2025/03/25 - 2025/03/25
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公共交通トラベラーkenさん
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2025年3月25日(水)東京散歩に出かけました。今回は墨田区と江東区、そして少しだけ江戸川区にまたがるエリアを電車と徒歩で移動します。
一番のお目当ては亀戸天神の神忌祭です。3月25日(旧暦2月25日)は菅原道真公の命日にあたるそうで、午後6時、祓い清められた神前から道眞公の御神霊を奉持(ほうじ)した絹垣(きぬがき)が氏子や近隣の子供達のかざす松明(たいまつ)の火で守られながら境内を巡ります。予想以上に迫力のあるお祭りでした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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京成押上線八広駅から本日の東京散歩はスタートです。
八広駅 駅
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東京下町の風情が色濃く残る墨田区、江東区を中心に散策します。
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細い路地をブラブラしていると方向を見失ってしまいます。
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民泊反対の張り紙。浅草やスカイツリーが近いので、外国人観光客が多く訪れる地域のようです。
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墨田区東墨田にやってきました。アスファルトがテカテカと光っています。
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ウィキペディアによると『1909年(明治42年)から1937年(昭和12年)にかけて墨田区内に屠畜場があり、そこから発生する皮革を扱う産業が発達した。他の皮革産業集積地に比べ豚革の加工が盛んであり、東京都による1997年の統計では日本全国の豚革加工事業所55軒のうち34軒が東京都内に所在し、東墨田地区はその中枢である。これに伴い豚脂など動物性油脂を扱う業者も多く、これを原料とした石鹸産業も発展している。』ということです。
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パレットに山積みされた動物の皮。おそらく豚の皮なのでしょう。
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日光油脂という会社の工場。
動物の油脂を加工して製品化している会社のようです。 -
水色に染まった皮見えます。クロム鞣し(なめし)という作業を行っているのだと思います。
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薬品のタンクや、運搬用のカゴが道端に置いてあります。
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工場地帯に入った時から独特なにおいが漂っています。夏場はかなりきつそうです。
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工場内で働く人たちの姿も見られました。外国人労働者が結構多いようです。
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「ここは特別工業地域です。多少の騒音・煤煙・臭気はご承知ください」と書かれています。
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道路にフォークが停車しています。
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何かの脂。ラーメンに入れたりするんでしょうか。
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白髭神社。正面入り口は荒川の堤防側にあるようです。こじんまりとした境内でしたが、きれいに整備されていました。
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私は普段革製品をほとんど使用しないので豚革がどんなものに利用されているのかよくわかりませんが、皮革産業の基礎を支える重要な地域であることは間違いないようです。
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この辺りは江戸時代には「木下川(きねがわ)」と呼ばれていて、斃死した牛馬の解体や刑吏、勧進等の芸能などの職に携わる者が暮らしていたそうです。明治に入り浅草など他の地域から鞣し業を営む人々が臭気問題でこの地に移転させられたりして、東墨田は皮革産業の中心地になっていきます。
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歴史的な背景から差別問題なども絡む長い歴史を持つ地域なので、あまり興味本位で見物に行くような場所ではないのかもしれませんが、やはり一度は訪れてみたい東京のディープスポットでした。
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旧中川水辺公園。
先ほどまでの工場地区から一転、穏やかな春の空の下、川面に浮かぶ水鳥を眺めながら岸辺の遊歩道を散策します。
旧中川は、江戸幕府8代将軍徳川吉宗が水害から村を守るために、1725(享保10)から14年間をかけて、散在していた池や沼を利用して、ひとつの流れをつくったのが始まりです。そのため、「九十九曲り」をよばれる屈曲の激しい川となったそうです。この川が中川と呼ばれたのは、隅田川と江戸川の間を流れるからといわれています。 -
昭和5年(1930)に荒川放水路(現荒川)および翌年(昭和6年)に中川放水路(現中川)が完成し、中川は荒川によって二つに分断される現在のような形になりました。そして分断された中川の下流部分を「旧中川」と呼ぶようになりました。
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共同企業体墨田アスコンという工場がありました。
アスコンというのはアスファルトコンクリートの略語で、アスファルトと砂や石などの骨材を混ぜ合わせて製造される舗装材料のこと。 -
堤防の上の道に出ました。荒川が見えます。
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天祖神社 (平井天祖神社)にやってきました。
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「平井天祖神社の創建年代は不詳ながら、貞和4年(1349)に再興した旨の棟札が、江戸時代には残されていたといいます。江戸時代には中平井村の鎮守となっており、明治7年に村社に列格していました。」という解説がネットで見つかりました。
観光客がわざわざ訪れるほどの場所ではありませんが、散策の途中に少し立ち寄るのにちょうどいい感じの神社でした。 -
同じく、散策の途中で偶然立ち寄った安養寺。
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境内にあった弁財天。周囲の池の水は抜かれていました。
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弁天通りという名前がついています。おそらく先ほど見た弁財天が名前の由来でしょう。
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下町でよく見かける寂れた商店街跡。
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お昼のお弁当を買おうと思っていた「阿ら井」というお店。安くて美味しそうだったのですが、どうやらお弁当は事前に予約しておかないと作ってくれないようでした。
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近くのコンビニでお弁当を購入して、りす児童遊園で食べることにしました。
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外で食べるお弁当が美味しい季節になってきました。もうすぐお花見のシーズンです。
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散策再開です。平井諏訪神社を訪れます。
平井諏訪神社 寺・神社・教会
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平井諏訪神社は下平井村の鎮守です。享保年間(1716~36)、神社の隣に建つ燈明寺(平井聖天)の恵祐法印が、信州の諏訪大社より御分霊を勧請しました。
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拝殿の脇に稲荷神社があります。
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このお稲荷様の社殿は諏訪神社旧本殿を利用しているそうで、彫刻が大変すばらしいです。
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江戸川区登録有形文化財に指定されています。
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彩色もかなり残っていて見ごたえがあります。
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狐はちょっと子犬っぽい。
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平井の富士塚と呼ばれるものもありました。規模は小さめな富士塚でした。
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JR総武線平井駅にやってきました。
平井駅 駅
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電車に乗って両国に移動します。江戸東京博物館は現在大規模改修工事中、2026年春まで工事は続くようです。
江戸東京博物館 美術館・博物館
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横網町公園の東京都慰霊堂にやってきました。こちらは建物の裏側ですね。両国にあるので、てっきり「よこづなちょう」だと思っていたのですが、よく見たら「よこあみちょう」でした。
横網町公園 公園・植物園
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ここは元々、陸軍被服廠のあった所で、東京市が横網町公園の造営整備に着手したときに関東大震災が発生、東京の遭難死者は58,000人に上りました。そこで東京市は被服廠跡に震災記念堂を建設し、附属施設として東京都復興記念館を建設しました。
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東京都慰霊堂の正面。
震災記念堂には太平洋戦争中の東京空襲で亡くなった方の遺骨も慰霊塔に納められ、昭和26年(1951年)、名称を「東京都慰霊堂」と改めました。震災、戦災合わせて約163,000体の御遺骨が安置されています。 -
建物を設計したのは伊東忠太氏です。
この人は湯島聖堂、築地本願寺、東京大学正門などたくさんの建築を手がけた近代日本を代表する建築家です。 -
中に入ると頭上の照明が早速面白い。妖怪というか、怪獣というか、何か架空の生物の姿をしています。伊藤忠太は妖怪が好きだったそうです。
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入り口はいかにも和風なものでしたが、中に入ると大きな柱が列になっていて、西洋の教会みたいです。
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天井の模様などにはアラベスク的紋様もあったりして、世界中のいろいろな宗教的要素が取り入れられています。
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最初にみた建物裏側の建物は納骨室なんだそうです。中国、インド風の様式を取り入れた三重塔でした。
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同じ横網町公園内にある東京都復興記念館にも入ります。
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関東大震災の被害、救援、復興を表す、遺品や被災物、絵画、写真、図表などが展示されています。
リアルな写真が展示されているので、当時の様子が生々しく伝わってきます。 -
焼けこげたクッキー。
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「りやうこくはし」と書かれているようです。
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実物資料も結構残っていることに驚きました。
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東京空襲の被害についての展示もありました。
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小学校の社会科見学などで訪れるべき場所ですね。
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ここにもやっぱり怪獣の姿がありました。
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都営大江戸線両国駅から森下駅で都営新宿線に乗り換えて、東大島駅にやってきました。
東大島駅 駅
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東大島駅のホームは先ほど見て来た旧中川の下流にあります。旧中川をまたぐ形でホームが架かっています。
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旧中川の川岸にはパラマウントベッド㈱ 本社があります。
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今回はパラマウントベッドではなく、江東区中川船番所資料館に入ります。
中川船番所資料館 美術館・博物館
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江戸時代に小名木川の中川口に設置されていた「中川番所」と水運に関わる展示を行います。
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東京釣具博物館より寄贈を受けた和竿を中心とした釣具資料も展示しています。
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和竿はなかなかいいですね。使ったことはありませんが、こんな竿で小川で小鮒などを釣ったらきっと最高に面白いはずです。
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資料館の横には小名木川という運河が東西に流れ隅田川と旧中川を結んでいます。この運河をつかって、江戸時代には千葉県の行徳から江戸まで塩などを運んでいました。
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重要な水路だったので、ここには船番所が置かれていたのでした。
川岸の広場にそれっぽい木の門が建っていますが、ここは旧中川・川の駅という商業施設でした。 -
旧中川の川面を水陸両用バスが走っています。
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中川大橋を渡って大島小松川公園 風の広場に来ました。小高い丘の上に旧小松川閘門が残されています。閘門とは水位の異なる二つの水面を調節して船を通行させる特殊な水門のことです。ここは、船の通り道である荒川と旧中川との合流地点でしたが、たび重なる水害を防ぐために明治44年、荒川の改修工事が進められ、その結果、水位差が生じて舟の通行に大きな障害となりました。
この水位差を解消させるために昭和5年、小松川閘門が完成し、その後、車などの交通機関が発達して、舟の需要が減少し閉鎖に至るまでの間、需要な役割を果たしました。
建物全体の2/3程度は土に埋まってしまっているそうです。 -
謎のオブジェも発見。
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「ムー大陸よりⅡ」という作品でした。
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歩き詰めでちょっとつかれたので、休憩することにします。
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ライフのイートインコーナーでパンや甘いものを食べてエネルギーチャージします。
ロープライスで美味しいものが食べられて大変助かります。 -
再び電車に乗って今度は押上駅に移動してきました。^
押上駅 (スカイツリー前駅) 駅
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スカイツリーは下から見上げるだけにしてここでも寺社を中心に見物しながら散策を続けます。
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まずは江東天祖神社。「創建年代は不明。社伝には「推古天皇御代 創建」と伝わる。
当社は度々火災や震災に遭っている。1923年(大正12年)の関東大震災で社殿が焼失したため、再建時に鉄筋コンクリート造にした。日本最初の鉄筋コンクリート造の社殿といわれている。その甲斐あって、1945年(昭和20年)の東京大空襲では、焼失を免れることができた。」とウィキに書いてありました。 -
東京の神社らしく、狭い境内にギュッと詰め込まれた密度の濃い神社です。
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境内にある太郎稲荷神社。つい先日福岡県の柳川を旅行してきたばかりなので、筑後柳川11万9,600石の大名、立花家の守護神である太郎稲荷も記憶に新しい。
こちらの太郎稲荷神社は立花家下屋敷にあったものを、江戸末期天祖神社境内に移したものです。
樋口一葉の「たけくらべ」では、主人公がこの太郎稲荷神社に商売繁盛の願掛けに行く場面が有名なんだそうです(読んだことありません)。
また落語「ぞろぞろ」で語り継がれる太郎稲荷神社としても有名なんだそうですが、その落語を知りません。 -
境内の隅、お神輿(?)倉庫の隙間に小さな鳥居がありました。
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東京大空襲・招魂碑
ホームページの解説には『昭和二十年三月十日東京大空襲の折、東京は大火災に見舞われ氏子一帯も火の海と化しました。その際、焼失を免れた現社殿にて数百の命が助かり、町中ではその何倍もの命が失われました。
亡くなられた方々の亡骸は普門院に安置され、御魂はこの地に祀られました。十年の時を経て前一の鳥居の柱(片方)を用いて建てられたのが、この石碑です。もう一本は復興記念の碑(手水社北脇)として平和の祈りと共に再び建立されました。』とあります。 -
神社はやっぱり村の小さな鎮守様的なサイズ感が一番良いなと思います。
ここは満点でした。 -
昭和レトロな理容室。グーグルマップの口コミでは6年前には営業していたらしいことがわかるのですが、今はもうやってないかもしれません。
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亀戸天神社。
裏側から入ってしまいました。亀戸天神社 寺・神社・教会
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残念ながら拝殿が改修工事の真っ最中でした。
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「亀戸天神」の名前はよく耳にするというか、結構有名な神社だと思うのですが、実際に訪れたのはこれが初めてです。やはり学問の神様ということで受験生に人気なのでしょうか。
境内に広がる大きな池に太鼓橋が2本かかっています。大宰府天満宮と似ていますね。 -
池には亀がいっぱいいます。
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琴柱灯篭(ことじどうろう)。
金沢兼六園最大の人気スポットである有名な琴柱灯篭よりさらに大きく立派なんだそうです。
亀戸天神には後でもう一度来ます。とりあえず先に進みます。 -
亀戸香取神社。神社ばっかりでいい加減飽きてきました。
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御祭神は経津主神(ふつぬしのかみ)。『日本書紀』によれば、武功の神とされています。近年では宮司が祭神を「スポーツ振興の神」とし、 ANN系列『スーパーJチャンネル』で紹介されてからスポーツ関係の参拝者が急増。知名度を高め各地から参拝客を集めるようになったそうです。
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ここはすっきりしすぎていて、あんまり面白くなかった。
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亀戸大根の碑というのがありました。
文久年間(1860~1864)の頃から昭和初期まで、亀戸香取神社周辺で栽培されていた江戸東京野菜です。 -
香取神社の参道から続く亀戸香取勝運商店街。
亀戸香取勝運商店街 市場・商店街
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ここは江東区で最も古い歴史を持つ商店街で、元々は香取神社の境内だったという参道に端を発し、明治の頃から発展してきました。平成23年春にリニューアルオープンして、「昭和30年代」をキーワードにした観光レトロ商店街として営業しています。
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はやりの昭和レトロを狙った商店街ということらしいです。作り物だと思うとあんまり面白みを感じなくなってしまいます。
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亀戸梅屋敷。
歴史的建造物かと思ったら、それっぽく作った観光案内所や物産店でした。江戸切子ギャラリーや寄席なども上演するらしいので、外国人観光客が喜んで入りそうな施設です。 -
入り口もいかにも外国人が喜びそうなデザイン。
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亀戸駅前で早めの夕食をとります。
今日はイタリアンです。 -
お店の名前はサイゼリヤ。
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早・安・旨の三拍子です。
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人気店なのでいつ行ってもお客さんがいっぱいです。
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デザートもイタリアン。
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追加注文しまくっておなか一杯食べても2人で3050円。
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腹ごしらえも済んだのでもう一度亀戸天神に向かいます。
商店街の店先に亀戸大根が展示してありました。 -
亀戸天神に到着。今日は菅原道眞公のご命日(旧暦2月25日)
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午後6時から、神忌祭というお祭りが執り行われます。
祓い清められた神前から道眞公の御神霊を奉持(ほうじ)した絹垣(きぬがき)が
氏子や近隣の子供達のかざす松明(たいまつ)の火で守られながら境内を巡ります。 -
まずは氏子たちが拝殿に入りお祓いを受けます。
私たちは境内で待ち構えています。 -
お祓いが終わって氏子たちが外に出てくるころにはあたりはいい感じに暗くなっていました。
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松明を持って境内を歩き始めます。
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雅楽も奏でています。
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絹垣(きぬがき)が出てきました。
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行列は太鼓橋を渡ります。
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明るいうちに下見に来ていたので、どのルートで行列が歩いてもすぐに対応できます。池の反対側に回り込んで太鼓橋を渡る行列を撮影。
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太鼓橋のたもとに移動。ちょうど絹垣(きぬがき)の一行が渡り終えたところでした。
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お祭りといっても出店もないし、音楽は雅楽だけです。
かなりまじめなお祭りであることがわかります。地元の少年野球チームの子供たちも松明を持って行列に参加していました。一般の人も希望すれば松明を持って参列できるらしい。 -
2周目に突入。さらに間近で行列を見物します。火の粉が飛んできそうです。
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松明の行列を遠くから見ると火事みたいです。
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神聖な雰囲気を満喫できるお祭りでした。
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再び拝殿に入って行列は終了です。
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境内の隅には消防車が待機していました。確かに火事の危険性はありそうです。
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境内からはライトアップされたスカイツリーも良く見えました。
ここから錦糸町駅に向かって歩いて帰ります。 -
錦糸公園の桜。もう何本か開花していました。
錦糸公園 公園・植物園
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桜祭りの季節がやってきました。
数日前まで寒い日が続いたのですが、今日がとても暖かかったので、一気に開花が進んだようです。 -
公園の隅に千種稲荷神社がありました。
『徳川四代将軍家綱の時代(寛文~延宝)に治水工事が行われた際、柳島村の守護神として祀られたことに始まる。しかし、その後、当社は、陸軍の倉庫を当地に建設に伴い、撤去されてしまいます。すると、再三、火災が発生するようになり、結果、当地に、稲荷社を再建して祀ったところ、不思議と火災は起こらなくなったという。』という解説をネットで見つけました。 -
賑やかな錦糸町駅前のお社なので、割と派手でした。
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電車と徒歩で1日中東京を歩き回ってしまいました。少し足が痛いです。
そろそろ本格的に桜のシーズンがやってきます。次の旅日記はおそらく近所の霊園でお花見になるでしょう。
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