江田島・能美・倉橋旅行記(ブログ) 一覧に戻る
一泊二日の「空旅short」、第3弾は広島地区としました。まずは初訪問となるかつての鎮守府所在地、今は自衛隊の地方総監部という重要な施設がある呉を「大和ミュージアム」を中心に歩き、続いてレンタカーを走らせ、大戦末期の大空襲で犠牲となった多くの軍艦が眠るその周辺の島々を訪問しました。翌日は久々の訪問となる広島市内や多くの観光客で賑わう宮島へ。かつて観光したことのあるこれらの地も既に10年以上ご無沙汰しており、ほぼ初訪問のような感じで回ることができ、色々新鮮な発見がありました。また、今回立ち飲み屋で地のものを食べるという新たな旅のスタイルを楽しむことができ、充実した旅をすることができました。<br /><br />日程は以下の通りです。<br /><br />1日目(10/6)羽田 ⇒ 広島・・・呉市内・・・倉橋島・江田島・・・広島・・・ホテル<br />2日目(10/7)ホテル・・・広島市内めぐり・・・宮島・・・岩国 ⇒ 羽田

空旅short (秋の安芸路は黒鉄の、鎮魂慰霊と牡蠣の味)呉・安芸群島・広島の旅【5】1日目⑤ 黙祷、軍艦最期の地碑めぐり(前編)

47いいね!

2023/10/06 - 2023/10/06

32位(同エリア163件中)

0

22

とーり

とーりさん

一泊二日の「空旅short」、第3弾は広島地区としました。まずは初訪問となるかつての鎮守府所在地、今は自衛隊の地方総監部という重要な施設がある呉を「大和ミュージアム」を中心に歩き、続いてレンタカーを走らせ、大戦末期の大空襲で犠牲となった多くの軍艦が眠るその周辺の島々を訪問しました。翌日は久々の訪問となる広島市内や多くの観光客で賑わう宮島へ。かつて観光したことのあるこれらの地も既に10年以上ご無沙汰しており、ほぼ初訪問のような感じで回ることができ、色々新鮮な発見がありました。また、今回立ち飲み屋で地のものを食べるという新たな旅のスタイルを楽しむことができ、充実した旅をすることができました。

日程は以下の通りです。

1日目(10/6)羽田 ⇒ 広島・・・呉市内・・・倉橋島・江田島・・・広島・・・ホテル
2日目(10/7)ホテル・・・広島市内めぐり・・・宮島・・・岩国 ⇒ 羽田

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
交通
4.5
同行者
一人旅
交通手段
レンタカー
旅行の手配内容
個別手配
  • さて、歴史の見える丘を見学し、次からはいよいよ軍艦最期の地碑めぐりです。この章をご紹介するにあたり、まず呉軍港空襲についてお話します。第二次世界大戦も押し詰まった昭和20(1945)年3月と7月に軍港であった呉は米軍の空襲を受けました。呉港を含む周辺の倉橋島、江田島・能美島海域にはレイテ沖海戦などを生き残った残存艦艇が多数停泊していましたが、燃料不足が深刻でもはや作戦行動可能な状態ではなく浮き砲台として泊っている、そんな状況下で空襲に見舞われました。3月の空襲の被害はそれほど大きくはなかったのですが、7月の空襲では各艦の奮戦虚しく軍港各地に停泊していた多くの艦船や周辺集落が甚大な損害を被りました。空襲で亡くなられた多くの英霊と周辺住民の方々のご冥福をお祈りいたします。ということで今回は「青葉」「伊勢・日向」「天城」「榛名・出雲」「大淀」「利根」の8艦6か所を訪問し慰霊しました。<br />(潜水艦桟橋14:30 ⇒ 14:35巡洋艦青葉終焉の地)

    さて、歴史の見える丘を見学し、次からはいよいよ軍艦最期の地碑めぐりです。この章をご紹介するにあたり、まず呉軍港空襲についてお話します。第二次世界大戦も押し詰まった昭和20(1945)年3月と7月に軍港であった呉は米軍の空襲を受けました。呉港を含む周辺の倉橋島、江田島・能美島海域にはレイテ沖海戦などを生き残った残存艦艇が多数停泊していましたが、燃料不足が深刻でもはや作戦行動可能な状態ではなく浮き砲台として泊っている、そんな状況下で空襲に見舞われました。3月の空襲の被害はそれほど大きくはなかったのですが、7月の空襲では各艦の奮戦虚しく軍港各地に停泊していた多くの艦船や周辺集落が甚大な損害を被りました。空襲で亡くなられた多くの英霊と周辺住民の方々のご冥福をお祈りいたします。ということで今回は「青葉」「伊勢・日向」「天城」「榛名・出雲」「大淀」「利根」の8艦6か所を訪問し慰霊しました。
    (潜水艦桟橋14:30 ⇒ 14:35巡洋艦青葉終焉の地)

  • まずは重巡「青葉」の「巡洋艦青葉終焉の地」碑です。倉橋島に渡る前、本州側にあります。

    まずは重巡「青葉」の「巡洋艦青葉終焉の地」碑です。倉橋島に渡る前、本州側にあります。

  • 立派な石碑にしっかりと「巡洋艦青葉終焉の地」と書いてあります。

    立派な石碑にしっかりと「巡洋艦青葉終焉の地」と書いてあります。

  • 「青葉」の略歴も記載してあります。

    「青葉」の略歴も記載してあります。

  • こちらが重巡「青葉」。青葉級重巡のネームシップです。太平洋戦争全般に活躍し、レイテ沖海戦参加直前米潜水艦の雷撃を受け大破しながらも最終的に呉に帰り付いて修理を待っていた中空襲に遭い、大破着底してしまいました。<br /><br />(Wikipediaより)

    こちらが重巡「青葉」。青葉級重巡のネームシップです。太平洋戦争全般に活躍し、レイテ沖海戦参加直前米潜水艦の雷撃を受け大破しながらも最終的に呉に帰り付いて修理を待っていた中空襲に遭い、大破着底してしまいました。

    (Wikipediaより)

  • 建碑記には「青葉」に乗艦していてその後首相となった中曽根康弘氏の揮毫をいただいたと記され、着底時の写真が併せて付せられています。

    建碑記には「青葉」に乗艦していてその後首相となった中曽根康弘氏の揮毫をいただいたと記され、着底時の写真が併せて付せられています。

  • さて次の碑に向かいます。<br />(巡洋艦青葉終焉の地14:37 ⇒ 14:47音戸大橋)

    さて次の碑に向かいます。
    (巡洋艦青葉終焉の地14:37 ⇒ 14:47音戸大橋)

  • 次の碑は本州から倉橋島へ渡ったところにあります。ということで本土と倉橋島を繋ぐ「音戸大橋」を渡ります。戦時中は当然橋などなく、狭い海峡ながら舟での行き来をしていたでしょうが、今ではこの音戸大橋だけでなく第二音戸大橋もできて利便性増大しています。<br />(音戸大橋14:47 ⇒ 14:50旧戦艦伊勢日向浮揚解撤記念碑)

    次の碑は本州から倉橋島へ渡ったところにあります。ということで本土と倉橋島を繋ぐ「音戸大橋」を渡ります。戦時中は当然橋などなく、狭い海峡ながら舟での行き来をしていたでしょうが、今ではこの音戸大橋だけでなく第二音戸大橋もできて利便性増大しています。
    (音戸大橋14:47 ⇒ 14:50旧戦艦伊勢日向浮揚解撤記念碑)

  • そして古い方の「音戸大橋」を渡って行った先、自治会館の裏手にあるのが「旧戦艦伊勢・日向浮揚解撤記念」碑です。浮揚解撤≒サルベージといったところで他の碑とは意味合いが異なり、両艦がこの付近に着底していたところではないかもしれませんがお参りします。

    そして古い方の「音戸大橋」を渡って行った先、自治会館の裏手にあるのが「旧戦艦伊勢・日向浮揚解撤記念」碑です。浮揚解撤≒サルベージといったところで他の碑とは意味合いが異なり、両艦がこの付近に着底していたところではないかもしれませんがお参りします。

  • 碑の後ろには観音菩薩が見守っています。

    碑の後ろには観音菩薩が見守っています。

  • こちらが戦艦「伊勢」。大戦後期には後方にあった主砲を撤去して飛行甲板に改装し、僚艦日向とともに航空戦艦となりましたが「航空」としての実績は積めぬまま運命の呉軍港空襲、猛攻を受け大破着底。この時昭和20年7月24日の空襲で「伊勢」が放った砲撃が日本海軍戦艦の最後の主砲射撃となりました。終戦後「伊勢」は一時期住宅としても利用されるなど数奇な運命を辿ったとのことです。<br />(Wikipediaより)

    こちらが戦艦「伊勢」。大戦後期には後方にあった主砲を撤去して飛行甲板に改装し、僚艦日向とともに航空戦艦となりましたが「航空」としての実績は積めぬまま運命の呉軍港空襲、猛攻を受け大破着底。この時昭和20年7月24日の空襲で「伊勢」が放った砲撃が日本海軍戦艦の最後の主砲射撃となりました。終戦後「伊勢」は一時期住宅としても利用されるなど数奇な運命を辿ったとのことです。
    (Wikipediaより)

  • こちらは「日向」。姉妹艦伊勢とともに行動することが多く、最期も同じ呉軍港空襲で大破着底ということになりました。<br /><br />(Wikipediaより)

    こちらは「日向」。姉妹艦伊勢とともに行動することが多く、最期も同じ呉軍港空襲で大破着底ということになりました。

    (Wikipediaより)

  • ちなみにバンダイネービーコレクションでの「伊勢」も持っていました。

    ちなみにバンダイネービーコレクションでの「伊勢」も持っていました。

  • ですがこのとおり、長きに渡る劣悪な保管環境の中で艦橋は吹っ飛んでしまっていました。

    ですがこのとおり、長きに渡る劣悪な保管環境の中で艦橋は吹っ飛んでしまっていました。

  • さて次に進みます。海が近く青いです。<br />(旧戦艦伊勢日向浮揚解撤記念碑14:52 ⇒ 14:56空母天城転覆の地(碑なし))

    さて次に進みます。海が近く青いです。
    (旧戦艦伊勢日向浮揚解撤記念碑14:52 ⇒ 14:56空母天城転覆の地(碑なし))

  • 少し行くとコンクリート船がちらりと見えました。5隻の漁船が集まっている向こう側です。コンクリート船とは、戦時中の金属不足の中考えだされた船でしたが実際活躍する間もなく終戦となってしまい、その後は沈設され埠頭として利用されているものもあり、こちらもそのひとつです。

    少し行くとコンクリート船がちらりと見えました。5隻の漁船が集まっている向こう側です。コンクリート船とは、戦時中の金属不足の中考えだされた船でしたが実際活躍する間もなく終戦となってしまい、その後は沈設され埠頭として利用されているものもあり、こちらもそのひとつです。

  • 続いて走って行くと海を隔てて小島が見えて来ます、「三ツ子島」です。

    続いて走って行くと海を隔てて小島が見えて来ます、「三ツ子島」です。

  • 一面真っ白。それもそのはず、現在は工業塩を貯蔵するために利用されていて白いのは塩だそうです。空襲時、ここに空母「天城」が碇泊されていましたが空襲により大破横転し、その写真は敗戦を印象付ける画となっています。ちなみに特に碑は無く、正確な場所は不明です。

    一面真っ白。それもそのはず、現在は工業塩を貯蔵するために利用されていて白いのは塩だそうです。空襲時、ここに空母「天城」が碇泊されていましたが空襲により大破横転し、その写真は敗戦を印象付ける画となっています。ちなみに特に碑は無く、正確な場所は不明です。

  • こちらが空母「天城」。雲龍型空母二番艦として就役したのが昭和19(1944)年夏。戦況の悪化により積む飛行機、動く燃料もままならないまま空襲を迎えました。<br /><br />(Wikipediaより)<br />

    こちらが空母「天城」。雲龍型空母二番艦として就役したのが昭和19(1944)年夏。戦況の悪化により積む飛行機、動く燃料もままならないまま空襲を迎えました。

    (Wikipediaより)

  • 三ツ子島を過ぎ、再び海は狭まってきます。<br />(空母天城転覆の地14:57 ⇒ 15:09早瀬大橋)

    三ツ子島を過ぎ、再び海は狭まってきます。
    (空母天城転覆の地14:57 ⇒ 15:09早瀬大橋)

  • そして見えました。倉橋島から能美・江田島へ渡る「早瀬大橋」です。

    そして見えました。倉橋島から能美・江田島へ渡る「早瀬大橋」です。

  • 音戸大橋と同じようにいったんぐるっと回って高度を稼ぎ、かなり高く上がってから海を越えます。海峡を通る船に配慮してのことでしょう。

    音戸大橋と同じようにいったんぐるっと回って高度を稼ぎ、かなり高く上がってから海を越えます。海峡を通る船に配慮してのことでしょう。

47いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

とーりさんの関連旅行記

とーりさんの旅行記一覧

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP