2023/09/23 - 2023/09/23
105位(同エリア379件中)
やまたまさん
この旅行記スケジュールを元に
新1万円札の図柄にも採用された、近代日本経済の父といわれる渋沢栄一。
その渋沢栄一の出身地である埼玉県深谷市には、栄一のゆかり地が多くあるのでめぐってみました。
特に栄一の生誕地に立つ旧渋沢邸 「中の家(なかんち)」は、2023年8月にリニューアルオープンされ建物内部が初公開されています。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
イチオシ
当日は車での移動で色々とまわってみました。
まずは渋沢栄一の生家を目指しますが、その少し手前にある「誠之堂(せいしどう)」に立ち寄りました。
渋沢栄一は大正5年(1916年)に第一銀行を創設して初代頭取を務めましたが、喜寿(77才)を機に辞任。その際、同行の行員たちが喜寿のお祝いに建てたのが誠之堂でした。
誠之堂は大寄公民館の敷地にあり、無料で見学ができます。
お祝いに建物が贈られるというのが、さすが名士ですね。そんなの贈られたことないもんな(笑)。誠之堂 清風亭 名所・史跡
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栄一の希望を元にイギリス風農家のイメージでデザインされた、レンガ造りの可愛らしい建物です。煉瓦で喜寿と書かれているのが面白い。
元々は世田谷区の銀行保養施設に建てられましたが、取壊しの危機に瀕したところを深谷市が譲り受け、移築復元しました。 -
内部も見学できます。
間取りは、ベランダ付きの大広間を中心に構成されています。
円筒型の天井が特徴的で、窓周囲の煉瓦調デザインが洒落た感じでした。 -
暖炉上には、渋沢栄一の格調高い雰囲気のレリーフが架かる。
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西洋風建物ですが、古代中国風を題材にしたステンドグラスがあるなど、東西のデザインが折衷されているのが興味深い。
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同じ敷地内にもう一つ「清風亭(せいふうてい)」という建物がありますが、こちらも美しい建物です。
これは第一銀行2代目頭取だった、佐々木勇之助の古希(70才)を記念して建てられたもの。 -
こちらは純西洋風で、誠之堂より少し大きめの建物。
スタイリッシュな空間が広がっていますが、かつてここでは安室奈美恵さんの曲のプロモーションビデオが撮影されているんですよ! -
そして次に、深谷市血洗島の渋沢栄一の生地にある「中の家(なかんち)」へ。
まずは、中の家って??ってとこですが、
渋沢家はこの地域を開拓した一族で複数の分家に分かれましたが、その位置関係により角家の呼び名がついたそうです。
渋沢栄一の生まれた家はというと。。。、はい、分家の真ん中に位置していたわけですね。渋沢栄一生地 (中の家) 名所・史跡
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ケヤキの大木による一枚板で作られた立派な門があり、その傍らに青淵翁(せいえんおう)誕生之地の標石。
青淵は渋沢栄一の雅号で、平たく言うとペンネームですね。
中の家は渋沢栄一の生誕地として、埼玉県の旧跡に指定されています。 -
正門を抜け敷地内に入ると、若き日の渋沢栄一の像が出迎えてくれます。
ここで渋沢栄一(1840年~1931年)の概略をご紹介
・天保11年に埼玉県深谷市血洗島の農家に誕生。家業の手伝いの傍ら父より学問の手解きを受け、従兄弟・尾高惇忠(あつただ)から論語を学ぶ。
・江戸時代末期には、幕臣としてパリ万国博覧会を見学するなど欧州諸国の実情を見聞。
・明治維新後、大蔵省の一員として国づくりに参画。
・明治6年に大蔵省を辞し、第一国立銀行の総監役(後、頭取)になる。
以降、多くの分野で事業を展開。生涯に約500もの企業に関わり、日本の産業基盤の構築に寄与しました。 -
イチオシ
栄一が幕臣として江戸に移った後、栄一の妹・てい(貞)夫婦が明治28年(1895年)に建てた建築物が、現在「中の家」として残ります。
主屋はこの地方の典型的な養蚕農家の建物で、屋根の上の高窓と呼ばれる換気窓が特徴的です。
渋沢栄一は帰郷の際には、こちらに滞在。
多忙の合間でも時間を作って、年に数回は帰郷してたそうですよ。 -
主屋のほか、敷地内には江戸末期から明治初期頃の蔵が並ぶ。
この一角には、血洗島の地名に関する説明板がありました。
あー、この血洗島という、ちょっとオドロオドロしい響きの地名は以前より気になってたんですわ。
説明によると「血洗は”地荒れ”や、川の氾濫が多い”地洗れ”が由来ではないか?」という説があるとのこと。
また、渋沢栄一は「昔、赤城の山霊が他の山霊と闘い怪我をした。その際、この地で傷を洗ったため血洗島となった。」と語っていたとのこと。
こちらの方が、伝承としてはサマにはなりますな。 -
奥手には渋沢家家族の招魂碑が並ぶ。
右の「晩香渋沢翁招魂碑」は、栄一の父・渋沢市郎右衛門の招魂碑。撰文は尾高惇忠によるもの。
左の「先渋沢氏招魂碑」は栄一の母・渋沢えいの招魂碑。撰文は栄一によるもの。 -
こちらは渋沢平九郎の追懐碑で、追懐文は義父である栄一によるもの。
平九郎は尾高惇忠の弟で栄一の養子でしたが、若くして飯能戦争(戊辰戦争の地域戦)で亡くなっています。 -
敷地内を一通り見学した後、今回初公開された主屋内部を見学します。
見学入場料は無料という太っ腹! -
入るとすぐにあるのが、今回の改修工事で発見されたカマド跡。
発見された状態を生かして公開されているのが、なかなか良い。 -
イチオシ
令和3年に渋沢栄一を主人公としたNHK大河ドラマ「青天を衝け」が放映されたのは、まだ記憶に新しいですね。
その中で、渋沢栄一役の吉沢亮さんとその妻・尾高千代役の橋本愛さんが撮影で使用した衣装が、一家団らんのシーンの紹介とともに展示されていました。 -
こちらは屋敷の1階に上がったところですが、実はこの右手の部屋では「渋沢栄一アンドロイドシアター」が上映されています。これは新装された中の家の目玉の一つ。
和装の渋沢栄一のアンドロイドが映像にあわせエピソードを解説してくれるというものですが、このアンドロイドの動きや表情が超リアル!
残念ながら撮影禁止でお見せできないのですが、栄一アンドロイドは渋沢栄一記念館にもあるので、後ほどそちらを紹介。
2体とも深谷市出身のドトールコーヒーの名誉会長である、鳥羽博道氏からの資金寄附により製作されたものなんですって。その地元愛は素晴らしいですね。 -
こちらは栄一が帰郷した際に滞在した上座敷。
養蚕農家では通常2階に蚕室を設けますが、上座敷部分の2階には蚕室を設けぬよう配慮がされたそう。
床柱にも名木が使われるなど、特に念入りに造られた部屋でした。 -
蚕室だった2階は展示室になっており、今回の建屋補強の概要や渋沢栄一に関連した資料が紹介されていました。
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イチオシ
こちらのドキッとする血生臭い展示品は、横浜焼き討ち計画時の血判状のレプリカ。大河ドラマ・青天を衝けで使用された物とのこと。
栄一らは尊王攘夷の思想から、高崎城乗っ取りや横浜焼き討ちを企てました。
これらは未遂で終わりましたが、実行されていればその後の栄一の活躍は無かったでしょうねえ。 -
中の家見学後、歩いて5分程の場所の血洗島の鎮守「諏訪神社」に立寄りました。
渋沢栄一が少年時代から親しんだ神社で、なかでもこちらの秋の獅子舞を楽しみにしていたとか。帰郷の際もまずこちらに参詣したとのことです。諏訪神社(血洗島) 寺・神社・教会
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境内にある「渋沢青淵(せいえん)翁喜寿碑」は、栄一の喜寿の祝いとして氏子により建立されたもの。
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そして喜寿碑に応える形で、栄一は現在の拝殿を造営・寄進しています。
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本殿の方は明治40年(1907年)に、渋沢栄一と血洗島村民により造営されたもの。
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参拝後は中の家に隣接する、こちらの古民家へ。
中の家と似た雰囲気の建物ですが、こちらは煮ぼうとう専門店の「麺屋忠兵衛」です。
こちらで渋沢栄一も好物だったという深谷の郷土料理、煮ぼうとうを頂きます。麺屋 忠兵衛 煮ぼうとう店 グルメ・レストラン
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席に着き、店員さんが注文を取りにくる。その際、
「当店は初めてですか?」と尋ねられる。
「ええ。。。」。
「床の間に渋沢栄一直筆の掛け軸があるので、是非見てってください。」
えっ、ここに?
ということで料理を持つ間に、掛け軸を拝見。
「人の一生に、おろそかにして良いという時はない。人間晩年が美しければ、その価値は上がるものだ。」
含蓄のある内容が、とても美しい字で書かれていました。こんなところで見れるなんて、得した気分。 -
そして深谷の煮ぼうとうが到着。
ほうとうといえば山梨も有名ですが、あちらは味噌仕立て。こちらは醤油仕立てなのが特徴です。
素朴な食べ物ですが、濃いめの味付けが食欲をそそって旨いです。
深谷はネギの名産地だけあって、厚みがあるネギも準主役級の健闘。
さらにセットでつけたとろろご飯が、これまた絶品!
訪問した際にはススメのお店です。 -
お腹が満たされた後は、渋沢栄一記念館を訪問。
入口の巨大な円柱が印象的な、2階建ての重厚な建物です。
中の家からは1km程離れていますが、その間は青淵公園として整備された緑地が続いているので、のんびり歩くのも良いかと思います。渋沢栄一記念館 美術館・博物館
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1階は資料室で、渋沢栄一ゆかりの貴重な資料を通してその功績がたどれます。資料室内の撮影は不可でした。
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楽しみにしていたのは、2階の講義室でおこなわれる渋沢栄一アンドロイドによる講義!
訪問時は見学枠が空いていましたが、入場人数に限りがあるので、時間的な希望があれば事前予約するのが無難です。 -
こんな感じの講義室に、おおっ!渋沢栄一アンドロイドが登場だ。
館員の説明があった後、講義が始まります。
写真撮影OKなのがありがたい。 -
講義の内容は、渋沢栄一が大正時代に語った「道徳経済合一説」を現代風にアレンジしたもの。
アンドロイドは、当時84歳だった栄一の風貌が忠実に再現されています。
それにしてもアンドロイドの細やかな動きにはびっくり!
身振り手振りを交えつつ細かい表情の変化もあり、実にリアルな動きです。
声も録音で残っていた肉声を元に、似た声の声優さんを探して録音したというこだわりようだ。 -
講義後はアンドロイドに近づいての記念撮影もでき、充実のサービスでなかなか楽しい。
傍らに山高帽がありますが栄一はこれをこよなく愛し、季節を問わず被っていたらしいです。
ということで、なかなか貴重な体験ができました。
記念館は入場無料でしたが、ちょこっと入場料をとってもよさそうな感じの内容でした。 -
記念館の裏手には大きな渋沢栄一の銅像があるので、こちらも見逃し注意。
生れ故郷の血洗島の風景を望んで立っています。 -
続いて、栄一の学問の師であった尾高惇忠の生家が比較的近いので、歩いてみます。
こちらはその道中にある、旧下手計村の鎮守「鹿島神社」。
若き日の栄一もこの神社を抜けつつ、尾高惇忠の家へ通ったことでしょう。 -
拝殿に架かる扁額の題字は、渋沢栄一筆によるもの。
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境内には尾高惇忠の業績を伝える「藍香尾高翁頌徳碑(らんこうおうしょうとくひ)」があります。
碑は明治42年(1909年)に、渋沢栄一ら有志により建立されたもの。
石碑の題字は最後の徳川将軍である徳川慶喜によるもので、これまた貴重です。 -
鹿島神社から600m程歩いて「尾高惇忠生家」に到着。
惇忠はもともと栄一の従兄にあたる間柄でしたが、栄一が惇忠の妹・千代と結婚したため義兄になりました。尾高惇忠生家 名所・史跡
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幕末に渋沢栄一は、尾高惇忠らと高崎城の乗っ取りを謀議しました。
その話し合いの場が、この建物の2階だったらしいんですよ。へぇ~、ですね。
ということで、渋沢栄一の生誕地、深谷のゆかり地巡りは以上です。
最後までご覧頂きありがとうございました。
関連ブログ
https://tokitabi.blog/remains/fukaya2309-nakanchi/
https://tokitabi.blog/museum/fukaya2405-sibusawakinenkan/
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