2024/11/13 - 2024/11/13
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二日目に続いて、今日も湖西を歩きます。大津の宿を出発して、和邇駅から小野駅経由、湖西では坂本と並ぶ重要な街、堅田へ。最後は対岸の佐川美術館と、これもまるまる一日のコースです。
和邇駅から小野駅は、歴史の散歩道と名付けられた和邇の山すそエリア。天皇神社や小野一族の小野神社・小野篁神社、小野道風神社に石神古墳とか。京都なら分かりますが、こんなところに小野一族にゆかりの地があったんですね。ちなみに、小野一族と言えば、聖徳太子に抜擢されて遣隋使となった小野妹子を始めとして、嵯峨天皇に仕えて、漢詩に優れ書にも秀でた小野篁、小野篁の孫で和様書道の基礎を築き、後には三跡と称された書の達人、小野道風。小野道風は、柳に飛びつく蛙を見て弱気になっていた自らを戒め、改めて書の道に精進したという逸話でも有名です。そして、もう一人は美人の代名詞でもある小野小町。小野道風の従妹です。小野一族は位人臣を極めるという貴族ではありませんが、中堅の公家として日本文化の豊かさにも貢献したというほんわかした好ましいイメージはあるでしょう。文化的な面では隋や唐にまだまだ学ぶことが多かった時代。もしかしたら、途方もない高みに思えたそのレベルに少しは近づいていけたかなという願望的な気持ちも小野一族への好感イメージには重なっているところがあるかもしれませんね。また、遣隋使から帰国した小野妹子や遣唐使から帰国した小野篁は琵琶湖の風景を眺めてほっとしたに違いない。そうしたことも含めて、琵琶湖の眺めとともにその才能を育んでいった小野一族。歴史の散歩道は、面白い歴史のルーツの一つだと思います。
そして、今日のメインはやっぱり堅田。堅田は、堅田駅から少し離れますが、浮御堂のある満月寺の周辺が中心部ですね。神社やお寺に浪乃音酒造という酒蔵や古い町並みがあって、琵琶湖の狭隘部に位置する利点から、物資の中継地、漁業の町として繁栄した往時の賑わいを彷彿とさせてくれます。湖族の郷資料館にも堅田の歴史が紹介されていますが、つまり、湖族というのは堅田の人々のこと。下鴨神社の文献によると1090年の頃から琵琶湖で釣った魚を京都の下鴨神社に奉納し、その見返りとして琵琶湖での独占的な漁業権と通行権が与えられ、莫大な利益を得たというのですね。下鴨神社の葵祭では、今でも前祭に下鴨神社の御厨として葵祭の神様へ鮒と鮒鮨を献上するための献饌供御人行列が堅田から出るようです。時代は白河法皇が院政を始めた頃。寺社の勢力が強くて、堅田でも延暦寺の荘園支配が始まると武士階級の殿原衆(とのばらしゅう)と漁民や商人からなる全人衆(まろうどしゅう)が協力。自治組織を作って、それに対抗していったという時代もあったとか。延暦寺が快く思わない蓮如を堅田が匿ったりしたのも同じような背景でしょうか。その中で、応仁2年(1468年)の延暦寺の焼き討ち、堅田大責といった苦杯も舐めますが、なんとかかんとか。戦国時代の末期にも、坂本城主だった浅野長政から特権的地位を認められたり、江戸時代に入ると幕府の直轄領、佐野藩堀田家の飛び地として、独立性の高い街としての歴史は続いています。
最後の佐川美術館は、もう20年ぶりくらいかな。いつでも行けるとタカをくくっていたらこんなに間が開いてしまいました。周囲を水面が囲う美しい建物の姿は以前と変わらず。自慢の佐藤忠良のコレクションもさすがでした。ただ、素直に鑑賞できるのは平山郁夫の方かな。新館として出来た樂吉左衞門館の方はちょっと微妙。十五代吉左衞門は、歴代の当主と比べると優れているとは言えないような気がしました。まあ、いろんな評価はあると思います。
さて、これで西湖の散策は終了。明日の最終日は、いよいよ六波羅蜜寺の御開帳です。
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大津の宿を出発して、早朝の和邇駅に到着。駅前には平和堂和邇店。ここも行政区としては大津市。和邇の周辺にはそれなりの市街があるようです。
では、ここから散策開始です。 -
和邇浜水泳場は、和邇駅から琵琶湖畔に出たところ。旧市街を抜けて行った先にありました。
市街の中のビーチ by たびたびさん和邇浜水泳場 ビーチ
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あんまり広くもないし、きめ細かな砂でもないのですが、傍らに民宿があって、マリンスポーツのちょっとした対応も行っているよう。これも市街に隣接するビーチという利点かなと思います。
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イチオシ
ここから歴史の散歩道の方に向かいますが、気が付くと遠くの山々の景色が素晴らしい。
地元の人に尋ねるとこれは比良山系。 -
びわ湖バレイの方がすっかり有名になりましたが、志賀から和邇の辺りの市街から見る稜線の美しさはちょっとしたもの。周囲の山々とは明らかに違いがあって、稜線がデコボコしながらも全体としては平らに連なっています。地元の人にとっては見慣れた景色かもしれませんが、なにか特別な感じを受けました。びわ湖バレイの方もまた行ってみないといけないですね。
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歴史の散歩道は、この天皇神社から。創建は鎌倉時代後期と伝わる素盞嗚尊を祀る神社です。
鎌倉時代正中元年改造の本殿が国の重要文化財 by たびたびさん天皇神社 寺・神社・教会
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市街から向かうと緩やかな上り道を行った先にあって、鎌倉時代正中元年改造の本殿が国の重要文化財。
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イチオシ
拝殿の後ろの
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これが本殿。三間社の一間に向拝を付けた屋根切妻造り、檜皮葺。鎌倉時代の作風を良く伝える貴重なものということですが、見た目はけっこう地味かも。
ただ、境内は清々しくて、地元で大事にされている神社だと思います。 -
天皇神社から小野神社に向かいますが、その途中。和邇川沿いにあって、遠くからでもとてもきれいに整備された公園があるなと思ったら、それが和邇公園でした。
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芝生の広場や川を望むあづま屋、しっかりした堤防のブロックとかもよくできています。
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小野神社に到着しました。
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小野神社は、式内社。小野妹子や小野篁、小野道風などを生んだ古代の名族、小野氏一族の神社。
古代の名族、小野氏の神社 by たびたびさん小野神社 寺・神社・教会
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祭神は小野氏の祖である米餅搗大使主命。推古天皇の代に小野妹子が創建したと伝わります。
本殿は、あの奥ですね。 -
その途中には、小野小町の塔というのもありました。
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境内、一番奥には小野神社と小野篁神社が並んで建っています。
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イチオシ
こちら、左手は米餅搗大使主命を祀る小野神社。
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イチオシ
右手が小野篁神社です。小野神社と同じ境内にあって紛らわしいのですが、小野篁を祀り、小野神社の末社という関係。切妻造の本殿というのが珍しいようです。
なお、小野篁は、遣唐副使や参議などを務め、野宰相と呼ばれた政治家です。小野篁を祀り、小野神社の末社という関係 by たびたびさん小野篁神社 寺・神社・教会
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小野神社から、今度は、小野神社の少し南、小野道風神社へ。ここは、小野神社の飛地境内という位置づけです。
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小山の上にまっすぐ伸びる石段を上がった先。
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イチオシ
本殿だけがぽつんと建っていますが、周囲は草も生えていなくてちゃんときれい。
冒頭にも触れましたが、道風は小野篁の孫。藤原佐理、藤原行成と並び三跡と称される能書家です。 -
小野道風神社から、続いては小野妹子公園へ。けっこうな山の上を開発した団地の一角。唐臼山古墳という古墳の周辺を整備した公園です。
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古墳の奥の方。ちょっと分かりにくい場所ですが山の中に小さな小野妹子神社もありました。
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なお、一帯は公園とされていますが、あんまり公園という感じでもないかな。
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古墳の山を散策するといった楽しみ方に近いでしょう。
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そして、小野駅に到着。
和邇駅から、6キロくらいの行程でしたが、小野妹子公園までのアップダウンがちょっときつかったですね。
ここから堅田駅に向かいます。 -
堅田駅を出てすぐのところにある堅田観光案内所です。独立した建物なので、すぐに分かります。堅田の観光は、満月寺 浮御堂の辺りが中心。堅田駅からは少し距離があるので、ここで地図をゲットしたり、しっかり準備をするのが正解ですね。
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観光案内所で確認した志賀廼家淡海顕彰碑は、堅田駅前の交番のすぐ東隣りでした。
これは、地元出身の喜劇役者、志賀廼家淡海を偲んで昭和53年に建立された石碑。丸い石碑の方には「舟を曳きあげ漁師は帰る あとに残るは櫓と櫂 波の音 ヨイショコショ 浜の松風」。氏の代表曲である「淡海節」が刻まれています。 -
堅田駅から満月寺 浮御堂の方に向かいます。
この辺りの集落ですね。近くには広い駐車場があったり、大型バスの受け入れもOKという体制です。 -
さっそく目に入ったのは、浪乃音酒造。
200年以上も続く老舗です by たびたびさん浪乃音酒造 グルメ・レストラン
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こちらは、200年以上も続く老舗で、銘柄は「浪の音」。琵琶湖の波の音ということなんでしょうね。
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店内に入ると大吟醸とか本醸造とかランクの違う「浪の音」がずらりと並んでいました。
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集落に入って、それを抜けたところが堅田雄琴湖岸公園。草が茂った場所なのですが、なんとかきれいに刈りこまれて、近所の幼稚園児が遊びに来ていました。
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傍らには静かな琵琶湖の湖畔。街中の児童公園が琵琶湖畔ではこんな風になるんだなというような公園です。
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湖族の郷資料館は、堅田の歴史、湖族に関係した博物館。内容の中心は冒頭の通りですが、その他、一世を風靡した志賀廼家淡海、堅田をテーマにした作家とその作品、芭蕉の足跡とゆかりの人物とか、堅田の豊かな歴史と文化を紹介しています。
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ここからは、寺社もチェックします。
本福寺は、鎌倉時代後期の正和年間(1312年 - 1317年)創建の浄土真宗の寺。 -
山門から
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イチオシ
境内に入るとその中央に四方に枝を伸ばす松の大木があって、けっこうインパクトがありますね。もしこれがなかったら、さぞ殺風景な境内だったと思います。
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光徳寺は、蓮如の旧跡。
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蓮如が三井寺に預けていた親鸞の木像の返還を申し入れると、三井寺は二つの首と引き換えならという返事。
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本堂の前には、窮した蓮如に、自らの首を打たせて首を差し出したという堅田源兵衛のまさに首を討たれんとする像。
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こちらが堅田源兵衛の墓所です。
対延暦寺だけじゃなくて、対三井寺もあって、堅田と寺社勢力とのつばぜり合いはなかなか厳しい歴史がありますね。 -
祥瑞寺は、室町時代の応永年間(1394~1428)に京都大徳寺の僧、華叟宗曇が開いた寺。
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あの一休宗純が若い頃、華叟宗曇の弟子としてここで修業をしたというのは面白いですね。
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寺は、境内も建物もしっかり手入れが行き届いていて、
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どこもかしこも美しい庭園に囲まれています。
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伊豆神社の祭神は大山祇命で、創建は寛平4年(892年)。
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イチオシ
中世、琵琶湖の水運に絶大な特権をもっていた堅田の総鎮守。境内はややこじんまりとしていますが、なにか活気もあるし、清々しい雰囲気もありますね。
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立地した場所からしても、堅田の中心的な存在であったことは明らかです。
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満月寺に向かって、
魚富商店は、満月寺の門前すぐ。面白い暖簾が架かっている佃煮屋さん。創業は昭和5年という老舗です。琵琶湖の恵みがいかに豊かであるか by たびたびさん魚富商店 グルメ・レストラン
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琵琶湖でとれた旬の小魚を手作りで。淡水魚だと臭みがあったりしないかなとか思いますが、そんな心配はご無用。こういうのを食べると琵琶湖の恵みがいかに豊かであるかを実感します。
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では、ここから満月寺へ。
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竜宮城のような山門をくぐって
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中へ入ると
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参道は、そのまままっすぐ浮御堂に続いています。
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イチオシ
老松と浮御堂の組合せが美しいですね。
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浮御堂の方へ渡る前に。
その境内の海沿いのところには、松尾芭蕉句碑。
刻まれている句は「鎖あけて 月さし入れよ 浮御堂」。元禄4年(1691年)、義仲寺で月見の会を催した芭蕉が、翌日、門人たちと堅田で船から十六夜の月を鑑賞し詠んだ句ということです。
なお、義仲寺は芭蕉が大ファンだった木曽義仲の菩提寺。そして、芭蕉もその遺言により、義仲寺に墓所が造られます。木曽義仲との関係が第一ではあると思いますが、この句を拝見するとそれと併せて琵琶湖の近くというのも理由の一つではないかという気もします。奥の細道とかも含めて、全国の名所旧跡を訪ね尽くした芭蕉ですが、琵琶湖の景色はきっとその眼鏡に叶っていたはずですからね。 -
では、浮御堂へ。
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裏手に回ると、琵琶湖大橋が見えていますが、これも本当に美しい。琵琶湖って、本当にすごいですねえ。
ちなみに、この大橋は、琵琶湖の西岸と東岸を結んでいますが、琵琶湖はここでくびれて、幅が一番狭いところなんですね。この橋を境にして、北湖、南湖と区別されたりもしています。全長1400m。白くて滑らかな曲線を描く姿はとても優美で、琵琶湖の景色とマッチしていると思います。 -
これがちょうど真裏。
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イチオシ
ここからも、また琵琶湖大橋。しばし眺めて、現代の絶景を楽しみました。
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お昼は、こちらのラメリストア。満月寺からも近い場所だし、人の出入りがそれなりにある風だったので、つられて入ってみたという次第。
今風のなかなかいいお店です by たびたびさんラメリストア グルメ・レストラン
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ちょっとメルヘンチックな店内にはカレーのいい匂い。
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一番マイルドというカレーをいただきましたが、
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普通においしいですね。今風のなかなかいいお店です。
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ここからは市街を北側へ。琵琶湖大橋のたもとの方まで歩きますよ~
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歩き始めてすぐに目に入ったのは、金時堂。
パイナップル大福 by たびたびさん御菓子司 金時堂 グルメ・レストラン
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パイナップル大福をアピールしていたので、それをいただきました。
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パイナップルの酸味と大福の甘さの組み合わせって、なかなかいいですね。すっきりした味わいで、このバランスを取るのがやっぱり腕なんだと思います。
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また少し進んで。
居初氏庭園は、江戸期に船道郷士と呼ばれ、舟運を取り仕切る権利が認められた旧家の庭園。文化人との交流もあって、作庭は茶人藤村庸軒によるものです。
実際にここに暮らしている人がいるので、拝観には事前予約が必要。念のため声を掛けてみましたがやっぱりだめでした。 -
ただ、
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庭園に至る飛び石を見ても只ならぬ雰囲気。ここだけでも国の名勝庭園という雰囲気があるような気がしました。
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さらに進んで。
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出島の灯台は、市街地の裏手。琵琶湖に出た何でもないような場所に建っていました。
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なんでも、この辺りは岩礁が多く、明治8年に多くの死者を出す水難事故が発生。そのために、この灯台を建てることのなったのだとか。ただ、今はモニュメントとして残された姿です。
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もう琵琶湖大橋にもほど近い堅田の市街外れにやってきました。
この野神神社は、ひっそりとある小さな神社ですが、祀っているのは、新田義貞の妻、匂当内侍。 -
新田義貞は足利尊氏に敗れ、越前に逃げる途中、匂当内侍をここに置いていくのですが、ほどなく藤島の戦いで討ち死。それを知った匂当内侍は琵琶湖に身を投げたのだとか。悲話の主人公がこんなところにもいたようです。
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その勾当内侍の墓は、野神神社の裏手にありました。
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そこから道の駅 びわ湖大橋米プラザへ。びわ湖大橋の西詰めすぐにある道の駅です。
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産直の方も
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いくつか拝見。
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カラフルなサラダ人参は珍しいですね。
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二階にあがると観光案内所があって。
近場の観光スポットの確認をしたり、同じフロアの休憩スペースでちょっと休んだり。 -
そこから屋外に出たところにあるデッキからはびわ湖大橋がよく見えて、
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船着き場もありました。
ここから佐川美術館へは、さきほどの野神神社のところのバス停からバスに乗って向かいます。その時刻もここの観光案内所で最終確認できました。 -
佐川美術館に到着。ここが入り口の門です。
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イチオシ
そして、これが建物。
佐川美術館の大きな魅力の一つはやっぱりこの建物ですからね。 -
水辺に佇む巨大でシャープな建物は、むくりの大型屋根とそれを支える端正な柱群。
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弥生時代か古墳時代にあった大きな倉のようなイメージもあるのですが、いかがでしょうか。
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水中に立つ鹿の彫刻がワンポイントのアクセント。
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入り口に向かう回廊からも
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館内に入る前に確認することになる作品です。
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では、ここから入ります。
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冒頭にも触れましたが、ここの自慢は、平山郁夫と佐藤忠良のコレクション。ともに良質のコレクションですが、ただ、平山郁夫の方は大作もあるし建物の雰囲気によく馴染んでいて素直に楽しめますが、
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佐藤忠良の彫刻は建物の中でそれも並べて見るのはどうでしょうね。
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慣れもあるのでしょうが、広い公園のようなところで単体で見た方がその良さがよく分かるような気もします。ひとつひとつは大作だし、さすがのコレクションなんですけどね。
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いつの間にか夕暮れ。また、同じバスで堅田まで帰ります。
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日が暮れて、晩飯です。
らーめん 与七は、堅田ではけっこうな人気店。6時の開店時間からお客さんが次々入ってきますよ~ -
いただいたのは、ちょっとあっさりタイプの方だったのですが、それでも豚骨スープの濃厚さはかなりのもの。ギトギトのスープでした。私はこういうタイプは苦手なので、正直言えばちょっと勘弁という感じです。
さて、今夜の宿は京都。これから京都へ向かいます。
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