2025/02/24 - 2025/02/24
990位(同エリア85079件中)
noelさん
この旅行記のスケジュール
2025/02/24
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古代エジプト人の謎を解け
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文明の予兆
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書記になれ
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大いなるナイルの恵み
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出産と子育て
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ファラオの実像を解明せよ。
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ピラミッドとは?
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神のフト(館)
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ファラオの象徴
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1500柱の神々
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ファラオの仕事
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死後の世界の門をたたけ。
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神聖な動物たち
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オシリス崇拝
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ミイラ作り
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この旅行記スケジュールを元に
予定では2024年夏のエジプトのサッカラの旅行記を投稿する予定でした。
ただ、その前に六本木ヒルズで開催されていたエジプト展の旅行記を先にします。
同じエジプトでもありますので・・・。
しかもサッカラで出土したものも結構展示されていました。
実はブルックリン博物館にこんなに古代エジプトの至宝があったことは知りませんでした。
今回は出品リスト(紙のもの)はありませんでした。
入口のQRコードで読み込みました。
最近思うのですが、チケットが徐々に高くなっていると・・・。
今回は当日券で2600円でした。
祝日で入場制限していましたが、結構混んでいました。(・_・;
以前エジプトのルクソールの博物館に行った際には、私の他にはほとんど人がいませんでした。独り占めできて、本当に贅沢なひと時だったと思います。
さて、展示品の1stステージは、人々の暮らしについてでした。
実は1988年にギザの3大ピラミッドを建設した人々の都市遺構が発見され、新たな事実が分かりました。
ピラミッドのすぐそばに王族、貴族、一般の人々が住む区画整理された町が造られていました。
そこでは、仕事は強制されていませんでした。パンやビール、ヒツジやヤギ、仔牛が配給され、人々は豊かな生活を営みながらピラミッド建造に従事していました。
以前は奴隷が強制労働させられていたと思われていましたが、そうではないことがわかりました。
歴史はこのように新たな発見によって変わっていきます。♪
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
-
左
Vase with Painterd Animals(動物文様の壺)
先王朝時代、ナカダⅢ期初期
BC3300-BC3100頃
アウラード・イェヒア(伝)
土器、彩色
4本足の動物は横から見た鰐、横と縦に並んでいるのは蛇と考えられています。
これらは古代エジプト人が目にした生き物の中で最も危険な存在であり、川と砂漠という対照的な環境を象徴する動物です。
動物の危険から身を守るため、もしくはその力を利用して壺に宿すため描かれたのかもしれません。
中央下
Flint Bracelet(フリント製の腕輪)
初期王朝時代・第1~2王朝
BC3000-BC2675年頃
出土地不詳
フリント
繊細なフリントの腕輪ですが、主に初期王朝時代に製作され、エリート層が着用したとされています。石槌でフリントを叩く技術は簡単に習得できるものではなく、本作の精巧なつくりとつややかな光沢は作り手の卓越した技術を物語っています。
右上
Large Palette in the Shpape of a Bird(鳥の形をした大型パレット)
先王朝時代、ナカダⅢ期後期
BC3500~BC3300年頃
アブ・ザイダン
硬砂岩
この時代、双頭の動物は、再生と多産の象徴である「番い(つがい)」を表していたと考えられますが、この作品も元々は双頭の鳥の形をしていました。
持ち主がアイラインを描く「コホル」を作るため、本作で鉱物をすりつぶした可能性があります。 -
Relief of a Noble Man(貴族の男性のレリーフ)
新王国時代・第19~20王朝
BC1292~BC1075年頃
出土地不詳
石灰岩、顔料
複雑な巻き髪と蓮の花の紐帯があるかつらが印象的なこの男性は、名前も職業も謎です。新王朝時代のエリート層の墓から出土し、高貴な衣装をまとっていることから貴族のようです。アクエンアテン王が主導した優美で写実的な芸術様式が見て取れます。
宗教改革を行ったアクエンアテンですが、ちょっとが興味深いです。
そして、よく見ると首筋付近に彩色が残っているのがわかります。
ちなみにこれは東京会場の特別出品です。 -
Relief Fragement with Hieroglyphs
(ヒエログリフが書かれたレリーフの一部)
古王国時代・第5王朝
BC2500~BC2350年頃
サッカラのセメンクウ・プタハ墓(MM D43)
石灰岩 -
Scribe Amunhotep,Son of Nebiry
書記アメンヘテプ(ネブイリの息子)
新王国時代・第18王朝
アメンヘテプ2世治世、BC1426~BC1400年頃
テーベ(伝)
石灰岩
古代エジプトでは知識と読み書きの力がもっとも評価され、識字を習得した男性は本作のようにパピルスの巻物をひざに置き、足を組んだ書記の姿勢で描かれています。
本来、このような姿の描写が許されるのは王族の男子ばかりでしたが、時代とともに教育の機会が増えて王族以外の書記像も珍しくなくなりました。
ちなみに古代エジプトで親が子に就かせたい職業のナンバー1は書記でした。
神の言葉である文字を操る役職として、神官や官僚も全て書記に含まれました。
中王国時代に書かれた「ドゥアケティの教訓」では、父親が息子の出世を願い、書記がいかに素晴らしいか(また、農民、漁民、大工、宝石職人、陶工・・などに比べると)書記は手足がなめらなまま、清潔な服を着て名誉と安定を得ることができると述べています。
ただ、農民、漁民・・・・はナイルの恵みに感謝して人生を謳歌している反面、書記は肩こり腰痛に悩まされていたこともわかっています。
なんだか現代に通じるものがありますね。(笑) -
Relief of Mentumhat, Scribe and High Official
(書記と高官を務めた人物のレリーフ)
第3中間期後期~末期王朝時代初期
第25王朝後期~第26朝初期
BC670~BC650年
テーベ西岸のメンチュエムハト墓(TT34)(推定)
石灰岩、顔料(エジプシャン・ブルー、藍色)
長いパレットを持って座る書記と、左側にもう一人の人物の一部が見られます。
2人の周囲には「下エジプトの土地の管財人」「下エジプトの労働者の書記」という称号が記され、彼らが行政や記録管理の責任者だったことが読み取れます。 -
左
Scribe's Palette and Reed Pens
(書記のパレットと葦ペン)
末期王朝時代・第27~30朝、BC525~BC343年
エレファンティネ島のコム(「塚」の意)木、葦、インク
右
Cylinder Seal of Amenemhat Ⅲ
アメンエムハト3世の円筒印章
中王国時代~第2中間期、アメンエムハト3世治世またはそれ以降、第12~17王朝
BC1818~BC1539年頃
出土地不詳
凍石、釉薬
人気を博したアメンエムハト3世の名をつけた印章は、彼の治世から数世紀後まで作られていて、これもその一つです。
ひもを通して身に着けるための穴があり、護符として使われていたのでしょう。
実は私、この印章に似たメソポタミアの印章のレプリカですが持っています。
最初、このタイプの印章を見た時、とても感動しました。 -
左
Ostracon with Sketches
(下絵が描かれたオストラコン)
新王国時代・第18王朝、ハトシェプストおよびトトメス3世治世、
BC1479~BC1425年頃
デイル・エル=バハリのメンチュへテプ2世の参道(通称「ハトシェプスト穴」)
石灰岩、顔料
オストラコンは、古代エジプトの絵師や書記がメモ帳のように使った石の破片で、簡や建築計画、美術作品のスケッチまで、あらゆるものに使われました。
右
Writing Exercise Tablet
(習書用の蝋板)
ローマ時代、4世紀
出土地不詳
木、蝋
本作は、ローマ支配時代のエジプトに暮らしていた若い学生が所有していた一部です。教師の本を写したことがわかっています。 -
Statue of Nykara and his Family
(ニカーラーとその家族)
古王国時代・第5王朝後期、BC2455~BC2350年頃
サッカラ(推定)、石灰岩、顔料
中央の穀物倉の初期の監督ニカーラー。
両脇に妻カウネプティ、息子アンクマーラーが立っています。ニカーラーの脚の長さから、彼の背丈は横の2人をはるかに上回るように見えます。
左の息子は指をくわえて若さを強調しています。
彫刻家は意図的に身長の違う3人の頭部の高さを揃えたのでしょう。 -
Relief with a Servant Making the Tomb Owner's Bed
(被葬者の寝台を整える召使のレリーフ)
古王国時代・第6王朝、BC2350~BC2170年頃
サッカラ(推定)
石灰岩
男性が死者のために寝台を整えています。
上半身を柱の後ろ、下半身を柱の前に描く構図です。
寝台の横に通じる空間には油、ハエ払い、暖掛け、装身具用の箱の他に、身だしなみのための道具があります。
ちなみに古代エジプトはベッド文化です。初期王朝時代から知られていて、革もしくは植物性のマットが張られた木製の枠の一部も見つかっています。当時はヘッドホードはなく、フットホードが取り付けられていました。 -
左
Wooden Low Table
木製のローテーブル
新王国時代・第18王朝、BC1539~BC1292年頃
テーベ(推定)
右(手前)
Wooden Headrest. Carved with the Guardian Detes
(守護の神々が彫られている木製の枕)
トトメス3世~アメンヘテプ2世治世
BC1479~BC1400年頃
サッカラ(伝)
古代エジプト人はナイル川とその氾濫によってもたらされる肥沃なケメト(黒い大地)のおかげで、実り豊かな食生活を謳歌していました。新王国時代の貴族の墓の壁画には、故人である彼の前に、ワイン、さまざまな種類のパン、果物や肉など、大量の供物が描かれています。
ワインも王朝以前から上流階級の嗜好品でした。ツタンカーメン王墓からもワインを納めたアンフォラの壺が30個以上見つかっています。
興味深いことに、これらの壺には生産年、産地、種類、醸造者の名前が記されていました。古代エジプトでは基本的に赤ワインが飲まれていましたが、近年の研究で、ツタンカーメン王墓のアンフォラに残ったサンプルの分析から、彼の時代にはすでに白ワインがあったことが明らかになっています。
このセクションでは、豊かなナイルの恵みを表す動植物のレリーフ、パンのための穀物を挽く像だけでなく、木製の枕やテーブル、柳字サンダル、ゲーム盤と駒といった娯楽の道具など、多方面から古代エジプト人の暮らしを知ることができます。さらにツタンカーメンが王子だったときに住んでいたであろう王宮の調理場や、寝台を整える場面など、珍しいレリーフもあります。
この枕ですが、昔の高枕に似ています。
ただ、レリーフが刻まれているのは凄いです。
いい夢でもみれるのでしょうか・・・・。 -
Pair of Sandals Made of Palm
(椰子のサンダル)
ローマ時代、3世紀~4世紀
出土地不詳
椰子の葉、ガラス、染料
サンダルは単なる履物ではなく、社会的地位、宗教的儀式など象徴的に様々なことと関わっていました。王のために、サンダルを持ち運ぶ従者もいました。 -
Relief of an Offering Table
(供物卓のレリーフ)
中王国時代
BC1980~BC1630年頃
(第25王朝、BC760年~BC656年頃に碑文が追加)
サッカラ(伝)
石灰岩 -
Funerary Game Board and Pieces
(葬送用のゲーム盤と駒)
中王国時代・第12~13朝初期、BC1938~BC1630年頃
出士地不詳
ファイアンス -
左
Bes Jar(ベス神の顔をかたどった壺)
未期王朝時代・第27~31王朝、BC522~BC332年
サッカラ(金)
粘土、泥漿
ベスは家族を見守る神として、邪悪なものを遠ざけ、女性や子どもなど、か弱い者を守る存在です。この壺は家庭用でミルクや液状の薬が入っていたのかもしれません。あるいは来世で死者の危険を退け、保護するために副葬された可能性もあります。
中央上
Blue-Painted Storage Jar
青色彩文壺
新王国時代・第18王朝後期、BC1332~BC1292年頃
出士地不詳
土器、彩色
中央下
Faience of Pataikos(ファイアンス製のパタイコス神像)
第3中間 ~末期王朝時代
BC1075~BC332年頃
出士地不詳
ファイアンス
右
Dish in Form of Bound IBex
(縛られたアイベックス形の皿)
新王国時代 第18王朝
BC1539~BC1292
出土地不詳
凍石
以前からベス神はユニークな愛嬌のある顔だと思っていましたが、この左側の壺も、面白いお顔です。(*^-^*) -
Swamp Scene(沼地の光景のレリーフ)
古王国時代・第5~6朝、BC2500~BC2170年頃
ギザ
石灰岩、顔料
古代エジプト人にとっての沼地は、肥沃、豊かさ、創造と結びつく象徴的な存在で、墓の装飾のモチーフにもなりました。本作は多くの魚に囲まれた小舟により”豊かな恵み”を表しているだけでなく、沼地に身を着めるカバの脅威も描かれてます。 -
Detail from an Offering Scene(奉納場面を詳細に描いたレリーフ)
中王国時代 第12王朝
アメンエムハト1世治世、BC1938~BC1909年頃
リシュト北、アメシェムハトⅠ世のピラミッド複合体の北神殿(推定)
石灰者、顔料
アメンエムハト1世の神殿の装飾だったとされる本作は、王にオナガガモを捧げる召使の一部が見事な曲線美で描かれています。召使の男は4羽のカモをつかみ、そのうち1羽の頭部を握って首を折るうとしています。このカモはアメンエムハト1世への供物として捧げられたのでしょう。
アメンエムハト1世は自らのピラミッド複合体の建設に、古王国時代の王家のレリーフを再利用していました。そのため、彼の治世に制作されたレリーフかどうかを区別をするのが難しいこともあります。
Relief of a Fowler(水鳥を狩る人のレリーフ)
新王国時代・第18王朝前半、BC1539~BC1425年頃
おそらくテーベ
石灰岩
狩りはエジプト人にとって、スポーツであり食料の確保のためでしたが、こうして墓の壁に描かれる場合は、死者に魚を提供し、再生を助けるという宗教的な意味合いがありました。
古代ギリシアの歴史家へロドトスは「エジプトはナイルの賜物である」と述べていますが、その元来の意味は、下エジプトのデルタ地帯がナイル川の池により運ばれた確積上で作られたという地形学的な話です。しかし、実は古代エジプト人自身がナイルの恵みを歌で頷えていました。
その『ナイル賛歌」では、氾濫は「エジプトに生命を与えるために来るもの」であり「大麦を作り、エンマー小麦を生み出し」「魚の主」であり、「彼が立ち上がれば、大地は歓喜し、すべての腹が喜びで満たされ、すべての顎が笑いをたたえ、すべての歯が見える」、さらに「すべての神に捧げ物を与える」と、その恩恵がさまざまな面で称賛されています。
ナイルの氾濫は、ハピという神がもたらすものでした。
ナイル全域がハピの領土であり、ハピこそが供物を生み出す存在であり、言うなれば、すべての人々がハピに仕えていました。ハピの姿はさまざまな神殿に描かれ、毎年の氾濫時には祭礼が行われ、歌が捧げられました。 -
Ceremonial Sickle of the "Fieldworker of Amun" Amunemhat
(”アメン神の農作業者”アメンエムハトの儀式用鎌)
新王国時代・第18王朝、BC1479~BC1425年頃
テーベ第82号墓(1782)(推定)
木、顔料
この木製の鎌は、先端にフリントの刃が付いていないことと、アメンエムハトという人物の名前とともに"アメン神の農作業者"という称号が刻まれていることから、儀式用のものと考えられます。
Nile Riverside Scene(ナイル河鮮の光景のレリーフ)
新王国時代・第18朝後期、アマルナ時代、BC1353~BC1336年頃
ヘルモポリス・マグナ(推定)
石灰岩、顔料
上部では、造船技師が木の板をなめらかに仕上げており、下部では、2つの水がめをつるした天棒をかつぐ農夫が、急な川岸を登っています。アクエンアテン王が築いた都市、テル・エル=アマルナを中心に花開いたアマルナ美術は、自然主義的な表現が特徴で、このように王宮や都市での日常生活を知ることができます。 -
Senenu Grinding Grain(穀物を挽く書記セネヌ)
新王国時代・第18王朝後期、BC1336~BC1292年頃
テーベ
石灰岩、顔料
台座に置かれた岩の上に前かがみになって穀物を挽いている人物はセネヌです。この小像は、来世で死者に代わって働くために副葬されたシャブティでしょう。像の全面に彫られたヒエログリフには、生前の行いと王や神々への忠実な奉仕により、恵まれた来世を求める願いが含まれます。
Relief Depicting the Royal Kitchen(王宮の調理場のレリーフ)
新王国時代・第18王朝後期、アマルナ時代、BC1353~BC1336年頃
ヘルモポリス・マグナ(推定)
石灰岩、顔料
左端ではアーチ形の天井の部屋でパンを焼いてます。中央では2人の男性が、ワインを棒につるして、両開きの扉から中庭に向かって運んでいます。中庭には、5足のサンダルが入った小さな戸棚と、持ち手の短いほうきで床を掃く人がいます。 -
Ancestral Bust of a Woman(女性の祖先胸像)
新王国時代・第19朝、BC1292~BC1190年頃
デイル・エルーメディーナ(墓番号不詳)
石灰岩、顔料
「先祖胸像」は副葬品や神殿への奉納物ではなく、家庭生活の一部として、古代エジプトの家屋内に置かれていたと考えられています。先祖だけでなく、家族または友人など亡くなった愛する人を代表している可能性もあります。
古代エジプトにおいて「美」は、単なる容姿の良さだけでなく、内面的な美徳である「善良さ」を意味する概念でした。
エジプト語で「美しい」を表す単語「ネフェル」は名前としても広く用いられ、男女問わず高貴な人物に好まれました。
外見部分はというと、古代エジプト人も私たちと同様「おしゃれ」を楽しんでいました。女性の服装は幅広い肩ひもでつるす「チュニック型」が一般的でしたが、羽織ったり、重ね着をしたりと時代ごとに様々な流行があったことが壁画から見て取れます。とりわけ上流階級の女性たちは様々な装飾品を身に付け、首飾りだけでなく、指輪、腕輪などの装飾品が現代とほぼ変わらない形で出土しています。
ヘアスタイルは一般的に男女とも髪を短く切り、時代ごとに様々なかつらを使っていたようです。髪留めなどを使用し、私たちと同じょうに流行のヘアスタイルを楽しんだのでしょう。
男性も化粧をしました。最も特徴的な目の周りの太いアイラインには、目を大きく見せるという役割に加えて、呪術的な意味や、眼病を予防する目的もありました。鏡を見ながら、孔雀石や方鉛鉱などをすりつぶして作ったアイライナーを目の上につける姿は、現代の私たちと変わらぬ生活を想像させます。 -
Statuette of a Woman from the Elite Class(上流階級の女性の小像)
新王国時代・第18朝
アメンヘテプ3世治世、BC1390~BC1353年頃
出土地不詳 -
Tomb Painting of a Woman with Offerings
(女性と供物を描いた墓の壁画)
新王国時代・第18王朝初期、BC1539~BC1425年頃
出土地不詳
石灰岩、顔料、ジェッソ
緑色の敷物にひざまずき、青いロータスの香りをかぐ女性が描かれています。女性の前のテーブルの下には封がされたビールとワインの壺、テーブル上にはパンとウシの頭部があります。塗料と石膏が剥落した部分にある格子状の赤い線は、人物や供物を適切な比率で配置できるように引かれたものです。
Single-Strand Necklace from a Royal Palace
(王宮から出土した首飾り)
新王国時代・第18王朝後期
アメンヘテプ3世治世、BC1332~BC1292年頃
テーべ、アメンヘテプ3世の王宮
ファイアンス
Fragmentary Necklace with Cornflowers
(ヤグルマギク形のペンダントが付いた首飾りの一部)
新王国時代・第18王期
アマルナ時代、BC1353~BC1336年頃
テル・エル=アマルナの中央都市に位置する「書記の家」住宅45
ファイアンス -
Cosmetic Box(化粧箱)
新王国時代・第18王朝後期、
ツタンカーメン治世~ホルエムヘブ治世
この木製の化粧箱は、それぞれの仕切りに化粧用の粉などを収納していました。
果物や葉の帯状の装飾が施されたスライド式の蓋をして保管していたのでしょう。
Right Eye from Anthropoid Coffin(人型の右目)
新王国時代またはそれ以降、BC1539~BC30年頃
出土地不詳
ミイラとなった人物を納める外に使われていました。まぶたは不透明な青いガラスから作られています。ガラスは古代エジプトでは貴金属や宝石とともに高い価値が認められていました。
Kohl Pot(コホル壺)
中王国時代・第12~13朝 BC1938~BC1630年頃
出土地不詳
エジプシャン・アラバスター
エジプシャン・アラバスターで作られた壺にはコホルが入れられ、化粧用としてだけではなく、目を物理的・呪術的に守るためのアイライナーとして使われました。 -
Fish Dish(魚形の皿)
新王国時代・第18王朝、
トトメス3世治世~アメンヘテプ2世治世、BC1479~BC1400年頃
出土地不洋
凍石
ナイル・ティラピアをかたどっており、表と裏の両面には精細なうろこ模様が刻まれています。化粧の材料を練ったり、油と香料を合わせて香油や新着を作ったりするのに使われたのでしょう。
Dish in the Form of a Duck(カモ形の化粧皿)
新王国時代・第18王朝後期、BC1336~BC1292年頃
出土地不詳
エジプシャン・アラバスター -
Hair Curler(髪留め)
新王国時代・第18朝、BC1539~BC1292年頃
出土地不詳
青銅
Mirror(鏡)
新王国時代・第18朝
ハトシェプスト治世~アメンヘテプ3世治世、BC1478~BC1353年頃
出土地不詳
青銅
古代エジプト人は容姿にこだわりをもっていたことから、化粧や髪を飾る装飾品が多く見つかっています。道具として使われただけでなく、死後に来世でも使えるよう墓に副葬されたのでしょう。
持ち手が若い女性の形をした鏡は新王国時代に登場しましたが、これらの女性は美と愛と豊穣の女神ハトホルと関連しています。
鏡は他の化粧用具と同様、性と生の象徴と結び付いていていました。
ヒエログリフのアンクは「生命」を意味し、その形状はサンダルの革紐から来ていると考えられてますが、T字形の柄を持つ鏡から来たという説もあります。 -
Amulet of a Birth God(出産の神)
タウェレトの護符
新王国時代・第18朝初期、BC1539~BC1479年頃
出土地不詳
ファイアンス
タウェレトはカバの頭と胴体、ライオンの脚を持ち、様式化されたワニが背に垂れ下がった姿をした女神です。このような恐ろしい姿には、か弱い者を脅かす邪悪な力を退ける意味があります。女性や赤ん坊はこうした護符を身に着け、出産中や出産直後の安全を願いました。
Nursing Woman(授乳をする女性の像)
中王国時代・第12~13朝初期、BC1938~BC1630年頃
出土地不詳
石灰岩、顔料
母乳がよく出るよう神にお願いした奉納品だったのかもしれません。第18王朝の医学パピルス『エーベルス・パピルス』には、男児を出産した女性の母乳の治療分について記されています。壺に母乳を入れてクリームの層が生じるまで保存し、そのクリームを「あらゆる患部」に塗ると、痛みが和らいだといいます。
授乳する女性の像は、女神イシスが幼いホルスを抱き寄せて授乳する神話と関連し、古代エシブトにおける普遍的な母性愛を象徴していました。イシスは誕生を見守るため、出産に立ち会う女神であるともじられていました。
古代エジプトでは財産や家系を引き継ぐだけでなく、埋葬を適切に行い、来世での生活を保障するために、子孫を持つことが必要不可欠でした。女性は10代前半で婚姻を結び、早くから子どもをもうけたとされます。古代エジプトの医療は古代世界においては高水準だったと考えられますが、それでも出産は命がけでした。そのため、人々は護符を身に着け神々の像を家の中に祀り、見えない力・神秘的な力に救いを求めました。
こうして自身の命をかけて生まれた子供に対する愛情は、かけがえのないものだったでしょう。「ようこそ」「私の望んだ息子」「可愛い娘が生まれた」というような喜びに満ちた名前や、「トト神は力強い」「アメン神の加護がありますように」といった神が子供の成長を見守ってくれるように願う名前からは、子供に対する親の愛情というのは5000年前から変わらないことを私たちに教えてくれます。授乳する女性の姿を表す彫像も多くみられ、特にイシス女神がホルス神を抱き授乳する姿は、後に幼いイエスに授乳する聖母マリアのキリスト教の図像表現の源となったとも言われています。 -
Frog Amulet(カエルの護符)
新王国時代・第18王朝
アメンヘテプ3世治世、BC1390~BC1353年頃
出土地不詳
ファイアンス
日の出から鳴くカエルは、太陽の再生と結びつき、守護の力があると考えられました。本作はおそらくカエルの姿をした豊様の神へケトを表しているか、出産時の安全を守るための護符として使われていたのかもしれません。
Milk Vase(ミルク壺)
新王国時代・第18朝初期、BC1539~BC1479年頃
サワマ91号墓
土器、顔料 -
現在、エジプトには少なくとも118基のピラミッドが発見されていますが、クフ王の大ピラミッドを含め、ほぼすべてが盗掘されています。しかし、さまざまなピラミッドからはミイラや内臓を納めるカノプス容器の断片、それが置かれていた場所などが発見されています。例えば、ジェセル王の階段ピラミッドからは(後に葬された可能性があるとされていますが)ミイラの一部が見つかっており、第6王朝のペピ1世の後継者であるメルエンラーのピラミッドからは、少年王と思われるミイラがほぼ完全な状態で発見されています。こうした事例からも、ピラミッドが墓であることは間違いありません。
しかし、なぜこのような形状なのでしょうか?古代エジプト人は、世界は「原初の海」から大地が盛り上がって始まったと考えていました。これは「原初の丘」と呼ばれ、すべての生命の源としてられていました。さらに『ピラミッド・テキスト』には、世神アトゥムが世界を創造した時、ピラミッドと同じ形の聖なる石が生じたと記されています。古代エジプト人にとって、ピラミッドはまさに、そうした創世や宇宙観を象徴するものだったのです。
横を向いているように見える古代エジプトの人物像ですが、実際に横向きを表現しているわけではなく、古代エジプト独特の人物表現の定型によるものです。視覚的な正しさよりも、特徴的な要素のわかりやすさを重視した結果です。
古代エジプトの壁画をよく見ると、顔は横向きですが、目は正面を向いています。肩を含めた上半身は正面ですが、腰から下は横向きで描かれています。これはエジプト美術が、遠近法や陰影による立体感の再現など視覚的な正確さを重視する表現ではなく、異なる大きさや角度であっても、最も特徴的な要素を組み合わせるという独特な表現方法を用いたためです。神殿や住居などを描く際も同様に、建築物や場面全体の構成が一目で理解できるよう、平面図と立面図が混さって描写されました。
Explore the Power of Pharaohs
古代エジプト王の名前は通常「神」に関連し、当時の宗教や政治、社会情勢が反映されています。
例えば、大ピラミッドを建造したクフ王の正式な名前はクヌムクイエフウィ「クヌムは我を守りたもう」という意味を持ちます。恵みをもたらすナイル川の氾濫を支配する神クヌムの恩恵を祈願したのでしょう。
戦いの時代に崇拝された神は勇武の神メンチュです。そのため混乱期から中王国時代にかけて、メンチュへテプ(メンチュ神は満足しておられる)という王が続出します。続いて、知恵と王権の記録の神トトの名を持つトトメス(トト神が生み出した者)という王が出現。同じころアメンヘテプ(アメン神は満足しておられる)という名前も好まれましたが、この神を崇拝する神官団の力が強大化したため、アメンヘテプ4世という王が、自らアクエンアテン(アテン神に有益な者)と改名し、宗教改革を行いました。その後、(ラーが彼を生んだ者である)を意味するラメセス1世、(セト神の君)の名を持つセティ1世が続きますが、時代を経ると、他国由来の王名も登場し、エジプト人による国内統治の終わりが示唆されるのです。
2ndステージは、「神」の名前を冠し、強大な権力を握っていた「王(ファラオ)」がテーマです。古代エジプトの王とは一体どのような存在で、どのような力を持っていたのでしょうか?
なぜ巨大な建造物をつくったのでしょうか?
王たちの実情にせまります。 -
考古学者の河江肖剰氏が発掘現場で使う7つ道具です。
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クフ王の名前が彫られた指輪ですが、次で拡大します。
Statuette of Imhotep(イムヘテプの小像)
未期王朝時代~プトレマイオス朝時代・第30朝あるいはそれ以降
BC381~BC30年
出土地不詳
銅合金
建築家で彫刻家でもあったイムへテプは、エジプト最古のピラミッドであるサッカラのジェセル王の階段ピラミッドを設計しました。イムヘテプはその博識ゆえに古代エジプト人の尊敬を集め、末期王朝時代には神として崇拝されました。本作は彼の時代から2000年以上後に作られ、官吏の服装で表現されています。
Stone Bowl with Lug Handles(取っ手の付いた石製容器)
古王国時代・第3~6朝、BC2675~BC2170年頃
出土地不詳
蛇紋岩または閃緑岩
イムフテプと表記されていますが、イムホテプのことです。
エジプトに行った際は、彼の功績を目にしました。
建築家のみならず、医師としても優れていて、死後には神格化されています。
ちなみにギリシャの医神アスクレーピオスと同一視もされています。 -
Ring Inscribed with the Name of King Khufu
(クフ王の名前が彫られた指輪)
未期王朝時代・第26~27朝、BC664~BC404年
おそらくギザ
金
ギザの大ピラミッドを建造したクフ王の名前が刻まれていますが、指輪の主がネフェルイブラーだと記されいます。彼はクフ王の約2000年後の時代に生きていた神官で、ギザで崇拝されていたクフ王の祭祀を務めていた人物でした。
さすが、大ピラミッドを建設したクフ王の時代のものです。
金であることもそうですが、精巧に刻まれています。 -
Superintendent of the Granary, Irukaptah
(穀物蒼の監督官イルカープタハの座像)
古王国時代・第5王朝、ニウセルラー治世、BC2455~BC2425年頃
サッカラ、イルカープタハ墓(伝)
石灰岩
第5王朝時代は、非王族出身のエリートが増加したことで、政治・行政システムが拡大しました。イルカープタハは、ニウセルラー王治世の時代に、穀物倉の監官を務めていたとされます。椅子の両側には、香、亜麻布、家畜の鳥、水差しなどの供物を捧げる神官の姿が彫刻され、後方には種とパンかごを捧げる女性の浮き彫りがあります。 -
Statue of the Senior Official Metjet
(高官メチェチィの像)
古王国時代・第5王朝後期~第6王朝初期、BC2371~BC2288年頃
サッカラ、ジェセル王周壁の南西にあるメチェチィ墓
木、ジェッソ、原料、アラバスター、黒曜石、銅合金
メチェチィは第6王朝の初代の王テティのもとで高官を務めた人物です。
保存状態が良く、木に彩色された本作は上層の役人が着る長い腰布をまとっています。 -
Stone Statuette of a Male Deity(石製の男性神の小像)
古王国時代・第4王朝、BC2625~BC2500年頃
出土地不詳
片麻岩 -
Head and Torso of a King(王像の上半部)
古王国時代・第5王朝、ニウセルラー治世、BC2455~BC2425年頃
出土地不詳
花崗岩、顔料
上半部のみ残る本作は、縞模様のネメス頭巾をかぶり、王権と神性の象徴であるウラエウスを額に配した王を表しています。元の全身像は、短い腰布をまとったニウセルラー王の立像であったと推測されます。 -
Kneeling Statuette of Pepy Ⅰ(ひざまずくペピ1世の小像)
古王園時代・第6王朝、ペピ1世治世、BC2338~BC2298年頃
硬砂岩、エジプシャン・アラバスター、黒曜石、銅
王がひざまずくのは神の前とされることから、本作は神殿内の神像の前に置かれていたに違いありません。王は供物を捧げることで神々を鎮め、この世のマアト「秩序、正義、真理」が確実に保たれるようにしました。額に開いた穴には、金属製のウラエウス(王権と神性の象徴)が付いていたとされ、彼が王族であることを示していました。
ペピ1世のピラミッドは南サッカラに造営され、周囲では王妃たちのビラミットが、8基も発見されています。彼は後宮の陰謀により暗殺されそうになっており、王権の海落や政治的混乱があった時代でもありました。 -
確認し損なってしまったのですが、塔門のようです。多分・・・
2本のオベリスクが建ち、ルクソール神殿に似ています。
Modern Reconstruction of a New Kingdom Temple
(新王国時代の神殿の復元模型)
アルベルト・フェーレンバッハ製作
ブラスター -
Head of a King(王の頭部)
古王国時代・第3王朝後期~第4王朝初期、BC2650~BC2600年頃
出土地不詳
花崗岩
王の名前は失われていますが、頭部の様式から、第3王朝から第4王朝のキザの大ピラミッドを建造させたクフ王ではないかと推察されています。王は上エジプトの王冠である白冠をかぶり、おそらくセド祭(王位更新祭)の衣装を身に着けています。
クフ王の形像は極めて少なく、アビュドス出土の象牙製の7.5cmほどの小さなものしかありません。クフ王だといわれているものは、ドイツとスペインにある数センチの頭部と、ブルックリン博物館収蔵のこの作品だけです。
ちなみに、私はカイロの考古学博物館でクフ王の小さな像を2度見ましたが、この像の顔は、クフ王によく似ていると思います。 -
Statue of a Priest of Amun(アメン神官の像)
末期王朝時代・第30朝、
ネクタネボ1世治世、BC381~BC362年
テーベ(推定)
閃緑岩
未期王朝時代の作品ですが、顔とかつらには2000年前の古王国時代の理想的な様式が用いられています。一方、背柱の上部に神々の描写を刻み込むという末期王朝時代の彫像らしい革新的な手法も取り入れられています。本作ではテーベのアメン神、ムト神、コンス神が刻まれています。
古代エジプトの巨大記念建造物の中でも、最も重要なもののひとつが、最高神アメン・ラーを祀ったカルナク神殿です。
この神殿は100ヘクタール以上の広さを持ち、中王国時代からローマ時代に至るまで、実に2000年以上にわたって増改築が繰り返されてきた巨大な複合神殿です。
神殿は通常、神のフト「館」と呼ばれ、その建物は創世神話や宇宙観を表していました。神域は壁によって囲まれており、それは聖域を示すだけでなく、波のように凹凸のある形状によって、神話における「原初の海」を象徴していました。また、神殿の入り口には、太陽が昇る地平線「アケト」の象徴である巨大な塔門が建てられました。
カルナク神殿には、134本の柱が立ち並ぶ大列柱室があります。建設当時は屋根があり、薄暗い室内に、明かり窓から光が差し込み、雑酸な「原初の沼」を象徴していました。その大列柱室を抜けると、巨大なオベリスクがそびえています。
オベリスクは、神殿において朝日を最初に浴びる太陽仰の象徴でもありました。
神殿でもっとも重要なのは、ご神体が安置された至聖所です。この場所は、エジプトの大地が最初に盛り上がった「原初の丘」として位置づけられていました。 -
Temple Block Statue of a Prince(王子の方形像)
第3中間期・第22王朝、前874~前830年頃
サッカラ(伝)
石灰岩
オソルコン2世とカラマ王妃の息子である王子の岩影像。像の左側に彫られた女性はくの妻、カラマと識別でき、像の左腕にはオソルコン王のカルトゥーシュが刻まれています。台座の碑文が削り取られ、前面のオシリス神像が再刻されていることから、王子が宗教的な目的のためにこの像を再利用したと考えられました。 -
Donation Stela(奉納石碑)
第3中間期、シェションク3世治世の22年目、BC804年
メンデス(推定)
石灰岩
第3中間期の最も特徴的な記念碑が奉納石碑です。そこには土地を神殿や神殿の職員に寄進した記録、寄進の条件が記されていて、規定を破った場合は呪われるという記述もあります。一般的なイメージとは異なり、実は古代エジプトで呪いが使われることは稀でした。 -
Model Rocker(石の運搬具の模型(鎮壇具))
新王国時代・第18王朝、ハトシェプスト治世は、BC1478~BC1458年頃
テーベ、ディル・エル=バハリ、第2テラス南端
王は新しい建造物を建てるとき、地質のために基礎の四隅に物を埋めました。
これらには、鍬(作品61)、レンガを積む道具(作品62)巨大な石の運搬に必要な道具(作品63)など、建造に使う道具の模型が含まれ、そこには王の名前が刻まれていました。王は新しい建造物の構築を認可するだけてなく、神殿や宮報といった既存の所有を主張することもありました。その最も一般的な方法が、碑文に記された元の建造者を、自らの名前に置き換えること、王は基礎の四隅に物を埋め、後の王に名前を書き換えられないようにすることで、神々に本当の建造者を示し続けようとしたのです。
エジプトで見た建造物に描かれたレリーフの中には、名前を消された物が数多くありました。その功績がなかったことにされるなど吃驚でした。
ただ、消されたという事は、意図して行なっているので、思惑があるのは露見されますが。(・_・; -
右
Model Hoe(鍬の模型(鎮壇具))
新王国時代・第18王朝
ハトシェブスト治世、BC1478~BC1458年頃
テーベ、ディル・エル=バハリ神殿の第2テラス南側
木 -
Model of a Hieroglyph Inseribed for Ramesses Ⅱ
(ラメセス2世の名前が記されたヒエログリフの模型)
新王国時代・第19期、ラメセス2世治世、BC1279~BC1213年頃
ディル・エル=バハリ、貴族の墓(伝)
ファイアンス -
Floral Frieze(花模様の帯状装飾)
新王国時代・第20朝、
ラメセス3世治世、BC1187~BC1156年頃
テル・エルーヤフーディヤ(推定)
ファイアンス
この花模様の細工は、かつてエジプトの王宮の壁や調度品を飾ったものの一部です。
テル・エル=ヤフーディヤにあるラメセス3世の王宮から出土した可能性が高いです。
古代エジプトの王はマアト(秩序、正義、真理)をもたらす統治者であり、政治、宗教、軍事的権力者でもありました。
そのため、彼が身にまとう装束は象徴的な意味合いにあふれています。
最も重要なものは冠です。しま模様の布を額に巻き付け、後ろで尾のように結び、顔の両側に2本の重れ飾りがある冠「ネメス頭巾」は、最古のピラミッドを造営したネチェリケト(ジェセル)王の時代から確認でき、王権における重要性が強調されています。帽子形の「青冠」は、かつては「戦闘冠」と呼ばれていましたが、生きている王の典型的な冠として様々な他の冠と結びついています。そして、王は神聖な権力者として、長い「付けひげ」をひもであごにつけています。
王笏もファラオの権威と力を示す重要なシンボルでした。
統治を象徴するへ力(牧杖)は先端が曲がった形をしており、羊飼いが使う杖に由来していると考えられています。ネカカ(殻竿)は殺物の種を取るための脱穀竿の形をしており、王が民の生活を支える養い手であることを示しています。
これらの象徴を通じて、ファラオの役割や力を視覚的に表現し、古代エジプト社会における王の神聖さと権威を強く印象づけていたのです。 -
Fragment of a Model Obelisk(オベリスクの模型の一部)
新王国時代・第18朝
トトメス2世治世、BC1481~BC1479年頃
出土地不鮮
エジプシャン・アラバスター
神殿模型の一部であったと推測されます。
オベリスクとは上に向かって細い芳形の石柱で、先端はピラミッドの形になっています。この部分はベンベンと呼ばれ、太陽神ラーが天地創造の際に立っていたとされる「原初の丘」を象徴しています。
古代エジプトの神殿の入口には、巨大なオベリスクがそびえ、天地創造を表していました。 -
右
King Wearing Blue Crown(青蒄をかぶった王)
末期王朝時代~プトレマイオス朝時代、前664~前30年あるい近代
出土地不詳
大理石
左
Sphinx of King Sheshenq(シェションク王のスフィンクス)
第3中間期・第22~23朝
BC945~BC712年頃
出土地不詳
青銅
人間の頭とライオンの胴体をもつスフィンクスは、人間と動物の姿をただ組み合わせただけではなく、神聖な存在、または特定のファラオの超人間的な側面を強調していました。スフィンクスの小像は神殿への供物として、あるいは祭祀の道具を装飾するために作られました。
人頭獣身のスフィンクスは古代エジプトの最も知られたモチーフです。それまで超越的な存在は獣頭人身の神々でした。しかしスフィンクスが大ピラミットの時代に造られて以後、王権や神聖性の象徴とされました。 -
Uraeus with Solar Disk(日輪を戴く聖蛇ウラエウス)
プトレマイオス朝時代、BC305~BC30年
トゥナ・エル=ジェベルのトト神厨子(推定)
青銅、金
Flail from an Osiris Statue(オシリス神像の殻年)
末期王朝~プトレマイオス朝時代、BC664~BC30年
トゥナ・エル=ジェベルの回廊C
青銅、ガラス
ウラエウスは鎌首をもたげたコブラの姿をした女神で、多くの場合、王や女王、神々の額を飾る姿で描かれます。時には、怒りを鎮めた慈悲深い守護者である「ラーの眼」となることもあります。
オシリス神像の一部だと思われます。
殻は家畜を追い立てたり脱穀したりするのに使われた農具の一種で、王がいかに統率力にたけ、農作物の収穫を高めたかを明示する象徴でもありました。
Scarab of Thutmose Ill Mounted in Ring
(指輪に取り付けられたトトメス3世のスカラベ)
新王国時代・第18王朝、トトメス3世治世、BC1479~BC1425年頃
出土地不詳
凍石、釉薬、金
Signet Ring Bearing the Name of Amunhotep ||
(アメンヘテプ2世の名前が彫られた指輪)
新王国時代・第18朝、アメンヘテプ2世治世、BC1426~BC1400年頃
サッカラ(伝)
銀
最古の時代から、メイス(棍棒)で敵を打ち据える王の姿は、隣利を象徴するポーズとして描かれてきました。王の重要な役割はマアト(秩序、正義、真理)の維持でした。それを揺るがす敵はさまさまですが、その最たるものは、敵意をもった外国人でした。
エジプトでは、塔門などで多くのレリーフを見ました。
強い王の姿が描かれていました。 -
Isis Holding Horus(ホルス神を抱くイシス女神像)
末期王朝時代・第26~27朝
BC664~BC404年
出土地不詳
石
椅子に座って息子のホルスに授乳するイシス女神を表しています。イシス女神は、神話上エジプト最初の王とされるオシリスの妻で、オシリスの死後にエジプトを統治したホルスの母です。
歴史家のヘロドトスは、エジプト人は「他のいかなる民族よりも並外れて信仰心が厚い」と述べています。彼らは、森羅万象に超越的な力が宿っていると考え、天空や太陽、大地やナイル川、哺乳類、鳥類、爬虫類、そして昆虫に至るまで、自然界のあらゆるものに神々を見いだし、その数は1500柱に及びます。
王朝成立時から崇拝されたのは、ハヤブサの神ホルスであり、彼は「高みにいる者」を意味する神として、王がその化身と見なされていました。ピラミッド時代には太陽神ラーが台頭し、王は「ラーの息子」として地上を治め、以後、ラーの名前を持つ王が続出します。また、この時代には、冥界の神オシリスの信仰も台頭し始め、『ピラミッド・テキスト』では、オシリスと太陽神の融合も象徴的にほのめかされています。
中王国時代以降、エジプトの最高神としてあがめられるのはアメン・ラーであり、2本の羽飾りがついた冠をかぶった人間の姿で表現されました。彼は「神々の王」であり、戦士としての「勝利の主」、太陽神として「東の空の神々の長」といった称号で呼ばれました。 -
The God Osiris(オシリス神像)
末期王朝時代・第26王朝、BC664~BC525年
出土地不詳
硬砂岩
冥界を支配するオシリス神は、神話の中で死後に再生したことで、古代エジプト王たちも同様に、来世で再生できると考えられました。そのため、本作のようにオシリス神は生きている王と同じ王冠をつけた姿で描かれることが多いのです。
最古のオシリス神の記述は、古王国第4王朝のカフラー王の治世です。第5王朝、第6王朝で太陽神ラーの崇拝と結びつき、後に数千年間続くオシリス信仰の基盤になったと考えられます。
宗教改革を行ったアクエンアテン王の治世を例外として、基本的には多神教が根付いていた古代エジプト。日本の神話との共通点もあり、たとえば天空の神ホルスとその妻である愛と美の女神ハトホルには、エジプト版「七夕」とも言うべき儀式が存在しました。
神殿を守り整え、儀式を執り行っていた神官たち。お祭りでは、ご神体を載せたお神輿を担いで神殿から運び出し、街を練り歩く役目も担いました。デンデラにあるハトホル神殿では、1年に1回、神官たちが女神の像を運び出し、船に乗せてナイル川の150キロメートル上流にあるエドフのホルス神殿まで運ぶ習わしもありました。そこでホルス神とハトホル神は、夫婦で2週間だけ楽しく過ごすことができ、2人の再会の儀式は古代エジプトの人々にとって豊穣と繁栄の象徴でした。 -
Standing Statuette of Mutk(ムト女神の立像)
末期王朝時代、BC664~BC332年
アクミーム(伝)
青鍋
エジプトの神々の多くは、その頭飾りによって見分けられます。<母>を意味する名をもつムト女神は、ハゲワシの頭飾りの上に二重冠をかぶり、額には王族のもう一つの印であるコブラを付けています。
Falcon Coffin(ハヤブサの棺)
プトレマイオス朝時代、BC305~BC30年
出土地不畔
青銅
ハヤブサやハゲワシなどの猛禽類は、王を象徴するホルス神やラー神といった神の化身とされていました。こうした青銅製のに鳥のミイラを納め奉納することで、神に自身の祈りや願いを伝えようとしたのです。 -
Small Bull's Head(仔ウシの頭部)
未期王朝時代、BC664~BC332年
サッカラ
木、プラスター、顔料
雄牛はその力強さと雄々しさから王権や神性と結びつけられました。かつては彩色されていたこの雄牛の頭部も、神聖なウシとして崇拝されていたのかもしれません。
King with Sistra (Rattles) before Hathor
(シストラム(古代エジプトの楽器)を持ちハトホル女神の前に立つ王)
プトレマイオス朝時代、BC3世紀
出土地不詳
玄武岩
王が敬虔な息子として、愛と美と音楽の女神である母ハトホル女神の前で、シストラム(ガラガラに似た楽器)を手に立っています。王がシストラムを振っているのは女神を鎮めるためです。 -
Relief of Montuhotep Ill(メンチュへテプ3世のレリーフ)
中王国時代・第11朝、BC1957~BC1945年頃
アルマント、メンチュヘテプ3世の礼拝堂
石灰岩
メンチュへテプ3世のために建てられた神殿の礼拝堂の壁の一部です。左端の赤蒄をかぶった人物と、右端の王族の証であるネメス頭巾を着用している人物は、共にメンチュへテプ3世です。神殿の全面に施された装飾は、王の更新祭であるセド祭を表現したとされ、治世が長く続くように願いを込めたのかもしれません。
セド祭は王位更新祭とも呼ばれており、通常治世30年に行われる王の再生の儀式です。その後、3年毎に繰り返されますが、必ずしも厳密ではありませんでした。加齢とともに衰える力を復活させ、それを示す走行儀礼が有名です。
これについては、サッカラに行った際に知りました。王も楽ではありません。 -
Stela of Ramesses Ⅱ(ラメセス2世の石碑)
新王国時代・第19王朝、ラメセス2世治世、BC1279~BC1213年頃
ヌビア地域、アマーラ西遺跡の神殿前庭西側
砂岩
ラメセス2世はアメン神を祀る神殿をヌビア(現在のスーダン北部)のアマーラ遺跡に建立しました。石碑の上段には、アメン・ラー神とその妻のムト女神が、ラメセス2世に王権の象徴を授ける場面が描かれています。そして、王の五重称号(5つの名前)が刻まれることで、超人間的ともいえる王の力が強調されています。 -
Relief Representing a Battle Scene(戦いの場面を描いたレリーフ)
新王国時代・第18王朝後期、ツタンカーメン治世、BC1332~BC1322年頃
テーベ(伝)おそらくカルナク神殿
砂岩、顔料
ツタンカーメン王率いる軍隊による、レヴァントの一部での戦いの勝利を記念した壁面レリーフの一部です。盾と槍を持ったエジプトの兵士が、はしごを伝って町の壁や要塞を乗り越えようとしています。 -
Boundary Stela of Sety I(セティ1世の境界碑)
新王国時代・第19王朝、BC1290年頃
出土地不詳
石灰岩
境界碑は、あらゆる階層の人々が近づきやすい田畑に建立され、民間信仰に使われました。この石碑は2つの土地の境界を示し、この土地からの収入は、「保護された像」と呼ばれる王像のための儀式や供物の支援に充てることが示されています。上段のファラオは、背をかぶって緑を持つセティ1世です。 -
Head of a King (ファラオの頭部(possibly Ptolemy XII)(おそらくプトレマイオス12世)
プトレマイオス朝時代、BC332~BC30年
テーベ(伝)
石灰岩
マケドニア出身のプトレマイオス家は、エジプト人とギリシャ人からの支持を得るため、その両方の様式で自分たちを表現し、公共の場に配置しました。本作は、エジプト北部の赤蒄とエジプト南部の白冠を組み合わせた二重冠をかぶり全土の統一を象徴しています。
「笛吹き王」として知られるプトレマイオス12世は、ローマの支援で即位しましたが、悪政と重税、ローマへの貴物、酒や笛に溺れて民衆の反感を買っています。彼の娘がエジプト最後の女王であるクレオパトラ7世です。 -
Amun-Re or King Amunhotep Ⅲ
(アメン・ラー神またはアメンヘテプ3世の像)
新王国時代・第18朝、アメンヘテプ3世治世、
BC1390~BC1353年頃出土地不詳
珪岩
「隠された者」を意味するアメンは、もとはルクソールの地方神でした。中王国時代、太陽神ラーと習合し最高神として崇められるようになりました。アメンの総本山であるカルナク神殿は、エジプト最大の神殿です。 -
Akhenaten as Sphinx(スフィンクスの姿で表されるアクエンアテン王)
新王国時代・第18王朝、アマルナ時代、BC1353~BC1336年頃
テル・エル=アマルナの宮殿公式諸間、南区画の中央広間
石灰岩、顔料
アクエンアテン王と王妃ネフェレトイティは、太陽円盤の神アテンを一神と定めて宗教改革をし、テル・エル=アマルナに遷都しました。その王宮で発見された本作は、スフィンクスの姿をした王の頭部に繋の跡があります。王の死によって改宗前の宗教が復活し、アクエンアテンとその親族の名前が建造物から消し去られたときについたのでしょう。 -
Akhenaten and His Daughter Offering to the Aten
(アテン神に物を捧げるアクエンアテン王とその娘のレリーフ)
新王国時代・第18王朝後期、アマルナ時代、BC1353~BC1336年頃
ヘルモポリス・マグナ(推定)
石灰岩、顔料
アテン神に花束を捧げるアクエンアテン王の前に、先端が小さな手の形をしたアテン神の光が降り注いでいます。王の隣にいる娘はシストラムを持ち、凝った編み込みで、若さの象徴であるサイドロック(側頭に髪の束を垂らす髪形)に結っています。 -
Nefertiti(ネフェレトイティ(ネフェルティティ)王妃のレリーフ)
新王国時代?第18王朝
アマルナ時代、BC1353~BC1336年頃
ヘルモポリス・マグナ(推定)
石反岩、顏料
彩色されたこのレリーフの王妃ネフェレトイティは、独特な青色をした背の高い冠をかぶっています。これは現在べルリン美術館に所蔵されている有名な胸像と同じ種類の冠です。 -
Royal Head(王妃の頭部)
新王国時代・第18朝後期、アマルナ時代、BC1353~BC1336年頃おそらくテル・エル=アマルナ
石灰岩、顔料
この断片はアクエンアテン王と王妃ネフェレトイティの次女であり、ツタンカーメン王の妻でもあったアンクエスエンパーアテン王妃のものだと考えられます。
壊れていてわかりにくいのですが、整ったお顔のように見えます。
ネフェレトイティの娘だけあって美しいです。
ちなみに名前は後のアンケセナーメン(Ankhesenamen)のことです。ツタンカーメンの妻になり、アメン神に変えたため後に名前が変わりました。 -
ブレてしまいましたが・・・・。
Figure of Recumbent Jackal(ジャッカルの伏臥像)
末期王朝時代またはそれ以降
BC664~BC30年頃
おそらくサッカラ
木、顔料
ジャッカルはネクロポリス(共同墓地)の上の聖なる山に伏せるアヌビス神を表すします。アヌビス神はエジプトのすべての死者のミイラ化をつかさどり、再生した死者の魂を冥界のオシリス神の元へ導く役割を担いました。 -
Stela of Amenemhat(アメンエムハトの石碑)
中王国時代・第12朝初期、BC1938~BC1875年頃
出主地不詳
石灰岩
上段にはヒエログリフで<数千頭のウシ、鳥、パン、エジプシャン・アラバスター、亜麻布、さまざまな種類の緑野菜)と、来世において望んだものが記されています。これらは葬儀の時やそれ以降に神官が捧げた実際の供物を補うものです。
これによって、たとえ実際の供給が途絶えたとしても、必需品を永遠に供給できるとされていました。 -
Statue in Niche(壁龕に配された像)
古王国時代・第4~5朝、BC2625~BC2350年頃
おそらくサッカラ
石灰岩墓に設けられた死者の像は、葬送儀礼の中心的な役割を果たしていました。
墓を訪れた家族たちは、この像のような若々しい髪型の姿を見ることで故人を偲びました。神官は供物の飲食物を像に捧げ、供養文を唱えることで、死者の霊魂が供物を確実に受け取れるようにしました。「扉の口で歩く男」を表すこの像は、後の『死者の書』を想起させるとも言われています。
墓に作られたこういった像に、カー<生命力>が宿ると借じられており、故人に食物や飲み物を供える儀式が行われました。墓参りに来た人を迎えるように立っている像が最も人気のある形の一つでした。 -
左
Figure of a Shrew Mouse from an Animal Coffin
(動物のの上に置かれたトガリネズミの像)
末期王朝時代、BC664~BC332年
おそらくサッカラ
青銅
ペットがミイラにされることはまれでしたが、神の化身とされた一部の動物のみが宗教儀礼を目的に飼育され、死亡後に防腐処置を施し、荘麗な儀式で埋葬されました。トガリネズミは夜行性と攻撃的な狩猟能力から創造神アトゥムと結びつけられました。
右
Seated Cat(ネコの座像)
末期王朝時代・第26~30朝、BC664~BC343年
出土地不詳
青銅、中空の鋳造品
ネコやネコの頭をもつ女性の姿は女神バステトを表しており、ネコのミイラとともに動物墓地に埋葬されていました。
本作のように精巧なネコの像は、両耳の間にスカラベが、胸には健康と再生の象徴である聖眼ウジャトが飾られているものが多いです。 -
Nun Vessel(ヌン(原初の海)を表した皿)
新王国時代・第18朝初期、BC1539~BC1493年頃
アクミーム(伝)
青いファイアンス、細部は黒彩
深い青色は、宇宙を生み出した原初の水を想起させます。創世神話によると、生命は最初、エジプト人が「ヌン」と呼ぶ暗い水から生じました。中央の正方形は、ロータス(蓮)の生える池を表しています。
家の中で成長し水面に花を咲かせる姿は創造の象徴です。ヌンの力を得るための供物用の器だったのかもしれません。 -
右
Model Food Offering of Trussed Duck(縛られたカモの供物の模型)
第1中間期~第2中間期、BC2170~BC1539年頃
出土地不詳
エジプシャン・アラバスター
「アメンエムハトの石碑」(作品89)などの供養碑にある供物リストと同じく、食物の模型には死者の霊魂に食べ物を供給する意味がありました。
中央
Monkey(サルの像)
新王国時代・第18王朝後期、BC1353~BC1336年頃
アマルナ(伝)
青いファイアンス
サルは多額の費用を投じて遠方から輸入する必要があったため、飼い主の富と社会的地位の高さを示す動物でした。
Fish Flask(魚形のガラス容器)
新王国時代・第18王朝
アメンヘテプ3世治世~ホルエムへプ治世、
BC1390~BC1292年頃
おそらくサッカラ
ガラス
この種類なガラス容器は、丸みを軽びた形と長い背びれから、ナイル・ティラ
ピアとわかります。卵がかえるまで受解卵を口にくわえ、孵化した稚魚を吐き出すというその習性から、自然発生物に生じる生命を連想させ、再生と復活の象徴と考えられました。
Hippopotamus(カバの像)
中王国時代~第2中間期 BC2170~BC1539年
出土地不詳
エジプシャン・アラバスター
豊穣と再生の象徴であるカバの中でも、雌は猛烈な勢いで子どもを守るため、墓にカバの像を納めれば死者の魂は、その力で保護されるとされていました。この像は、生き返って死者を傷つけないように足を折ってから副葬されました。 -
上段左
Shabty Box of Amunemhat(アメンエムハトのシャブティ・ボックス)
新王国時代・第18朝、
トトメス4世治世~アクエンアテン治世、BC1400~BC1336年頃
テーベ西岸のアメンエムハト(TT82)墓(推定)
木
上段右
Shabty of Amunemhat(アメンエムハトのシャブティ)
新王国時代・第18朝、トトメス4世治世~アクエンアテン治世
BC1400~BC1336年頃
テーベ西岸のアメンエムハト(TT82)墓(推定)
石灰岩、彩色
第12王朝時代からシャプティと呼ばれる小像が墓に副葬されるようになりました。数百という単位で副葬され、冥界で被葬者に代わり農作業などの労働をするという役割があったからです。
中段左
Single-Strand Necklace(首飾り)
中王国時代、BC2008~BC1630年頃
アビュドスD9墓
ファイアンス、アメジスト、カーネリアン(紅玉髄)
中段中央
Beads from a Collar(ビーズの襟飾り)
新王国時代・アメンヘテプ3世治世、BC1390~BC1352年頃
おそらくテーべ、アメンヘテプ3世のマルカタ王宮
ファイアンス
中段右
中王国時代・第12~13朝初期、前1938~前1630年頃
アビュドスD303墓
アメジスト
下段左
Bracelet with Uninscribed Scarab(刻印のないスカラベ付き腕輪)
中王国時代・第12朝初期、BC1938年~BC1875年頃
アビュドス1819墓
緑の長石、アメジスト
創造と再生の神秘の象徴であるスカラベは、装身具のモチーフとして顕薬に用いられました。卵を産みつけた糞球を転がしながら移動する習性を見た古代エジプト人は、糞球から幼虫が誕生した、つまり「創造」したと考えました。その魔法のような誕生の見え方から、スカラベは毎朝地平線から現れる太陽にもなぞらえられました。
下段左から2番目
Cylindrical Amulet(円筒形の護符)
中王国時代・第12王朝、BC1938~BC1759年頃
ダハシュール(伝)
金、アメジスト
下段中央
Necklace with Bes and Taweret Pendants
(ベス神とタウェレト女神のペンダントが付いた首飾り)
新王国時代・第18王朝、BC1539~BC1292年頃
出土地不詳
金、カーネリアン(紅玉髄)、ファイアンス
果物や花、葉をかたどった色鮮やかなペンダントで構成された装身具は、エリート層の男女に重宝され、持ち主の死後ミイラとなった遺体の包帯に挟み込まれました。現存する機飾りの中には、本物の花やガラスで崩された金や半費石から成るものもありますが、多くは本作のようなファイアンスビーズ製です。
下段中央より右
Hollow Cylindrical Amulet(中空の円筒形の護符)
中王国時代・第12王朝、前1938~前1759年頃
おそらくサッカラ
護符の中には、通常、金属のピース、半石が入っていることが多いです。また、所有者を守る文言が記された細長いパビルスの巻物が入れられるようになった時代もあり、生きている人々が身に付けました。
下段右
Two Earrings(耳飾り)
新王国時代・第18王朝、BC1539~BC1292年頃
出土地不詳
金の装身具は富と美の象徴というだけでなく、来世でも重要な意味をもっていました。古代エジプトではすべての神々の肌は黄金であると考えられていたため、埋葬時に金を身に着けることで、来世で死者が冥界の王オシリスと同一化するのを助ける意味がありました。
古代エジプト人は、死後も現世と同様の生活が続くと信じ、日常生活で必要とされる品々を墓に納めることで、来世での豊かな生活を保証しょうとしていました。こうした副葬品には、食料や衣服、装飾品、道具などが含まれ、埋葬者の地位や財力、信仰に応じて、多様な種類がそろえられました。
このような副葬品は紀元前5000年紀の新石器時代にはすでに見られ、現在のカイロ近郊南部に位置するオマリ遺跡の集落からもその例が発見されています。遺体は簡素な円形の墓に埋葬され、土器が副葬品として添えられていましたが、おそらく食物を入れるためのものであり、死者の来世における生活への願いが込められていたのでしょう。また、時すでに社会的な地位を示すかのように、死者の手の横に杖が埋葬されている例もありました。
クフ王の母であるヘテプヘレス王妃の墓からは寝台、枕、寝台の美鑑、ひじ掛け椅子、質、銀のブレスレットなどが見つかり、来世は現世と同じように、食事をするだけでなく、衣服や住居や移動などを含めた日々の暮らしがあると考えられていたことが示されています。 -
左
Jar with Floral Collar in Relief(花柄の襟飾りが施された壺)
新王国時代・第19王朝、BC1292~BC1190年頃
おそらくサッカラ
エジプシャン・アラバスター
この花文様は、花輪を土器にかけるという古代エジプトの華送儀礼と結びついています。花輪には再生の意味合いを持つ花や植物が使われました。
右
Glass Jar with a Handle(取っ手の付いたガラス製容器)
新王国時代・第18王朝後期、おそらくアクエンアテン治世
BC1353~BC1336年頃
サッカラ(推定)
ガラス -
上
Dagger(短剣)
中王国時代・第12朝、BC1938~BC1759年頃
出土地不詳
銅、黒檀、カバの牙
下
Fly Pendants(ハエのペンダント)
新王国時代・第18朝、BC1539~BC1292年頃
サワマ53基
銀、ひも(現代)
第18王朝時代のファラオは武勇に対する褒賞として、ハエ形のペンダントが付いた金の首飾りを授与していました。
ハエは粘り強さの象徴であり、持ち主を守る意味合いがあったのでしょう。
大王朝のセンウセルト3世の治世は、中王国時代において多くの点で転換点となっています。この時代に短剣を含むミイラが横に置かれたのは、保護や軍事的能力への関心、また被葬者の権威や地位を強調する象徴でもありました。 -
Model of a Sailing Vessel(帆船の模型)
中王国時代、
BC2008~BC1759年頃またはそれ以降
出土地不詳
木、亜麻布、顔料
日常でナイル川を船で行き来する古代エンプト人は、来世でも船が必要だと考えました。本物の船が死者とともに副葬される時代もありましたが、やがて船の模型や墓の壁に描かれた図像に取って代わられました。死者の最終目的は、太陽神ラーの旅に同行することです。ラー神の太陽の船に乗り、昼は天空を、夜は冥界を航行することを望みました。 -
右
Statuette of Isis(イシス女神の小像)
プトレマイオス朝時代、BC332~BC30年
出士地不詳
青銅
左
Statuette of Osiris(オシリス神の小像)
末期王朝時代・第26王朝、BC664~BC525年またはその少し後
アビュドス(推定)
金で象嵌された青銅
偉大な呪術者であり守護者としても崇拝されていたイシス女神は、セトがナイル川に投げ捨てた夫オシリスの遺体を取り戻し、呪いの力で再生させました。イシスが育てたオシリスの息子ホルスは、後に叔父セトとの戦いに勝利し、エジプトの王となりました。
古代エジプトで最も重要な神の一柱は、死と再生の神オシリスです。この神の復活がなければ人間の復活もなく、最初のミイラもオシリス自身でした。
このオシリス崇拝の拠点だったアビュドスは、先王朝時代からキリスト教時代に至る約5000年の間、重要な役割を果たしてきました。エジプト統一を成し遂げたナルメル王をはじめ、初期王朝時代の支配者たちの墓が数多く存在し、特に第3代の王ジェルの墓は後にオシリスの墓とされ、死後の安寧や来世での永遠の命を願う巡礼者がエジプト各地から訪れました。
一方、オシリス信仰を示すものとして知られている最古の記録は、3大ピラミッドが立つギザ台地から発見されています。
第2ピラミッドを築いたカフラー王の息子ネブエムアケトの墓には、「オシリスのもとで光栄あるもの」という銘文が刻まれています。さらに、葬送文書の『ピラミッド・テキスト』では、オシリスは故王だけでなく、ピラミッドとも同一視されていました。夏至の頃、ギザ台地では、クフ王とカフラー王のピラミッドの間に太陽が沈みます。この2つの山の間に沈む太陽を意味するヒエログリフが「アケト<地平線>」です。そこは冥界の入り口として、生から死への転換が起こる場所でもありました。 -
Relief of Mourning Women(泣き女のレリーフ)
新王国時代・第18期後期~第19初期、BC1319~BC1204年頃
サッカラ(伝)
石灰岩
嘆き悲しむ行為は葬儀に不可欠な要素で、死者の来世での再生を後押しすると考えられました。仰々しい身ぶりで泣<女性たちは職業的に「泣き女」と呼ばれたこともあります。本作では、葬儀場の砂を頭にかけたり地面に倒れ込んだりしている描写で、悲しみを見事に表現しています。
泣き女は「トビ」と呼ばれていました。
王の葬儀については、ほとんど分かっていませんが、エジプト最古の葬送文書である『ピラミッド・テキスト』には二羽のトビによって、王のを悼む言葉が残されています。
蛇足ですが「泣き女」はエジプトだけではなく、中国や韓国、またスコットランドやアイルランド、メキシコなどにもいました。そして、かつては日本にも・・・・。日本書紀や古事記にも記述があり明治時代頃まで風習が残っていました。
日本の場合、葬儀などで雇われて泣いていました。 -
Figure of the Goddess Nephthys(ネフテュス女神像)
未期王朝~プトレマイオス朝時代、BC664~BC30年頃
出土地不詳
木、彩色
イシス女神とネフテュス女神の姉妹がイシスの夫オシリスの遺体に祈り続けると、オシリスは冥界の王としてよみがえりました。死者の墓に隣接した墓所には、しばしば嘆き悲しむ2柱の女神の小さな木像が置かれていました。 -
Mummy Shroud(ミイラの覆い布)
プトレマイオス朝時代、BC332~BC30年
豊市、シェッソ、塗料 -
Papyrus Depicting Royal Fineral Boat
王家の葬祭船を描いたパピルス
末期王朝時代 BC664~BC332年
出土地不詳
パピルス インク
高さ17.6cm 幅34.4cm -
Illustratad Papyrus(ホルス神が描かれたパピルス)
プトレマイオス朝時代、BC305~BC30年
メンフィス(推定)
パピルス、顔料 -
Mummy Bandage of Nefretiw, Born of Renpetnefret
(ネフェレトイウ(レンペトネフェレトの子)のミイラの包帯)
プトレマイオス朝時代またはそれ以降、BC332年~AD1世紀
出士地不群
夏麻布、インク
死者が冥界で永続できる存在になるには、適切にミイラ化されて埋葬されるだけでなく、神官の儀式が重要でした。こうした儀式は「死者の書』に記録され、パピルスや墓の壁を使って伝えられましたが、プトレマイオス朝時代にはミイラの包帯に『死者の書」が写されるようになりました。
Mummy Bandage of Wennefer, Born of Taamun
ウェンネフェル(タアメンの子)のミイラの包帯
プトレマイオス朝時代またはそれ以降、
BC332年~AD1世紀
亜麻布、インク -
Heart Scarab Amulet(スカラベの護符)
末期王朝時代・第26主朝、
BC644~BC525年
サッカラ(伝)
古代エジプトでは全人格の中心は心臓にあると信じられており、死者の心臓はオシリス神がつかさとる裁判所で真実の羽根と天にかけられました。本作は死者の心臓の上に置かれたとされ、裏面には裁判で死者にとって不利な証言をしないよう心臓に要求する碑文が見られます。
ジェド柱の護符
Djed-Pillar Amulet
末期王朝時代、BC664~BC332年
出土地不詳
ファイアンス、釉薬
この護符は、永続、安定、そして生を表すヒエログリフ「ジェド」をかたどっています。古代エジプト人は各種の重要性を理解していて、再生の神オシリスの脊椎の象徴でもありました。この護符は慣例的にミイラの喉元に置かれました。
Amulet in the Form of a Ba as Human-Headed Bird
(人頭の鳥で表されるバーの護符)
末期王朝時代、BC664~BC332年
サッカラ(伝)
人の頭をもつ鳥は古代エジプトで「バー(霊魂)」を表すものです。人間と鳥の姿をあわせ持つ外見は、別の世界を移動できる能力を象徴しています。
Amulet in the Form of a Ba as Human-Headed Bird
(人頭の鳥で表されるバーの護符)
おそらくブトレマイオス朝3代
約305~約30年
サッカラ(伝)
金、ラピスラズリ、トルコ石、本石
Eye Amulet(ウジャトの護符)
ベルシャ時代、BC525~BC404年
おそらくサッカラ
「ホルスの目」として知られるウジャトは、人間の目とハヤブサの文様で表されます。ウジャトは健康と完全性の象徴となり、これらの護符は死者の再生のため防腐処理をされた体の切開部の上に置かれました。 -
Canopic Jar and Lid(カノプス壺と蓋)
末期王朝時代・第26朝、BC664~BC525年またはそれ以降
出土地不詳
石灰岩
1 Depicting a Jacka(ジャッカルをかたどったもの)
2 Depicting a Hawk(ハヤブサをかたどったもの)
3 Depicting a Human(人間をかたどったもの)
4 Depicting a Baboon(ヒヒをかたどったもの)
伝統的なミイラ作りでは、最も重要とされる4つの顔器を防腐処理し、カノプスに入れました。壺の差は4柱の神の頭部をかたどっており、それぞれの臓器を守る役割を持っていました。ジャッカルは胃を守るドゥアムトエフ、ヒヒは肺を守るハビ、人間は肝臓を守るイムセティ、ハヤプサは腸を守るケベフセヌエフを象徴しています。
「カノプス」という名称は、古代エジプトの港町カノブスに由来しています。
この町では、壺の形をしたオシリス神の像が崇拝されており、19世紀のエジプト学者たちは、内臓を保存するためのと、このオシリス神の壺が似ていることから、名前が付けられました。 -
Pesesh-kef Knife(ペセシュ・ケフ(儀式用ナイフ))
先王朝時代、ナカダ 期、BC3300~BC3100年頃
アクミーム(伝)
黒曜石
口開けの儀式に使われた道具です。儀式の際、神官はミイラとなった遺体の口にこのナイフを当てながら呪文を唱えました。これにより死者が口なとの感覚を取り戻し、再生が保証されると信じられていました。
黒曜石は硬度と鋭い切れ味から、武器、肉の解体、ミイラ作りまで様々な用途に使われていました。ベセシュ・ケフは、もともと出産の際に、へその緒を切る道具として用いられたものだと考えられています。 -
Relief with Netherworld Deities(冥界の神々のレリーフ)
新王国時代・第18後期~第19朝初期、BC1336~BC1250年頃
ギザまたはサッカラ(推定)
石灰岩
ここでは「死者の書』の呪文145が描かれています。これは、死者が異界の第4の門と第6の門に近づく場面を表しており、門の描写と、それを守る神々の姿が刻まれ、そこに近づく際に死者が唱えるべき言葉が刻まれています。 -
Cat Cofin with Mummy(ネコの棺とミイラ)
末期王朝時代、BC664~BC332年
おそらくサッカラ
木、ジェッソ、顔料、亜麻布、動物の遺体
ネコは先室朝時代から人間の墓地に埋葬されていました。ここではネコの遺体は棺で保存されることにより、ネコの女神バステトのバー(霊魂になると信じられていました。ネコの能力や暗闇でも視界を保てる力、そして多産であることがバステト女神と結びつけられました。 -
Coffin and Inner Cartonnage of the Lady of the House, Weretwahset
(家の女主人ウェレトワハセトの棺と内部のカルトナージュ)
新王国時代・第19王朝、BC1292~BC1190年頃
ディル・エル=メディーナ(推定)
木、彩色、カルトナージュ
ウェレトワハセトが生前着ていた衣服をまとった姿の槍です。来世で再生するには一度男性になる必要があり、死者をオシリス神として表現するのが一般的なので、女性の衣服を身に付けた姿で描かれた本作は珍しい例です。 -
会場内に呪文が流れました。
筑波大学・宮川創氏による古代エジプト語「ピラミッド・テキスト」第436スペルの
音韻再建です。 -
Mummy and Portrait of Demetrios
(デメトリオスという名の男性の肖像とミイラ)
ローマ時代、95~100年
ハワラにあるローマ時代の墓地
彩色された布、金、人間の遺体、蝋画、板
死者の遺体をミイラにする習わしはローマ時代まで続きました。亜麻布表面の金箔の装飾には、エジプトの神々だけでなく、デメトリオスの名前と「59」という死亡時の年齢がギリシャ語で書かれています。肖像画は木製のパネルにローマ時代の技法である蝋画(蝋を混ぜた顔料を熱で溶かして描く技法)で猫かれています。 -
顔の部分を真上から見た様子
-
Coffin of Thothirdes(トトイルディスの木棺)
未期王朝時代・第26王朝、BC664~BC525年
テーベ(推定)
木、彩色プラスター
この木はミイラを保護するとともに、死後の願いを図像に表しています。歯の中央付近には糖の主がミイラの姿で描かれ、イシス女神とネフテュス女神に弔われています。人頭の鳥の姿をしたの主のバー(霊魂)はその体の上を飛び回り、彼の霊魂が死後も生き続けることを伝えています。 -
Cartonnage and Mummy of the Priest Hor(us)
(神官ホル(ホルス)のカルトナージュとミイラ)
第3中間期・第25朝後半、BC760~BC558年頃
テーベ(推定)
亜麻布、顔料、ジェッソ、人間の遺体
カルトナージュとは、亜麻布やパピルスを漆喰で固めて何層にも重ねた素材で、ミイラを納めるものです。墓の面積が限られ、木製のの再利用が日常化した混乱の時代に普及しました。本作には死者を守り、復活を助ける神々が大勢描かれていました。正面と側面にはナイフを持つ守護神が、正面上段にはホルスの4人の息子が描かれています。 -
Sarcophagus Lid of Padilnpu(パディアンプウの石棺の蓋)
プトレマイオス朝時代、BC305~BC30年
ハルダイ(キュノポリス)付近エル=タルマキーヤの墓地
石灰岩
来世での永続的な保護を確実にしたいという願いから、人型(ミイラ型)棺は木製から石製へ変化しました。この棺の蓋の主であるパディアンプウは、ギリシャではアヌビスとして知られるアンプウ神の仰に携わる書記で、ハトホル女神の祭祀の神官も務めていました。 -
Panel from the Coffin of a Woman(女性の木棺のパネル)
中王国時代・第11王朝後期~第12朝初期、BC2008~BC1875年頃
おそらくアシュート
木、顔料
この木のパネルには、油壺が置かれた台やミイラ作りに必要な道具の入った麻袋などが描かれることにより、死者が来世で不自由なく道具類を利用できることを表している。木はヒエログリフのテキストでも装飾され、来世でパンやビールなどが供給されることや神への加護を求める祈りが記されています。 -
これでおしまいです。
今までにも多くのエジプト展を観ましたが、まだまだ知らないことが多いです。
出土地などを見ると、現地に行って見た光景を思い出します。
もっとも壮大な歳月の経過で当時の風景は当然見られるわけではないのですが。
最後にスカラベが見送ってくれました。♪ -
森タワー52階からの眺めです。
エジプトの風景とはかけ離れた景色です。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- hot chocolateさん 2025/04/05 13:56:28
- 大エジプト展
- noelさま
こんにちは。
桜も満開になり、花々も青空に映える季節になりましたね。
4月3日に、六本木で開催中の大エジプト展を見に行ってきました。
小雨の降る寒い日でしたが、ブルックリン所蔵展はめったに見られないと、
冬のコートを着ての外出です。
最終日が近かったせいか、とても混雑していました。
ヒエログリフを学んでいる友人に誘われて、2月に私もヒエログリフの
講座に行き、その時大エジプト展のことを知りました。
展示品は、すべて貴重な遺物ですが、混んでいて、すべてをじっくり見るのは
無理でした。
noelさんの旅行記で、じっくり拝見させていただきました。
説明もじっくり読めましたし・・・ありがとうございました。
友人が、必見のリストを送ってくれたので、見逃がすこともあまりなく
寒い中行ってよかったと思いました。
最後のミイラ数点は圧巻でしたね。
11月に3度目のエジプトに行く予定です。
目的は、新しくできた博物館と、アレキサンドリア訪問です。
hot choco
- noelさん からの返信 2025/04/05 23:19:21
- Re: 大エジプト展
- hot chocolate様、こんばんは
いつもありがとうございます。
六本木のエジプト展に行ってらしたんですね。
確かにブルックリン所蔵展、珍しいですね。そもそもこんなにたくさんあるとは知りませんでした。
寒くて混雑している中、お疲れ様でした。
私が行った際は、混んではいましたが、写真もしっかり撮れました。
お友達もかなりお好きなんですね。
リストまで作ってくれて。
やはり行けて良かったですね。
ヒエログリフ講座、受講されたなんて凄いですね。
理解できたら、もっともっと楽しめそうです。
3度目のエジプトですか。いいですね。
大エジプト博物館、7月ようやくオープンするのでいいタイミングですね。
私は昨年ツアーで行った際に、まだプレオープン中でしたが予約してました。ただ結果的に残念ながら行けませんでした。
アレキサンドリアも羨ましいです。
私の行きたい所の1つです。
どうぞ素敵なプランをたてて、気を付けて楽しんでいらしてくださいね。
まずは、桜は見ごろですが、気温の変動が激しいので、どうぞお気をつけください。
noel
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