木曽・塩尻旅行記(ブログ) 一覧に戻る
木曽路と木曽御岳<br />2007年(平成19年)<br />もうすぐ10月。<br />衣替えに時期なのに、今日も30度を越える暑さ。<br />こんな気候では夏物がしまえない。<br />今年は母の入院中の看病、葬儀などが一度に起き、<br />その後、息子の結婚等など、<br />盆と正月が一度に来た様で忙しい年である。<br />でも、予定していたカナダ旅行を断念し、<br />ゴルフも殆どご無沙汰。<br /><br />慌ただしい日々が一段落しホットしたら、<br />急に旅に出たくなった。<br />カミサンに話をしたら二つ返事でOK!。<br /><br />「何処に行こう?」「カナダの紅葉!」「円安だし、<br />今から準備する時間がない」<br />そんなことで海外は来年に、今年は国内となった。<br />小生以前から一度は「中山道の宿場町、妻籠宿、馬籠宿など」を<br />ゆっくり訪れたいと考えていた。<br />その機会がこんな形で実現できそうだ。<br />秋の紅葉が観たい!と木曽御岳のトレッキングも加えた。<br />旅行社のパンフレットを見たがどれもピタットした企画が無い。<br />急遽、また、自己流の旅になる。<br /><br />10月上旬、木曽路に宿泊し、<br />2日間かけて南木曽路の各宿場町をゆっくり散策し、<br />後半は木曽御岳八合目まで登り、<br />紅葉を楽しむトレッキングに使う3泊4日の旅になった。<br />いつでも行けるように準備完了のカナダ旅行計画は<br />ペンディング。<br />木曽路の旅にハップニングが起きて中止にならないように、<br />縁起を担いで旅行準備編を書かないようにした。<br />木曽路の旅が無事終了したので<br />お蔵入りになっていた木曽路の旅日記を記す。<br /><br />

想い出の旅(国内)2            木曽路を行く1

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2007/10/04 - 2007/10/08

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リュック

リュックさん

木曽路と木曽御岳
2007年(平成19年)
もうすぐ10月。
衣替えに時期なのに、今日も30度を越える暑さ。
こんな気候では夏物がしまえない。
今年は母の入院中の看病、葬儀などが一度に起き、
その後、息子の結婚等など、
盆と正月が一度に来た様で忙しい年である。
でも、予定していたカナダ旅行を断念し、
ゴルフも殆どご無沙汰。

慌ただしい日々が一段落しホットしたら、
急に旅に出たくなった。
カミサンに話をしたら二つ返事でOK!。

「何処に行こう?」「カナダの紅葉!」「円安だし、
今から準備する時間がない」
そんなことで海外は来年に、今年は国内となった。
小生以前から一度は「中山道の宿場町、妻籠宿、馬籠宿など」を
ゆっくり訪れたいと考えていた。
その機会がこんな形で実現できそうだ。
秋の紅葉が観たい!と木曽御岳のトレッキングも加えた。
旅行社のパンフレットを見たがどれもピタットした企画が無い。
急遽、また、自己流の旅になる。

10月上旬、木曽路に宿泊し、
2日間かけて南木曽路の各宿場町をゆっくり散策し、
後半は木曽御岳八合目まで登り、
紅葉を楽しむトレッキングに使う3泊4日の旅になった。
いつでも行けるように準備完了のカナダ旅行計画は
ペンディング。
木曽路の旅にハップニングが起きて中止にならないように、
縁起を担いで旅行準備編を書かないようにした。
木曽路の旅が無事終了したので
お蔵入りになっていた木曽路の旅日記を記す。

  • こんな素朴な街道をゆっくり歩きたい

    こんな素朴な街道をゆっくり歩きたい

  • 例年であれば真っ赤なナナカマドに映える御嶽山八合目の景色。<br />今年は紅葉が遅れるのではないか、心配。<br /><br />こんな期待と心配ごとを抱えながら、3日間、木曽路に宿泊し、<br />木曽路を訪ねるドライブ紀行です。

    例年であれば真っ赤なナナカマドに映える御嶽山八合目の景色。
    今年は紅葉が遅れるのではないか、心配。

    こんな期待と心配ごとを抱えながら、3日間、木曽路に宿泊し、
    木曽路を訪ねるドライブ紀行です。

  • 版画:江尻祐之 拝借<br /><br />木曽路をゆく。<br />台風接近で天気予報がめまぐるしく変わる2007年10月4日、<br />自宅を朝6時半に出発。<br />早朝に都心を抜け、中央道談合坂サービスエリアまで一気に走り抜けた。<br />談合坂には9時前に到着。<br />心配していた天候はほぼ快晴に近い。<br />気温は22~23度程度でさわやか。<br />しかし、日差しが強い。<br />談合坂サービスエリアのレストランで<br />ビュッフェスタイルの遅い朝食をとる。<br />中央道岡谷ジャンクションで長野道に入り、<br />塩尻インターチェンジを出て国道20号線から19号線に入り<br />一路木曽路に向かう。<br />19号線は産業道路のようで大型のトラックなどで交通量は多い。<br />道路の状態は良く各宿場への案内は完備している。<br />初めての旅行者には分かりやすくて有りがたい。<br /><br />木曽路は木曽川を底にしてV字型の谷間にあり<br />両岸は急峻な山裾が迫っている。<br />木曽路の各宿場町の見所は<br />旧道にあり国道19号線沿いには殆ど無い。<br />各宿場町へは19号線から案内板に従って谷間を下って<br />旧道まで下らなければならない。<br />塩尻インターから本山宿を過ぎ贄川宿に入る前、<br />19号線沿いの桜沢橋の木立の間に<br />「是より南木曽路」の碑がある。<br />注意していないと見落としてしまう。<br />木曽路入り口には11時前に着いた。

    版画:江尻祐之 拝借

    木曽路をゆく。
    台風接近で天気予報がめまぐるしく変わる2007年10月4日、
    自宅を朝6時半に出発。
    早朝に都心を抜け、中央道談合坂サービスエリアまで一気に走り抜けた。
    談合坂には9時前に到着。
    心配していた天候はほぼ快晴に近い。
    気温は22~23度程度でさわやか。
    しかし、日差しが強い。
    談合坂サービスエリアのレストランで
    ビュッフェスタイルの遅い朝食をとる。
    中央道岡谷ジャンクションで長野道に入り、
    塩尻インターチェンジを出て国道20号線から19号線に入り
    一路木曽路に向かう。
    19号線は産業道路のようで大型のトラックなどで交通量は多い。
    道路の状態は良く各宿場への案内は完備している。
    初めての旅行者には分かりやすくて有りがたい。

    木曽路は木曽川を底にしてV字型の谷間にあり
    両岸は急峻な山裾が迫っている。
    木曽路の各宿場町の見所は
    旧道にあり国道19号線沿いには殆ど無い。
    各宿場町へは19号線から案内板に従って谷間を下って
    旧道まで下らなければならない。
    塩尻インターから本山宿を過ぎ贄川宿に入る前、
    19号線沿いの桜沢橋の木立の間に
    「是より南木曽路」の碑がある。
    注意していないと見落としてしまう。
    木曽路入り口には11時前に着いた。

  • ◇木曽路の碑<br />この地は木曽路の北の入り口であり、<br />江戸時代尾張藩領の北境であった。<br />石碑は昭和15年桜沢の藤屋百瀬が建立。<br />石碑の裏には「歌ニ絵ニ其ノ名ヲ知ラレタル、<br />木曽路ハコノ桜沢ヨリ神坂ニ至ル南二十余里ナリ」とある。<br />そして1972年の建立した澤田正春の<br />「桜沢木曽路入り口」の碑がある。<br />碑には「不気味なほど静かな路傍に一人あって、<br />その雰囲気に浸っている..」とあるが<br />現在では大型トラックの往来が激しい。

    ◇木曽路の碑
    この地は木曽路の北の入り口であり、
    江戸時代尾張藩領の北境であった。
    石碑は昭和15年桜沢の藤屋百瀬が建立。
    石碑の裏には「歌ニ絵ニ其ノ名ヲ知ラレタル、
    木曽路ハコノ桜沢ヨリ神坂ニ至ル南二十余里ナリ」とある。
    そして1972年の建立した澤田正春の
    「桜沢木曽路入り口」の碑がある。
    碑には「不気味なほど静かな路傍に一人あって、
    その雰囲気に浸っている..」とあるが
    現在では大型トラックの往来が激しい。

  • 木曽川に沿って曲がりくねった道は<br />かつて江戸時代の旅人達が歩いた中山道。<br />贄川宿から馬籠宿まで続く11宿は木曽路と呼ばれた。<br />幾重もの山や峠を越える険しい街道であった。<br />現在でも当時の面影を色濃く残す宿場町が多い。<br />この木曽路を二日間かけて訪れる。<br />実際に訪れてみると、<br />二日間ではとても時間が足りないことが分かり<br />途中からは一部割愛し、次回訪れることにした。

    木曽川に沿って曲がりくねった道は
    かつて江戸時代の旅人達が歩いた中山道。
    贄川宿から馬籠宿まで続く11宿は木曽路と呼ばれた。
    幾重もの山や峠を越える険しい街道であった。
    現在でも当時の面影を色濃く残す宿場町が多い。
    この木曽路を二日間かけて訪れる。
    実際に訪れてみると、
    二日間ではとても時間が足りないことが分かり
    途中からは一部割愛し、次回訪れることにした。

  • 南木曽路を散策する前に中山道について触れてみたい。<br />◇中山道<br />徳川家康は慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦で勝利し、<br />江戸を起点とした街道を整備した。<br />まず、1600年に東海道に伝馬制を、<br />翌年に中山道に宿駅を置いた。<br /> さらに、主要な陸上交通路として、<br />五街道(東海道・中山道・甲州道中・日光道中・奥州道中)の<br />整備をさらに進め、慶長9年(1604年)に<br />江戸日本橋を起点とした各街道に一里塚を築いた。<br /><br />万治2年(1659)に道中奉行を設置し、<br />街道改修・整備、架橋、渡船、並木、一里塚、宿駅および<br />人馬賃銭などの管理にあたらせる。 <br />同時に、各街道には関所を設置し、<br />「入り鉄砲に、出女」のごとき人改めを厳しく行った。<br />この制度は御用物資・往来を優先させるためであったが、<br />街道の整備により庶民の旅が容易になり、<br />一般の物資の流通・通信の発展、<br />さらには文化の伝藩にとっても大きな役割を果たしたといわれる。

    南木曽路を散策する前に中山道について触れてみたい。
    ◇中山道
    徳川家康は慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦で勝利し、
    江戸を起点とした街道を整備した。
    まず、1600年に東海道に伝馬制を、
    翌年に中山道に宿駅を置いた。
    さらに、主要な陸上交通路として、
    五街道(東海道・中山道・甲州道中・日光道中・奥州道中)の
    整備をさらに進め、慶長9年(1604年)に
    江戸日本橋を起点とした各街道に一里塚を築いた。

    万治2年(1659)に道中奉行を設置し、
    街道改修・整備、架橋、渡船、並木、一里塚、宿駅および
    人馬賃銭などの管理にあたらせる。 
    同時に、各街道には関所を設置し、
    「入り鉄砲に、出女」のごとき人改めを厳しく行った。
    この制度は御用物資・往来を優先させるためであったが、
    街道の整備により庶民の旅が容易になり、
    一般の物資の流通・通信の発展、
    さらには文化の伝藩にとっても大きな役割を果たしたといわれる。

  • 中山道は古代の東山道が基本となる。<br />中山道は日本橋から北武蔵・上野国・信濃国・美濃国を通過し、<br />近江国草津宿で東海道と合流し京都に至っている。<br /> 古くは、信濃国木曽を通るため木曾街道、<br />あるいは日本の中間の道というということで中仙道とも記されが、<br />江戸幕府は享保元年(1710)、中山道として名称を統一した。<br /><br />東海道と中山道はともに江戸と京都を結ぶ街道で、<br />江戸時代には東海道の方が交通量も多く、<br />宿駅も大規模であった。<br /> 東海道の53宿、126里余に対し、<br />中山道は67宿、139里と距離が長く、<br />さらに木曽路をはじめとする山道や峠道が多いため、<br />人馬の往来や継立が困難だった。<br /> このため、参勤交代における中山道の利用は、<br />東海道に比べて約四分の一程度で、<br />将軍家に献上する宇治茶を運ぶためのお茶壺道中や<br />和宮の将軍家お輿入れなど姫宮方の通行には<br />中山道が利用された。<br /><br />木曽路の北側、贄川宿に近い国道19号線に<br />「是より南木曽路」、そして木曽路の南側、<br />馬籠宿の中津川側に<br />「是より北木曽路」の碑がある。<br />何れも後年建てられたもの。<br />今回の旅は南木曽路の11宿場町の史跡を訪れた。

    中山道は古代の東山道が基本となる。
    中山道は日本橋から北武蔵・上野国・信濃国・美濃国を通過し、
    近江国草津宿で東海道と合流し京都に至っている。
    古くは、信濃国木曽を通るため木曾街道、
    あるいは日本の中間の道というということで中仙道とも記されが、
    江戸幕府は享保元年(1710)、中山道として名称を統一した。

    東海道と中山道はともに江戸と京都を結ぶ街道で、
    江戸時代には東海道の方が交通量も多く、
    宿駅も大規模であった。
    東海道の53宿、126里余に対し、
    中山道は67宿、139里と距離が長く、
    さらに木曽路をはじめとする山道や峠道が多いため、
    人馬の往来や継立が困難だった。
    このため、参勤交代における中山道の利用は、
    東海道に比べて約四分の一程度で、
    将軍家に献上する宇治茶を運ぶためのお茶壺道中や
    和宮の将軍家お輿入れなど姫宮方の通行には
    中山道が利用された。

    木曽路の北側、贄川宿に近い国道19号線に
    「是より南木曽路」、そして木曽路の南側、
    馬籠宿の中津川側に
    「是より北木曽路」の碑がある。
    何れも後年建てられたもの。
    今回の旅は南木曽路の11宿場町の史跡を訪れた。

  • 国道19号線、旧中山道沿いに<br />贄川宿から馬篭宿まで各宿場をたずねた。<br />贄川宿は天文年間(1532~1555)に出来た宿場町。<br />昔は温泉が出たことから「熱川(贄川)」と呼ばれていたが、<br />やがて、「贄川」になったと言う。

    国道19号線、旧中山道沿いに
    贄川宿から馬篭宿まで各宿場をたずねた。
    贄川宿は天文年間(1532~1555)に出来た宿場町。
    昔は温泉が出たことから「熱川(贄川)」と呼ばれていたが、
    やがて、「贄川」になったと言う。

  • 木曽十一宿 贄川宿 広重<br />この宿場町から山は急に迫り、<br />奈良井川の清流が深い谷間をぬって流れている。<br />そして、中山道六十九次の三十三番目の宿場になる。<br />贄川宿は幾多の火災に遭い、<br />往時を偲ばせる街道筋の面影は今に無い。<br />残念ながら当時の様子は広重の浮世絵にのみ窺える。<br />しかし、当時の繁栄を偲ばせる残された<br />貴重な史跡の観音寺などを訪れた。

    木曽十一宿 贄川宿 広重
    この宿場町から山は急に迫り、
    奈良井川の清流が深い谷間をぬって流れている。
    そして、中山道六十九次の三十三番目の宿場になる。
    贄川宿は幾多の火災に遭い、
    往時を偲ばせる街道筋の面影は今に無い。
    残念ながら当時の様子は広重の浮世絵にのみ窺える。
    しかし、当時の繁栄を偲ばせる残された
    貴重な史跡の観音寺などを訪れた。

  • ・贄川関所跡<br />北の防衛拠点として建武二年(1334年)に関所が設置された。<br />また、江戸時代、木曽路は尾張藩の領地であったことから<br />松本藩と尾張藩を分ける重要な拠点であった。<br />この関所では木材の持ち出し、<br />女の出入りには特に厳しかったらしい。<br />当時の関所は今に無く、新たに復元した。<br />見学者も無く、受付の女性は閑を持て余していた。

    ・贄川関所跡
    北の防衛拠点として建武二年(1334年)に関所が設置された。
    また、江戸時代、木曽路は尾張藩の領地であったことから
    松本藩と尾張藩を分ける重要な拠点であった。
    この関所では木材の持ち出し、
    女の出入りには特に厳しかったらしい。
    当時の関所は今に無く、新たに復元した。
    見学者も無く、受付の女性は閑を持て余していた。

  • ・水場<br />綺麗に管理、保存された水場があった。<br />当時は共同水場であり、旅人が喉の渇きを潤したであろう。<br />現在も冷たい綺麗な水が湧き出ていたが、<br />「沸かしてから飲むように」と注意札がかかっていた。<br />水を口に含んでみた。<br />水は清んでいたが、やや生暖かく、土臭い臭いがした。<br />最近は散水用に利用している様だ。

    ・水場
    綺麗に管理、保存された水場があった。
    当時は共同水場であり、旅人が喉の渇きを潤したであろう。
    現在も冷たい綺麗な水が湧き出ていたが、
    「沸かしてから飲むように」と注意札がかかっていた。
    水を口に含んでみた。
    水は清んでいたが、やや生暖かく、土臭い臭いがした。
    最近は散水用に利用している様だ。

  • ・道祖神<br />木曽路を行くと何処の宿場にも多くの道祖神が見られる。<br />素朴な石作りで、男女が仲良く腕を組み並んでいる姿は微笑ましい。<br />この宿場町にも街道脇にひっそりと祭られていた。<br />道祖神は祠の中に祀られているのであろう。<br />観られなかった。<br />最近はこれらの道祖神を持ち去る不心得ものがいる。<br />困ったものである。

    ・道祖神
    木曽路を行くと何処の宿場にも多くの道祖神が見られる。
    素朴な石作りで、男女が仲良く腕を組み並んでいる姿は微笑ましい。
    この宿場町にも街道脇にひっそりと祭られていた。
    道祖神は祠の中に祀られているのであろう。
    観られなかった。
    最近はこれらの道祖神を持ち去る不心得ものがいる。
    困ったものである。

  • ・観音寺<br />高野山金剛峰寺を本山とする真言宗の寺。<br />1700年代の創建。<br />現在は古い山寺のように山間にひっそりと建っているが、<br />寺の構えは立派で堂々としていた。<br />往時の反映ぶりが良く分かる。

    ・観音寺
    高野山金剛峰寺を本山とする真言宗の寺。
    1700年代の創建。
    現在は古い山寺のように山間にひっそりと建っているが、
    寺の構えは立派で堂々としていた。
    往時の反映ぶりが良く分かる。

  • ・観音寺山門<br />珍しい山門であった。<br />二階建てのしっかりとした山門で、良く保存されている。<br />1719年に建てられたとある。

    ・観音寺山門
    珍しい山門であった。
    二階建てのしっかりとした山門で、良く保存されている。
    1719年に建てられたとある。

  • ◇ 奈良井宿

    ◇ 奈良井宿

  • 奈良井宿 <br />200年もの昔の宿場町の風情を町の人々は大切に保存している。<br />中山道ある11宿場町でも最も繁栄した宿場町。<br />1kmに及ぶ町並みには多くの伝統的な家屋が軒を連ねている。<br />10月上旬の奈良井宿は幸運(?)にも無風快晴。<br />気温は30度近いのではないだろうか。<br />日陰を求めてゆっくり町並みを散策するが、<br />汗が噴き出してくる。<br />奈良井宿への道は二つある。<br />19号線の案内板に従い、右折し、陸橋を渡り、<br />左折すると奈良井駅まえに出る。<br />ここの無料駐車場に車を置いて奈良井宿を散策する。<br />もうひとつは、19号線をそのまま直進し、<br />しばらく走ると左に木製の大きな太鼓橋が見えてくる。<br />ここは奈良井宿の中央部になる。<br />ここの駐車場(有料?)は観光バスが多く、<br />シーズン中は混雑するのではないだろうか。<br />我々は前者の奈良井駅からの散策とした。<br />奈良井の駅も無人駅で人影は無く、列車の停車は朝晩数回。<br />老婆は一人ポツンとベンチに座っていた。

    奈良井宿
    200年もの昔の宿場町の風情を町の人々は大切に保存している。
    中山道ある11宿場町でも最も繁栄した宿場町。
    1kmに及ぶ町並みには多くの伝統的な家屋が軒を連ねている。
    10月上旬の奈良井宿は幸運(?)にも無風快晴。
    気温は30度近いのではないだろうか。
    日陰を求めてゆっくり町並みを散策するが、
    汗が噴き出してくる。
    奈良井宿への道は二つある。
    19号線の案内板に従い、右折し、陸橋を渡り、
    左折すると奈良井駅まえに出る。
    ここの無料駐車場に車を置いて奈良井宿を散策する。
    もうひとつは、19号線をそのまま直進し、
    しばらく走ると左に木製の大きな太鼓橋が見えてくる。
    ここは奈良井宿の中央部になる。
    ここの駐車場(有料?)は観光バスが多く、
    シーズン中は混雑するのではないだろうか。
    我々は前者の奈良井駅からの散策とした。
    奈良井の駅も無人駅で人影は無く、列車の停車は朝晩数回。
    老婆は一人ポツンとベンチに座っていた。

  • ◇ 二百地蔵<br />奈良井宿の町並みを散策する前に、<br />駅前の急坂を徒歩で5分程上り、<br />杉並木の旧中山道を抜けると<br />静かに佇む200体もの(たくさんある。<br />数えてはいない)石仏群がある。<br />かつて旅人が途中で死を迎えて無縁仏となっていた石仏を<br />一ヶ所に集めたものとされている。<br />素朴で豊かな表情は訪れる人の心を和ませる。<br />又、一説には明治の初期、鉄道建設に際し、<br />周囲の石仏をここに集めたとも云われているが...<br />杉林に囲まれたたくさんの素朴な地蔵を後に<br />もと来た坂道を下り、奈良井宿の駅前に出る。<br />駅前から南側に真っ直ぐ伸びた街道があり、<br />街道の両側には当時の町屋作りの家並みが2kmほど続く。

    ◇ 二百地蔵
    奈良井宿の町並みを散策する前に、
    駅前の急坂を徒歩で5分程上り、
    杉並木の旧中山道を抜けると
    静かに佇む200体もの(たくさんある。
    数えてはいない)石仏群がある。
    かつて旅人が途中で死を迎えて無縁仏となっていた石仏を
    一ヶ所に集めたものとされている。
    素朴で豊かな表情は訪れる人の心を和ませる。
    又、一説には明治の初期、鉄道建設に際し、
    周囲の石仏をここに集めたとも云われているが...
    杉林に囲まれたたくさんの素朴な地蔵を後に
    もと来た坂道を下り、奈良井宿の駅前に出る。
    駅前から南側に真っ直ぐ伸びた街道があり、
    街道の両側には当時の町屋作りの家並みが2kmほど続く。

  • ◇奈良井宿の素朴な当時の姿を残す町並み

    ◇奈良井宿の素朴な当時の姿を残す町並み

  • ・千本格子、くぐり戸、軒灯、木製の看板<br />これらの多くは江戸末期から明治初期に建てられた建物。<br />各家には屋号などが現在もそのまま残されている。<br />現在では今風に「民宿」の看板が目立つ。<br />山裾から一筋の煙が真っ直ぐ青空に向かって立ち上る。<br />町全体に昔懐かしい木の燃えた臭いが漂う。

    ・千本格子、くぐり戸、軒灯、木製の看板
    これらの多くは江戸末期から明治初期に建てられた建物。
    各家には屋号などが現在もそのまま残されている。
    現在では今風に「民宿」の看板が目立つ。
    山裾から一筋の煙が真っ直ぐ青空に向かって立ち上る。
    町全体に昔懐かしい木の燃えた臭いが漂う。

  • ・猿頭をあしらった鎧庇<br />建物の正面に木曽独特の庇がある。<br />庇の板を横に並べ、<br />猿頭と呼ばれる板で横板を支える。<br />庇は簡単な紐で支えている。<br />人が庇に乗ると簡単に壊れるようになっていると言う。<br />当時の防犯装置だ。

    ・猿頭をあしらった鎧庇
    建物の正面に木曽独特の庇がある。
    庇の板を横に並べ、
    猿頭と呼ばれる板で横板を支える。
    庇は簡単な紐で支えている。
    人が庇に乗ると簡単に壊れるようになっていると言う。
    当時の防犯装置だ。

  • ・水場<br />街道には上町(北側)と中町(中央)の二箇所に<br />水が絶え間なく流れる水場がある。<br />今も現役で活躍している。<br />水は生暖かい。沸かしてから飲むようにと注意書きがあった。

    ・水場
    街道には上町(北側)と中町(中央)の二箇所に
    水が絶え間なく流れる水場がある。
    今も現役で活躍している。
    水は生暖かい。沸かしてから飲むようにと注意書きがあった。

  • 当時は道行く旅人や馬が<br />ここでしばし休息を取り、<br />喉を潤す場所であったであろう。

    当時は道行く旅人や馬が
    ここでしばし休息を取り、
    喉を潤す場所であったであろう。

  • ・大宝寺<br />天正10年(1582)創建の古寺。<br />今も保存が行き届き、当時の面影を残している。<br />

    ・大宝寺
    天正10年(1582)創建の古寺。
    今も保存が行き届き、当時の面影を残している。

  • ・マリア観音<br />大宝寺の墓地の中に<br />地蔵に似せたマリア地蔵があるとの事で見学に行った。<br />墓地内への立ち入りは有料で、受付には誰もいない。<br />無断で中への立ち入りは気がとがめたので、<br />今回は見学を断念。<br />江戸時代の切支丹禁制により抱かれた子供が持っていた<br />蓮の花が十字架であることが分かり、<br />頭と膝部分が壊されてしまった。

    ・マリア観音
    大宝寺の墓地の中に
    地蔵に似せたマリア地蔵があるとの事で見学に行った。
    墓地内への立ち入りは有料で、受付には誰もいない。
    無断で中への立ち入りは気がとがめたので、
    今回は見学を断念。
    江戸時代の切支丹禁制により抱かれた子供が持っていた
    蓮の花が十字架であることが分かり、
    頭と膝部分が壊されてしまった。

  • ・中村邸<br />奈良井上町に江戸時代(天保8年)奈良井宿大火後に建てられた<br />櫛屋中村利兵衛の屋敷。<br />街道の町屋特有の間口が狭く、奥行きが深い。<br />入り口から中庭まで土間が通り、<br />建物正面の猿頭をあしらった鎧庇、<br />大戸と蔀(しとみ:昼間商い中はこの蔀を外し、<br />ここに商品を並べた)など当時のまま保存されている。<br />また、店、勝手(台所)、中の間、座敷などがあり、<br />典型的な町屋の様子が分かる。

    ・中村邸
    奈良井上町に江戸時代(天保8年)奈良井宿大火後に建てられた
    櫛屋中村利兵衛の屋敷。
    街道の町屋特有の間口が狭く、奥行きが深い。
    入り口から中庭まで土間が通り、
    建物正面の猿頭をあしらった鎧庇、
    大戸と蔀(しとみ:昼間商い中はこの蔀を外し、
    ここに商品を並べた)など当時のまま保存されている。
    また、店、勝手(台所)、中の間、座敷などがあり、
    典型的な町屋の様子が分かる。

  • ・座敷<br />檜のしっかりとした柱、床の固い畳、良く磨かれた床柱。<br />当時でも裕福な商人のみが作れる構えであったであろう。<br />合板材を使い、体裁よく作られた現在の家屋の部屋に比べ、<br />重厚感があり、何処と無く趣がある。落ち着く。

    ・座敷
    檜のしっかりとした柱、床の固い畳、良く磨かれた床柱。
    当時でも裕福な商人のみが作れる構えであったであろう。
    合板材を使い、体裁よく作られた現在の家屋の部屋に比べ、
    重厚感があり、何処と無く趣がある。落ち着く。

  • ・塗櫛<br />二階が作業場であったであろう。<br />現在は展示部屋になっていて、<br />当時使われていたいろいろな形の櫛が展示されていた。<br />

    ・塗櫛
    二階が作業場であったであろう。
    現在は展示部屋になっていて、
    当時使われていたいろいろな形の櫛が展示されていた。

  • ・木曽の大橋<br />19号線を進むと奈良井川のかかる真新しい太鼓橋が目に入る。<br />ここからも奈良井の町に入ることが出来る。<br />観光バスはここの駐車場に駐車している。<br />樹齢300年以上の天然木材を使った総檜作りの橋。<br />長さ33メートル、巾6メートルの橋。

    ・木曽の大橋
    19号線を進むと奈良井川のかかる真新しい太鼓橋が目に入る。
    ここからも奈良井の町に入ることが出来る。
    観光バスはここの駐車場に駐車している。
    樹齢300年以上の天然木材を使った総檜作りの橋。
    長さ33メートル、巾6メートルの橋。

  • 薮原宿<br />奈良井宿から19号線に出て鳥居峠のトンネルを抜けると<br />そこは薮原宿だ。<br />かつては険しい鳥居峠を足で越えなければならなかったので<br />大変であったであろうことは容易に想像がつく。<br /><br />10月14日(日)NHK大河ドラマ「風林火山」で<br />山本勘助が木曽攻めでここ薮原に陣をとる場面があった。<br />薮原と聞いてなんとなく親しみをおぼえた。

    薮原宿
    奈良井宿から19号線に出て鳥居峠のトンネルを抜けると
    そこは薮原宿だ。
    かつては険しい鳥居峠を足で越えなければならなかったので
    大変であったであろうことは容易に想像がつく。

    10月14日(日)NHK大河ドラマ「風林火山」で
    山本勘助が木曽攻めでここ薮原に陣をとる場面があった。
    薮原と聞いてなんとなく親しみをおぼえた。

  • 今では車に乗って短時間で峠を越えてしまう。<br />次の宿場町の宮ノ越宿まで1里33町(7.5km).<br />戦国時代に木曽義昌が木曽11宿を定めたころより<br />宿として利用した。<br />その後、慶長6 年(1601)に中山道宿駅が制定され、<br />薮原宿も中山道の宿駅として指定され整備が進められた。<br />また、薮原宿は高山(78km,車で70分)へ向かう<br />飛騨街道奈川道の分岐点としても賑わったという。<br />現在の薮原宿は建物の建替え、改修が進み当時の面影が残っていない。<br />ただ、防火用高塀の石垣、<br />お六櫛などが見所となっている。時間の関係から素通りした。<br /><br />宮ノ越宿<br />昔の街道筋の面影は無い。<br />どこにでもある農村地帯の風景である。<br />しかし、この地は木曽義仲・巴御前のゆかりの史跡が多いので<br />これらを中心に散策する。

    今では車に乗って短時間で峠を越えてしまう。
    次の宿場町の宮ノ越宿まで1里33町(7.5km).
    戦国時代に木曽義昌が木曽11宿を定めたころより
    宿として利用した。
    その後、慶長6 年(1601)に中山道宿駅が制定され、
    薮原宿も中山道の宿駅として指定され整備が進められた。
    また、薮原宿は高山(78km,車で70分)へ向かう
    飛騨街道奈川道の分岐点としても賑わったという。
    現在の薮原宿は建物の建替え、改修が進み当時の面影が残っていない。
    ただ、防火用高塀の石垣、
    お六櫛などが見所となっている。時間の関係から素通りした。

    宮ノ越宿
    昔の街道筋の面影は無い。
    どこにでもある農村地帯の風景である。
    しかし、この地は木曽義仲・巴御前のゆかりの史跡が多いので
    これらを中心に散策する。

  • ・本陣跡<br />中山道の中間地点に位置し、<br />脇街道の伊那へぬける権兵衛街道との追分ともなっていた。<br />宮ノ越本陣は徳川幕府による中山道六十九次の宿駅制度確立と共に<br />整備され明治三年(1870)宿駅制度廃止まで続いた。<br />建物は明治日16年(1883)の大火で全焼し、<br />現在はその遺構のみ留めている。<br />うっかりすると見過ごすほど<br />野草が生い茂る草原で当時に思いをはせるのは難しい。

    ・本陣跡
    中山道の中間地点に位置し、
    脇街道の伊那へぬける権兵衛街道との追分ともなっていた。
    宮ノ越本陣は徳川幕府による中山道六十九次の宿駅制度確立と共に
    整備され明治三年(1870)宿駅制度廃止まで続いた。
    建物は明治日16年(1883)の大火で全焼し、
    現在はその遺構のみ留めている。
    うっかりすると見過ごすほど
    野草が生い茂る草原で当時に思いをはせるのは難しい。

  • ・義仲館<br />観光客用に作られた資料館。<br />義仲の生い立ち、巴御前との出会いなど解説している。<br />ここで学んだことは、<br />義仲が源義賢(よしたか)の次男で武蔵の国の出身。<br />父義賢が戦で破れ、信濃の国に逃れ、<br />木曽三権守、中原兼遠の養育を受けた。<br />その後、元服して木曽次郎源義仲と名乗り、<br />平家追討に参加し、<br />「牛の角に松明をつけ平家の大群を打ち破った」事は有名。<br />元暦元年(1184)後白河法皇の策略で鎌倉軍に敗れ、<br />粟津ヶ原で討死した。<br />義仲31歳の若さであった事など。勉強になった。

    ・義仲館
    観光客用に作られた資料館。
    義仲の生い立ち、巴御前との出会いなど解説している。
    ここで学んだことは、
    義仲が源義賢(よしたか)の次男で武蔵の国の出身。
    父義賢が戦で破れ、信濃の国に逃れ、
    木曽三権守、中原兼遠の養育を受けた。
    その後、元服して木曽次郎源義仲と名乗り、
    平家追討に参加し、
    「牛の角に松明をつけ平家の大群を打ち破った」事は有名。
    元暦元年(1184)後白河法皇の策略で鎌倉軍に敗れ、
    粟津ヶ原で討死した。
    義仲31歳の若さであった事など。勉強になった。

  • ・徳音寺鐘楼門<br />19号線から「宮ノ越宿」の案内板にしたがって<br />宮ノ越の旧街道に入る。<br />広い駐車場にある道路を進むと右手に義仲館がある。<br />義仲館を出て右手に立派なお寺がある。徳音寺に行く。<br />参道を進むと壮大な鐘楼門が目に入る。<br />木曽義仲24代の孫の発願により<br />尾張藩犬山城主成瀬隼人正藤正幸の母が<br />施主になり享保八年(1723)に建立。<br />この門は重層楼門で唐様式。<br />全体に調和し,美しい。華美な装飾が無い。<br />簡素ですっきりしている。<br />江戸時代中期の楼門建築を代表するものとして貴重なものだ。

    ・徳音寺鐘楼門
    19号線から「宮ノ越宿」の案内板にしたがって
    宮ノ越の旧街道に入る。
    広い駐車場にある道路を進むと右手に義仲館がある。
    義仲館を出て右手に立派なお寺がある。徳音寺に行く。
    参道を進むと壮大な鐘楼門が目に入る。
    木曽義仲24代の孫の発願により
    尾張藩犬山城主成瀬隼人正藤正幸の母が
    施主になり享保八年(1723)に建立。
    この門は重層楼門で唐様式。
    全体に調和し,美しい。華美な装飾が無い。
    簡素ですっきりしている。
    江戸時代中期の楼門建築を代表するものとして貴重なものだ。

  • ・徳音寺境内<br />本堂には義仲・巴御前の木像が祭られている。<br />本堂苗庭には馬にまたがった勇ましい巴御前の像があった。<br />かなりおてんば娘であったであろう。<br />・義仲・巴御前の墓<br />本殿左を進むと右側に石段があり御奥に義仲・巴御前の墓がある。<br />丁度、周囲を覆う大木の枝払いの作業中で<br />近くまで立ち入ることが出来なかった。

    ・徳音寺境内
    本堂には義仲・巴御前の木像が祭られている。
    本堂苗庭には馬にまたがった勇ましい巴御前の像があった。
    かなりおてんば娘であったであろう。
    ・義仲・巴御前の墓
    本殿左を進むと右側に石段があり御奥に義仲・巴御前の墓がある。
    丁度、周囲を覆う大木の枝払いの作業中で
    近くまで立ち入ることが出来なかった。

  • ・巴ケ淵<br />義仲・巴御前のロマンにちなんで名つけられた。<br />岩を食む激しい流れがここに来て深い淵となり、<br />青く清んだ水をたたえている。<br />周囲の欅の紅葉が美しいとあるが、<br />まだ木々の葉は青々としていた。<br />静寂の中に突然、物凄い轟音で鉄橋を渡る中央線の列車。<br />通りすぎると、またウソのような静寂に戻った。<br /><br />明日は、福島、上松、須原、野尻、三留野、妻籠、馬篭を訪ねる。

    ・巴ケ淵
    義仲・巴御前のロマンにちなんで名つけられた。
    岩を食む激しい流れがここに来て深い淵となり、
    青く清んだ水をたたえている。
    周囲の欅の紅葉が美しいとあるが、
    まだ木々の葉は青々としていた。
    静寂の中に突然、物凄い轟音で鉄橋を渡る中央線の列車。
    通りすぎると、またウソのような静寂に戻った。

    明日は、福島、上松、須原、野尻、三留野、妻籠、馬篭を訪ねる。

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