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格子の家に、久しぶりに、はいりました。<br /><br />2013年7月のブログ。<br />https://4travel.jp/travelogue/10797867<br />

格子の家に久しぶりにはいりました。

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2025/03/07 - 2025/03/07

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格子の家に、久しぶりに、はいりました。

2013年7月のブログ。
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旅行の満足度
4.0
観光
4.0
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 奈良市ならまち格子の家 名所・史跡

    「格子の家」あまり良いネーミングではありませんね。でも、見甲斐はあります。 by nomonomoさん
  • 奈良市ならまち格子の家 名所・史跡

    「格子の家」あまり良いネーミングではありませんね。でも、見甲斐はあります。 by nomonomoさん
  • カフェ タンネ グルメ・レストラン

  • ○当家の由来<br /><br />当家のある下御門町の地名の由来は「奈良町風土記」によると元興寺の<br />西南門のあった所で門前町として栄えました。<br />奈良に七御門と称する門(東御門・西御門・北御門・中御門・今御門<br />高御門・下御門)あり東御門を除いた六御門は現在町名として残っている。<br />興福寺の東・西の門があった所が東御門・西御門である。東大寺の北・中<br />の門があった所が北御門・中御門である。元興寺の北門が今御門、中大門が<br />あった所が高御門、西南門などがあった所が下御門である。<br />「元要記」に聖武天皇神亀二年(725年) 七朝之宮門建立星配常下御門<br />廉貞星 (奈良坊目抽解)とあり、南都の七御門もこれにならったと見られる。<br /><br />この町屋は明治初期に関家により建築され、代々呉服店(卸商)として営まれ<br />この格子は糸へんつまり繊維の仕事を業とする事を示す典型的な糸屋格子<br />(一本の太格子に二本の細格子) であります。<br />戦後、当家は奈良県繊維卸売株式会社代表を務めていた宮島家 先代が<br />関家から譲り受け呉服卸商及び毛織物商を営み奈良県、京都府南部、 三重県西部<br />大阪一円へと販路を拡大、一時は全国展開もしていました。<br />昭和六十年、呉服及び繊維需要低迷の趨勢により自主廃業致しました。<br /><br />町屋としては築約百三十五年を経過し比較的に規模が大きく、建築史的に<br />みても色々な特徴を持っています。<br />昭和六十年、南側に通ずる高畑・杉ヶ町線の道路拡幅工事のため仕入れ客を<br />接待する二階建座敷棟、茶室、当主居住棟及び依水園の施主であった創建当主が<br />これに似せた見事な庭園は撤去されました。<br /><br />現在残る家屋は母屋及び店部分で全体の三割五分程度ですが、太く大規模な梁、<br />箱階段、愛山の筆による竜と虎を描いた戸(応接間に通ずる)、柱のないガラス戸<br />(平成十四年の建具補強で柱補強)、ツシ二階、大正時代の洋館応接間及び<br />有名寺の礎石等見どころいっぱいの古い町屋です。<br /><br />尚、 ミセ蔵(現在、蔵乃間として利用)は純日本式、奥蔵は西洋式のトラス構造<br />となっています。<br /><br />皆様のご支援で後世に保存してゆきたいと思っています。<br />(洋館横に奈良国立文化財研究所の調査分類によります古代五十五点を展示しています)

    ○当家の由来

    当家のある下御門町の地名の由来は「奈良町風土記」によると元興寺の
    西南門のあった所で門前町として栄えました。
    奈良に七御門と称する門(東御門・西御門・北御門・中御門・今御門
    高御門・下御門)あり東御門を除いた六御門は現在町名として残っている。
    興福寺の東・西の門があった所が東御門・西御門である。東大寺の北・中
    の門があった所が北御門・中御門である。元興寺の北門が今御門、中大門が
    あった所が高御門、西南門などがあった所が下御門である。
    「元要記」に聖武天皇神亀二年(725年) 七朝之宮門建立星配常下御門
    廉貞星 (奈良坊目抽解)とあり、南都の七御門もこれにならったと見られる。

    この町屋は明治初期に関家により建築され、代々呉服店(卸商)として営まれ
    この格子は糸へんつまり繊維の仕事を業とする事を示す典型的な糸屋格子
    (一本の太格子に二本の細格子) であります。
    戦後、当家は奈良県繊維卸売株式会社代表を務めていた宮島家 先代が
    関家から譲り受け呉服卸商及び毛織物商を営み奈良県、京都府南部、 三重県西部
    大阪一円へと販路を拡大、一時は全国展開もしていました。
    昭和六十年、呉服及び繊維需要低迷の趨勢により自主廃業致しました。

    町屋としては築約百三十五年を経過し比較的に規模が大きく、建築史的に
    みても色々な特徴を持っています。
    昭和六十年、南側に通ずる高畑・杉ヶ町線の道路拡幅工事のため仕入れ客を
    接待する二階建座敷棟、茶室、当主居住棟及び依水園の施主であった創建当主が
    これに似せた見事な庭園は撤去されました。

    現在残る家屋は母屋及び店部分で全体の三割五分程度ですが、太く大規模な梁、
    箱階段、愛山の筆による竜と虎を描いた戸(応接間に通ずる)、柱のないガラス戸
    (平成十四年の建具補強で柱補強)、ツシ二階、大正時代の洋館応接間及び
    有名寺の礎石等見どころいっぱいの古い町屋です。

    尚、 ミセ蔵(現在、蔵乃間として利用)は純日本式、奥蔵は西洋式のトラス構造
    となっています。

    皆様のご支援で後世に保存してゆきたいと思っています。
    (洋館横に奈良国立文化財研究所の調査分類によります古代五十五点を展示しています)

  • 江戸川 ならまち店 グルメ・レストラン

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この旅行記へのコメント (1)

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  • salsaladyさん 2025/03/14 10:20:28
    東大寺二月堂~ならまち~
    ☆一昨年初冬、神戸から奈良を訪れた折、二月堂のお水取りの歴史を知って、冬も興味ある地だなア~と思いつつ、時雨にあいながら「ならまち」を散策した思い出が。。。

    ☆「ならまち地図」を見ながら歩くのですが、目的の利き酒できる春蔵?だったかを探すのに苦労しました。だから見逃した「格子の家」を拝見できてラッキーです~

    ☆折角素晴らしい歴史保存地区なのに、案内が少なすぎてインバウンドも苦労するでしょう~

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