2024/09/20 - 2024/09/22
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nichiさん
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ハーヴェストで簡単な朝食を済ませ、浜名湖の西側を南下して、まずは湖西市にある豊田佐吉記念館に行ってみました。
豊田佐吉!
そうです!
世界を代表するトヨタグループの創始者です。
自動織機を発明した人ということは知っていたのですが、詳しくは知りませんでした。
そもそも佐吉は愛知県豊田市かと思ったら、静岡県の湖西市(旧遠江国敷知郡山口村)の出身だったのですね。
以下は記念館の映像で知ることができた内容です。
佐吉の父親はココで百姓のかたわら大工で生計を立てていました。
多くの子が奉公に出ることが多い中、佐吉は奉公に出ることなく寺子屋に通って勉学に励むことができたようです。
小学校を卒業すると、父の大工仕事を手伝うようになり、この時に仕事で行った小学校の図書館で発明家の本を読んで感動し、発明家を目指します。
世の中は明治維新後の日本の大きな変革期。
佐吉が18歳になった時に、最初に発明した人に特許権を与える「専売特許条例」ができ、佐吉はますますワクワクします。
発明をしたい思いが強かった佐吉ですが、母親が朝早くから夜遅くまで機織りをしているのを見て、少しでも楽に織物が織れる機械の発明を目指し、23歳の時に木製人力織機を完成させます。
さらに改良を加え、明治29年(1896年)に動力織機も完成させます。
この発明は、日本の繊維機械産業を発展させ、さらに「これからは自動車のの時代だ!」と息子の喜一郎による国産車開発に引き継がれていきます。
佐吉の築いた豊田自動織機製作所(現.豊田自動織機)が、分社化してできたのが現在のトヨタ自動車ですからね~~
映像は日本語や英語、中国語でも拝見することができ、世界各国の方々の来場者がいらっしゃることが想像できます。
そのあとは新居に行ってランチを終えてから新居関所を拝見。
江戸時代の関所の遺構の建物を体感できる全国でも珍しい関所跡です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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朝食後にハーヴェストを出発!
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浜名湖の西側を走って湖西市に向かいます。
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湖沿いを走ること約20分。
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豊田佐吉記念館に到着しました。
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世界を代表するトヨタグループの創業者である豊田佐吉の生まれた家が記念館になっています。
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豊田佐吉は、ここ湖西市で生まれたのですね。
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「障子を開けて見よ、そとは広いぞ!」
有名な言葉なんですね。
知らなかった~ -
慶応3年(1867年)にココで生まれた豊田佐吉の家は復元されています。
また、佐吉が40歳の頃に両親の為に建てた家も現存しています。 -
お邪魔しま~す!
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入場料は無料です。
右には立派な母屋。 -
豊田佐吉の胸像です。
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ここが非公開の母屋です。
明治40年(1907年)佐吉が40歳の頃に両親のために建てた建物です。 -
なななんと、表札に「豊田章男」さんのお名前。
現トヨタの会長ですね。
佐吉のひ孫です。 -
隣には展示室。
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中にお邪魔してみました。
左が佐吉が最初に発明した木製人力織機です。
機織りは複雑な工程が多いため、それを自動化させるた発明でした。 -
まずは映像で佐吉について学びました。
佐吉の努力と勤勉さ、先見性など子供のころからただものではなかったことがわかります。
内容は「旅行記概要」に簡単に記しておきました。 -
佐吉の卒業証書。
静岡県平民
という表記に時代を感じます。
この「平民」、昭和初期まであったのですよね~~
ビックリ~~ -
明治29年(1896年)に発明された木鉄混製動力織機です。
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緯糸棒という道具を使って横糸を通すのですが、これは左右の手を使って人力で通していました。
これを佐吉は機械化(自動化)を成功させました。 -
これがG型自動織機です。
大正13年(1924年)に完成した自動織機です。
高速運転が可能で、糸の補充も自動です。
この織機の開発がトヨタ自動車の創設につながっていきます。 -
展示室をでて、
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広い敷地内をグルっと巡ってみます。
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少し坂を上った所にあるのがこの納屋です。
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父親の大工の仕事を手伝っていた佐吉。
父親にはばれないようにこの作業小屋でこっそりと研究していたようです。 -
当時佐吉が試行錯誤を繰り返して組み立てていた織機です。
木製人力織機で、片手で楽に早く良い布が織れるように発明したのですね。 -
織機を設計していた様子を再現しています。
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この奥にあるのは、
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ムシロを編む機械ですね。
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納屋からまた少し坂を上った所にあるのが井戸です。
佐吉は山の清水を生活用水として使うため、ココにパイプを通し、杉野はや小石、そして砂などで濾過槽を作りました。
佐吉はこんなものまで作っていたのですね~
市の水道が敷かれるまで、実際に使用されていたようです。 -
さらに敷地内の小道を先に進みます。
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登ってきた道を振り返ります。
小高い山であることがわかります。 -
さらに登ると、
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展望台に出ました。
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木が多くて思ったより眺望は開けていませんが、東側には木々の間から浜名湖が見えました。
富士山が見えることもあるようです。 -
展望台から反対側の坂を下りて行くと、そこはヒノキ林。
佐吉の父親が植えたようです。 -
さらに山を下りると、お墓がありました。
豊田家の先祖のお墓です。
通常は「山の墓」と呼ばれているそうです。 -
坂を下り切った所に、復元された佐吉の生家があります。
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綺麗に整備されています。
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外から機を織る母と息子の佐吉の人形が見えました。
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明治維新の前年である慶応3年(1867年)、明治維新の前年という激動の年にこの地で生まれました。
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グルっと回って玄関から中にお邪魔してみました。
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多くの機織機。
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土間の竈ですね。
湖西地方のこの辺りは農家が多く、佐吉の家は農家と大工で生計を立てており、農作業の合間で母親は機を織っていました。 -
土間の瓶です。
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多くの農機具。
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わら、かや、壁の土、柱などの骨組みは近くの山で切り出した木材などで造り、ほとんどが自給自足で家を建てていました。
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厠(トイレ)
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ここで佐吉が生まれたのね~
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豊田佐吉記念館をあとにしました。
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豊田佐吉記念館から車で約10分。
新居の関所までやってきました。
車をここに停めて、 -
目の前の「豊千」さんでランチ。
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ネットで検索して初めて伺ってみました。
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壁の画はカッパの大名行列。
面白い。 -
ランチメニューです。
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これは定食ランチメニュー
この中から2つ選びます。 -
私は地元産のシジミが入ったシジミラーメン+海鮮丼(880円)です。
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相方は、鶏からネギソース+エビ・ハムフライ(880円)
安くておいしかったですね~ -
ランチを終えて、真向かいの新居の関所へ。
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東海道の代表的な関所の一つである新居の関。
ここは渡船場です。
今は埋め立てられていますが、昔はここまで海だったのですね。
ここで、船改めと言って、遠州灘を航行する船の取り締まりを行っていました。 -
お邪魔しま~す!
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ここで、新居関所の建物と、新居関に関する資料や江戸時代の交通の資料を拝見することができます。
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面番所~女改之長屋~資料館
の順に拝見するのですね。 -
関所と旅籠だった紀伊国屋資料館の共通券を購入。
500円×2名 -
正面には面番所。
この面番所、嘉永7年(1854年)の地震で倒壊したために翌年から1858年にかけて建替えられた建物で、関所の遺構としては全国で唯一現存する建物です。 -
靴を脱いで、ここから面番所の中に入ります。
中には書院であった上之間、関所役人がいた中之間、次之間の3部屋がありました。 -
ココは上之間であった書院。
元来は読書など学問をするための部屋です。
江戸時代以降は、公式の対面などを行う表向きの施設を指すようになりました。 -
関所の書院は8畳で質素な造りでした。
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書院から奥へ。
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鎧兜とその前には、刺股、袖搦、突棒の関所ならではの道具。
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その奥は中之間で、面番所のメインの部屋がありました。
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ここで通行人お取り調べを行いました。
江戸防衛を目的としいた各街道の関所ですが、東海道のこの新居の関所は取り調べが厳しかった関所の一つだそうです。 -
こちらは隣の部屋です。
次之間です。 -
「入鉄砲出女」といったように、
女人の通過が検閲の対象であったとともに、武器・武具搬送の検閲にも厳しい関所でした。 -
明治になって関所が廃止になり、この番所の建物は、小学校の校舎として、そして役場の官舎として1970年まで実際に使われていました。
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江戸時代から残る建物の外廊下を歩いてみます。
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よくこの建物、残っていましたね~
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面番所をあとにして、
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裏側に廻ってみます。
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この大きな石は、大石(荷物石)といって、高貴な人が乗る籠を置くための台です。
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入鉄砲出女を記した「覚」です。
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これは石で造らた雨樋ですね。
この雨樋を伝わって、雨水は浜名湖に流れて行きました。
当時の排水設備の先端です。 -
面番所の左側には船会所。
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渡船の船頭や問屋、年寄が詰めた建物で、渡船や宿駅間の輸送手配や人馬の手配を行いました。
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その奥にあった裏側の建物は、女改之長屋です。
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女改之長屋は、女性の通行人の改めを行っていた女が住んでいた長屋です。
改女は2人いたので、2軒分の長屋でした。
改女は、関所足軽の妻か母親が努めました。 -
長屋の北側にあった、裏御門です。
関所の北側に住む役人の通用門として使われていました。 -
さあ最後に資料館へ。
中は撮影禁止。
1階には「街道と関所」「海の関所新居」をテーマに新居関所の変遷と役割が紹介されていました。
2階には「旅と宿場」をテーマに、旅や新居宿に関する資料が展示されていました。 -
じっくり資料館を拝見しました。
ここは渡船場護岸ですね。 -
新居と対岸の舞阪を結ぶ今切渡船の渡船場が関所にあるのです。
ここには、波除のための杭が打ち込まれていました。 -
こちらは大御門です。
高さ5.8m、幅4.6mの高麗門です。
明け六つ(午前6時)に開き、暮れ六つ(午後6時)に閉まった関所の門です。
この門の右側はかつては海だったのですね。 -
新居関所をあとにします。
つづく
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