2023/09/25 - 2023/09/27
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今回も阪急交通社のツアーに参加しました。
<1日目>9/25(月)
自宅===静岡駅7:18→→→→9:51新大阪駅====伊丹空港====比叡山・延暦寺====白髭神社====17:30長浜市====ホテル(Hotel&Resorts NAGAHAMA泊)===
長浜城歴史博物館
<2日目>9/26(火)
ホテル8:20====黒壁スクエア====彦根城====日牟禮八幡宮………近江八幡散策====近江牛の夕食====18:30大津市(びわ湖大津プリンスホテル泊)
<3日目>9/27(水)
ホテル9:50……琵琶湖クルーズ====近江国一之宮・建部大社====近江神宮====天龍寺====嵐山自由散策====伊丹空港====新大阪駅17:54→→→→20:23静岡駅===自宅
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- ホテル
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 観光バス 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
9/25(月)
静岡から新幹線で新大阪駅に到着。
観光バスに乗って大阪空港に向かい、新潟からの参加者を迎えました。 -
比叡山延暦寺に向かいます。
-
788年に最澄が開創した天台宗の総本山である比叡山延暦寺に到着しました。
「延暦寺」とは、比叡山の山内にある1700ヘクタールの境内地に点在する約100ほどの堂宇の総称で、延暦寺という一棟の建造物があるわけではありません。
最初に眼にしたのは、山門史上最大の惨禍である織田勢による叡山焼討ちの犠牲者を追悼し、慰霊するための塚が築かれています。 -
寺院の建物を見るだけで、1000円も取るのか。
「地獄の沙汰も金次第」と言うしな。
山内は地域別に、東を「東塔(とうどう)」、西を「西塔(さいとう)」、北を「横川(よかわ)」の三つに区分されています。
これを三塔と言い、それぞれに本堂があります。
私達は「東塔」を見学しました。 -
延暦寺バスセンター側から入っていくと、正面に石碑が目に入ってきます。
石碑に刻まれている「照千一隅此則國賽」とは、最澄の教えで「一隅を照らす人こそが国宝である」、すなわち、「自分の役割をしっかりと全うする人こそが国宝である」の意味です。
この言葉は境内の至るところで見られます。 -
国指定の重要文化財である大講堂です。
824年に創建され、何度も焼失・復興を繰り返しており、現在の建物は1963年に山麓坂本の讃仏堂を移築したものです。
本尊は大日如来で、その左右には比叡山で修行した各宗派の宗祖の木像が祀られています。 -
東塔は延暦寺発祥の地であり、本堂にあたる根本中堂を中心とする区域です。
東塔の根本中堂は最大の仏堂であり、延暦寺の総本堂となります。
本尊は薬師如来です。 -
根本中堂では、2016年より約10年に及ぶ改修工事が実施中でした。
織田信長の焼き討ちにより焼失した後、寛永年間に、江戸幕府三代将軍・徳川家光の命で再建されたもので、屋根は一度すべてはがして葺き替え、朱塗り・漆塗りの塗り替えが行われています。 -
改修工事の様子が写真付きで説明されています。
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根本中堂内部は写真撮影禁止でした。
根本中堂の内陣では、1,200年灯し続ける灯明「不滅の法灯」を見ることができます。
燃料は菜種油で、油が切れると火が消えてしまうことから、「油断大敵」の語源にもなっています。
最澄が一乗止観院を建てた際、仏法がいつまでも守り伝えられることを願って灯した法灯です。 -
急な階段が迫ります。
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高い石段を登ると文殊楼があります。
延暦寺の山門にあたり、比叡山の総門の役目を果たす重要な楼門で、慈覚大師円仁が中国五台山の文殊菩薩堂に倣って創建したものです。
1668年に焼失、その後建てられたのが現建築です。
朱色に塗られた文殊楼には知恵の菩薩と言われている文殊菩薩が祀られており、受験生の合格祈願などに人気があります。 -
大黒堂は最澄が比叡山へ登った時、大黒天を見た地であり、日本の大黒天信仰の発祥地と言われています。
本尊の大黒天は、「三面出世大黒天」と言われ、大黒天と毘沙門と弁財天が一体になった姿をしています。 -
延暦寺東塔の萬拝堂(まんぱいどう)には千手千眼観世音菩薩が置かれていました
「萬拝堂」の堂内には、人間の煩悩の数と同じ108個の大きな数珠玉が並び、この玉を手で回しながらぐるりと一周すると、煩悩が消えるとされています。 -
大講堂の横にある鐘は、大晦日のNHK『ゆく年くる年』の中継にも登場します。
重さは4.5tもあり、朱色の鐘楼の中に柱がある珍しいつくりです。 -
延暦寺には宿泊や料亭、喫茶店や土産店などがある立派な延暦寺会館があります。
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琵琶湖沿いの道を北へ向かいます。
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白髭神社に到着しました。
周辺には多くの寺院があります。 -
古来波打ち際に鳥居が見え隠れしていたとか、天下異変の前兆として社前の湖中に石橋や鳥居が突然姿を現したとか言われる伝説の鳥居があります。
神秘的な鳥居が実際に建てられたのは1937年、大阪の薬問屋小西久兵衛氏の寄進によるもので、現鳥居は1981年にこれを建て替えたものです。 -
白鬚神社本殿は国の重要文化財(1938年指定)です。
豊臣秀吉の遺命を受け、秀頼公の寄進により1603年に建立。
本殿は檜皮葺きで入母屋造り。
桃山時代特有の建築で、片桐且元書の棟札も残されています。
屋根続きですが、前の拝殿は1879年の建築です。 -
岩戸社は、境内の一番上手にある石室(古墳)の前に社を建て、天の岩戸として奉祀したものです。
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白鬚神社末社若宮神社(右下)と上の宮。
上の宮とは、本殿後ろの石段上にあるお社を総称する名前で、伊勢両宮(天照皇大神宮・豊受大神宮)・八幡三社(加茂・八幡・高良)・天満神社・波除稲荷社・岩戸社と、寿老神社・弁財天社の10柱のお社です。 -
1日目の宿、Hotel&Resorts NAGAHAMAに到着しました。
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部屋はシンプルですが、かなり広くて、快適でした。
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部屋の窓からは琵琶湖が眺められます。
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一旦、ホテルの部屋に荷物を置いて、近くの長浜城歴史博物館へ出かけました。
琵琶湖の湖面が輝いていました。 -
琵琶湖周辺が夕日に包まれました。
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長浜城歴史博物館はホテルのすぐ近くにあります。
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周囲一帯は豊公園となっていて、様々な施設があります。
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長浜歴史博物館は、豊臣秀吉が築いた長浜城内部にある、湖北・長浜の歴史と文化を展示した博物館です。
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しかし、博物館は営業時間を過ぎていました。
仕方がないので、ホテルに戻ります。 -
ホテルでバイキングの夕食です。
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9/26(火)
早朝、部屋の窓から見る琵琶湖の様子。
残念ながら、雲が多いです。 -
バイキングの朝食。
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北国街道(ほっこくかいどう)は、江戸時代に整備された脇街道の一つで、中山道追分宿から分岐し、善光寺を経て新潟県の高田に至る道です。
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北国街道沿いに続く古い街並の一角にある総称「黒壁スクエア」。
黒壁ガラス本館前には北国街道の道標があります。
明治時代から黒壁銀行の愛称で親しまれた古い銀行を改装した「黒壁ガラス館」を中心に、ガラスショップや工房、ギャラリー、体験教室、レストランやカフェなど魅力あふれる店が、古い街並の中に点在しています。 -
黒壁一號館 黒壁ガラス館。
1900年に銀行として建てられた木造洋館が、1989年黒壁ガラス館として生まれ変わりました。
ガラスやオルゴールのお買物、気軽に参加できる制作体験が楽しめるそうです。 -
黒壁5號館 黒壁AMISU。
AMI SU(あみす)とは、見立てという意味です。
滋賀特有の歴史、風土、文化に根ざした「ホンモノ」のモノづくりをしている職人の技灯に焦点をあてたお店です。 -
安藤家は、室町時代からこの長浜に移り住んだ旧家で、明治以降は、近江商人との婚姻関係から自らも商人となり、呉服問屋として事業を展開。
東北地方を商圏に産物の交流につとめ、その後福島県を拠点とする百貨店・中合を開業しました。
現在の建物は明治38年から大正4年にかけて建てられたもので、虫籠窓、紅殻格子などが施されたしつらいは、長浜を代表する近代和風建築となっています。 -
安藤家は北大路魯山人が手掛けた装飾美でも知られています。
安藤家創業の呉服商で使われた九尺の一枚板に彫られた篆刻看板、安藤家離れの「小蘭亭」に残る天井絵・篆刻 額・篆刻扉・襖・障子・地袋など、魯山人の大胆かつ精緻な芸術性に触れることができます。 -
三階建ての上に八角形の櫓をのせたユニークなデザインの旧開智学校。
1874年に町民の寄付によって神戸町(現在の元浜町の一部)に建てられた、現在の長浜小学校の前身となる洋風の木造校舎の建物です。
建造以降、幼稚園・高等女学校などとして使われ、1937年には現在地に移転し、様々な業種に利用されましたが、2000年撤去されていた櫓なども復原し再び甦りました。 -
翼果楼 (よかろう)は長浜の郷土料理焼き鯖そうめん. 長浜郷土料理が食べられる古民家をそのまま利用した風情ある店です。
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曳山博物館は「長浜曳山祭」を紹介する博物館です。
2000年に開館し、長浜曳山祭について学べる長浜の名所となっています。
祭りに出る豪華絢爛な本物の曳山の展示や、曳山を生んだ長浜の歴史や美術を紹介する企画展を通じ「長浜曳山祭」の魅力を発信しています。 -
曳山博物館は、これまで受け継いできた曳山の装飾などの伝統工芸が途絶えてしまわないよう、曳山の修理施設である修理ドックを備え、有形文化財である長浜をはじめとする各地の山車の修復を行っています。
また、長浜曳山祭や各地のお祭りで活躍する振付(演出家)や義太夫、三味線奏者を養成する「三役修業塾」を開講し、無形文化財の伝承にも努めています。 -
長浜大手門通り商店街のアーケード東端・金屋公園横の南北通りが、長浜御坊表参道です。
大通寺に住むという「お花きつね」の話にちなんだオブジェがありました。 -
ながはま御坊表参道を大通寺に向かって歩いていきます。
奥には山門がそびえ、その周辺には昔ながらの町並みが保存されています。 -
大通寺(長浜御坊)は真宗大谷派(東本願寺)の別院です。
正式には無礙智山(むげちざん)大通寺といいますが、一般に「長浜御坊」の名で呼ばれています。 -
重要文化財に指定されている、伏見城の遺構と伝わる本堂や大広間などの建造物をはじめ、室内の障壁画や工芸など、絢爛豪華な桃山文化を垣間見ることができます。
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長浜城主豊臣秀吉公を祀る豊国神社。
お社には、秀吉公と共に恵比須様が祀られ、毎年1月十日戎で賑わいます。 -
境内右隣にある出世稲荷神社。
建築は近代様式で、周囲に敷石の回廊を有し、「お百度めぐり祈願」の様式をそなえています。 -
豊国神社社殿は江戸時代中期の建造物です。
向拝は檜皮葺き唐破風づくりで、拝殿屋根組みは千鳥破風桟瓦葺き。
神殿は神明造りで千北・勝男木(鰹木)を置き銅板葺きです。 -
現存天守12城のひとつで、姫路城・松本城・松山城・犬山城とならび、国宝5城にも数えられている彦根城に到着しました。
初代彦根藩主・井伊直政は、防御と水運の両面に優れた琵琶湖沿いに「新しい城を作る」と決意するものの、関ヶ原の戦いから2年で生涯を閉じてしまいます。
その後、父の遺志を継いだ息子たちが築城を続け、約20年かけた1622年、ついに完成したのが彦根城です。
長い石段を登っていきます。 -
太鼓門櫓(たいこもんやぐら)及び続櫓(重要文化財)まで登ってきました。
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井伊家のシンボル赤備え(あかぞなえ)の甲冑が展示されていました。
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「時報鐘」や「太鼓門櫓」を通りすぎると、ようやく天守閣に到着。
天守は3階3重の屋根で、「切妻破風」「入母屋破風」「唐破風」を配しています。
石垣は、江戸時代初期に多く用いられた牛蒡(ごぼう)積みで、高さがあって、守りの堅固さを感じさせます
2階と3階には「花頭窓(かとうまど)」、3階には高欄付きの「廻縁(まわりえん)」を巡らせるなど変化に富んだ美しい姿を見せています。 -
脇にある入口から、彦根城天守の中へ靴を脱いで入ります。
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上の階へ行くためには、急急な階段(最大なんと62度)を上る必要があります。
手すりを頼りに、反り立つ階段を一段一段、前進します。
階段の傾斜はきついですが、今は手すりが設置されています。
こんな急勾配の階段がある場所に、殿様は一度も住んだことはなく、江戸時代は、おもに甲冑や具足の倉庫として使われていたそうです。 -
外部から見えない、外側に壁をはめた「隠し狭間」がたくさん見られます。
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彦根城天守は、滋賀県大津市にあった「大津城」の部材を用いて作られた、リサイクル城でした。
五層だった大津城を解体して、三層構造の彦根城へと姿を変えました。 -
国宝の天守3階からの眺め。
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遠くに琵琶湖が見えています。
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手前に彦根城博物館(冠木門)が見えます。
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佐和口多聞櫓を再現した開国記念館が見えています。
現在は彦根城に関する展示施設となっています。 -
井伊家のシンボル赤備え(あかぞなえ)の甲冑。
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天秤櫓(てんびんやぐら)へ入場します。
左右対称な建物で、天秤のような形をしているところから天秤櫓と呼ばれています。 日本の城郭でこの形式のものは彦根城だけです。 -
防御性が高いと言われる彦根城だが、その要の天秤櫓には格子窓はあるものの、何故か矢狭間や鉄砲狭間がありません。
また天守を含む各櫓に、近代城郭ではよく目にする石落しも見当たりません。
格子窓はその格子に当時の火縄銃をかまえるのに適度な広さがあり斜角は110度あり橋の下に隠れることもできません。 -
彦根城にまつわる歴史的資料が展示されている彦根城博物館がありました。
江戸時代の彦根藩の政庁であった表御殿を復元したものです。 -
井伊家に伝わる甲冑・刀剣、能道具・茶道具や調度品のほか、古文書等を展示しています。
写真は「朱漆塗紺糸威桶側二枚胴具足」。初代井伊直政所用と伝わる具足です。
金色に輝く天衝(てんつき)は自己の高揚を図り、武勇を誇示するものでした。 -
奥向きに面して造られた庭園は、発掘調査で発見されたもので古絵図に描かれた樹木・灯籠・手洗鉢(ちょうずばち)なども再現しています。
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御亭(おちん)は藩主がゆっくり寛ぐ場所です。
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風俗図(彦根屏風)国宝。
彦根藩主井伊家に伝えられた「彦根屏風」で、制作は寛永年間(1624~44)とされ、当時の都の遊里の様子を描いたものと推定されています。 -
井伊の赤備えをイメージしてラッピングされたEVがありました。
井伊の赤備え車は下部を黒、上部を黒にし、正面に国宝彦根城のロゴを入れ、ドアミラーを金色にしたEVです。 -
栗りん 彦根店でモンブランソフトを食べながら休憩です。
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近江八幡を散策します。
近江八幡のシンボルとして親しまれる、日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)。
商売繁盛や厄除けのご利益があるとされ、多くの参拝客が訪れます。
八幡山のふもとに建ち、約4万4000平方メートルの神域を誇る古社です。
「左義長まつり」と「八幡まつり」は滋賀県を代表する勇壮・華麗な火祭り神事としてよく知られています。 -
拝殿 木造入母屋造。
鎌倉時代の初期、文治三年 (1188年) 源頼朝公が近江の守護職、佐々木六角に命じて造営しました。 -
本殿 木造三間社流造千鳥破風向拝付。
八幡大神を奉斎した建物で正暦二年(991年)勅願により宇佐の神を勧請して創建されました。 -
日牟禮八幡宮には、大島神社、岩戸神社、天満宮、宮比・子安神社、常盤神社、繁元稲荷、八坂神社、恵比須神社、愛宕神社・秋葉神社など、多くの末社があります。
写真は、天満宮です。 -
日牟禮八幡宮の楼門(隋神門)です。
延文4年(1359)の建立、一度焼失しましたが安政2年(1855)に再建されました。
四方猿の御門とも称されます。 -
県指定文化財の西川庄六邸。
主屋は天明5年 (1785) 頃に建築されました。
西川利右衛門家の分家で、利右衛門家と同じく江戸に出店を持つ八幡商人です。
建物は非公開でした。 -
旧伴家住宅は、江戸時代初期の豪商「伴庄右衛門」が1827年より十数年をかけて本家として建てた商家です。
明治時代になって当時の八幡町に譲渡してから小学校・女学校と変遷しました。
戦後は近江兄弟社図書館として使用され、後に近江八幡市立図書館となり、その後の整備事業を経て、現在は旧伴家住宅として公開されています。 -
2階の45畳の大広間です。
柱や梁も太く、窓の上部を支える梁は7間半(12.6m)もあります。 -
毎年3月に開催の左義長まつりで制作されるダシを展示しています。
ダシは全て食べ物で構成されているそうです。 -
旧伴家住宅は七代目の能尹(よしただ)が、江戸時代後期に十数年をかけて建築したと言われています。
当時としては珍しい、三階建ての規模の大きい建物で地震に堪えうる堅固な建物を目指して建てたという記録が残っています。
正面からみると二階建てに見えましたが、駐車場側から見ると三階建てというのが分かります。 -
滋賀県大津市にある「建部大社(たけべたいしゃ)」は、勝負運・出世運のご利益があるパワースポットとして知られています。
近江の国(滋賀県)を守護とする神として崇敬を集める近江国一之宮 建部大社。
御祭神は記紀神話伝説の英雄として名高い日本武尊。
境内地と神域の境いを示しているのがこの神門です。 -
1945年、日本で初の千円紙幣に「日本武尊」と「建部大社本殿」が描かれ「幻の千円札」と言われてるそうです。
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「君が代」に詠まれている「さざれ石」は、小さな石の意味であり、永い年月をかけて石灰岩が溶けて凝固し、大きな巌の様になったものです。
この「巌となったさざれ石」は神聖な力により作られたと信じられ、神霊の宿る石として繁栄の象徴とされています。 -
菊花石。
菊紋といえば八重菊を家紋にしたものが、天皇家の紋として知られています。
菊の模様が自然石から放射状にのび、出来たものが菊花石です。 -
拝殿は天武天皇の御代(675年)今から約1300年程前に、この瀬田の地へと遷され近江国を守護する神社として大切に守られてきました。
手前には孝徳天皇が(755年)大己貴命を権殿へと奉祀された際、一夜にして成長したと伝わる御神木の三本杉があります。 -
正面左側が本殿 日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀り、右側は大己貴命(おおなむちのみこと)を祀る権殿(ごんでん)です。
周囲を囲ってあるので、壁の隙間から覗くしかありません。 -
大野神社は建部大社がこの瀬田の地へと遷される以前、この地域の地主神として祀られていた神社です。
祭神 草野姫命(かやのひめのみこと)が祀られています。 -
神門を出て夕食場所に向かいました。
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洗心寮という店で夕食です。
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近江を代表するおばんざい8品と近江牛鍋の夕食。
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18:30頃、びわ湖大津プリンスホテルに到着。
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9/27(水) 最終日です。
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朝、びわ湖大津プリンスホテルの周りを歩いてみました。。
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隣に、びわ湖大津プリンスホテル住宅博会場があいます。
国内唯一のホテル一体型住宅展示場だそうです。 -
周囲約235km、面積約670k㎡と日本一大きな湖「びわ湖」。
びわ湖全域で観光船を運航する琵琶湖汽船の外輪船「ミシガン」でびわ湖クルーズに出発します。 -
陽気なミシガンパーサーが観光案内や音楽ライブで、船旅を盛り上げてくれます。
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ミシガンにあるスカイデッキからは360°のパノラマビューでびわ湖を一望できます。びわ湖を取り囲む、比叡山や比良山・三上山など自然の風景を堪能します。
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クルーズを終え再び大津港へ。
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近江神宮を観光します。
手水舎を過ぎると朱塗りの楼門が見えてきます。 -
時計館宝物館と日時計。
和時計をはじめ古今東西の時計、また宝物館には奉納された絵画などが展示されています。 -
外拝殿
楼門をくぐると巨大な外拝殿が圧倒します。 -
外拝殿の拝所から正面に見えるのが祭典や祈祷の行われる内拝殿です。
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栖松遙拝殿(せいしょうようはいでん)。
有栖川宮家の「栖」高松宮家の「松」をとって名付けられました。
かつて高松宮家の邸内社・御霊殿として有栖川宮家の御霊を祀っていた建物です。
高松宮家廃止にともない、平成18年近江神宮に移築されました。 -
朱塗りの楼門をくぐって退出します。
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京都屈指の観光地・嵯峨嵐山にある臨済宗の禅刹「天龍寺」にやってきました。
1339年に室町幕府・初代将軍「足利尊氏」が後醍醐天皇を弔うために創建し、禅僧・夢窓疎石(むそうそせき)が開山した禅寺です。
1899年建立の庫裏は七堂伽藍の一つで台所兼寺務所の機能を持っています。
方丈や客殿と棟続きで、切妻造の屋根下の大きな三角形の壁を正面に見せています。
白壁を縦横に区切り、曲線の梁を用いるなど装飾性を出した建物で天龍寺景観の象徴ともなっています。 -
庫裏の玄関正面の衝立に描かれた「達磨図」は、禅宗の開祖・達磨大師をモチーフにしています。
達磨図は前管長である平田精耕老師の筆によるものだそうです。 -
1345年に完成した天龍寺は、禅寺のなかでも格の高い位置に君臨しました。
その後に幾度となく火災や応仁の乱の被害に遭った結果、境内はかつての10分の1ほどになっています。
渡り廊下も火災の後再建されたものです。 -
天龍寺 枯山水の庭。
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曹源池庭園(そうげんちていえん)。
禅庭・枯山水は夢窓疎石が完成させたとして名をはせ、天龍寺庭園は「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されています。
約700年前の作庭当時の面影をとどめており、わが国最初の史跡・特別名勝指定。
中央の曹源池を巡る池泉回遊式庭園で、大堰川を隔てた嵐山や庭園西に位置する亀山を取り込んだ借景式庭園でもあります。 -
龍が描かれたガラスかな?
法堂天井に描かれた八方睨みの龍、雲龍図は見れませんでした。 -
天龍寺から退出します。
-
嵐山竹林の小径を通って桂川へ向かいました。
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桂川に出ました。
集合場所へ急ぎます。 -
渡月橋は平安時代の9世紀前半に架けられた橋で、流出するたび、架け直されました。
鎌倉時代の亀山上皇が橋の上を月が渡るように移動していったことからこの名がつけられたといわれています。
何とか、集合場所にたどり着きました。 -
新大阪駅で軽く食事をとり、新幹線で静岡まで帰りました。
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