2025/05/22 - 2025/05/22
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chiaki-kさん
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昨日の12時に来たばかりだというのに、今日は9時に青森に戻らなければならない。21時間という短い時間だったが、それでも函館を楽しめたので良しとしよう。今日の予定は立待岬を見てから津軽海峡フェリーで大間へ渡り、大間から尻屋崎(しりやさき)、そして、下北半島の太平洋側を南下して八戸までなので移動距離はさほどでもない。
表紙の写真は下北半島で放牧されている寒立馬(かんだちめ)と呼ばれる馬で、青森県の天然記念物に指定されている。南部馬の系統で、厳しい冬にも耐えられるたくましい体格の馬である。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
5/22
6:00にラビスタ函館ベイ13Fにある浴場へ赴く。写真は湯上り処と称するロビーで広い窓からは、 -
金森赤レンガ倉庫や函館山が一望に。
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立待岬方面
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函館マリーナ方面
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昨日買物をした、はこだて海鮮市場。(再掲)
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函館山展望台も良く見えた。
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2022年5月に、寒さに震えながら展望台から撮影した夜景。
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朝食はスーパーバイキング。これを目当てに、このホテルを選んだようなもの。
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7:30にホテルを出発するが、フェリーの出発まで時間が1時間40分ほどあるので立待岬に立ち寄ってみた。写真は石川啄木一族の墓の前。
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一族の墓はこちら
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近くにはこんな歌碑もあった。砂山影二(すなやまかげじ)は啄木の崇拝者であったが、啄木が亡くなってから9年後に青函連絡船から身を投じて命を絶った人物。享年20歳だった。
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石川一族の墓から1分で立待岬到着。
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おなじみの立待岬の碑と函館山南側の崖。この地名はアイヌ語のヨコウシ(待ち伏せすること)で、ここで魚を取ろうと立って待つことに因むという。
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戊辰戦争では新政府軍の一部がこの崖を登って函館に攻め入ったそうだ。
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6月に次のクルマが納車されるので、これが最後の北海道となるワゴンR・スティングレーをカメラに収めてから、
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津軽海峡フェリー函館ターミナルに到着。
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9:10発、大間行きの大函丸に乗り込む。
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さらば北海道。次はいつかな?
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大間までは乗船時間は1時間30分。大部屋でまったり。
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大間では原子力発電所を建設中。どおりで大間町やむつ市へ向かうR279が工事関係のクルマで賑やかだった。
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大間崎は本州の最北端。正確には沖合に見える弁天島が最北。
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大間というとマグロが有名。モニュメントはマグロと一本釣りの漁師の腕。
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弁天島の後方には亀田半島が見える。それにしても海が奇麗。
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こんな碑もあった。
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自販機まで最北端。
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大間町内の食堂はどこも混んでいたので、R279を少し走ったところにあった「食事処ばんやめし」さんで昼食。刺身定食(\2,000)を頂くが、ホタテ、タコ、マグロなど、どれも新鮮で厚く、美味しかった。
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R279→D266→D6むつ尻屋崎線をひた走るが、尻屋崎手前にこんな工場あり。日鉄鉱業尻屋鉱業所のようだ。
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工場を過ぎると間もなく尻屋崎入り口に到着。
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こんなゲートがあるが7:00~17:00であればゲートは自動的に上がる。
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そして、寒立馬(かんだちめ)たちがいた。
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寒立馬と命名したのは1970年、尻屋小中学校の校長が年頭の書き初め会で、「東雲に勇みいななく寒立馬 筑紫が原の嵐ものかは」と詠んだのが最初。「寒立」はカモシカが冬季に山地の高いところで長時間雪中に立ちつくす様を表す言葉で、寒風吹きすさぶ尻屋崎の雪原で野放馬がじっと立っている様子がそれに似ていたことから「寒立馬」と詠んだそうだ。(Wikipedia参照)
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尻屋崎に到着。本州の最東北端だそうだが、今までに訪れた中では最高の岬かも。
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厳しい風雪のため樹木が無く、海の色が限りなく透明に近いブルー。
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尻屋埼灯台(しりやさきとうだい)は、青森県下北郡東通村(ひがしどおりむら)の尻屋崎の突端に立つ白亜の灯台。国の重要文化財に指定され、日本の灯台50選に選ばれている。
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1876年(明治9年)東北最初の灯台として初点灯。
1879年 日本で初めて霧笛が設置されるが、これを記念して12月20日が霧笛記念日となっている。
1945年 米軍の攻撃により破壊。運用不能になる。
2022年 国の重要文化財に指定。 -
この灯台は日本では数少ない登れる灯台。今回準備不足のため左膝に痛みが生じていたので残念ながら登らず。
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灯台の裏にはこんなお花畑が。
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岩の上に新しいお墓のようなものが建っていたが、1964年1月に尻屋崎沖で遭難した船の犠牲者を悼む碑だった。
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この岩礁と恵山岬を繋ぐ線の左側が津軽海峡、右側が太平洋とされている。
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尻屋崎から約20分、太平洋側に尻労(しつかり)の集落がある。駐車場が無いので道路わきにクルマを駐める。前方に見える砂丘が猿ヶ森砂丘(さるがもりさきゅう)
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猿ヶ森砂丘は、青森県下北郡東通村の尻労から小田野沢までの太平洋沿岸に広がる海岸砂丘で、ほぼ全域が防衛装備庁の下北試験場となっているおり一般人の立ち入りは禁止されているため、観光目的で行くことはできない。その面積は少なく見積もっても3,000haはあり(鳥取砂丘は約2,500ha)、日本最大級の砂丘である。(Wikipedia参照)
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幅は東西約2km、長さは南北約17 kmで、約6000年前の縄文海進期以降に太平洋からの砂が堆積して形成された。「猿ヶ森」の名は、アイヌ語の「サル・カ・モライ」(湿地の上流にある流れの遅い川)に由来すると考えられているが、下北砂丘(しもきたさきゅう)とも呼ばれる。
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猿ヶ森砂丘に沿ったD248を走るが砂丘のサの字も見えない。
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この後、R338に沿って六ヶ所村、三沢市を経由して八戸市の宿にチェックイン。今日は朝、昼と豪華な食事だったので晩飯は近くのセブンで購入したオニギリ2コとレモン&ライムサワー。旅行中は体重が増え気味になるので、この辺で調整を。
と、いうことで「2025年 北東北旅行記5:尻屋崎に寒立馬を見る、立待岬・大間崎・尻屋崎・下北半島半周」は終了です。本日も最後までご覧いただきありがとうございます。次回は「2025年 北東北旅行記6:ウミネコに占領された神社、蕪島神社・三陸道南下・松島&仙台」です。
ホテルの口コミはこちらです。
https://4travel.jp/dm_hotel_tips/15242822
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