかし完全な育児放棄で自分の母にユトリロを預けっぱなし。ヴァラドンの母も孫の面倒を見る気はなく、ユトリロが夜泣きするとワインを飲ませて寝かしつけていたというのだから恐ろしい。そのせいでユトリロは子供の頃からアルコール依存症で、18歳になると強制入院させられてしまう。そこで医師に治療の一環として絵を描くことを勧められる。母親のヴァラドンも若い頃から絵を描いていたし、彼女のまわりにはルノワールやドガもいたので、ユトリロが絵を始める環境としては最高だったんじゃないかな。
絵を描き出したユトリロはすぐに才能が開花して、モンマルトルの風景画を観光客相手に描いては売っていた。ところがヴァラドンが今度は息子のユトリロより3歳年下の、18歳の青年と結婚してしまう。極度のマザコンだったユトリロは、そのショックからまた酒浸りの日々になってしまう。
しかし、ユトリロの描く絵は爆発的に売れ始める。そんなユトリロをあの毒母が放って置く訳が無い。ユトリロに大きな屋敷を買わせ、アルコール依存症の治療と称して軟禁し、例の若い夫にユトリロを管理させた。そこでモンマルトルの写真をもとにユトリロにガンガン絵を描かせた。ママには絶対服従のユトリロを、当時ヴァラドン夫妻は「貨幣製造機」と呼んでいたそうだ。
ところがヴァラドンはその若い夫に捨てられてしまう。となるとユトリロを管理して絵を描かせる人がいなくなってしまった。そこでヴァラドンは今度はなんとユトリロを結婚させることを思い付く。当時52歳だったユトリロに64歳の自分の友人をあてがったのだ。そこでもユトリロはママに逆らわない。今度は奥さんに尻を叩かれて、絵を描き続ける。
19世紀以降最も売れた画家の一人であるユトリロだったが、その人生はヴァラドンという悪魔のような母親に翻弄され続けたのだ。 -
サンピエール教会 1914年
モーリス・ユトリロ
初期の頃のユトリロの絵には、ほとんど人が描かれていない。当時のモンマルトルはすでに繁華街だったので大勢の人がいたはずなのに。だから彼の描くモンマルトルは、まるで人っ子ひとりいない渋谷のように、もの寂しげな不思議な魅力が漂っている。 -
クリニャンクールの教会 1914年
モーリス・ユトリロ -
ノートルダム 1910年
モーリス・ユトリロ -
モン・スニ通り 1912年−1914年頃
モーリス・ユトリロ -
旗のある市庁舎 1924年
モーリス・ユトリロ -
うさぎ 1923年−1924年
シャイム・スーティン
スーティンは静物画の連作、特に動物ものとして羽をむしられた鶏や皮を剥がされた牛など多く描いている。シャルダンの影響を受けているようで、実際ルーヴル美術館の「赤エイ」を熱心に模写していたそうだ。
この絵を観て何より思ったのは、やっぱりフランスではうさぎは日常的に食べられていたんだなということ。 -
モネもあった。
睡蓮の間の大睡蓮より、こっちのほうが良くない? -
ここまで観てきて、アンリ・ルソーがないじゃないか!と慌てた。パニクりながら監視員さんに聞きにいくと、1つだけ見落としていた部屋があって、そこにまとめて展示されていた笑。焦った!
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ジュニエ爺さんの二輪馬車 1908年
アンリ・ルソー
やっと会えた。あなたに会うためにフランスまでやって来たんですよ。さあ、思う存分笑かしてください。
まずルソーは自称「リアリズムの画家」だった。この絵を観て、どこがですか~と叫びたい。 -
右端の動物は犬かな?どう見てもサイズがおかしいでしょ。
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なぜ全員正面を向いているの。真ん中の謎の生物は何?
人の大きさのバランス悪っ!特に一番左の女性、異様に小さくない? -
人形を持つ子供 1906年
アンリ・ルソー
この絵、いいなあ! -
人形を持つ子供って言うけど、ただの女装したおっさんやん。
本人はウケ狙いのつもりは微塵もなく、いたって大真面目。自分を写実的な大画家と信じて疑わないルソーは、笑われてもお構いなしだ。
愛おしいでしょ、ルソー。ルソーが凄いのは、全ての作品が突っ込みどころ満載という点。
世間からは嘲笑の的だったルソーを、初めて認めたのはピカソだった。「どうやったらあんな子供みたいな絵が描けるんだ!」と嫉妬したらしい。いや、ピカソさん、子供みたいなじゃなくて、ルソーは子供だったのです。だって自分にとって大事なものは遠近法を無視して、大っきく描いちゃう。好きな飛行船、気球、エッフェル塔、国旗はとりあえず描いとく。葉っぱを描くのが楽しくてしょうがない。そんなお子様ルソーはやっぱり愛おしい。
そして亡くなった後に評価がバク上がり、今や素朴派の巨匠と称えられている。多分本人はあの世で「巨匠?当たり前だよ。私は昔から大画家さ」と至極当然という顔をしているだろう。 -
地面に立つ足がどうしても上手く描けないルソーは、草に埋もれさせて誤魔化した笑。
それに、この子一体どこに座ってるの?空気椅子?だいたいこんなキモい人形あるかい!
下手にも程があるでしょ。でも、じわる。見れば見るほどじわじわとくる。
ああ、この魅力は説明できない。 -
女性の肖像 1895-97年頃
アンリ・ルソー
女性のバランス悪っ!顔が小さい割に手がデカいし、服の袖も大き過ぎでしょ。相変わらず足は浮いてるみたいだし、だいたいこの足、手より小さいよ。それに右下の猫も小さくて、もう遠近法めちゃくちゃ。絵の上部と下部のサイズ感もバラバラ。
でも葉っぱは一生懸命細かく描いていて、力の入れようが半端ない。 -
アルフォールヴィルの椅子工場 1897年
アンリ・ルソー
58cm✕48cm -
アルフォールヴィルの椅子工場 1897年
アンリ・ルソー
60cm✕47cm
この2枚の絵は同じ椅子工場を同じ年に描いているが、いろいろ違っていて面白い。間違い探しかっ! -
釣り人 1908-09年頃
アンリ・ルソー
この複葉機のちゃっちいこと。でも、雑に描かれている人物より好きが溢れ出ている。だいたいこの川の岸はどうなってるの?なんか釣り堀状態じゃない? -
公園を散歩する人々 1908-1909年
アンリ・ルソー
この建物、多視点笑?セザンヌですか?
真ん中の建物の入口ってどんなん?
この子供の描いたような絶妙な下手さが、ピカソを虜にした。きちんと美術教育を受けたピカソにとって、こんな下手な絵を狙いではなく素直に描けるのか理解できなかったのだ。
そのくせ森の葉っぱだけは極端に細密で、一発でルソーって分かるのも面白い。 -
男性の肖像 1887年
アンリ・ルソー
僕はアンリ・ルソーが好き過ぎて、自宅の玄関に、東京国立近代美術館所蔵の「第22回アンデパンダン展に参加するよう芸術家達を導く自由の女神」の実物大ポスターを飾っている。
日本にルソー作品は何点かあるが、やはり代表的なのは、「第22回アンデパンダン展に参加するよう芸術家達を導く自由の女神」(長い!)と世田谷美術館所蔵の「フリュマンス・ビッシュの肖像」だろう。世田谷美術館ではしばらく「フリュマンス・ビッシュの肖像」の展示がなかったが、やっと2026年2月から展示予定なので今から楽しみだ。 -
女性の肖像 1887年
アンリ・ルソー
今回是非観たかったルソーの「婚礼」(1905年)の展示がなかったのが、非常に残念。 -
ルソーの部屋には長居してしまいました。
僕が美術にハマったのは、原田マハの「楽園のカンヴァス」を読んだことがきっかけだった。奇しくも「楽園のカンヴァス」はルソーの絵が重要なモチーフになっているが、小説の中にルソーについて書かれた一節がある。少し長くなるが、とても面白いので引用してみる。
「十九世紀末、ルソーが作品を発表し始めた頃、世にも醜悪で下手くそ極まりない珍妙な絵を観るために、大衆がこぞって展覧会場に詰めかけたエピソードは有名だ。 人々はルソーの絵の前で、腹を抱えて大笑いしたという。気品溢れる芸術家たちの集いであるはずの会場は、まるで見世物小屋のような熱気に包まれた、と。
ルソーに対する評価は、画家の死後七十数年経ったいまでも、本質的には変わらない気がした。意地の悪い見方をすれば、やはり彼の作品は、遠近法も明暗法も習得し得なかった無知で下手くそな日曜画家のものでしかない。しかし一方で、ルソーの登場がピカソやシュルレアリスムに与えた影響を考えれば、これほどの孤高の異才は、美術史において、後にも先にもなかったのではないか。そしてもしも、彼が「無知」を装った「天才」であったとしたら?」
なんかルソーって、奥が深いような気がしてくるでしょ。 -
地下1階にはカフェ(Café de l’Orangerie)があった。
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カフェの隣りはミュージアムショップだ。思わずアンリ・ルソーの画集を購入してしまった。
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コンコルド広場
コンコルド広場はフランス革命の処刑が行われた場所。ここで国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットのギロチン刑が行われた。 -
コンコルド広場の噴水
映画「プラダを着た悪魔」(2006年)の終盤にこの噴水が出てくる。パリコレでやって来たアン・ハサウェイと鬼上司のメリル・ストリープ。上司の無理難題を次々とクリアしていくうちに、無我夢中で成果を出す自分にはまっていく主人公。しかしついに上司との決別を決めて、彼女から掛かってくる携帯をこの噴水に投げ捨てる名場面だ。 -
エジプトから贈られた神殿などに立てられる記念碑オベリスクが迫力。
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セーヌ川沿いを歩いて行こう。
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レオポール・セダール・サンゴール橋。
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ポン・デ・ザール(芸術橋)
歩行者専用の橋。1804年に完成したパリで最初の鉄橋。 -
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セーヌ川を渡ってシテ島へ。
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サント・シャペル
get your gaideで予約支払済(19€)。手数料なし。 -
1248年に完成した教会。
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11:30に予約していたが、11:00には着いてしまった。すると11:00の入場者が少なかったのか、すぐに入れてくれた。ラッキー!
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2階建ての構造になっており、1階部分は天井が低い。
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土産物屋は1階にある。
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狭い階段を上がり2階部分に出ると、高い天井と全面に広がるステンドグラスの美しさに呆然となる。
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バラ窓も素晴らしい。
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リブヴォールトと尖頭アーチがゴシック建築の特徴だ。
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窓を大きくとり、上へ上へと伸びていく感じもゴシックだな。
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ノートルダム大聖堂に入れなかったのは残念だったが、ここのステンドグラスを観られたので満足だ。
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さあ、食事に行こう。
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MIRAMA
1977年創業の広東料理店。
フランス料理は美味しいけど、さすがに毎食だと違うものが食べたくなる。 -
桐島かれんがYouTubeで紹介しているのを見て、美味しそうだったのでチェックしておいた。
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青岛啤酒 33cl €5.5 (940円)
チンタオさん、こんにちは。パリで会えるとは。 -
蝦球炒麵 (海老焼きそば) 14.90€ (2,530円)。
海老たっぷりで優しい味。久しぶりの中華は、美味しすぎて一気に完食した。 -
友人は、鮮蝦水餃麵(海老ワンタン麺)€12.9 (2,190円)を注文。
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友人がパトリック・ロジェのチョコレートを土産に買いたいというので、お付き合い。
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可愛い店員さんが、1つ試食させてくれた。さすが高級店だけあって美味しゅうございました。
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サン・シュルピス教会が見えてきた。
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サン・シュルピス教会。
ネオ・クラシック様式の荘厳な建築は、パリを代表する教会だ。 -
ジャイアントオーダーが素晴らしい。
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圧巻!
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旧約聖書の「天使とヤコブの戦い」
ルーブル美術館で観た「民衆を導く自由の女神」を描いたウジェーヌ・ドラクロワのフレスコ画。
この戦いはヤコブが勝利を収める。ヤコブは神様から「神を守る者」という意味のイスラエルを名乗ることを許され、それが後のイスラエル国の語源になった。 -
この教会は映画「ダ・ヴィンチ・コード」に登場する。教会の床にローズラインと呼ばれる子午線(経線)が一直線に走っており、その下に「聖杯」(マグダラのマリアの遺骨が眠る石棺)があると知った狂信者シラスが、夜中に教会の床を掘るシーンだ。
是非そのローズラインを見たかったので、探したが見つからなかった。「ダ・ヴィンチ・コード」は何回か見たので記憶には自信があったが、来る前にもう一度予習しておくべきだったと後悔。 -
美し過ぎてため息しか出ない。
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この静謐な空間にしばし時間を忘れる。
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教会の近くでノミの市が開かれていた。
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ゆっくり探せばお宝もありそうだが、青空市だけあって暑い。
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ノミの市ではないが、この近くの土産物屋で息子に「I LOVE PARIS」のTシャツをシャレで購入。8€(1,360円)だった。帰りの空港で同じ物が25€(4,250円)で売っているのを見つけて、空港価格(観光客が余った現地通貨を使い切りたいという欲求を見越して設定される)にも程があると思った。
息子のリアクションは、「ありがとう。でもいつも美術を熱く語る人が一番買っちゃいけないお土産だよね」と、期待通りの返しだった笑。 -
ホテルの近くのビストロ「Le Passage」。
テラス席は暑いので店内のテーブルにすわる。中も涼しくはないが、外よりはましだ。テーブルセットがあったので、念の為店員さんに飲み物だけでもいいか訊ねると、食事をしないのならテラス席にしてほしいと言われた。残念。諦めて別の店を探すことにした。 -
CAFEBAR TABAC
ここならドリンクだけでもいいだろう。
中国人が経営するカフェバーだった。 -
アイスカフェラテ 6€ (1,020円)
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パリの友人がLINEで「今どこ?」と送ってきたので、出発の時間までホテル近くのカフェにいると伝えると、10分くらいで来てくれた。一緒にコーヒーを飲みながら、最後の最後まで付き合ってくれた。
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今日帰国する友人と2人で空港へ。
シャルル・ド・ゴール空港まで定額の65€でOKか確認して、タクシーに乗り込む。 -
ターミナル1に到着。友人はJALなのでターミナル2だ。
とりあえずチェックインしよう。 -
浮き輪を積み重ねたような不思議な形のターミナル1。
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家族にお土産と、最後に残った小銭でお菓子を買う。
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早く着きすぎてしまったので空港をぶらぶら。
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買い物も終わり、後は搭乗までのんびりしよう。
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これに乗って帰る。
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全日空 NH216
座席は32C。隣り2席はフランス人の若いカップルだった。
19:20にシャルルドゴール空港を出発し、翌日の6/23(月)15:55に羽田空港到着。13時間35分のフライトだった。
帰りの便は多少寝られたので、意外と長さは感じなかった。
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