ミナミ(難波・天王寺)旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2023年3月24日(金)朝の10時半前、大阪難波のエディオンアリーナ大阪(大阪府立体育館)に到着。3月12日(日)から大相撲令和五年三月場所が行われており、この日はその十三日目。<br /><br />大相撲は日本相撲協会が主催する相撲興行で、世界中で行われる相撲興行の中で最も有名かつ権威のあるもの。年に6回本場所が開催されており、三月場所はそのうちの一つで、春場所とか大阪場所とか呼ばれる。<br /><br />相撲は平安時代以前、伝承としては神話時代から始まったとされるもので、土俵の上で力士が組合って戦う形を取る日本古来の神事や祭で、同時にそれを起源とする武芸もしくは武道。現在は日本由来の武道・格闘技・スポーツとして国際的にも認知されている。日本の国技と云われることがあるが、日本の国技は定められてはいない。<br /><br />相撲と同じような格闘技は沖縄本島の沖縄角力(シマ)、モンゴルのブフ、中国のシュアイジャオ、朝鮮半島のシルム、トルコのヤールギュレシ、セネガルのランブなどがあり、一般的には沖縄相撲(琉角力)、モンゴル相撲、トルコ相撲など「何々相撲」呼ばれることが多い。<br /><br />「すもう」と云う呼び方は、古代の力くらべを意味する「すまひ(角力、捔力、角觝)」が変化したもの。明治終わり頃までは角力と表記されることが多かった。相撲の世界のことを角界と呼ぶのもその名残。英語ではsumoまたはsumo-wrestlingと表記される。<br /><br />奈良時代から平安時代にかけて、宮中行事の一つとして相撲節会が行われるようになり、また、神社における祭事として相撲をとる神事相撲が始まった。鎌倉時代になると、組み打ちの鍛錬として武家相撲が生まれた。室町時代に入ると戦国大名が相撲人の養成に力を注ぎ、応仁の乱以降は都落ちをした貴族とともに京都の相撲文化が地方に伝わり、土地相撲となった。<br /><br />江戸時代に入るとその土地相撲が興行化して勧進相撲となる。最初は神社仏閣の建立・修繕などの資金として寄進を勧めるための興行だったが、徐々に職業相撲としての営利的興行へと変化する。江戸中期には全盛期になり、日本文化を代表する一つの娯楽として隆盛を極めた。幕末の1833年には勧進大相撲が両国を定場所とした。<br /><br />明治に入ってからは、明治天皇の天覧相撲の繰り返しでなんとか命脈を保つ。1927年(昭和2年)に東京相撲と大阪相撲が合併することにより日本相撲協会が誕生、勧進相撲は大相撲に一本化された。<br /><br />江戸中期以降の大相撲は特に神道の影響が強まり、相撲場は明治中期まで女人禁制となり、明治になるまで観戦することもできず、現在でも土俵上に女性が上るのを忌避しているようになった。しかし、この習慣は近年のもので、女相撲は日本書紀にも見られ、江戸時代から戦前までは興行も行われていた。<br /><br />現在は相撲と云えばこの日本相撲協会が主催する大相撲を指すことが多いが、他にも学生相撲や実業団相撲などのアマチュア相撲、地方の神事や余興として行われてきた草相撲・野相撲・奉納相撲などの素人相撲や女子相撲もある。<br /><br />日本相撲協会は本場所・巡業の大相撲興行を行う相撲興行団体。1925年(大正14年)に財団法人大日本相撲協会として設立され、幕内最高優勝者に授与される天皇賜杯が下賜された。上述のようにその2年後に大坂相撲協会が合流。1966年に財団法人日本相撲協会に改称、さらに2014年に公益財団法人日本相撲協会に改称した。<br /><br />なお、日本相撲協会が興行を行う大相撲は神事に由来するとしているとしているため、他のプロスポーツと比べて礼儀作法などが重視されており、生活様式や風貌なども旧来の風俗が比較的維持されるなど文化的な側面がある。<br /><br />日本相撲協会の大相撲興行には本場所、地方巡業、花相撲、海外公演、海外巡業がある。地方巡業は本場所のない時期に、地方へ出向いての1日限りの相撲披露。現行制度下では春(三月場所後に主に中部・近畿地方)、夏(七月場所後に主に北海道・東北地方)、秋(九月場所後に主に関東・中部地方)、冬(十一月場所後に主に九州・沖縄地方)の年4回行われている。<br /><br />花相撲はトーナメント相撲、親善相撲、奉納相撲、引退相撲など。海外公演と海外巡業は主催が日本相撲協会か地元の興行主(勧進元)かの違い。これ(2024年)までに海外公演は13回、海外巡業は16回行われている。1962年のハワイ巡業が最初で、一番最近は2013年のジャカルタ巡業。2025年にはロンドン公演が予定されている。<br /><br />本場所は年6回開かれる公式戦。元々は本場所は各地で個別に行われていた。大正になり主に東京と大阪のそれぞれ常設の国技館で年2回興行になる。そして、昭和になって日本相撲協会となり、戦後に東京と大阪、名古屋、福岡で興行を行うようになり、現在に至る。1958年に年6回の興行で固定された。<br /><br />1949年に序の口から幕内まで、全てで15番となったが、その後幕下以下は徐々に減らされ、1960年に現在の幕内と十両が15番、幕下以下が7番(特例で8番もある)となった。<br /><br />現在は一月場所(初場所)、五月場所(夏場所)、九月場所(秋場所)が東京両国の国技館で開催され、総称して東京場所と呼ばれる。三月場所(春場所もしくは大阪場所)は大阪、七月場所(名古屋場所)は名古屋、十一月場所(九州場所)は福岡で開催され、総称して地方場所と呼ばれる。<br /><br />三月場所が最初に大阪で開催されたのは日本相撲協会が発足した翌年の1928年(昭和3年)。この年は1月と5月に東京、3月と10月に大阪で開催された。しかし、1932年(昭和7年)に発生した32人の力士が協会の体質改善を要求した春秋園事件により大阪での開催は中止される。1937年(昭和12年)に復活して年2回開催されるようになったが、3年後には戦局悪化で再び中止となる。<br /><br />戦後になり、1948年10月に福島公園で大阪での本場所が復活、以後、福島公園、阿部野橋畔、難波(現在の大阪府立体育会館所在地)の仮設国技館で秋に開催される。1952年は鉄骨製の大阪府立体育館建設のために中止されたが、いよいよ1953年3月に現在に繋がる三月場所がスタートした。<br /><br />この時点では、東京開催の1月、5月、9月の3回と合わせて年4回開催だった。その後、1957年に福岡での十一月場所、その翌年に名古屋での七月場所がスタートし、現在の6場所制になった。なお、1953年の三月場所スタート以前は一月場所の通称が春場所だったが、三月場所スタートのタイミングで初場所に改称し、三月場所が春場所となった。<br /><br />既に10時に開場されてるので、さっそく会場に入る。大相撲観戦は東京単身赴任中の2004年の初場所の7日目を両国の国技館に見に行って以来の19年振り(下の写真)。この頃は朝青龍の全盛期で、全勝で5回目の優勝を遂げた場所。この年は九月場所(秋場所)以外の5場所を制し、翌年は6場所全てで優勝した。<br /><br />この場所は朝青龍が一人横綱で、大関が栃東、千代大海、魁皇、武双山の4大関、関脇が土佐ノ海と玉乃島、小結が栃乃洋と若の里だった。平幕には後の大関の琴光喜や出島、雅山がいた。また、現在の大関琴桜の師匠で父の佐渡ヶ嶽親方(琴ノ若)もいたが、この場所は公傷で全休だった。また、後の大横綱白鵬はまだ十両で9勝6敗の成績だった。<br />https://sumo-hositori.com/H1/H16-1.html<br /><br />開場前には相撲のぼり旗が並び雰囲気を盛り上げる。江戸時代から存在しており、相撲旗と呼ばれていたものがのぼりとして広まった。縁起物として縁起を担ぐとともに、会場の目印としても使われていた。サイズは、高さが5.4m、幅は70~90cmほどで、店頭などで一般的に使用されるものの3倍ある。スポンサーが協会を通して作成している。<br /><br />入口の左右には相撲茶屋が並ぶ。チケットもぎりのところには蒙御免木札。蒙御免は「ごめんこうむる」と読み、江戸時代に相撲興行の許可を得た証として立てられた札に由来している。中に入るとまずは正面に優勝賜杯などが飾られている。その隣にある木板の番付表もいい。<br /><br />11時取組開始なので、開始前に土俵の近くにも行ってみる。2階のアリーナの中央に土俵が作られ、周りをタマリとマス席が囲む。タマリは土俵に最も近い座布団敷の席。取組によって砂が飛んでくることもあることから砂かぶりとも呼ばれる。タマリは力士や行事が待機する土俵溜まりに設けられた席と云う意味。<br /><br />マス席はタマリに近いところからS席、A席が囲むが、アリーナは長方形なので北の正面と南の向正面にはさらにC席とテーブル付きのD席がある。<br /><br />土俵は一辺が6.7mの正方形に土を盛り、その中央に直径4.55mの円が16俵の勝負俵で作られ、その円の東西南北4か所に4俵の徳俵と呼ばれる俵1つ分の出っ張りが設けられる。地面から俵の上部までは60cm、俵を除けば土俵の上から下まで55cm。<br /><br />土俵上の房の色は天空の四方位をそれぞれ司る四神に由来する。青房(実際には緑)は東方を守護する青龍、白房は西方を守護する白虎、赤房は南方を守護する朱雀、黒房は北方を守護する玄武を表す。<br /><br />私の席は3階なので、上に上がる。3階は元々の備え付きの椅子席で、正面と向正面にA席とB席、東西にSS席、S席、C席、D席がある。ちなみに私の席は正面のB席で5000円+手数料だった。<br /><br />正面の奥、私の席の左手にNHKの放送席。この時には分かっていなかったが、この日の担当は十両が岩友親方(元木村山)と厚井アナ、幕内が武隈親方(元豪栄道)と大坂アナだったようだ。向正面の奥にもNHKの放送席がありこの日は幕内を今は亡き(この年の12月没)の錣山親方(元寺尾)だったようだ。あと、正面の西寄りにも放送席があったが、おそらくABEMA大相撲LIVEの放送席で、この日は元小結松鳳山と田中アナだったらしい。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9267103756692899&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />いよいよ取組がスタートするが、続く

エディオンアリーナ大阪 大相撲大阪場所(Grand Sumo Tournament,EDION Arena Osaka)

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2023/03/24 - 2023/03/24

3762位(同エリア3837件中)

旅行記グループ 大相撲大阪場所

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ちふゆ

ちふゆさん

2023年3月24日(金)朝の10時半前、大阪難波のエディオンアリーナ大阪(大阪府立体育館)に到着。3月12日(日)から大相撲令和五年三月場所が行われており、この日はその十三日目。

大相撲は日本相撲協会が主催する相撲興行で、世界中で行われる相撲興行の中で最も有名かつ権威のあるもの。年に6回本場所が開催されており、三月場所はそのうちの一つで、春場所とか大阪場所とか呼ばれる。

相撲は平安時代以前、伝承としては神話時代から始まったとされるもので、土俵の上で力士が組合って戦う形を取る日本古来の神事や祭で、同時にそれを起源とする武芸もしくは武道。現在は日本由来の武道・格闘技・スポーツとして国際的にも認知されている。日本の国技と云われることがあるが、日本の国技は定められてはいない。

相撲と同じような格闘技は沖縄本島の沖縄角力(シマ)、モンゴルのブフ、中国のシュアイジャオ、朝鮮半島のシルム、トルコのヤールギュレシ、セネガルのランブなどがあり、一般的には沖縄相撲(琉角力)、モンゴル相撲、トルコ相撲など「何々相撲」呼ばれることが多い。

「すもう」と云う呼び方は、古代の力くらべを意味する「すまひ(角力、捔力、角觝)」が変化したもの。明治終わり頃までは角力と表記されることが多かった。相撲の世界のことを角界と呼ぶのもその名残。英語ではsumoまたはsumo-wrestlingと表記される。

奈良時代から平安時代にかけて、宮中行事の一つとして相撲節会が行われるようになり、また、神社における祭事として相撲をとる神事相撲が始まった。鎌倉時代になると、組み打ちの鍛錬として武家相撲が生まれた。室町時代に入ると戦国大名が相撲人の養成に力を注ぎ、応仁の乱以降は都落ちをした貴族とともに京都の相撲文化が地方に伝わり、土地相撲となった。

江戸時代に入るとその土地相撲が興行化して勧進相撲となる。最初は神社仏閣の建立・修繕などの資金として寄進を勧めるための興行だったが、徐々に職業相撲としての営利的興行へと変化する。江戸中期には全盛期になり、日本文化を代表する一つの娯楽として隆盛を極めた。幕末の1833年には勧進大相撲が両国を定場所とした。

明治に入ってからは、明治天皇の天覧相撲の繰り返しでなんとか命脈を保つ。1927年(昭和2年)に東京相撲と大阪相撲が合併することにより日本相撲協会が誕生、勧進相撲は大相撲に一本化された。

江戸中期以降の大相撲は特に神道の影響が強まり、相撲場は明治中期まで女人禁制となり、明治になるまで観戦することもできず、現在でも土俵上に女性が上るのを忌避しているようになった。しかし、この習慣は近年のもので、女相撲は日本書紀にも見られ、江戸時代から戦前までは興行も行われていた。

現在は相撲と云えばこの日本相撲協会が主催する大相撲を指すことが多いが、他にも学生相撲や実業団相撲などのアマチュア相撲、地方の神事や余興として行われてきた草相撲・野相撲・奉納相撲などの素人相撲や女子相撲もある。

日本相撲協会は本場所・巡業の大相撲興行を行う相撲興行団体。1925年(大正14年)に財団法人大日本相撲協会として設立され、幕内最高優勝者に授与される天皇賜杯が下賜された。上述のようにその2年後に大坂相撲協会が合流。1966年に財団法人日本相撲協会に改称、さらに2014年に公益財団法人日本相撲協会に改称した。

なお、日本相撲協会が興行を行う大相撲は神事に由来するとしているとしているため、他のプロスポーツと比べて礼儀作法などが重視されており、生活様式や風貌なども旧来の風俗が比較的維持されるなど文化的な側面がある。

日本相撲協会の大相撲興行には本場所、地方巡業、花相撲、海外公演、海外巡業がある。地方巡業は本場所のない時期に、地方へ出向いての1日限りの相撲披露。現行制度下では春(三月場所後に主に中部・近畿地方)、夏(七月場所後に主に北海道・東北地方)、秋(九月場所後に主に関東・中部地方)、冬(十一月場所後に主に九州・沖縄地方)の年4回行われている。

花相撲はトーナメント相撲、親善相撲、奉納相撲、引退相撲など。海外公演と海外巡業は主催が日本相撲協会か地元の興行主(勧進元)かの違い。これ(2024年)までに海外公演は13回、海外巡業は16回行われている。1962年のハワイ巡業が最初で、一番最近は2013年のジャカルタ巡業。2025年にはロンドン公演が予定されている。

本場所は年6回開かれる公式戦。元々は本場所は各地で個別に行われていた。大正になり主に東京と大阪のそれぞれ常設の国技館で年2回興行になる。そして、昭和になって日本相撲協会となり、戦後に東京と大阪、名古屋、福岡で興行を行うようになり、現在に至る。1958年に年6回の興行で固定された。

1949年に序の口から幕内まで、全てで15番となったが、その後幕下以下は徐々に減らされ、1960年に現在の幕内と十両が15番、幕下以下が7番(特例で8番もある)となった。

現在は一月場所(初場所)、五月場所(夏場所)、九月場所(秋場所)が東京両国の国技館で開催され、総称して東京場所と呼ばれる。三月場所(春場所もしくは大阪場所)は大阪、七月場所(名古屋場所)は名古屋、十一月場所(九州場所)は福岡で開催され、総称して地方場所と呼ばれる。

三月場所が最初に大阪で開催されたのは日本相撲協会が発足した翌年の1928年(昭和3年)。この年は1月と5月に東京、3月と10月に大阪で開催された。しかし、1932年(昭和7年)に発生した32人の力士が協会の体質改善を要求した春秋園事件により大阪での開催は中止される。1937年(昭和12年)に復活して年2回開催されるようになったが、3年後には戦局悪化で再び中止となる。

戦後になり、1948年10月に福島公園で大阪での本場所が復活、以後、福島公園、阿部野橋畔、難波(現在の大阪府立体育会館所在地)の仮設国技館で秋に開催される。1952年は鉄骨製の大阪府立体育館建設のために中止されたが、いよいよ1953年3月に現在に繋がる三月場所がスタートした。

この時点では、東京開催の1月、5月、9月の3回と合わせて年4回開催だった。その後、1957年に福岡での十一月場所、その翌年に名古屋での七月場所がスタートし、現在の6場所制になった。なお、1953年の三月場所スタート以前は一月場所の通称が春場所だったが、三月場所スタートのタイミングで初場所に改称し、三月場所が春場所となった。

既に10時に開場されてるので、さっそく会場に入る。大相撲観戦は東京単身赴任中の2004年の初場所の7日目を両国の国技館に見に行って以来の19年振り(下の写真)。この頃は朝青龍の全盛期で、全勝で5回目の優勝を遂げた場所。この年は九月場所(秋場所)以外の5場所を制し、翌年は6場所全てで優勝した。

この場所は朝青龍が一人横綱で、大関が栃東、千代大海、魁皇、武双山の4大関、関脇が土佐ノ海と玉乃島、小結が栃乃洋と若の里だった。平幕には後の大関の琴光喜や出島、雅山がいた。また、現在の大関琴桜の師匠で父の佐渡ヶ嶽親方(琴ノ若)もいたが、この場所は公傷で全休だった。また、後の大横綱白鵬はまだ十両で9勝6敗の成績だった。
https://sumo-hositori.com/H1/H16-1.html

開場前には相撲のぼり旗が並び雰囲気を盛り上げる。江戸時代から存在しており、相撲旗と呼ばれていたものがのぼりとして広まった。縁起物として縁起を担ぐとともに、会場の目印としても使われていた。サイズは、高さが5.4m、幅は70~90cmほどで、店頭などで一般的に使用されるものの3倍ある。スポンサーが協会を通して作成している。

入口の左右には相撲茶屋が並ぶ。チケットもぎりのところには蒙御免木札。蒙御免は「ごめんこうむる」と読み、江戸時代に相撲興行の許可を得た証として立てられた札に由来している。中に入るとまずは正面に優勝賜杯などが飾られている。その隣にある木板の番付表もいい。

11時取組開始なので、開始前に土俵の近くにも行ってみる。2階のアリーナの中央に土俵が作られ、周りをタマリとマス席が囲む。タマリは土俵に最も近い座布団敷の席。取組によって砂が飛んでくることもあることから砂かぶりとも呼ばれる。タマリは力士や行事が待機する土俵溜まりに設けられた席と云う意味。

マス席はタマリに近いところからS席、A席が囲むが、アリーナは長方形なので北の正面と南の向正面にはさらにC席とテーブル付きのD席がある。

土俵は一辺が6.7mの正方形に土を盛り、その中央に直径4.55mの円が16俵の勝負俵で作られ、その円の東西南北4か所に4俵の徳俵と呼ばれる俵1つ分の出っ張りが設けられる。地面から俵の上部までは60cm、俵を除けば土俵の上から下まで55cm。

土俵上の房の色は天空の四方位をそれぞれ司る四神に由来する。青房(実際には緑)は東方を守護する青龍、白房は西方を守護する白虎、赤房は南方を守護する朱雀、黒房は北方を守護する玄武を表す。

私の席は3階なので、上に上がる。3階は元々の備え付きの椅子席で、正面と向正面にA席とB席、東西にSS席、S席、C席、D席がある。ちなみに私の席は正面のB席で5000円+手数料だった。

正面の奥、私の席の左手にNHKの放送席。この時には分かっていなかったが、この日の担当は十両が岩友親方(元木村山)と厚井アナ、幕内が武隈親方(元豪栄道)と大坂アナだったようだ。向正面の奥にもNHKの放送席がありこの日は幕内を今は亡き(この年の12月没)の錣山親方(元寺尾)だったようだ。あと、正面の西寄りにも放送席があったが、おそらくABEMA大相撲LIVEの放送席で、この日は元小結松鳳山と田中アナだったらしい。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9267103756692899&type=1&l=223fe1adec


いよいよ取組がスタートするが、続く

  • 平成一六年一月場所 7日目

    平成一六年一月場所 7日目

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