2024/11/02 - 2024/11/02
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黒田(温泉)さん
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2024年11月1日~2日の「静岡の旅」の2日目(その3)のレポートです。
今回は、2日の朝静岡市の「ネットカフェ」の宿を出発して、東海道本線で10駅西の「掛川駅」に向かいました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
◆写真は「JR掛川駅」
★「2日目」のコースタイム
◆06:00起床「快活クラブ静岡駅南口店」に前夜泊り。
◆06:30快活クラブ静岡駅南口店発
◆06:35静岡駅着
◆06:48静岡駅発
◆07:46掛川駅着
◆07:50掛川駅発
◆08:13掛川城着
----「掛川城跡」を見学
◆10:45掛川城、御殿見学終り
◆10:57掛川駅着
◆11:17掛川駅発 -
◆「掛川駅」から北へ歩くこと8分で、「掛川城」の建物が見えました!
◆掛川城は、次のような建て替えの歴史があります。
※室町時代:駿河の守護大名今川氏が、家臣の朝比奈泰凞に命じて築城されました。
※戦国時代:山内一豊が城主となり、天守閣や大手門を建設し、城下町の整備や大井川の治水工事などに力を注ぎました。
※1604年(慶長9年):大地震で一豊の天守が倒壊しました。
※1621年:家康の異父弟である松平(久松)定綱が再建しました。
※1854年(嘉永7年・安政元年):安政の大地震で天守閣など多くの建物が損壊、倒壊しました。
※1855年から1861年:31代城主太田資功によって御殿などが再建されましたが、天守閣は再建されませんでした。
※1994年(平成6年):山内一豊が転封した高知城と同じであったという記録をもとに、日本初の木造復元天守として再建されました。復元費用の大半は市民自らの寄付で賄われました。 -
◆「逆川」に架かる「緑橋」を渡ります! 08:02撮影
-
◆「掛川城」の「四足門」
「正保城絵図」に描かれていた四足門は現在の掛川城公園のメインの入口となっていますが、現地調査ではここに門の跡は見つけられなかったそうです。
【注】したがって、この「門」は推測の位置に近年構築! -
◆天守閣が大きく迫って来ました!
「東海の名城」といわれる美しい天守閣です。
白漆喰塗り籠めの真っ白な外容は京都聚楽第の建物に、また黒塗りの廻縁・高欄は大坂城天守にならったと考えられています。
天正18年(西暦1590年)、家康が領地を関東へ移したあとに建てられた天守です。 -
◆「掛川城」と「山之内一豊」
豊臣秀吉は、関東の家康を牽制するため東海道、中山道をはじめとする街道筋の要衝の城郭に、秀吉配下の武将を配置し、城郭整備をさせます。
掛川城には山内一豊が入城し、一豊は最新技術を導入し、石垣を築き、天守に代表される高層の瓦葺き建物を建て、近世掛川城の礎を築きました。
現在復元されている掛川城は、近世城郭として整備と拡張された17世紀中頃の様子がイメージされています。
◆千代は、山内一豊の正室で、本名は「千代」とも「まつ」ともいわれています。
千代は内助の功で夫を大名にまでのし上げました。
千代はへそくりを貯めて、夫のために名馬「鏡栗毛」を買わせました。 -
◆「掛川城公園」
※JR掛川駅から徒歩7分
※入場料 大人(高校生以上) 410円
小中学生 150円
※開館時間 9:00~17:00(入館は16:30まで)
※休館日 年中無休 -
◆「掛川城」の「券売場」で料金を払い、「天守閣」目指して歩きます!
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◆長い石段を登ります!
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◆「天守閣」が目の前に迫ります!
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◆「天守閣」の建物内で、「掛川三城ものがたり」のビデオを放映していました!
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/video/1201
※掛川市にある掛川城・高天神城・横須賀城は、戦国時代に今川・徳川・武田軍の武将たちが群雄割拠する拠点だった! -
◆第一城「掛川城」
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◆第二城「高天神城」
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◆第三城「横須賀城」
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◆「天守閣」の最上階の「展望楼」
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◆「天守閣」の最上階の「展望楼」からの眺め--その1
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◆「天守閣」の最上階の「展望楼」からの眺め--その2
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◆「天守閣」を見学した後、「掛川城二の丸御殿」に行きました。
※09:55着 -
◆「掛川城二の丸御殿」で、丁度「掛川城天守閣 木造復元の軌跡展」を開催していました!
※掛川城天守閣の開門30周年を記念し、
「掛川城天守閣 木造復元の軌跡展 ― 郷土史研究家・関七郎氏が見た 日本初の天守閣本格木造復元 ―」の展示を2024年8月10日(土)から11月28日(木)の期間に「掛川城二の丸御殿」にて開催されました!---ポスターより3日間期間短縮!
. -
◆「掛川城天守閣 木造復元の軌跡展」の写真--その1
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◆「掛川城天守閣 木造復元の軌跡展」の写真--その2
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◆「掛川城の天守閣復元」の功労者
白木ハナヱさんは、掛川城の天守閣復元のために5億円の寄付を申し出た人物です。
白木さんの寄付をきっかけに、平成4年に掛川城の復元再興事業が実現しました。 -
◆白木ハナヱさんと掛川城に関する新聞記事は、次のようなものがあります。
「90歳 白木ハナヱさんが建設費寄付」
白木ハナヱさんは、掛川城の天守閣の復元にあたって5億円の寄付を申し出ました。
この申し出を市は受け入れ、市民にも寄付を呼びかけたところ、総計2億1500万円の寄付が集まりました。
※掛川城の天守閣は、平成6年(1994年)に日本初の木造復元天守として再建されました。 -
◆「掛川城」の天守閣は、全国初の木造本格復元だった!
掛川城は平成2年(1990年)8月から復元工事が行われ、平成6年(1994年)4月に竣工、一般公開された。
【注】写真は、竣工記念での、「榛村市長」(中央)と「白木ハナヱさん」等。
戦後、復元された城は、ほぼすべて鉄筋コンクリート製という時代であった。
復元工事を議論する市議会全員協議会で当時市長の榛村氏は「本格的な木造天守閣の建設は全国でも初めてで、それだけに実施設計は難しく、工事費は鉄骨で行えば6億円位だが木造でやればその倍になる」と説明している。
鉄筋の道をとらず、木造復元を選択した理由は何か?
榛村氏は、「木の文化によるまちづくりの意義と効果」と題した文章の中で、木の文化、木造建築にこだわる理由として、自身が林業や森林組合長をやってきたこと、環境問題、木造建造物の教育的、精神的な側面の3点を上げ、こうした自身の理念を集約したものが掛川城の復元だったと明かしている。 -
◆「掛川城二の丸御殿」の周りには、「二の丸茶室」や「二の丸美術館」等があります!
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◆「二の丸茶室」の建物
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◆「掛川城」の見学を終え、「掛川駅」に向いました!
※10:45掛川城発 -
◆10:57掛川駅着
◆11:17掛川駅発
【注】「掛川城」の「四足門」を出た辺りから、雨足が早くなり、「掛川駅」に着いた時は本降りとなりました。それで、晴れていたら行く予定だった「金谷駅」周辺の「旧東海道金谷坂石畳」等の観光は取り止めにして、一路「浦和」に帰りました!
【注】「静岡の旅 」の前半はこちら!
・静岡の旅 2024年11月1日 (その1)
https://4travel.jp/travelogue/11940557
・静岡の旅 2024年11月1日 (その2)
https://4travel.jp/travelogue/11944422
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この旅行記へのコメント (1)
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- 風 魔さん 2025/02/02 22:31:48
- 掛川市の歴史の変遷について!
- ようこそ静岡へ
私は「静岡県の一人観光協会」を自認して、旅行記の訪問先には全て
行きました。
掛川市は横須賀街道の「三熊野神社の文化祭」が開催され、4月の祭礼
には、東京神田の三社祭礼と連携推進して、交流を図っています!
さらに県立高校には珍しく、部活動に「郷土芸能部」があり活発に活動
しています!
市民の郷土愛はつよく、東海道新幹線の新駅建設-掛川城の改装工事-
サッカーと陸上競技の「5万人以上収容のエコパ・スタジアム」の建設
など、市民が一致団結して新事業を支援推進してきました!
最近では、将棋の名人戦が開催され観光と食べ物が注目されました。
東名高速道で2時間以内と近いため、祭り~イベントなど見物によく
訪問します!
またの訪問と情報交換を!
風 魔
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