2024/07/21 - 2024/07/24
50位(同エリア79件中)
アーサーさん
皆さんは、気分がさえない、なんとなく重苦しい、とかいうとき、どのような対応をしていますか?
私の場合は、うつうつとした気分転換をしたいときは、30分以上の散歩にでます。私の30分というのは、汗をかき始める位の時間です。30分位先まで行き、戻り、シャワーを浴びるか、シャワーを浴びて、ちょっと昼寝すると、気分がさわやかになります。
梅雨時のように、うつうつとした気分が続き、気が滅入るときも、旅に出ることがあります。もちろん、ワイフの了解をとります。そろそろ、徘徊が始まる年齢ですから、外出するときは、ちゃんと了解をとるようにしています。迷子札も持参します。
今年は、かなり前に、大阪と紀伊半島を巡る旅を予定し、その予定が間近になって、訪問先が大阪・紀伊半島ではなく、鹿児島・熊本に代わり、旅程も7月21日に羽田を発ち、鹿児島空港から熊本県の湯前町(宿は、湯楽里―湯前町1588-7,他にもう1泊)、湯前町から鹿児島市(宿は、ドーミーイン)、24日に鹿児島から、羽田に戻るという旅になりました。
当初のワイフへのびっくり旅のプレゼントから、終の棲家を探す旅になりました。湯前町から良い物件が見つかったとの連絡があったのです。
私の終の棲家は、60歳の時に建てた家が、終の棲家のつもりでしたが、現実に、歳をとって見ると、毎日の生活に不便なところ多々でてきたのです。一番の問題点は、歩いて10分位のところに、食事の素材を買える店がないという点です。予定していたところは、車でなら5分で行けますが、車を乗らないと決めた今、片道40分かかかり、これは、生活していけない、とわかったのです。今は問題ないのですが、もっと歳を取ると歩いて行ける距離でなくなるのです。
私の生活は、一般の男性と異なり、自分のことは、自分で行い、家族のことも、できることは、自分ですることです。私には、男の仕事はこれ、女の仕事は、あれ、という区別はなく、できることは、できる人がやる、という考え方です。なので、ゴミ出しもするし、トイレの掃除もするし、洗濯もするし、家事もします。
自分が作る食事の食材は、自分で買います。それで、3日おきの買い物があり、5キロとか10キロの飲料や食材を背負って歩きます。
「そういうやつは仕事で、出世ができない」と思っている人に言いますが、社長業は3社、取締役は、1社、国家的な大規模プロジェクトを時間通りに完遂したこと2回あります。小さいことをきちんとできる人は、やがて、大きな仕事も、きちんとできるようになるのです。大変な仕事をだれだれの仕事とか、逃げていては、人生もシュリンクするばかりになります。
今、かなりの高齢にありますが、来週も、初めてのお客様と会議をします。世界の誰かが、私に、新しいお客様を紹介してくれるのです。会社の看板がないと、一人のお客様も来ないということはなく、人づてで、今もくるのです。私の場合、鉄は熱いうちに打つ、という言葉に従い、59歳で早期退職した翌日から、準備してあった自分の会社で仕事を始めました。1日も開に空けずにです。
それに、仕事で楽な仕事というのはありませんが、私の仕事も、他の人と同じように、難しい仕事が多く、引き受けた仕事をちゃんとやり遂げるには、かなりの気力が必要な仕事です。
今回の旅行は、熊本がメインの訪問地ですが、何度となく九州を訪ねた結果として、熊本の市内に用事がない場合は、鹿児島空港で着発し、熊本に向かった方が、高速バスを利用する場合も、レンタカーする場合も、速く、渋滞にあわない動きの良さを考え、今回は、鹿児島空港でレンタカーし、鹿児島空港に車を返す、旅程にしました。車の運転は、ワイフがします。
旅のプランは、終の棲家を訪ねるのは7月22日の旅行2日目にし、1日目は、お昼頃に鹿児島空港を降りて、高速道をゆるゆると北上し、途中で寄る観光地をいくつか(曾木の滝、郡山八幡神社、郡山八幡神社)決め)、一つだけの立ち寄りにするか、3ケ所も立ち寄るか、状況を見て考えることにしました。
もしかして、終の棲家が湯前町に決まると、これからも、九州は、頻繁に旅することになると思われるので、あまり無理なプランは、避けました。 湯楽里という宿には、夕方18時ころに着くと言ってありました。
湯楽里の宿には、終の棲家を見つけてくれた義妹が来てくれる予定で、夕食を食べながら、話の概要と、22日当日の予定も確認することにしていました。
曾木というのは、いくつもの河が一堂に集まる所で、その合流点にいくつもの滝があり、それは、見ごたえのある滝でした。「東洋のナイアガラ」との案内がありましたが、現地を見たことがある私としては、えっ!それは無理とは思いましたが、あちらこちらにある滝の広がり、水煙が上がる風情(豪雨の直後だったので、特に)、滝ごとに、廣さ、高さ、岩石の風情がかわり、1ケ所ではなく、あちこちの見晴らし所から見て回れる廣さは、お勧めの滝と思いました。
多分、2時間くらい、滝を見て過ごしましたかね。曾木の公園自体は、もっと広いようで、他にも滝とか、河に架かる橋とか、いろいろ、見る場所があったようですが、私たちは、曾木の滝だけですましました。なにしろ、何しろ、暑かったのです。滝によくある、深い森というのがなかったのです。
曾木の滝は、九州道の西側にあり、湯前町は、東側、宮崎県よりにあるので、曾木の森からは、約2時間かかったと思いましたが、他の立ち寄り箇所には、寄らずに、まっすぐに湯前町に向かいました。
九州道の人吉付近で、九州道の東側に出て、そこからみちなりにまっすぐ、湯前町に向かいました。
人吉市をぬけ、しばらくして、道が少し、北側にずれると、そこからは、湯前町をまっすぐに抜ける道になります。北海道では、良く見通しの良いまっすぐな道に出会いますが、ここは、小さな町の端から端まで位まで、通り抜ける町で、すでに、何度か来たとこもありますが、「ここで、残りの人生をいきるかも」と思うと、まっすぐな道が輝いて、迎えてくれているように見えました。
湯楽里は、湯前町の高台にある宿で、周囲の山々を見ることができます。盆地で、静かで、きれいな空気の町です。メロンとヨーグルトがおいしいという思いがあります。
宿の食堂には、舞台が付いていて、その舞台の奥側は、大きなガラスがあり、裏側の風景が舞台の背景になります。
能登でも同じような感じの舞台をみたことがありますが、そちらは、本物の舞台です。
22日は、10時に物件を見にいくことにしました。
宿の温泉は、潮温泉です。口に触れると少し、塩辛く感じます。 この温泉にもお世話になることになります。
宿は、畳の部屋でした。畳の部屋は、だい好きです。ベットと畳のどちらかというと、ベットが好きな人が多いような気がしますが、私の好みは畳です。それに、ふわふわの布団ではなく、一枚の薄布団が好みです。104歳の父がベッドから落ち、それが原因で、多発性脳梗塞になり、間もなく、亡くなりました。だから、ベッドは、好まないのです。
22日は、10時に物件を見に行きました。
物件は、結構、新しく、バリアフリーの平屋一戸建てで、部屋数が沢山あり、どの部屋もほどほどに広く、店や、駅にも歩いて行ける距離にありました。湯楽里までは、、歩いていくと20~30分位かもしれない。
賃料を確認し、後程、飼い猫も一緒でよいか、の確認をし、今年の9月ころには、入居するつもりで、話をまとめました。都会の賃料の高い高層マンションに入るより、地方の平屋で、のんびり健康寿命を満喫するつもりです。
ただし、お墓は、樹木葬の墓地を千葉県に購入してあるので、葬儀は、千葉県で行うことになります。
まあ、海外旅行中に突然死したら、現地で荼毘し、エンゼルフライトはなし、とワイフに言ってあるので、九州から千葉までの移動位、問題ないでしょう。
22日は、義妹の家に宿をお願いしていたので、他に、お世話になっている方も一緒に夕食をお願いし、地の利のある義妹に予約をお願いし、一緒に夕食をしました。食事は、関西風ウナギでした。ただし、タレは、関西風にしては、あっさりとしたタレでした。ウナギは、2段でした。
そういえば、今週も、千葉の地元で、関東のウナギをたべました。そこで、全国100ウナギの屋ガイドブックを見ました。100店の著名店がありました。こちらも、意識して、2段のウナギを食べました。
23日は、湯前町より、ゆるゆると鹿児島空港方向に向かいました。この日の予定も沢山用意しましたが、結局、知覧、知林ヶ島の2ケ所のみにしました。空港を通りすぎて、指宿市、南九州市の方向を廻り、鹿児島市に戻る形になるので、行先を絞りました。 昼食は、途中の「安らぎの里」でステーキ丼を食べました。
まあ、知覧に行くことにしたのは、「お国のために」という名目で、自分の命をつぎ込んだ人たちに、心からの冥福を祈るためでした。各国の戦争博物館と言われるところには、なるべく訪れてきました。わかったことは、戦勝国の博物館は、心に打つものがなかったし、戦争を戒めるメッセージも感じられなかったけれど、アウシュビッツとか、ホーチミンシティとか、長崎、広島、知覧の資料館などでは、亡くなった人たちの無念の思いを感じました。ひとつしかない命を国にささげたのに。
知林ヶ島という所は、とくにお勧めする魅力があるところではありませんが、潮がひくと、歩いて渡れる島というので、行ってみました。確かに、何もないところでした。駐車場から海の細道の手前側まで、結構、歩き、海の中の細道を見、島を見、畑以外に何もない島を確認して、島には渡らず車に戻りました。
鹿児島の宿は、ワイフも私も気に入っている宿の一つ、ドーミーインです。
温泉があり、無料の夜焼きそばがあり、24時間大浴場が楽しめます。お風呂は、屋上にあり、露天風呂は、囲いをした屋上の露天風呂でした。
夜中の3時過ぎにお風呂に行ったら、露天風呂の椅子に爆睡する人を見かけました。近寄って、生活反応を見、事故の気配なしと判断し、そのままとしました。
ドーミーインのもう一つの特徴は、朝食が素晴らしいことでしょうね。
沢山の小鉢から好きなものを取り、食事するのは、ビュッフェとは違う雰囲気があります。
ホテル到着の夜は、ホテルに海鮮でお勧めの店(杉玉)を聞き、海鮮の店に行きました。海鮮おいしかったです。
食事中からワイフがそわそわして、十分に食べたのかなと思う間もなく「店をでましょう」といわれ、急ぎ足で、近くのしろくまの店(天文館むじゃき)に駆け込みました。丁度、ラストオーダーの時間でしたしろくまくんを二つ頼んで、満喫しました。
今回は、往復とも、特典航空券を使いました。
湯前、知覧訪問の旅終わり、次回は、石垣島です。次回も二人分の特典航空券利用です。
おおよそ、日常出費の9割近くをカード払いにし、カードをゴールドカードにしているので、結構、マイルはたまります。
基本的に、航空会社のマイル以外のポイントは、ためません。思い出を宝箱に一杯ためたいのです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- レンタカー JALグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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曾木公園の案内図です。
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曾木の滝(一部です。滝は、広く広がっていて、これは一部です)
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曾木の滝(一部です。滝は、広く広がっていて、これは一部です)
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曾木の滝(一部です。滝は、広く広がっていて、これは一部です)
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ちょっと木立のある高台から滝の一部を見た風景です。
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滝のすぐ近くによって見ました。
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見晴台から見た曾木の太刀の一部です。
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見晴台から見た曾木の太刀の一部です。
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木立の中からの曾木の滝遠望です。
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見晴台から見た曾木の太刀の一部です。
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見晴台から滝に近づいてみた風景です。
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滝の下流部分のながめです。少し先に橋があります。
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梅雨空が晴れて、青い空と白い雲がありました。梅雨が明けました。
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曾木の滝から2時間、湯前町の湯楽里に着きました。
もう、梅雨空は、ありません。 -
湯楽里の上の写真のほぼ反対側は、山が迫っています。
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湯楽里の敷地内にはつり橋があります。宿から、外履きの履物で橋を歩けます。少しゆれます。
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湯楽の夕食です。家族ごとのテーブルです。
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食堂には舞台があって、舞台の奥は、全面ガラスになっていて、外のつり橋が見えます。能登では、もっと本格的な舞台をみたことがあります。
その舞台は、外から舞台にでられましたが、この舞台は、そこまでの仕掛けはないようでした。 -
23日は、知覧を目指して九州道を南下しました。途中に道の駅があり、そこの川辺安らぎの宿とかのレストランで牛丼を食べました。
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知覧の館内は、撮影禁止で、撮影できませんでした。
館内には、特攻に出撃前の家族、多く見られたのは、母親に宛てた手紙がありました。
米国カリフォルニアのチノというところまで、撃墜された山本五十六元帥の搭乗機を見に行ったことがあります。 -
ちょうど,干潮の時間で、海の中に細い道がありました。まあ、話のタネの一つになればと思い、訪れました。
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氷のしろくまです。ボリュウムがあって、氷がわたがしのようにふわふわで、シロップが全体にしみわたり、とてもおいしかったです。
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ホテルのすぐ近くにかが渡島湾を臨む高台があり、空港に向かう前に立ち寄りました。静かな桜島でした。
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