ライン川流域周辺旅行記(ブログ) 一覧に戻る
★ドイツは17日から27日までの11日間の長丁場です<br />やっと,11日目のドイツ最終日になります<br /><br />6/27(火)はマインツ,エルトフィレ,リューデスハイム観光と回ります<br /><br />今回は、リューデスハイムからザンクト・ゴアールスハウゼンまでのライン川クルーズ-2になります<br /><br />今回の大まかな行程は以下になります<br /><br />今日は,★☆★です (^^)/<br /><br />6/9(金) 成田⇒ドバイ⇒<br />6/10(土) ⇒ウイーン ウイーン観光<br />6/11(日) ウイーン観光<br />6/12(月) ザンクトペルテン,メルク,クレムス観光<br />6/13(火) ウイーン観光<br />6/14(水) ウイーン観光⇒ザルツブルクへ移動<br />6/15(木) ザルツブルク観光<br />6/16(金) ハルシュタット<br />6/17(土) ミュンヘンへ移動後,観光<br />6/18(日) ミュンヘン観光後,オーバーアマーガウへ移動 <br />6/19(月) エッタール,リンダホフ,オーバーアマーガウ観光後,フュッセンへ移動<br />6/20(火) ノイシュヴァンシュタイン,ホーエンシュヴァンガウ,ヴィース教会<br />6/21(水) ニュルンベルクへ移動後,観光 <br />6/22(木) レーゲンスブルク,ヴェルテンブルク観光<br />6/23(金) バンベルクとローテンブルク観光<br />6/24(土) ローテンブルク,ヴュルツブルクへ移動後観光⇒フラン<br />クフルト<br />6/25(日) イトシュタイン,リンブルク観光<br />6/26(月) ケルン,アーヘン観光<br /><br />★☆★6/27(火) マインツ,エルトフィレ,リューデスハイム観光,ライン川クルーズ<br /><br />6/28(水) ストラスブールへ移動後⇒コルマール⇒リクヴィール観光,エ <br />ーグイスハイム観光<br />6/29(木) コルマール観光<br />6/30(金) ストラスブール観光⇒コンスタンツへ移動<br />7/1(土) マイナウ,メールスブルク観光<br />7/2(日) ライヒエナウ,ザンクトガレン観光後,ルツェルンへ移動<br />7/3(月) ルツェルン観光後,シーニゲプラッテ移動・観光⇒グリンデル<br />ヴァルト<br />7/4(火) ユングフラウ周辺ハイキング<br />7/5(水) FIRST<br />7/6(木) シルトホルン周辺散策後,ツェルマットへ移動<br />7/7(金) ツェルマット周辺散策<br />7/8(土) ツェルマット周辺散策後,インターラーケンへ移動<br />7/9(日) ブリエンツ観光後,ベルン経由でルツェルンへ移動<br />7/10(月) 帰国準備後,ピラトゥス山,その後チューリッヒへ移動<br />7/11(火) チューリッヒプチ観光後,ドバイへ出発<br />7/12(水) ドバイ入国<br />7/13(木) 成田へ向けて出発

137。 *.:☆ ドイツ11日目 ,ライン川クルーズ-2☆.。.:* 

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2023/06/27 - 2023/06/27

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mitsu

mitsuさん

★ドイツは17日から27日までの11日間の長丁場です
やっと,11日目のドイツ最終日になります

6/27(火)はマインツ,エルトフィレ,リューデスハイム観光と回ります

今回は、リューデスハイムからザンクト・ゴアールスハウゼンまでのライン川クルーズ-2になります

今回の大まかな行程は以下になります

今日は,★☆★です (^^)/

6/9(金) 成田⇒ドバイ⇒
6/10(土) ⇒ウイーン ウイーン観光
6/11(日) ウイーン観光
6/12(月) ザンクトペルテン,メルク,クレムス観光
6/13(火) ウイーン観光
6/14(水) ウイーン観光⇒ザルツブルクへ移動
6/15(木) ザルツブルク観光
6/16(金) ハルシュタット
6/17(土) ミュンヘンへ移動後,観光
6/18(日) ミュンヘン観光後,オーバーアマーガウへ移動
6/19(月) エッタール,リンダホフ,オーバーアマーガウ観光後,フュッセンへ移動
6/20(火) ノイシュヴァンシュタイン,ホーエンシュヴァンガウ,ヴィース教会
6/21(水) ニュルンベルクへ移動後,観光 
6/22(木) レーゲンスブルク,ヴェルテンブルク観光
6/23(金) バンベルクとローテンブルク観光
6/24(土) ローテンブルク,ヴュルツブルクへ移動後観光⇒フラン
クフルト
6/25(日) イトシュタイン,リンブルク観光
6/26(月) ケルン,アーヘン観光

★☆★6/27(火) マインツ,エルトフィレ,リューデスハイム観光,ライン川クルーズ

6/28(水) ストラスブールへ移動後⇒コルマール⇒リクヴィール観光,エ 
ーグイスハイム観光
6/29(木) コルマール観光
6/30(金) ストラスブール観光⇒コンスタンツへ移動
7/1(土) マイナウ,メールスブルク観光
7/2(日) ライヒエナウ,ザンクトガレン観光後,ルツェルンへ移動
7/3(月) ルツェルン観光後,シーニゲプラッテ移動・観光⇒グリンデル
ヴァルト
7/4(火) ユングフラウ周辺ハイキング
7/5(水) FIRST
7/6(木) シルトホルン周辺散策後,ツェルマットへ移動
7/7(金) ツェルマット周辺散策
7/8(土) ツェルマット周辺散策後,インターラーケンへ移動
7/9(日) ブリエンツ観光後,ベルン経由でルツェルンへ移動
7/10(月) 帰国準備後,ピラトゥス山,その後チューリッヒへ移動
7/11(火) チューリッヒプチ観光後,ドバイへ出発
7/12(水) ドバイ入国
7/13(木) 成田へ向けて出発

旅行の満足度
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
鉄道 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • ライン川クルーズ-2になります (^^)/<br />

    ライン川クルーズ-2になります (^^)/

  • ライン川流域の町<br /><br />拡大です

    ライン川流域の町

    拡大です

  • ライン川流域の町<br /><br />また拡大してみました

    ライン川流域の町

    また拡大してみました

  • ライン川流域の町

    ライン川流域の町

  • ゾーネック城Burg Sooneck

    ゾーネック城Burg Sooneck

  • 拡大しました<br /><br />ゾーネック城Burg Sooneck<br /><br />1271 年に初めて文書に記されたスーネック城は、すぐに構造的に劣悪な状態になり、1689 年にフランス軍によって破壊されました<br /><br />ビンゲンとコブレンツの間のエングタールの上の城壁は、長い間放置されていました<br />1834 年 4 月、プロイセンの 4 人の王子 が城跡を取得し、再建することを決めるまで、この城は放置されていました<br /><br />「王家の狩猟城という意味で、すべてが非常にシンプルです」というのが、建築主への指示でした

    拡大しました

    ゾーネック城Burg Sooneck

    1271 年に初めて文書に記されたスーネック城は、すぐに構造的に劣悪な状態になり、1689 年にフランス軍によって破壊されました

    ビンゲンとコブレンツの間のエングタールの上の城壁は、長い間放置されていました
    1834 年 4 月、プロイセンの 4 人の王子 が城跡を取得し、再建することを決めるまで、この城は放置されていました

    「王家の狩猟城という意味で、すべてが非常にシンプルです」というのが、建築主への指示でした

  • ライン川流域の町

    ライン川流域の町

  • ライン川流域の町

    ライン川流域の町

  • 拡大してみました

    拡大してみました

  • ハイム城(ハイムブルク)Burg Hohneck (Heimburg)<br /><br />ハイムブルクは1290年以降、マインツ大司教によって、再建されたライヒェンシュタイン城からさらに南に勢力を拡大するバイエルン公爵プファルツ・ルートヴィヒ伯爵を防ぐために建てられた<br /><br />この城は最終的に1305年頃に完成した<br /><br />ハイムブルクは明らかにゲルハルト大司教(1294-1305)の治世中に建てられたが、遅くともペーター大司教(1308-1320)の任期の初めには、ライヒェンシュタイン、フュルステンベルク、シュターレックといったプファルツ選帝侯の城に対するマインツの防壁となり、プファルツ・ルートヴィヒ伯爵が南に領土を拡大するのを防ぐ目的で建てられた。<br /><br />ハイムブルクは低い山の岬にあります。ほぼ正方形の複合施設には、高さの異なる 2 つの円形の塔があり、アーチ型の盾壁を囲んでいます。城に隣接する要塞の小さな遺跡もいくつか保存されています

    ハイム城(ハイムブルク)Burg Hohneck (Heimburg)

    ハイムブルクは1290年以降、マインツ大司教によって、再建されたライヒェンシュタイン城からさらに南に勢力を拡大するバイエルン公爵プファルツ・ルートヴィヒ伯爵を防ぐために建てられた

    この城は最終的に1305年頃に完成した

    ハイムブルクは明らかにゲルハルト大司教(1294-1305)の治世中に建てられたが、遅くともペーター大司教(1308-1320)の任期の初めには、ライヒェンシュタイン、フュルステンベルク、シュターレックといったプファルツ選帝侯の城に対するマインツの防壁となり、プファルツ・ルートヴィヒ伯爵が南に領土を拡大するのを防ぐ目的で建てられた。

    ハイムブルクは低い山の岬にあります。ほぼ正方形の複合施設には、高さの異なる 2 つの円形の塔があり、アーチ型の盾壁を囲んでいます。城に隣接する要塞の小さな遺跡もいくつか保存されています

  • 拡大してみました<br /><br />ハイム城(ハイムブルク)Burg Hohneck (Heimburg)<br />

    拡大してみました

    ハイム城(ハイムブルク)Burg Hohneck (Heimburg)

  • St. Mariae Himmelfahrt<br />カトリック教会

    St. Mariae Himmelfahrt
    カトリック教会

  • 拡大してみました<br /><br />St. Mariae Himmelfahrt<br />カトリック教会

    拡大してみました

    St. Mariae Himmelfahrt
    カトリック教会

  • ライン川流域の町

    ライン川流域の町

  • 拡大してみました

    拡大してみました

  • 観光船でしょうか

    観光船でしょうか

  • 拡大してみました<br /><br />BINGEN号

    拡大してみました

    BINGEN号

  • ライン川流域の町

    ライン川流域の町

  • 拡大してみました

    拡大してみました

  • フリュステンベルク城址Ruine Burg Fürstenbergが見えてきました<br /><br />

    フリュステンベルク城址Ruine Burg Fürstenbergが見えてきました

  • フリュステンベルク城址Ruine Burg Fürstenberg<br /><br />拡大してみました<br /><br />要塞と税関の城<br /><br />中心となる城は 13 世紀初頭に建設され、その後 2 世紀にわたって拡張され、ツヴィンガー宮殿と 4 分の 3 円塔が建てられました<br /><br />要塞と税関の城の防御は、フンスリュックホーエから最も印象的に見ることができます<br />橋の 12 メートルの深さの首溝の後ろには、犬小屋の複合施設、巨大な塔のある巨大な盾壁、そして円形の銃眼付きの天守閣があります<br /><br />この 25 メートルの高さの塔の光景は、ヴィクトル・ユーゴーに遠い国の「サマルカンド、カリカット、カンガノールの神秘的で巨大な城」を思い出させました<br /><br />谷側の急斜面と平行に走り、盾壁で終わる環状壁が城の内側を守っていました

    フリュステンベルク城址Ruine Burg Fürstenberg

    拡大してみました

    要塞と税関の城

    中心となる城は 13 世紀初頭に建設され、その後 2 世紀にわたって拡張され、ツヴィンガー宮殿と 4 分の 3 円塔が建てられました

    要塞と税関の城の防御は、フンスリュックホーエから最も印象的に見ることができます
    橋の 12 メートルの深さの首溝の後ろには、犬小屋の複合施設、巨大な塔のある巨大な盾壁、そして円形の銃眼付きの天守閣があります

    この 25 メートルの高さの塔の光景は、ヴィクトル・ユーゴーに遠い国の「サマルカンド、カリカット、カンガノールの神秘的で巨大な城」を思い出させました

    谷側の急斜面と平行に走り、盾壁で終わる環状壁が城の内側を守っていました

  • 山の上には民家もあります

    山の上には民家もあります

  • 拡大してみました

    拡大してみました

  • ライン川流域の町

    ライン川流域の町

  • 拡大してみました

    拡大してみました

  • ライン川流域の町

    ライン川流域の町

  • シュタールエック城Jugendherberge Burg Stahleck Bacharachが見えてきました

    シュタールエック城Jugendherberge Burg Stahleck Bacharachが見えてきました

  • シュタールエック城Jugendherberge Burg Stahleck Bacharach<br />かなり拡大してみました<br /><br />1142人には神聖ローマ帝国の君主を選出する権利を持つ7人の選定侯の一人、ジンメルン家の「プファルツ伯爵」の居城となっていた事がわかっています<br /><br />また、黄金の街「プラハ」を築いたあの「カール4世」も、この城の美しさに魅了され、1349年に自身の結婚式をこの城で行いました<br /><br />その後1689年にフランス軍がライン川沿いの城を攻撃した際に、この城は莫大な量の爆薬が貯えていたため、文字通り跡形もなく破壊されました<br /><br />現在の城は、1925年から27年かけて新しく建て直したものです<br /><br />近年ではユースホテルとして利用され、ライン川沿いの中ではかなりリーズナブルな古城ホテルとして非常に人気があります

    シュタールエック城Jugendherberge Burg Stahleck Bacharach
    かなり拡大してみました

    1142人には神聖ローマ帝国の君主を選出する権利を持つ7人の選定侯の一人、ジンメルン家の「プファルツ伯爵」の居城となっていた事がわかっています

    また、黄金の街「プラハ」を築いたあの「カール4世」も、この城の美しさに魅了され、1349年に自身の結婚式をこの城で行いました

    その後1689年にフランス軍がライン川沿いの城を攻撃した際に、この城は莫大な量の爆薬が貯えていたため、文字通り跡形もなく破壊されました

    現在の城は、1925年から27年かけて新しく建て直したものです

    近年ではユースホテルとして利用され、ライン川沿いの中ではかなりリーズナブルな古城ホテルとして非常に人気があります

  • ライン川流域の町

    ライン川流域の町

  • かなり拡大しました

    かなり拡大しました

  • ライン川流域の町

    ライン川流域の町

  • 拡大してみました<br /><br />一体,何なんだろう

    拡大してみました

    一体,何なんだろう

  • 拡大してみました

    拡大してみました

  • 拡大してみました

    拡大してみました

  • シュタールエック城Jugendherberge Burg Stahleck Bacharach

    シュタールエック城Jugendherberge Burg Stahleck Bacharach

  • シュタールエック城Jugendherberge Burg Stahleck Bacharach<br />拡大してみました

    シュタールエック城Jugendherberge Burg Stahleck Bacharach
    拡大してみました

  • 拡大してみました

    拡大してみました

  • シュタールエック城Jugendherberge Burg Stahleck Bacharach

    シュタールエック城Jugendherberge Burg Stahleck Bacharach

  • シュタールエック城Jugendherberge Burg Stahleck Bacharach<br />拡大してみました

    シュタールエック城Jugendherberge Burg Stahleck Bacharach
    拡大してみました

  • バッハラッハBacharachの船着き場<br /><br />奥にあるのは,ミュンツ塔Münzturm<br />

    バッハラッハBacharachの船着き場

    奥にあるのは,ミュンツ塔Münzturm

  • ミュンツ塔Münzturm<br /><br />拡大しました

    ミュンツ塔Münzturm

    拡大しました

  • バッハラッハBacharachの町並み

    バッハラッハBacharachの町並み

  • 拡大しました<br /><br />手前はMarktturm<br /><br />奥は<br />Kirche St. Peter in Bacharach - Evangelische Kirchengemeinde Vierthäler<br />教会です

    拡大しました

    手前はMarktturm

    奥は
    Kirche St. Peter in Bacharach - Evangelische Kirchengemeinde Vierthäler
    教会です

  • 次から次と船が登ってきます

    次から次と船が登ってきます

  • 拡大しました

    拡大しました

  • プファルツ城Burg Pfalzgrafensteinが見えてきました

    プファルツ城Burg Pfalzgrafensteinが見えてきました

  • プファルツ城Burg Pfalzgrafenstein<br /><br />1327年に建設されて以来、カウプ近郊のこの城は、バッハラッハの狭い谷の真ん中にある岩礁の上に要塞として建っており、ライン川は15世紀以来「野生の危険」または「野生の乗り物」と呼ばれてきました<br /><br />警備所として、カウバー税関の警備を担い、さまざまな領主にとって大きな収入源となっていました<br /><br />プファルツグラーフェンシュタイン城へは、カウプから旅客フェリーでのみ行くことができます

    プファルツ城Burg Pfalzgrafenstein

    1327年に建設されて以来、カウプ近郊のこの城は、バッハラッハの狭い谷の真ん中にある岩礁の上に要塞として建っており、ライン川は15世紀以来「野生の危険」または「野生の乗り物」と呼ばれてきました

    警備所として、カウバー税関の警備を担い、さまざまな領主にとって大きな収入源となっていました

    プファルツグラーフェンシュタイン城へは、カウプから旅客フェリーでのみ行くことができます

  • グーテンフェルス城Burg Gutenfelsが見えてきました

    グーテンフェルス城Burg Gutenfelsが見えてきました

  • グーテンフェルス城Burg Gutenfels<br />拡大しました<br /><br />1200年頃、帝国の名のもとにボランド家によって建てられました<br /><br />歴史的な雰囲気は改装後も維持され、今日では新たな素晴らしさと古い魅力が輝いています<br /><br />愛情を込めて装飾された 5 つの客室は、快適な生活環境をご提供します

    グーテンフェルス城Burg Gutenfels
    拡大しました

    1200年頃、帝国の名のもとにボランド家によって建てられました

    歴史的な雰囲気は改装後も維持され、今日では新たな素晴らしさと古い魅力が輝いています

    愛情を込めて装飾された 5 つの客室は、快適な生活環境をご提供します

  • ライン川流域の町

    ライン川流域の町

  • ライン川流域の町

    ライン川流域の町

  • KDクルーズの桟橋では無さそう

    KDクルーズの桟橋では無さそう

  • シェーンブルク城Schoenburg CastleBurg Schönburgが見えてきました<br />

    シェーンブルク城Schoenburg CastleBurg Schönburgが見えてきました

  • シェーンブルク城Schoenburg CastleBurg Schönburg<br /><br />シェーンブルク城は、かつて神聖ローマ皇帝「フリードリヒ1世」が忠実な臣下に与えたものです<br /><br />シェーンブルクは「美しい城」を意味するドイツ語で、城の美しい景観からそう命名されました<br /><br />城に付随する塔や鐘楼が複数あるのは、城主が子宝に恵まれ、その子孫たちが次々と城を増築した事によります<br /><br />建設は12世紀で、17世紀の戦乱で一度廃墟となりました<br /><br />現在見ることができる城の景観は19世紀頃に修復が行われたものです

    シェーンブルク城Schoenburg CastleBurg Schönburg

    シェーンブルク城は、かつて神聖ローマ皇帝「フリードリヒ1世」が忠実な臣下に与えたものです

    シェーンブルクは「美しい城」を意味するドイツ語で、城の美しい景観からそう命名されました

    城に付随する塔や鐘楼が複数あるのは、城主が子宝に恵まれ、その子孫たちが次々と城を増築した事によります

    建設は12世紀で、17世紀の戦乱で一度廃墟となりました

    現在見ることができる城の景観は19世紀頃に修復が行われたものです

  • オーバーヴェセルという町

    オーバーヴェセルという町

  • 名前は分りませんが,塔です

    名前は分りませんが,塔です

  • Liebfrauenkirche

    Liebfrauenkirche

  • Liebfrauenkirche

    Liebfrauenkirche

  • Kuhhirtenturm<br />塔だらけの町です

    Kuhhirtenturm
    塔だらけの町です

  • オーバーヴェセルという町

    オーバーヴェセルという町

  • オーバーヴェセルという町

    オーバーヴェセルという町

  • オーバーヴェセルという町

    オーバーヴェセルという町

  • オーバーヴェセルという町

    オーバーヴェセルという町

  • オーバーヴェセルという町<br />拡大しました

    オーバーヴェセルという町
    拡大しました

  • ライン川流域

    ライン川流域

  • 今度は貨物船

    今度は貨物船

  • 貨物船

    貨物船

  • ローレライが見えてきました

    ローレライが見えてきました

  • ローレライ<br /><br />妖精の岩を意味する「 ローレライ 」は、オーバーヴェセ(Oberwesel)付近にある高さ約130mほどのがん壁の事です<br />

    ローレライ

    妖精の岩を意味する「 ローレライ 」は、オーバーヴェセ(Oberwesel)付近にある高さ約130mほどのがん壁の事です

  • ローレライ<br /><br />この岩山は、スイスと北海をつなぐライン川の中で、一番狭いところにあるため、流れが速く、また、水面下に多くの岩が潜んでいることもあって、かつては航行中の多くの舟が事故を起こした<br /><br /> この「ローレライ付近は航行の難所である」ことが、「岩山にたたずむ美しい少女が船頭を魅惑し、舟が川の渦の中に飲み込まれてしまう」という伝承に転じ、ローレライ伝説が生まれた<br /><br />ローレライ像は見逃しました 残念! (><)

    ローレライ

    この岩山は、スイスと北海をつなぐライン川の中で、一番狭いところにあるため、流れが速く、また、水面下に多くの岩が潜んでいることもあって、かつては航行中の多くの舟が事故を起こした

    この「ローレライ付近は航行の難所である」ことが、「岩山にたたずむ美しい少女が船頭を魅惑し、舟が川の渦の中に飲み込まれてしまう」という伝承に転じ、ローレライ伝説が生まれた

    ローレライ像は見逃しました 残念! (><)

  • 猫城Burg Katzが見えてきました<br /><br />白い塔のある場所はHistorischer Stadtturm &amp; Loreley-Museum<br />地域歴史博物館

    猫城Burg Katzが見えてきました

    白い塔のある場所はHistorischer Stadtturm & Loreley-Museum
    地域歴史博物館

  • 対岸のSt. Goarという町

    対岸のSt. Goarという町

  • 対岸のSt. Goarという町

    対岸のSt. Goarという町

  • St. Goarという町<br /><br />拡大しました

    St. Goarという町

    拡大しました

  • 猫城Burg Katz

    猫城Burg Katz

  • 猫城Burg Katz<br /><br />拡大しました

    猫城Burg Katz

    拡大しました

  • 猫城Burg Katz<br />もっと拡大しました<br /><br />カッツェンエルンボーゲン伯ヴィルヘルム2世が14世紀後半にカッツェン城を建設しました<br /><br />カッツ城はラインフェルス城を守るための要塞および軍事基地として使用されました<br />彼らは一緒になって、ライン川の通行料を徴収するための障壁を備えた要塞を形成しました<br />ローレライの川の曲がり角まで見渡せる眺望も、サケ釣りの安全を確保する上で非常に重要でした<br /><br />カッツ城は山の尾根に意図的に選ばれた場所にあったため、谷から征服することは不可能でした<br /><br />火器が発明されて初めて、カッツ城は大幅に強化される必要が生じました<br /><br />また、トリーア選帝侯領のマウス城に対する要塞としても強化されました<br /><br />同時にカッツ城の天守閣も高さ約100メートルに上げられました<br /><br />約 1.9 マイル離れたライヒェンシュタイン城と目が合うように 197 フィートの高さに設置します<br /><br /> 1479年にカッツェンエルンボーゲン伯爵家の家系は断絶した<br /><br />遺産をめぐる長きにわたる争いが続き、カッツ城とラインフェルス城は包囲され、何度も破壊され、再建され、拡張されました<br /><br /> 1800年に修復が行われていたにもかかわらず、ナポレオンは1806年にカッツ城を爆破しました。<br /><br />1896年、地区行政官ベルグはカッツ城を購入し、可能な限り元の設計に近い形で再建しました<br /><br />1946年から1951年まで、カッツ城は地元の高等学校「ホフマン研究所」として機能し、理事会も運営した<br /><br />1989年以来、カッツ城は日本人の私有地となっており、ホテルカッツ城が入っています

    猫城Burg Katz
    もっと拡大しました

    カッツェンエルンボーゲン伯ヴィルヘルム2世が14世紀後半にカッツェン城を建設しました

    カッツ城はラインフェルス城を守るための要塞および軍事基地として使用されました
    彼らは一緒になって、ライン川の通行料を徴収するための障壁を備えた要塞を形成しました
    ローレライの川の曲がり角まで見渡せる眺望も、サケ釣りの安全を確保する上で非常に重要でした

    カッツ城は山の尾根に意図的に選ばれた場所にあったため、谷から征服することは不可能でした

    火器が発明されて初めて、カッツ城は大幅に強化される必要が生じました

    また、トリーア選帝侯領のマウス城に対する要塞としても強化されました

    同時にカッツ城の天守閣も高さ約100メートルに上げられました

    約 1.9 マイル離れたライヒェンシュタイン城と目が合うように 197 フィートの高さに設置します

    1479年にカッツェンエルンボーゲン伯爵家の家系は断絶した

    遺産をめぐる長きにわたる争いが続き、カッツ城とラインフェルス城は包囲され、何度も破壊され、再建され、拡張されました

    1800年に修復が行われていたにもかかわらず、ナポレオンは1806年にカッツ城を爆破しました。

    1896年、地区行政官ベルグはカッツ城を購入し、可能な限り元の設計に近い形で再建しました

    1946年から1951年まで、カッツ城は地元の高等学校「ホフマン研究所」として機能し、理事会も運営した

    1989年以来、カッツ城は日本人の私有地となっており、ホテルカッツ城が入っています

  • ラインフェルス城Burg Rheinfels

    ラインフェルス城Burg Rheinfels

  • ラインフェルス城Burg Rheinfels<br /><br />1245 年にザンクト・ゴアールのディーター・フォン・カッツェンエルンボーゲン伯爵によって建てられたラインフェルスは、現在ではヨーロッパ最大の城と要塞の遺跡のひとつです<br /><br />ヘッセン伯爵の統治下でルネッサンス様式の城に拡張され、その後広大な要塞に拡張され、ラインフェルスは中流域で最も重要な場所の 1 つに成長しました<br /><br />ライン川沿いの数少ない防壁の一つであったため、三十年戦争とプファルツ継承戦争の際には包囲攻撃は失敗し、破壊されることはなかった

    ラインフェルス城Burg Rheinfels

    1245 年にザンクト・ゴアールのディーター・フォン・カッツェンエルンボーゲン伯爵によって建てられたラインフェルスは、現在ではヨーロッパ最大の城と要塞の遺跡のひとつです

    ヘッセン伯爵の統治下でルネッサンス様式の城に拡張され、その後広大な要塞に拡張され、ラインフェルスは中流域で最も重要な場所の 1 つに成長しました

    ライン川沿いの数少ない防壁の一つであったため、三十年戦争とプファルツ継承戦争の際には包囲攻撃は失敗し、破壊されることはなかった

  • 今回のクルーズの終点はザンクト・ゴアールスハウゼンに近づき真下<br /><br />下船時に,最後にチラット船内の様子

    今回のクルーズの終点はザンクト・ゴアールスハウゼンに近づき真下

    下船時に,最後にチラット船内の様子

  • 船内の様子

    船内の様子

  • 分りづらいですが,こちらの水車が回って,推進力となります

    分りづらいですが,こちらの水車が回って,推進力となります

  • 外輪

    外輪

  • 結構,高速で回ってます

    結構,高速で回ってます

  • 船内の様子<br /><br />大方の人はここで下船します<br /><br />この先,コブレンツまではあまり城が無いようです

    船内の様子

    大方の人はここで下船します

    この先,コブレンツまではあまり城が無いようです

  • 船内の様子

    船内の様子

  • 船内の様子

    船内の様子

  • ザンクト・ゴアールスハウゼンの鉄道駅

    ザンクト・ゴアールスハウゼンの鉄道駅

  • ザンクト・ゴアールスハウゼン<br /><br />ここから,St Goarshausen 18:27発 Frankfurt(Main)Hbf20:05でフランクフルトに戻ります

    ザンクト・ゴアールスハウゼン

    ここから,St Goarshausen 18:27発 Frankfurt(Main)Hbf20:05でフランクフルトに戻ります

  • フランクフルトに着きました<br /><br />何かあったのかな

    フランクフルトに着きました

    何かあったのかな

  • ここが,宿泊していたインターシティホテル

    ここが,宿泊していたインターシティホテル

  • ここからは,おまけで,ホテルの様子をチラット紹介します<br /><br />部屋からの展望

    ここからは,おまけで,ホテルの様子をチラット紹介します

    部屋からの展望

  • 部屋からの展望

    部屋からの展望

  • 部屋からの展望

    部屋からの展望

  • 朝食

    朝食

  • 朝食

    朝食

  • ホテルのバー

    ホテルのバー

  • 朝食時ではありませんが 笑

    朝食時ではありませんが 笑

  • 朝食会場

    朝食会場

  • 朝食会場

    朝食会場

  • 朝食会場

    朝食会場

  • 朝食会場

    朝食会場

  • 朝食会場

    朝食会場

  • 朝食会場

    朝食会場

  • ロビー<br />めちゃくちゃ広かったです

    ロビー
    めちゃくちゃ広かったです

  • ロビー<br /><br />一旦,ドイツとも今日でお別れ<br /><br />明日は,一気にフランスへ<br /><br />と言っても,パリには行きません (≧∇≦)<br /><br /><br />つづく 

    ロビー

    一旦,ドイツとも今日でお別れ

    明日は,一気にフランスへ

    と言っても,パリには行きません (≧∇≦)


    つづく 

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