2007/10/04 - 2007/10/08
1145位(同エリア1368件中)
リュックさん
今日一日かけて、
福島、上松、須原、野尻、三留野、妻籠、馬篭と
順に訪ねる予定であった。
しかし、福島宿で興禅寺、郷土館を丁寧に観ていたら
昼近くになってしまった。
とてもすべての宿場町を半日で訪れるのは時間的に無理と判断し、
予定を一部割愛し、上松宿の「寝覚めの床」を訪れた後、
急ぎ、19号線を走り、午後は妻籠、馬篭宿で時間を使うことにした。
予想以上に見学する史跡が多い。
残りは改めて訪れる事にした。
それにしても、幾つかのグループが徒歩で各宿場を訪れている。
本来は当時の人々のように徒歩で木曽路を歩くことが
良いのかも知れないが、
体力と時間と費用に余裕が無ければ無理かも。
-
福島宿(福し満宿)
京都と江戸の中間にあった木曽福島の関所は
四大難関所の一つであった。 -
・手習い天神(別名 山下天神)
木曽義仲を養育した中原兼遠が義仲の学問の神として
勧進したものと伝えられている。
源平盛衰記に義仲を木曽の山下に隠し養育したと記されている。 -
・二十三夜碑
この碑は奈良井宿などでよく見かけた。
由来は「神に願をかけても叶わない時は、
月の出の遅い二十三夜にここで願をかけると叶う」と言う。
「神に願かけ叶わぬならば 二十三夜のお立待ち」
と言う言い伝えがあるという。
「お立待」とは宵の口に来て、
遅い月の出を待つ間に座ったりすると願が叶わなくなるとの
ことなので、ずっと立ったままで待たなくてはいけないそうだ。
何時の世も最後は神頼み。 -
・興禅寺山門
興禅寺は木曽家、山村家代々の菩提寺である。
須原の定勝寺、福島の長福寺と並び木曽三大寺とよばれる名刹。
万松庭と雲海の美をテーマにした枯山水の看雲庭がある、
室町時代の様式を伝える山門が国宝に指定されていたが、
惜しくも焼失してしまい今は、
復元された山門が往時を偲ばせる。 -
・興禅寺山門
-
・興禅寺墓地
石段正面中央の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が木曽義仲の墓とある。
不思議に義仲の墓がたくさんある。
木曽路、宮ノ越にある徳音寺に義仲の墓があると記した。
この興禅寺墓地にも義仲の墓がある。
京都法観寺には首塚、滋賀県大津市義仲寺(ぎゆううじ)にも
義仲の墓がある。
分骨してあるのだろうか。
当時から義仲は人々に人気があり、
あちこちで義仲の霊を弔っているのであろう。 -
・木曽福島郷土資料館
興禅寺のから城山を少し登ったところにある。
檜の林の中に石つくりの本館がある。
じめじめした木立の下にある。
人影は無く、なんとなく気味が悪い。
館内は木曽の歴史を物語る色々な資料、
当時人々が使っていた生活用品などの展示物がある。 -
・道祖神
信濃の国のシンボル的存在の道祖神。随所で見かける。
男女一対の微笑ましいスタイルは同じであるが、
それぞれ個性的なもので同じものが無い。 -
・山の神
木曽の山村では山ノ神の信仰が根強い。
現在でも、部落ごとに祭られているらしい。
祠には笹村草家人の指導で作られた山の神の木像が展示されていた。
二人の子供を抱えた山の神はうす気味悪い。 -
・木曽の民家
郷土館裏手の山を少しの登ると檜林の中に古民家がある。
是は開田の農家を移設したもの。
石置屋根、切妻作りの典型的な民家で街道に面して
軒を連ねる町屋の間取り(間口が狭く、
奥行きが長い)とは対象的。 -
大きな囲炉裏、台所を中心に両側には2,3畳の小部屋が並ぶ。
ここでかなりの時間を使ってしまった。
福島宿には宿場町の姿を今に残す「上ノ段」、
当時の代官屋敷を復元した「山村代官屋敷」、
藤村の夜明け前の句碑がある
「木曽郷土館」などたくさんあるが、
これらの見学は再度訪れた時までお預けとした。
旧街道から19号線に入り一路上松宿へ。 -
上松(あげまつ)宿
木曽十一宿の一つ。
当時は材木の集積地として栄えた。
尾張藩の厚い保護のもとで木曽ヒノキが守られ、
森林の町であった。
この宿場の散策は時間の関係でスキップし、
19号線沿いにある「寝覚めの床」に立ち寄った。
北斎の「諸国滝めぐり」の中で取り上げている
上松の「小野の小滝」は次回訪れたい。 -
・寝覚めの床
19号線沿いにある大きなドライブインの駐車場に車を置き、
ドライブイン内の階段を下りて行く。
足場の狭い階段でしかも急勾配。
年寄りは注意しないと危ない。
中央線のガードを潜り、更に下ること15分。
やっと川岸に出た。
前日訪れた巴ヶ淵とスケールがまるで違う。
こちらはダイナミックだ。
木曽川の激流が長年にわたり花崗岩を浸食し、
このような淵をたくさん作った。
色々な名前の奇岩があるそうで、
これらが1.5kmも続いているらしい。
この「寝覚めの床」の由来は浦島太郎の伝説から
来ているという。
現世に戻った浦島太郎が知人を探して諸国をさまよい、
住み着いたのがこの地の上松という。
浦島太郎はここでお土産に貰った玉手箱を開くと、
まるで夢から覚めたように一変に300歳の老人になってしまった。
この光景を見ていた村人達は驚き、
以後、不思議な翁の行方を語り継ぎ、
今では床岩の上に「浦島堂」まで建てられている。 -
須原宿
木曽三大寺といわれる定勝寺があり、
木曽義仲の菩提寺でもある。
義仲にまつわる寺、史跡が他の宿場町にもたくさんある。
義仲は木曽では人気者であったのであろう。
また、木曽一族の勢力が絶大であったのか。
最後は後白河法皇に上手く利用されてしまったが。 -
野尻宿
「木曽路名所図絵」の中に
「水流奔騰(ほんとう)して其の声雷霆(らいてい)の如し、
大雨の時水漲(はり)ておそるべし」とある。
浮世絵の伊那川は木曽川に負けない迫力を見せている。
伊那川は越百山から水量豊富な急流となって
須原宿と野尻宿の間で木曽川に流れ込んでいる。
時間の関係で素通り。次回散策。 -
三留野宿(三渡野とも書く)
険しい難所の多い木曽路でここ三留野は
のどかな風情が見られる。
19号線沿いに見える木曽川の水力発電所(大正12年完成。
大同電力(福沢桃介社長))を眺めながら急ぎ妻籠宿へ。 -
・須原宿の旧街道
当時を偲ばせる町並みは無い。
どこにでもある山間の部落だ。
ただ、当時の街道の路傍に他の宿場町に無い
大木をくり抜いた「水舟」がある。
水通しと呼ばれる排水機構だそうだ。 -
夕刻、5寺近くになり、辺りが薄暗くなってきた。
須原駅はひっそりとしている。
中央西線の停車本数が少ない。利用客も少ないのであろう。
駅舎を出たところに面白いマーク。
タクシー待ちで並ぶ先頭の人が立つ位置だろうか。 -
・桜の花漬け
駅前に小さな古い昔ながらの雑貨屋さん風の「大和屋」がある。
ここで江戸時代から桜の花漬を製造販売している。
幸田露伴の「風流仏」にも登場する。
八重桜の花を塩漬けにして作られる。
湯飲みに塩漬けの桜花を1-2枚いれ、
お湯を注ぐと香りが良い薄紅色の桜の花が開き、桜湯になる。
息子の結婚に際して、祝いの飲み物様に買い求めた。
素朴で懐かしい味であった。 -
妻籠宿
七折八折と続く坂道。
妻籠峠の人影はまばらでわびしい。山国独特の風情。
妻籠宿は全国ではじめて集落町並み保存を手掛けた。
昭和43年より寺下の町並みを中心に復元・保存工事を開始し、
江戸時代の町並みを再現した。 -
中山道木曽十一宿の南から2番目の宿場町。
町ぐるみで町並みの保存に力をいれているので、
今でも江戸時代の宿場町の雰囲気が味わえる。
19号線沿いにある大きな駐車場(有料)に車を置き、
妻籠の旧街道に入ってゆく。
板庇にある家の路地をぬけると
絵葉書でよく紹介されている風景が飛び込んでくる。
妻籠宿散策は今回の旅の目的の一つである。
ゆっくり当時の街道筋の雰囲気を味わう。
駐車場から旧街道に入って最初に出会うのは
静かに廻る水車、高台に大きく掲げられた当時の高札。 -
この辺りは19世紀の長屋。
左右半分づつ一軒で使用していた。大吉という旅籠。
今も現役で民宿?旅館?当時の姿のままであろう。 -
郵便箱、格子窓の郵便局。
-
街道の途中にくの字形に街道が曲がっている。枡形という。
家康が慶長6年(1601)に宿場を制定した時に
西国大名の謀反に備え、
江戸への侵入を少しでも遅らせるために造ったとされる。 -
枡形の道
-
今日は平日の為か観光客が少ない。
地元の住民の姿も殆ど見かけない。
民家は殆ど締め切っている。
所々に檜材の木工製品の店、蕎麦屋、お菓子屋などがあり
観光客相手であろう。 -
-
当時の町並みを再現した街道をゆっくり散策した。
今日は観光客が少なく、街中はとても静か。
手甲・脚半に三度笠の旅人がヒョイと
家の角から飛び出してくるような錯覚に陥る。
映画のセットのようだ。 -
妻籠宿のスーパーマーケットであろうか。
地元の住民を相手にした八百屋さん。生活の匂いがする。 -
下駄屋さん。
すっかり忘れていた色々な種類の下駄が店一杯に並べてあった。
素朴で懐かしい。銀座辺りで気取った履物店より親しみ易い。 -
・妻籠宿本陣
代々島崎家が努めた。
馬篭の島崎家と同族で幕末に妻籠から「ぬい」が
馬篭の正樹(夜明け前の主人公青山半蔵)のもとに嫁いだ。
七人の子供をもうけ、末っ子が春樹(藤村)で
藤村の次兄の広助は妻籠宿本陣の養子となり
最後の当主となった。
その後、本陣は取り壊され、
平成七年に江戸時代後期の間取り図をもとに復元している。 -
味わいのある宿場町であった。
-
馬篭宿
島崎藤村の故郷で木曽谷は「夜明け前」の舞台になった。
九十九折の十曲峠を南に下れば美濃路で是より北木曽路となる。
妻籠宿をあとにして、旧街道を馬篭宿に向う。
妻籠を過ぎるとやがて九十九折の急坂を登る。
かなり険しい。やがて尾根の上に出る。
ここが馬篭峠。車道の脇に旧道が見える。
うっそうとした森の間かに一筋の細い道がある。
当時の人々はこの細い道を辿ったのであろう。
ここから、
また、九十九折の坂道を下ってゆくと馬篭宿に着いた。 -
馬籠峠
馬篭宿は中山道六十九宿のうち木曽谷には十一の宿場がある。
馬籠宿は板橋宿を一番目とすると四十三番目の宿場町になる。
江戸から八十三里六町余りの距離である。
街道は尾根に沿った急斜面を通っているので
その両側に石を積んで屋敷を造る「坂のある宿場」だ。
陣場近くの駐車場(無料)に車を置いて、
馬篭宿の散策が始まった。時刻は3時近く。
日差しが強く、暑い。
馬篭の中心地は1kmほどの坂道に軒を連ねている。
綺麗に整備された石畳の歩道は歩きやすい。
街道はほぼ真っ直ぐに伸びている。
行きは下り坂なので楽だが、帰りは上りになるので、
疲れが出てきた頃で気が重い。 -
馬籠宿
宿場の中央には身分の高い人達が宿泊する本陣や脇本陣があった。
そして、荷物運搬を差配する問屋、旅人が利用する旅籠が18軒。
このほかに飯屋や馬宿があり当時は旅人で大変賑わったと言う。
明治25年(1892)に木曽川沿いに国鉄中央線が全面開通した為に
宿場としての使命を終えた。
その後、明治28年(1895)と大正4年の2度の大火で
江戸時代の遺構は殆ど消失してしまったが、
復元・保存の努力で当時の面影を再現し、
現在は観光バスで押し寄せるほど観光客で賑わっている。
・本陣蜂谷家の跡に建つ資料館
蜂谷家のまつわる遺品や古文書等が展示されているという。
(今回は時間の関係で素通りした) -
・藤村記念館(旧本陣)
宿場のほぼ中央に島崎藤村を偲んで建てられた藤村記念館がある。
藤村の直筆の原稿や写真など数多く展示されている。
藤村記念堂は奈良朝様式の建物とのこと。
庭の中央に旧本陣の礎石があった。
馬籠本陣は明治28年の大火で消失。
唯一残ったのが祖父母の土蔵作りの隠居所。 -
馬籠宿百景
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京都三千院ゆかりの
阿弥陀堂
大きな防火用水 -
馬籠宿南側入り口
ここから宿場町には上り坂を進むことになる。 -
・馬籠宿南側入り口
我々が来た馬籠峠側の北側入り口には大きな駐車場が無く、
この南側入り口には大きなみやげ物店や駐車場があることから、
団体の観光客はここから馬籠の宿を訪れるのだろう。
この場合は全て上り坂の街道を歩かなければならないのだが。
道しるべに「(左)中山道 京、52里半、
(右)中山道 江戸 83里半」とある。
馬籠宿からさらに京に向かって進むみ、
「是より北木曽路」や「落合の石畳」など見学したかったが、
日もかなり傾き、帰りの長い上り坂を考え、
今回はここで引き返すことにした。
明日は木曽路を後にして木曾御嶽山・赤沢自然休を訪ねる。
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