近江八幡・安土旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 グーグルマップを見たら、近江八幡の近くに安土城跡があることを知った。<br /><br /> 織田信長が天下統一を目標に天正4年(1576)1月17日、重臣である丹羽長秀を総普請奉行に据え標高199mの安土山に築城させた平山城です。<br /> 岐阜城よりも京に近い利便性があり、北陸、東海の要所でした。<br />現在は四方とも干拓により陸地となっていますが、当時は琵琶湖の内海に囲まれ、南方のみが開けた地形だったといいます。さぞや風光明媚だったでしょうね。<br /> そのわずか3年後天昇年5月、わが国で初めての天守閣をもつ安土城が完成しました。

急峻な山の上に建てられた安土城で信長の幻を見た 安土 7

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2024/11/11 - 2024/11/11

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pedaru

pedaruさん

 グーグルマップを見たら、近江八幡の近くに安土城跡があることを知った。

 織田信長が天下統一を目標に天正4年(1576)1月17日、重臣である丹羽長秀を総普請奉行に据え標高199mの安土山に築城させた平山城です。
 岐阜城よりも京に近い利便性があり、北陸、東海の要所でした。
現在は四方とも干拓により陸地となっていますが、当時は琵琶湖の内海に囲まれ、南方のみが開けた地形だったといいます。さぞや風光明媚だったでしょうね。
 そのわずか3年後天昇年5月、わが国で初めての天守閣をもつ安土城が完成しました。

同行者
家族旅行
交通手段
自転車 新幹線 JRローカル
旅行の手配内容
個別手配
  • 近江八幡駅にあるレンタサイクルで電動アシスト自転車を借り、安土城をめざして<br />走ります。<br />狭い街ですからすぐに田園地帯に出ました。

    近江八幡駅にあるレンタサイクルで電動アシスト自転車を借り、安土城をめざして
    走ります。
    狭い街ですからすぐに田園地帯に出ました。

  • 車が通る様子もなく快適に畑の中の道を走ります。

    車が通る様子もなく快適に畑の中の道を走ります。

  • まばら乍ら集落らしきところに来ました。<br />静かな町です。

    まばら乍ら集落らしきところに来ました。
    静かな町です。

  • ここは既に安土町です。マンホールの蓋がありました。

    ここは既に安土町です。マンホールの蓋がありました。

  • 大きな幹線道路を渡るため道路をくぐります。

    大きな幹線道路を渡るため道路をくぐります。

  • また田んぼ道を走っていくと

    また田んぼ道を走っていくと

  • 近くの山の麓に石段が見えました、おお、あれこそ天下布武を唱えた織田信長の<br />安土城の石段です。

    近くの山の麓に石段が見えました、おお、あれこそ天下布武を唱えた織田信長の
    安土城の石段です。

  • 城に近づくには・・・この道を周って・・・

    城に近づくには・・・この道を周って・・・

  • この沼に懸かった橋を渡ります。

    この沼に懸かった橋を渡ります。

  • やや大きな道を渡ったところに、後年建てたと思われる安土城祉と<br />彫られた石柱があります。<br />

    やや大きな道を渡ったところに、後年建てたと思われる安土城祉と
    彫られた石柱があります。

  • 安土城には途中も含めてトイレはないと言う情報ですので、麓の売店で<br />トイレを借ります。

    安土城には途中も含めてトイレはないと言う情報ですので、麓の売店で
    トイレを借ります。

  • 入り口付近には既に石垣があり、城への期待が膨らみます。

    入り口付近には既に石垣があり、城への期待が膨らみます。

  • 城の詳しい説明板がありました。安土城を発掘した際、金箔で装飾した<br />瓦などが発見されたという事です。<br />それらは安土城博物館に展示されているそうです。

    城の詳しい説明板がありました。安土城を発掘した際、金箔で装飾した
    瓦などが発見されたという事です。
    それらは安土城博物館に展示されているそうです。

  • さぁ、にわか勉強をしてから、石段を上がることにします。<br />腰の具合が悪いので、途中で引き返す予定です。信長の城の一部に来た、<br />と言うだけで満足です。

    さぁ、にわか勉強をしてから、石段を上がることにします。
    腰の具合が悪いので、途中で引き返す予定です。信長の城の一部に来た、
    と言うだけで満足です。

  • 幅6・7m、延長約180mの大手道が天主に向かって直線的に延びています。<br />この道の両側には石溝と石塁、石垣が築かれ、家臣団の堅固な郭が配置されました。

    幅6・7m、延長約180mの大手道が天主に向かって直線的に延びています。
    この道の両側には石溝と石塁、石垣が築かれ、家臣団の堅固な郭が配置されました。

  • 戦国時代の武将をはじめ足軽に至るまで、歩きにくいなどと言えば、信長公の逆鱗にふれ、即刻打ち首は必定です。<br />秀吉も柴田勝家も、森蘭丸もなにげない素振りでひょい、ひょいと石段を上ったに違いありません。

    戦国時代の武将をはじめ足軽に至るまで、歩きにくいなどと言えば、信長公の逆鱗にふれ、即刻打ち首は必定です。
    秀吉も柴田勝家も、森蘭丸もなにげない素振りでひょい、ひょいと石段を上ったに違いありません。

  • 幸い彦根城などと違って、人気のある城ではありませんので、櫓一つ残っていない<br />安土城に来るなんて人は、何人もいません。ゆっくりと、いや、のろのろと登ります。<br />

    幸い彦根城などと違って、人気のある城ではありませんので、櫓一つ残っていない
    安土城に来るなんて人は、何人もいません。ゆっくりと、いや、のろのろと登ります。

  • 後から来た人たちは元気よく追い抜いていきます。<br />よく見ると、ほとんどの人が杖を使っています。うーん、皆さん賢いなぁ。<br /><br />右側には前田利家の邸宅があったと伝えられています。

    後から来た人たちは元気よく追い抜いていきます。
    よく見ると、ほとんどの人が杖を使っています。うーん、皆さん賢いなぁ。

    右側には前田利家の邸宅があったと伝えられています。

  • この大手道の左側に広く開けたところがあり、伝羽柴秀吉邸があった所らしい。<br />

    この大手道の左側に広く開けたところがあり、伝羽柴秀吉邸があった所らしい。

  • 右側には安土城築城の際、信長自身の菩提寺とするため、他所から<br />移したと言う摠見寺があります。これは火災で焼失した本堂をこの地に再建した<br />もので、当初は三重塔の北側に建てられたものです。<br />ここは徳川家康邸だったと伝えられています。<br />

    右側には安土城築城の際、信長自身の菩提寺とするため、他所から
    移したと言う摠見寺があります。これは火災で焼失した本堂をこの地に再建した
    もので、当初は三重塔の北側に建てられたものです。
    ここは徳川家康邸だったと伝えられています。

  • この五輪塔は徳川家康にゆかりがあるかもしれません。<br /><br />ここ摠見寺は安土山の所有者だという事で、登山口も限定されています。<br />

    この五輪塔は徳川家康にゆかりがあるかもしれません。

    ここ摠見寺は安土山の所有者だという事で、登山口も限定されています。

  • 急な階段を上るには杖があればずいぶん楽だっただろうと、思われます。<br />実は入城券の販売所には「ご自由にお使いください」という無料の杖がたくさん<br />用意されていた、と出口で気が付いたのでした。

    急な階段を上るには杖があればずいぶん楽だっただろうと、思われます。
    実は入城券の販売所には「ご自由にお使いください」という無料の杖がたくさん
    用意されていた、と出口で気が付いたのでした。

  • ここで石段は左に折れて、一休みするところがあります。<br />振り返るとずいぶん高いところまで上ってきたものだなぁ、と感じます。

    ここで石段は左に折れて、一休みするところがあります。
    振り返るとずいぶん高いところまで上ってきたものだなぁ、と感じます。

  • 石段に奇異な物を見つけました。仏様の顔らしきものが彫られた石です。<br /><br />築城の際には、近くの山やいろいろなところから採取されましたが、その中には<br />人々が信仰の対象としていた仏像も含まれていました。<br />他に類を見るか見ないかは知りませんが、現代人よりドライな信長らしい行為だったと思われました。

    石段に奇異な物を見つけました。仏様の顔らしきものが彫られた石です。

    築城の際には、近くの山やいろいろなところから採取されましたが、その中には
    人々が信仰の対象としていた仏像も含まれていました。
    他に類を見るか見ないかは知りませんが、現代人よりドライな信長らしい行為だったと思われました。

  • その後も石仏という表示がありました。さすが無信仰の私でも石仏を<br />踏んで石段を上る気にはなりません。

    その後も石仏という表示がありました。さすが無信仰の私でも石仏を
    踏んで石段を上る気にはなりません。

  • これは二人の仏様の像です。

    これは二人の仏様の像です。

  • ここにも石仏はありましたが、なぜか小銭が供えられています。<br />お賽銭のつもりでしょうか?こうすることで、自分の気持ちを楽にする<br />という行為のように思われます。

    ここにも石仏はありましたが、なぜか小銭が供えられています。
    お賽銭のつもりでしょうか?こうすることで、自分の気持ちを楽にする
    という行為のように思われます。

  • しつこいようですが、ここにもある石仏、歴史の証明としてあえてどかさずに<br />あるがままにしています、と説明されていました。

    しつこいようですが、ここにもある石仏、歴史の証明としてあえてどかさずに
    あるがままにしています、と説明されていました。

  • 「武井夕庵邸跡」の石碑があります。<br />夕庵は信長につかえた老臣で、信長にも意見をしたと言われています。<br />茶人でもありました。

    「武井夕庵邸跡」の石碑があります。
    夕庵は信長につかえた老臣で、信長にも意見をしたと言われています。
    茶人でもありました。

  • 一旦階段を上り切り平坦な所に出ます。

    一旦階段を上り切り平坦な所に出ます。

  • またまた階段です。この辺になると石段は雑な作りです。<br />石段は出だしは辛うじて整備された階段でしたが、ここ迄来ると段も不規則になり<br />歩きにくくなります。

    またまた階段です。この辺になると石段は雑な作りです。
    石段は出だしは辛うじて整備された階段でしたが、ここ迄来ると段も不規則になり
    歩きにくくなります。

  • 振り返って見ると、かなりの坂を上ってきました。行くも地獄、戻るも地獄、<br />もう上るしかありません。

    振り返って見ると、かなりの坂を上ってきました。行くも地獄、戻るも地獄、
    もう上るしかありません。

  • 古いタイプの石垣が続きます。もう急峻な坂はなさそうです。

    古いタイプの石垣が続きます。もう急峻な坂はなさそうです。

  • 高低まちまちの階段を上ったり、降りたり、道なりに歩きます。

    高低まちまちの階段を上ったり、降りたり、道なりに歩きます。

  • なだらかな石段があります。近年整備したご苦労が偲ばれます。

    なだらかな石段があります。近年整備したご苦労が偲ばれます。

  • 右 天守 本丸跡 と彫られた石碑 まだ新しく近年の物と思われます。

    右 天守 本丸跡 と彫られた石碑 まだ新しく近年の物と思われます。

  • 石柱には「織田信澄邸跡」「森蘭丸邸跡」とあります。

    石柱には「織田信澄邸跡」「森蘭丸邸跡」とあります。

  • 石垣に沿って歩きます。大小様々な石が使われていますが、この山の上まで運んだのですね。

    石垣に沿って歩きます。大小様々な石が使われていますが、この山の上まで運んだのですね。

  • 同じ場所の石段

    同じ場所の石段

  • 石垣には巨大な石も使われてます。山中の環境では苔むしていますね。

    石垣には巨大な石も使われてます。山中の環境では苔むしていますね。

  • 訪れる人はまばらです。

    訪れる人はまばらです。

  •  ここは石垣が垂直に組んであり、黒金門跡と思われます。

     ここは石垣が垂直に組んであり、黒金門跡と思われます。

  • 黒金門を過ぎると、やや広くなります。

    黒金門を過ぎると、やや広くなります。

  • 本丸跡に続く石段です。

    本丸跡に続く石段です。

  • ゆるい石段をさらに行くと

    ゆるい石段をさらに行くと

  • 仏足石がありました。<br />神も仏も信じないと言われた信長が置いたものとは思われませんね。<br />でも、摠見寺を菩提寺として建立しているのは矛盾してませんか?<br />それは家来達に対する体裁を整えたに過ぎないのかもしれません。<br />一説ではこの仏足石は単なる石材として運ばれてきたと言います。<br />さすが、信長です。

    仏足石がありました。
    神も仏も信じないと言われた信長が置いたものとは思われませんね。
    でも、摠見寺を菩提寺として建立しているのは矛盾してませんか?
    それは家来達に対する体裁を整えたに過ぎないのかもしれません。
    一説ではこの仏足石は単なる石材として運ばれてきたと言います。
    さすが、信長です。

  • 山頂は意外と広く、本丸、天主、2ノ丸、3ノ丸等が置かれるほどです。

    山頂は意外と広く、本丸、天主、2ノ丸、3ノ丸等が置かれるほどです。

  • 本丸跡と思われるところにこんな石碑が建っていました。<br />「護国駄都〇」〇の部分は私の辞書にはありません。土偏に合の下に田と言う字です。駄都とは自分や家来を苦しめてまで敵を欺く方法だということです。<br /><br />・・・信長が建てたとは思えません。案外第二次大戦中に軍部が建てたのじゃないかな?

    本丸跡と思われるところにこんな石碑が建っていました。
    「護国駄都〇」〇の部分は私の辞書にはありません。土偏に合の下に田と言う字です。駄都とは自分や家来を苦しめてまで敵を欺く方法だということです。

    ・・・信長が建てたとは思えません。案外第二次大戦中に軍部が建てたのじゃないかな?

  • 上部が平らなテーブルのような石が置かれていました。築城に際し、何処に遣おうか迷っているうちに、放置されて現在に至りました。と推定します。

    上部が平らなテーブルのような石が置かれていました。築城に際し、何処に遣おうか迷っているうちに、放置されて現在に至りました。と推定します。

  • 石垣の角を曲がれば、天主跡に至る、と思いながら

    石垣の角を曲がれば、天主跡に至る、と思いながら

  • また階段があり、この石段を上れば天主跡に違いない。眺望が開け、すばらしい天守閣の跡があるのです。

    また階段があり、この石段を上れば天主跡に違いない。眺望が開け、すばらしい天守閣の跡があるのです。

  • あれっ?これが天主?跡。<br />礎石が規則正しく並んでいます。ここは地下の部分、この上には5層7重の(地下1階、地上6階)の日本初の天主閣が建っていました。

    あれっ?これが天主?跡。
    礎石が規則正しく並んでいます。ここは地下の部分、この上には5層7重の(地下1階、地上6階)の日本初の天主閣が建っていました。

  • 建造当時は郭が琵琶湖に接していました。地下1階地上6階建てで、天主の高さが約32メートル。それまでの城にはない独創的な意匠で絢爛豪華な城であったと推測されています。<br /> 城の外面は各層が朱色・青色・あるいは白色、そして最上層は金色だったといいます。内部は、狩野永徳が描いた墨絵で飾られた部屋や、金碧極彩色で仕上げた部屋などがあり、当時の日本最高の技術と芸術の粋を集大成して造られたといわれて<br />います。

    建造当時は郭が琵琶湖に接していました。地下1階地上6階建てで、天主の高さが約32メートル。それまでの城にはない独創的な意匠で絢爛豪華な城であったと推測されています。
     城の外面は各層が朱色・青色・あるいは白色、そして最上層は金色だったといいます。内部は、狩野永徳が描いた墨絵で飾られた部屋や、金碧極彩色で仕上げた部屋などがあり、当時の日本最高の技術と芸術の粋を集大成して造られたといわれて
    います。

  • この城を築城した目的は岐阜城よりも当時の日本の中央拠点であった京に近く、琵琶湖の水運も利用できるため利便性があり、加えて北陸街道から京への要衝に位置していたことから、「越前・加賀の一向一揆に備えるため」あるいは「上杉謙信への警戒のため」などと推察されています。

    この城を築城した目的は岐阜城よりも当時の日本の中央拠点であった京に近く、琵琶湖の水運も利用できるため利便性があり、加えて北陸街道から京への要衝に位置していたことから、「越前・加賀の一向一揆に備えるため」あるいは「上杉謙信への警戒のため」などと推察されています。

  • 山頂の天主に信長が起居、その家族も本丸付近で生活し、家臣は山腹あるいは城下の屋敷に居住していたとされます。<br />ちなみにここ安土山は標高199m、比高つまり地上からは112mあります。<br />無事登りきりました、信長公の顔を思い浮かべながら登ると、足が自然に動いていました。

    山頂の天主に信長が起居、その家族も本丸付近で生活し、家臣は山腹あるいは城下の屋敷に居住していたとされます。
    ちなみにここ安土山は標高199m、比高つまり地上からは112mあります。
    無事登りきりました、信長公の顔を思い浮かべながら登ると、足が自然に動いていました。

  • 遠方に琵琶湖が見えます。当時はこの土地はすべて湖の底だったという。<br />水に守られた要害だったに違いない、今の状態を知ったら、さぞや<br />逆鱗に触れたことでしょう。

    遠方に琵琶湖が見えます。当時はこの土地はすべて湖の底だったという。
    水に守られた要害だったに違いない、今の状態を知ったら、さぞや
    逆鱗に触れたことでしょう。

  • この山頂から見ても。眺望はすばらしいですが、さらに7層の天主閣から眺めたけしきは格別だったに違いありません。幾多の合戦を制し、上り詰めた今の地位、天下布武は我が手にあり、と叫んだでしょう。<br /><br />しかし、3年後・・・

    この山頂から見ても。眺望はすばらしいですが、さらに7層の天主閣から眺めたけしきは格別だったに違いありません。幾多の合戦を制し、上り詰めた今の地位、天下布武は我が手にあり、と叫んだでしょう。

    しかし、3年後・・・

  • 1582年(天正10年)、家臣明智光秀による信長への謀反(本能寺の変)の後まもなくして何らかの原因によって焼失し、その後廃城となり、現在は石垣などの一部の遺構を残すのみですが、当時実際に城を観覧した宣教師ルイス・フロイスなどが残した記録によって、焼失前の様子をうかがい知ることができるそうです。

    1582年(天正10年)、家臣明智光秀による信長への謀反(本能寺の変)の後まもなくして何らかの原因によって焼失し、その後廃城となり、現在は石垣などの一部の遺構を残すのみですが、当時実際に城を観覧した宣教師ルイス・フロイスなどが残した記録によって、焼失前の様子をうかがい知ることができるそうです。

  • 登山に疲れ切って、朦朧としていたとき、突然現れた武将、それは織田信長かと思われる人に声をかけられました。<br />「わしの子孫の男がフィギュアスケートとかいうものをやっていると聞いて居る、<br />しかも、泣き虫だというではないか。」

    登山に疲れ切って、朦朧としていたとき、突然現れた武将、それは織田信長かと思われる人に声をかけられました。
    「わしの子孫の男がフィギュアスケートとかいうものをやっていると聞いて居る、
    しかも、泣き虫だというではないか。」

  • 逃げるように城を後にします。

    逃げるように城を後にします。

  • 振りえって見ると、信長が追ってくるような気がします。

    振りえって見ると、信長が追ってくるような気がします。

  • 下りてきたところの芝生ではルンバのような芝刈りロボットが<br />一心に働いておりました。<br />信長に献上したら喜ばれたでしょうね。

    下りてきたところの芝生ではルンバのような芝刈りロボットが
    一心に働いておりました。
    信長に献上したら喜ばれたでしょうね。

  • 安土城考古博物館に来ましたが、今日は月曜日でした。したがってお休みでした。<br />金箔の瓦を見たかったなぁ。<br /><br />(本文には事実でないことが含まれています。したがって受験には役立ちません。<br />ご了承下さい。)

    安土城考古博物館に来ましたが、今日は月曜日でした。したがってお休みでした。
    金箔の瓦を見たかったなぁ。

    (本文には事実でないことが含まれています。したがって受験には役立ちません。
    ご了承下さい。)

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この旅行記へのコメント (14)

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  • 旅猫さん 2025/03/29 08:12:07
    安土城跡
    pedaruさん、こんにちは。

    安土城跡、未踏の地です。
    近江八幡から、自転車で訪れたのですね!
    そんなに時間が掛からないものなのでしょうか?
    安土城が、そのまま残っていれば、国宝でしょうね。
    あの状況では、火を付けるしかなかったでしょうけど。
    石仏が埋め込まれた石段、うっかり踏まないように、表示がしてあるのでしょうね。
    墓石も結構使われたとされていますが、さすがに残っていないのでしょうかね。
    石垣と石段くらいしか残っていない安土城ですが、いつかは登ってみたい。
    先日読んだ白洲正子氏の「近江山河抄」のおかげで、近江がさらに魅力的になったので、近江にはまた足を向けたいと思っています。

    旅猫

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2025/03/30 06:02:27
    Re: 安土城跡
    旅猫さん おはようございます。

     安土城へは近江八幡から自転車で出かけました。電動ですので体力はほとんど使いませんでした。一時間もかからなかったと思います。
     でも、知らない田舎道というより農道を走るのは気持ちのいいものです。
     山の上に城を構えるというのは戦略上重要だとおもいますが、権威を示すにも最適ですね。私も小高い山を見ると、この山はあの頂上に城を建て、街を睥睨したら最高だろうな、などと思います。
     イタリアなどでも低い山の上や丘などに豪邸を建てている様子を見ることがありますが、車が使えるならこれもいいですね。って先立つものがあっての話ですが(笑)。
     白洲正子の武相荘でしたか、旅猫さんならすでに訪問済みだとおもいますが、私も一度行ってみたいと思っています。
     本をお読みになって、近江の魅力を発信してください。楽しみにしております。

     pedaru
  • hot chocolateさん 2025/03/17 05:03:16
    安土城跡
    pedaruさま

    お早うございます。
    安土城跡の旅行記にお邪魔しています。
    去年の紅葉の頃、滋賀県の大津・長浜に行きました。
    ゆったりとした日程だったので、安土城跡にも行けるかと思っていたのですが、バスや電車利用で、思いのほか時間をロスし、行くことができませんでした。

    安土城跡のあの石段は何段ぐらいあるのでしょうね。
    山形の立石寺(山寺)の石段は千段とか。
    石段の中に、石仏も使われていたとか、信長らしいなと思いました。(知らんけど)
    あの比叡山も、伽藍だけでなく僧侶ごと焼き払ったというのですから、神仏すら恐れ知らずのようです。

    安土城跡の石段を登っていくと、歴史上なじみのある人物の館跡もあって、歴史好きなら楽しい!でしょうね。

    hot choco

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2025/03/18 06:16:58
    Re: 安土城跡
     hot chocolateさん おはようございます。

     ご無沙汰しております。にもかかわらずコメントくださいまして
    ありがとうございます。
    chocoさんも安土城に行こうとしていたのですね。行けなくともさほど
    残念な城跡ではありませんので、それはそれで良かったと思います(笑)。
    chocoさんにはあの城は合いません、もっと優雅な城がお似合いです。

     歴史の証拠として仏像の彫られた石の階段、危うく踏みそうになって
    上から転げ落ちそうになりました。直線で上る危険な階段です。
     安土城は標高では199mとか聞いていますが、地上からはその半分くらいの高さですが、頂上近くの石段は土の上に置いただけのものが多く
    歩きにくいので苦労をしました。
     意地で上ってしまったというところです。杖を使えばよかったと後悔しました、木の枝だけの杖ですからpedaruには良く似合ったと思います(笑)
     
     戦国武将は食うか食われるかの生き方をしていますから、ほとんどの武将は、冷血で、神仏は戦に勝つための道具、信じたふりをして家来を安心させるための計算でしょうね。神仏を信じていたら、あんなに人は殺せませんよね
     安土城が残っていたら、日本一の観光地になったでしょうね。

     pedaru
  • しにあの旅人さん 2025/03/01 21:19:22
    真相発見!
    信長さんも歩いて登ったのですかね。
    本人も家来も麓に屋敷を持っていて、普段はそこで暮らしたのではないのだ。本人達はいいけれど、年寄りや奥さん、小さい子ども達はどうしたのでしょうか。雨が降ったら滑りそうな石段です。
    大変だなあ。
    明智光秀謀反の真相。あの石段をもう登りたくなかった!

    後世天守閣などと言うものは、こけおどしで、おれは偉いんだというために作ったと学校で習いました。それに住んだというのはすごい。
    でも信長以降は天守閣に住まなかったというからには、住みにくかったのでしょう。
    考えてみればあたりまえで、寝室から居間、トイレ、お風呂、どこにいくのも全部階段というのは、だれだって、絶対いやです。
    7階建てでしょう。
    冗談じゃない。

    これだけいい立地ならだれか跡地を利用しそうなモノですが、ほったらかしにされた理由が分かりました。

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2025/03/02 06:56:23
    Re: 真相発見!
    しにあの旅人さん おはようございます。

     本能寺の変は後世幾多の歴史学者がああだ、こうだと真相を議論していますが、いまだにこれだ、という説は見いだせませんね。
     だが、今回古代日本史が専門ながら、他の歴史にも詳しいしにあさんが
    石段登るの嫌い説を発表しました。実に明快な答えだと感心いたしました。一度登ってみればお説が身に染みます。反対意見は出てきませんね。

     大手道と称される石段、山は普通つづら折りなどに道を作って登る物ですが、なんと真っすぐに続いているのです。しかも途中に石仏の石段があり、踏まないようにとか、高さに高低をつけたり、大小の石を並べ歩きにくくしたり、障害物競争かっ。
     敵の侵入を阻むつもりなら、いっきに石段が崩れる仕掛けをしたらいいでしょう、ドリフターズかっ。
     現代に私なら眺めのいい天主閣に住んで、女房とは顔を合わせず、食事その他はすべてドローンで宅配してもらいます。

     話は変わりますが、安土山は寺の所有だと主張し、安土城に新たな登山道を作ったり、無断で登山をすることを禁止しています。
     信長が死んだのをいいことに、欲の深いことを主張しています。このままでいいのでしょうか?国民は山が織田家でなく、お寺の所有だとは誰も思っていませんね。しにあさん、なんとかお力を貸してください、安土山を取り返そうではありませんか。

     pedaru
  • ポテのお散歩さん 2025/02/28 01:41:17
    信長の夢の跡
    pedaruさん こんばんは。

    安土城を登られたのですね!
    彦根城の坂でおののいている私なので
    安土城は雲の上です。

    前田利家の屋敷など、各武将の屋敷があり
    当時の人は何食わぬ顔で、必要なら1日に数回上り下りしたのでしょうね。
    この階段を信長も蘭丸も、多くの歴史上の人物も歩いたと思うと
    特別な気分になります。

    歴史上の人物で、実際にどんな方だったのか知りたいのが織田信長です。
    本当に、TVで観るような激しい方だったのか
    本能寺の変が無くて、寿命を全うするまで生きていたら
    どんな日本になっていたのか、歴史に「。。。たら」「。。。れば」は
    ありませんが、知りたい気もします。
    織田信長は怖いイメージですが、後世の人にとっても魅力のある方ですね。

    安土城が残っていたら。。。と、残念ですが
    跡形も無くなったのが信長らしいのかも知れませんね。
    私では絶対登れない安土城跡を見せて頂き、ありがとうございます(*^-^*)

      ポテ

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2025/02/28 06:41:02
    Re: 信長の夢の跡
    ポテのお散歩さん おはようございます。

     安土城、この私でも登れたのですから、ポテさんなら簡単です。
     デパートでお買い物に付き合うよりは大分楽ですよ(笑)。

     テレビドラマなどでお馴染みの武将達があの石段を歩いたと思うと
    ワクワクしますね。しかしそんな心の余裕はありませんでした。石仏を踏まないようにとか、転ばないようにとか、落ちてたお金を拾うところを見られないようにとか、いろいろ気を遣いました(笑)。

     歴史にたら、ればは禁止でしょうが、信長が生きていたら、鎖国はしないで、医学、工学、化学や、雑学?などを導入し、コンクリートで築城し、大砲を作り、西欧列強を驚愕せしめていたでしょう。
     世界初の原子力発電所をつくり、反原発の人々を弾圧していたかもしれません。木造ながらペンキで黒く塗り、黒船などと称し、アメリカに開国を迫ったりしていたでしょう。
     楽市楽座、市場で楽に座れる座布団などを販売したりして、人気を集めていたでしょう。考えたらきりがありませんが、pedaruなど真っ先に
    切り殺されていたでしょう、恐ろしや。

     pedaru
  • mistralさん 2025/02/27 22:41:26
    安土城
    pedaruさん

    こんばんは。
    信長さんが築城されたお城の遺構
    途中で引き返すとおっしゃりながら、とうとう最後まで登り切ったんですね。
    安土城の石段が最初に見えたところまでは、レンタサイクルで走り始めてからは
    どれほどの距離だったんでしょう。
    景色の様子からは、結構な距離を既に走られたのかと思ったものですから
    1日の運動量としてはかなりのものと思われました。

    仏像を石段の一部に使ってしまう信長 (実際は家臣の仕事?)
    家臣団の住まいをお城の麓近くに構えさせて、何かあればすぐ登城させるとは
    天守閣で眺めた景色はさぞや絶景かな、と見えたことでしょうね。

    pedaruさんがいつになく黙々と石段を上がっておられるご様子で
    もしかしたら信長さんと同行二人で登っておられたのでしょうか。
    それとも信長さんが後ろから背中を押してくれていたのか?
    不思議な力を感じられませんでしたか?

    石段が延々と続く不思議な、素敵な旅行記でした。

    mistral

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2025/02/28 06:09:17
    Re: 安土城
    mistralさん おはようございます。

     自転車で近江八幡駅から安土城まで走りました。それから近江商人発祥の地というところに行きました。
     私は歩くのは苦手で、一日なん歩も歩けませんが、電動アシスト自転車なら日が暮れるまで走れます(笑)。

     安土山は標高が199mしかありませんが、登るとなるとたいへんです、
    しかし、引き返すのも悔しいし、同じ歩くなら上まで行ってしまおうと言う誤った算数で歩いてしまいました。信長にも会えたし、登ってよかったと思っています。

    >それとも信長さんが後ろから背中を押してくれていたのか?

     背中を押してくれたのならいいですが、抜き身の刀を背中につきつけられて歩きました、怖かったー。

     石垣、石段、石溝ばかりの旅行記でした。

     pedaru
  • ちーちゃんさん 2025/02/27 21:41:05
    安土城に来るなんて人は、何人もいません。
    はい!その中の2人が私と駄作です。

    こんばんはpedaruさん(*^_^*)

    私も物好きな1人。
    旅行記を始める前、京都へ行った帰りに安土に寄りました。
    勿論、安土城に登る為です。
    あの左側の秀吉の屋敷跡のところで、大きな蛇に出くわした事が1番の思い出です(笑)

    ただ、何も無いからこそ、空想の世界が広がって、楽しく苦しく登りきりました。
    登りずらい石段もやっと登り、
    そこにあった城の礎石が整列した景色に、
    感慨深い物がありました。
    それと同時に、「意外と小さいな。」と言うのが正直な感想でした。

    私達が登った時も物好きな人が1~2人しかいませんでした。
    まあ私達も入れると物好きが、2~4人の倍になりますね(#^.^#)

    私達も博物館へ行けずじまいだったので、またいつか行きたいと思っていましたが、なかなか行けずにいました。pedaruさんの旅行記を拝見してまた行かなくちゃと思いました。

    いつ行けるかなあ(´∀`*)


    pedaru

    pedaruさん からの返信 2025/02/28 05:51:29
    Re: 安土城に来るなんて人は、何人もいません。
     ちーちゃん おはようございます。

     羽柴秀吉の邸宅跡は確か標識があったのに写真を撮らなかったので、あの写真がほんとかどうかは分かりません。どうせ誰も気づかないだろうと邪な考えで載せてしまいました。
    いい加減な編集をしているとちーちゃんのような鋭い人に指摘されそうな気がします。しかしここで秀吉の使いの蛇に会われて、お話をしたというのですね?たいへん貴重な経験でしたね。(話をしたとは言ってません、と抗議あり)。
     確かに天主跡は意外と狭い場所ですね、私の書斎?あるいはちーちゃん家の玄関?トイレ?というところです。こんなことを言っては信長様に
    打ち首にされそうです、冗談、冗談ですよー。

     好奇心が強いのは群馬県人の特徴というデータはありませんが、案外当たっているかも。

     pedaru
  • norisaさん 2025/02/27 14:07:00
    昔の栄華
    pedaruさん

    こんにちは。
    自分の旅行記にいいね!をしてくれた方々のお礼でいいねの30件を超えてしまいました。
    明日忘れずにさせて頂きます。

    さて、安土城跡、我々も何年か前に行きましたがスケジュールが詰まっていて上には登りませんでした。
    pedaruさんのおかげで良く理解できました。
    昔はさぞや栄華を誇ったことでしょう!

    仏足石ですが、信長も多少は信心があったのでは?
    現代人も100%の信心ではないものの神社仏閣で手を合わせますからね(苦笑)
    立派な寺院もあったとは知りませんでした。

    確かに博物館は見たかったですね!
    昔の安土城が再現されているのでしょう。

    norisa

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2025/02/28 05:28:12
    Re: 昔の栄華
    norisaさん おはようございます。 

     人気者は大変ですね、皆さんの好意にこたえる配慮が支持される所以ですね。私なんぞは気が向いたときだけしかいいねをしないものですから、自分のいいねの数ばかり気にしている割には、アクセスや投票がすくないのです。
     norisaさんの真摯な態度がミリオンアクセスを生んでいるのだと思いました。
     ところでnorisaさんも安土にはお出かけでしたか、日本史最大の人気キャラの信長、彼の城と言うだけで私も行ってきました。
    いつの間にか上り切りました、体力はなくても精神力で成し遂げました。
    なんて大げさな物ではありません、地上からわずか100mちょっとの高さの山ですから、軍人精神をまねなくても登れます。
     仏足石は材料として持ち込まれましたが、誰もこれを利用しようという合理的な考えをもった武将はいなかったのでしょうね、下部の者の信頼を得るために仏足石を使わない方が合理的だと判断したのだと思います。
      
     博物館が休館だったのは、pedaruらしい完璧と無縁な結末でした。

     pedaru

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