2024/10/06 - 2024/10/06
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norio2boさん
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北川民次(1894~1989)
メキシコ革命後の1920年代に
メキシコへ渡り
画家とし教育者として活動した
生誕130年を記念して北川民次の大規模な回顧展が世田谷美術館で開催された
世田谷美術館
入場料
一般1400円
65歳以上1200円
大高生800円
中小生500円
JAFの提示で100円割引
20240921~1117
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
-
最寄り駅は
東急田園都市線の用賀
用賀駅から世田谷美術館行きのパスがある
終点の美術館前まで230円砧公園 公園・植物園
-
砧公園の中央部分に世田谷美術館
世田谷美術館 美術館・博物館
-
館内のミュージアムカフェ
Le Jardin
人気のレストランで事前にの予約が必要ル・ジャルダン グルメ・レストラン
-
レストラン脇のグリーン
-
今日は披露宴があるそうで満席
特別展に合わせたコラボメニューがある
予約しておけば良かった -
告知看板を抜けて
1階降りて
サンケンガーデン -
もうひとつのミュージアムカフェ
Se Ta Bi Cafe
セタビカフェ
こちらはカジュアルなメニューセタビカフェ グルメ・レストラン
-
セタビカフェ
奥で注文と支払い
手前のパラソルの席が人気 -
ランチメニューは
ガレット
キッシュ
キッシュ1400円
赤ワインも考えたがグラスで800円で止めた -
切符売り場
この奥が正規の美術館入り口世田谷美術館 美術館・博物館
-
シニア(65歳)以上割引
JAF提示で100円引き -
大型ポスター
-
QRコードを読み取り入場
常設展も見学出来る -
北川民治 55歳
1949年撮影
松谷錦二郎 -
北川民次(1894-1989)
両親は静岡で製茶業を営む
8人兄弟の末子
早稲田大学予科を中退し20歳で
兄の住むオレゴン州から
ニューヨークへ行きアルバイトし
美術を学ぶ
メキシコへ行くのは
1921年
民治27歳 -
メキシコ革命は1910~1917
民次がメキシコに入っのは1921
当時のメキシコは壁画運動の時代
壁画運動は革命の意義と
メキシコ人のアイデンティティと
アステカの偉大な歴史を
公共の場所で
民衆に伝える事を目的に
新政府の主導で行われていた
画家として北川民次(27歳)は
そんな壁画運動の坩堝の中のメキシコに
入り大きな影響を受けて行く -
ディエゴリベラ
ダヴィドシケイロス
ホセオロスコ
が壁画運動を主導した画家たちであるが同時に彼らは
メキシコ共産党の指導者でもあった -
「メキシコの男」1925年
キャンバスに油彩
母校早稲田大学の
会津八一記念博物館に収蔵されている -
メキシコでの作品が並ぶ
-
「子供を抱くメキシコの女」1935
板に油彩 -
「ランチェロの唄」1938
紙にテンペラ -
「出征兵士」1944
キャンバスに油彩 -
「鉛の兵隊(銃後の少女)」1939
キャンバスに油彩
女の子のモデルは娘の多美子さん
テーブルの上には
進軍する日本の兵隊
右側に逃げまどう中国国民党軍
少女の背中には青い目の人形 -
同上のテーブル描写部分
この「鉛の兵隊」は
戦意高揚を目的に開催された
「聖戦美術展」に出品されている -
「自画像」1948
キャンバスに油彩 -
「ビレッジ監獄の解体」1929
テンペラ
これは北川ではなくジョンスローンの作品
1916年から4年間
北川は
ニューヨークで制作する
舞台装飾の仕事で生活資金を得て
美術学校アートスチューデンツリーグオブニューヨークで絵を学んだ
北川の先生がジョンスローン
同校には国吉康雄もいて
2人は親交を深めている -
こちらは北川の作品
「建築現場」1923
キャンバスに油彩
舞台を見下ろすような構図
舞台美術の仕事は北川の構図構成に影響を与えている -
ニューヨーク美校時代の友
国吉康雄の作品
「帽子の女」1920
岡山県出身の国吉は独特なフォルムで米国で大人気作家になった
晩年まで国吉は米国国籍の所持を熱望したが叶わなかった
戦争と共に多くの日本人画家が欧米から帰国する中
駐米し続けた国吉の内面世界には何があったのだろうか? -
ニューヨークでの4年間を終え
北川はフロリダからキューバ経由で
メキシコへ移動する
貧富の差が激しすぎる
ニューヨークに
北川は馴染むことが出来なかった
写真はメキシコでの作品
「大地」1930
キャンバスに油彩
あと、藤田嗣治の作品2点が
撮影禁止マーク付きで展示されていた
北川との交流も記述されていた
色気のある
藤田嗣治の画面
無骨な
北川民次の画面
藤田の1/100でも色気のある作品を
北川が描くことがあったら
彼の人生はどうだったのか?
などと思わせた -
「メキシコ戦後の図」1938
-
同上の中央部分
-
同上の山の頂上部分の描写
メキシコ国旗が掲げられ
風にたなびいている -
右側
「鉱士の図」1943
左側奥
「農漁の図」1943
1943年戦争中に開催された二科展へ出品されている
戦時下にも拘らず明るい色彩の画面 -
「20年目の悲しみの夜」1965
1965年は日本の敗戦から20年
再生日本を主題にしている
第50 回二科展出品作品 -
当時の
メキシコ絵画の流れには
リベラ、シケイロス、オロスコたち
メキシコ共産党メンバーを中心とする政治的な壁画活動と
ルフィーノタマヨを代表とする
アステカ文化を継承し
ヨーロッパの流れと呼応する
温和で普通な絵画活動があった
写真はタマヨにインスパイアされた
作品
左側
「メキシコイスタシワトル」1930
キャンバスに油彩
右側
「横たわる恋人たち」1930 -
「百鬼夜行」
キャンバスに油彩 -
「赤い家とサボテン」1936
紙に木炭と水彩
描かれている建物は
メキシコシティの近郊コヨアカンにあるメキシコを代表する女流画家フリーダカーロと夫のディエゴリベラの共同アトリエ
屋根が歯型になっているのは
採光のため
サボテンが並び外壁になっている
1936年はイサムノグチがメキシコシティのアベラルドロドリゲスマーケットで壁画彫刻「メキシコの歴史」を8ヶ月かけて仕上げた年
この共同アトリエのフリーダの部屋はイサムとの蜜会現場でもあった
この年
日本では226事件が起きている
スターリンに追われたトロツキー夫妻がメキシコに逃げ込むのが翌年の1937
トロツキー夫妻の居留先は
同じくコヨアカンにある
フリーダカーロの生家でデイエゴ夫妻の住居
今ではブルーハウスと呼ばれるフリーダカーロ美術館になっている -
北川民治の水彩画は自由闊達で楽しいと思う
「落合風景」1937
紙に水彩 -
「池袋風景」1937
紙に水彩 -
「砂の工場」1959
キャンバスに油彩 -
「赤いオイルタンク」1960
キャンバスに油彩 -
同上
作品の右下のTamiji 1960
のサイン部分 -
「ロバ」1928
キャンバスに油彩
北川が野外美術学校で子どもたちに
絵を教えていた頃の作品
不思議な落ち着きのある作品
平面的な画面構成は日本画を思わせる -
戦時中
北川は絵本の制作を始める
「マハフノツボ セトモノノオハナシ」1942
文と絵 北川民治 -
「うさぎのみみはなぜながい」1962
文と絵 北川民治 -
原画が並ぶ
-
「夏の宿題」1970
キャンバスに油彩 -
「夏の宿題」文字部分
メキシコにはレタブロという
奉納画の風習がある
例えば自分が事故にあったけど
ご加護で救われた
その絵を描いて
傍に感謝の言葉を書く
素朴な奉納画
フリーダカーロの作品には
文字併記の作品が多い
彼女のレタブロコレクションは
コヨアカンのフリーダカーロ美術館で見ることが出来る
日本では
願い事を書いて
奉納する
絵馬 -
右側
「名古屋旧カゴメビル壁画原画 TOMATO」1962 -
北川民次年譜
-
レストラン
ジャルダンへ続く回廊
壁面の三角形の柱がここでも生かされている -
特別展の出口部分
屋外壁画作品の動画が流されていた -
今回で2度目の世田谷美術館だった
砧公園に溶け込むようなレイアウト
建物の壁面に連続する
小さな正方形のエンボスが独特な
雰囲気を演出している -
世田谷美術館の事業主体は世田谷区
1986年開館
建築設計は内井昭蔵(1933-2002)
世田谷美術館は内井の代表作
美術館作品には他に
高岡美術館がある
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