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上杉謙信とも戦い戦国を生き延びた山城

唐沢山城(からさわやまじょう)

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2024/09/28 - 2024/09/28

2位(同エリア397件中)

4

33

松本伸雄

松本伸雄さん

上杉謙信とも戦い戦国を生き延びた山城

  • 唐沢山城は、標高247mの唐沢山山上に有りました

    唐沢山城は、標高247mの唐沢山山上に有りました

  • 敵の侵入を拒む食い違い虎口。大手口と思われます。内側には桝形が

    敵の侵入を拒む食い違い虎口。大手口と思われます。内側には桝形が

  • 境内には猫が多いです

    境内には猫が多いです

  • 大炊の井、築城のさい厳島大明神に祈誓をし、その霊夢により掘ると水がこんこんと湧き出た

    大炊の井、築城のさい厳島大明神に祈誓をし、その霊夢により掘ると水がこんこんと湧き出た

  • 深さ9m.直径8m有ります

    深さ9m.直径8m有ります

  • 四つ目堀は、本丸のある城山と避来矢山の間の掘切で、神橋下の空堀のこと。深さ3m、幅9m

    四つ目堀は、本丸のある城山と避来矢山の間の掘切で、神橋下の空堀のこと。深さ3m、幅9m

  • 現在参道の神橋は石造りであるがかっては木造の曳橋でした

    現在参道の神橋は石造りであるがかっては木造の曳橋でした

  • 桜馬場、神橋から南城へ続く道にある。幅4~5m、乗馬訓練をした。今なら、三重県の多度大社の上げ馬神事みたいで、動物虐待になるかも?

    桜馬場、神橋から南城へ続く道にある。幅4~5m、乗馬訓練をした。今なら、三重県の多度大社の上げ馬神事みたいで、動物虐待になるかも?

  • 青春時代の歌手です

    青春時代の歌手です

  • 社務所でスタンプをいただきます。ブラタモリ放送後は、車が駐車場に入れなかったそうです

    社務所でスタンプをいただきます。ブラタモリ放送後は、車が駐車場に入れなかったそうです

  • 唐澤山神社は、澤の字を使います

    唐澤山神社は、澤の字を使います

  • 扁額

    扁額

  • 社殿

    社殿

  • 大手虎口。藤原秀郷による平安時代の築城伝説も伝わるが、少なくとも室町時代には佐野氏の居城であったと推測される。

    大手虎口。藤原秀郷による平安時代の築城伝説も伝わるが、少なくとも室町時代には佐野氏の居城であったと推測される。

  • 鏡石。戦国時代には越後の上杉謙信の侵攻でたびたび落城したが、城主佐野昌綱は降伏と離反を繰り返し、懸命に佐野氏の存続を図ろうとした。

    鏡石。戦国時代には越後の上杉謙信の侵攻でたびたび落城したが、城主佐野昌綱は降伏と離反を繰り返し、懸命に佐野氏の存続を図ろうとした。

  • 本丸跡、現在は藤原秀郷公を祀る唐澤山神社の社殿が所在するこの場所には、かっては奥御殿が建っていた

    本丸跡、現在は藤原秀郷公を祀る唐澤山神社の社殿が所在するこの場所には、かっては奥御殿が建っていた

  • 本丸跡から下を覗く

    本丸跡から下を覗く

  • 本丸の高石垣。本丸の西側に位置する二の丸から望む。本丸を囲んでいるのは関東地方の城では珍しく高さ8mを超える高石垣

    本丸の高石垣。本丸の西側に位置する二の丸から望む。本丸を囲んでいるのは関東地方の城では珍しく高さ8mを超える高石垣

  • 武者詰は細長い形状で、周囲には石垣が巡らされている。奥御殿直番の武者が詰めた

    武者詰は細長い形状で、周囲には石垣が巡らされている。奥御殿直番の武者が詰めた

  • 長門丸。関ヶ原の戦いでは徳川家康に与して所領を安堵される。

    長門丸。関ヶ原の戦いでは徳川家康に与して所領を安堵される。

  • 金の丸、宝蔵蔵があった

    金の丸、宝蔵蔵があった

  • 杉曲輪へ

    杉曲輪へ

  • 杉曲輪へ堀を登ります

    杉曲輪へ堀を登ります

  • 車井戸、深さ25m。本丸の下に位置していることからも、城内の重要な水源であった。別名「かんかん井戸」ともいう

    車井戸、深さ25m。本丸の下に位置していることからも、城内の重要な水源であった。別名「かんかん井戸」ともいう

  • 戦後、佐野城を築いて移り、ここで唐沢山城は廃城となる。佐野氏はその後まもなく改易となり、佐野は天領となった

    戦後、佐野城を築いて移り、ここで唐沢山城は廃城となる。佐野氏はその後まもなく改易となり、佐野は天領となった

  • 苔と土が岩の間に入り綺麗に見えます

    苔と土が岩の間に入り綺麗に見えます

  • 土塁造りの中世の城から石垣造りの近世の城への変化が辿れる

    土塁造りの中世の城から石垣造りの近世の城への変化が辿れる

  • 三の丸、かっては賓客の応接間があったとされる。周囲には高く急な切岸が巡り部分的に石垣も認められます<br />

    三の丸、かっては賓客の応接間があったとされる。周囲には高く急な切岸が巡り部分的に石垣も認められます

  • 此処にもネコちゃん

    此処にもネコちゃん

  • 物見櫓のあった所、突き出した岩が天狗の鼻のようだと名付けられた

    物見櫓のあった所、突き出した岩が天狗の鼻のようだと名付けられた

  • 天狗岩、節理になってます

    天狗岩、節理になってます

  • 浅間山も見えます

    浅間山も見えます

  • 浅間山方面  おわり

    浅間山方面  おわり

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この旅行記へのコメント (4)

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  • pedaruさん 2025/02/20 05:44:30
    唐沢山
     松本伸雄さん おはようございます。

     いくつか拝見しました。有名な城から無名の誰も見向きもしない城まで丁寧に
    紹介されていますね。
     唐沢山は子供のころからなんど登ったか知れません。大きな井戸がある山という
    認識しかありませんでした。
     自転車で行って、麓の家に自転車を置かしてもらい、一日遊んで隣町へかえりました。この山がこんなに由緒ある城があったとは知りませんでした。こんど行ってみたいと思います。無知とは損ですね、改めて思い知りました。
     お城の案内書として読ませていただきます。フォローさせていただきます。

     pedaru

    松本伸雄

    松本伸雄さん からの返信 2025/02/21 03:24:15
    Re: 唐沢山さん
    近所にあるモノは、なかなか気づかない事有りますね。これからもよろしくお願いします
  • 松本伸雄さん 2024/10/05 01:17:22
    チャムンパスさま
    見ていただきありがとうございます
    これからも宜しくお願いいたします
  • チャムンパスさん 2024/10/03 12:41:00
    猫の城
    松本伸雄さん、こんにちは。

    いつも楽しく、また参考にしながら旅行記を拝見しています。

    今回訪問された唐沢山城、仰る通り中世の土塁の城から近世の石垣の城へ変貌する過程がそのまま残った状態の城跡ですね。

    廃城しないでこのまま江戸時代も使われていれば、おそらくこの姿では残らなかったでしょう。

    猫ちゃんも多数登場して、微笑ましい旅行記でした。

    私がフォローしている猫好きのトラベラーさんにも紹介してあげたいですね。

    次回の旅行記、楽しみにしています。

           チャムンパス

松本伸雄さんのトラベラーページ

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