2025/03/21 - 2025/03/21
471位(同エリア4545件中)
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キートンさん
この旅行記のスケジュール
2025/03/21
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わたせせいぞうギャラリー白金台
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内田正泰記念アートギャラリー
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江ノ島
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この旅行記スケジュールを元に
2年前、還暦を迎えたのを機にアートを始めた。
突発性難聴の後遺症のため現場作業を制限したことと、従来のデスクワークも激減して時間を持て余した時期でもあった。
旅行の記憶を何か作品として残したいと思い、大学のサークルで少し経験のあった絵画作成を久しぶりに再開することにした。
とはいえ、今まで美術館や個展に足を運ぶことは少なかった。
なので、今回は絵画作成の参考にしているアーティストと西洋絵画の美術館を巡る勉強の旅である。
・・・と言いながら、ロケ地巡りや普通に観光もちゃっかりやっちゃってます。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 私鉄
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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3月20日、梅田21:50発夜行バスのナイトライナーは、翌21日6時過ぎに新宿に到着。
往路は3列シートのバスにしたので、夜行バスにしては眠れたほうだ。
大阪→東京間で料金は片道約8,000円だった。 -
早朝だったので、徒歩で国立競技場に来てみた。
2019年11月に竣工。
言うまでもなく、2020年東京オリンピック・パラリンピックのメインスタジアムである。 -
隈研吾によるデザインは、周辺(明治神宮外苑)との調和を目指した『杜のスタジアム』のコンセプトを掲げ「自然に開かれた日本らしいスタジアム」を提案。屋根や軒庇などを鉄骨と木材のハイブリッド構造とし、最大高さを47.4mと比較的低く設定することで、水平ラインを強調した構造となっている。使用する木材は47都道府県から集められた杉材およびカラマツ約2,000立方メートル分を使用、塗装により本来の木材よりやや白みがかったものとなっている。屋根の下には法隆寺五重塔からヒントを得たといわれる三層の庇が水平さをより強調している。(Wikipediaより)
2019年11月に竣工。
残念ながら、2020年東京オリンピック・パラリンピックは翌年に延期になったうえに、ほとんどの競技が無観客で実施された。 -
国立競技場東側に展示されている2020年東京オリンピック聖火台。
点火前には球体だった形状が花のように開くデザインが秀逸。
サイズがもっと大きければ良かったのではと個人的には思う。 -
国立競技場を外側から見た後、聖徳記念絵画館前を通って信濃町駅へ向かった。
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JRで秋葉原乗り換えで上野に移動。
上野恩賜公園でお決まりの西郷隆盛像。
彫刻家、高村光雲作、1898年(明治31年)に建立された身長:370.1cmの銅像である。 -
最初の目的地である国立西洋美術館が9:30開館で、それまで1時間以上あるので、上野恩賜公園を散策。
西郷像から北に歩くと、京都東山の清水寺を模したという舞台造りの清水観音堂があった。 -
階段を下ると桜並木の通りだが、桜はまだつぼみ。
1本だけ早咲きの桜があった。 -
不忍池辨天堂に向かう園路には、屋台が準備中。
右の屋台の「10円パン」の値段は500円だった。
1個500円のパンって・・・
でも、行楽だとこういうものを買ってしまうのが人間の心理というもの。 -
江戸初期の寛永年間に、天台宗東叡山寛永寺の開山、慈眼大師天海大僧正(1536~1643)によって建立された不忍池辨天堂。
天然の池であった不忍池を琵琶湖に見立て、また元々あった聖天が祀られた小さな島を竹生島に見立てて建てられたお堂なのだという。 -
不忍池辨天堂付近で見かけた小鳥。
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イチオシ
不忍池のボート池。
不忍池は、一面がハスで覆われる蓮池、ボートを漕いで楽しむことのできるボート池、上野動物園の中に位置しカワウが繁殖している鵜の池の3つに分かれている。 -
あまり歩くと体力が持たないので、開館20分前には国立西洋美術館前で開館を待った。
常設展の料金は500円。 -
国立西洋美術館の木製模型。
国立西洋美術館は、モダニズム建築の巨匠といわれるル・コルビュジエの建築作品のひとつとして世界文化遺産に登録されている。
中央のホールの上部に三角形のトップライト、その四方に明り取りの中3階を設け、自然光を生かす工夫が見られる。 -
中央のホールは「19世紀ホール」と呼ばれている。
国立西洋美術館の完成は1959年、つまり20世紀なのになぜ19世紀ホールなのかは謎。
柱と梁は姫小松という木の型枠にコンクリートを流し込んで、木目を浮き出たせているという。
人口光で下から照らすための床照明も設置されている。 -
2階展示室。
中3階(写真左)から取り込んだ自然光と照明器具による人口光を利用した、回廊状の展示室。
奥には、会議や小さな作品の展示会場として利用された中3階とそれに上る幅の狭い階段が設置されている。
現在は狭い階段の上部は非公開となっている。国立西洋美術館 美術館・博物館
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国立西洋美術館に展示される主要な作品は、川崎造船所(現・川崎重工業)社長を務めた実業家松方幸次郎が、20世紀初めにヨーロッパで収集した絵画・彫刻を中心とする「松方コレクション」が基礎となっている。
松方コレクションは第二次世界大戦後、フランス政府により敵国資産として差し押さえられていたが、コレクションを収蔵する美術館を新たに設置することを条件として返還されることとなり、国立西洋美術館が建設された。
特に印象派などの19世紀から20世紀前半の著名な画家による西洋絵画が数多く展示されている。
多くの作品は写真撮影可となっている。
以下、一部の撮影可の作品ごとに国立西洋美術館HPの解説文を掲載する。 -
「ゲッセマネの祈り」(1518年頃)ルカス・クラーナハ(父)
捕縛直前の、キリストの橄欖山での祈りの場面を描いた本作品は、1518年頃、すなわちクラナッハの中期に属するものと考えられている。キリストは、最後の晩餐の後、弟子たちを引き連れ橄欖山に向かう。その麓、ゲッセマネの園で、特にペテロ、ヤコブ、ヨハネの三人を伴い、さらに彼らから離れ、一人、神に祈りを捧げる。画面中央、土地が一段高くなったところにキリストが、その下に、キリストの命令にも拘わらず眠り込んでしまった三人の使徒が描かれている。キリストの右上方には聖杯と十字架を持った天使が、そして背景には、ユダに先導されてキリスト逮捕に来た群衆の姿が描写されている。暗くなりかけた宵空は、上空の暗雲と夕陽に映える低い部分とが不気味な対照をなし、作品の主題であるキリストの苦悩とこれから起こる悲劇を暗示しているかのようである。風景描写にはまだドナウ派風の様式が感じられ、それは、本作品がウィーン時代に制作された初期作品とそれほど隔たったものではないことを示唆している。ドレスデン美術館にはこれよりひとまわり大きい同主題の作品があり、そのモティーフは多くの点で本作品と一致している。 -
「ゲッセマネの祈り」(1570年頃)ジョルジョ・ヴァザーリ
主題は、新約聖書の「マタイ伝」、「ルカ伝」などの一節からとられている。ユダの裏切りを知ったキリストは最後の晩餐のあとに、橄欖山の麓のゲッセマネでペテロ、ヤコブ、ヨハネの三人を伴い、苦悩のうちに神に祈りを捧げ、天使によって力づけられるが、弟子の三人は眠り込んでいる。
三角形構図の頂点に祈るキリスト、下辺に寝入っている三人の使徒(左からペテロ、ヨハネ、ヤコブ)をそれぞれ配し、マニエリスムに特有の変化に豊んだ姿形を与え、構図に流動性と張りをもたせている。画面左上には、キリストを捕えるためにユダに導かれてやって来た群衆が描かれており、この主題の伝統的図像に従っている。
かつて本作品は比較的初期の1545-46年頃のものと考えられていたが、制作様式、関連する素描の分析から、ヴァザーリの晩年の作と考えたい。 -
イチオシ
[悲しみの聖母]( 1655年頃) カルロ・ドルチ
本作品は1655年頃、カルロ・ドルチ39歳の時の佳品である。暗い背景に浮かぶ淡い光背に包まれ、深みのあるラピスラズリで描かれた、青のマントを身にまとった聖母マリアの美しくも悲痛な表情は、観者の心に深く訴えかけるものがある。カルロ・ドルチの詳細な伝記を最初に残したフィリッポ・バルディヌッチ(1625-1695)によれば、彼は子供の頃から敬虔な信仰の人で、生涯聖ベネディクトゥス信者会に属していたという。彼は1650年頃から大型の宗教画に加え、聖人の姿を寸法の比較的小さい様々な半身像として描くようになるが、中でも本作品は質の点においてきわめて優れた作品である。両手を合わせた聖母の構図はティツィアーノの聖母像にその原型を認めることができるが、むしろティツアーノの作品を原型として16-17世紀にスペインで人気を博した聖母像の形式をふまえたものと考えられる。ドルチのこうした聖母像はたいへんな人気を博し、現在本作品からの模写と考えられる作品が1点、さらに構図の若干異なる聖母像が模写も含め数多く知られている。長いこと本作品の聖母のモデルは1654年に結婚した妻テレーザ・ブケレッリと考えられているが、自筆デッサンの中にあるテレーザの肖像デッサンと比較した場合、その同一性に対する疑問も指摘されている。 -
「聖トマス」ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
17世紀に東フランスのロレーヌ地方に生まれ、生涯をその地で過ごしたジョルジュ・ド・ラ・トゥールは、死後人々に忘れ去られたものの、20世紀になって劇的な形で再発見され、現在では世界的な名声を得た画家の一人となっている。とりわけ、蝋燭の光に照らし出された神秘的な画面を多く残したところから「夜の画家」とも呼ばれるが、今日まで残る真作は僅か40数点にしかすぎない。
西洋美術館のコレクションに新たに加わった《聖トマス》もまた、こうした再発見史の最も新しいページを飾る作品で、ラ・トゥールの初期の代表的作例とみなされている。その存在が世に知られたのはごく近年の、1987年のことであった。本来この絵は「キリストと十二使徒」を表わす連作のうちの1点として北フランスで描かれ、その後は長い間南フランス、アルビの町の大聖堂内に置かれていた。皮膚の皺一本一本を苛烈なまでに克明に描写する力強いレアリスム、光の洗練された取り扱いを通して簡素な幾何学性を際立たせる画面構成などはラ・トゥールの真作のみに見られる特徴であり、蝋燭の光を画面効果として用いた「夜の絵」に対して「昼の絵」と呼ばれる一連の作品に属している。
ここで主題となっているのは、キリストの十二使徒の一人で、遠くインドにまで伝道に赴き異教の人々に槍で突かれて殉教した聖トマスである。ひげを蓄えた壮年の人物として描かれた聖人は、その持物である槍(十字架上でローマ兵の槍に突かれて絶命するキリストの隠喩。キリスト復活の際に、トマスはそれを疑い、脇腹の槍傷を触ってようやく納得したという聖書中の記述で知られる)を手にしている。ラ・トゥールは「不信のトマス」と呼ばれるこの猜疑心に満ちた頑固な聖人の性格を、対角線の構図の中に見事に描き出した。 -
「聖プラクセディス」(1655年頃)ヨハネス・フェルメールに帰属
17世紀のイタリア人画家フェリーチェ・フィチェレッリの、古代ローマ時代の殉教者とキリスト教の聖人『プラクセディス(英語版)』を描いた絵画の模写だと考えられている。この作品がフェルメールの真作であれば、現存するフェルメールの作品の中で最初期の絵画作品となる。
『聖プラクセディス』には、聖人が海綿から絞った殉教者の血を華美な器に注いでいる情景が描かれている。フェリーチェ・フィチェレッリが1640年から1645年に描いた、現在フェラーラのフェルマーニ・コレクションが所蔵する作品と酷似しており、『聖プラクセディス』はこのフィチェレッリの作品からの模写だとされているが、後述のように別の見解も存在する。『聖プラクセディス』とフィチェレッリの作品とのもっとも大きな違いは、胸元の十字架の有無である。もし『聖プラクセディス』がフェルメールの真作で、制作年度も1655年ごろであるならば、『マリアとマルタの家のキリスト』や『ディアナとニンフたち』とともに、フェルメールの最初期の作品の一つであり、知られている作品中で唯一、他の画家による作品からの模写ということになる。ただ、なぜフェルメールが数ある作品の中からイタリアでもあまり名の知られていないこの画家の作品を選んだかは不明である。(Wikipediaより) -
「踊るサテュロスとニンフのいる風景」(1646年) クロード・ロラン
前景右手では牧羊神パンが花冠をつけ、三人の侍女を連れた美しいニンフと並んで坐り、半人半獣のサテュロスとニンフの踊りを見ている。山羊までもが一緒になってサテュロスの子と踊り戯れる。彼らをクロード特有の牧歌的情緒の漂う自然が大きく包み込む。小高い丘に緑陰を落とす画面右半分とは対照的に、左半分はみずみずしい空気と柔らかな光を湛えながら、遥か遠くの山並みへと抜けていく。その上に広がる空と雲もイタリア的な明るさに満ち、しばしば湿気を帯びた空気や大地を描き出したオランダの風景描写とは好対照をなしている。
クロードは自分の油彩作品の構図をスケッチして記録し、『真実の書』と題するアルバム(ブリティッシュ・ミュージアム)に集大成しているが、その108番(1646/47年)に本作品と同じ構図が描かれている。それによると本作品はリヨンの大商人で人文学者でもあったフィリップ・シルヴェストル・デュフールのために制作されたものである。クロードがあまり描いたことのないパンとニンフをここで主題にしているのは、デュフールの注文による可能性が強く、しかも結婚を記念しての注文であったかも知れない。 -
「ナポリの浜の思い出」(1870~72年) ジャン=バティスト=カミーユ・コロー
コローは生涯に三度イタリアに旅行しているが、彼が本作品の主題であるナポリを訪れたのは最初の遊学の際のただの一度に過ぎず、しかもかなり短期間であったと推定される。その時、彼はナポリの城、ヴェスヴィオス山、イスキア、アマルフィなどを描いたスケッチ風の小品を数点残しているが、このナポリ旅行は非常に印象深かったらしく、後年1840-42年には友人ロベールのために壁画《ナポリの田舎の思い出》(ルーヴル美術館)を制作し、また同時期に《ナポリの周辺》(スプリングフィールド美術館)を描いて1841年のサロンに出品、さらに20年余りのちの1863-65年には《ソレントの羊飼いの踊り》(ルーヴル美術館)を描いている。本作品はこのナポリ旅行に想を得た作品としては年代的に最後に位置し、コローの晩年の画風を如実に示している。彼の作品としては大作に属し、それも縦長の画面を大胆に用いて、両側に高く、葉が煙るように揺れる樹木を配し、遠方に明るいナポリの浜を描くという熟考された画面構成を示す。木蔭をなす前景では幼児を抱いた女とタンバリンを左手にかかげた女が手をつないで踊っている。このようなモティーフは《ナポリの周辺》にも見られたが、本作品の場合は、それに加えて銀灰色の微妙なニュアンスが画面全体を支配しており、いかにも追憶の光景に相応しい雰囲気が醸し出されている。 -
「アルジェリア風のパリの女たち」(1872年) ピエール=オーギュスト・ルノワール
これまで多くの展覧会に出品され、またルノワール関係の文献において必ず言及される、ルノワール初期の代表作である。ルーヴル美術館所蔵のドラクロワの名品《アルジェの女たち》(1834年)にヒントを得て描かれたもので、構図は縦長になっているが、登場人物、場面の雰囲気、アラブ風の多彩な装飾など、ドラクロワの作品のあとをはっきり留めている。当時ルノワールはドラクロワの作品を模写しており、このロマン派の巨匠から、その鮮やかな色彩効果と劇的表現を学んだ。この作品においでもドラクロワ風の暖かい色彩が、豊かな金髪や赤を主調とする絨毯、装飾品、衣裳などにはっきりと窺われる。これはルノワールが31歳の時の作品であるが、この頃以降ルノワールは、印象主義的傾向をはっきりと示し、一層明るい色彩表現に向かうようになる。 -
「睡蓮」(1916年) クロード・モネ
1883年以来、パリから数十キロ程セーヌ河を下った小村ジヴェルニーで制作していたモネは、1893年、新たに屋敷の前の土地を購入し、やがてそこに日本風の庭園を造成する。敷地内を流れる小川を利用して、睡蓮を浮かべた大きな池が掘られ、太鼓橋が架けられ、岸辺には柳や灌木が植えられた。外界とは隔絶されたこの水の世界に隠遁しながら、モネは、「睡蓮」の連作に没頭していく。庭の隅にガラス張りの大きなアトリエを建て、自由に移動できるように車をつけたイーゼルを立てて、朝から夕方まで、時とともに移り変わる池の様子、水面の反映と鮮やかな花の美しさを捉えようと試みたのである。連作中には、岸の柳や太鼓橋、夕暮の空などを配したものもあるが、彼は、最後には池のみにその関心を集中した。この作品も画面は完全に上から下まで水面だけで覆われ、そのため見る者は、あたかも池の中に立っているかのような強い感動を受ける。花や水を表わす筆触や色彩は、初期の印象主義的な手法とはかなり異なり、時には表現主義的ともいえる厳しさで、池の水面の神秘なまでの美しさを捉えている。本作品もまた、このようなモネ晩年の「睡蓮」に属すが、その中でも最も優れたものの一つといえよう。 -
「舟遊び」(1887年) クロード・モネ
1883年、モネは妻カミーユ亡きあと、1892年には正式に結婚することとなるアリス・オシュデとその子供たちを連れてウール県ジヴェルニーに移り住む。屋敷からほど近い、セーヌ河に注ぐ支流エプト川に小舟を浮かべて遊ぶ一家の姿を幾度となく描いたのは、この地に定住して間もなくのことであった。本作品は、それら一連の「舟遊び」の主題を描いた作品の中でも、特に完成度の高い作例である。モネの扱った主題の中に、初期の《庭の女たち》(1867年、オルセー美術館)に代表されるような、戸外の光の光の中にたたずむ婦人像があるのは見逃せない。モネを、風景のみを愛した画家とは単純にいい切れないことを示すこのような作例は、1860年代、70年代に多く、画家が次第に光と色彩の効果に専心するにつれて姿を消して行くが、1880年代にも、本作品を初めとして時折姿を現している。画面を覆う青とばら色、緑とヴァーミリオンの鮮やかな対比の中に夢のような優雅な姿で描かれているのは、印象派の有力な援助者であった前夫のエルネスト・オシュデとアリスとの間に生まれた四人の娘たちの内の二人、シュザンヌとブランシュである。大胆に小舟を半分に断ち切った構図は、西洋絵画としては異例であるが、これはモネが写真術や日本の浮世絵版画から学びとったものであろう。しかし、モネは、水面を大きくとり、そこに映った影の表現に鋭い関心を払っているのである。 -
イチオシ
「ブルターニュ風景」(1888年) ポール・ゴーガン
フランス北西部、英仏海峡と大西洋に面したブルターニュ地方は、フランス国内でも特異な文化を保ちつづけ、素朴な生活様式を残していた。1886年にそのブルターニュのポンタヴェンを訪れて感銘を受けたゴーガンは、以後1890年までしばしばこの地に滞在し、起伏に富む風景や素朴な風俗を題材とし、自己の様式を探って行く。本作品は、ブルターニュ滞在時代前半の作例で、印象主義からゴーガン独自の平面的様式への過渡的段階を示している。色彩は抑え気味で、タッチは印象派風で短いが、他面、個々の対象の形態は輪郭線に包まれた大きな色面として把握されており、ブルターニュ時代後半の様式をはっきりと予告している。1888年秋、アルルのゴッホのもとへ旅立つ少し前に描かれたものと思われる。 -
「海辺に立つブルターニュの少女たち」(1889年) ポール・ゴーガン
ゴーガンは、近代化から取り残され、古代のケルト文化の痕跡をいたるところに残す北西フランスのブルターニュ地方を、好んで訪れました。この絵は、1889年の秋に海辺の村ル・ブールデュで制作された、ゴーガンのブルターニュ時代を代表する作品のひとつです。前年末にゴーガンは南仏アルルで、芸術家の共同体の夢を追ってファン・ゴッホとの共同生活を試み破綻しましたが、ブルターニュにおいては1886年の最初の滞在以来、多くの作家たちと交流を持ちながら、この地方の古い習俗や風景を描き続けました。画面に描かれた少女たちは、裸足で、ブルターニュ地方独特の民族衣装を身にまとった姿でモデルとなっています。背景となっているのは、崖と入り江に囲まれ、野趣に満ちた、ブルターニュ特有の風光明媚な海岸風景です。画面全体を覆う平面的な賦彩と様式化された波の表現、中心軸を外した人物の配置などの表現は、注目に値します。この頃、ゴーガンの中で日本の浮世絵の影響は頂点に達していたのです。こうした大胆な試みは、やがて1891年以降に赴くタヒチ島で、さらに深められていきます。 -
「サン=トロぺの港」(1901~02年) ポール・シニャック
シニャックは彼とともに新印象主義の護持とその理論の普及を行なったスーラの死によって大きな衝撃を受け、その翌年の1892年、友人の画家クロスの勧めによってヨットによる地中海巡航の旅に出た。彼はこの旅行中、まだ小さな漁港であったサン=トロペを発見し、以後10年ほどは、こことパリを往復しつつ制作を行なうこととなる。この期間中、シニャックの芸術傾向は次第に著しい変化を見せる。まず構図の線的な厳格さが和らぎ、色彩の面では新印象主義絵画に特有の描点の粒が大きくなる。後者の変化は、点描派の当初の目的であった視覚混合よりも、個々の色彩の特性とそれらの対比を強調することになる。サン=トロペ港の全景を描いた本作品は、この時期の彼の絵画では最もモニュメンタルなものであり、またこうした様式の変化を端的に示すことによって、新印象主義からの脱却とフォーヴィスム誕生の準備という、世紀の変わり目におけるシニャックの業績を代表する作品となっている。 -
「ばら」(1889年) フィンセント・ファン・ゴッホ
ゴーガンとの諍(いさか)いをきっかけとした1888年12月の最初の発作から半年、ゴッホはアルルになおも留まっていたが、1889年5月8日にサン=レミの精神療養院に移る。本作品はこれまで、サン=レミに移る以前のアルル時代最後の時期の作品とされてきたが、サン=レミ療養院の庭の隅を描いたものとする修正意見が1985年のゴッホ展(国立西洋美術館)で提出された。当初、病院の医者はゴッホの行動と制作の範囲を病院の庭に限定したため、5月の間はもっぱら庭のモチーフを描いたようだ。「ここに来て以来、荒れた庭――大きな松の木立があって、その下には様々な植物や雑草が手入れされぬままに伸びている――だけで作品のモチーフは充分で、まだ外に出ていない」。「今やっている4点の庭を描いた作品を送れば、僕が毎日のほとんどを庭で過ごしていることが分かって、そう不幸でないと思うだろう」(書簡592、5月22日)。ゴッホの作風は、ゴーガンと離れたことで、彼の影響下で生まれた平面的な様式から、ゴッホ本来の粗い筆致に次第に戻っていく。しかもその後のサン=レミ時代にはっきりと現れてくる「うねるような」筆致を並置する彼独特の技法もすでにここに窺うことができるのである。 -
2025年3月11日~6月15日の間、「梶コレクション展 色彩の宝石、エマーユの美」が開催されている。
エマーユは仏語のカタカナ表記で、英語にするとエナメル、日本ではふつう七宝と呼ばれている。
エマーユとは、金属の下地にガラス質のうわぐすりを焼き付けた工芸品を意味する。
約150点のエマーユがジュエリーアーティスト梶光夫氏から国立西洋美術館に寄贈された。 -
エマーユとは、金属の下地にガラス質のうわぐすりを焼き付けた工芸品を意味する。
梶コレクションは19世紀後半から20世紀初頭のフランスで制作されたものが中心で、その多くにアール・ヌーヴォー時代の息吹を感じ取ることができるという。 -
「弓をひくヘラクレス」(1909年) エミール=アントワーヌ・ブールデル
ブールデルの名を不朽のものとした本作品は、ギリシャ神話の英雄へラクレスの「十二の功業」の一つに主題を借りている。へラクレスが怪鳥ステュムファリデスを射るために渾身の力で弓をひき、まさに矢を放とうとする瞬間を捉えている。隆々たる筋肉におおわれた緊張感あふれるヘラクレスの肉体は、ロダンのなまなましく息づいているような人体と比較するならば、驚嘆すべきエネルギーに満ちている。1910年のソシエテ・ナショナル・デ・ボザールのサロンに出品された本作品は、極めて好意的に迎えられ、批評家シャルル・モーリスは「レアリスムがイデアリスムの域にまで達している」と絶讃した。
「考える人(拡大作)」(1881~82年) オーギュスト・ロダン
《考える人》について、ロダンは次のように述べている。「扉の前でダンテが岩の上に腰を下ろし、詩想に耽っている。彼の背後には、ウゴリーノ、フランチェスカ、パオロなど『神曲』のすべての人物たち。この計画は実現されなかった。全体から切り離された痩身の苦悶するダンテの姿は、意味がなかった。私は最初のインスピレーションに従って別の思索する人物を考えた。裸の男で岩の上に坐り、両足を引き寄せ拳を歯にあてて、彼は夢想している。実り豊かな思索が彼の頭脳の中でゆっくりと確かなものになってゆく。彼はもはや夢想家ではない。彼は創造者である」。
《考える人》の肉体表現とその姿勢には、《アダム》と同様にミケランジェロの影響が感じられる。システィーナ礼拝堂天井画の預言者エレミア、サン・ロレンツォ聖堂メディチ家墓廟のロレンツォ・デ・メディチなどである。しかし、更に直接的な影響を及ぼした作品はカルポーの《ウゴリーノ》(1863年)である。右肘を左の腿に置いた姿勢は、驚くほどよく似ている。しかし、このカルポーの彫刻がミケランジェロの影響下にローマで制作されたことも事実である。
このブロンズの巨像は、1902年から1904年にかけて、ロダンの良き協力者であったアンリ・ルボッセの手によって1880年の原型に基づいて拡大された。《地獄の門》から独立した《考える人》は、一個の思索する人物ではなく人類共通の普遍的な人間像となった。 -
国立西洋美術館での美術鑑賞を終えて、上野から東京メトロ銀座線で三越前に移動。
次の目的地は日本橋三越本店。 -
日本橋三越本店で3月19日~3月24日の間、「鈴木英人の世界展」が行われていた。
今回の旅はこの日程に合わせた。
入場無料。 -
鈴木英人は1980年代から活躍しているイラストレーターで、山下達郎などのジャケットデザインやFM情報誌「FM STATION」などの表紙で知られる。
この展覧会では多くの額装の作品が展示されているが、残念ながら写真撮影不可だったので、このようなレコードジャケットなどの商品に利用されたものの写真しか掲載できない。 -
鈴木英人は、当初リトグラフやシルクスクリーンという技法を用いていたが、2000年以降はEMグラフという独自の技法で描かれている。
いずれも広い意味で版画の一種といえる。
私が作成している絵画は切り絵なのだが、様々な色のカラーペーパーを切り貼りしているので、完成品は一見鈴木英人の作品に似た印象の作品に仕上がる。
技法やモチーフは異なるが、鈴木英人の作品は非常に参考にしており、ひとつの目標でもある。 -
鈴木英人の初期の作品の多くは、ニューヨーク以北の東海岸の風景で、車、海辺、街などが描かれることが多かった。
私の作品は基本的に今までの旅で出会った風景で、海よりどちらかというと山、都会より古い街並みや特徴的な建造物などが多いので、鈴木英人の作品とはあまり被らない。
たいして美術の勉強をしたことのない人間が、絵画で多少なりとも実益を目指すからには独創性は重要だ。
なので普通に画材で描くのではなく、切り絵で風景画を作成するに至った。
技法だけでなく、作風やモチーフが他のアーティストと被らない方が有利にはなる。
ちなみに、初めて公募展に出品する時に、どの部門でエントリーすれば良いか問い合わせたところ、洋画や日本画ではなくグラフィックデザイン部門で出品するのが適当だという回答を得た。
それ以来、部門別の場合はグラフィックデザインまたはデザイン部門で出品している。 -
後日談だが、4月5日~4月20日の間、大阪天保山で「鈴木英人博覧会」が開催されている。
その情報が事前にわかっていたらこの旅は計画していなかった。
まあこれだけが目的じゃないし後悔するほどではない。
展示される作品も全く同じではないだろうから、暇をみつけて天保山にも行ってみようか・・・ -
東京駅からJR山手線で目黒に移動。
目黒駅から徒歩約3分でわたせせいぞうギャラリー白金台に到着。
入場無料。 -
わたせせいぞうは、鈴木英人や永井博とともに1980年代を象徴するイラストレーターで、漫画家でもある。
このギャラリーでは、個々の作品の写真撮影は不可だが、ギャラリー内の雰囲気の撮影は可ということだった。 -
わたせせいぞうの作品の特徴は、人物が主役でほとんどの場合若者カップルが描写されている。
鈴木英人の作品よりややイラストっぽい作風である。 -
イチオシ
とはいえ、作品に描かれる風景の表現は、多色の切り絵にも大いに参考になりそうだ。
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ギャラリー内にクラシックなスクーターやピアノが置かれていて、フォトスポットとなっている。
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目黒からJR品川乗り換えで鎌倉に14:30頃に到着。
ここから江ノ島電鉄(通称江ノ電)に乗り換えようとしたが、少しの差で乗り過ごしたので駅の売店で鎌倉コロッケなるものを購入。
Big鎌倉コロッケとしらす入りコロッケを1個づつ計2個、ともに1個200円。
個人的にはしらす入りの方が美味かった。駿河屋本舗 鎌倉コロッケ 江ノ電鎌倉駅本店 グルメ・レストラン
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飛び石連休中の平日の昼間とはいえ、江ノ電はほぼ満員で外国人も多かった。
そんな江ノ電もモータリゼーションの影響で利用者が激減し廃線寸前の時期があったという。
廃線の危機を脱するきっかけのひとつが1976年秋から放送された「俺たちの朝」というドラマだった。
前番組「俺たちの旅」の中村雅俊に変わって、主役に刑事ドラマ「太陽にほえろ!」のテキサス刑事役を殉職降板した勝野洋を抜擢し、全48話1年間のロングランとなった。
オッス(勝野洋)、チュー(小倉一郎)、カアコ(長谷直美)の3人が鎌倉のひとつ屋根の下で共同生活を行う青春もので、前番組から引き続き秋野太作、森川正太も共演していた。
当初撮影は世田谷区の等々力渓谷を予定していたものの、駅のホームでの撮影許可が出なかったことにより断念し、当時まだそれほど観光客も多くなく、江ノ電の廃止が決まりつつあった鎌倉が選ばれることとなったという。
主人公達が住んでいる設定の極楽寺駅周辺は連日の賑わいとなり、利用客数は上昇に転じ江ノ電は廃線の危機を脱した。
「俺たちの朝」(1976~77年)
https://www.youtube.com/watch?v=a4hOwIdboKY -
江ノ電の長谷駅からすぐのところに、鎌倉こころのギャラリー館があり、その一部が内田正泰記念アートギャラリーとなっている。
入場無料。 -
内田正泰は横須賀出身の貼り絵画家で、2019年9月に97歳で他界する間際まで作品を作り続けた。
貼り絵といってもイメージとしてはちぎり絵で、私が作成する切り絵とは、紙を指でちぎるかカッターで切るかの違いだけで、それ以外は技法としてはほぼ同じである。 -
イチオシ
内田正泰の作品は、都会や有名観光地ではなく、日本の素朴な田舎の風景やそこで暮らす庶民の生活を感じさせるものがほとんどである。
このギャラリーでは個々の作品も写真撮影可だが、表面のアクリル板の反射の映り込みでうまく撮れないのが残念。 -
内田正泰作品の絵はがき。
繊細さや緻密さがあるわけではなく、それほど多彩でもないのに、惹きつける何かがある。
それが何なのか、自分の作品には何が足りないのか、なかなかわからないでいる。 -
ギャラリーの管理人から貼り絵に使用していた紙をどこで入手していたか聞いてみると、銀座・伊東屋を紹介された。
残念ながら今回の旅のスケジュールでは寄るのが難しいので、横浜周辺で聞いてみると、有隣堂・伊勢佐木町本店を勧められた。
次回、岡山で「内田 正泰の世界展 こころの風景」が開催されるとか、情報を仕入れた後、ギャラリーを後にした。 -
江ノ電沿線に咲くアブラナ。
-
長谷駅と極楽寺駅の間に御霊神社がある。
そこに行く踏切に外国人がたむろしていた。
テレビドラマ「最後から二番目の恋」とその続編で何度も映る場所だ。
そこを左に入ると、長倉一家(中井貴一、内田有紀、坂口憲二、白本彩奈)と吉野千明(小泉今日子)が住む古民家がある(という設定)。
実際には、イタリア料理店があるらしい。 -
踏切を渡ると鳥居があり、その先に神社の本殿がある。
いかにも撮影に使いたくなるようなロケーションだ。 -
極楽寺駅に向かう坂道を上る。
映画「海街diary」で、花火の日に香田三姉妹の長女幸(綾瀬はるか)が上った坂道である。 -
その坂道を上り切ると、桜橋という赤い欄干の橋があり、そこからは江ノ電唯一のトンネル極楽洞が見える。
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桜橋を渡ると右に「海街diary」で浅野すず(広瀬すず)が雨宿りした導地蔵尊がある。
この映画の広瀬すずはサッカー好きの中学生役でまだ若い。
サッカーのシーンを見ると、いかにも運動神経が良さそう。 -
桜橋は「海街diary」に何度か出てくる。
「海街diary」(2015年)
https://www.youtube.com/watch?v=klRrF-EMvk4 -
次女の香田佳乃(長澤まさみ)と浅野すず(広瀬すず)が駆け下りた、極楽寺駅横の坂道。
https://www.youtube.com/watch?v=s1xxEnCS0hc -
極楽寺駅。
映画「海街diary」、テレビドラマ「俺たちの朝」、「最後から二番目の恋」などロケ地として人気の駅である。
吉野千明(小泉今日子)は、ここの改札でお約束のように定期を探している。
2025年4月からは続編の「続・続・最後から二番目の恋」が月9枠で始まるという。
かつては、月曜の夜は街からOLが消えるとまで言われたフジの月9ドラマも最近は視聴率が低迷している。
医療ドラマや捜査・法廷ものは健闘することがあるが、恋愛ものやホームドラマは苦戦する傾向にある。
フジテレビの社内問題まで加わって最悪の状況の中、11年ぶりの続編はこの窮地を救えるのか?
「続・続・最後から二番目の恋」
https://www.youtube.com/watch?v=9-zM2XQBPIY -
私はリアルタイムで「俺たちの朝」を見ていた世代だが、ここがロケ地だったことは最近になって知った。
今は断片的にしか思い出せないが、私や少し上の世代の特に男子はかなりの確率ではまっていたドラマだ。
余談だが、「俺たちの朝」に出演していた小倉一郎が「海街diary」でもちょい役で出ている。 -
江ノ電と一般道が並走する区間に高低差も柵もない。
こういうところは国内では珍しい気がする。 -
海が見えてきた。
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七里ヶ浜に沿って国道134号線を西の江ノ島方面に歩く。
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七里ヶ浜の駐車場。
江ノ島周辺を舞台としてもう一つ個人的に取り上げたいドラマは「流れ星」。
ここは、岡田健吾(竹野内豊)がドナーになってもらうために偽装結婚した梨沙(上戸彩)を梨沙の兄修一(稲垣吾郎)から連れ戻す場所。
稲垣吾郎はあの手この手で妹や係わる人々から金銭を搾取しようとする、最低の兄を演じている。
「流れ星」
https://www.youtube.com/watch?v=Kl4qzr8i01w -
16:30前、七里ヶ浜から見る江ノ島は完全に逆光になっていた。
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鎌倉高校前駅近くの踏切には、多くの観光客が集まっている。
言わずと知れた「SLAM DUNK」の聖地なのだが、ここまで人が多いとは思わなかった。
個人的には1990年代以降のテレビアニメ作品は一切見ていないので、この踏切に特に興味はない。 -
目的地は踏切を渡って右に少し上った坂道。
「流れ星」で健吾(竹野内豊)が自転車通勤で下りる道である。 -
この踏切を江ノ電が走り抜けるシーンは、確かに絵になる。
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さらに西へと歩くと、腰越港がある。
「海街diary」で、しらすが水揚げされた港である。
関係者以外は入れないようだった。 -
腰越海水浴場に沿って歩く。
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歩行者用の江の島弁天橋を渡って江の島に上陸。
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直進すれば江島神社。
ここは鳥居をくぐらず、左の路地を行く。 -
16:20頃、文佐食堂前に到着したが本日休業。
まあ休業でなくても閉店時間を過ぎているが。
ここは「海街diary」で浅野すずのサッカーチームや香田三姉妹の行きつけの「海猫食堂」として何度か登場する。
しかし、海猫食堂の店主である二ノ宮さち子(風吹ジュン)が病のためこの食堂を畳むことになる。 -
江ノ島の展望台である江ノ島シーキャンドルに上ろうと思っていたが、歩き疲れたのでやめにした。
引き返して江の島弁天橋を渡る。
夕日の方向にハートのオブジェが見えた。 -
江ノ島シーキャンドルに行くのをやめた代わりに、新江ノ島水族館の方に来てみた。
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「流れ星」で、主人公の岡田健吾(竹野内豊)は新江ノ島水族館の飼育員をしていた。
梨沙(上戸彩)と出会ったのがこの水族館で、水族館外の海水浴場側で再会する。
その時、ドナーが必要な病の健吾の妹(北乃きい)と梨沙の血液型が同じこと、梨沙に多額の借金があることを知る。
偽装結婚・臓器売買疑惑、医療の倫理観が問われる展開となっていく。 -
片瀬西浜・鵠沼海水浴場越しに江ノ島を望む。
中央に建つのが江ノ島シーキャンドル。 -
西には沈みゆく夕日に富士山のシルエットが浮かぶ。
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イチオシ
富士のすそ野に沈む夕日。
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岡田健吾がいつも通勤の自転車を置いていたのが水族館の建物の間。
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新江ノ島水族館の営業時間は9:00~17:00。
すでに閉館していた。 -
18時前、片瀬江ノ島駅に到着。
ここから小田急江ノ島線に乗って藤沢駅でJRに乗り換える。 -
小田原からは箱根登山電車で本日の宿がある箱根湯本に向かう。
箱根湯本ではコンビニで夕食と明日の朝食を買って宿に向かった。 -
本日の宿はゲストハウスAzito。(写真は翌朝撮影)
左の建物が受付とキッチンなどの施設。
右が宿泊施設となる建物。 -
キッチンには、コンロ、レンジ、冷蔵庫、ポット、食器など、自炊に必要なものはひと通りそろっている。
シャワーを浴びてからこっちに来るのは面倒だったので、ここで夕食を済ませてから部屋に入ることにした。 -
キッチンと受付の間にはくつろげる居間がある。
ちなみにこの宿の宿泊者は、日本人より外国人の方が多かった。 -
ゲストハウスAzitoの客室は、ドミトリーという感じではなく、一応寝床のプライバシーは確保されているので、機能的にはカプセルホテルに近い。
ただ木製の造りが独特で、Azito(アジト)というネーミングも雰囲気に合っている気がする。
1泊食事なしで4300円とオーバーツーリズムで値上がりしている中ではリーズナブル。ゲストハウス Azito 宿・ホテル
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個室の寝床はカプセルホテルより広めだが、テレビはない。
シーツも宿泊者がセットしてチェックアウト時に所定の袋に入れるという、ユースホステルのようなシステムである。
明日は箱根で少し観光と2箇所の美術館を訪れて横浜へと向かいます。
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