
2024/10/11 - 2024/10/12
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鯨の味噌汁さん
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10月11日、金曜。
この日はアスワンからカイロまでヒコーキで移動し、カイロはスルーし、地中海の港町・アレキサンドリアを目指す。旅の最終目的地だ。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- タクシー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
アスワンのホテルで早めの朝食。
彼女の体調は回復したが、食欲はいまいち。パンにバナナに卵、それに豆のスープを少しだけ。普段は朝食モリモリの元気おばさんであるから、やはり体調は万全ではない。 -
午前8時、タクシーで宿を出る。アスワンダムを渡り、空港へは30分ほどで到着。
10時半、離陸。砂漠をひとっ飛びし、カイロには正午に到着した。
カイロ国際空港からアレキサンドリアへの移動方法は3通りあって、鉄道・バス・タクシー(ウーバーを含む)のいずれかだ。かーちゃんの体調を考えたら、乗換がないタクシーが一番ラクであろう。
カイロ⇒アレキサンドリアはざっと250キロ。浦和からだと三国峠を越えて新潟県長岡市までの距離だ。この距離をタクシーって狂気の沙汰だけど、エジプトならありだ。もちろん三つの移動手段の中では一番高いけどね。
とゆうわけで空港を降りてウーバーを起動。カイロ国際空港始点、アレキサンドリアのホテルを目的地に指定したら、すぐにドライバーとのマッチングが成立した。
やってきたドライバーは30代半ばの陽気なお兄ちゃんだった。ややタレ目、若い頃の志村けんに似ている。
その志村けん、あまりに長距離なのでワシが操作ミスをしてると思ったらしく、疑り深そうに聞いてくる。
「本当にアレキサンドリアなのか」
「ホントだ。マイワイフの体調が悪いのでホテルまで直行したいのだ」
すると志村けん大いに喜び、
「ウーバー始めて以来、一番長い距離だぜ、きょうはラッキーだ」
なんてことを(たぶん)言いながらドライブを開始。 -
30分ばかり走り、カイロ郊外に差し掛かったところで、それまでニコニコしていた志村けんが
「うきゃーーーーー」
変な声を出す。でもってスマホを振り回し、ワシに向かって叫ぶ。
「キャンセルになってるーーーー」
慌てて確認すると、ウーバーの画面に「タイムアウトでキャンセル」なんて表示が出ていた。
「なんでキャンセルなんだ、もう乗ってるじゃないか!!」
志村けん、泣きそうだ。
ワシだってわけわからん。一体全体どーなっておるのだ。
こっちも脂汗が出たが、しばらくスマホをひねくり回したら、理由がわかった。
レンタルwi-hiのギガを使い切り、速度制限がかかり、ウーバーが固まっていた。
ウーバーを開きっぱなしにしていると地図機能をフルに使うので、あっという間に速度制限に達してしまうらしい。
「アイムソーリ、ウーバーがフリーズした、現金で払う」
「ほんとにか」
財布から現金を見せて志村けんを安心させるワシである。 -
カイローアレキサンドリアの高速道路は、ほぼ直線だった。
ナイル河口のデルタ地帯だから周囲は豊かな緑。どこまで行っても真っ平らな沖積平野が続く。
志村けんはそれなりに頑張って運転するのだが、経験したことのない距離、なおかつ単調な道で、ときに眠そうな顔になる。
垂れ目がさらに垂れ、時にハンドルにアゴを打ち付けそうである。アレキサンドリアより先に天国に到着しちゃうのではないか。
眠いなら休もうよー。
ドキドキしてるうちに、ようやくアレキサンドリアの市街に入る。
結局5時間近くかかってホテルに到着した。
志村けんも疲れただろうけど、こっちもクタクタであった。
最初の1時間くらいは「カイロ空港から帰国するなら帰りも呼んでくれ」なんて言ってたけど、クルマを降りるときに
「帰りはトレインにするよ」
と告げたら、ホッとしたように頷き、
「では、ここでお別れだ、マイフレンド」
ヨタヨタとカイロへ帰っていった。 -
ホテルは地中海に面したクラシックスタイルだった。
天井が高く、バルコニーに出ると海が目の前だ。
すぐ近くに教会の尖塔を見かけた。google map で確認するとカトリック教会。その横にコプト教。さらにギリシア正教、アルメニア正教の教会まである。
この町はエルサレムにも近い。さらに古くからの港であるから、船乗りといっしょにいろんな宗派がやってきたんだろうと思われる。
そういえば志村けんも「アレキサンドリアにはキリスト教徒が多いよ」なんてことをゆっていた。 -
というわけで、翌朝はホテルの周りの教会を見て歩くことにした。
そもそもアレキサンドリアではのんびり過ごすつもりで、特に見たいものを決めていなかったからちょうどいい。
さいわいにしてかーちゃんは体調回復し、陽気も内陸ほど厳しくない。 -
ゆっくり歩いて10分、聖カトリーナ大聖堂。ここはカトリック。
幼稚園が併設されていて賑やかだ。 -
カトリーナさんはアレキサンドリアの名家の生まれで、10代の若さで殉教し、聖人に列されているそう。地元の聖人なんだね。
-
その向かいにギリシア正教。残念ながら非公開。
さらに探し当てたアルメニア正教会も非公開。
ギリシア正教はともかく、なんでアルメニア正教会がここににあるんだろう。
…と思いつつ帰国後に調べたら、オスマン帝国による迫害から逃れてきた人たちがこの地に住み着いたのだそう。 -
通りを渡り、コプト教会である聖マルコ大聖堂を探す。
google map だと目の前にあるはずで、それらしい尖塔も見えているのだけれど、入口が見つからない。 その代わりと言ってはなんだが、装甲車が通りを塞ぎ、検問所が店と店の間に設けられている。
マシンガンを下げた兵士が行き交う市民をじっと監視する。
よーく見たら、それが教会の入口なのだった。
入場時には荷物検査とパスポートの提示を求められた。 -
敷地内に入って、理由が知れた。ここは2017年、イスラム過激派によるテロの現場になっていた。
犠牲者の写真が掲げられたボードが壁にはめ込まれている。 -
聖堂の天井には大きな「最後の晩餐」。
少し硬質なイエスとその弟子たちが描かれていた。
タイル絵もステンドグラスも素朴だ。カトリックとも東方教会ともタッチが違う。
なるほど、これがコプトか。 -
ふたりでベンチに腰掛け見物していると、シスターに引率され、20人ばかりの女子が入ってきた。
みんな15歳前後。全員ほどよくたわわであり、ジーンズはむっちりみっちり、今にもはち切れんばかりだ。 -
そのたわわ・むっちり・みっちりが、われわれの目の前で写真を撮り始める。きゃあきゃあわあわあ、聖堂がにわかに賑やかになる。でもってワシらに向かって「写真撮ってー」なんて騒いでるぞ。
天井のイエス様もびっくりだろう。
かーちゃんが言う。
「シスターがいるからミッションスクールね」
肌の色も目の色もばらばらな娘さんたちだった。
その美少女たちを眺めながら、ふと「この子たちがアレキサンドリアそのものなのだ」なんて思いが浮かぶ。
アフリカ大陸の入口にある地中海の町。アジアともヨーロッパとも近い町。
いろんな人たちがやってきて、戦ったり、支配したりされたり、ときには共存して。
長い間、ずっとそうやって生きてきた町なんだろう。
…なんてことを彼女と話しつつ、のんびりホテルに戻っていった。 -
この旅行で唯一のおみやげ、コプト教会のイエス像。
西欧のイエスはヨーロッパ人の顔だけど、このイエスはほんのり中東の面影がある。
祈りの文字もアラビア語だ。
google で翻訳してみたら「天にましますわれらが父よ…」
祈りの言葉はコプトもカトリックも変わらないのだった。
(おしまい)
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