1997/11/05 - 1997/11/13
917位(同エリア1537件中)
リュックさん
1997年11月音楽をテーマにオーストリアの古都を訪ねた。
晩秋から初冬にかけてのヨーロッパが好きだ。
歴史のある町の石畳をゆっくり歩き、
風で舞う枯葉が冬の弱い陽に輝くのを眺める。
あ~ヨーロッパを旅しているという実感がわく。
この時期は色々なメリットがある。
航空運賃が安い。
観光地は空いていてゆっくり見学出来る。
有料駐車場もこの時期は無料が多い。
観光客が少ないこの時期、
観光客相手の土産物屋やレストランは休みのところが多いけれど
静かに地元の雰囲気に浸れる。
すり、ひったくりなどに遭うことが少ない。
地元の人たちが利用するところがリーゾナブルで美味しい。
クリスマス前に華やいだ雰囲気が味わえる。
3時過ぎには暗くなる。
早い時間帯で夕暮れや夜の雰囲気が楽しめる。
デメリット?「寒い」冬支度をすれば全く問題ない。
室内は暖かい。地元の人たちも暖かいく接してくれる。
-
・オーベンドルフ、Obendorf
ドイツ・ミュンヘンからIC(インターシティー)で
1時間半程度でザルツブルグヘ。
ここから北西約20kmにある。
ザルツブルグから路面電車で30分。
岩塩の集散地で栄えた。
この町で「きよしこの夜」が生まれた。
1818年オルガン奏者のモーア牧師が作詩し、
教師であるグルーパーが作曲した。
この曲はクリスマスイブのミサにギター伴奏で
歌われる予定であった。
しかし、オルガンが故障し、急遽ギターのみで演奏された。
以来この歌は伝統としてミサには
必ずギター伴奏で歌われるとのこと。
・オーベンドルフの町にひっそりと建つ可愛いお御堂 -
・御堂
当時のニコラウス教会の跡に建つ御堂入り口
商業的なものは全く無しの純な本当のクリスマス。 -
・御堂内部
内部はとても狭い。数個の長椅子と祭壇のみ。
正面にはキリスト生誕の絵画を架けた祭壇。 -
・モーア牧師(作詞)とグルーバー教師(作曲)の絵が
祭壇の左右にそしてステンドグラスには
ギターを持ったモーア牧師と当時のニコラウス教会 -
・ザンクトギルゲン,St.Gilgen
ファシュル湖から7km。
モーツアルトの母、アンナの生まれたところ。
現存する生家の壁には
アンナとモーツアルトの姉ナンネルのレリーフ。 -
ザンクト・ギルゲン
町役場前にはバイオリンを弾いている
少年モーツアルトの像がある。 -
・サンクト・ヴォルフガング、St. Wolfgang
ヴォルフガング湖の北側中央にある町。
11世紀にレーゲンスブルグの司教ヴォルフガングが
聖堂を建てたのがこの町の始まり。 -
ザンクト・ヴォルフガング
物音一つしない深閑とした冬の町。
聖堂と湖と雪化粧の山並み、美しい家々..
何処にカメラを向けても絵になる。 -
サンクト・ヴォルフガング
チロル風の美しい家並み -
ヴォルフガング湖は何処までも静か。
遊覧船の案内看板がシーズン到来を待っている。 -
ザンクト・ヴォルフガング
シーズンオフの為レストランはしまっていた。
入り口にはコミカルな木彫りの顔。
ここでシュニッツェルを食べると
皆んなこのようになるのだろうか。 -
白馬車
この町には、オペレッタ「白馬亭」weisses Roesslの舞台になった
ホテルで今もザンクトギルゲンからの船着場に建っている。
この町の背後にシャープベルグ山があり、
映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台の一つに使われた。 -
・バート・イシュル,Bad Ischl
サンクト・ヴォルフガングから東に15km。
温泉の保養地。
町にはフランツ・ヨーゼフ皇帝の狩猟の館であった。
カイザーヴィラやブラームスなどが滞在した別荘がある。
冬季休館。内部の見学が出来ない。
それでも訪れるのは我々日本の観光客のみ。
フランツ・ヨーゼフ皇帝はこのヴィラでお見合いをした。
お見合いの相手である姉では無く、
付いてきた妹のエリザベートをみそめ、
妻とした思い出のヴィラでもあった。 -
バート・イッシュル ヴィラ
-
バート・イッシュル
温泉の保養所が多くある。
シーズンオフだろうか街中は閑散としていた。 -
ザルツブルグの町も美しい。
ヨーロッパの各都市、町を訪ね何時も感心することは
「過去の遺産を大切に目的を持って維持・保存」している事だ。
景観を損ねる商業看板が無い!
雪のザルツブルグ
トラップ一家物語のサウンドオブミュージックの舞台になった。
オーストリアの中北部にあり、ドイツとの国境にある古都。
ローマ時代塩の産地として栄えたことから
塩(ザルツ)の名が付いた。
19世紀まで大司教が君臨する独立国であった。
旧市街にはルネッサンスやバロック様式の華麗な建物が並び、
「北のローマ」とも呼ばれていた。
この町はモーツアルトや名指揮者のカラヤンの出身地であり、
「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台になった
ミラベル宮殿がある。 -
・ミラベル宮殿
17世紀着工、18世紀に改築。1818年火災で大部分を焼失。
この宮殿内のマルモアザールは
かつてモーツアルト一家が演奏したホール。
その後、このホールでシュロスコンサートが開かれている。
ミラベル庭園からホーエンザルツブルグ城を望む。 -
・ザルツブルグ、Salzburug
オーストリアの中北部にあり、ドイツとの国境にある古都。 -
・ホーエンザルツブルグ城、Festung Hohensalzburg
旧市街の南側、メンヒスベルグの丘に建つ中性の城塞。
11~12世紀にかけて、ローマ法王と皇帝との間で
司教の任命権で争いが起きた。
ローマ法王側についたゲブハルト司教が皇帝側の攻撃に備え
城塞を築いた。
その後、司教の住居として使用し、
現在もほぼ完全な形で保存されている。 -
・ザルツブルグ市内
整然とした町並み。 -
・ゲトライデ通り、Getreidegasse
町でい一番賑わう通り。
15世紀のロココ様式の市庁舎、
モーツアルトの生家などこの通り沿にある。 -
ゲトライデ通り
狭い通りの両側は色々な商店街が処狭しと立ち並ぶ。
商店のシンボルを示した鉄細工の看板が軒に張り出している。
何の店か分かるように文盲の多かった中世の習慣が
今も残っている。
それにしてもものすごい人出。真っ直ぐ歩けない。 -
・モーツアルトの生家、Mozart Wohnhaus
1743-1773年の間この建物の3階に住んでいた。
1756年モーツアルトは末っ子として生まれ幼年期をここで過ごした。
現在は博物館になっていてモーツアルトが
実際に使っていたピアノやバイオリン、
自筆の楽譜などが展示されている。
案内人は余りに機械的、事務的でしかも、早口で説明したので、
良く分からず、内容は殆ど覚えていない。 -
・ザルツブルグ夕食
5時すぎには街中は真っ暗。
あれほど多かった昼間の人出は嘘の様。
どの道もひっそりしている。市内を散策。
今夜はここのビヤホールでビールを飲む。
長いテーブルに座ったが隣の席の男が盛んに話しかけてくる。
「あんたはいい時計をしている」
「俺のもいい時計だ。高いんだ、交換しないか」
男の時計を見ると日本製の安い「カシオ」。
「日本製のいい時計だ。大事に使った方がいいよ」
男は盛んに話しかけてくるが
その後相手にしなくなったら、
いつの間にかどこかに消えていた。 -
エリザベート妃
フランツ・ヨーゼフ1世の妃エリザベート
オーストリア連邦共和国の首都ウィーンで
ヨーロッパに一大帝国を築き、
650年もの間栄華を極めたハプスブルグ家の足跡や
ウイーンの森などを訪れる。
処で、ヨーロッパを鉄道で旅行していると
ウイーン行きの列車が各国に駅で見られる。
しかし、国に寄って、ウイーンの呼び名が違う。
Wien・ Viena・ Vienne・ Vienaのように。 -
ウイーンの城壁の後に市内路面電車が走っている。
この路面電で沿線で主だった観光地を訪れた。
リング状の道路に沿って市電が走る。
旧市街の土地勘を掴むにはもってこいの乗り物。
24時間フリーパスを購入し、フルに利用した。
乗っては降り、降りては乗り、
沿線の主だった見・市電・リンク
旧市街に点在する観光ポイントを訪れるのには便利な市電。
かつて城壁であったリン所を訪ね歩いた。 -
ウイーン市内散策
市電・リンクに乗り
一日フリーパス・切符を乗車時に購入
ドイツ語、英語、フランス語などと一緒に日本語での案内がある。 -
・ウイーンの気候
11月下旬の東京では最高気温は10度前後、最低気温が3度前後。
11月のウイーンは雨が少なく、最高気温は5度前後で
最低気温はマイナス8~9度(摂氏)になる。寒い。
そして、深い霧が立ち込める。
リンク周辺で訪れたところ
・国立オペラ座
市電の沿線で目だつ豪壮な建物の一つ。
1869年5月モーツアルトの「ドン・ジョバンニ」で
こけら落としが行われたルネッサンス様式のオペラ座。
1945年空襲で消失したが1955年昔のままの外観に復元された。
毎年2月に舞踏会(オーバンバル)が開かれるとか。 -
・カールスプラッツ駅舎
1899年オットーワーグナーの設計。
地下鉄システムの一貫として作られ、
カール広場に一対の建物が向かい合って建っている。
白い大理石の壁にアーチ型の屋根、緑のドアーと骨組み、
そして金色のひまわりが印象的。 -
・カール教会
1713年、ウイーンを襲ったペストの終息を祈り、
マリア・テレジアの父、カール6世の命により建築。
ペストの守護神カルロ・ポロメオに奉献する教会。
バチカンのサン・ピエトロ寺院を模して作られたとも云われ、
完成までに25年を要した。
聖カルロ・ポロメオの生涯を描いた2本の円柱が目立つ。
今回は教会内の見学をしなかったが
円蓋のフレスコ画や数々の絵画で溢れているとか。 -
・美術史博物館
女帝マリア・テレジアの記念像を挟んで対象をなす
二つの建物のうちリンクから見て左にある豪壮な建物が
美術史博物館で右にあるのが自然史博物館。
我々は美術史博物館を訪れ、少々時間を使いすぎてしまった。
レンブラント、ラファエロ、ベラスケス、ルーベンスなどの
巨匠の絵画が多く、
エジプト、ギリシャ、ローマの古代美術品の展示も多く
とても全て見学出来ない。「時間が足りな~い」 -
・美術史博物館館内
ハプスブルグ家のコレクションが数多く展示されている。
質、量から見てここがNo.1のコレクションでは無いだろうか。 -
美術史博物館・ブリューゲル展
ベルギーアントワープの画家ブリューゲルの作品が
特別展示されていた。
独特の画風で親しみ易い作品が多かった。 -
・マリア・テレジアとパプスブルグ家
オーストリアというと
パプスブルグ家が連想されるがルーツは
スイス東北部ライン川上流という。
この地方は神聖ローマ帝国の領土内にあり、
祖先は一豪族にすぎなかった。
1273年、この一族から帝国の国王に選出され、
ルドル1世となったのが始まり。
当時オーストリアからチェコスロバキアにかけて
制していたスラブ系民族をルドル1世が破り、覇権を握る。
以後、650年間、パプスブルグ家はこの地に基盤をおく。
没落、繁栄、政略結婚によりヨーロッパ内で勢力を拡大して行った。
その後ヨーロッパの大部分を統治後、
カール6世には息子が無く、
当時考えられなかった女性が帝位付いた。
長女であったマリア・テレジアが23才で王位を継承することになった。
その後ロートリンゲン公フランツと結婚したが、
テレジアが政治を一切取り仕切り、
女帝として名を馳せた。
一方で彼女は16の子供をもうけ、
15人目の子供、11番目の娘、マリー・アントワネットは
フランス革命で数奇な運命を辿る。
1914年、第一次世界大戦勃発後、
カール1世の退位により、
パプスブルグ家は名実ともに滅び、
オーストリアは共和制国家になった。
次回はウイーンの森を訪ねる。
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