2025/01/09 - 2025/01/20
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ハイペリオンさん
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台北経由でベトナムへ行った。
今回はサイゴンとメコンデルタ河口の街、カントー。
サイゴンは何度も来ているが、ベトナム戦争のこと
には無頓着だった。
あの戦争から既に半世紀。若者の国、ベトナムには
戦争の記憶など持たない人々が大半だ。
しかし、昭和世代に青春を送った者にとって、ベト
ナムというと、やっぱりベトナム戦争である。
ぼくの中ではベトナムは今もアメリカと戦うゴムぞ
うりのべトコン兵士と反戦歌謡「フランシーヌの場
合」である。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- チャイナエアライン
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
とりあえず朝めしを食べにベンタイン市場
までやって来た。 -
テト(旧正月)直前の休日ということもあ
ってか、市場前の広場では正装した女性た
ちが記念写真を撮り合っていた。 -
市場の奥の方に食堂街がある。
-
適当な店を選んで腰かけた。
-
フォーボー(牛肉フォー)を食べた。
安定のうまさ。 -
市場はベトナム人、海外からの旅行者
で賑わっていた。場内も清潔。
しかし、商品は極めて高い。値段交渉
は絶対にやらなければ高い物をつかま
される。 -
ペンタイン市場の裏手にあるのが独立
宮殿。
旧南ベトナム政府の大統領官邸である。 -
ベトナム戦争当時、盛んに新聞に載った
チュー大統領、南ベトナム最後の大統領、
ズオン・バン・ミン大統領らもここで執
務していた。
有料だったので、正面ゲートから写真を
撮った。
中はテト用に着飾った人たちが記念写真
を撮り合っていた。 -
ゲート前にかわいい子がいたのでカメラ
を向けたら目線をくれた。
隣のインド系おばちゃんが邪魔! -
1975年4月30日、北ベトナム軍の戦車が
ゲートを破壊して突入し、続いてジープに
乗った若い将校が執務室にいたズオン・バ
ン・ミン大統領を拘束し、ベトナム戦争は
完全に終結した。
執務室にいた大統領はやって来た北ベトナ
ム軍の将校に対し「今、すべての権限をあ
なた方に委譲します」と言ったそうだ。
すると将校は「あなたに委譲する権限は既
に何もありません。我々は全土を解放して
います」と切り返した。
統一を「民族の悲願」とたたえる声が多い
が、現実には「北部ベトナム人の悲願」と
言っていいのではないか。 -
独立宮殿のすぐ近くにある戦争証跡博物館。
ここには主に当時の米軍や南ベトナム側の
戦争関連のものが展示されている。 -
庭には当時米軍が使っていた兵器が展示さ
れていた。 -
ベトナム戦争当時に使われていたM48。
既にM60という主力戦車があったが、
ベトナムではM48が主に使われていた。 -
兵員輸送用ヘリ。
-
自走砲。砲身が異様に長い。
-
館内には当時反戦デモなどで使用され
ていたと思われるバッジが展示されて
いた。 -
「アメリカはカンボジア、タイ、ベト
ナム、ラオスから出ていけ!」 -
「ベトナムに平和を!市民連合」略
して「ベ平連」。
確か作家の小田実が始めたのではな
かったかな。
こういう第三国での市民運動なんて
意味があったのかと疑問に思うが。 -
来館者のほとんどは白人の旅行者た
ちだった。みんな神妙な顔で眺めて
いた。 -
当時の南ベトナムで獲られた写真が
展示されていた。 -
戦場カメラマンたちが撮った写真も
展示されていた。ベトナム戦争は、
最も戦場カメラマンが活躍した戦争
と言えるかもしれない。
北ベトナム兵たちの前で歌う日本の
反戦歌手、横井久美子。
こういうのを見ると反戦歌謡「フラ
ンシーヌの場合」を思い出す。 -
「フランシーヌの場合はあまりにもおバカさん
フランシーヌの場合はあまりにも寂しい
三月三〇日の日曜日 パリの朝に燃えた命ひとつ
フランシーヌ・・・
ホントのことを言ったらお利口にはなれない
ホントのことを言ったらあまりにも悲しい
三月三〇日の日曜日 パリの朝に燃えた命ひとつ
フランシーヌ・・・
一人ぼっちの世界に残された言葉が
一人ぼっちの世界にいつまでもささやく
三月三〇日の日曜日 パリの朝に燃えた命ひとつ
フランシーヌ・・・
フランシーヌの場合は私にもわかるわ
フランシーヌの場合はあまりにも寂しい
三月三〇日の日曜日 パリの朝に燃えた命ひとつ
フランシーヌ・・・」 -
「フランシーヌの場合」を歌ったの
は、左翼系歌手、新谷のり子。
フランシーヌとはフランシーヌ・ル
コントというフランス人女性。
折しもベトナム和平に向けパリ拡大
会談が始まっばかりのパリの街角で
焼身自殺をした。
遺書はなく、自殺理由はナイジェリ
ア内戦やベトナム戦争に介入しする
東西陣営の大国への抗議だったとさ
れている。
1969年3月30日だった。
世界的に反戦運動が盛り上がり、日
本でも反戦フォークがヒットしてい
た時代だった。
この曲もそんな時代の潮流に乗りか
なりヒットしていた。 -
これもベトナム戦争では有名な映像の
ひとつ。
サイゴンの西にある村に米軍がナパー
ム弾による攻撃を行い、村から焼け出
されて路上を裸で逃げてきた少女。
ぼくは中学生の時、ベトナム戦争のド
キュメンタリー映画「ハーツアンドマ
インズ」でこの映像を見た。 -
ソンミ村の虐殺写真。
ソンミ村は中南部の海沿いにある。
ホイアンとウイニョンの中間あたりで
ある。
1968年3月16日にソンミ村のミライと
いう集落(別の場所だと指摘する者もい
る)の非武装の一般住民数百人を米軍が
皆殺しにした事件である。
米軍を率いていたのはウィリアム・カー
リー中尉という20代半ばの人物だが、な
ぜこのような恐ろしい戦争犯罪を行なっ
たのか、理由はわかっていない。 -
これはベトナム戦争で最も有名な写真かも
しれない。
4人の子どもを連れ、必死に河を渡って逃
げて来る母親。
ピューリッツァー賞を受賞した。 -
べトコン兵(解放軍兵)を連行する米兵。
-
これら2つの写真を撮ったのは日本人
カメラマン、沢田教一。
ベトナムでは欧米の戦場カメラマンと
肩を並べる活躍をした人だった。
1970年、プノンペン近郊で銃撃され
死亡。 -
米軍の輸送機が友軍の誤射によって墜落
する瞬間。
撮ったのは峯弘道。1968年、フエ近郊で
死亡。 -
「スターズアンドストライプス」紙に掲載
された一之瀬泰三の写真。
主にカンボジア内戦を取材し、アンコール
ワットを目指したが、シェムリアプ近郊の
村においてクメールルージュに拘束され処
刑された。処刑現場には村人が建てた墓が
ある。 -
ベトナム戦争中に生まれた奇形児たち。
母体が枯葉剤を浴びたのが原因だと言わ
れている。 -
結合双生児のグエン・ドクさん。
ベトちゃんドクちゃんとして知られている。
中部高原のコントゥムで生まれたが、この
あたりは米軍が大量に枯葉剤を散布したた
め、枯葉剤が原因と言われている。
分離手術には成功したが、ベトさんは20代
に病死した。
日本からは絶えず支援の手が差し伸べられ
ており、そのことを常に感謝していた。
二人の子どもには日本にちなみフーシー
(富士)、アインダオ(桜桃)という名付
けている。 -
左は北ベトナムにおいて1955年から
統一後の1987年まで首相職にいたフ
ァンバンドン。
一党独裁国にありがちな不正や汚職
や権力闘争とはほとんど無縁の、質
素な身なりの人物である。
右はフランスとの第一次インドシナ
戦争からベトナム戦争まで指揮を執
り続けたボーグエンザップ。
撮影者は日本人の左翼系写真家、石
川文洋。
ベトナム戦争を北側から撮り続けた
西側の従軍カメラマンでは稀有な人
物である。 -
ベトナム戦争に参戦した韓国軍の兵士。
おそらくアメリカからの経済援助と引
き換えに派兵したのだろう。
南ベトナム各地で残虐行為を働いたこ
とで知られており、当時の南ベトナム
では韓国人は相当嫌われていたという。
韓国軍の慰問に韓国からは芸能人が渡
越し、女性歌手たちは将校の夜の相手
もしていたという。 -
戦争証跡博物館を後に、レズアン通り
を歩いてホーチミン作戦記念館へ向か
った。
レズアンはベトナム統一後共産党第一
書記にとなった人物。
経済政策の失敗で国を破綻の縁にまで
追い込んでしまった。
ホーチミン作戦とは、1975年の南ベト
ナム解放戦争の最終作戦としてのサイ
ゴン総攻撃のコードネーム。 -
入り口のゲートをくぐり、
-
正面玄関まで来たが、中にいる女性
に「閉館です」と言われてしまった。
開館日を尋ねると「ネクストウィーク」。
えーっ、もう帰国してるよ。がっくり。 -
玄関脇には旧ソ連製のT54が展示され
ていた。
大統領官邸に突入した戦車と同型である。 -
戦争が終わって半世紀。
サイゴンの街の中は統一後に生まれた人
たちがほとんどだ。
彼らには戦争のと言われてもピンと来な
いだろう。しかし、北側、特にハノイの
人たちに対する怨嗟の声は今も聞く。
サイゴンの人にとってベトナム戦争とは、
民族の悲願などといったものではなく、
北の国に南の国が滅ぼされた戦争なのだ。 -
ブイヴィエン通りのこの退廃的な賑わい
を見るにつけ、ベトナム戦争を主導した
北の政治家たちはどう思うだろう。
こんな国にするために多くの若者たちを
死地に追いやったつもりはさらさらなか
ったはずだ。
しかし、これが現実ということだ。
そして、物悲しい「フランシーヌの場合」
を覚えているぼくのような人間も、この
サイゴンの現実に身を浸らせることに快
感を覚えている。
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