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江戸幕府を開いた徳川家康というと江戸在住のイメージが強いかもしれませんが、生涯で最も長い期間過ごしたのは現静岡市の駿府なんですね。<br /><br />ということで静岡市を訪問して将軍引退後の大御所時代を過ごした駿府城の跡と、家康が元服をおこなった静岡浅間神社を訪問しました。<br /><br />静岡ならではの激ウマな食事スポットも紹介しているので、訪問の際には参考にしてみて下さい。<br /><br />

静岡の徳川家康ゆかり地めぐり ~大御所時代を過ごした「駿府城」・元服式をした「静岡浅間神社」~

18いいね!

2023/03/18 - 2023/03/18

633位(同エリア1651件中)

やまたま

やまたまさん

この旅行記スケジュールを元に

江戸幕府を開いた徳川家康というと江戸在住のイメージが強いかもしれませんが、生涯で最も長い期間過ごしたのは現静岡市の駿府なんですね。

ということで静岡市を訪問して将軍引退後の大御所時代を過ごした駿府城の跡と、家康が元服をおこなった静岡浅間神社を訪問しました。

静岡ならではの激ウマな食事スポットも紹介しているので、訪問の際には参考にしてみて下さい。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
グルメ
4.5
交通
4.0
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
新幹線 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 本日は新幹線でJR静岡駅にアクセス。<br />静岡駅は初めて降りましたが、県庁所在地でさらに政令指定都市である静岡市の玄関口だけあって、駅前は新しく綺麗な街並みですね。<br /><br />本日は終日雨模様なのが残念。<br /><br />

    本日は新幹線でJR静岡駅にアクセス。
    静岡駅は初めて降りましたが、県庁所在地でさらに政令指定都市である静岡市の玄関口だけあって、駅前は新しく綺麗な街並みですね。

    本日は終日雨模様なのが残念。

    静岡駅

  • 海のある街に来たならやはり美味しい魚が食べたい!が目的の一つでした。<br />ということで、こちらの地元の人気店「まぐろ丼専門店・焼津港みなみ」に直行!<br /><br />開店前に並んだので待たずに入店出来ましたが、食事が終わり店を出ると写真のような行列ができていました。<br /><br />

    海のある街に来たならやはり美味しい魚が食べたい!が目的の一つでした。
    ということで、こちらの地元の人気店「まぐろ丼専門店・焼津港みなみ」に直行!

    開店前に並んだので待たずに入店出来ましたが、食事が終わり店を出ると写真のような行列ができていました。

    焼津港 みなみ グルメ・レストラン

  • 昼はまぐろ丼専門で、夜は刺身を肴にお酒も楽しめるお店とのこと。<br />市内に他2店の舗姉妹店がありますが、こちらは駿府城公園に向かう途中に立寄りやすい場所でした。

    昼はまぐろ丼専門で、夜は刺身を肴にお酒も楽しめるお店とのこと。
    市内に他2店の舗姉妹店がありますが、こちらは駿府城公園に向かう途中に立寄りやすい場所でした。

  • 注文したのは「天然南まぐろ三昧丼」。<br />いや~、美味いですねぇ。自分史上、一番美味しいまぐろ丼だった。<br />ネットリととろけるような食感にウットリだわ。ごちそう様!<br /><br />食欲が満たされたのち、駿府城公園に向かいます。

    イチオシ

    注文したのは「天然南まぐろ三昧丼」。
    いや~、美味いですねぇ。自分史上、一番美味しいまぐろ丼だった。
    ネットリととろけるような食感にウットリだわ。ごちそう様!

    食欲が満たされたのち、駿府城公園に向かいます。

  • お~、この辺りですね。水堀越しに石垣が見え、城跡らしい佇まいが現れてきました。<br />二ノ丸周囲を囲む堀の形状が良く残っていますね。<br /><br />かつての本丸・二ノ丸跡が、現在は「駿府城公園」として整備されています。<br />静岡駅からの距離は2km程でした。<br /><br />ちなみに堀の外側は旧三ノ丸にあたり、静岡県庁をはじめ官庁や学校が立つエリアになっています。

    お~、この辺りですね。水堀越しに石垣が見え、城跡らしい佇まいが現れてきました。
    二ノ丸周囲を囲む堀の形状が良く残っていますね。

    かつての本丸・二ノ丸跡が、現在は「駿府城公園」として整備されています。
    静岡駅からの距離は2km程でした。

    ちなみに堀の外側は旧三ノ丸にあたり、静岡県庁をはじめ官庁や学校が立つエリアになっています。

  • 二ノ丸南東に復元された「東御門」は、駿府城跡のシンボル的な建物です。<br />堀には雰囲気のある木橋が架かり、この辺りが公園内で最も”お城然”とした佇まいが感じられる景観ですね。<br /><br />

    イチオシ

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    二ノ丸南東に復元された「東御門」は、駿府城跡のシンボル的な建物です。
    堀には雰囲気のある木橋が架かり、この辺りが公園内で最も”お城然”とした佇まいが感じられる景観ですね。

    駿府城公園 (駿府城址、紅葉山庭園) 公園・植物園

  • 東御門の正面。<br />右手の櫓は東御門の渡り櫓で、左手が巽櫓(たつみやぐら)です。<br />

    東御門の正面。
    右手の櫓は東御門の渡り櫓で、左手が巽櫓(たつみやぐら)です。

  • 駿府城が最初に築城されたのは天正13年(1585年)で、駿府周辺5カ国の大名となった徳川家康が居城として築きました。<br /><br />築城後直ぐに(嫌がらせのように。。。)、豊臣秀吉は家康に関東への国替えを命じます。力を付けた家康を脅威と考えた秀吉が左遷させた、というのが通説ですよね。<br />しかし秀吉の目論見に反して、この後、家康は天下統一して江戸に幕府を開きます。<br /><br />そして最初に駿府城を築城した約20年後の慶長12年(1607年)、将軍職を退いた家康は再び駿府に戻ったんですね。<br />天下普請による工事を命じ、5重(又は6重)7階建ての天守を持つ新駿府城へと拡張しました。やはりこの地には未練があったのかも。。。

    駿府城が最初に築城されたのは天正13年(1585年)で、駿府周辺5カ国の大名となった徳川家康が居城として築きました。

    築城後直ぐに(嫌がらせのように。。。)、豊臣秀吉は家康に関東への国替えを命じます。力を付けた家康を脅威と考えた秀吉が左遷させた、というのが通説ですよね。
    しかし秀吉の目論見に反して、この後、家康は天下統一して江戸に幕府を開きます。

    そして最初に駿府城を築城した約20年後の慶長12年(1607年)、将軍職を退いた家康は再び駿府に戻ったんですね。
    天下普請による工事を命じ、5重(又は6重)7階建ての天守を持つ新駿府城へと拡張しました。やはりこの地には未練があったのかも。。。

  • 平成8年に復元された東御門は、当時は主に重臣たちの出入り口として利用されたとのこと。<br /><br />橋の先にある高麗門を抜けると、周囲を石垣と櫓に囲まれた四角い空間に入る。<br />これは「枡形門」と呼ばれ、直進を石垣で阻まれたところを周囲から狙い討つという防御の形態になります。

    平成8年に復元された東御門は、当時は主に重臣たちの出入り口として利用されたとのこと。

    橋の先にある高麗門を抜けると、周囲を石垣と櫓に囲まれた四角い空間に入る。
    これは「枡形門」と呼ばれ、直進を石垣で阻まれたところを周囲から狙い討つという防御の形態になります。

  • 元々は慶長期に天守と同時期に築造された門でしたが、寛永12年(1635年)の大火で天守ともども焼失。その後の寛永15年に再建されました。<br /><br />現在の建築物は、その寛永期に再建された門が復元されています。<br />太い柱を持った堅牢な造りで、ガシッとした威圧感を感じます。

    元々は慶長期に天守と同時期に築造された門でしたが、寛永12年(1635年)の大火で天守ともども焼失。その後の寛永15年に再建されました。

    現在の建築物は、その寛永期に再建された門が復元されています。
    太い柱を持った堅牢な造りで、ガシッとした威圧感を感じます。

  • 東御門の櫓部分から巽櫓までは内部で繋がっており、中は資料展示室として公開されています。<br /><br />駿府城の予備知識を得るために、加えて本降りになってきたので雨宿を兼ねて(苦笑)、入場料を払って東御門に入場。

    東御門の櫓部分から巽櫓までは内部で繋がっており、中は資料展示室として公開されています。

    駿府城の予備知識を得るために、加えて本降りになってきたので雨宿を兼ねて(苦笑)、入場料を払って東御門に入場。

  • あれ?櫓の中ってこんなに広いんだっけ?と思うほど広々していました。<br />築城にまつわる説明資料などの展示物も充実しています。<br /><br />入口には日本100名城スタンプが設置され、巽櫓内の一番奥まった場所には御城印や記念品を扱う売店もありました。

    あれ?櫓の中ってこんなに広いんだっけ?と思うほど広々していました。
    築城にまつわる説明資料などの展示物も充実しています。

    入口には日本100名城スタンプが設置され、巽櫓内の一番奥まった場所には御城印や記念品を扱う売店もありました。

  • 東御門の上に載っていたと思われる青銅のシャチ。<br />二ノ丸堀の中から発見されたそうだが、こんなに綺麗な状態で残っていたのはラッキーですね!

    東御門の上に載っていたと思われる青銅のシャチ。
    二ノ丸堀の中から発見されたそうだが、こんなに綺麗な状態で残っていたのはラッキーですね!

  • 家康が大御所時代の駿府城のジオラマ模型。<br /><br />中心に置かれた本丸を二ノ丸が囲み、更にその外側を三ノ丸が囲む配置の輪郭式の平城です。本丸には御殿が広がり、その北西隅に天守台が見えます。<br /><br />各曲輪の外側に内堀・中堀・外堀とそれぞれ3つの堀が配されており、まさに堀だくさんな縄張りだったようですね。

    家康が大御所時代の駿府城のジオラマ模型。

    中心に置かれた本丸を二ノ丸が囲み、更にその外側を三ノ丸が囲む配置の輪郭式の平城です。本丸には御殿が広がり、その北西隅に天守台が見えます。

    各曲輪の外側に内堀・中堀・外堀とそれぞれ3つの堀が配されており、まさに堀だくさんな縄張りだったようですね。

  • 駿府城跡で今一番注目されているのが、本丸の発掘現場です。<br />天守台跡地の再整備方針を決める目的で発掘調査がおこなわれていますが、こちらはそのジオラマ模型。<br /><br />実はこの発掘中に天守台の内側から、慶長時代のものとは異なる石垣が発見されたんですね。これは天正時代に家康が築いた時の天守台跡と見られています。<br /><br />この想定外の発見には歴史ロマンを感じますねえ。

    駿府城跡で今一番注目されているのが、本丸の発掘現場です。
    天守台跡地の再整備方針を決める目的で発掘調査がおこなわれていますが、こちらはそのジオラマ模型。

    実はこの発掘中に天守台の内側から、慶長時代のものとは異なる石垣が発見されたんですね。これは天正時代に家康が築いた時の天守台跡と見られています。

    この想定外の発見には歴史ロマンを感じますねえ。

  • 天正期の天守台跡からは、その時期一部の豊臣方の城で使われていた金箔瓦が大量に出土されています。

    天正期の天守台跡からは、その時期一部の豊臣方の城で使われていた金箔瓦が大量に出土されています。

  • こちらは竹千代手習いの間の復元。松平竹千代は家康の幼名です。<br /><br />家康は今川義元の人質だった間、今川家軍師の臨済寺住職・雪斎和尚から学問を学んだと伝わります。<br />集中できそうな部屋ですが、人質だったとことを考えると息が詰まりそうな気も。。。<br /><br />東御門に隣接して「紅葉山庭園」があるので(有料)、紅葉の季節に立ち寄ると良さそうです。

    こちらは竹千代手習いの間の復元。松平竹千代は家康の幼名です。

    家康は今川義元の人質だった間、今川家軍師の臨済寺住職・雪斎和尚から学問を学んだと伝わります。
    集中できそうな部屋ですが、人質だったとことを考えると息が詰まりそうな気も。。。

    東御門に隣接して「紅葉山庭園」があるので(有料)、紅葉の季節に立ち寄ると良さそうです。

  • 東御門内の見学後は、再び雨中の野外見学へ。<br /><br />公園の中央部には芝生広場や児童広場があり、市民の憩いの場になっています。天気の良い日の散策は気持ち良さそうですね。<br /><br />4月の桜をはじめ、四季折々の花も楽しめます。

    東御門内の見学後は、再び雨中の野外見学へ。

    公園の中央部には芝生広場や児童広場があり、市民の憩いの場になっています。天気の良い日の散策は気持ち良さそうですね。

    4月の桜をはじめ、四季折々の花も楽しめます。

  • 本丸を囲っていた本丸堀(内堀)は埋められていますが、調査時に発見された遺構の一部を公開。<br />堀の幅は約23~30mで、深さは約5mの規模だったといいます。

    本丸を囲っていた本丸堀(内堀)は埋められていますが、調査時に発見された遺構の一部を公開。
    堀の幅は約23~30mで、深さは約5mの規模だったといいます。

  • 実物の石垣石による石垣の構造解説。<br /><br />大きな石垣石の裏手には裏込め栗石と呼ばれる小さめの石が詰まれ、水捌けに配慮がされています。

    実物の石垣石による石垣の構造解説。

    大きな石垣石の裏手には裏込め栗石と呼ばれる小さめの石が詰まれ、水捌けに配慮がされています。

  • そしていよいよ本丸エリアへ。<br /><br />大御所時代の鷹狩の姿を現した、徳川家康の銅像とご対面。<br />晩年の姿の像で、恰幅も良く貫録がありますなぁ~。<br /><br />徳川家康の江戸暮らしは、江戸城入城後から将軍職を退くまでの約15年間。対して駿府で暮らしたのは延べ25年間で、江戸在住期間より長かったんですね。<br /><br />75歳まで生きた家康は、当時としてはかなりの長寿。<br />大坂夏の陣では、74歳にして甲冑を付けて戦場にも出てますからねぇ。驚くべき気力・体力の持ち主だったといえそうです。<br /><br />銅像からも伺えるように、鷹狩が好きで晩年も頻繁に出かけました。これは健康法の一つとして実践していた、というのもなるほど頷けますわ。

    イチオシ

    そしていよいよ本丸エリアへ。

    大御所時代の鷹狩の姿を現した、徳川家康の銅像とご対面。
    晩年の姿の像で、恰幅も良く貫録がありますなぁ~。

    徳川家康の江戸暮らしは、江戸城入城後から将軍職を退くまでの約15年間。対して駿府で暮らしたのは延べ25年間で、江戸在住期間より長かったんですね。

    75歳まで生きた家康は、当時としてはかなりの長寿。
    大坂夏の陣では、74歳にして甲冑を付けて戦場にも出てますからねぇ。驚くべき気力・体力の持ち主だったといえそうです。

    銅像からも伺えるように、鷹狩が好きで晩年も頻繁に出かけました。これは健康法の一つとして実践していた、というのもなるほど頷けますわ。

  • 家康像の傍には「家康公手植えのミカン」の木。<br />紀州より贈られた木を家康自ら移植したものと伝わる、県指定の天然記念物です。<br /><br />静岡県は全国有数のみかん産地として知られますが、栽培が始まったのもその頃だったとのこと。

    家康像の傍には「家康公手植えのミカン」の木。
    紀州より贈られた木を家康自ら移植したものと伝わる、県指定の天然記念物です。

    静岡県は全国有数のみかん産地として知られますが、栽培が始まったのもその頃だったとのこと。

  • そして家康像の脇を抜けて、注目の天守台発掘現場へ。<br />おぉ~、こんな感じかあ、凄いなあ。初めて見る発掘現場に目を見張ります。<br /><br />常時発掘現場が一般公開されている場所もそうそう無いので、全国的にもホットなスポットかと思われます。<br /><br />

    そして家康像の脇を抜けて、注目の天守台発掘現場へ。
    おぉ~、こんな感じかあ、凄いなあ。初めて見る発掘現場に目を見張ります。

    常時発掘現場が一般公開されている場所もそうそう無いので、全国的にもホットなスポットかと思われます。

  • 駿府城は明治時代になると廃城になり、城跡は陸軍省に献納されました。<br />その際、天守台上部は解体され下部も埋められましたが、現在はそれを掘り起こして調査をしてるところです。<br /><br />写真は慶長期の天守の南側の天守台跡ですが、この辺は形が良く残ってますね。

    駿府城は明治時代になると廃城になり、城跡は陸軍省に献納されました。
    その際、天守台上部は解体され下部も埋められましたが、現在はそれを掘り起こして調査をしてるところです。

    写真は慶長期の天守の南側の天守台跡ですが、この辺は形が良く残ってますね。

  • 手前の大きな石を使った石垣(緑のコーン部分)は慶長期のもの。<br /><br />一方、赤のコーン部分はそれ以前に造られた野面積みの石垣で、素人目に見ても手前とは違う時代の石垣であることが分かります。<br /><br />この天守台は東西約33m × 南北約37mのサイズであることがわかっており、天正期の駿府城の天守台と考えられています。

    手前の大きな石を使った石垣(緑のコーン部分)は慶長期のもの。

    一方、赤のコーン部分はそれ以前に造られた野面積みの石垣で、素人目に見ても手前とは違う時代の石垣であることが分かります。

    この天守台は東西約33m × 南北約37mのサイズであることがわかっており、天正期の駿府城の天守台と考えられています。

  • 発掘現場の一角にある発掘情報館「きっしゃる」では、発掘に関する情報の掲示物などがあります。展示施設としてはミニサイズ。

    発掘現場の一角にある発掘情報館「きっしゃる」では、発掘に関する情報の掲示物などがあります。展示施設としてはミニサイズ。

  • きっしゃるの前には、施工者を示す刻印が打たれた石の展示。<br /><br />駿府城跡で発見された刻印数は300以上あり、その種類はなんと150を数えるそうだ。築城に多くの集団が関わったことが伺えます。

    きっしゃるの前には、施工者を示す刻印が打たれた石の展示。

    駿府城跡で発見された刻印数は300以上あり、その種類はなんと150を数えるそうだ。築城に多くの集団が関わったことが伺えます。

  • 公園内の南西角には「坤櫓(ひつじさるやぐら)」が復元されています。<br />外見の屋根は2重で、内部は3階構造。<br /><br />城の四隅や門周辺に設けらた櫓の一つで、物見櫓や外敵への攻撃拠点の役割を持ってました。<br /><br /><br /><br />

    公園内の南西角には「坤櫓(ひつじさるやぐら)」が復元されています。
    外見の屋根は2重で、内部は3階構造。

    城の四隅や門周辺に設けらた櫓の一つで、物見櫓や外敵への攻撃拠点の役割を持ってました。



    駿府城公園 坤櫓 名所・史跡

  • 坤櫓内は有料で内部の見学ができます。<br />公開は1階部分のみですが、床板や天井板が外されていて建物の構造が見える工夫がされています。<br /><br />家康が使用した甲冑のレプリカが展示されていた。

    坤櫓内は有料で内部の見学ができます。
    公開は1階部分のみですが、床板や天井板が外されていて建物の構造が見える工夫がされています。

    家康が使用した甲冑のレプリカが展示されていた。

  • 記念に御城印を購入。こちらは静岡産のヒノキ材を使った天然木の御城印で素敵です。<br /><br />大判で入れやすそうな御城印帳があったので併せて購入。

    記念に御城印を購入。こちらは静岡産のヒノキ材を使った天然木の御城印で素敵です。

    大判で入れやすそうな御城印帳があったので併せて購入。

  • 駿府城公園の見学後、公園から600mほど離れた「ななや 静岡店」で一服。<br /><br />創業1907年の老舗製茶屋で、ジェラートのイートインが人気の店。<br />入口近くのジェラート販売コーナーに、引っ切り無しに人が並んでゆきます。<br /><br />

    駿府城公園の見学後、公園から600mほど離れた「ななや 静岡店」で一服。

    創業1907年の老舗製茶屋で、ジェラートのイートインが人気の店。
    入口近くのジェラート販売コーナーに、引っ切り無しに人が並んでゆきます。

    ななや 静岡店 グルメ・レストラン

  • 人気なのは濃さが選べる抹茶のジェラート。<br />抹茶の濃さがNo.1~No.7まで選べるというのが面白い!<br /><br />世界でいちばん濃い抹茶ジェラートというNo.7をチョイス。おおっ!これは濃いわぁ~。<br /><br />駿府城訪問の際はお茶どころ静岡ならではジェラートを試しに、ぜひ立ち寄ってみて下さい。

    人気なのは濃さが選べる抹茶のジェラート。
    抹茶の濃さがNo.1~No.7まで選べるというのが面白い!

    世界でいちばん濃い抹茶ジェラートというNo.7をチョイス。おおっ!これは濃いわぁ~。

    駿府城訪問の際はお茶どころ静岡ならではジェラートを試しに、ぜひ立ち寄ってみて下さい。

  • 一服した後、駿府城公園から1km程離れた場所にあり、家康と大変ゆかりが深いとされる「静岡浅間(せんげん)神社」を訪れました。<br /><br />入口正面の総門をくぐり境内に進みます。<br /><br />

    一服した後、駿府城公園から1km程離れた場所にあり、家康と大変ゆかりが深いとされる「静岡浅間(せんげん)神社」を訪れました。

    入口正面の総門をくぐり境内に進みます。

    静岡浅間神社 寺・神社・教会

  • 境内に入ると、神部(かんべ)神社・浅間(あさま)神社の立派な楼門が現れれる。<br />文化13年(1816年)に建てられたこちらは、国重要文化財に指定されています。<br /><br />静岡浅間神社では平成26年より、20年という長~い年月を掛けての平成令和の大改修を実施中。<br />そんな中、こちらの楼門は3年を掛けたお色直しを2020年に終了しています。<br /><br />美しさを取り戻した姿が見れてラッキーですわ。総漆塗の建築物は重厚さを感じさせます。

    境内に入ると、神部(かんべ)神社・浅間(あさま)神社の立派な楼門が現れれる。
    文化13年(1816年)に建てられたこちらは、国重要文化財に指定されています。

    静岡浅間神社では平成26年より、20年という長~い年月を掛けての平成令和の大改修を実施中。
    そんな中、こちらの楼門は3年を掛けたお色直しを2020年に終了しています。

    美しさを取り戻した姿が見れてラッキーですわ。総漆塗の建築物は重厚さを感じさせます。

  • 静岡浅間神社の名は、2社同殿で祀られている「神部神社」「浅間神社」、そして別殿の「大歳御祖(おおおとしみおやじんじゃ)神社」、この3社の総称とのこと。<br />地元では親しみをこめて、”おせんげんさま”と呼ばれているそう。<br /><br />3社とも歴史のある神社ですが、なかでも神部神社の創建は特に古く、この地方最古の神社となります。

    静岡浅間神社の名は、2社同殿で祀られている「神部神社」「浅間神社」、そして別殿の「大歳御祖(おおおとしみおやじんじゃ)神社」、この3社の総称とのこと。
    地元では親しみをこめて、”おせんげんさま”と呼ばれているそう。

    3社とも歴史のある神社ですが、なかでも神部神社の創建は特に古く、この地方最古の神社となります。

  • 門には精巧な彫刻が施されているので、くぐる時には注目!<br /><br />キラキラ光を放つこちらのゴージャスな龍の彫刻は、名工・左勘五郎作と伝わる「水呑の龍」。<br />安永の火災の際には水を吐き御殿に掛けたという、勇ましい伝承が残ります。

    門には精巧な彫刻が施されているので、くぐる時には注目!

    キラキラ光を放つこちらのゴージャスな龍の彫刻は、名工・左勘五郎作と伝わる「水呑の龍」。
    安永の火災の際には水を吐き御殿に掛けたという、勇ましい伝承が残ります。

  • 金箔や彩色による、鮮やかな彫刻群に目がゆく。

    金箔や彩色による、鮮やかな彫刻群に目がゆく。

  • お~、古社の雰囲気が漂う境内ですね。独特の風貌の巨大な拝殿がチラリと見えてきました。<br /><br />境内には江戸時代後期の建築物が多く残りますが、拝殿手前の舞殿はその中で唯一の素木(しらき)造りとのこと。

    お~、古社の雰囲気が漂う境内ですね。独特の風貌の巨大な拝殿がチラリと見えてきました。

    境内には江戸時代後期の建築物が多く残りますが、拝殿手前の舞殿はその中で唯一の素木(しらき)造りとのこと。

  • 浅間造りと呼ばれる、2階建ての楼閣造りの「大拝殿」の風貌は独特。<br />拝殿・本殿とも、神部神社と浅間神社の同殿になります。<br /><br />25mある高さは出雲大社の本殿よりも1m高く、木造の神社建築としては日本一の高さを誇るそうですよ!

    イチオシ

    浅間造りと呼ばれる、2階建ての楼閣造りの「大拝殿」の風貌は独特。
    拝殿・本殿とも、神部神社と浅間神社の同殿になります。

    25mある高さは出雲大社の本殿よりも1m高く、木造の神社建築としては日本一の高さを誇るそうですよ!

  • 神部神社の始まりは、なんと!約2100年前といわれます。<br />平安時代には延喜式内社となり、駿河国総社とされました。<br /><br />主祭神の大己貴命(おおなむちのみこと)は、延命長寿・縁結び・除災招福の御神徳をお持ちです。<br /><br />浅間神社は、浅間神社の富士山本宮の新宮として分祀された神社。<br />新宮といえども創始は平安時代の延喜元年(901年)なので、こちらも相当歴史があります。<br /><br />主祭神の木之花咲耶姫命(このはなのさくやびめ)は、安産・子授け・婦徳円満の御神徳をお持ちです。

    神部神社の始まりは、なんと!約2100年前といわれます。
    平安時代には延喜式内社となり、駿河国総社とされました。

    主祭神の大己貴命(おおなむちのみこと)は、延命長寿・縁結び・除災招福の御神徳をお持ちです。

    浅間神社は、浅間神社の富士山本宮の新宮として分祀された神社。
    新宮といえども創始は平安時代の延喜元年(901年)なので、こちらも相当歴史があります。

    主祭神の木之花咲耶姫命(このはなのさくやびめ)は、安産・子授け・婦徳円満の御神徳をお持ちです。

  • 古くより静岡浅間神社は、朝廷や武将からの崇敬を篤く受けました。<br />なかでも徳川家康とは深い関わりを持ちました。<br /><br />今川家の人質であった徳川家康(幼名・竹千代)は弘治元年(1555年)、14歳で静岡浅間神社で元服。着初めの鎧を今川義元から贈られます(後、静岡浅間神社に奉納)。<br /><br />家康が浜松城から駿府城に移った天正14年(1586年)には、家康は戦火で焼けた社殿を再建しています。<br /><br />家康亡き後も江戸幕府との結びつきは強く、安永と天明に社殿が延焼した際は、江戸幕府により文化元年(1804年)から60年余の歳月と10万両の巨費を投じた、超大規模な再建がおこなわれました。<br /><br />この時再建された建造物が、現在残る社殿群です。

    古くより静岡浅間神社は、朝廷や武将からの崇敬を篤く受けました。
    なかでも徳川家康とは深い関わりを持ちました。

    今川家の人質であった徳川家康(幼名・竹千代)は弘治元年(1555年)、14歳で静岡浅間神社で元服。着初めの鎧を今川義元から贈られます(後、静岡浅間神社に奉納)。

    家康が浜松城から駿府城に移った天正14年(1586年)には、家康は戦火で焼けた社殿を再建しています。

    家康亡き後も江戸幕府との結びつきは強く、安永と天明に社殿が延焼した際は、江戸幕府により文化元年(1804年)から60年余の歳月と10万両の巨費を投じた、超大規模な再建がおこなわれました。

    この時再建された建造物が、現在残る社殿群です。

  • 本社の左手の「八千戈(やちほこ)神社」は、元々は徳川家康の念持仏である摩利支天(まりしてん)を祀る神社で摩利支天社と称していました。<br /><br />明治時代の神仏分離により八千戈神社と改められました。<br /><br />

    本社の左手の「八千戈(やちほこ)神社」は、元々は徳川家康の念持仏である摩利支天(まりしてん)を祀る神社で摩利支天社と称していました。

    明治時代の神仏分離により八千戈神社と改められました。

    八千戈神社 寺・神社・教会

  • 唐破下の鳳凰(ほうおう)の彫刻が印象的。<br />その奥の屋根下の妻飾り部分にも、所狭しと彫刻が並んでますね。<br /><br />いたる所に徳川の葵の御紋を見ることができます。<br />

    唐破下の鳳凰(ほうおう)の彫刻が印象的。
    その奥の屋根下の妻飾り部分にも、所狭しと彫刻が並んでますね。

    いたる所に徳川の葵の御紋を見ることができます。

  • 絵馬掛けには瓢箪が。<br /><br />願いごとを書いた用紙を瓢箪に納めてこちらに吊るすと願いが叶う、という物だそうです。<br />これは、合戦の際に家康が愛用したと伝わる勝瓢(かちふくべ)と呼ばれる瓢箪が、静岡浅間神社に奉納されているのに由来するらしい。<br /><br />豊臣秀吉の馬印の千成びょうたんは良く知られますが、家康にもゲンの良い瓢箪があったんですね!

    絵馬掛けには瓢箪が。

    願いごとを書いた用紙を瓢箪に納めてこちらに吊るすと願いが叶う、という物だそうです。
    これは、合戦の際に家康が愛用したと伝わる勝瓢(かちふくべ)と呼ばれる瓢箪が、静岡浅間神社に奉納されているのに由来するらしい。

    豊臣秀吉の馬印の千成びょうたんは良く知られますが、家康にもゲンの良い瓢箪があったんですね!

  • (現在は大河ドラマ館は閉館しています)<br /><br />静岡浅間神社の境内には、NHK大河ドラマ・どうする家康の放映にあわせた大河ドラマ館が開館されています。

    (現在は大河ドラマ館は閉館しています)

    静岡浅間神社の境内には、NHK大河ドラマ・どうする家康の放映にあわせた大河ドラマ館が開館されています。

  • 写真は家康役の松本潤さんが、物語初期の松平元康時代に着ていた衣装。<br /><br />他にも松本潤さんと有村架純さんが実際に着用した、家康と瀬名の婚礼衣装の展示などがありました。

    写真は家康役の松本潤さんが、物語初期の松平元康時代に着ていた衣装。

    他にも松本潤さんと有村架純さんが実際に着用した、家康と瀬名の婚礼衣装の展示などがありました。

  • 主要な登場人物の衣装にはテーマカラーがあるそうで、家康の衣装はブルー系が基調だそうな。<br />ドラマでは、登場人物の衣装の色にも注目してみたいですね!<br /><br />他にもドラマを深く知ることができる、様々な展示物がありました。

    主要な登場人物の衣装にはテーマカラーがあるそうで、家康の衣装はブルー系が基調だそうな。
    ドラマでは、登場人物の衣装の色にも注目してみたいですね!

    他にもドラマを深く知ることができる、様々な展示物がありました。

  • 1階には松本潤さんと有村架純さんの等身大パネルがあるので、見学後に記念撮影を撮るのがオススメ。<br /><br />大河ドラマ館見学後は、同じく境内にある「家康公 初恋の地 しずおか ギフトショップ」に立ち寄りました。<br />関連グッズや静岡のご当地土産など、様々なお土産品が販売されていました。<br /><br /><br />駿府城・静岡浅間神社めぐりは以上です。<br />ご覧頂きありがとうございました。<br /><br />(関連ブログ)<br />https://tokitabi.blog/remains/shizuoka2305-sumpujou/<br />https://tokitabi.blog/shrine-temple/shizuoka2305-shizusengen/

    イチオシ

    1階には松本潤さんと有村架純さんの等身大パネルがあるので、見学後に記念撮影を撮るのがオススメ。

    大河ドラマ館見学後は、同じく境内にある「家康公 初恋の地 しずおか ギフトショップ」に立ち寄りました。
    関連グッズや静岡のご当地土産など、様々なお土産品が販売されていました。


    駿府城・静岡浅間神社めぐりは以上です。
    ご覧頂きありがとうございました。

    (関連ブログ)
    https://tokitabi.blog/remains/shizuoka2305-sumpujou/
    https://tokitabi.blog/shrine-temple/shizuoka2305-shizusengen/

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この旅行記へのコメント (2)

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  • marsyさん 2024/12/15 16:38:38
    みなみ
    私が行ったのは、駅南口の「清水港みなみ」だったのですが、
    生まぐろ丼とか美味しかったですね。
    人気店で行列も多いので、開店朝イチに行のがおすすめですね。

    やまたま

    やまたまさん からの返信 2024/12/15 21:56:02
    RE: みなみ
    おお、そちらも気になりましたが、やはり美味でしたか!
    次回行く機会があれば、食べ比べてみたいものです。
    ではでは。


    > 私が行ったのは、駅南口の「清水港みなみ」だったのですが、
    > 生まぐろ丼とか美味しかったですね。
    > 人気店で行列も多いので、開店朝イチに行のがおすすめですね。

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