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オーストリアを訪れた際、<br />エリザベートの話題を抜きにすることはできないでしょう。<br />彼女の生い立ちから数奇な運命をたどる人生を追ってみました。

想い出の旅(海外)11                  音楽に旅・オーストリア3

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1997/11/12 - 1997/11/14

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リュック

リュックさん

オーストリアを訪れた際、
エリザベートの話題を抜きにすることはできないでしょう。
彼女の生い立ちから数奇な運命をたどる人生を追ってみました。

  • エリザベート、Elisabeth Amalie Eugenie<br /><br />・エリザベートの肖像画 Kaiserin Elisabethはドイツでも<br />オーストリアでも博物館でお目に懸かれる。<br /><br /><br />

    エリザベート、Elisabeth Amalie Eugenie

    ・エリザベートの肖像画 Kaiserin Elisabethはドイツでも
    オーストリアでも博物館でお目に懸かれる。


  • 1837年12月24日生まれ、1898年9月10日暗殺<br />オーストリア皇后兼ハンガリー王妃、<br />皇帝兼国王フランツ・ヨーゼフ1世の后。<br />愛称は「シシィ」Sissi。<br /><br />エリザベートはドイツ・バイエルン公マクシミリアンの娘として生まれ、<br />幼少の頃は街に出かけたり、狩りなどで自由を満喫。<br />ドイツ・バイエルンはミュンヘンを中心に<br />ヴィッテルスバッハ家が800年近く王国を築き、<br />宮廷文化を開花した。<br />現在のバイエルン州はドイツで一番面積が広い。<br />ビール、自動車(BMW)などの世界的に有名。<br />現地でBMWのレンタカーを借りる場合年齢制限がある。<br />やはり高級車。<br /><br />エリザベートが16歳の時、<br />姉ヘレーネの見合い相手だった、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に<br />見初めら結婚し、オーストリア皇后となった。

    1837年12月24日生まれ、1898年9月10日暗殺
    オーストリア皇后兼ハンガリー王妃、
    皇帝兼国王フランツ・ヨーゼフ1世の后。
    愛称は「シシィ」Sissi。

    エリザベートはドイツ・バイエルン公マクシミリアンの娘として生まれ、
    幼少の頃は街に出かけたり、狩りなどで自由を満喫。
    ドイツ・バイエルンはミュンヘンを中心に
    ヴィッテルスバッハ家が800年近く王国を築き、
    宮廷文化を開花した。
    現在のバイエルン州はドイツで一番面積が広い。
    ビール、自動車(BMW)などの世界的に有名。
    現地でBMWのレンタカーを借りる場合年齢制限がある。
    やはり高級車。

    エリザベートが16歳の時、
    姉ヘレーネの見合い相手だった、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に
    見初めら結婚し、オーストリア皇后となった。

  • ヨーロッパ, 特にドイツ、オーストリアを旅すると<br />ハプスブルク家の足跡を至る所でお目にかかる。<br />特にハプスブルク家の皇妃エリザベートは<br />インスブルックの王宮で等身大の肖像画にお目にかかった。<br />更に、ドイツ・ノイシュバンシュタイン城の主、<br />ルードヴィッヒ2世にとって幼馴染で初恋の人。<br />姉ヘレーネのお見合いに付いて行き、<br />相手だった皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に<br />見初めらオーストリア皇后となり、<br />一人息子ルドルフ皇太子の心中、ハプスブルク家崩壊。<br />そして、エリザベートはスイスで暴漢に襲われ暗殺されるなど、<br />波乱に満ちた人生を送った美しい人とあれば、<br />「エリザベートはどんな人だったのか」と興味が沸く。<br /><br />しかし、自由奔放の父の血を引くエリザベートは<br />姑であるゾフィー大公妃がとりしきる宮廷の厳格さに耐えられず、<br />宮廷生活を嫌い、大西洋のデイラ島に療養、<br />夫に同行してイタリアを訪問。<br />個人的に病院を慰問など、理由を見つけてはウイーンを離れた。<br /><br />エリザベートが心安らぐ場所はハンガリーであったという。<br />しかし、1700年にハプスブルグ家の統治以降、<br />1848年対オーストリア独立戦争、<br />1867年オーストリア・ハンガリー二重帝国統治、<br />両国の領土争いが激しかった時代でもあった。<br />対ハンガリー政策で父ヨーゼフ皇帝と対立し、<br />不倫の恋人と自殺(謀殺説もある)した<br />一人息子のルドルフ皇太子、<br />ハンガリーの自治権を影からサポートしたエリザベート。

    ヨーロッパ, 特にドイツ、オーストリアを旅すると
    ハプスブルク家の足跡を至る所でお目にかかる。
    特にハプスブルク家の皇妃エリザベートは
    インスブルックの王宮で等身大の肖像画にお目にかかった。
    更に、ドイツ・ノイシュバンシュタイン城の主、
    ルードヴィッヒ2世にとって幼馴染で初恋の人。
    姉ヘレーネのお見合いに付いて行き、
    相手だった皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に
    見初めらオーストリア皇后となり、
    一人息子ルドルフ皇太子の心中、ハプスブルク家崩壊。
    そして、エリザベートはスイスで暴漢に襲われ暗殺されるなど、
    波乱に満ちた人生を送った美しい人とあれば、
    「エリザベートはどんな人だったのか」と興味が沸く。

    しかし、自由奔放の父の血を引くエリザベートは
    姑であるゾフィー大公妃がとりしきる宮廷の厳格さに耐えられず、
    宮廷生活を嫌い、大西洋のデイラ島に療養、
    夫に同行してイタリアを訪問。
    個人的に病院を慰問など、理由を見つけてはウイーンを離れた。

    エリザベートが心安らぐ場所はハンガリーであったという。
    しかし、1700年にハプスブルグ家の統治以降、
    1848年対オーストリア独立戦争、
    1867年オーストリア・ハンガリー二重帝国統治、
    両国の領土争いが激しかった時代でもあった。
    対ハンガリー政策で父ヨーゼフ皇帝と対立し、
    不倫の恋人と自殺(謀殺説もある)した
    一人息子のルドルフ皇太子、
    ハンガリーの自治権を影からサポートしたエリザベート。

  • エリザートは当時のヨーロッパ宮廷一といわれた美貌と、<br />ウエスト50センチという驚異の体形の持ち主だった。<br />過酷なダイエットや美容方法でそれを維持していた。<br />アマリア宮、ウイーンにある皇帝居館,<br /> Kaiserapartmentを訪れるとエリザベート皇后が<br />美容の為に利用した吊り輪が今も残っていて、<br />ガイドが必ず説明するところ。

    エリザートは当時のヨーロッパ宮廷一といわれた美貌と、
    ウエスト50センチという驚異の体形の持ち主だった。
    過酷なダイエットや美容方法でそれを維持していた。
    アマリア宮、ウイーンにある皇帝居館,
    Kaiserapartmentを訪れるとエリザベート皇后が
    美容の為に利用した吊り輪が今も残っていて、
    ガイドが必ず説明するところ。

  • 彼女は年を取るにつれて顔を扇で隠すようになり、<br />それが彼女の立ち居振る舞いを表す姿として伝説となっている。<br />エリザベートは扇で顔を隠している写真、絵が多い。<br />絶世の美女であったが、歯並びが悪く気にしていたらしい。

    彼女は年を取るにつれて顔を扇で隠すようになり、
    それが彼女の立ち居振る舞いを表す姿として伝説となっている。
    エリザベートは扇で顔を隠している写真、絵が多い。
    絶世の美女であったが、歯並びが悪く気にしていたらしい。

  • 喪服のエリザベート<br />エリザベートの最大の悲劇は<br />一人息子ルドルフ皇太子の不倫の心中であった。<br />(1889年、暗殺説もある)その後彼女は死ぬまで<br />喪服を脱ぐ事はなかった。

    喪服のエリザベート
    エリザベートの最大の悲劇は
    一人息子ルドルフ皇太子の不倫の心中であった。
    (1889年、暗殺説もある)その後彼女は死ぬまで
    喪服を脱ぐ事はなかった。

  • 1898年9月、旅行中のジュネーヴ・レマン湖のほとりで、<br />イタリア人の無政府主義者ルイジ・ルケーニの手によって殺害され、<br />その生涯を閉じた。享年61歳。<br />エリザベートは人の好き嫌いが激しく、気難し屋だったらしい。<br />反面、貧しい民衆に同情するなど優しい面も持っていた。<br />しかし、最後まで皇后・妻・母としての役目を果たすことを拒否し続け、<br />自分の心の安寧のみを求める極めて利己的な女性でもあった。<br />さらに、エリザベートはしばしば王族でありながら<br />王政を否定していた。<br />別の意味で進歩的な女性と評されることもあったが、<br />皇后としての役目は拒否しながらその特権は存分に享受し、<br />皇后としての莫大な資産によって各地を旅行したり、<br />高額な買い物をしたりするなど、矛盾した点も見られる。<br />しかし、エリザベートはハンガリーに関しては非常な情熱を傾け、<br />過去に分割、被支配と様々な苦難の歴史をたどったハンガリーが、<br />現在平和な独立国家となった礎を築いた人物として、<br />今もハンガリーの人々の心に生き続けているという。<br />2004年ドイツ・オーストリアを訪れた時もバイエルン王国、<br />ハプスブルグ家の存在を無視しては何も語れず、<br />インスブルックではエリザベートの等身大の肖像画を観た。<br />数奇な運命にもてあそばされた絶世の美女。<br />彼女への評価はいろいろある。<br />参考資料:色々な方々の記事を参考にさせて頂きました。

    1898年9月、旅行中のジュネーヴ・レマン湖のほとりで、
    イタリア人の無政府主義者ルイジ・ルケーニの手によって殺害され、
    その生涯を閉じた。享年61歳。
    エリザベートは人の好き嫌いが激しく、気難し屋だったらしい。
    反面、貧しい民衆に同情するなど優しい面も持っていた。
    しかし、最後まで皇后・妻・母としての役目を果たすことを拒否し続け、
    自分の心の安寧のみを求める極めて利己的な女性でもあった。
    さらに、エリザベートはしばしば王族でありながら
    王政を否定していた。
    別の意味で進歩的な女性と評されることもあったが、
    皇后としての役目は拒否しながらその特権は存分に享受し、
    皇后としての莫大な資産によって各地を旅行したり、
    高額な買い物をしたりするなど、矛盾した点も見られる。
    しかし、エリザベートはハンガリーに関しては非常な情熱を傾け、
    過去に分割、被支配と様々な苦難の歴史をたどったハンガリーが、
    現在平和な独立国家となった礎を築いた人物として、
    今もハンガリーの人々の心に生き続けているという。
    2004年ドイツ・オーストリアを訪れた時もバイエルン王国、
    ハプスブルグ家の存在を無視しては何も語れず、
    インスブルックではエリザベートの等身大の肖像画を観た。
    数奇な運命にもてあそばされた絶世の美女。
    彼女への評価はいろいろある。
    参考資料:色々な方々の記事を参考にさせて頂きました。

  • 1997年11月、Theater an der Wienで上演されている<br />ミュージカル「エリザベート」を観賞。<br />このミュージカルはドイツ語。<br />脚本はMichael kunze, Sylvester Levayの音楽。<br />物語はオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフの皇帝妃、<br />ババリア王国出身のエリザベートの生と死を描いている。<br />そして、このミュージカルは世界中で800回以上上演され、<br />日本でも1995年に宝塚で雪、星、空、花組が演じ、<br />1996年、1998年に大阪でも上演された。

    1997年11月、Theater an der Wienで上演されている
    ミュージカル「エリザベート」を観賞。
    このミュージカルはドイツ語。
    脚本はMichael kunze, Sylvester Levayの音楽。
    物語はオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフの皇帝妃、
    ババリア王国出身のエリザベートの生と死を描いている。
    そして、このミュージカルは世界中で800回以上上演され、
    日本でも1995年に宝塚で雪、星、空、花組が演じ、
    1996年、1998年に大阪でも上演された。

  • 805年ベートーベンのオペラFidelioの上演以降<br />数々のシンフォニーが演奏され、<br />ヨハンシュトラウスなど多くの著名な音楽家による演奏が<br />ここで行われた。<br />1945年第二次世界大戦で破壊されたがその後修復され、<br />当時の豪華な内装が現在も守られている。<br />劇場外観は周囲の建物と変らず、<br />看板を見なければ気が付かない。

    805年ベートーベンのオペラFidelioの上演以降
    数々のシンフォニーが演奏され、
    ヨハンシュトラウスなど多くの著名な音楽家による演奏が
    ここで行われた。
    1945年第二次世界大戦で破壊されたがその後修復され、
    当時の豪華な内装が現在も守られている。
    劇場外観は周囲の建物と変らず、
    看板を見なければ気が付かない。

  • 「Theater an der Wien」の名前の意味は<br />「ウイーン川の傍にある劇場」で<br />ウイーン川は現在埋め立てられている。

    「Theater an der Wien」の名前の意味は
    「ウイーン川の傍にある劇場」で
    ウイーン川は現在埋め立てられている。

  • 我々の座席はオーケストラボックスに直ぐ前で<br />ボックス内の奏者の演奏を眼下に見る事が出来、<br />ステージは直ぐ目の前(かぶりつき)。<br />凄い迫力であった。

    我々の座席はオーケストラボックスに直ぐ前で
    ボックス内の奏者の演奏を眼下に見る事が出来、
    ステージは直ぐ目の前(かぶりつき)。
    凄い迫力であった。

  • この劇場はウイーンで歴史的建造物であるオペラハウス。<br />1786年に皇帝の許可を得、1801年に完成した。<br />建物は宮殿スタイル。<br />劇場(オペラハウス)でのドレスコードは<br />セミフォーマルでOKとの事であった。<br />旅先での観劇でもあり、小生はブレザーにネクタイ、<br />カミサンはややフォーマルな洋服で行った。<br />観客の中で年配の人たちはフォーマルスタイルが多かった。<br />彼らは幕間の休憩でお茶を飲み、<br />談笑しながらおしゃれを楽しんでいるようだった。<br />若い人たちはカジュアルな服装で実質本意、<br />観劇が主目的のようだ。<br />1階の席、2階のボックス席はフォーマルスタイルの客が多く、<br />華やいだ雰囲気がすばらしい。<br />かつてパリのオペラ座を見学したが、<br />今はオペラ座と同じような華やかな劇場の席についている。<br />上を見上げると各階の観劇席は黄金色の装飾が施され、<br />3階までほぼ満席の状態のようだった。<br />音あわせなどで準備をしているオーケストラの演奏者を<br />眺めながら幕が開くのを待った。

    この劇場はウイーンで歴史的建造物であるオペラハウス。
    1786年に皇帝の許可を得、1801年に完成した。
    建物は宮殿スタイル。
    劇場(オペラハウス)でのドレスコードは
    セミフォーマルでOKとの事であった。
    旅先での観劇でもあり、小生はブレザーにネクタイ、
    カミサンはややフォーマルな洋服で行った。
    観客の中で年配の人たちはフォーマルスタイルが多かった。
    彼らは幕間の休憩でお茶を飲み、
    談笑しながらおしゃれを楽しんでいるようだった。
    若い人たちはカジュアルな服装で実質本意、
    観劇が主目的のようだ。
    1階の席、2階のボックス席はフォーマルスタイルの客が多く、
    華やいだ雰囲気がすばらしい。
    かつてパリのオペラ座を見学したが、
    今はオペラ座と同じような華やかな劇場の席についている。
    上を見上げると各階の観劇席は黄金色の装飾が施され、
    3階までほぼ満席の状態のようだった。
    音あわせなどで準備をしているオーケストラの演奏者を
    眺めながら幕が開くのを待った。

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