2003/09/09 - 2003/09/10
19位(同エリア380件中)
Decoさん
この旅行記のスケジュール
2003/09/09
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伊予吉田の古い街並
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喫茶シルビア(司馬遼太郎氏が休憩した喫茶店、現在は営業していません)
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旧法華津屋・本宅
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旧法華津屋・店舗部分(国安の郷)
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八幡河原
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八幡神社
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海蔵寺(安藤継明墓所)
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安藤神社
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武左衛門翁及同志者碑とお堂
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武左衛門一揆記念館
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一乗寺
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医王寺
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大乗寺(吉田藩伊達家菩提寺、伊達兵部の妻子の墓地)
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この旅行記スケジュールを元に
この旅行記グループはもう二十年以上前、愛媛県の宇和島・伊予吉田(現在は宇和島市内)、そして高知県の梼原・津野を訪れたときの記録です。
旅行記グループを通して、司馬遼太郎の「街道をゆく 南伊予・西土佐の道」の舞台を歩きます。
こちらの旅行記では宇和島市の北に位置する伊予吉田を歩き、司馬氏が取り上げた”武左衛門一揆”ゆかりの地を巡ります。
地元の歴史に詳しい友人、Aさんに案内・ご教示いただき、大変有意義な旅となりました。また、一部はこの翌日高知に行った帰りの日吉村(現在は鬼北町)を宇和島にお住まいだったTさんと訪れた記録も含んでいます。
時系列で旅行記を作るとわかりにくいので、あえてテーマに沿う形で訪問先の順番を入れ替えています。
また、以前この旅行記の内容はネット上に出したことがありますが、フォートラで再構成して公開することにしました。
(202-11-19公開)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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【伊予吉田】
2003年9月8日。もう20年以上前のこと。
私は伊予吉田(吉田町、現在は宇和島市内)の友人を訪れました。
そのAさんは、歴史にとても詳しい地元の方。
この友人の案内で伊予吉田を廻ります。
さて、宇和島には仙台伊達家から分かれた宇和島藩がありました。宇和島伊達家は城下から北方に分藩(吉田藩)を設け、国安川が流れ込む湾の奥の沖積地(湿地)を造成して陣屋町を作ります。ここが伊予吉田。周囲を山と海に囲まれた人工の都市です。
この写真は2003年に撮影したものですが、この当時でもレトロな、旧陣屋町の面影が横溢した町でした。 -
【喫茶シルビア】
「街道をゆく 南伊予・西土佐の道」(1978年連載)で司馬氏は松山から砥部、大洲、卯之町(現在の西予市宇和町)を経て、伊予吉田に入りますが、司馬氏ら一行はまず、一件の喫茶店でコーヒーを飲んで休憩します。
私もAさんにお願いして、その喫茶店を訪ねてみました。「喫茶シルビア」というお店です。ここではランチを取り、アイスコーヒーを飲みました。
*喫茶シルビアは、その後営業を終えられています。 -
イチオシ
窓側の席に着きます。司馬氏は窓から長屋門が見えたと書いていますが、恐らくあの建物。司馬氏もこの窓から眺めていたのかも知れません。
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堂々とした門です。
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イチオシ
【旧法華津屋・本宅】
司馬遼太郎氏の「街道をゆく14 南伊予西土佐の道」の中で、伊予吉田は”武左衛門一揆”の舞台として取り上げられています。
この武左衛門一揆とは、寛政五年(1793)頃、宇和島藩の支藩である吉田藩で起こった一揆です。
当時、支藩である吉田藩は財政的に厳しく、山間部で楮(こうぞ)を栽培させて紙すきも行い、紙を製造して窮乏をしのいでいました。これを取り仕切る陣屋町の豪商・法華津屋は暴利を貪り、百姓はただ働き同然だったようです。
窮迫した百姓たちは、一揆を計画。大野村(現在の北宇和郡鬼北町の旧日吉村地区)の武左衛門が中心となり、当初は法華津屋を打ち壊そうとしますが、いったんその計画は中止となり、武左衛門たちは別の方策を考えます。 -
「法華津屋本宅」・・・私は外観だけでも見たいと思い、Aさんに連れていってもらいました。
寛政四年(1792) 、武左衛門一揆の標的となった建物で、法華津屋の建物の住居部分が残されています(店舗部分は宇和島市郊外の「国安の郷」に移築保存・公開されています。)
建物は、重厚に塗りこまれ、道路から見て左側が入口になっています。
Aさんは土間から入ると、その横の部屋にいらした御夫婦に声をかけ、見学をお願いされました。
暑い日でしたが、天井が高くて風通しも良くどこか涼しい。少々の暑さなら冷房もいらないだろうと思いました。
御夫婦は少し準備をされて門を開け、玄関から迎えてくださいます。法華津屋本宅は、御夫婦の御両親の代に買い取り、昭和末まで旅館(松月旅館)として営業されておられました。 -
こちらは往時の法華津屋の図。
建物の左側が店舗部分(国安の郷に移築)。右側が住居部分(訪問したお宅)です。 -
こちらが間取り図です。この図面では左側が住居、右側が店舗になっています。
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玄関の板の間から入ると、右側には三間続きの広い座敷が広がります。欄間も見事です。
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由緒ありそうな掛け軸。
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後藤新平卿筆の額が飾られています!
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三間続きの座敷の奥には、奥座敷があります。ここは上段の間でした。
現在、この部屋の先には塀があります、かつてはこの先に茶室があり藩の殿様も利用していたそうです。それは見事なものだったとか。
そのため、かつてはこの部屋の床(畳)には段差が付けられていて、現在も壁にその痕跡が残っています。
法華津屋の建物についてはある伝承があります。
秀吉の伏見城が移築されたとか。ただそれは文書などに残されているわけではなく、言い伝えということで確かではありません。伏見城の一部が宇和島藩の御殿に移され、それが吉田藩の陣屋に移され、そして法華津屋になったという説もあります。 -
さらに進むと、橋がかかった庭がと、その先に離れのような建物が見える。こちらは旅館の営業を始められてから建てられたのではないかと思います。かつてはこの離れの周辺に茶室があったんのかも知れません。
ただ、悲しむべきことに、先年の芸予地震の被害が大きく、柱と建物自体が若干ゆがみ、壁にも所々ひびが入っていました。吉田町は、河口を埋め立てて町が造成され、それ故地盤が弱いらしいのです。修復しようにもこれだけの建物になると、個人の力では容易ではありません。
それでも崩壊せずにいるということは、建物自体がいかに強固なものであるかを示しているのだと思います。
建物を所有されている御夫婦のご厚意で、大変に貴重なお宅を拝見させていただきました。快く見学させてくださったご夫婦に今も心からの感謝を捧げる次第です。
ご主人からは、司馬氏直筆の封筒も見せていただきました。司馬氏もこちらを訪問していたのではないかと思います。 -
【法華津屋店舗部分(国安の郷)】
法華津屋住居部分を見学しましたが、店舗部分は同町の「国安の郷」にあります。2010年10月に宇和島と吉田町を再訪したときの写真を載せます。
多分、この右側に先の住居部分が続いていたのだと思います。
*写っているのは、左からTさん(宇和島在住の歴史に詳しい方、残念ながらお亡くなりになられています)、Aさん、私です。
Aさんと宇和島のTさんには、この後(2010年)にもお世話になっており、旅行記にもまとめています。
思い出の秋の旅 2010 (4)宇和島編 ~遊子水荷浦の段畑と、てんやわんやの里をゆく~ https://4travel.jp/travelogue/11698815
思い出の秋の旅 2010 (5)宇和島から梼原を通って高知へ https://4travel.jp/travelogue/11699365 -
店舗部分です。
国安の郷には法華津屋の他にも多くの江戸時代の建物が移築公開されています。吉田ふれあい国安の郷 名所・史跡
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店舗部分の座敷。
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【八幡河原】
何の変哲もない河原…ここは吉田町の八幡河原です。
はじめは、法華津屋を標的にした武左衛門一揆でしたが、結局は宇和島に出向き、本藩をゆさぶる方法に出ます。
このあたり、吉田三万石を本藩に併合しようとした本藩の思惑があったとも言われています
。
農民たちは、吉田藩領を出て、須賀川沿いの八幡河原(現在の宇和島市北部)に集結します。
吉田藩側は慰撫しますが、一揆側は一度藩にだまされており、役人の言うことなど聞くはずもありません。
そこに家老の安藤儀太夫継明が若党一人を連れて八幡河原に現れます。 -
安藤継明は、前年一揆をだましたことを詫び「ついてはもう一度願書を出し、裁断があるまで帰村してくれ」と言い、切腹します。
一揆勢は、この姿を見て引き揚げます。
継明はこのとき四十七歳。彼は民の負担を減らそうとしていましたが、藩には聞き入れられなかったそうです。
その日、朝食に酒を出させ、家族にも飲ませませていました。
河原には碑がありました。「安藤継明忠死之地」と刻まれています。 -
この河原にはおそらくその名のもととなった八幡神社があります。
手前の伊吹の大木は、伊予守に任ぜられた源義経の命で植えられてものと伝えられています。 -
【海蔵寺】
再び伊予吉田へ戻ります。海蔵寺というお寺の本堂。
安藤継明のお墓があります。 -
古くからあるお堂。
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安藤継明の廟所があります。
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イチオシ
安藤家の紋が入った幕。
墓所のある海蔵寺には、お参りする人々が絶えず、参道には店が出て賑わったといいます。安藤儀太夫継明は、藩政期を通じて領民に慕われました。 -
【安藤神社】
こちらは吉田町の町中にある安藤神社。明治になって建てられました。
安藤家の屋敷跡ということです。
安藤継明の逸話を司馬氏は感動的に伝えています。また藩政期に継明が領民に慕われたのも事実です。
しかし、当地の歴史に詳しいAさんの話では、その人物像については今ひとつ明確になっていない部分があるということでした。Aさんが話したときのニュアンスでは、単純に善人だとは言い切れない部分があるように感じました… -
伊予吉田を歩いた翌日、宇和島在住のTさん(この方も歴史に詳しい)と高知県の梼原村を訪れましたが、その帰途に旧日吉村(現在は鬼北町)を訪れました。
一揆を率いた武左衛門が住んでいた場所です。
旧日吉村には武左衛門翁及同志者碑とお堂がありました。
*こちらの場所は、下記の「武左衛門一揆記念館」の近くだったと思います。 -
お堂には武左衛門が祀られています。
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そして…武左衛門一揆記念館へ。
この日は休館日でしたが、なんと担当の方がお越しくださり、開けてくださいました。
撮影及びネット掲載はこのとき、旧日吉村教育委員会の方にお許しをいただきました。 -
年表です。
安藤継明が諫めて一揆勢は引き揚げ、一揆側の要求はほぼ通りました。
しかし、首謀者は死罪となります。一揆側は隠しますが吉田藩は巧みに調べ上げ、武左衛門は捕まえられて斬首されました。
その他の主要な人々は、武左衛門の十七回忌に恩赦として解き放たれ親族に引き渡されました。 -
イチオシ
武左衛門の像。大きな縄を持っています。当初はこの縄を法華津屋に結わえて打ち倒す予定だったそうです(その後計画が変わり、本藩である宇和島藩に交渉に行こうとして安藤継明に止められます)。
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一揆勢の像。
旧日吉村は日本で初めてメーデーが行われた地だそうです。都市部ではなく、この山間の村で起こったことは驚きです。
この地は土佐(高知)に隣接しています。幕末の維新、そして明治の自由民権運動。土佐との関連がうかがわれるのかも知れません。
一揆を率いた武左衛門も土佐の出身だったという説もあるそうです。
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武左衛門一揆についての史跡めぐりはここまでにして、次の写真からはAさんに案内していただいた、伊予吉田のお寺巡りです。 -
【一乗寺】
万治二年(1659) 、日要上人により開山(日蓮宗)。
伊予吉田駅の東方、吉田の山の中腹にあり、風が涼しかったことを思い出します。一乗寺の本堂です。 -
境内には鬼子母神堂があります。
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中には鬼子母神像が収められていますが、お堂の天井の絵画は精巧を極めます。
吉田では、何気ない場所にも文化財がちりばめられています。 -
【医王寺】
吉田の市街地からやや北に向かった土地の高台にある天台宗の寺。
嘉禎年間(1235~1237)の開基ですが、戦乱により荒廃。応永二十二年(1415)再興され、宇和に本拠を置いた西園寺家の崇敬を受けました
。その後再びしばらく荒廃しましたが、延宝五年(1677)、吉田藩初代藩主・伊達宗純により鬼門鎮守のため薬師堂が造営されました。
華美なお寺ではありませんが、街の雰囲気に溶け込み、どこか親しみやすい雰囲気を持ったお寺でした(写真は本堂)。 -
医王寺の額です。
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【大乗寺】
大乗寺は吉田藩伊達家の菩提寺です。 -
本堂です。
豊かな緑に囲まれた寺の敷地に入ると、心なしか涼しく感じました。 -
代々藩主の墓があります。
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吉田藩初代藩主、伊達宗純の墓。
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興味深いのは、ここに伊達騒動の主要人物、伊達兵部の正妻と三人の子の墓があることです(兵部本人は土佐に、嫡子・市正宗興は小倉に流された)。三人の子は後に赦され、吉田で生を全うしました。
吉田藩はその成立当時、宇和島藩と様々な軋轢があったとされますが、その中にあって、仙台伊達本家の兵部は宇和島藩との間に入って、吉田藩のために様々な斡旋を行いました。兵部の一族が吉田に引き取られたのは、報恩の意味があったとされます。
まとまりのない旅行記になってしまいましたが、このあたりで終えたいと思います。
Aさん(そしてTさん)が案内して説明してくださったおかげで、数々の貴重な体験ができました。お二人とも歴史の専門家でその説明はいわゆる一般的なガイドの域を超えた一流のものだったと思います。
2025年の今思い出しても、私一人では絶対に経験できないことでした。
心からの感謝し、お礼を申し上げます。
この後、翌日分は宇和島のTさんに高知の梼原や龍馬脱藩の道などを案内していただきました。まだまとめていませんが、いつか公開できればと思います。
ご覧いただきありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (4)
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- ポテのお散歩さん 2025/11/24 01:32:43
- 歴史の旅
- Decoさん こんばんは!
宇和島を歩かれた旅行記、覚えています。
遊子水荷浦の段畑へ行ってみたいと思っているのですが
遠すぎて なかなか行けそうにありません(^-^;
今回の伊予吉田は、それより以前に訪れられたのですね。
司馬遼太郎さんが入られた喫茶が残っていたのは嬉しいですね。
今はもうお店をたたまれているのですね。
窓から見える建物は、暴利を貪った豪商のお屋敷とは。。。
このお宅に、ちょっと反感を覚えてしまいました(^^)
さすがに豪商!
国安の郷に移築された店舗部分は広いですね~。
伊予吉田に残っている住居部分だけでも大きいです。
両方合わせた当時の建物の大きさを考えると、もの凄いですね(@_@)
住居部分、今も建っているのかGooglemapで見たら、もうありませんでした。
Decoさんの旅行記とお写真は、とても貴重です。
現在では建てられない建築なので、
住居部分も国安の郷に移築されていたら、残っていたと思うので残念です。
店舗部分には立派な うだつ が上がってますね。
一揆は、耐えに耐えた農民たちの最後の手段。
それを首謀者の命で事を治めるのは、あまりにも悲しい時代でした。
日本全国に武左衛門さんの様な方が、いらっしゃったのでしょうね。
Decoさんの旅行記を拝見して、歴史を語り継ぐ人が必要だなと思いました。
貴重な旅をされましたね(*^-^*)
ポテ
- Decoさん からの返信 2025/11/24 06:25:59
- Re: 歴史の旅
- ポテさん、おはようございます。
遊子水荷浦の段畑をおぼえていていただいて、ありがとうございます。
この旅行記の中で武座衛門一揆記念館に連れて行ってくださったのも、同じ方(宇和島のTさん)でした。
司馬さんの喫茶店に入れたのは、とても嬉しかったです。ちょっとミーハーですが(^^ゞ あの窓から長屋門を眺められたのかな…と思いました。こちらも後に営業をやめられたそうなので、貴重な経験でした。
法華津屋住居部分、今はもう無いのですね。当時ご当主ご夫妻も高齢でいらしたし…。建物は住居・店舗それぞれ単独でもかなりの広さで、物凄く裕福だったのでしょうね。
今もお金のあるところ、人は群がり、利権のあるところに集まるものですが、当時は封建時代だったから、今よりも露骨だったのかも。特に吉田藩のような小さな藩が財政を成り立たせるには相当の苦労があったと思います。でもそこで藩側も商人も暴利を貪ってはいけませんよね。それも一揆が起るほどに。ポテさんが行かれたヴェネチアでは公務員の汚職は死罪だったとか。それはやり過ぎかとは思いますが、それだけ自らを律していたからこそ長く国が続いたのでしょうね。
当時は封建時代。命でことをおさめる時代。この時代に逆戻りしてはいけないですね。
丁寧に読んでいただき、ありがとうございました。
Deco
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- ma-yuさん 2025/11/20 22:31:53
- 司馬遼太郎の舞台!
- Decoさん
こんばんは!
今回は20年前に愛媛の伊予吉田でおきた大規模な武左衛門一揆
ゆかりの地へ行かれたんですね!
喫茶シルビアから見える堂々とした長屋門ですね。
車も20年前の外観で懐かしさもありますね。
吉田藩も財政的に厳しく豪商と組んで暴利を貪り、百姓はただ働き同然で
一揆をおこしたんですね。
でも最終的には要求のすべてを通したとは!
普通なら一揆は御法度で死罪ですよね。
豪商の法華津屋の建屋も掛け軸や茶室、庭園と豪華だったんですね。
お百姓から吸い取ったように見えます。
それに3人が並んでDecoさんも若いですね(笑
宇和島在住のTさんに案内していただき、一揆を率いた武左衛門が住んでいた場所や
武左衛門一揆記念館も見学出来て良かった。
Decoさんも20年前の思い出を覚えていましたね!
ma-yu
- Decoさん からの返信 2025/11/21 05:57:51
- Re: 司馬遼太郎の舞台!
- ma-yuさん、おはようございます。
私は司馬遼太郎氏の「街道をゆく 南伊予・西土佐の道」が好きで何度も訪れていましたが、この本の中で武座衛門一揆のことが取り上げられており、歴史に詳しい(というより専門家)のAさんが、ゆかりの地を案内してくださいました。
喫茶シルビアに行けたのは、今から振り返っても嬉しかったです。司馬氏がこのあたりからあの門を眺めたのかな~と思うと感慨深いものがありました。
藩が財政を豊かにしようとすれば、どうしても資金や各方面とつながりのある豪商の力が必要になりますが、商人が暴利を貪り民が苦しむというパターンは多分全国各地であったのだと思います。
実際、お隣の土佐でも武座衛門一揆より前に騒動がおきて、武座衛門はそのことをよく知っていたのかも知れません。
一揆自体では死罪はなかったのですが、吉田藩はその後執拗に首謀者探しをして、武座衛門を探し当ててしまいました…。
法華津屋は住居部分も店舗部分もすばらしい建築物でした。これはAさんが紹介してくださったからで、私一人なら絶対に見られなかったでしょう。
20年前だから私も若くて元気でした(笑)
武座衛門一揆記念館も休館日なのにわざわざ開けてくださって、旧日吉村は人に優しい土地柄なのだろうと思いました。
わかりにくい旅行記だったと思いますが、丁寧に読んでくださり、ありがとうございました。
Deco
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