2024/11/10 - 2024/11/14
4121位(同エリア5859件中)
アーサーさん
85歳にもなって、自身の棲家を変えるなんて、普通の人からすると、正気の沙汰ではないと思うけど、ワイフかからの提案もあって、賛成した。
旅行好きの私は、旅の際は、住むところを変えるとしたら、どこが良いか、などどと密かに、そうした目で今治を含めて、各地を見て来たので、今回、移住を決めた土地も、私が好きな環境のひとつだった。海がすぐ近くにある今治とは異なり、周囲を山で囲まれた盆地だ。今は、一部を運休しているけど、くま川鉄道の終点「ゆのまえ」の町だ。
まんが図書美術館があり、味公房「相良」がある。この紀行が掲載されるころには終わっているが、牛一頭を解体する行事とフェスが行われていたはずだ。漫画美術館は、マンガ・コミック・アニメおたくの娘も知っていた。
政府が言う、定年退職時に2千万円の貯蓄が必要なんて、とんでもない、旅が好きな、私たちの夫婦には、まったく足らない金額だ。85歳まで生きていると、もう、2000万円の金額は、いくらも残っていないはずで、移住の費用も、家賃も含めると、出来ない計画だ。だから、2000万円ではなく、ずーっと。働く意思と健康を第一にした。仕事は、120%の能力と適度のストレスをくれる仕事を選んできた。楽な仕事などない。
石垣島に行き、帰ってきてすぐに、今度はジェットスターで、九州に向かい、町役場に行って、移住者に関するいろいろな案内やお知らせを聞き、また、地域社会のルールを聞き、ゴミ出しの方法や、地域社会の日常活動を教えてもらった。
次いで、警察に行き、運転はやめたけれど、まだ、返上していない運転免許の返上(返上の時期は、終の棲家に移った後のことと決めていた。食品や日常必需品を買える店が歩ける距離内にあることを確認してからと決めていた)の件で地元の警察署に聞き、その手続きを確認し、自治体の年度予算が残っている時期の、返上のお勧めの時期も確認した。
もちろん、借家を契約した大家さんにも、地域で生活する上でのルールを確認した。その後、移住する住居に光ファイバーを引き込む必要があり、ドコモの店に相談に行った。
それに借家人といえども、火災保険の加入が必要とか、ワイフは引き続き自家用車を運転するというので、車の保険をどこの保険業者と契約するかの相談もあったけれど、それらの話は、次の機会まで繰り越した。飛行機でいうとキャリーオーバーだ。
光ケーブル線引き込みの話は、結構、手間取った。家そのものは立派なのだけれど、インテリジェントハウスという点では、多少、難点があったが、大家さんが電気通信ケーブル工事屋さんを呼んでくれ、相談することができたので、問題が解決でき、ドコモとも、光ケーブル引き込み工事の話がまとまった。アフリカの小さな空港で事故にあったとき、事故から数時間後に、アフリカと日本を結ぶホットラインを設定したことから考えると、日本で、光ケーブル回線を引き込む問題の解決など、苦にすることは、何もない。ただ、大家さんの理解は、必要だ。
私が個人で約40年強の間、開催していた月一のプライベート倶楽部、二木会(にもくかい)には、紙に書かれた会員のルールと紙に書かれていないルールがあり、どちらかのルールに抵触した人は、次の会合の案内をしない方法で、秘密の保持、肩書で呼ばない関係、会合の場を独り占めして独演会をする人、1企業一人の参加条件の場に部下を連れてくる人、宗教・政治・営業活動をする人を排除してきた。好き嫌いでいうと、私の性格と異なる人、私と異なる能力を持つ人は、努めて、続けて来てもらえるよう努力した。ただし、1業界1企業、1企業一人の会員限定で、常時、10人程度の会員出席を前提として、30名位の会員数を維持した。集会場所は、原則、会社の会議室とした。
なので、新しい地域社会が、私にとって, たとい、どのような、堅苦しいルールを持っていたとしても、問題は、一切ない。まあ、そんなに、堅苦しいルールはなかったけどね。地域社会には、自分の消費期限の過ぎた肩書や会社でなした成功は、持ち込まない。
夫婦のことで言えば、結婚するとき、互いに、健康でいる間は、双方とも、働き続けるという約束で結婚し、ワイフは、ワイフで年金に入り、互いのお金には、生活資金を分担する以外は、依存しないというルールを決め、どちらも、相手方の扶養家族にならならないで、生活分担金の負担以外の使途は各自の自由とした。
ただ、私の身勝手なお願いは、通勤時間2時間の私の勤め先を変えないということで、ワイフが勤め先を変えてもらい、やがて生まれてくる子供たちの学校、学童保育所を真っ先に決め、その近くに住居を決め、ワイフが使用する自家用車を買い、最後に、住居に近い所に、ワイフの新しい職場を探してもらった。ワイフは、私が持っていない国家資格をいくつも持っていたので、勤め先は、苦も無く、すぐに見つかった。いつものとおり、地元の自治体だ。
ネットを見ていると、人によっては、目の前に問題点が出てくるまで、問題を認識しない人が実に多いと思う。
定年後、どのように過ごすかは、どの人にとっても、生きていれば、必ずくる問題なのに、目先に問題が出てくるまで、対応をか考えていない人が多い。私でいえば、40歳になったとき、定年後をどう過ごすか、考え始め、準備を始めた。終の棲家も60歳で決めたけど、今回、変更になった。なるべく、自分の足で歩き回って、自分の口で物を食べて過ごしたいからだ。
そして、ワイフも私も、今も、フリーランサーとして、ささやかながら仕事を続けている。定年のとき、2千万円の貯蓄は、持っていなかったけど、その後の25年間で、その額を超える額を使ったと思う。ちゃんと、自分の会社と私自身、それに、ワイフの毎年確定申告をしてきたけどね。
私の旅には、計画をする、旅に出る、旅の思い出をするの3つのステージがあって、そのどれもが私の楽しみだ。
今回の石垣島の旅は、「ルーズリーフ旅プラン」の旅にした。ルーズリーフには、交通手段、宿、ツアー、身の回り品のページがあり、交通手段は、7月に予約し、往復、二人とも特典航空券を用意し、クラスは, 利用する航空会社のJクラスとした。地上交通手段は、往復とも、電車とした。レンタカーは、使用しない。
宿のページには、3日間の滞在ホテルとして、グランビリオリゾート石垣島とした。この計画は、あーでもない、こーでもないと宿探しをし、最後にグランビリオリゾートになった。レンタカーはしない計画だったので、観光の足場になる石垣港に近いグランビリオリゾート石垣島に決めた。グランビリオリゾート石垣島には、オーシャンビューの建物とヴィラとがあったが、オーシャンビューとした。全面、オーシャンビューの宿だ。ホテル内にツアーデスクがあるのを確認した。
ホテル周辺の状況も、現地に行く前は、把握が難しかったので、3泊4日間の食事のプランも、ホテルに着いてから決めることにして、空白のままとした。朝食も、現地に着いてから、ホテルのフロントで聞くことにし、空白のままとした。
同じように、現地手配のツアーも空白のままとし、ホテルのツアーデスクで、お天気予報を確かめながら相談することにした。ホテル内にツアーデスクがあるのだ。利用しない手はない。
とにかく、いろいろ資料をあさったり、もしかして、現地を見たことも、行ったこともない都心の旅行代理店の人に、さも楽しそうに、現地のツアープランの紹介を受けるのは、興覚めなので、出発前にいろいろと細かに決めることは断念した。
同じような、「ルーズリーフ旅プラン」の旅は、インドネシアのバリ島に行った時も経験した。現地のヒルトンホテルには、館内にツアーでデスクがあり、そこで、現地ツアーの計画立案ができ、手配ができ、支払は、ホテルにする方式で、安心して旅ができた。石狩島でも、ツアーの支払は、ホテルチェックアウトのとき、ホテルに支払った。ホテルのサービスなのだ。
この方式は、不慣れな土地で、安心して旅行プランを創る方式としてお勧めの方法だ。ツアー参加のピックアップもピックダウンも、ホテルの車寄せなので、石垣島でも、バリ島でも、安心してツアーに参加できた。バリ島では、毎日、同じ車、同じ運転手、同じガイドが来た。すぐに仲良しになった。
人生の旅のプランも同じだ。若いときにいろいろと人生を旅のプランを作ったけど、予定通りだったのは、お題目だけで、人生、健康な限り働く、人とのつながりを作り続ける、人との話し方を身に着ける、困難に当面した時に、その困難に当面している自分を肯定できる自分になる、困難から逃げない、お客様を大切にする、嘘はつかないなどだ。嘘について会社の先輩に教わったのは「嘘つくときは、その前に99の真実を語れ」だ。嘘まみれの話など、誰も信じないと言われた。言っておくけど、「うそをつけ」ということではないからね。
毎日、感動できるチャンスをつくり、感動を大切するようにも教えられた。感性が磨かれ、人間性が豊かになるというのだ。
調理師免許を取る、老後に古民家を買い、そこで、1メニューの食べ物屋を開き、1日、数組の旅人にしか宿を提供しない宿を開くとか、行政書士の資格を取るというのは、挫折した。挫折したページは、新しい計画を書いた。わかったことは、会社勤めで獲得した、自分の技術と知識を「売れるものにする」ことだ。「落下さん方式」や、「仕入れを伴う事業」は、私に合わないということがわかったことだ。
私が獲得した知識や経験を6分、いくらの料金で提供する事業の方が身に合う。ただし、顧客は、原則、海外の企業とした。日本の企業は、6分、いくらでサービスを買う経験が乏しく、知識や経験の価値がわからなので、6分のサービスを提供しても、30分も、60分もの説明を求める顧客が多く、課金できない時間が無駄に発生する。
日本の大企業の人は、下請けをいじめるのが得意だ。優れた取引先企業グループを会社の周りに育てるのは、会社繁栄の道だということを知らない。私が勤めた会社では、「業者」という言葉を使うことが禁止されていた。代わりの言葉は「パートナー」だった。
海外の新規顧客を開拓する方法は、顧客ネットワークを利用した。
西欧って、言われているほどドライな世界ではなく、刷り込み、コネ、パーティなどで人間関係が出来ていて、それらでできた繋がりが、結構、強い。同じ業界内なら一層強い。なので、一度、信頼されると、頼まれなくても、新しい顧客を紹介してくれることが多くあり、顧客データベースができると、フリーランサー位の事業規模の場合、安定した事業が成り立つ。広告を打つことなく、地のはてから大手の顧客がくるのだ。
ただし、私の業界でも、「実用標準」という標準があり、仕事の品質を意識して維持、向上させないと、やがて、仕事が来なくなる。契約は、顧客が用意する「エンゲージメント契約」と私が用意し、顧客が加筆修正した「ビジネスパフォーマンス条項」の一体契約だ。私の場合は、6分でも、アウトプットのない浪費時間は、課金しない。また、デスクに座っているだけの時間は、課金できない。勤務時間が有償なのではない。但し、受け取った照会は、1年365日、24時間以内に回答するか、「いついつまでに回答する」とした。
但し、居場所は問われない。
顧客が日本での事業展開に困っている新規顧客を紹介する方式だ。ただし、顧客が私の仕事ぶりに感激してくれないと、新しい顧客を紹介してくれない。顧客が困っている事柄をどのような作業とどのような時間で解決できるかが、顧客にわかるように説明でき、上場とか合併とかの重要計画に間に合い、実際に説明したとおりに実現しないと、顧客は、感激しない。
この方法を見つける以前は、雇われた会社の役員として、「世界のどこへでも、1週間で、物品を輸送し、通関し、指定された場所に、重要物品を届ける」とか、某国での全国光ケーブル網を、「注文時に約束した90日で、構築する」、「工場内のLANネットワーク、日本との専用線構築」を見積もり時に約束した期限内に実現する、などの事業を展開した。サービスに、他社にない特徴がないと、グローバルな無形商品は、売れない。無形サービスの時には、特にだ。出張に預託手荷物何十個という旅も何度もした。
こんな話、このT4でどう関係するかというと、旅と物品の輸送になれていること、人と物を国際的に手配する方法を知っていること、国際的な移動と空輸の知識がないとできない、という点で、私の旅の経験が生きているのだ。
また、ハワイで毎年開かれている業界の国際会議に、毎年、私の会社で、展示ブースを出したり、説明に立ち会ったりしてきたので、フリーランサーの人たちにでも、海外で活動する場合に役立つ、単なる旅行の話ではない、話なども紹介できる。ブースでの初めての人との出会いは、金平糖が仲立ちしてくれる。ブースに金平糖を置いておくと、それを手にとり、「これは何か」と聞いてくる、そして会話が始まり、「あなたの仕事はなにか?」の質問となり、仕事の紹介になる。
今回の石垣島の旅では、現地に着いてから、ホテルに現地のことを聞くというのは、いつの時点で更新したのかわからない印刷物で知るより、危険が少ない。唯一の難点は、到着した日のプランとか、翌日のプランには、向かないツアーがあることだ。
石垣島のホテルでは、竹富島の到着日翌日のツアーは、もう、締め切りとなっていて参加できません、と言われた。それで、いろいろ現地ツアーの説明を一通り受けた後、着いた日でも、翌日のツアーの手配ができる西表島のツアーを12日のツアーとして予約し、竹富島のツアーを13日のツアーとして予約した。
それに、各1日のツアーを2つのツアーで組み立て、一日を有効に活用できた。出発前では、そうした芸当はできない。
西表島のツアーでは、いりおもてヤマネコを中心とする島内観光で、島を巡り、水牛で由布島にわたり、昼食をとり、その後、小さな島をゆっくり歩いて過ごした。花と蝶が、いっぱいの小さな時を過ごした。ゆっくりと過ごす時間で獲得できるふくよかな「とき」だ。
その後、西表島の港に戻り、小さな船に乗り換え、西表島のマングローブを廻った。バスの運転手が突然「船長」として現れ、驚かされた。
マングローブめぐりは、ハワイ諸島のマウイ島、ベトナムのホーチミンシティでも参加したけど、西表島のマングローブは、視界がひろびろとして、マングローブの立ち姿が良くわかった。
ベトナムの、マングローブは、ジャングルのように生い茂るマングルーブを小型の船でと走り抜けるような船の旅で、途中でチョコレートを作る所とか、大きな蛇を首に巻いて写真に撮る場所があり、私も記念に1枚撮った。
もう一日は、石垣島の島めぐりとその後の竹富島巡りの2つをセットにした。
また、予約したホテルは、海に面し、大きく、そぞろ歩きができる庭があったけど、周囲の歩ける範囲には、レストランが1軒しかないことがわかったので、手配していなかった毎朝の朝食も手配した(この手配は、ホテルのチェックインカウンターで行った)。
着いた日のお昼は、お昼の 時間が、もう、終わろうとする時間だったので、先に、館内のホテルの店(琉華)で、目の前の海を見ながら、3日間のことをあれこれと相談しながら、遅めの昼食(てりやきば)をとり、その後、ツアーデスクに行った。
話が前後するが、旅の始まりは、11月11日だったけど、沖縄便を早朝第1便にしたので、千葉の家から早朝便に間に合う電車がなく、東京蒲田に前泊(oriental ex 東京 蒲田)することにし、出来たばかりの若者向けのホテルに入り、1夜を過ごした。宿のページが1ページ増えた。
娘にホテルの検索を頼んだので、若者向けの、オープンな感じのホテルが見つかり、ロビーでは、飲食ができ、パソコン、スマホをいじれる席が沢山あり、沢山の人がもくもくとスマホ、パソコンに向き合っているホテルだった。部屋で仕事をするより、無料で飲み物が飲めるロビーの方が、気分的に良いかも。
出来たばかりのせいもあるけど、さっぱりとした良い雰囲気のホテルだった。空港までは、京浜急行の第2便を利用した。前泊の夜は、ホテル紹介の「にいはお別館」で、羽付き餃子を食べた。おいしかった。さすがに蒲田名物だった。
現地で追加したページは、12日の西表島のツアーと13日の竹富島のツアーだ。どちらも、ホテルでのピックアップがあり、港からホテルまでのピックダウンがあった。ピックダウンは、帰りの船がついてすぐの乗り継ぎではなく、時刻表にあるいくつかのピックダウン予定を、希望に沿って予約できた。
ただ、最終が17時30分ということで、港付近や街中でゆっくり夕食してから利用できるバスの便はなく、勢い、夕食は、ホテルに戻ってからということになった。もちろん、ピックダウンサービスを利用しないで、タクシーを利用しても、いくらもかからない距離だから、タクシーを利用する、という手もあった。こうした事情は、現地でないとわからない。
石垣島は、最初の夜は、ホテルの紹介で、歩いて10分ほどのホテル近くの、沖縄食の店(船蔵の里)に行き、いろいろな沖縄料理を堪能した。二人とも年配なので、豪華なセット料理より、沖縄名物のアラカルトにし、ゴーヤチャンプル、豆腐よう、その他の沖縄豆腐の料理、地元の魚の姿煮などを堪能した。絶対のお勧めのお店だ。
ホテル内にも同じお店があるが、外のお店の方が品数が多く、古風な雰囲気だ。予約が必要である。
食べ物では、港のすぐ近くの、行列ができている沖縄おむすびの店(沖縄おむすび)で、SPAMと他のものをはさんだ、沖縄おにぎりに挑戦した。失敗したことーおにぎり一つが関東圏のおにぎりの大きさの倍以上あり、おにぎりならふたつと、二人で4つも注文したので、食べきるのが大変だった。良かったことー出来立てのおにぎりだった。あたたかだった(この日は、港近くの八重山そばの店[
「夢乃屋」で八重山そばも食べた。)出来立てを売る店なので、行列が出来ていたのかは不明だった。SPAMの塩加減が良かった。西洋のハムって、腐敗を防ぐためか、そのものだけでは、塩加減がきついが、SPAMも白い、温かいお米と組み合わせると、おいしいことがわかった。沖縄のおにぎり、おいしい。
沖縄では、かつて、米国企業の依頼で、沖縄基地内の米軍属向けの仕事をしたことがあった。米軍基地内に入ると、沖縄の人たちの悲哀がわかる気がした。外からだけ見ている人にはわからない。
沖縄の仕事をしたことが、他に2件あって、一つは、会社勤めをしていた時の会社の仕事であった。もう一つは、会社の役員をしていた人からの依頼で、「沖縄の人のためになる事業を考えてほしい」と、役員のポケットマネーで依頼された案件だった。きれいな沖縄を損なうことがない、クリーンな事業で、多くの沖縄の人に仕事の機会が増えるような事業を考えたが、まだ、その頃は、私も若く、役員の要望に応えて、迅速に対応しなかったので、役員が退任してしまい、事業の機会は、途絶えてしまった。
その頃は、グローバルな通信ネットワークが稼働し始めた頃だったので、斬新なグローバルサービスが展開され始めており、例えば、英語圏の企業の電話窓口サービスをインドで提供するようなサービスが登場した。私のお客様であったベルギーの会社は、海外進出した企業のアフターサービスを各企業の母国で対応できるような、仕掛けを作り、例えば、日本の企業がベルギーに進出し、そのアフターケアの電話をすべて廉価に、日本に集中できるような通信サービスを実現した。
日本国内の企業の電話窓口を沖縄に展開すれば、沖縄の人に働く機会をもたらし、人々に新たな収入の機会をもたらす、と思ったが、実現の前に計画はとん挫し、他の人たちの手で、そうしたサービスが実現することになった。
2日間のツアーで良かった点は、西表島から牛車で由布島にわたり、ゆったりとした時間が過ごせたこと、花がいっぱいという状況ではなかったけど、色鮮やかな花々を沢山見られたこと、蝶も沢山見られたことだ。
竹富島では、牛車で、家並みの中を、それこそ、時間がとまっているのではないか、とおもわれたほど、ゆっくりとみられたことかな。
私たち夫婦の旅は、海外でも、国内でも、現地の人と話す旅を心がけているので、西表島でも、由布島でも、そして、竹富島でも、沢山の質問をし、いろいろと教えてもらった。
どんなことかって?由布島の水牛は、牛車をひいていないとき、水の中で休んでいる。竹富島の水牛達は、水浴びをするところがなく、牛車をひいていないとき、 水浴びをする場所がない。同じ水牛なのに、どうして?
応えは、いろいろあったけど、そのうちの一つは、由布島の水牛は、海をわたるので、水にならすようにしている、とのこと。
竹富島の牛は、気ままに牛舎をひいているけど、説明によると、結構、御者の指示に従うように訓練されており、牛車の内輪差、外輪差をわきまえていて、角を曲がっても、ぶつかることはないのだそうだ。
由布島のすい牛は、雄雌がおり、オスの場合とメスの場合とでは、牛車に乗る人数を変えているとのこと。
竹富島の水牛は、皆、雄とのこと。
竹富島の牛車で移動した道をあるいているとき、まだ、子供の水牛を訓練している所に出会い、「何歳から訓練を?」と聞いたら、「2歳から」とのことで、それをすぎると、もう、言うことを聞かなくなり、訓練できないのだそうだ。もっと、いろいろ沢山聞いた。聞き手は、ワイフが主だ。
さすがに、沖縄県は観光県だね。いろいろな大きさの船が、それこそ、ひっきりなしに港に出入りしており、色とりどり、大小、高速・低速船があり、何より、活気があった。
沖縄、旅行するのに良いところだ。来年も沖縄にくることが決まっている。瀬底か宮古島だ。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 2.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- JALグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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八重山諸島の花々。花がどのしまにもさいていました。4
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八重山諸島の花々
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八重山諸島の花々
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八重山諸島の花々
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八重山諸島の花々
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八重山諸島の花々
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八重山諸島の花々
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八重山諸島の花々
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八重山諸島の花々
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八重山諸島の花々
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八重山諸島の花々
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八重山諸島の花々。ホテルにて
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由布島の水牛、仕事を終えると水の中で休みます。
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由布島の水牛、仕事を終えると水の中で休みます。
竹富島の水牛は、水を浴びる場所がありません。 -
由布島の蝶
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由布島の蝶
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由布島の蝶
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由布島の牛車、雄も雌もいるそうです。
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竹富島の牛車、オスだけだそうです。
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ホテルの入り口、反対側は、庭、そして海です。
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イリオモテヤマネコ(剥製)
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沖縄のゴーヤチャンプルー
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高速船(双胴船)。他に海上保安庁の船を沢山みかけました。尖閣諸島が近いからです。海上の110番は、118番です。念のため。
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竹富島風景、静かです。
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