2024/11/09 - 2024/11/09
100位(同エリア1182件中)
pedaruさん
- pedaruさんTOP
- 旅行記443冊
- クチコミ9件
- Q&A回答0件
- 696,336アクセス
- フォロワー162人
旅行記と言うからには、その土地に関連することを書かねばならない、しかし私はもうアメリカに行くと言う望みも体力もなくなった。
旅行記とは離れた話題で失礼します。
それは見知らぬ人からの電話で始まった、ここからどうやってそちらに行ったらいいのでしょうか?と言う突拍子もない質問だった。今どこにいるのですか?と聞くと今江戸川区役所の傍だという。
江戸川区役所なんて一度も行ったことはないし、ここ小岩からはバス便しかない、第一、何処の誰かも分からない人からこの質問である。
事情を聴いてみると、修理してもらいたいものがある、新聞で知ったので、訪ねて行きたい、ということだった。
東京新聞の読者交流の欄に、ジュエリーのトラブルを解決します、と言う投稿をした覚えがあった。声の主はこの記事を頼りに大田区から私の所を目指していたのである。
基本的に貴金属以外はやらないのです、と言いながらもわざわざ頼ってきているのにむげに断れない、出来ないかもしれないがダメもとで拝見します、と言って電話を切った。
玄関に立ったのは70歳を超えるかなと思われる長身の紳士だった。応接間で話を聴くと、戦争中日本軍の捕虜の米兵に対して親切にしたのを恩に着て、本国に帰る時自分のスクールリングを彼に与えたものだという事だった。
長年放置していたのだが、リングのサイズを直して自分が身に着けたい、兵士も喜んでくれるだろう、と言う気になった。ところが、どこの店に相談してもやれるところは一軒もなかったという。バカでかいサイズなうえ、ゴールドでもなし、一体どんな素材かもわからないものを直せる店があるわけがない、しかし、彼の真剣な顔を見ていたら、やってあげたくなってしまったのだ。何日後かに彼はきれいに仕上がったリングを取りに来て感動して帰って行った。
これがきっかけで、その人との交流が始まった。大田区の久が原という駅前に住んでいるということだったが訪ねることもなかった。
年賀状には2,3ミリの細字で近況を詳しく伝えるような几帳面な人だった。ある時、三宅島の別荘に是非と誘われた。私たちは3人の子供を連れて島に向かう船に乗った。三宅島では何日後かに噴火することも知らず、噴火口の近くで土産物を楽しんだりした。
その後何年かしたときハガキが届き、例の細字で詳しく、「いま、ニューヨークに来ています、エンパイヤステートビルにいます。80歳の私は得意の英語を駆使して、単身アメリカを楽しんでいます」と記してあった。
米軍兵士との交流も旅行も彼が英語教師だったことで頷けた。
何年か後に届いたはがきは喪中の知らせで、彼が他界したこと、戦後戦争で負傷した身体で、懸命に生きてきたことなどが綴られた奥様からのものだった。
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 自転車 新幹線 JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
彦根城は天守閣だけでなく堀も石垣も立派でした。
-
入城しようと入り口に向かっていると、右に折れる道の先に立派な門構えの家がありました。
「埋木舎(うもれぎのや)」と言う表札にしては大きすぎですが、ありました。 -
ここは後年彦根藩の藩主になる井伊直弼が住んでいた家です。
文化12年藩主直中の14男として槻御殿(けやきごてん)で生まれました。
父の死とともに槻御殿から中堀に面した尾末町のこの屋敷に移りました。 -
庭を通って先に進むと屋敷の南側に出ます。
-
部屋の障子は開け放たれ、中の様子が見えます。入場料は取る物の、家の中には入れないので、畳の傷む心配はありません。良いアイデアです。
しかも暖冷房の経費が掛かりません。
ちなみにこの屋敷は個人所有だそうです。 -
御居間の向こうには井伊直弼らしき人物が密談らしき様子です。
同席しているのはお側役の大久保小膳と言う方です。
それにしても説明板が大きくて親切なのはわかるのですが、ちょっとうるさいですね。 -
次の部屋には奥方と娘か女中かがいます。
と想像で書きましたが、そばの説明板を読むと、2人は直弼のお世話係で、立っている方は江戸で暮らすことになった時も呼ばれてお世話していたそうです。
人形はふつう立体の蝋人形なども多いのですが、ここのは板に描いた平板なもののように見えました。 -
「座禅の間」直弼は13歳より禅の修行をしており、この部屋でも修行をしていたと言われております。
17歳より32歳までこの埋もれ木の家で過ごしました。 -
このように雨の日でも、猛暑のときでも外から見学できる仕組みになっております。
-
手を入れ過ぎない自然体の庭です。歩いていて気持ちのよくなるお庭ですね。
-
人の通りは少ないですが、大手門を通るとき渡る橋です。擬宝珠の付いた木製の立派な橋です。
-
目立つ色合いの屋形船が通るところでした。船頭さんもゆったりと仕事乍ら寛いでいるように見えました。
-
これもお堀でくつろぐ鴨たちです。
-
美しく管理されたお堀、石垣、植木です。
堀に沿って石垣が見られますが、土塁の下部にあるのが腰巻石垣とよび
中層の石垣を鉢巻き石垣と呼ぶそうです。 -
先ほどはお堀を右回りに巡ったので、こんどは左回りではどんな様子が
見られるか、周ってみます。 -
400年以上前の佇まいを保つ貴重な自然です。
関ヶ原の戦いの論功行賞で石田三成の佐和山城と旧領を拝領して
大津城から移築し20年近くをかけて彦根城を完成させました。 -
堀だけを見学する人は稀ですから、静かな佇まいです。
その稀な男に付き合う息子が気の毒です。 -
堀端の静かな所に、人の住まない家がありました。
誰も住まず放置されている立派な家、何らかの事情が
あるのだろうか?余計なことを考えます。 -
また余計なことを考えさせる家が見えてきました。
気になるなぁ・・・ -
小腹が空いてきたので、お堀に面したお蕎麦やさんで食事にしよう。
-
お昼をだいぶ過ぎていたので、空いていました。
-
こんな感じの店内の様子です。
-
目的なしに走っていると、おー、ありました、武家屋敷の長屋門、ところが手入れはほとんどしてない感じのリアルな建物です。
後日調べると彦根市重要文化財 旧鈴木家長屋門だと分かりました。 -
一部はこんな様子で痛んでいて、いつ壊すのか恐れを抱きます。
-
裏へ回ると庭があり庭の境界もなくなっているけど、ちょっと手入れしたらよくなるお庭でした。
-
人が住んでいるかも知れないので、早々に引き上げます。
-
こんな格子窓も味わい深い
-
古い家を改装してカフェにしている家もありました。
-
普通の家ですがどこか懐かしい思いがします。
-
普通の道を走ると何かが現れて、新しい発見もあります。
それはなぁに? わかりません、分かっていたら発見にはなりません。
なるほど。 -
おや?感じの良い家がありました。二階が低いですね。
真偽は分かりませんが、中二階の方が税金が安いそうですよ。
私の実家ではそう言ってました。 -
格子が細かいですね。ワクワクします。
-
長い塀の家がありました。塀の上には屋根がついてます。
-
正面には立派なお寺が見えました。
-
右側にある石碑を見ると独特の字で南無妙法蓮華経と彫ってあります。
日蓮宗のお寺です。寺の名前は?忘れました。 -
さっきの屋根付きの塀の家、お金持ちらしく植木も立派です。
-
素敵な装飾のあるレトロな建物です。
-
次々と現れる素敵な家、千本格子の家です。
-
城下町の雰囲気がする家ですね。
-
大きなお寺がありました。浄土宗宗安寺と表示されていました。
朱塗りで赤門と呼ばれている山門は、佐和山城の大手門を移築したと伝えられ、1701(元禄14)年の彦根大火で、寺の建物で唯一焼け残ったものです。また、火災の翌年には本堂を長浜城の付属御殿を拝領して再建しています。 -
夢京橋キャッスルロードと呼ばれる一種の商店街です。
お城まで白壁と黒格子の町家風に統一された日本家屋的な店舗が並んでいます。
お洒落な土産物、グルメなど魅力的な物が売られています。 -
そのキャッスルロードに面した歴史あるお寺です。どんな発見があるでしょうか。
-
徳川の紋の入った鬼瓦が展示されてます。
彦根大火で本堂が焼失した際元禄15年に再建とともに使われた鬼瓦だ
そうです。高さ2,6m 横幅2,5mあります。
現在の本堂の鬼瓦も同じサイズだそうです。 -
彦根城の鐘楼よりかなり立派なのがありました。
しかし残念ながら鐘楼部分は鳩除けのため網が張られていました。
鳩が沢山糞をするので仕方ないですね。 -
本堂前の石碑には浄土宗の念仏 南無阿弥陀仏の文字が彫ってあります。
-
戊辰戦争で死亡した彦根藩士の墓
木田まり喜一郎秀正の墓。
徳川四天王の一人井伊直政の彦根藩ですが、新政府を支持し官軍として
旧幕府軍と戦いました。世の流れに逆らわず、戦禍から街と人命を守った選択は
正しかったと言えるでしょう。 -
墓地の中にある木村重成の首塚です。 木村重成は文禄二年(1593)に木村重茲の子として生まれ、母が豊臣秀頼の乳母となった事から、幼少期から秀頼の小姓として仕えたといわれています。容姿端麗でイケメンだったとか。なぜか親近感を覚えるなぁ。ってどういう意味?
-
元和元年(1615)大阪夏の陣で若江堤に武運のつたなくして討死した豊臣方の名将木村重成の首級を彦根藩士安藤長三郎は傍らに生い繁るすすきに包み込みこれを護持して帰陣し、自分の墓に埋葬しました。
右側の石塔は安藤家の墓です。
-
朝鮮通信使の宿泊所でもあったため、朝鮮高官像などの関係資料が残っているそうです。
-
大阪夏の陣で討ち死にした木村長門の守の首を持ち帰ったが
その際、首を包んだススキの穂が落ちて根付いたが、不思議なことに赤みがかった姿になったと伝わる。このため、「木村重成公血染めのススキ」と呼ばれるようになった。 -
次にやってきたのは、長屋門、えっ?また?すみません、ワンパターンです。
江戸時代の様子をよく残した旧武家屋敷跡。現在、彦根に残されている武家屋敷の中では最大の門です。軒裏、出桁まで漆喰(しっくい)で塗り込め、どっしりとした雰囲気は、重厚な感じを与えます。この門の北側に一連の袖塀が続き、西端に薬医門(やくいもん)と呼ばれる高麗門(こうらいもん)が立っています。 -
一千石以上の高禄の武士の居住地でした。西郷家も三千五百石の彦根藩家老の家柄です。 この門は旧武家屋敷の面影を残す貴重な遺構で、市指定の文化財です。
-
旧西郷屋敷長屋門・袖塀・薬医門
きゅうさいごうやしきながやもん・そでべい・やくいもん
と呼ばれています。 -
-
長屋門を内側から見たところ。
門以外はありません。屋敷はとうに取り壊されてしまったようです。 -
滋賀縣護國神社
戊辰戦争から第二次世界大戦までの滋賀県関係の戦歿者3万4千余柱を祀る。 -
彦根駅 滋賀県 彦根市 古沢町にある、 西日本旅客鉄道 (JR西日本)・ 近江鉄道 の 駅 です。
-
駅の中にありました。国宝「彦根屏風」のレプリカです。
-
旅行では土産を買わない私ですが、孫にだけは別です。
ひこにゃんのぬいぐるみを買いました。
参考文献 パンフレット、ネットのブログ、彦根市ホームページ等
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (26)
-
- SAKURAさん 2025/01/15 07:27:04
- 1つの出会いを読ませて頂き感動いたしました。
- pedaruさん
はじめましてSAKURAです。
旅行記へのご訪問有難うございました。
pedaruさんの旅行記を拝見しています。
本旅行記の冒頭ではスクールリングのお話しとても感動しました。
人と人との出会いは突然訪れそしていつか去っていくこと
でも記憶に残る事でずっと繋がっていきますね!
ご紹介の一期一会が凄く心に残りコメントをさせて頂きました。
旅行記も楽しく拝見させて頂きますね!
有難うございました。
SAKURA
- pedaruさん からの返信 2025/01/16 06:24:39
- Re: 1つの出会いを読ませて頂き感動いたしました。
- SAKURAさん おはようございます。はじめまして
見知らぬ方(笑)からお便り頂きありがとうございます。
旅行記の概要として旅行記に関連することを書く欄に、いつも気ままに思いついたことを書いています。長文ですので、一部の人だけが読んでくださるものと覚悟しております。
人は誰でも忘れられない出会いや、思い出に残るお付き合いがあるものですね。私の場合、皆さんに助けられてここまでやって来ました。
他人を喜ばせるだけを自分の喜びにしている方というのが、時々いらっしゃいますね。どういう訳かお付き合いが年長の方が多いため、何人もとお別れしてきました。私自身いつあの世からお迎えが来てもおかしくない歳になってしまいましたが、幸い健康なので、出来る限り旅行などにも出かけたいと思っております。
今後ともよろしくお願いいたします。
pedaru
-
- kiyoさん 2025/01/09 08:50:21
- いいお話ですね
- pedaruさん、こんにちは。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
冒頭のお話を拝見して、
終戦記念日近くになると、新聞に掲載される戦死者やご遺族、
その遺品にまつわるエピソードの数々を思い出しました。
それぞれにドラマがあり、人生が詰まっている。
でも、そうした数々の思い出は、
その方が亡くなると、消えていってしまう。
仕方ないとはいえ、寂しい事だなと思います。
冒頭のスクールリングのお話も、胸が締めつけられました。
でも、こうしてpedaruさんがここに書きこまれたことで
このエピソードを知るはずがなかった人たちが目にして、
そして、消えることなく、これからも残っていく。
そう考えると、ネットに書き記すことも大事だな。
そんな風に感じました。
kiyo
- pedaruさん からの返信 2025/01/10 05:57:49
- Re: いいお話ですね
- kiyoさん おはようございます。
今年もよろしくお願いします。
人が死ぬと、その思い出は徐々にきえてしまいます、kiyoさんがおっしゃる通りだと思います。人の思い出の中に生きているうちは人は死んでいないのだと私は解釈しております。
親族でも友人でも、その人となりが語られるとき、まだ生きている気がしますね。
昨年兄が亡くなり、兄の娘たちは優しかった父親の死を悲しんでおります。旅行記に兄にラーメンをおごってもらった子供の頃の話を書きました
が、その旅行記を姪たちに紹介したところ、涙が止まらなかった、と喜んでいました。エピソードは沢山あるのでこの先も、解約していない兄のスマホに通信していきたいと思います。
スクーリングの話、kiyoさんが私の心境をその通り語ってくださいました。ご理解をありがとうございました。
pedaru
-
- mom Kさん 2025/01/06 15:48:47
- いよいよ関西へご出陣
- pedaruさん、彦根も愛車ペダルでしたか。お写真に影が映っていて拝察。彦根となったら、「花しょうぶ通り」が登場するか楽しみでしたが、お寺や立派なお屋敷界隈を周られたとわかりました。少し残念。あそこから遊郭のあったあたりが続いているんです。
直弼もお忍びで出かけられたにちがいないと想像しながら、黄昏時を歩くのは格別ですよ。14男で家督を継いだのですか。事情があったにせよ、教養人と言うだけでなく、優秀な方、時代に求められた男だったのでしょうか。
もう一度、桜の頃にお泊りになって、楽しんでほしい彦根です。 love 彦根の Kより
- pedaruさん からの返信 2025/01/07 07:06:30
- Re: いよいよ関西へご出陣
- mom Kさん
明けましておめでとうございます。
あれー? 「花しょうぶ通り」なんて案内本にあったかなぁ。それに興味津々の遊郭、私もお忍びで行ってみたかった、といっても私が大人になる前に廃止になった所ですね。
しかし、映画などで見る遊郭って風情がありますね。
旅行から帰って来てから気づくことが多いのですが、彦根城といえば桜ですね、石垣、お堀、これを背景に咲く桜、最高でしょうね。
桜の下を屋形船に乗って観光するのもいいですね。
この次行くときは、杖を突いて、足を引きずって遊郭の跡を歩いて
みたいと思います。
今年もよろしくお願いします。
pedaru
-
- yamayuri2001さん 2025/01/06 14:28:14
- 短編小説・・・
- pedaruさん、新年おめでとうございます。
今年も どうぞよろしくお願いいたします。
冒頭の短編小説ですけれど、私がとても楽しみにしている事をご存知でしたか?
本編より楽しみなんて言ってませんよ((´∀`))ケラケラ
このエピソードも、pedaruさんのお人柄を感じさせる
とても素敵なエピソードですね。
西日本の町並みは、関東の街並みに比べて、
とても古い町並みが多いですよね。
やっぱり、日本の歴史は西から始まったんだなと、
いつも西日本を訪ねると、思います。
関東地方には無い重みを感じるんです。
彦根の街も、やはりそうですね。
長屋門もとても立派です。
私にとって、彦根はまだ未踏の地なので、
いつかきっと歩いてみたいなと思いました。
yamayuri2001
- pedaruさん からの返信 2025/01/07 06:29:40
- Re: 短編小説・・・
- yamayuri2001さん
明けましておめでとうございます。
もう7日になってしまいました、今日から仕事です、と言っても半分は会社に行くだけですが(笑)。
冒頭の長文を迷惑がらずに、読んでくださってありがとうございます。
調子に乗って、また次の旅行記にも書いてしまいました。
関東でも川越のような重厚な蔵造りの商家があるにはありますが、かぎられてますね。ところが関西、や中国地方にはあまり知られていない町でも、伝統的な家が普通にあるのが魅力ですね。
関東地方でも、たまに戦前の雰囲気の街角などに出くわすと、懐かしいような温かい気持ちになりますね、この感情ってなんなんだろうと思ってしまいます。西日本の町ははずれがありません、yamayuriさんもぜひお出かけください。
今年もよろしくお願いします。
pedaru
-
- しにあの旅人さん 2025/01/03 17:28:05
- 長屋門
- 埋木舎が現存するのですか、知りませんでした。
個人所有だそうですが、子孫ですか。
開けっぱなしで中が見えるのは有り難いです。でも朝晩開け閉めするのは大変でしょう。雨戸はちかごろのアルミサッシなどではなくて、昔のママの木ですよね。あれは重くて戸袋から出し入れするのが大変なのです。
いらぬお節介です。
長屋門がそのまま保存されているようです。
屋敷はなくなっても昔からその場所にあるのですよね。
両側はなんに使われているのでしょう。まさか昔通りの住居、だとということはないですよね。
重厚な武家屋敷は、そのまま時代劇の背景に使えそうです。
多分、使っているのではないですかね。
西郷家の門など、赤穂浪士の討ち入りの吉良邸という感じ。
雪をどうやって降らせるかという問題はありますが。
外房にも長屋門のある農家屋敷はかなりありますが、ほとんどが明治以降の移築だそうです。
明治以降没落した旗本屋敷などの長屋門だけを、裕福な農家が買い取って移築したケースがあるそうです。外房は旗本の知行地だったので、小さな武家屋敷が多かったと聞いております。
買い取った大百姓さんは、むかしの後領主さまの気分を味わってみたかったのだと思います。
いまは維持に苦労しているみたいです。
長屋門の両側が耕運機などの車庫になっています
- pedaruさん からの返信 2025/01/05 06:43:23
- Re: 長屋門
- しにあの旅人さん
明けましておめでとうございます。
今年初の掲示板書き込み、ありがとうございます。
さて、彦根の埋もれ木の舎ですが、個人所有ながら国の文化財となってますので、補助金などでるのでしょうか?
先ほど埋もれ木の舎は昨年末から今年7月末まで休館するそうです。
ひとり大人300円入場料をもらっても受付の人件費だけでも足りませんね。
昔の建物乍ら、しっかりと建っていて、我が家の方が古い感じです(笑)。
長屋門はいくつか見ましたが、関東では千葉の農家などで見かけますが、武家から買い取ったものが多いとは初耳でした。池田家の長屋門は入り口横が厩になっていました。毎晩隣部屋に寝起きする使用人は、夜中に馬の小便の音を聞いたでしょうね。あの勢いは凄いですからね(笑)。
昨年はユニークな旅行記を読ませていただいて、たいへん勉強になりました。今年もよろしくお願いします。
pedaru
-
- 旅猫さん 2024/12/30 12:38:49
- 彦根
- pedaruさん、こんにちは。
今年もあと僅かですね。
彦根は一度訪れていますが、もう17年も前です。
でも、つい先日、その当時の旅行記を書き直したばかりなので、ちょっと懐かしさがこみ上げてきました。
彦根城の濠だけを観るというのも、なかなか渋いですね。
あの腰巻石垣は、江戸城にもありますね。
それにしても、彦根の城下に、まだ多くの古い民家が残っているのに驚きました。
17年前に訪れた時は、御城と庭園に時間を使ってしまい、城下町がほとんど歩けずでしたので、城下町を歩いてみたくなりました。
木村重成の首塚も、拝観したいものです。
それでは、良いお年を迎えください。
来年もまた、よろしくお願いいたします。
旅猫
- pedaruさん からの返信 2024/12/31 05:31:02
- Re: 彦根
- 猫旅さん おはようございます。
猫旅さんのことですから、既に訪問済みの彦根ですね。彦根城は17年経っても変わっておりません(笑)。変わっていたら国宝取り消しになってしまいます。
城下町と聞くと古民家と言うイメージが湧きますが、同じ城下町でもわが館林は古民家はほとんどありません。古くて汚い私の実家がありますが(笑)。
腰巻石垣なんて旅行記を書くまで知りませんでした。おもしろい命名ですね。近くにいながら江戸城は見学したことがありません。
新幹線に乗ってわざわざ行かなくても、近くに名城がありました、ほとんど石垣だけですが。今度行ってみたいと思います。江戸城だけで旅行記になりそうですね。
戦国時代の武将は心もすさんでいたのでしょうね、敵の首を切り、ススキにくるんで持ち帰ったそうですが、すごい猟奇的な殺人です(笑)。
そして自分の家の墓に埋葬するとは、どんな感覚でしょう。
武士にはなりたくないですね、かといって水飲み百姓にもなりたくありません(笑)。
つまらない冗談におつきあいありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。あれっ?このあいだ同じこと言ったきがします。(笑)
pedaru
-
- hot chocolateさん 2024/12/30 05:51:08
- 彦根城
- pedaruさま
ご無沙汰しております。
冒頭の、見知らぬ人からの電話のエピソード、しみじみと心打つ
お話でした。
ところで、彦根ですが、一昨年の12月に訪れたことがあります。
ゆる~い石段を登って、紅葉を楽しみながらお城まで。
敵が攻めてきたら、駆け上れるくらいの緩さですね。
ゆる~い石段は、敵にとっても、観光客にとっても優しいです。
もっとも、その先には櫓に続く廊下橋、戦時には切り落とされて
櫓からは槍や鉄砲が放たれる。
敵にとっては、やはりよく考えられた手ごわい城です。
今年の11月にも滋賀に行ったのですが、彦根には行きませんでした。
この彦根城、桜の季節はお堀の周辺の桜がとても見事で、
次回は、桜の季節に彦根城に行きたいと思っています。
今年もご訪問、いいね!をありがとうございました。
来年も素敵な旅ができますように!
よろしくお願いいたします。
hot choco
- pedaruさん からの返信 2024/12/31 05:05:33
- Re: 彦根城
- hot chocolateさん おはようございます。
琵琶湖周辺は歴史でお馴染みの所が沢山あって、なんどでも訪れたいところですね。hot chocoさんは気軽に何度も行かれていろいろご存じだと思いますが、彦根城はなんといっても桜の季節がいいのですね。
私は真間川沿いと、上野公園くらいしか知りません(笑)。
私は休みの日には自転車で出かけることが多いのですが、今は寒い時期なので、自宅でじっと日向ぼっこをしたり(亀かっ)、庭をいじったりしています。
小さな池なのですが、先日水を全部抜いて、補修をし、米ぬかを大量に居れて、水漏れの作業をしました。鯉は別の容器に入れて避難しております。ぬかは回収して乾かし、ごみに出します、大変な作業ですよ(笑)。
旅行とは離れたお話で失礼しました。今年もいろいろお世話になりました。来年もよろしくお願いします。
pedaru
-
- ポテのお散歩さん 2024/12/26 16:54:10
- 彦根城のお堀
- pedaruさん こんにちは。
彦根城のお堀のお写真を拝見すると、桜の木も写っていますね。
お城全体が桜に囲まれ、さすがに桜の名所だと感じました。
そして町を歩くと古い家が多く、観光通りの彦根キャッスルロード以外は
しっとりした佇まいが残っているのですね。
彦根の冬は積雪も多いので、来年こそは温かくなったら歩いてみたいです。
いよいよ年末に近づいてきました。
どうぞ良いお年をお迎え下さい。
来年も宜しくお願いします(*^-^*)
ポテ
- pedaruさん からの返信 2024/12/29 07:54:51
- RE: 彦根城のお堀
- ポテのお散歩さん おはようございます。
琵琶湖周辺には京都に近いだけあって、どのまちにも日本史に出てくる有名な
街がたくさんありますね。
最初はひこにゃんの彦根城だけでいいかな、とおもっていましたが、ついでに隣町の
近江八幡もいいな、えっ?豊臣秀吉の長浜もあるじゃない、だんだん欲が出てきましたが
そんな時間はありません。
京都はポテさんの地元、ちょっと散歩と移動すればどこでも歴史の宝庫ですね。
大河ドラマの光る君へがおわりましたが、ドラマに触発されて、源氏物語を読んでいます。更に京都の人気がましますね。メインの清水寺や金閣寺だけでなく、宇治や須磨も人気が高まることでしょうね。
今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。
pedaru
-
- mistralさん 2024/12/26 15:56:35
- 彦根、街歩き。
- pedaruさん
こんにちは。
いつも冒頭の文章からは、過去の出来事を振り返ってしみじみとした想いを語られているpedaruさんのことを想像しています。
このエピソードは、norisaさん宛のご返信によれば、アメリカへの旅の冒頭に
お使いになろうとされていたとっておきの逸話だったとのこと。
もうアメリカへの旅はご無理と思われているんでしょうか。
そんなことはないでしょう。
是非とも、ご家族のお力を借りてでも実現なさって、その折には再びこの想い出
を登場させて下さいませ。
お人との出会いの一つ一つが、大切でかけがえのないものであることが、このエピソードから伝わってまいります。
それはさておき、彦根の旅行記、自身の旅を思い出しながら拝見しました。
冒頭のお堀でくつろぐ鴨たちのお写真
大雪の時にも同じ鴨ではないでしょうが、水面に浮かぶ姿がたくさん見えました。
pedaruさんがカメラでとらえられた鴨さんたち、折からの水面の色彩は
深くよどんだような藻の緑色。
その色彩と、pedaruさんが語られている思い出が醸し出している色彩とが
マッチしているように感じられました、のはmistralだけ?
彦根城、周辺部の街並みも含めまして、のお写真はどこを切り取っても端正さが感じられますね。
埋木舎も時間が足らず見学できませんでした。
お庭の様子が、きちんと手入れしましたという風でなく、自然な様子が好印象です。
長屋門シリーズはご地元の街歩きで多くのご紹介をされていましたので
彦根でもついつい目に飛び込んでこられたもの、と想像しました。
それにしても立派な長屋門が多いことですね。
今年一年、こころ温まる旅行記を拝見させていただきました。
来る年も、pedaruさんご一家にとりまして良き年となりますよう、お祈りいたします。
mistral
- pedaruさん からの返信 2024/12/27 13:10:33
- Re: 彦根、街歩き。
- mistralさん こんにちは
いつも冒頭の長文でご迷惑をおかけしております。
旅行記とは全く関係のない話ばかりで心苦しいのですが、なん十分の一の
人だけが、書いた人を気の毒に思い読んでくださいます。
普段、掲示板の返信に筆が遅くて苦慮している私ですが、何にも縛られないとなると、どこまでもくだらないことを書いてしまいます。
アメリカでもどこでも家族の手助けがあればなんとかなりそうですが、
費用二倍ではケチな私は考えてしまいます(笑)。
一緒に行ってくれる家族がいるだけでもありがたい話です。実はまだ海外一人旅も不可能ではないと自負していましたが、一年位前に、誰にでもある程度の、脳梗塞の兆候がありまして、それ以来どこでも息子や娘が付いてくるようになってしまいました。
私が子供のころは外人といえば皆アメリカ人でした。隣町の米軍キャンプがまだ残っていて、英語の勉強のつもりで兵士と友達になり、たびたび遊びに行っておりました。アメリカはあこがれの国でしたね。
アメリカと戦って仇のはずがあこがれの国とは矛盾です。
彦根城のお堀の水はきれいだと思いましたが、水の色はこんなだったかな?私の話とマッチした水の色?ロマンチックですねー、
そう思ってくださるのはmistralさんだけです。
彦根の町は城下町だけに長屋門が気になります。長屋門は関東では農家にもありますが、武家の門は見た目がいいですね。母屋はなくなっても門だけは残っているところが多いですね。次は近江八幡を歩きます。
来年もよい年でありますようお祈りしています。
pedaru
-
- ふわっくまさん 2024/12/26 08:03:55
- 屋形船
- pedaruさん、おはようございます。
晴天に恵まれた中、彦根城のお堀の屋形船の赤色がとてもステキな光景に見えました(^_^)
ひこにゃんも、ホッコリ癒やされますね。
本場の!ぬいぐるみ、愛孫娘さん 喜んでいるのではーと思いました。
民家や古い家をリノベーションしたカフェ、武家屋敷跡の長屋門やお墓まで
たくさん、歩かれましたね。
ところで冒頭のジュエリーの相談で、長身の紳士とお知り合いになった経緯を伺って
ニューヨークで単身、アメリカ生活を楽しんでいた方がおられたなんて
私もこれから少しでも充実した時間が過ごせたら、と切に感じています。
貴重なお話、ありがとうございました。
ふわっくま
- pedaruさん からの返信 2024/12/26 15:34:24
- RE: 屋形船
ふわっくまさん こんにちは
どういうわけか普段の悪事を隠しきって、天が騙されるのか、いつも天候には恵まれております。海外旅行でもほとんど雨には遭遇しません。というのも行く回数が少ないのが最大の要因ですかね。
彦根城の屋形船は静かに情緒たっぷりの光景でした。ただ私たちは船の沈没を恐れて乗船しませんでした。いつ天罰が下るか恐れていますから。笑い。
出かけてもほとんどお土産は買わないpedaruですが、孫にだけは買います。受けるときと、つまらなそうにしているときがありますね。お土産でも心のこもったものは、幼いながらも、見分けるものですね。義理で買ったものは喜びません、幼児おそるべし!!
旅行記を見ると、全国いろんなところにお出かけで、パソコンを開くとふわっくまさんの
旅行記は輝いて見えますよ。毎日充実している証拠です。
良いお年をお迎えください
pedaru
-
- yunさん 2024/12/25 18:37:00
- 人生は旅路
- pedaruさん
以前、yunのNYC旅行記にコメントをくださいましたね。
『80才で単独ニューヨークに来てます』というお方のことを。
その詳細を知り、人生そのものが旅なのだ!と思い、 胸キュンです。
いつどこで、どんな人と巡り会うのか…
誰もが、まるでドラマのような出会いをしていると思います。
でもそれをスルーしてしまうか、ガシッと掴めるか、それによって人生の豊かさに違いが出るかも知れないですね。
父が「城」大好きでした。
松本城を親子3世代で訪問し、天守への急階段を無事に登り切り「満足顔」をした顔を思い出しました。
ひこにゃんってホントに可愛い!
えっ、孫にゃんの方が可愛い~ですか? そうですよね。
来年も良い旅を。
yun
- pedaruさん からの返信 2024/12/26 15:15:47
- RE: 人生は旅路
yunさん こんにちは
冒頭の話は私にとって記念すべき思い出です。仕事が取り持つ縁といいましょうか、
この仕事をやってて良かったと思います。
この方は典型的な性善説の持ち主で、三宅島の別荘にも、躊躇なく招待してくださいました。一生のあいだに何人かは手放しで付き合える人が現れるものなんですね。
お父様がお城が大好きだったとは、親近感を覚えます。日本には何百という城があったと聞きますが、残念ながら、木造ですから大部分は燃えてしまいましたね。
でも残った石垣は物言わぬ遺跡ですが、跡に立つといろんな声が聞こえてきます。
先日は、安土城跡にも行きましたが、石段だけが残って居て、死ぬ思いで上ってきました。
天守閣跡では信長の怒声を浴びてきました。「じじい!上ってくるなっ 危ないじゃないか」信長は意外と優しかったですね。
pedaru
-
- わんぱく大将さん 2024/12/25 18:04:14
- 小説の一説のような
- pedaruさん
小説の一説のような、続が読みたいというか。彼の生まれたところからのスタートに?
ファミリーヒストリーか?!
大将
- pedaruさん からの返信 2024/12/26 14:47:51
- RE: 小説の一説のような
大将さん こんにちは
えーっ いったい何処に潜伏していたのですか?ロシア?イスラエル?それとも北朝鮮?
大将ともなると前線に出ないにしても戦争とは無関係ではいられません」
先日は姫路城よりは格下の彦根城に行ってまいりました。
大将さんは兵庫県ですよね。選挙では斉藤さんに投票されましたか?
兵庫県で有名なのは一に斉藤知事、二に姫路城だという人が居ます。来年じゅうにこの噂は消えることでしょう。
良いお年を
pedaru
-
- norisaさん 2024/12/25 11:44:01
- エピソード
- pedaruさん
こんにちは。
彦根城、ここは周囲も含め良いですね。
こんなにお堀を眺めたことはありませんでした。
井伊直弼が住んでいた家は良く保存されていますね!
これが個人の持ち物というのは経緯が分かりませんが。
確かに説明書きが大きすぎるかもしれませんが、大概の観光地は小さすぎて近視でも老眼でも読めないというシロモノが多いです(苦笑)
むしろ良心的かもしれません。
さて、冒頭のエピソードですが、何とも感動的な逸話です。
その方の感動が何となく理解できます。
そして、この修理されたスクールリングを携えてニューヨークへ行ったわけですね。
その思いを遂げた後にご逝去されたのは残念ですが仕方ありませんねーー。
で、このエピソードと彦根城や街並みの関連性、これは難解なので何回も読み直しましたが、「なんか良いー」という解析しかできませんでした(爆)
今年もお世話になりました。
どうぞ良いお年をお迎えください。
norisa
- pedaruさん からの返信 2024/12/26 14:32:51
- RE: エピソード
norisaさん こんにちは
いつも早々とコメントをありがとうございます。
歳のせいか、能力のせいか、やっと書いたお返事が、消えないようにとコピーしようとしてあっという間にきえてしまいました。しかも2度も同じ失敗をやらかしました。
消すくらいなら、コピーなどしなけりゃいいのに・・・・しかし、コピーをしてどれほど
救われたか知れません。
>> で、このエピソードと彦根城や街並みの関連性、これは難解なので何回も読み直しましたが、「なんか良いー」という解析しかできませんでした(爆)
難解=何回 今気がつきました。しかも「なんか良いー」と上乗せ、座布団だけではすみません。いよいよpedaruの師匠の座を譲らざるをえなくなりました。
埋もれ木の舎は個人所有だそうですが、わずかの見学料をもらっても採算があいませんね、この家を保存するには大変な苦労があるかと思います。
私の家のように隙間風が入る、というのでガムテープで塞ぐような訳にはいきませんからね。笑い。
冒頭のエピソードは私がアメリカ旅行に行ったときの旅行記に使おうと思っておりましたが、それもむりかなぁ、と観念しましたので、書いてしまいました。彦根とは全く関係がありません。字数を増やすためだけにかいています。笑い。
来年も良い歳でありますよう
pedaru
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
26
59