2023/03/31 - 2023/03/31
691位(同エリア1043件中)
ちふゆさん
2023年3月31日(金)、朝の10時40分過ぎ、甲子園球場へ。甲子園駅とは駅南西の駅前広場をアプローチとして繋がっている。かつては甲子園駅辺りでJR甲子園口駅の南東で武庫川から分岐した枝川が、さらに申川(さるかわ)に分岐しており、その申川の流路だったところ。
地図を見ると分かるが、甲子園駅を南北に横切る甲子園筋が旧枝川跡で、前述したように甲子園駅は枝川を渡る枝川橋梁に設置された駅で、今も甲子園筋を渡る高架には枝川橋梁の名が残る。
申川は甲子園駅の南で分流し、南西に流れ、現在の甲子園浜海浜公園辺りで海に流れ込んでいた。かつては駅前広場の西側には土手や松並木があり、土手の上に食堂や居酒屋、売店などの屋台が所狭しと立ち並んでいた(下の写真の右手)が、西宮市の阪神甲子園駅周辺地区都市再生整備によって2020年にその面影はなくなった。
前述のように約100年前の1924年(大正13年)8月に開場した。元々は上述の枝川と申川によって造られた三角州で、何もなかったところで、枝川と申川がその前年に廃川となって埋められた後に、阪神電鉄に売却されていた。なお、この売却益は武庫川の整備や阪神国道の建設費等に使われた。
球場は昼夜を問わない突貫工事を経て、たったの5ヶ月弱で完成した。アルプスタンドや外野スタンドはなく、50段の鉄筋コンクリート製の内野スタンドと鉄傘(今のものとは違う)だけだったが、それでも5ヶ月はすごい。ただ、球場と云っても実際には1929年(昭和4年)の改修までは球技場や陸上競技場を兼ねた大運動場だった。
プロ野球の本拠地球場としては現存する最古の球場だが、上述のように1929年までは野球専用ではなく、野球専用球場としては1926年(昭和元年)開場の明治神宮野球場が最も古い。現存しない休場だと2006年に解体された藤井寺球場が神宮より1年先だった。
いわゆる夏の甲子園の開催を主目的として造られたが、翌年からはいわゆる春の選抜も開催されるようになった。1936年(昭和11年)からは現在のプロ野球のタイガースの本拠としても使われるようになった。
その他、大学野球の試合や女子高校野球の決勝戦にアメフトの学生選手権の決勝戦、甲子園ボウルも開催されている。時々、サッカーのフレンドリーマッチも開催されていた。
1929年(昭和4年)以降は、現在も含めて内野が土で、外野は天然芝。フェンス際は全て人工芝。両翼95m、中堅118m、左右中間118mの約1万3千平方mある。球場全体の面積としては約3万8千平方m。
2008年からリニューアル工事が行われ、2010年に終了。スタンドは一層式にもかかわらず、収容人員4万2千人以上と非常にスケールが大きい。内野スタンドの規模はそれほどではないが、外野スタンドは他球場の倍程度の規模で全収容人員の4割程度を占めている。公式の収容人員は高校野球開催時は47359人で、プロ野球開催時は43359人。
1929年の改修時に、球場の南側に遊園地、動物園、水族館などを内包する甲子園娯楽場(後の甲子園阪神パーク)やテニスコート、競技用プールなどが設けられ、鳴尾競馬場とゴルフ場(現鳴尾GCコース)を含めたこの一帯は一大レジャーゾーンとなった。
第2次大戦の末期には軍に接収され、内野は芋畑、外野は駐車場となり、スタンドは工場や海兵養成所、研究所、航空機倉庫、青年学校などに使われた。また鉄傘も金属類回収令のために供出された。
終戦になり米軍に接収されたが、1947年に一部を除いて返還され、野球は再開、甲子園ボウルも始まった。ただし、球場全ての接収が解除されたのは1954年だった。また、周辺施設は住宅などに転用され、プールと場所を移した阪神パークのみに縮小された。プールは球場の西側にあり、現在はテニスコートとクラブハウスになっている。
球場の南東側に造られた阪神パークには動物園やジェットコースターや観覧車などの遊戯施設やプールなどがあった。動物園にはヒョウとライオンを異種交配したレオポンが飼育されており、小さい頃鳴尾の祖母の家に行った時に見に行った覚えがある。1997年には一部が住宅展示場となったが、結局2003年に閉鎖された。現在はららぽーと甲子園。
駅前広場を通り抜けると球場正面、本塁の裏に出る。球場正面の上はガラス張りになっているが、その左右には煉瓦タイルの外壁が続く。その上をツタの枝が這っているが、ツタは1924年(大正13年)の開場直後に安上がりで外観を向上させる策として植栽され、甲子園の象徴にもなっていた。2008年からのリニューアル工事に伴って取り払われ、外壁をレンガで覆った後に再び植栽され、いずれ全面が覆われる予定だが、まだ道半ばまで行ってない感じ。
この日の席は3塁側のアルプススタンド。甲子園でのみ使われる言葉で、内野席の外野寄りの大観覧席のことを云う。高校野球では対戦チームの応援団が陣取る場所だが、一般客も入ることが出来る。これまで何度も甲子園に観戦に来たことあるが、アルプススタンドは初めて。
1929年(昭和4年)の改修時に完成したスタンド。アルプススタンドの名は、その当時の夏の中学野球の折、白いシャツを着た観客で超満員となった球場内の光景を、人気風刺漫画家の岡本一平が「ソノスタンドハマタ素敵ニ高ク見エル、アルプススタンドダ、上ノ方ニハ万年雪ガアリサウダ」の一文を添えた風刺漫画で表現したことに由来している。元々は通称だったが、現在は正式名称となっている。
内野席には銀傘が架かる。元々は開場から戦争中に鉄材供出で撤去されるまでは鉄傘と呼ばれた屋根があり、1931年(昭和6年)以降はアルプススタンドまで覆われていた。戦後の1951年に銀傘として復活、2009年にアルプス席を除く内野席全体を覆う形で新調された。2024年11月に再びアルプススタンドまで覆う工事がスタートし、2028年3月に完成予定。
時計台型が特徴のメインスコアボードは球場のシンボルマークになっている。現在の物は3代目で、2008年オフの銀傘改修の際に設置された。三菱電機製リボン状LEDボード(オーロラリボン)で、縦1.2m×横249.6m。
かつては両翼にラッキーゾーンがあった。1947年にホームランを出易くするために設置され、1949年から1991年まで常設されていた。現在より両翼が4m短い91mだった。その後神宮球場や今はなくなった西宮球場などにも設置され、現在も楽天モバイルパーク宮城(宮城球場)のEウィング、みずほPayPayドーム福岡(福岡ドーム)のホームランテラス、ZOZOマリンスタジアム(千葉マリンスタジアム)のホームランラグーンなどが残っている。
球場のスタンド下にはトイレの他、売店やレストラン、グッズショップなどが並んでいる。いろいろなスタジアムグルメがあるが、一番有名なのは甲子園カレーではないだろうか。開場当時から販売され、終戦直前に製造が中断した時期もあったが、近年の新型コロナウイルス禍でも営業は途絶えなかった。15種類以上の秘伝スパイスをブレンドしたうま味とコクが旨さの秘密だそうだ。私も昼食は甲子園カレーにした。
なお、甲子園カレーはジャンボ焼鳥と甲子園やきそばと並んで甲子園三大グルメと称される。また、季節が違うが、夏の甲子園で有名なのがかちわり氷。これは1957年販売開始。私も小さい頃から甲子園に行く度に買ってたなあ~
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準決勝の2試合に付いては続く
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